男心と秋の空



 「今日は太白神社本社の集まりが急に決まったから、出て来なければならなくなった。帰りは少し遅くなるから、ちゃんと戸締まりをして先に寝むんだぞ」
 そう云ったのはモンジュ。
 「昼食はお台所に用意してありますのできちんと温めてからお召し上がり下さい。夕食はお任せしますが、くれぐれも、忘れていたとか面倒だから食べなかった、などと云う事はなりませんからね」
 その横で同じ様に云ったのはイヅナ。
 『申し訳ありません、こんな時こそ私がヤクモ様のお世話を任されるべきだと云うのに……』
 そしてこちらは所用あって出向いた、天神町からの電話口の向こうで申し訳なさそうに云うナズナ。
 「俺ももう子供じゃないんだから、留守番ぐらい普通に出来るって……」
 玄関口で心配そうに繰り返していた二者には直接、気になったのかわざわざ電話を寄越して来たナズナには受話機越しに、ヤクモは苦笑を浮かべつつそう返すと受話器を置いてから思わず顳を揉んだ。確かに吉川家は一般家庭とは異なり神社と云う少々特殊な家柄である為、その留守番も真っ当に務めるとなれば確かに、世間一般で想像する『留守番』的な役割とは、課せられるものが大いに異なるのだが──
 「子供の頃から一応何度もしている事だしなぁ」
 腰に手を当てて呟いて、溜息をひとつ。父と二人暮らしだった頃から、幼いヤクモが一人で留守番をする事などざらだった。それだと云うのに、親とその付き添いの闘神巫女と妹の様な闘神巫女兼闘神士である彼らは果たして、一体どの部分でヤクモの留守番と云う現状を今もなお案じているのやら。
 一時期であれば、幾ら天流の結界があるとは云え、天流のヤクモと云う闘神士がただ一人で居るなどと云う事は少々物騒な話を想起させたかも知れないが、流派の垣根が破られつつある現在では襲撃の心配など先ず無い。
 況してこんな山奥の神社へと物盗りが入り込む様な事もそうそう無いだろう。新聞の拡販員も、しつこいセールスも、道に迷った観光客も、表の長々と続く石段を越えてくる程に気合いの入っている者はそうそういない。
 肝心の参拝客については、新太白神社よりも目立たない高台に位置するこの太白神社自体にそもそも訪れる人が少ないので、何の催し物も無い日向きならば殆ど開店休業状態だ。一時期、この間の大戦が終結し一段落した頃は、天流地流問わず闘神士やその見習いが修行としての手合わせを求め訪れて来て辟易したものだったが、ヤクモにもナズナにもついでにモンジュにもその気がまるで無いと知れると、やがてはそれも収まった。
 それに万が一不審者がこの太白神社の敷地へと侵入を果たした所で、それが闘神士由来であろうが現世の犯罪者由来であろうが、ヤクモがそれらにそう易々と遅れを取る様な事もまず、ない。
 家族の身を案じると云う事については普通だと思うし文句も全く無い(寧ろ幸せと云えるだろう)が、彼らの心配の質はどちらかと云えば危なっかしいものを見る様な目だ。未だ頼りなく見えているのだとすれば、己の年頃や自尊心から見て少々複雑なものがある。
 莫迦にされている、とか、頼るに値しない、と思われている訳ではないと云うのは判る。『心配』に思われる質や瑕疵があるのであれば克服したいと云うのも勿論あるのだが、そう云う具体的なものではなく、もっと曖昧に捉えられている気がする。
 彼らは単純に心配性なだけ、或いは過保護なだけ、と見るのが最も適切なのかも知れないが、問い質すべき相手は生憎三者ともこの場にはいない。何となく釈然としないものを抱えながらもヤクモは先ず和室へ向かった。桐箪笥の前に膝をつくと、和服を仕舞ってある横長の薄い抽斗を引っ張り出す。
 中から漂う樟脳の香りに少々顔を顰めながらも、畳紙を解いて袴を取り出すと、姿見を前に手慣れた所作でさっさと着替えを始める。
 資格は取っていないとは云え、一応は神社の跡取り息子である。一般の参拝者など日頃そうそう訪れない特殊な神社であったとしても、宮司が留守である以上は形ばかりでもその代わりを務めねばなるまい。
