カルデイア 湿気の多い水のフィールドを、熱線が走る。衝撃の着弾と共に水蒸気がもうもうと巻き起こり、噎せ返る程のその熱にヤクモは身に纏ったマントで口元を覆った。零神操機を突き出す腕に熱湯を浴びせられた様な熱さがまとわりつくが、構わずに印を切る。 「ブリュネ!」 印が飛ぶ先、ヤクモの前へと素早く降り立った青龍のブリュネが槍を振り、熱せられた水蒸気を散らす。 「お任せを!必殺、凱旋門之風!!」 ごうッ、と純エネルギーの質量がブリュネの周囲に発生し、恰も暴風の様に一直線に標的に向け突き進んだ。熱と水とが散らされ、遅れて風が背中を押す。 その行く先を見ない侭、ブリュネはヤクモを振り返り叫んだ。 「大丈夫でありますか、ヤクモ様!」 「大事ない、それよりまた来るぞブリュネ!」 右腕にちりちりとした痛みが走るのを意思の力だけでねじ伏せ、ヤクモは零神操機を構え直した。その行動に応える様にブリュネが敵へと相対する。 向かうは式神、雷火のジョニザ。このフィールドでヤクモへと向かって来た神流闘神士の契約する式神だ。 「食らえ!必殺!!」 印の入力を受け真正面から、手槍を携え鷲の姿をした式神が迫って来るが、素早くジョニザの横へと回り込んだブリュネはヤクモの超速の印を受け必殺技体勢に入る。 「そうはさせないであります!必殺!螺子式貫通波ー!!」 ブリュネの左腕に蓄積され放たれた衝撃波を、然しジョニザは雷火族の素早い飛行で難無くかわし突き進んだ。 「何ッ!?」 驚愕に目を見開くのは然し寸時。複雑な形状をした手槍が閃き、迫るその軌跡を悠長に眺めている余裕などない。身に慣れきった緊張の気配に、ヤクモの指は既に自然と符を掴んでいる。 「死ねや小僧ォォ!暴狼丸雷刃ォォオ!!」 「ヤクモ様ーッ!!」 己の闘神士がこの程度で斃れるとは僅かも思っていないが、式神としてその身を守る事が出来ないと云う自責は激しい。ブリュネは重力の軛などまるで無い様な速度で素早く転換するものの、既にジョニザの手槍は必殺技を発動している。 ヤクモは抜き取った闘神符を素早く投げ放ち障壁を展開させるが、式神の必殺技が相手ではその衝撃を僅かに殺す程度にしかならない。それでも並の闘神士であればそれすらも叶わなかっただろう、僅かの空隙に身を捩らせると水の中へと転がる様に落ちた。紙一重で逃れる。 気泡舞う反転した視界の中、水面を赤い光が走るのを僅かに確認すると、ヤクモはまとわりつくマントの重みを振り切る様に水中を蹴った。憶束ない動きで水面に顔を出し息を吐くのと同時に、素早く戻ったブリュネがその身体を抱え上げ追撃から離脱する。 「ヤクモ様、ご無事でありますか!?」 「ああ……、神流は闘神士の命を式神に奪わせる事を、矢張り躊躇わないのか…!」 水を滝の様に何処より零す近くの浮島へとブリュネは着地し、ヤクモの身体を降ろすと素早く追撃に転じて向かって来るジョニザの攻撃を次々愛用の槍で捌いていく。 「禁を冒してまで…、式神を名落宮に堕とす覚悟をしてまで、神流(奴ら)は一体何を企んでいると云うんだ…」 ぐ、と唇を噛むのはひととき。かぶりを振るとヤクモは戦いに集中した。己を守るべく迎え撃つブリュネへと印を切り同時に符でそれをサポートする。 腕に負った火傷は水を被った事でひりつく様な痛みを訴えているが、それをも抑え込み、敵の姿を見上げた。 * その戦いの有り様は、同じフィールドに偶然赴いていた、伏魔殿内部探索チームに所属する二人組の地流闘神士の元にも見えていた。 「何者、でしょうか?」 両手に携えた陰陽八卦盤がその戦いのエネルギーを受け、不安定にぐらぐらと揺れている。それを見下ろしてから未だ少し遠い上空の、何かがぶつかり合う光景を見上げ、地流闘神士ムツキは眼鏡を押し上げた。傍らの若い闘神士も同じ様に空を見上げ、呟く。 「妖怪…じゃなさそうだ。天流の闘神士か…?!」 「だとしたらまさか、先立ってより噂の白虎使いでしょうか…」 応えながらムツキは先日の、天流の白虎使い太刀花リクとの戦いを思い出していた。 あの時はまだ未熟に過ぎない子供だと思っていたが、当時一緒に組んでいたダイカンと秋水のリュウコンを倒し、その後も闘神石に因って暴走大降神を起こしたイゾウと黒鉄のフジを倒したと云う、既に地流にとって脅威になりつつある少年闘神士と白虎の式神。 「だとしたらその相手は一体…」 「どっちにしても地流(仲間)だったら助ける必要があるし天流(敵)だったら倒す。そうだろうムツキ!」 云うとまだ若い闘神士は神操機を片手に、戦いの方へと向かって駆け出す。 「ま、待ちなさいトキタ!」 新しく最近組む事となった、まだ二十歳にもならない闘神士を追いかけ、ムツキもまた神操機を掴むと走り出した。 * 「ええい、その浮島ごと吹き飛ばせジョニザ!!」 「おう、派手に落としてやるァ!」 別の浮島から切られた印を受け、ジョニザが手槍を構え高く舞い上がる。 「必殺ぁつ!!」 その握る手槍に膨大な力が集まって行くのを感じ、ヤクモはブリュネに軽く頷きかける。空中のブリュネがそれに「了解であります!」と返すのを受け、大地を蹴って飛び出すと同時、己の今まで立っていた浮島へと取りだした闘神符を叩きつけた。 「暴狼丸雷刀!アーンド暴狼丸面壮流ッッ!!」 放たれた手槍からの衝撃波が浮島の大地に突き刺さり、それと同時にヤクモの投げた五枚の符が『返』の文字を以て効能を発動させる。 * 「うわ!?」 「な、何事ですか!」 