第一回・本当に極めきっているのは誰だ選手権 二回戦



 場所は移って再び、四者が顔を突き合わせ座すのは、最初に集まり取り決めを行った、都内にある料亭である。
 そこはよく伏魔殿『内』の神流闘神士と、地流に潜り込んだタイザン、天流宗家の監視を行っていたマサオミ達がその報告や会議を行っていた店だ。
 会社接待、政財界、裏社会等々の利用客らが『密談を行う』用途として扱う事も多い店柄からか、客の素性や目的についてはノータッチである事が原則らしく、店側はぞろぞろと不穏な表情で戻るなり再び部屋を一室借り切った未成年達に対しても、有り難い事に何ら不審感は抱いていない様であった。
 実のところ、神流の『会議』だけであれば伏魔殿内の話し合いで充分事足りたのだが、パソコンに因るデータやビデオに因る記録を引き合いに出さねばならない時はやむなくこの店を利用していたのである。
 昼食として軽い会席料理のコースを注文してそれを全員平らげ、片付けられた食器の代わりにお茶が供され終わるのを待ってから、話し合いは本格的に始められた。
 かこん、と号砲の様に鹿威しが音を響かせる。
 「それで……どうしましょうか?」
 口火を切ったのはリクだった。その向かいに座したマサオミが頷き眉を寄せる。
 「スポーツ関係だと基本的に年長者が有利過ぎるのは明かだからな。今度はそれ以外の路線で行きたい処だ」
 「腕相撲が力自慢だと云うのであれば、指相撲ならばどうだ。あれは単純だが力任せの勝負ではあるまい?」
 「なかなか良いアイデアだが……やっぱり少々地味じゃないか?」
 「でも折角だから一応候補に書いておきましょうよ。他に何かありませんか?」
 ユーマの提案にマサオミが渋い表情を向けるが、これなら自分も頑張れると思ったのか、少し表情を弛めたリクが、卓上に置かれた紙にさらさらと『指相撲』と書き付ける。
 「そもそも闘神士としての勝負に、見栄えは余り関係無いと思うが……」
 「そうか…?やっぱり地味なものより見た目にも明かで派手な方が面白いと思うんだがなぁ……」
 「見栄え、と拘ると決まるものも決まらない。この際だ、見栄えは一旦考えから棄てたらどうだ」
 面白い、と云うマサオミの言葉に眉を顰め溜息をつきながらヤクモがそう云うと、リクもそれに同意しながらペンを走らせた。
 「……そうですね。見栄えって云うとまたスポーツになりそうですし…」
 ※見栄えにはこだわらない。 そう、メモに書き加えられる。
 マサオミの本音としては、実際闘神士としてのうんたらかんたら、などは実は概ねどうでも良く、単純に状況への楽しみを求めていたので、少々がっかりした感ではあるのだが、まあ別に良いかと直ぐに思い直す。
 楽しめるも楽しめないも、全ては参加者達の動き次第なのである。そして煽動はマサオミの得意な話術のひとつでもあった。
 種目が見目地味であっても、状況次第でまだ楽しめるチャンスは幾らでもある。
 「………そうだなあ、今度は闘神士としての知力や戦術を量る事を目的にして、頭脳勝負って云うのはどうだ?」
 色々と内心不埒な思いを巡らせつつも面には出さないマサオミの提案に、一際複雑そうな表情を見せたのはユーマだ。
 「知力を競うと云うのか……。具体的にはどうするんだ?」
 あの年齢で大学までを既に出た天才少年であるソーマとは異なり、ユーマは一応通信教育を受けてはいたが、勉学よりも闘神士としての修行により励んでいた口である。マサオミの提案に難しい表情となるのは仕方のない話かもしれない。
 そして、逆にそんなハンデ思考があればある程、ユーマは尚の事勢いづいて勝負に乗って来る。
 無論、マサオミとしてはその辺りの事情を解り切った上での提案である。以前の対立状態や先程のカバティの一件も含め、マサオミ的にこの面子では特にユーマはまず乗せて火を点けるに適した相手であるとターゲットオンされているのだ。
 リクは素直で騙しも煽りも易いが、結果の反応までもが余りに素直過ぎて面白味に欠けるので、ユーマとは同じ様で正反対である。
 そしてヤクモが負けず嫌いであると云うのはマサオミにも既知だ。彼は舞台さえ整えればわざわざ煽るでもなく乗って、そして本気で相対するだろうと云う確信もある。(その結果は概ねの予測では、こちらの益にはなりそうにないのだが)
