Addiction / CoDependency



 「好きなんだ」
 テーブルを挟んで向かい側のソファに座った大神マサオミがそう呟いたのは、かれこれ向かい合って十分近くが経過した後の事だった。
 その間ずっと手指を落ち着かなさげに組み替えたり曲げ伸ばしたりと散々迷っていた挙げ句、何を言うかと思えば件の一言である。テーブルに出してある、もう湯気も少なくなったコーヒーに手をつける気すら失せて、ハヤテは露骨な溜息を吐いた。辛うじて残っていた面白味成分を半ば無理矢理に口元に引き揚げる。
 「俺が?」
 「ンな訳あるか。解るだろうが、ヤクモの事だよ」
 こちらは同じく手をつけない侭の緑茶を前に、俯き加減で何処か悄然としていたマサオミが顔を持ち上げ即答してきた。
 解ってはいたが改めて云われると際限無く呆れや疲労めいたものが沸き起こって来る。他人の恋路に首を突っ込む趣味など生憎無いのだからと、楽しめよう筈もない事実を伴って。
 「好きなんだよ」
 二度目の溜息を噛み殺したハヤテへと、同じく二度目のマサオミの言葉が飛んで来る。今度のは先程よりもしみじみとした云い種だった。だから?と意図を込めて肩を竦めて返す。
 「解(わぁ)ったよそれは。だからって俺に告白してどうすんだよ」
 「〜だから。……予行練習?」
 その様子を、色ボケ、以外に何と表すれば良いだろうか?ぐだぐだと悩みながらも可成り真剣味の深い声音でそう(何故か)疑問系で返して来るマサオミを、ハヤテは思わずぱちくりと見返した。疑問そのものにと云うより、その単語がどうにも得も知れなかったからだ。
 「……何だよ今更?お前毎日の様に好きだの何だのと云ってはあしらわれてたじゃねぇか。改まって練習なんざして、いよいよ結婚でも申し込む気か?」
 云いながら、此処に来て触れて仕舞った僅かの予感にハヤテは薄く笑いながら足を組み直した。上体を少し前屈みにして、対照的にも真剣な表情で対面に座しているマサオミを見遣る。
 仕事で琵琶湖まで出て来たついでに、少々足を伸ばして京都まで行ってみようかと鷹宮ハヤテが思ったのは最近よくある気まぐれからだった。
 元々趣味の事以外にはさして面白味も見出していなかった男である、この年頃になっていきなり京都の神社巡りが趣味になったとか云う訳では断じてない。
 気まぐれの正体は、京都に知人が出来た事に因る。友達と云っても良いだろう、同業の男二人だ。東京にあるMSSの社員寮に居を置いているハヤテとしてはわざわざ遠方にある野郎の家になど足繁く通いたいとも思わないのだが、仕事で地方に派遣される度、趣味のツーリングで遠出をする度、余程距離が離れていない限り何となく件の『気まぐれ』を起こしては京都を訪ねている。
 仕事の報告はもう済ませた。社への帰投義務は無い為、今日はもうずっとフリーで、明日は休みになる。
 だから今日もそんな『気まぐれ』の心算で「今滋賀県に来ている」とメールを軽く打ってみた所、友人共の片方から妙に熱心に「相談したい事があるから至急来てくれ」と返信が返って来たのだった。(余談ながらもう片方は日頃不携帯電話である事が多い為、返信がないと云うよりそもそも気付いていないのだと思われる)
 「いや結婚とか……無理な事はさておいて、だ」
 で。一体何事かと駆けつけてみれば──この様である。
 夫婦喧嘩と同じで他人の恋路も、首を突っ込みたくない事の筆頭にある。そもそも野郎同士の人間関係を前に結婚だの恋路だのあったものでは無いのかも知れないが、この友人共はある種別物だった。
 「無理じゃないなら申し込む事も辞さない、って言い方だな」
 「…………だがそう云う拘束力や証みたいなものがヤクモに通じると思うか?」