 ヤクモは未だ神職の資格は取っていないが、実技だけならば幼い頃よりあれやこれやと手伝い、手解きを受けてきたお陰で形だけならばそれなりに様にはなっている(らしい)。モンジュはヤクモの将来について特に強制する心算は無いと云うが、何れは資格を取りそちらの方面を正式に学ばなければならない時が来るだろうな、とは、こう云う時に薄々と思わされる事だ。
 実際、社を守ると云う闘神士としての役割もあって、神職と闘神士とを兼ねている者は多いのだ(寧ろそれが正当であるとも云える)。父が特に何も言わぬとは云え、ヤクモもいい加減、その程度の将来予想図は考えていなければならない年頃である。
 まさか今更、その事について『心配』されていたと云う事もあるまい、とは思うが──
 「……っと、いけない」
 気付けば呆っと黙考に陥っていて手が止まって仕舞っていた。こんなだから家族に未だ気を揉ませるのかな、と最初の疑問を脳裏で咀嚼しつつ、ヤクモは袴の帯を締めた。よし、と背中までを姿見に映して確認したその瞬間。
 足音も気配も感じなかったのに、唐突に和室の襖がばしんと勢いも荒く開かれた。
 「っな」
 先触れもないいきなりの事態に緊張の色を隠さず、ヤクモは帯に隠したばかりの闘神符を取り出しかけ、然しそこで。
 「ヤクモーーーーーーっ!!!」
 「うわぁあッ?!?」
 まるで猪じみた、猛烈な勢いで特攻して来た男を咄嗟に避ける事も出来ずに、ヤクモは『それ』を受け止めたその侭で畳に転がされた。と云うより状況としては、飛びつかれた、と云う方が相応しいかも知れない。
 「いきなり何だ、何処から生えたんだお前はッ!!」
 飼い主に飛びついて甘える大型犬の如く、頬へと擦り寄せられようとするマサオミの顔を素早く押し退けると上体を起こしてヤクモは泡を飛ばすが、唐突に現れるなり飛びついて来た当人は全く意に介した様子一つ見せず、ヤクモの腰にしがみついている。
 「ヤクモ……あーやっと会えたな〜」
 「何が『やっと』だ!ついこの間も会っているだろう、も、良いからッ、離れ、」
 「離れて堪るか、こんなもんじゃ足りない!」
 「〜お・前・はー…ッ!!」
 引き剥がせば剥がそうとするだけ何故か逆に強くしがみつかれ、ヤクモは暫しの間、座り込んだ腰に何かの付属物の様に貼り付いているマサオミをどうにかすべく藻掻いていたが、相手はどう云う訳か全く怯む気配も見せない。そうする内に先程感じた瞬間的な緊張も解け、何やら一気に疲れ果てて来たので、ヤクモはやがて諦めると溜息をついて力を抜いた。
 途端もぐもぐと擬音をさせそうな動作でマサオミが腰に益々擦り寄る様に強く抱きついて来たが、取り敢えずそれ以上には及びそうになかったので問題無いと判断し、その侭放置。
 「ん〜…」
 『♪』でも語尾に付属していそうな声で、腰にがっちりとしがみついて顔を寄せているマサオミを半眼で見下ろすと、ヤクモは抗議の意図を込めて少し乱れた襟元を無理矢理に正した。後ろ手をついてバランスを取ると再び大きく溜息。
 「………で?いきなり何なんだ、マサオミ」
 何処から湧いたのか、と云う最初の質問は取り敢えず余所にやって、ヤクモは先ずそう問う事にした。
 湧いて来たのは当然ながら刻渡りの鏡からだろうし、気配がしなかったのも己が先程黙考に沈んでいた事が原因かも知れない、と思い当たって仕舞ったからなのだが、何だか癪なのでそれは取り敢えず伏せておく為にも。
 「決まってるだろ?ヤクモ分の補給」
 「何だそのお前限定っぽい未知の成分は……」
 「俺限定大いに結構な事じゃないか…〜」
 眠い訳でもないだろうに偉く心地よさそうに眼を細めて、ヤクモの腰に回されたマサオミの指先にまで力がじんわりと込められる。
 べったりと腰に貼り付き、ヤクモの足に乗り上げる様にして抱きついていると云う、些かに情けのないマサオミの姿を見て、袴が皺になる、と一瞬考えヤクモは眉を寄せた。
 「四日程前も来て会っていっただろう……何故今日になって改めてそんな謎の成分補給をしようと云うんだ」