 故に。先ず火を点けるならば自尊心高く乗せられ易いユーマから、と云う思考となるのだが、此処に揃った何れの人物も、実に騙し易く煽り易いと云うレベルでは似たり寄ったりだ。その事に少々不安を(余計なお世話かと思いつつも)抱いて仕舞うマサオミであった。
 「純粋に教科としての『知力』ではそれこそ年齢で差が生じるだろう。学問とは関係の無い方面で知力としての勝負をした方が良いだろうな」
 一部通信教育だったり補習に必死だったりするが、一応高校生と中学生だ。教科としてパッケージされたものを競うには確かに問題がありすぎる。ヤクモの言葉に三者は正直に頷いた。三様の姿勢で黙考に沈む。
 やがて、ぽん、と軽く手を打ったのはリクだった。
 「そうだ。しりとりって云うのはどうでしょう?」
 日和見に近い性格の天流宗家の提案に、ユーマが不満そうに眉を寄せる。
 「しりとりだと…?!幾ら何でも下らなすぎるだろう!」
 「いや待て、しりとりならボキャブラリーも記憶力も発想力も同時に問える。悪い提案じゃないかも知れないぞ?」
 「……確かに。語彙は兎も角、記憶力は闘神士にとっても重要だ。競うに値するな」
 ユーマがムキになった反応から、ひょっとして苦手系かも知れないぞ、とピンと来たマサオミは内心諸手を上げてリクの発案に賛成し、残るヤクモも湯飲みを軽く傾けながら同意を見せた。これで多数決である。
 「じゃあ第二回戦はしりとりって事で」
 そうまとめるが早いか、マサオミはリクの手からペンを借りると、紙の余白に『第一回・本当に極めきっているのは誰だ選手権 二回戦〜しりとり〜』と書き込んで仕舞う。
 「チッ……仕方あるまい。で、具体的なルールはどうするつもりだ」
 不承不承ながらに応じると、ユーマは勝負に臨む景気付けの様に、お茶を一気に煽った。だむ、と湯飲みを卓へと戻す。それを見たヤクモは思いついた様に呼び鈴を鳴らし従業員を呼ぶと、茶葉とポットの用意、ついでに水差しと人数分のコップを頼む。
 「ルールは…そうだな。『しりとり』から開始して、途中『ん』を語尾にした者は脱落。言葉を繋ぐ制限時間は一人最大二十秒まで。思いつかなくても脱落。以前出た同じ言葉を言っても脱落。最後まで残った者が勝者」
 「言葉の制限も決めた方が良いな。単語一つを有効な一語と捉え、修飾語の──複数単語或いは文節になる類は禁止、名詞に属する単語以外の外来語、それに固有名詞は基本的に禁止。辞書には載っておらず日常的に認知されている造語や略語は、物言いが出た時に限り審議対象として結果は多数決で判断。二人以上の検証がこの場で出来ないローカルな単語も除こう。濁点や半濁点の語尾の場合は『ざ』を『さ』と云う様に抜いても良し。
 単語の意味が不明瞭、或いは複数ある場合はその内の何であるかを申告。他の参加者も気になったら質問をする事。また質問をされた者は意味を答える義務を持つ。同じ単語の意味違い字面違いについては一応容認するが、余り多用しない事が望ましいだろう。
 これらの語句を挙げて仕舞った場合、もしくは物言いが出た時はペナルティ無く同じ条件で再挑戦が可能。言語への認識は人や育った地域で異なるからな。それをミスと数えるのは公平ではないだろう」
 マサオミの述べた基本ルールに、妙に細かく付け加えて云うヤクモに対して、三者は暫く考える素振りをする。
 「……えっとつまり、『○○の××』とか『○○な××』みたいなものは駄目で、英語や他の外国語とかでも『アイスクリーム』は良いけど『ハロー』とかは駄目って事ですよね?」
 「『コンダラ』の様なものも造語に当たるんだな?場合に因っては審議か。固有名詞だと『ランゲツ』なども駄目と云う事か」
 「ローカル語も禁止って事は『ラーフル』とかも駄目って事だな。『柿』とか『牡蛎』、『花器』などはその都度どれなのかを説明すれば良いが、多用は避けろ、と。確かに、どれが出たかどうかとか紛らわしいしな。
 で、こう云うのを云って仕舞ってもミスとは数えず、秒数も戻して言い直し、と」
 「そう云う事になるな」
 リク、ユーマ、マサオミと、それぞれの尺度で解り易くルールを咀嚼するのに頷くと、ヤクモは従業員の運んで来たポットや茶筒などを卓の近くへと配置した。正座を崩し軽く座椅子の背もたれへと身を預ける。
 「順番はどうするんだ?」
 「ジャンケンで良いんじゃないですか?」
 「よし、望む処だ。地流宗家の実力を見せてやる……行くぞ!」