突如上空で爆発が起きた。閃光と爆風、そして大小の岩塊がバラバラと降り注ぐ中、ムツキは素早く符で障壁を展開、幾つかの破片がそれに当たって砕け散って行く。 思わず上空を仰ぐと、先程まで何者かが交戦していた浮島が今正に崩壊している最中だった。落ちる破片に混じり、そこから何か影が落下してくるのが見える。 「人です!」 浮島は結構な高さがある。幾ら下が水とは云え、落ちたら人間の身体などバラバラに砕けて仕舞う。下手をすれば落下中に意識を失う事もあるだろう。 ムツキは思わず息を呑み、風圧に布の様なものをはためかせ落ちてくる人影を凝視した。 然し人影は落下の途中で手を閃かせ、よくは見えなかったが恐らくは符を発動させた様だ。水面にほど近い中空で何かに引っ張られる様に落下が一瞬止まり、後は何事も無かったかの様に水面へと降り立つ。 「闘神符…!」 閃く光は間違い無く、符に因るものだ。が、今まで符と云えば妖怪を滅したり障壁を作ったり伏魔殿からの帰還道を創ったりと云った事しかしたことのなかった二人には、殆ど何がどうなったのか解らない。 符の力や効能、その可能性は基本的に無限大であるとはされている。だがあそこまで自由自在に、実際に思う侭それを扱える者は、少なくともムツキの知る地流の闘神士達の中にはいない。単純に想像するだけではその構成が曖昧で巧くいかない様なのだ。 それを、あの落下の中で如何様にか扱う──それは闘神符の扱いに慣れた、云って仕舞えば戦い慣れた闘神士(或いは符使い)だと云う想像には充分足りる。 と、その闘神士の腕が閃いた。紛れないそれは印の軌跡。印を入力しつつ再び符を発動させ、水面を軽々と滑り陸地へと降り立った次の瞬間、先程まで闘神士の立って居た水面に空中から光の槍が降り注ぎ、再びの閃光と衝撃とを撒き散らす。 「一体、なんなんだ…!」 トキタが茫然と見やるその視線を追って、ムツキも再び上を見上げる。と、鷲の姿をした式神と青い龍の式神とが中空で槍を合わせているのが目に入る。 「式神同士の戦い──と言う事は双方とも闘神士か…」 これだけの規模で戦っておいて、今更只の妖怪相手では無いとは、思ってはいたが。 「憶えはありますか、トキタ」 「いや…両方共見覚えはない。地流の闘神士(お仲間)じゃ無い様だな」 と、雷火の式神が青龍の式神を弾き飛ばし、先程陸地へと上がったあの闘神士の方へと迫る。闘神士は素早く符で障壁を展開しながら走り、その槍の斬撃を──一体如何様な体捌きか、躱しながら印を切る。 「あの式神、闘神士を直接狙っていないか…?」 「その様ですが……、いえ、それ以前にあれは──相当の手練れです」 陳腐だとは思ったが、そうとしか表現のしようがない。戦いの慣れ、場数の多さ、瞬間的な判断力、体術に長けた身のこなし。何れを取ってもあの闘神士は紛れなく『強い』と云えよう。俄には信じ難い光景を前に、ごく、とムツキは思わず息を呑む。そうする内に青龍が舞い戻り、再び雷火の式神と必殺技をぶつけ合い、切り結ぶ。 『だけではないぞ……あの闘神士、本気ではまるでない』 ふわ、とトキタの式神である白銀のイザヨイが神操機から霊体を覗かせ、その蝶に似た優美な羽根を揺らしながらそう云うのに二人はぎょっとなった。 「な、本当かイザヨイ…!」 『見て解らぬかトキタよ。あの様に闘神士の命を狙わんとする外道な輩相手にも関わらず、あの闘神士は己の式神を傍にはおいておらぬではないか。 片をつけたいだけであれば、あの青龍の式神であれば容易であるのは間違い無い。それをわざわざ引き剥がすだけで………………ああ、そうか成程。どうやら彼奴、雷火の者を無力化させたい様子だ』 一人勝手に得心した様に頷くイザヨイに、トキタもムツキも唖然とした顔を向け、続けて再び戦いを見やる。 『主らには解らぬかも知れぬが、式神の出力の桁が既に違う。それを危険を冒してまで敵を生かすとは……全くの余裕か阿呆かのどちらかでしかない』 ふん、と鼻でそう云うと、イザヨイの霊体は姿を消す。 じっくりと見れば確かにイザヨイの云う通り、この伏魔殿で式神を用い戦いを長引かせると云うのは気力を大きく消耗するばかりで危険でしかない。少なくともムツキらは敵を倒す時には迅速に有効に行動する。のだが、彼の闘神士は確かにわざと自らの式神と敵の式神とを離し、小競り合いの様な事を続けている。よくよく見ると何かを喋っている様なのだが、言葉までは聞き取れそうにない。 と、再び上空高くへと舞い上がった雷火の式神が大技を降らせた。 「!!危ない!」 眼前の戦いに夢中になっている内、気付けば結構な距離にまで戦いは近付いて来ていた。ムツキとトキタは素早く符を展開し身を伏せるが、完全に殺しきれなかった衝撃に大きく飛ばされ、両者共に転がって膝をつく。 「だ、大丈夫かムツキ…!」 「ご心配なく…」 幸いダメージは大きく無く、素早く二人は起きあがる。──と、今初めて気付いたのか。こちらを瞠目して見ている、彼の闘神士と視線が一瞬。交錯した。 しかしそれは寸時。闘神士は背を向けると素早く印を切り、青龍を雷火の式神へと向けると同時、符をムツキらの方へと投げた。瞬時に障壁が展開される。 何事だ、と思って見上げると、雷火の式神がなおも闘神士へと襲いかかる所だった。闘神士は青龍の放つ技でそれを相殺するが、必殺技同士の衝突の余波が辺りを吹き飛ばす。ムツキ達も障壁を貼られていなければ再び飛ばされていただろう。 