キャラメルアップル



 「なぁ、アンタ嫌いなものって何かある?」
 「……また藪から棒に何だ?」
 唐突に投げたマサオミの問いに、調理場に向かっていたヤクモが訝しげな表情で振り返ってきた。日頃はイヅナの使用している水色のエプロンの、胸元に刺繍されたヒヨコの絵までもが影の具合でそこはかとなく疑問を訴えている様に見えなくもない。
 着用しているご本人様はまるで気にしていない様だが、正直愛嬌すら漂うそのエプロンは、十七も超えそうな男子に似合うものでもない。とは云えそう指摘すればこの珍しい『ヤクモがマサオミの分の昼食を作ってくれようとしている』図が台無しになる事は請け合いなので、敢えて黙った侭でおく。
 「食べ物の好みの話。好き嫌いとか。そう云えば訊いた事無かったかなぁと」
 「お前の好みと云うか拘りは丼だな」
 よく洗った人参を刻みながら、ヤクモ。以前キバチヨにもマサオミの印象イコール丼とあっさり云われた経緯を思い出し、思わず苦笑いが浮かぶ。
 「俺の事は良いんだって。ヤクモの事が今は訊きたいんだよ」
 みじん切りになった人参を除け、続けてピーマンの種を取りつつ、ヤクモは考えを探す様な素振りで首を少し傾げた。
 「……別に。特に好き嫌いは無いな。食わず嫌いと云う物も思い当たる限りでは無い…、と思う」
 「じゃあ嫌いなものも無いって事か」
 「まあ子供でもあるまいし、そうだな」
 云いながらも手が止まる様子もなく、ざく、と良い音と同時にツンとした臭いが辺りに立ち上った。玉葱だ、と気付いた瞬間マサオミは椅子を蹴ってヤクモの背後へとそっと近づいた。滅多にないヤクモの泣き顔が(仮令それが玉葱由来でも!)見れるかも知れないぞと、口元が自然と笑みを浮かべる。
 「未だ時間がかかるから大人しく座っていろ。空腹の我慢が出来ないならアイスでも食って待て」
 背後に近づくマサオミの不埒な思いを動物並の直感で察したのか、目元の僅かに紅いヤクモがほんの少しだけ振り返るなり牽制する様に声を上げてきた。看破された企みに気まずく動きを停止させたマサオミは、あと二歩程度で目的達成だったのに、と密かに舌を打つ。
 ざくざくと玉葱をみじん切りにしながら、時折小さく呻いて目元を押さえたりなどしているヤクモの様子は大層気になるものではあったが、その背中は下手に近づくと玉葱を鼻に押し込むぞと云う妙に具体的なオーラを放っている。
 と云うかそれはマサオミの予想もとい勘でしかないのだが、今のヤクモならば実際にやり兼ねないかも、と思わないでもない。なにしろヤクモは何かに夢中になっている所に水を差されるのを好まない質である。それが曰く『不埒な』類であれば猶更だ。
 ヤクモの『滅多にない泣き顔(但し玉葱由来)』を至近距離で堪能出来ないのは惜しまれる所だが、彼の怒りを買って、ついでに昼食もお預けとなるだろう事態を考えれば致し方ない。
 席に戻ろうかと思うが、ここでただ戻ってはヤクモに『不埒な事を考えてました』と宣言して仕舞う様なものである。暫し考えてから、マサオミは冷蔵庫の方へと向き直った。正直そこまで空腹が深刻な訳ではないが、云われた通りに冷凍庫を開けて幾つか入っていたカップのアイスの中から適当にひとつを取り出してみる。何やらアルファベットの並ぶフレーバー名は残念ながら解読出来そうもない。
 ぱたん、と冷凍庫の戸を寄りかかった背中で閉めて、手は代わりにカップの蓋を開いた。てっきりシンプルなバニラかと思いきや何やら斑な中身に首を傾げながら、横の食器棚から匙を一本摘み出す。
 「はー…」
 みじん切りの作業を何とか終えたヤクモが、目元を軽く押さえて溜息などをつきながらコンロに火を点けた。フライパンに油を引いて、よく熱してからみじん切りにした野菜を放り込んでいく。
 「甘!!」
 そんなヤクモの様子を観察しながら、特に意識もせず匙にざくりとアイスを掬って口へと放り込んだマサオミは思わず声をあげた。驚いた様にヤクモが振り返る。
 「……驚かせるな。何かと思っただろう」
 が、匙を銜えて顔を驚かせているマサオミに直ぐに興味を失い、手元に再び集中し始めて仕舞う。
 「や。だってなぁ…ちょっと予想外のこの甘さ。何だろうなコレ?シナモンみたいな匂いもするし……」