 茶化して云えば真顔で返され、ハヤテは暫時考えた。
 「………………………無理だろうな」
 「……だろ?」
 ハヤテから見ると、件の話題の対象人物たる吉川ヤクモと云う男は、紛う事なく『真性』である。何の、とは本人に云ったら憤慨される事は請け合いなので敢えて伏せておくが。
 ともあれ彼は、仮令世迷い事にしても法的に許されたとしても、だからと云って「結婚してくれ」などと云う申し出にハイと頷く様な人間では無い事は確かである。頷いたとして伴侶との関係を何よりも遵守してくれる様な人間では無い事も確かである。
 その点ではマサオミとハヤテの意見は同一だった。件の人物に、結婚云々はさておいて、愛だの情だのでその対象者を他の何を棄ててでも想う、などと云う事が有り得ないのは間違い無いと云う予想。況してそう云う関係や好意に絶対の確約や拘束など出来よう筈もない。
 何せ『真性』である。途方も無く真っ直ぐで正しくて純粋。それでいて酷く厄介な。
 「……好きなんだよ」
 三度目の、今度は絞り出す様なマサオミの呟きに、ハヤテは呆れた仕草でぱたぱたと手を振った。適当に頷く。
 「だからそれは解ったって。で、だ。何で今更なのか話してみろよ。何かあったんじゃねぇのか?じゃなきゃこの期に及んでいきなりそんな『確約』が欲しくなる事も無いだろ」
 いきなり『告白』を『予行練習』などと云うのだ。要するに本気なのである。
 日頃からマサオミがヤクモへの好意を鬱陶しい程に振り捲いている様子は何度も見ているし、見ていない所でも恐らくは同じだろう。それを『改め』て告げようとうだうだと悩んでいる。
 つまり『本気』に足る理由──或いは出来事が何かしらあったに違いない。無償の愛や押しつけがましい想いではなく、本気で──相手の心が欲しいと思うに至る理由だ。
 それは『確約』を欲する事と同義だ。女に愛を告げ確かめ合う事や、指環を贈るのと同じ。婚姻届けにサインをする事と同じ。確約──何か『結果』、或いは『証明』が欲しいと云う事になる。
 「だって。傍目に見てどうだよ?」
 「……てぇと?」
 「俺一人が彼奴に熱を上げている様にしか見えないだろうが」
 云いながら落ち込んだのか、訊いておきながらマサオミは両肩をそこはかとなく縮こまらせて仕舞った様に見える。
 テーブルの上で手つかずの侭にされているコーヒーと緑茶も既に温度を失っており、しょんぼりとして見えるマサオミ同様に精彩が無くなって仕舞っていた。
 「まぁ事実だろうな」
 気の毒な感も一瞬涌くが、ハヤテは正直な所を思って頷いた。はぁ、とマサオミが溜息をついて両肩ごと上体を下げた。爪先にでも話しかけているのだろうか、陰を背負って俯いて仕舞う。
 「で、お前は梨の礫な現状に──具体的に何があったかは知らねぇが凹んで、何とかヤクモからも同じ感情を引き出せやしないかと思ってる訳か?」
 「……嫌われていない、とは思う…んだよな。だからって好きな訳でも無いとは、以前ヤクモ当人に云われたんだが」
 「じゃ嫌われてないんだろ」
 「だが何も無いんだぞ?!梨の礫どころか本気にされていないんじゃないかと思えて来たんだよ段々…!」
 「じゃあ別れたらどうだ?何なら距離を置くとかでも構わねぇが」
 そもそも出来上がってもいないしかも野郎同士で別れろも何もないが、と思いながら、ハヤテは脱力感に肩を落としたくなった。爪先に話しかけたいのは寧ろ自分の方だった。何を話すかと云えば、それはもう愚痴しかあるまい。
 (大体、此奴が本気に見えるかどうかはさておいて、『あの』ヤクモに限ってそれを意図的にスルーしてるとは思えねんだよな。なにせあれは莫迦正直だ。応える心算や嫌悪感があんならとっくに云ってるだろうが?)