「た、助けられた、のか?」 「どうやらそのようですが……一体何者…!」 闘神士は軽い身のこなしでその場を離脱すると、岩場に転がるムツキらを庇う様な位置に立った。青龍に何事か指示を出し、青龍がそれに頷き飛び上がる。 そして印が切られると、青龍の身体が翠のエネルギー体へと変幻し、巻き付く様にして雷火の式神の身を一気に捉える。しかしその凶暴な顎は式神の身を引き裂かず、長くうねる体躯で動きを封じるに止まった。 「ジョニザ!!」 そこで初めてムツキらは、浮島から降りて来たのだろう、雷火の方の式神を操る闘神士の姿を見た。何やら古風な格好をしたもう一人の闘神士は捕らえられた自らの式神を、最早勝負はあったと思ってか、見上げている。 が、その表情が次の瞬間、驚愕のそれではなく、不敵な笑みへと転じた。そうしてその闘神士は何やら複雑な印を切り始める。 「ッ──また大降神か!離れろブリュネ!!」 よく見るとまだ若い──青龍の闘神士が叫ぶと、青龍は素早く身を転じ、雷火の式神を伺いながら己の闘神士の元へと近付いていく。 雷火の式神は複雑な印を受け、徐々にその気を高めて行っている。 それを見上げる青龍の闘神士の表情を見て──ムツキは茫然となった。 * これは憐憫だ、とヤクモは静かに思っていた。 ウツホの技だか神流の技だかは解らないが、つい先刻戦った消雪の式神もやはり同じ様に、闘神士からの印を受け強制的にその身を大降神させていた。 天流や地流には大降神は一種の覚醒技能として伝わっており、式神が闘志を失わずに戦闘不能に陥った時や、式神同士の戦いが拮抗し場の限界を超えた時、或いは闘神士の激しい戦意に因って大降神は起きるとされている。 だがそんな偶発的な事で大降神した式神はいわゆる暴走状態になり、目の前の敵を倒す事にのみ力を振るう様になる。 即ち大降神は式神の力をその侭具象化した、一種の制御されていない状態だ。故にヤクモは大降神を手段として好まない。無論出来るだけの気力や能力も伴っているし、彼の式神達はヤクモを守る為にならば大降神をする事も厭わないだろう。 だがヤクモは闘神士として、人として、制御されていない暴走する力を忌避している。意思も指向性も無い、巨大なだけの力。それは単なる暴風、暴力でしかない、と、嘗て目の前で降り注いだ太極神を見て思い知っているからだ。 神流の印は式神を強制的に大降神させ、更にその力をある程度制御する事が出来ている様だった。少なくとも簡単な命令程度であれば式神は受け、それに応えている様に見えては、いた。 だがそれでも──或いはそれだからこそ、大降神は式神を暴力の──ただの力ある破壊の道具にする、と云う事に他ならないのだと改めて思う。 ヤクモはそれを望まないし好まないからこそ、今少しずつ気力を高められその輪郭をブレさせている雷火のジョニザを、ただ静かに、哀しみを持って見ていた。 と、不意にジョニザの双眸がぎっとヤクモを見据え──神速の速さで翼がはためいた。 「──ヤクモ様!!」 反応出来ない速度でブリュネの横をすり抜け、大降神しようと自らの裡の気力を高めつつあるジョニザが、ヤクモの眼前に達するまで僅か半秒にも満たない間。 「死ね、や小僧……──!!」 嘗てヤクモはこの雷火族と契約を結んでいた火行王シラヌイを倒している。それに因る因縁なのか、それとも元来の性格なのか。或いは彼を今使役している神流の、ヤクモへの激しい殺意故なのか。 眼前で振り上げられる刃を、ヤクモはただ見上げた。この侭手が下ろされても、大降神が完了しても、間違いなく無事では済まない。 だが──憐憫の表情は変わらない侭。 ヤクモは静かに、神操機を持たない左手を持ち上げると、振り上げられた槍をとどめるように素手で掴んだ。 「……………式神同士を戦わせる。恰も道具の様に。武器の様に。今の俺はその一人でしか無いのかも知れない。だから、綺麗事も気休めも何も云えない、──だが」 囁く様に云うと、ヤクモはジョニザの槍を掴む手にいつの間にか抜いていた符へと意思を込める。 「……済まない。──次はもっと、良い形で会える事を、願おう」 ご、っと火の属性を掻き消す水の符が発動した──瞬間。それよりも早く、ジョニザの背後へと回った、ブリュネの槍がその身を貫いていた。 高まっていた気が霧散すると同時、断末魔すら残さずにジョニザの身体が潰え、名が散る。 それを驚愕の表情で見送ると、彼を使役していた神流闘神士はふらつきながらも符で道を開き、その中へと倒れ込んだ。 「ウツホ様、ばんざい…!」 そしてそんな声を残して、障子がばたりと閉ざされる。その有り様を最後まで見届けぬ侭、ヤクモは瞑目し視線を伏せた。 また今回も益のまるで無い戦いで終わった。その結果に覚える落胆よりも余程強いのは、その無益さの為にひとりの闘神士と式神との人生(時間)を終わらせたと云う罪の念。 散った雷火の身が灰になり土へと還る。その中でブリュネは、泣きそうな表情でそこに立ち尽くすヤクモへと近付いて来た。 「ヤクモ様…。式神を倒す事は、我らに与えられた役割であります。決してそれが正しい事では無いとしても、我らはヤクモ様をお守りする為なれば、式神(敵)を討つのみであります。 ですから、その咎は全て我らにお任せ下さい。その様なお顔をヤクモ様にさせぬ様、思いを味わわせぬ様、我らは共に在るのです」 ブリュネの真摯な、優しく労る声音に応える様に、零神操機の中からも同じ様な意識たちが伝わって来る。 