 だが無理矢理解こうとなると何が何でも離れそうになかった先程の様子を思い出してみれば、ここは何とか落ち着いて諭す方が良いかと即座に判断。ので、ヤクモはまずはマサオミの言い分を訊いてみる事にした。そんな己の人格が毎度相手を付け上がらせる要因になっているだなどとは思いもしない。
 「それなんだが……〜ホラさ、もう冬だろ?」
 「? ああ」
 急に消沈の気配へと転じたマサオミの声音に首を傾げ、ヤクモはちらりと壁のカレンダーを見上げた。師走。十二月の半ばにさしかかる日。節季で云えば大雪になろうと云う頃だ。
 「……昨日、里に初雪が降ってな……。
 里は…と云うより千二百年前の時代は豊かでもないし安全でも無いんだ。特にこれから雪も多く降って苛烈な環境になる。だから、色々と大変な時期になるしで、暫くこっちに来れそうになくなってな…」
 そう云うとマサオミは更に、ヤクモの腰に抱きつく腕へと力を込めた。犬猫の様に頬を擦り寄せていた顔を少し持ち上げ、見下ろしているヤクモに向かってにこりと笑いかけてくる。
 「だから、補給」
 「そうか……それは大変だな──ってこら待て何をしてる!?」
 しみじみと、千と二百年の刻、その時代と云う違いや世界の変化を思い、愁う様な表情を作ったヤクモの顔が、急に動き出したマサオミの様子に一気に引きつる。
 「や、補給だろ?」
 云うなりマサオミが先程までの無心なしがみつき方とは異なった、はっきりとした意図を持った手の動きでもぞもぞと、袴の帯を解こうとする様に腰を撫でさするのに流石にヤクモも狼狽した。片足でマサオミの腹を押しやりながら、手では腕と顔の動きを制止する。
 「ちょっと待て、いや永久に待て」
 「っ何で止めるんだ!良いだろうが久し振りなんだし大人しく補給させてくれても!」
 「何がどうなれば良いんだそれがッ!巫山戯るな離れろ冗談じゃない」
 あからさまな行動からマサオミの云う『補給』の意図が漸く知れて、ヤクモは真っ赤になって怒鳴るとマサオミの顎を思い切り押し退けた。体勢的に腕がいい加減腰から離れても良いだろう角度まで引き剥がしても、まるでこればかりは逃がすまいとばかりに強くしがみつかれ、更には最終手段と云う事なのか、マサオミは足をぐるりとヤクモの足へと絡ませて踏ん張ってくる。
 これではまるで、木にしがみつくコアラである。
 「雪解けまで何ヶ月あると思ってるんだ!?ここでたっぷりヤクモ分を補給しておかないと、俺は一体どうやってこの冬を乗り切れば良い!だから補給をさ」
 「させない。牛丼でも抱えて適当に乗り切れ」
 紅い顔で然し、ぴしゃりと言い切るとヤクモは、どこか哀れっぽい表情で猶も追い縋る様に見上げて来るマサオミの顔を冷たい眼差しで一瞥し、それから溜息混じりに云う。飽く迄諭そうとする己の精神に少しだけ嫌気を感じながら。
 「〜マサオミ。今日はうちは皆留守なんだ。だから俺が神社(うち)の留守番を務めなければならない。解るだろう。要するに色々と忙しいから、こんな朝ッぱらからお前に付き合っている暇も無ければ余裕もないんだ。だから、諦めて、とっとと、離 れ ろ」
 外もまだ明るい、昼間には些かそぐわない不健康な気配を未だ保った侭のマサオミに、こうなったら真っ向からの説得だ、と思った故のヤクモの弁だったのだが、対するマサオミは暫しの間の後、何やら頷くと再びにこやかな笑顔ひとつ。
 「つまり、留守番でやらなければならない事さえ終わらせれば、もう後は誰も邪魔者はいないからご自由にって事だよな?」
 「断じて違う」
 良い考え、とばかりに向けてきた笑顔に真正面からてのひらを打ち付けて、ヤクモは縋り付いた侭のマサオミを無視して立ち上がりにかかった。幾らなんでもナマケモノの様にぶら下がっていられる筈はないだろうと云う目算である。
 「うわ、ちょっと待てって…」
 絡まれた足はバランスが宜しくないが、取り敢えず腰を何とか僅かにでも浮かせて仕舞えば、マサオミの足は自重であっさりと解けた。が、ヤクモの腰を捕まえる腕の方は外れようともせず、結局抱きつかれた侭共に立ち上がる形になって仕舞う。
