喉は、空いた墓。



 「……まるで、あの時の焼き直しだな」
 感情無くこぼれた筈の言葉は、自分の声ながらも思いの外に挑戦的である様に聞こえて、マサオミは僅かに眉を寄せた。薄く開いた口は未だ嘲弄の意を伴っていたから、皮肉気な表情になって仕舞ったかも知れない。
 足下の封印を挟んで対峙するヤクモは、険しく見える表情のほかは顔色ひとつ変えずに、ただ静かにマサオミの事を見返して来ていた。
 この、裏切り、と云う決定的な事実ひとつを前にして、眼差しも感情も、何ひとつ揺らがせずに佇んでいる。
 その温度差──或いは決定的な予感──にまた一つ何かが壊れるのを自覚しながら、マサオミはヤクモへと神操機を突きつけた。
 「……、お前達は何故ウツホを復活させようと云うんだ。他の者は兎も角──少なくともお前は、この世界を再び地獄に落とす心算などない筈だろう!」
 マサオミの向ける嘲りとそして敵意とを真っ向から受け、神操機にすら触れぬ侭でそう問いて寄越してくるヤクモの姿に、今の己の表情に実に相応しくも何故か苛立ちより皮肉が勝るのを感じてマサオミの口の端がじわりと歪んだ。
 それは確かに無知な言葉であったと云えよう。
 知らぬ罪を罪として糾弾する事が許されるのは、神流と云う犠牲者達のみだ。
 然し知らぬ事を罪として責めるのは酷い思い違えであったかも知れない。
 マサオミも、神流の何れも──天地の負ったその罪を突きつけようとはしなかったのだから。
 罰を受けるべき相手の余計な懺悔など、寧ろ不要だったのだから。
 ただ彼らの罪こそが、復讐に足る正当な理由でさえあれば良かったのだから。
 欲しかったのは彼らの償いではない。彼らに知らしめる為の復讐。千切れた時間を取り戻す正義に値さえすれば、憎悪に際限など要らない。
 正義の理由は、いつだって独善的だ。それこそ皮肉なほどに。
 「……地獄?貴様ら天と地の者共が俺達神流に与えた仕打ち以上の地獄などあるものか!
 俺達は元ある形に全てを戻し──取り戻そうとしているだけだ!」
 だとしたらこれは、彼らの罪の深きを、或いはその無さを只糾弾する為の舞台なのかと。叫び返しながらマサオミは思う。
 天地流派が嘗て負った罪など欠片も知らされず其処に在って、マサオミよりも余程正しい手順で此処までを突き止めて来た、この正義感の強い天流の闘神士の為の。
 「ならば何故、お前はリクを、皆を裏切った?!お前が取り戻したいものは『何』だ?彼らの信を欺き裏切って、それで得られるものにお前は何の価値を得ると云うんだ……!」
 ヤクモの勁い視線が寸時、マサオミの足下に転がる月の勾玉を見遣ったその瞬間だけ僅かに揺らいだ。
 逡巡──その理由は、マサオミに対する惑いと云うよりも、ヤクモ自身に対するものである様に思える。寧ろそうでなければいけない。
 リクが肌身放さず持っていた筈のそれを、マサオミがどう云った手段で奪ったのかと──恐らくは直ぐに想像がついて仕舞ったのであれば。
 ここに来て始めてヤクモの表情に乗った僅かの嫌悪や怒りを、絶望以上に歓喜を以て受け止めている己に気付いて、マサオミは冷たく嗤った。
 怒ったと云う事は、耐えようとしたと云う事だ。
 問いを発したのは、言い分を知ろうとしたと云う事だ。
 (だから、底抜けに甘い此奴は──未だ俺を憎んじゃいない)
 己への裏切り。リクや皆への裏切り。それを疵として受け止めながらも、マサオミがいつか思った通りに、ヤクモはそれに耐えようとしているのだ。
 (……どうあっても、アンタは誰も、俺も、憎む事なんて出来やしないんだ)
 疵ついても耐えて、真っ直ぐに立って。
 (俺を、見れば良い)
 この慥かな悪意ごと。見てくれれば良い。
 「…………価値、ね。ある訳がないだろう?リクも、ソーマも、ナズナも、アンタも。あんな家族ごっこなんてもう必要無いさ。
 ま。だが偽にしちゃ気の利いた遊びだったよ。リクは他者を疑う事を知らないし、アンタは何処までも甘い莫迦だったからな」
 「お前は──、!」
 言葉を紡ぎかけたヤクモが、然し踏み留まった。躊躇いを振り切るかの様にかぶりを振って、呻く様に奥歯を軋らせる。
 躊躇──その理由は、マサオミに対する迷いと云うよりも、ヤクモ自身に対するものであった。今度こそ、確信を以てそう判断する。
 確かに揺れたその眼差しが常の鮮烈さを取り戻す前に、マサオミは殊更に戯けた様に肩を竦めてみせた。己の全身に過分な力が一つも加わっていない事を奇妙に客観的に意識しながら、嘲る様に嗤う。
 それは尚も貶める肯定。
 「アンタも。あの家族ごっこが茶番に過ぎないって事ぐらい、判っていたんじゃないのか?ああ、それとも。だからこそ傷ついてくれているのかな?」