式神を倒す、その悲しみは我々式神が背負うべきものだ。と。 然し、式神と闘神士との絆を壊すこと、記憶を失わせる事、人生の一部を削ぎ落とす事。それはヤクモの中からいつもついて離れない罪悪だ。 特に式神と闘神士との間に培われた絆や時間を奪う事は、一種の終わりだ。闘神士としての死であり、結んだ絆の死でもある。それは他者であっても本当は味合わせたくないし、味わってほしくもない。似た痛みを憶えた事があるからこそ余計に。 故に。覚悟が出来ているからこそ、その行為に咎を憶えるのだ。 沈黙して俯いた侭の、血に染まったヤクモの左手をブリュネが取る。 「俺は……お前達にも、本当はそんなことをさせたくはないんだ」 式神と闘神士とを引き裂く事。彼らの絆を奪う事。それを成すのが式神の技や武器だとしても、それをさせるのは闘神士でしかない。 結局、闘神士は、同じ闘神士を倒す、その為だけに式神と契約を結んでいるかの様に。 いつしか世の闘神士は闘神士同士と争う事ばかりに夢中になっている──そんな有り様に憶えたのは憂い。 互いに全てを喪う覚悟を以て戦いに臨む。そうしなければ己が逆に全てを奪われて仕舞うが故に。だから式神達は闘神士のその思いを汲んで、それに応える。その為に同じ式神を討ち破る。 『戦いを恐れるのではなく、相手を倒す覚悟を解り、悼むと言うのは何よりも大事な事ではあるでおじゃる……が、』 『その為にヤクモが傷を負うなどと云う事を、我らは望まぬ』 『少しでもそれを分かち合う為にもワテらが居る事をお忘れなく〜』 『だから、そんな奴らの為にヤクモが一人で傷つくなんて僕は、式神を倒すとか名落宮に落ちるとかそう云う事よりももっとイヤだよ!』 「その通りであります、ヤクモ様。我らは戦いばかりではなく、ヤクモ様と共にあるのですから」 それは戦いを忌避する弱気では決して無い。相手を倒す覚悟と、それを成せる力を有するからこそ生じた一種の孤独だ。 故にヤクモのその深慮を式神らは誇りに思っている。その覚悟を以て猶進む意志を尊重している。だからこそ彼が決してそう云った弱さで式神に寄りかかると云う事をしないと云うのも、理解している。 ヤクモは決して式神達を信頼していない訳ではない。彼らを大事に思いすぎるが故に、彼らにその重さを、咎を、背負わせたくないと云うそれは確かに優しさで悼みとしか呼びようのない情だ。 その為にヤクモの事を守りたいと願う式神達としては、「そんな事に気を遣わなくても」と云った所なのだ。それでも彼の人格を解っている為、強くは言わない。 「……………有り難う。お前達が居てくれるから、俺は大丈夫だよ」 すまない、と小さく呟いて、ヤクモはブリュネの手の中から、血を流す己の左腕をそっと抜いた。ぼろぼろになった手袋を苦労して外す。式神の扱う武具を掴んで仕舞った為、幾ら術で強化してある手袋とは云えこの有り様だ。素手で掴んでいたら指くらいは落とされていたかも知れない。綺麗に裂かれた為に痛みは寧ろ少ないが、逆にそれは小さな怪我の程度とは云い難い。 「……それでヤクモ様、彼らは…」 ずきずきとした痛みを今更の様に訴えつつ血を流すてのひらを、どうしたものか、と渋い表情で見ているとブリュネにそう云われ、ヤクモはその視線を追って──ああ、と得心がいった。すっかり忘れかけていたが、先程の戦闘の余波に巻き込まれていた闘神士達がいたのを思い出す。服装や様子から云って地流の闘神士だろうとは見当付けたが。 ちらり、と振り返ると、二人組は茫然とした様にヤクモとブリュネの方を見ていた。視線を僅かに動かすと、彼らとは少し離れた位置に吹き飛ばされた時に落として仕舞ったのだろう、陰陽八卦盤が壊れて転がっているのが目に入る。 「一応巻き込んで仕舞った訳だし、八卦盤も壊して仕舞ったみたいだしな……。外に送るぐらいはした方が良いかも知れない。少し戻っていてくれ、ブリュネ」 「?然し相手は地流の闘神士です。不用心では」 「お前を連れていると彼らも気が余計に休まらないだろう?大丈夫、戦いに行くと云う訳ではないんだ」 「……了解であります。お気をつけ下さい、ヤクモ様」 何かがあったら躊躇わずに降神する様に、と言外にはせずに願う様に云うと、ブリュネは零神操機へと戻った。それを見送ってから、くる、と軽く紅い神操機を回して、ヤクモは腰のホルダーへとそれを戻す。左手では掴めないので少し苦労した。 ちら、と血を流す手を見下ろし、ひょっとしなくても思い切り不審人物だよな、と己を改めて評価しつつ。ヤクモは警戒無く無造作な足取りで地流の闘神士達の方へと歩いて行った。 * 近付いて来る姿をまじまじと見る迄もなく、その闘神士はまだ若かった。恐らくはトキタとそう年頃も変わらないだろう青年。 鳶色の髪に透った琥珀の眼差し。その形作る表情は酷く静かだ。 「戦闘に巻き込んだ様で済まなかった。怪我などは……していない様だな。八卦盤も壊して仕舞った様だから、良ければ俺が出口までの途は開こう。 この騒ぎで妖怪の動きが活性化している。危険だから早めに戻った方が良い」 青年は周囲を伺う様に視線を走らせるとそう云った。云われて初めてムツキは先程まで己が手にしていた八卦盤が無い事に気付き慌てて周囲に視線を走らせ──程なくして彼の云う通り、二つに割れて近くの砂に埋もれて仕舞っているのを見つけた。 基本的に符で途さえ開けば伏魔殿からの帰還は可能だが、ある程度の方向性は八卦盤が指し示してくれないと解らない。