 同じぐらいの丈だから視点の位置も同一。やむなく立ち上がったマサオミの腕だけは名残惜しそうにヤクモの腰を捉えている。
 不機嫌そのものに転じたヤクモのその顔と、顔面に紅い手形をつけて不満未だたらたらなマサオミの表情とが、至近距離で向かい合う事暫し。
 「なぁ…補給、」
 「しないしさせない。何度も云わせるな」
 昼間から何を考えているんだとぼやきながら、ヤクモは先程危うく解かれかけた帯をもう一度、更にキツく結び直す。腰に巻き付いたマサオミの手が些か邪魔だったが、取り敢えず元には戻った。気になっていた皺も出来ていない。
 「……アンタ俺の事嫌いだろ実は」
 「嫌って欲しいのか?」
 「滅相もございません。……ん?って事は嫌いじゃないんだよな。好き?」
 「…………普通程度かそれなりには、って今はそれは関係無い」
 思わず真剣に答えかかって我に返り、ヤクモは赤面した顔を首ごと勢いよく逸らすと咳払いをしながら言い添える。
 「兎に角、お前の時代の境遇は愁うが、その提案は受けかねる」
 「……嫌ってないなら良いだろ〜…?健全な若者として補給を要求するぞ」
 「断る。それとこれとは話が別だ。
 ただでさえ家族(皆)には、俺が留守番に残される事で気を揉ませている様なんだから、邪魔はするな」
 これ以上不本意な扱いを憶えるのも正直御免である。額に四つ角を浮かべて云うと、ヤクモは腰に回された侭のマサオミの腕を極力意識野から閉め出してすたすたと歩き始めた。置いていかれてはなるまいとばかりに一緒に歩き出したマサオミが、腰に貼り付いた不自然な姿勢の侭で続く。
 開け放たれた侭だった和室の外へ出て、廊下を三歩。何を考えているのやら後ろをぴたりとくっついてくるマサオミの気配や巻き付いて離れない腕に、早くもヤクモは辟易としていた。殴り倒してでも解かせようかと云う物騒な提案に賛成票を投じて立ち止まった時、ふと外の、秋の気配もいよいよ遠くなりつつある精彩のない木々の様子が目に留まった。
 山の中の神社と云う立地も相俟って、この季節はマメに掃除をしなければ瞬く間に境内中が落ち葉に埋もれて仕舞う。
 風情がある、などと無責任な事を云えるのは落葉の後始末をした事の無い者だろう。間断無く降る落ち葉は地面の段差を見え辛く覆って仕舞う為に危険だし、雨が降れば滑るし、雨樋や側溝に詰まると面倒な事にもなるのだ。
 見た目には確かに節季を感じさせる風情のある光景だが、長年この地に住んでいるヤクモはその裏に潜む苦労をよく知っている為に、感銘を受けるよりもまずは掃除からだと思
 「マサオミ」
 「ん?」
 思考に不意に落ちた光明に、ぽん、と手を打ってヤクモは半身を捩らせた。至近距離、殆ど目の前で未だ未練たらしくも腰に貼り付いて立っているマサオミが首を傾げる。
 「暇なんだろう?」
 「へ?」
 「お前の時代が冬支度で忙しいのは解った。が、今日は暇だから此処に来ているんだろう?」
 「……そりゃ…まあ、、っていや暇って云うか時間を空けたのは今年最後かも知れない逢瀬をとか」
 「要するに暇なんだろう」
 唐突に問いだしたヤクモへと流石に不信感を抱いたのか、曖昧に言い募るマサオミに向けきっぱりと断定してやると、ヤクモは軽く頷いて歩き出した。自然と、その腰に腕を回しているマサオミも置いていかれまいと後に慌てて続く。正直同じぐらいの身の丈の男に貼り付かれていると云う状況は歩きにくいことこの上ないのだが、振り解きたくなるのは取り敢えず堪えて。
 「………なぁヤクモ?俺は別に暇って云うか、寧ろアンタに会う為に暇を作って来たとかそんな感じなんだが?」
 急にぞんざいな様子を見せなくなったヤクモの態度から『厭な予感』を感じ取ったのだろう、マサオミは本人曰くの『忙しい最中ヤクモに会いに来た』現状を殊更に強調し始めるが、ヤクモはきっぱりとそれを黙殺すると、草履を突っかけて境内へと出た。靴に足を突っ込みながらマサオミもその後に結局は続いて来る。余程離す気が無かったのか、単に離す選択肢がなかっただけなのかは解らないが。