 斯くして、二回戦『しりとり』の火蓋が切って落とされたのだった。
 
 *

 「に、に…『肉球』」
 「『臼』」
 「すき焼き丼(どんぶり)……はナシだよな。じゃあ『スルメ』で」
 「ならば……『明太子』」
 シンプル故の奥深さか。或いは懸けられたプライド故にか。本来は倍の人数の為に扱われる広めの一間にて真剣な顔を突き合わせた四者は、一様に真剣な面持ちで次から次へと言葉を投げ合っていく。
 しりとりと云う遊戯は子供にも楽しめる単純さが特徴だが、当然の如く参加者が歳を経る毎に、難解と云う正反対の要素が付随されていく。
 ある一定以上の年齢を超えると、各々の単語のストック──つまりは語彙の多さが大きく力を発揮する様になる。
 一定以上の年齢とは、学校ないし社会へと出て、価値観や生活の異なった他者と交わることであらゆる日常的な会話を習得した後の事を指す。
 そこから先は純粋に各々の語彙の量がしりとりに於いての強さを語る事となり、年齢差と云うものは殆ど関係無くなる。経験に因る差はこの場合余り発揮されない事の方が多い。
 何せ連ねるのは単語である。どれだけ多くの語彙を知識として備えているか、また既に出たものを記憶していられるか。勝負時間が経過すればするだけ、これらの条件は確実に参加者達を苦しめて行くのだ。
 この部屋の中に、活字を持つ物や大した調度品も置いていなかった事もまた、勝負には実に適していたと云えよう。語彙の思い当たりが厳しくなろうとも周囲からヒントないし取っ掛かりを得られないと云うのは存外に大きい。
 「『塩』」
 「『オイスターソース』」
 「『酢』」
 「『スパイス』」
 この様に同系統の単語が連想ゲームじみて続く事はよくあるが、各々余裕があるのか無いのか判然とし辛い。
 既に勝負が始まってから三十分が経過しており、卓を微妙な距離を置いて囲む四者の空気は互いを慎重に観察する様な空気を纏って妙に硬い。


 「『頭取』」
 「り……『りんどう』。花の竜胆です」
 「『ウィルス』」
 「また『す』かよ〜?そうだなあ…『西瓜』」
 「ふん、いい加減降参しても良いんだぞ。『鰹節』」
 更に三十分経過。
 そろそろ単純な語句が出辛くなって来る頃だが、まだまだ四人共淀みと云う淀みは見せない。
 一人頭制限時間二十秒迄と定められてはいるが、実際はその半分もしない内に言葉を思いつき投げる為、分間結構な速度で遣り取りが繰り広げられていく。
 その為当然喉も渇く。既に各々の湯飲みは最低一度カラになっており、ヤクモが予め頼んでおいたポットや冷えた水が大いに役立った。
 「……なぁ、この予見していた様な水分と云い、細かいルール指示と云い、アンタひょっとして昔似た様な事したとか?」
 「ああ。修学旅行の時に同室の連中と完徹しりとり大会をやらされた事がある。あの時は喉は渇くわ、飛び出す単語が可成り無法だわで、収拾にも決着にも困り果てたからな……」
 合間に放ったマサオミの質問に妙に遠い目で答えるヤクモ。成程心得ている訳である。


 「えぇっと………、あ、『ルーレット』」
 「『常夏月』」
 「じゃ『啄木鳥』」
 「『桐箪笥』」
 「す…、すも…『素潜り』」
 相撲、も李、も出ていたので咄嗟に言い換えるリク。そろそろ危険になりつつある今は、勝負開始から二時間経過している。
 「『利休色』」
 「ろ…『労働基準法』」
 「『ウシュアイア』。アルゼンチンの最南端都市だ」
 リクは日常の口語的な単語の他に植物に存外深かったが、突拍子もない語句を連ねる三者に囲まれ、時間が経って来ると流石に不利になって来た様だ。暢気な性質からか、発想がやや遅れがちになる。
 マサオミは咄嗟の場合には現代の言葉よりも昔の言葉の方が出易い所為か、段々と言葉の幅が狭まって来ると厳しさを感じる様になって来ている。
 そこに来て意外にも淀みが全く見受けられないのが、ユーマとヤクモである。双方共浅いものから深いものまで、古今東西あらゆる語彙のストックが豊富な様だ。