もしくは出口までの構造を把握しているか。いつもは慎重なムツキだが、今回はいきなりのトラブルに巻き込まれた為に、八卦盤の助けが無くては帰路を開くのすら困難そうだった。 然しこれは本能と云うべきか、単に闘神士としての正常な反応なのか。ムツキはこの目の前の青年闘神士をどう扱って良いのかが今ひとつ解らなかった。彼が自分達を騙して伏魔殿の中へ放り出す事など意味が無い様に思えるが、あれだけの圧倒的な力を見せたこの相手を然し信用していいのかも解らない。 「お、お前一体…何者なんだ……!」 そんなムツキの心情を簡潔に表してくれたのはトキタだった。彼は神操機を構える事も出来ず、懼れや羨望や感心、或いは全く別の感情で青年闘神士の姿を見ている。 彼は少し古風な、闘神士が嘗て身に纏ったと云う装備の一つである首当てをして、伏魔殿の中では全く違和感を感じさせないマントを纏っていた。その下は普通の服装なのは解ったが、それでも格好から判断するのであれば異様と云えば充分に異様だ。それもまた目の前の青年闘神士の正体をあやふやにしている要因の一つだろう。 先程の古風な狩衣の闘神士の正体も謎だったが、その度合いで行けばこちらも充分謎に過ぎる。 青年は少し困った様にトキタの方を見て、それからムツキの方へと視線を転じた。どうやら年長者であるこちらに何らかの返答を期待しているらしい。 ムツキは暫し迷ったが、落ち着く様に眼鏡を直すと、結局はこう口にしていた。 「我々は伏魔殿探索チームに所属する地流闘神士です。一応、助けられた形になった事には礼を申し上げたいと思います。 が、先ずは貴方の所属をお訊かせ願えませんか。返答如何に因ってはその助けを借りる訳には参りませんので」 ムツキの慎重な言葉に、青年闘神士は小さく息を吐いた様だ。マントをばさりと開くと神操機にも闘神符にも触れていないと示す様に両手を身体の横脇へと開ける。 「俺の名はヤクモ。天流闘神士だ──とは云え地流(貴方方)と争う気は無い」 「っ天流の──!」 その言葉に、思いだした様にトキタが神操機を構えるが、ムツキはそれを制する事も出来ず、ただその名乗りを反芻し背筋を震わせていた。 天流闘神士ヤクモ。闘神士として生きる者であればその名、或いは噂を少なからず一度は聞いた事があるだろう。 伝説の闘神士。天流、或いは天地最強の闘神士。まだ17歳と云う若さで既にその名に付けられた異名や煽りや活躍は数知れない。地流宗家であり地流最強の闘神士と謳われるミカヅチですら彼を怖れて手を決して出さないとまで言われている。 その名が最初に登場したのは、六年前。マホロバと云う当代最強の天流闘神士の起こした、時空をも巻き込んだ陰陽大戦時の事だ。 マホロバは最強の式神とも云われる白虎のランゲツとの逆式を起こし、その力で絶対者として君臨した。そして自らの擁する最強の闘神士達を率い、太極神の力を手中にせんとしたのだ。 そしてその太極神を倒したのが──まだ僅か11、2歳の、成り立ての様な少年闘神士だったと。そんな噂がまことしやかに囁かれたのだった。 当時はマホロバの高弟の一人で、然し彼から離反した土行王の仕業では、と噂されていたのだが、土行王は式神を扱わないと知られていたので、それは有り得なかった。 それから数年。その陰陽大戦を終結させた少年闘神士がヤクモと云う名であると、以降の目覚ましい彼の活躍に因って知れた。 式神に恵まれた訳ではなく、況して運が良いだけではない。少年は確かに苛烈な戦いを生きたのだ。そしてそれ故に、伝説とまでに謳われる闘神士となって、現在此処に在るのだ。それはあの戦いぶりを見ても明らかと云えよう。 最近その噂を耳にしなくなったと思ったら、伏魔殿へと出入りしていたとは。 伏魔殿は俗世からは隔離された空間である為、確かにこうして他の闘神士と接触しない限りは噂など立とう筈もなかった。 「貴方が、あの…天流のヤクモ、ですか……」 ムツキは己の手が震えるのを堪えきれず、汗で滑った眼鏡を再び直した。 「……まさか、あの……………ヤクモなのか?お前が!?」 そんなムツキの呟きを耳にして、トキタは漸く目の前の存在と己の知識とに合点がいったらしい。冷や汗を額に滲ませながら、しかし神操機は降ろさない。 「あの、と云うのが『どの』事を指すのかは解らないが、多分そのヤクモだ」 こう云った反応には慣れていたのだろうか。当のヤクモは少し肩を竦めてそう云う。 「だが、繰り返すが俺は地流だから天流だからと争う心算はない、だから」 「お前が、本当にあの、天流のヤクモなら──」 続きを遮る様に、トキタが押し殺した声を上げた。その手が、かち、と神操機を開く。 「討ち取る事が出来れば、流派章どころじゃない……、最強の座も手に入る、恩賞も……いや、ミカヅチ様だって、」 穏便ではない言葉に、ヤクモは琥珀の目を僅かに眇め、トキタから注意を外さぬ侭にムツキを見た。恐らくは抑止を期待する意で。 ムツキも野心家ではある。ここであわよくば『伝説』と謳われる天流のヤクモを討つ事が出来れば、それは現在の天流に多大な影響を与える事になる。宗家が不在の現在、その存在を崇める様にしている一部の天流闘神士らへの牽制や打撃になる。 そのムツキの思考が雄弁な表情になっていたのか。ふ、とヤクモの視線が──先程、雷火の式神の槍を掴んだ時の、あの表情になった。 瞬間、トキタが宣言を上げた。 「式神、降神!!」 