 「えーっと……あったあった。ほらマサオミ」
 境内の片隅にある物置から竹箒を取り出すと、ヤクモはいい加減不審そうな表情を隠さないマサオミへと竹箒(それ)を突きつけた。
 「……逢い引きにしては色気がないと思ったらやっぱりこう云うパターンですか…………ってナニこれ」
 「箒。掃除用具」
 「そんなのは解ってる。で、?」
 「掃除用具の用途はひとつしか無いだろう?境内の落ち葉掃除も留守番の仕事だ。暇で来ているのなら手伝っていってくれ」
 ぐるり、と境内中を埋め尽くしている落葉の有り様を示す様にヤクモが手を振ってみせると、マサオミはその動きをのろのろと視線だけで追いかけ、やがてさも重たそうに肩を落とした。
 「………………だからな、別に暇で来ている訳じゃ」
 「無報酬でとは云わないさ。結構重労働だしな。昼食代とお茶ぐらいは出してやるぞ?」
 「………わー感激しちゃうねー俺」
 棒読みでそう云うと、諦めた様にマサオミは漸くヤクモの腰から手を解いた。代わりに竹箒を受け取ると大きな溜息をひとつついて、ヤケクソの様にざかざかと辺りを早速掃き始める。ぶつぶつといじけている類の言葉を漏らしているその姿に苦笑しつつ、物置から何枚かのポリ袋と、もう一本竹箒を取り出して、ヤクモも同じ様に落ち葉をかき集め始めた。同じ作業を一人でやるよりも、当然だが作業効率は向上するし何より退屈ではなくなる。
 マサオミはもう観念したのか特にそれ以上言い募る事もなく、かと云ってあからさまに消沈した様子を見せるでもなく、ごく普通の様子でそれなり熱心に掃除をしていく。特に「悪いことをした」と思った訳ではないが、後で好きな牛丼でも買って来て労ってやろうかとヤクモは思う。
 ここ暫く秋晴れが続いていた所為か、乾燥した空気に乗って落葉がひらひらと、掃除をする者達を嘲笑うかの様なペースで次々に降って来る。いっそ天気が崩れれば一斉に葉も落ちて仕舞うから、後の掃除が面倒な事を除けば当面楽にはなるのだが、こうも爽やかな気候に恵まれた日向きにあればのんびりと不毛な掃除に時間を費やすのも悪くはないと思えていて、自覚は今ひとつだったがヤクモは非常に上機嫌だった。
 いつもは忌々しく感じる木の下を踊る様に歩いて、箒でかき集めた落ち葉を一纏めにしてはポリ袋へとざくざくと放り込んでいく。そんなこちらの様子をいつからか物珍しげなものでも見る様な表情でマサオミが伺い見ているのに気付き、応える様にヤクモはぐるりと振り返った。
 「秋は好きなんだ」
 鼻歌交じりに笑って云うヤクモを果たしてどう思ったのか、マサオミは立てた箒に凭れかかる様な姿勢を取ると肩を竦めて返してくる。
 「何でまた。さっきの様子からすると、こんな掃除だって面倒なんじゃないのか?」
 「確かに落ち葉掃除は面倒な事この上ないが──、そうだな。気分の問題かな」
 「気分」
 「気分。天気の良さとか気兼ねの無さとか一人ではない事とか」
 鸚鵡返しに云って来るマサオミに向け、珍しくもにこりと笑いかけたのは寸時。意表を突かれた様に目を見開くマサオミの様子に軽い満足感を憶え、機嫌の良さを引き連れた侭ヤクモは雲一つない蒼穹へと視線を転じた。
 「秋は、終わる瞬間までこんなにも充たされた季節なのに、収穫は同時に枯死で、落ちた種は春に芽吹くまでの長い冬を堪え忍ぶ。生と死とが隣り合って混在していると云う事をこんなにも顕著に感じる事が出来る」
 動物が冬を潜み生きる様に、世界と節季は人の営みに関わらず眠りに向かっていく。与える夏と奪う冬との間に横たわる、まるで慈悲の様な優しさ。冽たく乾いていく空気と、遠ざかっている筈の陽に晒されていられる、この瞬間だけの穏やかで心地のよい、偽の様な節季の恵み。
 気紛れな秋風に思考を流す内、ヤクモは少し居心地の悪さを憶えて苦笑した。手はすっかり止まって、ヤクモの様子を具に見つめて来ているマサオミの姿へと視線を戻すとその侭じっと固定して。
 「お前は秋の節季の様だと思った事がある」