 ヤクモにマサオミを嫌う理由、無視しなければならない程の悪感情があるとは到底思えない。だが真っ当に応える心算も無い様だ。
 「冗談じゃない!好きなんだから手放して良い訳あるか!」
 「別にお前のもんじゃねぇだろうが」
 (……これが惚気じゃなくてなんだってんだよ)
 なおも目の前でぶちぶちと女々しい事を唱え続けているマサオミの姿も声も意識野から閉め出して、ハヤテは額にてのひらを乗せて天井を仰いだ。こう云う時は習慣的に煙草が欲しくなるのだが、以前付き合っていた彼女が嫌煙家だった為に自然と持ち歩かなくなって久しい。
 「〜だからってお前の物でも勿論無いし俺の物でも無いのは解ってる、解ってるが、好きか嫌いかとかだけでも応えがあれば誰にも奪られる事も無いし安心して見ていられるって云うか、」
 マサオミの云う事は段々と支離滅裂になりつつある。本気で悩んで本気で参っている様子なのはそんな様子からも見て明らかだが、具体的に形にして解かない限りこう云ったメンタルに原因を持つ悩みが解消されよう筈もない。
 別段人間関係に問題がある様子でもないのだ。例えば喧嘩したとか云う様な。恐らくマサオミがこうしてぐるぐるとしている間も、ヤクモの方はそんな事露知らずにいつも通り過ごしているのだろう。
 何故ならばこれはマサオミの一人相撲だからだ。自分で唱えて自分で決意して自分で悩んでいる。そしてそれが愚痴にせよ惚気にせよ、何かしら解消したいと思っているのだろう、とはありありと伺える。
 俺はカウンセラーかよ、と、ちらと思った内心の愚痴を表情に出さない事に何とか成功したハヤテは、もう既に飲む気も失せたコーヒーをテーブルの隅へと押しやった。代わりにそこに手を置き、とん、と人差し指を跳ねさせる。
 「お前らの間に以前何があったかなんて野暮な事ァ訊く心算ねぇが、お前ちょっと彼奴に依存し過ぎだぞ?」
 そう振ると、一応自覚はあったのかマサオミは答えに窮して顔を顰めた。実際本当に困っていたかどうかは見て解る訳でもないのだが、口を噤んで仕舞った辺りそう云う事なのだろう。
 「………………、解ってる、けど、どうしようも無いんだよ」
 不貞腐れた様にマサオミは云うと、「どうしようも無い」と己で云った言葉通りに、両手で頭を抱え込んだ。立てた膝頭に顔を埋めて、『どうしようも無い』様にしか聞こえない溜息をつく。
 ソファの上で丸まって座ってべそべそと呻く。そんな事を大の男がやって可愛げがあろう筈も無い。寧ろ鬱陶しさを感じてハヤテは陰鬱に転じかかった空気を手を振る仕草で払い除けた。
 好きだから通じて欲しい。嫌われていないならば通じて欲しい。梨の礫でしかない現状に我慢がならない。でも諦めたくはない。願わくば確約が欲しい。だから真摯に伝えたい。でもそれが不安で仕方がない。
 「……我侭じゃねぇか」
 「それも解ってるから困ってるんだろうが!少しは真剣に悩んでくれたって良いだろお前も!」
 「〜あーやかましい、だからこうして聞いてやってんだろうが」
 理不尽な所にとばっちりの様な云い種を向けられ、ハヤテは殊更どうでもよい態度でソファの背にだらりと凭れた。足を組んで再び天井を見上げる。
 「ヤクモの優先順序の最上部に既に居座ってる家族や式神は別格としても、その『次』にすらなれないってどうなんだよ…。彼奴が好きなものは彼奴以上に自分が想っているものだから、彼奴以上になれないと駄目って事なのか…?」
 ぶちぶちと、最早愚痴でしかない支離滅裂な言い分を呟き続けるマサオミへと視線すら戻さず、ハヤテは適当に時折頷いて相槌を返してやる。うんざりしている態度はあからさまなのだが、既にマサオミはそれすら気にしなくなっている様だった。解決したいと言うよりも単に溜まった鬱憤を愚痴りたかっただけなのかも知れない。