 「『忍冬』」
 「よし『ラディッシュ』」
 「『弓取り』」
 「り、り……『リトマス紙』」
 単語を回すだけでは勝負がつかないといよいよ誰ともなく悟って来たか、段々と次の相手に回す言葉──即ち語尾を難しいものにすると云う知略戦も容赦無く入り交じる様になって来た。主にラ行の言葉が狙われる様だ。
 ちなみに経過時間は既に五時間近く、途中一度だけ休憩を挟み水分を追加しているのだが、それにしても室内の空気は人の出入りが無いからと云う理由ばかりではなく──明かに疲労や敵対心で澱んで来ている。
 傍から見ればその居心地の悪さに十分とて居られまい。
 長く続いた勝負に対する疲労は己の忍耐の限界ばかりではなく、脱落しない相手への敵意へと繋がる。卓を囲み向かい合う四者は恐らく今誰もが、誰かの脱落やミスを願っているに違いない。
 正に単純なルールであるだけに起こり得る苦痛である。
 要するに、ただ言葉を投げ合っているだけの筈が、酷くギスギスとしているのであった。
 侮りがたし、しりとり。
 「『水干鞍』」
 「ら……、『ラーメン』…あ!」
 うっかりと口を滑らせたリクへと一斉に突き刺さる残り三名の鋭い視線。咄嗟に誤魔化し『ラーメン構造』と続けようと思ったリクだったのだが、彼らの凄絶な表情を前にしたらもう何も云えなかった。
 「……ミスで良いです…もう……」
 「よし。天流宗家太刀花リク、脱落…と」
 がっくりと項垂れるリクを前に、大仰に頷くと紙の最下部に『四位・太刀花リク』と記すマサオミ。
 「では続きは俺が『ら』からだな。『ラテルノ条約』」
 「そこでラフカディオ・ハーンとでも云えば面白いのにな。『口車』」
 「そう立て続けに脱落されたら張り合いがない。『マンドリル』」
 「洒落の心算か?下らないな。『類聚国史』」
 そうして再び何事もなかったかの様に、そこはかとなくギスギスとした空気は人数を一人減らして続行されるのであった。
 脱落──即ち敗北と云う形になって仕舞ったものの、この苦行から逃れられたのは幸運なのかも知れないとリクは密かに思った。我知らず安堵の息を漏らしながら、茶を啜る。
 

 「『ラビオリ』」
 「『リオグランデ』」
 「『テイクアウト』」
 十時間経過。俄には信じ難い事だが、彼らは未だしりとりを続けていた。
 語彙の数もさることながら、単純作業と緊張感とに耐えうる忍耐も大したものだと云える。
 然し何より全ては『勝負に負けて堪るか』と云う自尊心から来ている為か、誰も負けなど認めないし、止めようとも言い出さない。
 夕食は数時間前に再び会席を運んで貰っている。無論食べながらも言葉の投げ合いは続行されていた。流石に口に物を入れた侭喋る事になって仕舞う為、制限時間は一時解除しての遣り取りとなっていたが。
 そんな訳で、胃にも神経にも優しく食事を摂取出来たのは、真っ先に脱落したリクのみだったりする。