 現在に住むヤクモなどよりも、もっと節季と云うものの恩恵或いは厳しさに触れているだろうマサオミへと、思わずそう、口にしていた。
 「……………はい?」
 案の定マサオミから返って来るのは間の抜けた表情だったが、一度口にして仕舞った以上は噤む気にもなれず、ヤクモは間を置く様に一度目蓋を下ろした。薄く目を開きながら続ける。
 「一見穏やかで華やかで。その意味がどう云う事なのか、その先に何が続くのかを忘れそうになる」
 「…………………………」
 ヤクモの云い種を、皮肉だ、と判じたのだろう。箒の上に顎と両手とを乗せ凭れていたマサオミの表情が一気に曇った。反論を探すかの様に口を一瞬開きかけるが、結局止めてむすりと閉じる。思いつかなかったと云うよりは、そう云って来るヤクモの意図を測りかねていた様だ。
 偽の様な両極。人の良さそうな『人格(すがた)』で他者を欺き、自らの目的の為ならば何もかもを利用し、冷たい裏切りで棄て尽くして来た。
 そんな嘗てのマサオミの事を思えばそれは確かに皮肉や嫌味以外の何でもないだろう。実際ヤクモも当時であればその心算で容赦無く口にしていた筈だ。
 然し今は。
 「だが秋は、実りを口にして冬の穏やかな眠りに就く前の心地良さをも持っている。こうして落葉を迷惑に散らす癖に、少し晴れるだけでそれもまた楽しく感じさせて仕舞う」
 そう、言葉に出して云って仕舞う事でヤクモもまた、己の上機嫌さとその理由にこじつけめいた思い当たりを結びつける事が出来ていて、得心と、諦めや本心を丸ごと呑み込んで破顔した。
 「だから……、秋は好きなんだ」
 どうしようもないと、諦観の名前の癖にそれは満ち足りている。ヤクモは、実る季節、落ちる季節とは実に巧い言い回しだなと思いながら、今度は逆にぽかんとして仕舞っているマサオミへと肩を竦めてみせる。
 「そう云う訳で、手伝わせておいて何だが結構俺は楽し」
 「ヤクモっ!」
 自分の事ながら恥ずかしい話をしている自覚も今更の様に湧いて来て、照れ笑いを浮かべたヤクモに再び、それもかなりの勢いでマサオミが抱きついて来た。今度は押し倒す様な心算は無かった様で、思わずバランスを崩しかけるヤクモの腰を確りと支えて来る。
 「アンタが俺の事をそこまで好きでいてくれたとは正直思わなかった、すまん!これで千二百年の恋も報われるってもんだ…!」
 声音に歓喜の涙の気配すら漂わせ、絞め殺さんばかりの力で抱きついて来ているマサオミの肩越しに、ヤクモは降る落葉を見上げながら溜息をついた。
 「お前のイメージが秋と云うだけで別に秋が好きイコールお前が好きと云う訳では全くないんだが……」
 「俺はずっとヤクモの事を冷血だとか不感症だとかツンデレのデレ部分が無い只のツンだとか色々誤解していた様だ…!」
 何やら盛大に勘違いをしている様子のマサオミは、呆れた様なヤクモの呟きも聞こえないのか(或いは流したのか)涙声で感激しきっている。ヤクモとしてはもっときっぱりと訂正…もとい否定してやっても良かったのだが、折角上機嫌になってくれた所を敢えて沈めなくても良いかと思い直して、ぽんぽんとマサオミの背をおざなりに叩いてやってから身体を離した。
 すると即座に、すっかり調子に乗ったマサオミの顔が近付いて来たので、ヤクモは手にした竹箒でその顎を容赦なく一撃した。仰け反ったマサオミが怯んだその隙に素早く距離を取ると、指の代わりに箒を突きつけて冷たく言い放つ。
 「人が折角楽しむ風情になっているんだ、気分を削ぐな。不愉快だ」
 「…〜痛ぅ………アンタが俺の気を削ぐのは良いのかよッ?!」
 「さ。お遊びはここまでにして早く終わらせるぞ。仕事は境内の掃除だけではないんだ」
 「しかもスルーですか。偶にはちょっとぐらい大目に見てくれてもいいものを…」
 結構な勢いで打たれた顎をさすりながらぶちぶちと息を巻くマサオミからあっさりと視線を外すと、ヤクモは箒をくるりと回して踵を返した。落ち葉で一杯になったポリ袋の口を縛ると、次の袋を軽く振って空気を中に入れる。湿気のない空気はそれだけの動きでも、軽くなった周囲の葉を撒き散らす為に些か埃っぽい。咄嗟にヤクモは顔を背けるが、少しいがらっぽくなった喉が咳を出させる。