 あの確かに温かかった偽の時間を共に共有したヤクモが──彼やリクが殊更に信じ願っていた『家族』と云う形を、完全に反故にした事に対して、果たしてどの様な揺らぎを見せるのか、と。待つ様に。マサオミは優しい類にある声音で返してやった。表情も微笑んでいただろうが、どうせ俯いた侭のヤクモには見えてはいない。
 「…………………、そこまでして、お前は何を取り戻そうと云うんだ……?」
 ややあって、俯いたヤクモが絞り出す様に呟いた問いは既に気勢も熄んで非道く乾いて仕舞っていた。
 長い前髪が、その目元を隠して表情を判然とはさせない。然しマントに包まれた両肩が微細に震えている事に気付き、更に一つ。何かを壊しながら、マサオミは応えてやる。
 「アンタが赦さずとも正しい、俺達の──世界の、本来在るべき姿だ」
 縋る様に唱えた、世界、と云う言葉は、家族、と或いは聞こえて仕舞ったかも知れない。戦意には足りない何かを堪える様に佇むヤクモの姿へと、喉奥で嗤いを噛み殺してやりながら、マサオミは眦を眇めた。
 生半可な嘘の通じない、揺らがず真っ直ぐな質を持つ人を、果たしてどう誘えば憎しみに近い感情まで引き上げる事が出来るだろうかと考える。
 疵を憎悪で癒しながら猶立ち向かうのを待っているのか、或いは、どう望んだ所で彼は憎悪になど浸されず、赦してくれると──確信しているのか。
 恐らく、答えは後者。
 「……だから。戯びはもう、終わりだ」
 赦しを求めて藁にも縋ったのはマサオミの方だ。
 故に、最も穏便で、何よりも野蛮な嘘を舌先に乗せて、マサオミはヤクモへと向けた神操機をゆっくりと開いた。
 「天流のヤクモ。この神流闘神士ガシンが、お前を──討つ」
 壊しているのは己の心に得たものばかりで、ヤクモの心に在るものは、恐らくなにも、壊せてはいない。
 付け入る隙があるとすればそこにだった。
 未だ彼らが『大神マサオミ』を信じてくれている、その残酷な感情こそが──神流闘神士ガシンにとっての引き金となり、天流闘神士ヤクモにとっての疵となる。欺き続けた事実は憎悪と云う名の矜持を崩さず、ただその結果ばかりを無為にする事が出来る。
 だからこそこれは非道い裏切り。彼らの愚かさと甘さとに付け入った、偽。
 眇めた視線のその先で、俯いた侭でいたヤクモがゆっくりと顔を持ち上げて来るのに気付き、マサオミがそちらへ意識を戻すと同時。
 「…………そうか」
 下方を漂っていた眼差しが、納得と云うには殆ど意味を伴っていない様な小さな呟きと共に、はっきりとした意志を示して、前へと向けられた。
 澄んだその、鮮烈ないろと感情とに、マサオミの背筋が粟立つ。
 裏切りへの代償ではない。況して憎悪でも嫌悪でもない。敵として見限る失望もない、それは。
 (………そうだ。迷いのないアンタのその眼に、俺は)
 あの時射抜かれ得た、どこにもない透徹とした気高い心の有り様。
 これだけ嘲っても欺いても、未だ貶める事の出来ない。紛れもない、それは。
 自然と戦いたマサオミの口元に、若干の優しささえも込もった笑みが浮かぶ。
 それは、安堵。
 どうあっても変わらなかった。変えるにすら或いは足りなかった。そう、最初に思った通りに、彼は腹立たしい程に透明に過ぎたのだ。
 そして、だからこそ理解して仕舞う。
 明け透けで揺らがない心が、何を支えにして今此処に立っているのかを。
 変わらないで其処に在るからこそ、慥かに。確信と共に気付いた。
 (アンタは間違い無く──俺の事で、疵ついてくれた)
 歪んだ歓びは果たして、出会った時に憶えたあの敗北感と不快感とを拭う為だけの満足だったのだろうか。
 マサオミが最初に宣言した通り、恰もあの時の焼き直しの様に。迷いの無い眼差しで対峙するヤクモが神操機を構えた。
 彼我の空隙に佇むのは、何処にも向けられない疵と、疵を知って歓ぶ安堵。
 戦いの場と云うよりも余程獰猛な、今直ぐにでも叫び出したくなる程の──歓喜。
 「……なかなか楽しかったぜ。ヤクモ」
 「………」
 何が、と具体的には示さなかったマサオミの言葉に、ヤクモはなにひとつ応えを寄越す事もなく、神操機を開いて示す。
 疵を負った自覚も持たない透明な感情を理性で塗り潰して、闘神士としての言葉を、使命を遵守すべく。
 



39話隙間は浪漫です。「やはり貴様も神流だったか!」超今更な辺りは、それ以前作中一度しか直接対面していない筈の17歳共が実は途中遭遇してました妄想もとい捏造にとっては、実に色々と挟み甲斐があるんです…。うちの倒錯しきった大神さんが憎い。
なかなか楽しかったぜ、はその前の対リクですがまあ…趣味。

ローマ人への手紙3章13節〜。「その舌で、欺く」。