 「『ロートシアンツ』」
 「ちょっと厳しくないか?…まあ良いが。『鶴岡八幡宮』」
 「貴様も厳しくなっているんじゃないか?『宇佐神宮』」
 時刻は既に一日の終わりに近い。これ以上料亭に居座る訳にも行かないと云うのもあり、一行はソーマに頼み、旧ミカヅチ本社ビル内に用意された社員の為の宿泊施設──有り体に言う宿直室或いは仮眠室へと決戦の場を移す事となった。
 こんな事もあろうかと連休を狙っておいて正解だったと、マサオミは密かに思う。
 ギスギスとした空気をまき散らす四名を不審に思う気配を、然しポーカーフェイスの下に隠したツインテールの秘書に案内され、一行は室内へと入る。
 用意されていたのは本来二人程度が休むだけの事を想定した一室だったらしいのだが、ソーマの手配で寝台が人数分運び込まれており、水回りの方面や冷蔵庫まで完備されていた。立地的に当然か、窓から覗ける夜景も見事なものである。
 流石大企業、仮眠室とは云えそこいらの安ホテルなど及びもつかない。
 ……が、この壮絶な戦いを繰り広げる三者+一名にとっては、そんな事は取るに足らない些事と云えたかも知れない。
 予めテレビ、パソコンに加え、新聞や辞書など活字関係も全部撤去して貰っている。元より仮眠室なだけあってか、他に余計な調度品も置いていない。殺風景と云えば殺風景。然し長期戦の様相を見せ始めた勝負の場としてはよく設えられていた。
 「『枝葉末節』
 「『撞賢木』」
 「毀誉褒へ……じゃなかった『規矩準縄』」
 室内に入る前から(つまり歩きながら)言葉を投げ合っていた三者は、淀みのない動きで各々適当な椅子や寝台へと向かうと落ち着く様に座した。
 「何かございましたらこちらの内線にてお申し付け下さい。一応一般フロアからは離れておりますが、警備の都合などもございますので無断で出歩かない様お願い致します。
 ……では、私はこれで失礼致します。」
 「あ、はい。どうもありがとうございます」
 ユーマ曰く、現在ソーマの秘書を務めている、表情筋の硬そうな女性はそう云い、挨拶の手本の様な綺麗な礼を取って退室していった。内心は兎も角、表に己の感想を一切挟んだ態度を出さない辺り、プロである。
 「『瑜伽行派』」
 「『爬羅剔抉』」
 「『通言総籬』」
 礼を返しそれを見送ったのはリクだけで、残る三名はまるで呪詛の様に、日常まず使う事など無いだろう謎の言葉を投げ合っているのだった……。
 

 「『サリチル酸メチル』」
 「……なんだそれ?」
 「鎮痛剤とか。化学式C8H8O3」
 「ふむ…。じゃ『る』だな。『ルイサイト』」
 「………サリチル酸メチルを知らなくてルイサイトを知っていると云うのはどうなんだ貴様……『トロイの木馬』」
 十五時間後。町が夜明けをゆったりと脱しようとしている時刻、しりとり勝負はまだ収束を見せそうになかった。
 再び休憩を挟んで各々入浴を済ませた所為か、眠気は加速度的に彼らに襲いかかっていたが、矢張り誰もが諦める気配を見せない。
 先程まで皆にジュースを運んだり部屋を意味無く片付けたりしていたリクは、勝負から抜けた事もあって既に自分の寝台の中で健やかな寝息を立てていた。
 眠気の強い三名は共にその様子を恨めしげに気にしてはいたが、だからと云って睡眠への欲だけでここまで続いた勝負を投げて仕舞える程には、彼らの自尊心と勝負事に懸ける意地は低くも弱くもなかったのだ。
 