 「お前も気を付けろ、マサオミ。マスクとか必要なら取って来た方が良いか?」
 「…………なんか最近飴と鞭を巧い事使い分けられてる気がするんですがねぇ?」
 ヤクモはすっきりしない喉奥で空咳をしながらマサオミにも注意を促すが、その当人はまだ顎を痛そうにさすりながら胡乱な目を向けて来ている。どうやら余程ヤクモが『大目に見てくれ』なかった事が気にいらなかった様子だ。
 とは云えいちいちマサオミの一喜一憂に対して甘やかす心算も折れてやる心算も、ヤクモには無い。後から後から降る落葉同様きりがないからだと云うのは散々思い知らされた教訓でもある。故にヤクモは小さく息を吐くと、情けを棄てて斬り捨てる。
 「鞭とは心外だな。その心算なら俺はお前をとっくに強制送還しているが?せめて、甘くない飴もある、と云う程度に認識を改めろ」
 「アンタのくれる飴はいつだって中が辛かったりする訳だが」
 「秋とは云ったがお前は与えるよりも食らう方が多い気がする。贅沢は云うな」
 包容力があるとはお世辞にも云えたものではない。どちらかと云うと他者の好意に甘えるきらいのあるマサオミには、皮肉返しにも動じずさらりと告げるヤクモの言葉がどうやら痛いところに刺さったらしい。肩を落として情けのない溜息をつくとマサオミは先程投げ出した箒を拾い上げ、口でぶつぶつと文句らしき事を呟きながらも再び勤労に励み出す。
 少し離れた後方で再開される掃除の気配を耳に受けながら、ヤクモはひととき取り戻した穏やかな心地に目を閉じた。
 落葉の積もる音、踏み抜く音。その下で団栗が潰れる感触。木々にとってのひとときの終わりは、然し人や動物にとっては己を生かしてくれる糧だ。これから鎮と冷えて寒く、寂しくなる季節を活かしてくれる、今だけの充足だ。土の下で眠り、全てを凍え縮こまらせる冬を迎える為の優しさだ。
 千二百年前の時代とは、ヤクモが想像出来るよりももっとずっと、節季や自然の恩恵と密接に存在している。マサオミが、彼にしては珍しくもこちらの時代に──ヤクモの存在に──妥協せずにはいられない程に。冬へと向かうそれは厳しいものなのだろう。
 それを真なる意味で量る事はヤクモには出来ないし、敢えてしようともしない。故に実のところ、そんな自分が節季の恵みの話をするのは少々無知で傲慢かとも思えてはいた。
 だが、それでも恐らく。その優しさや厳しさを全身で感じて、今こうして泣きそうな程に充たされていると思える事実だけは、仮令ヤクモがこの時代の生まれでなかったとしても、変わりはしない。
 (秋は…好きなんだ)
 これからの冬は確かに少し寂しいものかも知れない。こうして後ろで共に立ってくれている、いつも在るべきものが訪れないのだから。家族の不在のこの瞬間を──当人は意図してはいないだろうが──紛らわしてくれているこの暖かさが無くなるのだから。
 多分、こう云う云い方は正しい。
 (お前が来なくて寂しいとは云わないが、寂しい冬が少しでも遅く訪れて、少しでも早く明ければ良い、とは。思う)
 成程確かに、秋が幸福に在ればこそ、冬は辛く長い。沢山の実りを与えてくれたとしても、雪解けを待ち眠る時間はひとりで、寒い。
 「…………お前の言い分は解らないでもないが、生憎俺は手放しで賛同出来る程単純でもお目出度くも餓えてもいない様だ」
 「? 何だって?」
 小声を聞き咎めたマサオミが目を瞬かせるのに、苦笑の気配を纏った侭のヤクモは「何でも」とだけ返すと、掃除を再開し始めた。
 大体、暫く会えないから存分に「今」を堪能したい、などと云う思考には全く賛成の余地が無い。
 「マサオミ」
 「ん?」
 ばさ、とマサオミが背後でポリ袋を拡げている乾いた音を耳に流して、ヤクモは振り返らない侭微笑を浮かべた。
 「春になったらまた来い」
 ぼさ、とマサオミが背後でポリ袋を落としたのだろう音を耳に留めて、ヤクモは振り返らない侭微笑を崩さない。
 「………、それは云われなくても、その心算だったが…、なんか、改めてどうしたんだ?」