ぱしん、と開かれた式神界の扉を潜り、蝶の羽根を羽ばたかせイザヨイが降神する。 「白銀のイザヨイ、見参…」 ムツキは優雅にふわりと降り立つイザヨイを見て、続けてトキタが叫ぶのを聞く。 「ムツキ、降神だ!奴は戦闘後で疲弊している、今なら二人がかりでいけば──!」 く、とムツキは僅か奥歯を噛んだ。式神を降神するということは、天流のヤクモを敵に回すと云う事になる。そもそも地流としては天流は確かな敵だ。だが相手は天流にしては異例な事に争う気はないとまで云う── 「く……、式神降神!!」 最後まで逡巡したが、トキタが降神して仕舞った以上は後には退けない。ムツキもまた自らの式神を降神させた。 「凝寂のエビヒコ、見参…」 無口な自らの式神が降り立ったのを見て、ムツキはごくりと喉を鳴らした。常に共にあったパートナーであるエビヒコ。彼を信頼しているし、それに応えて今までを戦って来た。それならば勝てる、と思うと同時に、不可能だ、寧ろこの絆が壊されて仕舞う、と囁く己の声が僅かにある。 その迷いを感じ取った様にエビヒコの無機質な目がムツキを振り返る。 「いや……勝てる、勝てば良いのです…!」 ぐ、と神操機を握り、ムツキは右手を、未だそこに空手で立つヤクモへと突き付けた。 「さあ降神なさい!」 今ここでエビヒコやイザヨイをヤクモに嗾けると、下手をすれば彼らを名落宮へと落とす事になる。闘神士同士の戦いは、互いに式神を降神させなければ始まらないのだ。 然しヤクモは、あの、憂いを帯びた瞳でイザヨイとエビヒコとを見て、小さくかぶりを振った。 「戦う気はないと云った筈だ。必要が無いのであれば俺は立ち去るから、式神を収めてはくれないか」 そう云うヤクモは、闘神符にも、神操機にも手を触れさせてはいない。 これでは式神で手出しが出来ない、とムツキが思ったその時、トキタが前へと進み出た。その手には大振りのサバイバルナイフ。 「と、トキタ!」 相棒の思考に直ぐに気付き、ムツキは流石に狼狽えた。闘神士を直接攻撃するのは決着をつける手段としては最も早いが、それ故に禁忌とされた行為である。フェアではないと云う以前に、式神を無用に名落宮へと落とさない為の、天地流派共々基本的に遵守が定められているひとつの決まり事だ。 然し安易な決着の手段として──或いは今の様に式神を降神しない闘神士を無理矢理『その気』にさせる方法として、それを破る者も少なくはない。 「式神を降神しないんなら、直接お前を殺るまでだ…。闘神士として撃破出来ないと云うのは惜しいが、それでお前が死んでくれて、天流も壊滅状態になってくれればそれもミカヅチ様の──俺達地流の望む結果としては申し分無いだろうよ」 若い、ギラギラとした殺気を受けて。然しヤクモは静かな表情を崩さない。 「闘神士を殺すと、その闘神士の式神は名落宮へと堕ちて仕舞う。節季の、太極のバランスを崩す心算なのか?」 「そんな壮大な脅しには乗るか!降神して戦うか、降神しないで殺されるか──選ばせてやる」 既にトキタは功名心に駆られて周りが見えていない様だった。その傍を守る様に、イザヨイがふわりと舞う。 闘神士と、式神と。その両者を見比べる様にして、ヤクモがかぶりを振る。 「お前達の絆を、俺は奪う心算はないんだ。だから戦いはしない」 「何を甘い事を!」 叫ぶと、トキタがナイフを片手にヤクモへと斬りかかった。ヤクモは軽い身のこなしでそれをかわし、後ろへと退く。と、イザヨイがその背後へと回り込み、ヤクモの周囲へと毒の燐粉を撒き散らした。 「──」 ヤクモは闘神符を素早く取り出すと障壁を展開、場を離脱しようとするが、イザヨイがその機動力で追いすがる。 「直接闘神士を殺さずとも、無力化する手伝いは出来る」 ふふ、と妖艶に微笑むイザヨイの毒燐粉を、マントで口元を覆ってヤクモは払いのける。が、傷ついた左手を見てはっとなって動きを止めた。素早く足下に符を叩きつける様に投げると、その身が大地に描かれた陣の中へと消える。 「逃げた?!」 「いや、まだ近くにいる。傷口から毒も入っているだろうし、そう派手な行動もできまい」 そう云いイザヨイが頭を巡らせる。と、ナイフと神操機とを油断なく構えるトキタがムツキの方を振り返った。 「何をしているんだムツキ、お前もエビヒコで攻撃を仕掛けろ!殺さなくとも足止めくらいはさせられるだろう!」 「…、それはそうですが…」 ムツキは辺りを見回しながら、しかしヤクモの命を狙うと云うには複雑に過ぎる心境を隠しきれなかった。エビヒコもまたそれを察しているかの様に、息を吐いてただ静かに佇んでいる。 ある考えが、ムツキの中にはあった。 それはイザヨイ曰く、ヤクモは何故か敵の式神を無力化させたいだけだった様だ、と云う事。そして何やら大技に挑みかけていた雷火の式神の攻撃を、自らの式神を使わず素手で止め、自らの手で葬ろうとしていた事。 あの場であれば障壁を展開するか式神へと印を切れば余計な怪我などは負わずに済んだ筈だ。 そしてその時の──琥珀の眼差しが、先程トキタへと向けたあの色と同じだった事。 ──「お前達の絆を、俺は奪う心算はないんだ」 そんな事を吐く闘神士が、果たして居たか。 戦いは戦いだ。己が式神を降神し相手も式神を降神する以上、それは戦いの果てにどちらかが式神と記憶とを失う確実の結果をもたらす。 それを忌避すると云うのは、果たして弱さか。 もしくは、あれだけの力を持つからこそ──それを理解し、己を律する以上に、『知って』いるのか。 