 ルールに因る制限は多少あれど、言葉とは限りなく無限に近い有限である。
 結局の処三者の語彙レベルが一定水準以上であるのならば、後は誰かのミスを待つぐらいしか無いのが現状なのだ。
 或いは──やむを得ない戦線離脱を。
 「……『一次元強磁性ハイゼンベルグ模型』」
 「『石狩鍋』」
 「『ヘマトクリット』」
 「……………『ドハース・ファンアルフェン効果』…」
 更に九時間後。開始から既に二十四時間──つまり丸一日が経過した。
 もうここまで来たら、しりとりと云うよりもサバイバルである。
 朝と云うには遅れた時間にリクは目を醒まし、黙々と呪詛(にしか最早聞こえない)を唱え続ける三者の為にもと朝食を頼んだのだが、昨晩の夕食同様で食事に真っ当に手がつけられたのはリクのみであったのは云う迄もない。
 ユーマは未だ行ける様で、食事、と云うよりは栄養補給と云った感じでパンを乱暴に口に押し込んで済ませ、マサオミはオレンジを半分程囓ったのみ。ヤクモに至っては日頃の規則正しい生活が祟ってか眠気が既に限界らしく、水を一口含むだけに終わった。
 そんな様子その侭に、ヤクモは己の番が回って来ると反射の様にぼそぼそと謎の単語を返していく。対するユーマとマサオミも、敢えてその意味を問いただす気力すら無いらしく、(問いて答えが返ったとしても、専門用語を理解するのに脳ミソを使う余裕などないし、そもそもヤクモが口から出任せの単語を並べるとは思えないので)既に彼らにとって重要なのは己に回って来る語尾ばかりの様だ。
 語彙のストックは三者ともまだ余裕だったが、体力や疲労はそうもいかないらしい。無論今となっては誰もが敢えて口にしないが、寝落ちも脱落の一つと既に認識がされているらしく、『寝て休んで起きたら再開』と云う選択肢は誰の頭にもない。
 そしてしりとり勝負開始から二十六時間。
 「『南京錠』」
 眠気や怠さを払う為にか額を揉みながら云うユーマの言葉に、然し続く筈のヤクモからの反応がついに途絶えた。
 「…………」
 「…………」
 「……ヤクモさん?」
 目の下の隈も濃い地流宗家と神流闘神士が、物憂げな目線だけをヤクモの方へと向け、リクが小声で呼びかけるが、反応──無し。
 寝台に座り込んだ侭、僅かに背を曲げている為に表情はよく伺えないが、静寂の中にか細い寝息が聞こえてきている。
 どうしましょう?と云いたげにリクは残る二人を振り返るのだが、ユーマもマサオミも壁の時計を凄絶な眼差しで凝視し、呪いをかける術者の如き表情で脱落へのカウントを唱えている。
 かち、と秒針の控えめな音が二十度目を刻んだ瞬間。
 「はい、ヤクモ脱落ね」
 ふ、と薄暗い笑みを湛えた表情でマサオミがそう宣言し、料亭より持って来た紙面のリクの名の上に『三位・吉川ヤクモ』と記した。
 そうして立ち上がったマサオミは「ふふふふふ」と朗らか(?)に笑いながら、ヤクモの肩をつん、と押した。途端ぐったりと横向きに転がったヤクモには目を醒ます気配は全くない。完全なる寝落ちである。
 寝台の隅に寄せてあった毛布をその上に掛けてやると、さて、と向き直るマサオミ。応える様に口元を歪めるユーマ。間に挟まれ苦笑するしかないリク。
 「さて、いよいよ決勝戦と云った所だな、飛鳥ユーマ」
 「ふん…、漸くこれで貴様との決着がつけられると云う訳だな。覚悟は出来ているか?」
 「元・青龍使いを舐めるなよ?」
 激しく火花を散らすユーマへと珍しくも真っ向から返すと、マサオミは不敵に笑いながら自らの席へと戻った。
 確かにこの両者は嘗て幾度となく戦う事になりながらも、その決着は一度としてついていない。のだが──
 (……青龍使いとかは関係ないような気がするんだけどなあ……)
 そもそもこんな決着で良いのかな、とぼんやり思いながらリクは、そろそろ昼食の時間だけどどうするべきかなとも考えていた。
 
 
 「…………『キアズマ』……」
 「………『膜迷路』………」
 「……『ロヴァニエミ』…」
 「…『三春駒』………」
 「ま…『マラウ…ぃ』」
 「「……………………」」
 結局──計三十二時間後。既に二日目の日も落ちた頃、ユーマとマサオミはほぼ同時にダウンした。三十二時間ぶっ通しで脳を働かせ言葉を投げ合い、集中が途切れるのと眠気が増すのもあって両者共食事も碌に取っていなかった。審判や医者がいたならばドクターストップがかかっていた頃かも知れない。
 「……えっと……この場合は…最後に言葉を言ったのはマサオミさんだった気もするけどちゃんと云えてなかったし…、一応相打ち、で良いのかなぁ……」
 死屍累々と云う言葉通りの様相を呈した部屋の中、ただ一人起きている事となったリクはそうぼやくと、紙に『同位:飛鳥ユーマ・大神マサオミ』と書き記し、一日少々淀み続けていた室内の空気に今更の様にうんざりと溜息をついた。窓は嵌め殺しだった為に換気扇を回すと、後でソーマ君に謝っておこう、と誓いながら内線の受話器を取る。
 寝台に突っ伏したマサオミはともかく、窓際の椅子に不自然な姿勢で項垂れるユーマは流石にこの侭にしておくと云う訳にもいかないだろう。とは云えリクひとりに彼を運べる訳もない。そんな訳で人出を頼む為である。
 
 
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 二回戦・しりとり
 勝者無し。同位:飛鳥ユーマ・大神マサオミ、三位:吉川ヤクモ、四位:太刀花リク
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二回戦。長引き過ぎ。でもまだ続く。何だこの意地っ張りども…!ユーマはあほの子だけど莫迦ではないのが理想。頭はよいけど思考回路が駄目と云うかそんな感じ。
ハイゼンベルグ模型だの謎の用語が飛び出したのは多分寝落ちかけの意識朦朧下で裏ヤクモとかになっていたに違いない。