 白っぽいベースに薄茶色の斑を作ったその表面を匙でつんつんと突いてみるが、一風変わった味のアイスの方はマサオミの抗議に気にした様子もなく、冷たい癖に酷く甘い芳香を漂わせている。
 アイスクリームの類はこの時代に来てから、マサオミらが驚かされた食べ物の一つである。リクらの家などで食べる機会があった時も、自分で何となく購入して仕舞った時も、概ねの場合は標準的な味のものを選んでいた。
 しかも店売りならば兎も角、露店などでよくある食べ歩きのものはフレーバーや味の種類が多すぎて正直よく解らなかったし敢えて挑戦する気も起きなかった。女の子達は珍しい味や様々なトッピングを混ぜたものに興味を示している様だったが、成程今食したこのアイスは、そう云った類だったのではないかと窺わせてくれる、甘さは勿論として実に不思議な味わいであった。
 「この間ヒトハと北条が来た時に置いていったんだ。駅の方に有名なアイス屋のチェーン店が出来たとかで、お土産らしい」
 じゅっ、と景気の良い音を立ててそれなりに手際よく炒められて行く野菜と油の香りが台所に満ちて来て、マサオミのお腹が密やかに鳴った。とは云え今は昼食に胸を躍らせるよりもこの凄まじく甘いアイスを片付ける方が先決である。
 「ナルホド、あの二人のお嬢様方の趣味って訳ね…」
 「後はイヤガラセかもな。うちではイヅナさんぐらいしか甘い物が好きだって人はいないのに、甘味攻め」
 ヤクモは洋菓子でも和菓子でも行ける口だが、どちらかと選ぶ事となれば和菓子を取って仕舞う方だ。似た様な趣味のモンジュは兎も角、若い癖に渋い事である。イヅナはヤクモの云う通り甘味物は全般大好きで手ずから作ったりもするのだが、ナズナはこれもまた歳にそぐわず和菓子派だ。と云うより彼女の場合は洋物に全体的に余り耐性が無い。
 ちなみにマサオミは幼少時から甘味自体にそうそう縁など無かった為、逆に何でも行ける方だ。だがそう自負していると云うのに思わず「甘い」と呻いて仕舞った辺り、このアイスの甘さは推して知るべしと云った所か。恐るべし女の子達。
 「イヅナさんは美味しいって云ってたけど、そう云えば俺は未だ味見をしていなかったな」
 余り気も無さそうにそう云うと、ヤクモは炒められた野菜を一旦皿に移し、続いて油を引き直してから挽肉をフライパンへ放り込む。同じ様に炒め始めるその手際を観察して、マサオミは「へぇ」と小さく呟いた。
 「一応様になっているんだなぁ」
 「………………何だか不本意な物言いをされている気がするな?誰の為にわざわざこんな事をしてやっていると思っているんだ」
 「あ、いや、そう云う意味じゃないって!確か以前は料理なんて出来ないとか云っていた様な気がしてたからさ〜」
 じゅうじゅう音を立てるフライパンからは目を離さないものの、トーンの下がったヤクモのその声音だけで彼がどんな表情をしているのかを察して、マサオミは慌ててそう付け足した。アイスと匙とを持った侭手を軽く挙げて降参の意も示しておく。
 そんなマサオミの真っ向からの白旗をどう取ったのか、ヤクモは少し不機嫌そうに鼻を鳴らすと、炒め物用の木しゃもじでこんこんとフライパンの底を打った。
 「別に。全く出来ないと云う意味で云った訳じゃない。幸いうちではイヅナさんやナズナが食事関係の殆どを任されてくれていたからな。それに比べれば出る幕も無いと云う事だが、一応、こう云う簡単なもの程度なら作る事ぐらい出来る」
 イヅナが太白神社へと来る迄は父親を手伝い家事もしていた、とそう云えば以前訊いた様な、と思い出しながらマサオミは匙に掬った矢膤に甘いアイスを口中で溶かして頷く。
 「あー、それじゃあひょっとしなくってもヤクモの手料理を食べる事が出来るってレア?ラッキー? いや〜変な時間に来た甲斐があったなぁ」
 口元が弛むのを押さえきれず上機嫌に笑って云うと、ヤクモは何処か厭そうな視線をちろりとマサオミの方へと投げながら一旦火を止めた。先程炒めた野菜を再びフライパンに戻していく。
 そもそも、マサオミがこうしてヤクモに遅い昼食を特別に作ってもらう事となった経緯はと云えば、行きつけの丼屋の限定丼の購入の為に昼から並びに行ったものの自分の番が回って来る前に個数が終了して仕舞い、沈みきって太白神社へとやって来た事にはじまる。