なればそれは。確かに『伝説』だのと謳われるのに相応しい、闘神士なのだろう。 それはムツキに不思議な感慨をもたらしていた。 トキタの様な功名心はある。名のある天流闘神士を仕留める事で社から降りる恩賞もある。 だがそれ以上に、ムツキはヤクモと云う絶対的な強者の、その有り様にどこか魅せられていた。力に奢らず、式神に共感し、ただその真っ直ぐ在る存在に。 それは純粋な強さを前にした畏怖か、憧憬に似ていたのかも知れない。 「いたぞ!!」 張り上げられたトキタの声に我に返る。ヤクモは少し離れた大地から闘神符の障壁と共に現れると、血に濡れた左腕を庇う様に、右手で闘神符を一枚、こちらに投げた。 思わずムツキは身構えるが、その符はムツキらとヤクモとの間に『道』として発動し、一枚の障子をその場に形成しただけだった。 「そこを行けば出られる筈だ。後は最も手近な鬼門から戻ると良い。 それと、機会があればミカヅチに伝えてくれ。大鬼門の利用は、悪魔を呼び覚ますだけの事になるぞ、と。嘗ての悲劇を繰り返したくなくば、その力を私欲の為だけに使うのは止めろ、とも」 毒が幾分回っているのか、精彩を失った顔色でそう云うと、ヤクモはもう一枚の符を用い、自らの背後へと別の途を開いた。 「巫山戯るな!待てヤクモ!!」 トキタが印を切り、イザヨイが高速で飛びかかる、が、その手が届く寸前で障子は閉じられ、ヤクモの姿は消えた。 「くそ!!イザヨイ、追えないのか?!」 「流石に空間を渡られたら無理だ。どうやら彼奴、伏魔殿の空間構造を熟知しているようだな」 「チッ……!仕方ない、戻れ、イザヨイ」 忌々しげに舌打ちすると、イザヨイを神操機に戻し、トキタは苛々と辺りを見回した。この伏魔殿で不必要に式神を降神しておくことは気力の損耗を激しくするだけであると、そのくらいは憶えていたらしい。気付いてムツキもエビヒコを神操機へと戻した。 「ムツキ、あんたもちゃんとかかっていれば……!」 「いえ、恐らく無理でしょう。我らの力如きでは、彼を倒す事など出来なかった」 冷静になればそれも当然に過ぎる事だ。ムツキは功名心に焦った己を恥じながらそう呟く様に云うと、ヤクモが開いた途を見る。 「此処から戻れる様ですが……八卦盤も壊れて仕舞った訳ですし、これ以上の探索は不可能です。一度本社に帰還しませんか、トキタ」 「………そうだな。所でこの途は信用出来るのか…?天流が開いた途だぞ?」 「彼が私たちを害する心算であれば、もっと簡単に事は運べました。怪我を負ってまで戦う心算はないと明言した以上それも間違いがないでしょう」 陥れる理由もない、と小さく口の中で付け加え、ムツキは自ら障子を潜った。トキタが慌ててそれに続く。 障子が閉まる瞬間、ムツキは今一度ヤクモの佇んでいた場所を振り返った。 いつか再びあの闘神士に会う事になるだろうか。会ったとしたら今度こそ敵として見るのか、同じ様に平伏しているのか、それとも或いは、とそう思いながら。 * 「もう!ヤクモは甘いよ、あっまいよ!あんな奴らに情けをかけた挙げ句に毒まで食らってさ、人が良いにも程があるってば!」 怒りを露わに。血に濡れたヤクモの手を取り、水行の属性でそこから侵入した毒を抜き取りながらタンカムイがぶつぶつと不平をこぼし続けるのを、ヤクモは苦笑混じりに聞いていた。 「毒を食らったのは予想外だっただけで、元から俺は彼らと戦う気は無かったんだ」 「式神を降神された時点で、警戒しようよって事!僕らだって相手を倒さない様に無力化する事ぐらい、ヤクモがそう望むんなら出来るんだから!」 「だが、互いに式神を降神して仕舞ったらその時点で戦いになるから、後には退けなくなって仕舞うだろう?中には捨て身で迫って来る相手もいるかも知れないし、そうなった時お前たちが危険に晒されるのはごめんだからな」 無駄かも知れないな、と思いつつも、つい口から出るのは弁解の意味濃い宥める類の言葉。案の定かタンカムイの表情がそれを受けて更に険の深いものになる。 「僕らはそうやってヤクモが怪我したりするのはもっとイヤだって云ってるでしょ!」 ぶー、と怒鳴りながら器用に頬を膨らませ、タンカムイは大きく嘆息した。 今彼らが居るのは、先程のフィールドから一つ手前へと戻った、草原のフィールドだ。そこを流れる清流に左腕を浸し、水の中に浮かんだタンカムイがその手を取って毒抜きをしている。普段ならば闘神符を使って済ませて仕舞う事だが、今回はタンカムイが余りに強く言うので降神して治療して貰う事にしたのだ。 そうしたらこの通り、手当ての間中延々と説教じみた非難を向けられる羽目になっていた。成程強く進言して来たのはこの愚痴を言いたかったからの様で、その口からは次から次によく出ると言うぐらいに言葉が吐き出され続けている。 非難は非難だが、一重にヤクモの身を案じる故の慮りである。故に厭な感じなど全くしない代わりに、心苦しい苦笑が浮かぶ次第。 「いっつもそうやって無茶して、こっちはヤクモなら大丈夫だろうって信頼はしてるよ?してるけど、万が一って事を思うとほんっと気が休まらないよ。何度でも言うけど、僕らは、僕らを降神していれば巧く立ち回れただろうって時に、それをヤクモが躊躇って怪我をしたり傷ついたりするのがいっっっっっちばんイヤなんだって解ってよ」 傷口からはまだ血が細く流れている。タンカムイが巧く調節し、毒だけを抜く様にしているからの出血量であり、実際はまだ傷口はぱっくりと開いて仕舞っている。