 (どうでも良いってのもう…。ッたく俺もお人好しつーか何つーか……)
 ちらりと壁の時計を見遣って呟く。まだ帰宅時刻には当分余裕があった。わざわざ言い訳を作って辞退してまで、この愚痴攻めから逃れたい程でもない。
 彼らは、ハヤテがこうして度々遠出の機会を得てまで会うに足る程、面白い友人共ではある。実の所マサオミの恋愛模様(概ね片思い)も見ていてそれなり楽しんでいるし、それに際してヤクモへと好意を向けてみた事も一度や二度では無かったりする。
 実際彼は大概の人間には好かれるだろう好人格の主だ。同性だとか何だとかと無理に常識的に狭量であろうとしなくても良い様な、単純に好ましい人間と云える。
 マサオミがこうして管を捲かずにはいられない程に『好き』なのだろう事も頷けるし、機会があれば──マサオミをからかう意図が無くとも──手を出してみたい気もするのは事実である。口にすれば猛抗議を受けるのは確実だが。
 然し──何と云うか、いっそ諦念と割り切れる程に、負け戦になるのが見え透いているのだ。そしてそれは既にマサオミが居るからとかそう云う問題ではない。
 単純に。彼は『特別』なものを持つ事が出来ない質だ、と。ヤクモと何度か言葉を交わし合う内そう直感的にハヤテは悟ったのだ。
 或いは逆で、彼にとっては全てが平等に『特別』なのかも知れない。
 ともあれ。男であろうが女であろうが、誰かひとりの愛や情にこたえてやれる程、彼は人間らしい心を持っていない。彼は非道く優しい利他的なエゴイストで、それを隠そうともしない人間だ。好きなもの、大切なものは何だと問えば間違いなく「全て」と真顔で答える様な奴だ。
 だから仮にどうにか口説いて『手に入れ』たとしても、その心が『此処』だけにしかない事は一瞬としてないだろう、その事実にきっと失望すると思った。同時に、それでも好ましいのは変わらないのだからタチが悪いとも思った。
 要するに、『本気』にするにしては、敷居が高すぎる相手なのだ。負けじとこうして手替え品替え熱烈に口説き続けているマサオミにしたって恐らくは例外ない筈だと云うのに、今更手応えに餓えてこうして延々惚気にしか聞こえない愚痴を唱えている。
 「俺は別にやましい意図がある訳じゃなくてだ……──聞いてるのかよお前」
 「聞いてる聞いてる。構わず続けな」
 「……………で、何処まで云ったっけか……そうそう、そもそもの理由なんだが──」
 ぞんざいに促すハヤテに、マサオミは露骨に不満そうな視線を向けて来たものの、結局その侭続けていった。馴れ初めだのこう至る迄の理由だの。それこそ多岐に渡るそれは惚気そのものだと断じたが、云うだけ云ってすっきりしてくれるならば別に良いかとも思う。元の鞘に収まるならそれでも構うまい。(喧嘩別れした訳ではないだろうから鞘も何もないが)
 ハヤテにとって度々訪れて仕舞う程に此処が居心地が良いのは、彼ら個人の居る空気と云うより、このあやふやな恋愛関係も含めた友人共と云う形態(かたち)そのものなのだから。
 (カウンセリングでも愚痴でも何でも構わねぇか…)
 先程よりも深い諦めと共にそんな事を思って、相槌を打ちながらハヤテは立ち上がった。
 話は長い。時間も迂遠だ。取り敢えず先ずはコーヒーを入れ直そう。




恋愛相談(愚痴or惚気)するマサオミ君をね、うん、書きたかっただけなんですがね。思いの外脳内ハヤテは聞き上手だったと云うか鋭い奴だったと云うか。色々別角度の新発見が自分で出来て吃驚。
ええまあ散々云っておいて今更ですが、ヤクモは別にマサオミが嫌いな訳じゃなくて只応えようがないから淡泊ぽいだけであって。自分でそれを意としては兎も角感情としては理解出来ていないとかそんな厄介さ。

嗜癖と共依存。……あれーただの惚気じゃないかこれじゃ本当に…。つかお前ら何歳よ。