 当然時刻も昼を大きく回っていた為に吉川家の昼食もとっくに終わっており、頼りのイヅナもナズナも買い物で不在。度重なるタイミングの悪さと空腹と落ち込みとで「の」の字を畳に書いていたマサオミへと、「俺が何かを作ってやろう」と珍しくもヤクモが申し出て来たのである。
 それ程マサオミが哀れっぽく見えたのかも知れないが、きっとこれはヤクモの愛に違いないと一方的に結論付けておいたのは云う迄もない。
 「味や品質の保証はしないぞ。まあ食べれるレベルだとは思うが」
 至福の心地で匙を噛むマサオミに水を差す様にそう云いながら、ヤクモは一番最初に刻んでおいたカレールーを取り上げる傍ら、コンロの横の調味料棚から手探りでソースを掴み出す。
 「で、で、メニューは何ですか?カレー?」
 「ドライカレー。おや、丁度良いじゃないか。甘さに。なんなら激辛仕立てにしてやろうか?」
 うきうきと問うマサオミへと、少しばかり意趣の込もった云い種でヤクモが口の端を綺麗に持ち上げた。軽く指で、件のアイスを指してみせる。
 「〜遠慮しときます。頼むから普通で」
 少し溶けかけ更に甘さを増した気さえするアイスを見下ろして呻くマサオミを、それは残念だ、とでも云いたげな表情で微笑んで見遣ると、ヤクモは再びコンロに向かった。ルーとソースとを具材に絡め、火を点けて一気に混ぜ合わせていく。
 食欲をそそるカレーの香りに鼻をひくつかせつつ、ふと意趣返しを思いついたマサオミはヤクモが火を止めるのを待って、そっとその背後に迫った。ごとん、とフライパンをコンロに置いて不審そうに振り返るヤクモの口に、たっぷりアイスを乗せた匙を素早く滑り込ませる。
 「〜〜!!」
 甘いアイスを口内に残してひょいと匙を抜けば、ヤクモは激しく抗議する様な渋面でマサオミを睨んで来た。それを吹き消す様ににこやかに微笑むと、再び匙にアイスを掬って一言。
 「確か好き嫌いとかは無いって、最初に云ってたよなー?」
 「〜……………く」
 「それに味見は未だしてなかったんだろ?お嬢様方に感想も言わなきゃならないだろうし、丁度良いと思って、な?」
 マサオミの上機嫌な笑みとは真逆に、予想以上の甘さに顔を引き攣らせたヤクモが苦く苦く呻いた。「はい」と再びマサオミの差し出した匙を大人しく受け入れて、喉にも大層甘いだろうそれを嚥下する。
 「……………………甘」
 地の底から呻く様にそうは云うものの、面と向かって拒否するのは、嫌いなものはないと宣言して仕舞った以上憚られるのだろうか。渋々と云った表情を浮かべるとヤクモは溜息混じりにマサオミの手からアイスのカップを奪い取った。代わりに電子レンジの庫内で温められていた、浅皿に盛られた白米を手渡して来るとフライパンを指さす。
 「お前は冷めない内にこっちを早く食え」
 短くそうとだけ云うと、呆気に取られるマサオミの横をすり抜けて席につくなり甘い甘いアイスの制覇にかかるヤクモ。
 (……無理する事ないのになあ)
 甘(過ぎる)もの程度で負ける気になど到底なれないのだろう、半ば自棄めいて匙を銜えるヤクモの姿を密やかに笑いを堪えて見ながら、マサオミはヤクモ謹製のドライカレーを白米にたっぷりと乗せた。甘味と真剣な表情で格闘を続けるヤクモの正面に腰を下ろして、対照的な味わいや匂いをさせている皿を置くと、いい加減空腹が解消される事をも含めてにこやかに手を打つ。
 「じゃ、ありがたくイタダキマス」
 「ああ」
 ぞんざいに頷き、ちらりとマサオミを睨んで来るヤクモの胸中は恐らく、「激辛にしてやればよかった」と云った所か。
 構わずマサオミは遅すぎる珍しい昼食へと取りかかった。口内に未だ残留するこの甘さの後には確かに丁度良いかもな、と思い、次なるヤクモへの襲撃計画に顔を綻ばせながら。
 



甘味が足りないよ週間続行中。わぁいまたもやオチがない。頭の中のマサヤク像が裏切られて訳解らない事になって参りました…。畜生なんだよこの新婚。拒否反応で蕁麻疹出そう。基本的に拳で語る程殺伐としていて良い筈なのに…(それもどうかと)。
ヤクモは甘いものが嫌いと云う訳ではなく、フツーのオトコノコらしく極端に甘いものにはドン引きなだけな感です。

なんかひたすら甘いイメージから。