 驚きはたちまち怪訝そうな質に転化し、取り落としたポリ袋を拾い上げるがさごそと云う音と同時に、マサオミからはどうにも煮え切らない種の疑問が返って来る。飴と鞭──或いは甘い飴と苦い飴──の意図を探る様なそんなマサオミの調子に露骨な溜息を吐いて仕舞うヤクモ。
 「ああ、いや。喜んで受け取るが……、要するに今日はお預けの侭で、絆されてくれる気はまるで無いって云いたい、んだよな?」
 その溜息の質から不機嫌の片鱗を感じ取ったのか、慌ててマサオミが繋げる。
 「そう取ってくれても構わない」
 「冬の長い間、ヤクモ分を補充出来ないと思うと結構寂しげなんだがなぁ…」
 ざっくりとした切り口を庇う様に苦笑を浮かべるマサオミに、ヤクモはもう一度周囲をぐるりと見渡してから口を開いた。
 「……冬は確かに長いが、」
 枯死の果ての眠りの季節。今鬱陶しい程に散っている鮮やかな落葉も、あと僅かで真白な雪にその姿を変えて仕舞う。
 冬が特別孤独なものだとは思っていないが、今この秋の終わりとして感じている、暖かさや穏やかなものが無いと云うのであれば、その分の空白に落ちるものは他に無い。その分はきっと冷たく寂しい。
 そんな風に感じる事が出来るからこそ、ヤクモの『家族』達はその身を──と云うよりは心を──案じていたのかも知れない。人の心に餓えて、失われる事の無い様に求め続けるヤクモを、たった一日とは云え家(ここ)に独りにする事を忍びないと感じてくれていたのかも、知れない。
 その空隙に、恰も狙った様に落ちて来たのだから。全く厭な偶然だ、と。ヤクモは滲む様に細めた眼差しでマサオミを一瞥した。
 「その分春が待ち遠しく思えるな、俺ならば」
 言葉の中にあった幾分かの柔らかさを聡くも拾ったマサオミは、それから暫くの間何かを考え込む様に眉を寄せていたが、やがて妙に冴え渡った表情で二度頷くと、晩秋に実に似つかわしい鮮やかな笑顔を浮かべてみせた。
 「よし解った。何とか時間に兼ね合いをつけて、開いても最低週一は現代(こっち)に戻って来れる様にしよう」
 くるりと何かがひっくり返った様な唐突さに、ヤクモの眦がぴくりと震える。
 「…………何がどう、『解った』らそうなるんだそれは……?」
 「ん?だってアンタも春が待ち遠しく思えるって事は、矢張り冬の間が少なからず寂しいって事なんだろう?俺もヤクモ分を定期補給出来る方が望ましいしなぁ」
 悟られた様な、或いは全く的はずれの様なマサオミの言葉に思わずヤクモが引き攣ったその隙に、マサオミはうんうんと頷くと片目を閉じて云う。
 「アンタをひとりにしておくのは、俺も忍びないしな?」
 果たして見透かされていたのか、それとも偶然か。ヤクモは己の反芻に迷惑な程に綺麗に落ちて来たマサオミの云い分に、寸時憶えた怒りをも忘れて呆然と。
 「……………………お前、人の話を全く聞いてないだろう」
 呆気に取られて仕舞った感情に溜息で蓋をしてヤクモは、これが答え、とばかりににこやかに佇んでいるマサオミから視線を外した。
 足下のポリ袋に些か乱暴に集めた落ち葉を放り込めば、倣って同じ様に掃除を、今度はマサオミの方が余程上機嫌な様子で再開し始めるのにふと気付いて、ヤクモの口元に呆れの強い苦笑が浮かぶ。
 結局こうして楽しんで仕舞っているのは、恣意でも節季の所為でも何でも良い。上機嫌に絆されて仕舞うのも、マサオミや天候の所為でも何でも良い。こんな側面が思わずして転がり込んで来るのを歓迎出来る、秋は好きなのだから。




一期OPが、りっくん=春、マサオミ=秋、ヤクモ=冬、と云う構成(なんだよね…?)だったのでつい。ヤクモが冬(しかもin伏魔殿)な辺り相当不毛な空気が漂っている訳ですが、にしてもあの樹氷のフィールド、ガシン君12歳が封印された場所と思うと因縁漂ってるよね…(ノ∀`)え、単に背景指定が同じだっただけ?まあそう云わずに何かしら妄想したい年頃です。

女心ではない。節季通りの頃からの放置物件。余りに頭悪そうだったもので。