闘神符で応急手当は出来るが、一度外に戻り病院などで縫って貰った方が良いだろう。利き腕ではないからと云って捨て置けるものでもない。 そんな痛ましい傷を見つめ、珍しくタンカムイが神妙に呟くのを聞いて、ヤクモは小さく頷いた。 「でも俺は、お前達を傷つける事になるのはもっと厭だから、……そこは、俺の判断や巧く立ち回れなかった事が悪い訳であって、お前達が役割不足だと自分を責める必要はないんだぞ?」 「あーもーーーーそんなのは解ってるの!ヤクモがそう云う事ぐらい解ってるの!だから何度も何度も酸っぱい程に云ってるんだから!ヤクモがそうやって怪我をして、もしもうっかり死んじゃったりしたら、僕らだって名落宮に迷う事になっちゃうんだよ?」 卑怯な云い方かな、と思いながらタンカムイが然し日頃の毒舌故にか躊躇わずに云うと、ヤクモは真剣な面持ちで黙り込んだ。琥珀の瞳を翳らせ、前髪を掻き上げて深く息を吐き出す。 「……………すまない。そうは絶対にしない様にする為に、俺は常に自分の行動がもたらす結果を考えているから」 泣きそうに沈んだ声音に、タンカムイは寧ろ「言い過ぎたか」と思い、ばつが悪そうな表情で俯き、代わりにぎゅ、と掴んだ左手に力を込めた。 「僕らはヤクモの事を大好きだし、信じてる。だからヤクモが絶対にそんな結果になる様な事はしないって思っているし──もしなって仕舞う時が来るのであれば、それはきっと僕らにも理解と納得の出来る理由があるんだ。だから僕らは、もしそう云う時が訪れたとしてもヤクモを恨んだり嫌いになったりなんてしないよ」 「……タンカムイ……」 ふふ、と笑いを乗せて云う声音に、ヤクモが淡く苦く微笑む。 零神操機からもその意見に同意する声が次々と飛び出し、ヤクモは喜ぶべきなのか悲しむべきなのか怒るべきなのか、態度を失って困り果てた。苦笑する。 「それと同じ様に、俺もお前達が闘神士や人間を誤って殺めて、名落宮へ自ら堕ちる事になるのは絶対に厭だと云う事も、解っていて欲しいな」 「大丈夫。僕らはヤクモが悲しむ事は絶対にしないから。第一そんなの相手にヤクモから引き離されちゃうとかごめんだしね。 ああでも、ヤクモの命がかかっている様な瞬間だったりしたら僕ら自身よりヤクモに天秤は傾いちゃうかもよ。はい毒抜き終わり。傷はちゃんと病院いって治療して貰おうね」 ぱっと手を放し水から上がるタンカムイを見て、ヤクモは軽く額を押さえた。 「〜タンカムイ、冗談でもやめてくれ」 「はいはーい、もう虐めないよ。だからヤクモもそんな事にならない様にもっと僕らを頼っていってね」 遠回しに釘を刺される形になり、ヤクモは苦笑を浮かべるとタンカムイの身を捕まえた。クッションの様に膝上に抱きかかえると顎を頭の上に置き、その温もりに小さく息を吐く。 「いつも充分頼りにしてるぞ?俺は式神(お前達)にちょっと甘えすぎだと思うくらい」 「ないない、それはぜーんぜんない!ヤクモほど甘えが足りない闘神士も珍しいよね、みんな」 『そうであります。ヤクモ様はもう少し自分達を頼るべきであります』 『優等生も申し分無いんですけどね、手間のかかる子ほど可愛いとも云いまっせ?』 『ヤクモ様は違う処でならば麻呂らをいつもハラハラさせて気を揉ませてくれるでおじゃるが』 『だがそれもヤクモの良い処ではあるがな』 次々に云われ、ヤクモは議題が自分の事ながら、何処か他人事の様にくすくすと苦笑し、タンカムイを抱えた侭で立ち上がった。 「さて、それじゃあ戻るかな。…………あー、とうさんとイヅナさんに怪我についてなんて言い訳しよう」 病院に行くとしたら保険証や金銭の事もあるので一度は実家に戻らなければならない。そして実家にはモンジュもイヅナも当然ながら居る。保護者であるこの両者も、式神達ほどではないがヤクモの無茶には常々説教を携えているタチである。敵の式神の槍を素手で掴みました、などと云ったら果たして何と云われるだろうかと考え、ヤクモは苦い表情で大きく嘆息した。 「ああ……リク達の所かマサオミの所にでも行けば言い訳は考えないで済むかな」 よし、と思いついたプランに頷くヤクモに、式神達はそれはそれは複雑そうな感情を浮かべるのだが、取り敢えず怪我の手当は優先事項である為に仕舞い込む事にした。その代わりに一つだけ強調する。 「天神町がいいよ。ナズナの式神のホリンは治癒の技が使えるし。うんそうだねそうしようそれがいいよヤクモ」 「?そうか。そこまで云うならそうしようかな…。さて、天神町に近い鬼門は、と」 よりによってあのマサオミと云う怪しさ極まりない闘神士の処など冗談ではない、と。式神達は呑気に呟くヤクモに気取られずに息を吐くのだった。 地流から見た『伝説とまで謳われる天流最強の闘神士』 って一体どの様な存在になるのかと妄想を巡らせちゃいます。実際地流闘神士と敵として相対している様子は出ないしで。そこで睦月茂さんが出て来ちゃうのは趣味。 時期は凄く無理矢理ながら25話後26話前(無理過ぎ)。マガホシ戦の数時間後とかそう云うノリ。大降神に物申したかったのと伏魔殿探索チームに遭遇させたいのとの兼ね合いごにょり。 端役とは云え捏造モブを出すには抵抗ありました。イザヨイの喋り種は零式一応参照したかったんですが、何度倒しても全然仲間になってくれないので詳細不明のデッチ上げです結局。 (καλδια )カルデイア=心。折れない面倒な心意気。 |