回復する傷



 縋りたい訳では無かったなどと云うのは嘘だと、その瞬間にまざまざと思い知った。


 つまりこれはヤクモにとって酷く唐突な事だったのだろう。白衣に鮮やかな浅葱の袴を纏ったその両手に竹箒を握りしめた侭の姿勢で、珍しくも彼は、ぽかん、とした表情を形作って、マサオミの事を見返して来ている。
 「や。一週間振りぐらいか?」
 適当な目算でそう云うと、マサオミは手を軽く振りながら、未だ茫然と立ち尽くした侭でいるヤクモへと距離を詰めた。
 実際一週間は経過していない筈だが、春の大型連休の殆どを東京で過ごしていたのは事実だ。ヤクモにとってみれば、暇さえあればいつでも鬱陶しいぐらいに周囲をうろついているマサオミの姿が、『休み』の間一度も現れなかったと云う事にそれなりに何かを感じてくれていたのかも知れない。
 「……四日だ。久々に随分と平穏で充実していたと云える休みだったのに」
 やがて硬直から脱したヤクモが、溜息混じりに竹箒を持ち直して云ってくる。妙にしみじみとした云い種は嫌味と云うよりは晴れやかに過ぎて、マサオミは反論のタイミングを逃した。どこまで本気か解らない、どころかまるきり本気の様にしか聞こえなかった。
 「それはさておいて、」
 ぐ、と引きつって言葉に詰まるマサオミの顔から、ヤクモの視線が横へとずれた。マサオミの肩越しに、もう一人の闖入者へと誰何の表情が向けられるのを目前の距離で知る。
 「ああ、そうそう」
 己の訪れを残念そうに語られた事に対する各種反論は取り敢えず除けて、マサオミは形だけの咳払いをすると、二人の少々後方でその遣り取りを何処か面白そうな風情で見守っていたハヤテを促した。
 「東京(あっち)で知り合ったんだ。ミカヅチセキュリティの期待の新人、」
 戯けて云った心算が僅かに苦みが乗った事に己で気付き、一旦言葉を切ったマサオミの先を──他意など無く──続ける様に、ハヤテが前へと進み出て来る。
 「鷹宮ハヤテだ。期待かどうかは知らねぇが、そろそろ実戦デビューも近いんだ。あんたもご同業だろ?宜しくな」
 妙に気障とも見える仕草でハヤテは片目を瞑ると、ヤクモへと右手を差し出した。ヤクモは一瞬ぱちりと瞬きをして、それから少しの時間をかけて眦を弛めた。応える様に手を伸べ、軽く握手をする。
 「……こちらこそ。俺は吉川ヤクモ。MSSと云えば確かムツキさんの、」
 「ああ。なんだムツキのおっさんと知り合いか。闘神士ってのも意外と狭い世間なんだな」
 「あっちにちょっと顔出してたらこいつと意気投合してね。折角だから絵に描いた様な闘神士の見本としてヤクモを見せておこうかと」
 握り交わされる手と手の上で、マサオミはそう肩を竦めて云い笑った。
 どうにも不快に似た痛痒を憶える胸の裡を呑み込んで、ヤクモとハヤテと、両者を取りなす様な立ち位置につけば、その動きを追うヤクモの怪訝な視線に晒される。
 「人を何だと思っているんだお前は。だがそれよりも、お前に友達が居た事に俺は驚くべきか?何なら祝おうか」
 出会い頭の驚きの表情はまさかそれに由来するものだったのか。聞き捨てならないヤクモの言葉に、流石にマサオミは口端を下げた。
 「待てアンタのが云い種のが酷過ぎやしないか。俺はこれでも元は人望の式神の闘神士だったんだぜ?」
 「お前の、では無かったと思ったが?」
 今ひとつ類の不明瞭な溜息をつくと、ヤクモはマサオミからあっさりと視線を外した。親しげで遠慮のない両者の遣り取りを目の当たりにして、喉を鳴らして笑っているハヤテの方へと改めて向き直る。
 そのヤクモの動きを待っていたかの様なタイミングで、ハヤテが肩を竦めながら片手だけを軽く上げた。何処か気取った様なそんな仕草も、このライダースーツの男は妙に似合う。
 「噂はコレから予々聞いてるぜ。会った事もなかったってのに、想像と実物のあんたとが違えて無い様で良かったよ。成程面白そうだなお前ら」
 これ、とマサオミの方を示してそう云うと、ハヤテは少し意味深に口の端を持ち上げた。対するヤクモは、果たしてどの様な評価をされていたのやらと思ったのか、その評価の由来になるだろう説明をしたと思しきマサオミを一瞬だけ睨むが、直ぐに止めて穏やかな気配へと転じる。
 「それで──鷹宮、」
 「ハヤテで云いぜ、ヤクモ」
 「……ではハヤテ。多分マサオミ産の情報には誤謬があるから、余り鵜呑みにしないでくれると助かる」
 「ああ勿論。話で聞いたよりも実物のあんたの方が余程面白そうだしな」
 意味深な表情で愉快そうに微笑むと、ハヤテはすい、と一歩ヤクモとの間を縮めた。僅かなその動きに気付くと、む、とマサオミは眉を寄せる。
 「待てハヤテ」
 「ん?」
 ぱちりと瞬きをしているヤクモの正面に牽制する様に手を差し入れながら、マサオミはヤクモの肩を無理矢理抱き寄せた。ハヤテを凶悪な眼差しで睨み付ける。
 「言い忘れてたが、俺とヤクモは既に深ーい関係だから、外野の余計な手出しは禁止されてるんだ」
 「……ほー」
 気のない相槌を打つハヤテの表情が、先程よりも意味を深く、笑みを形作る。
 「そう云う関係なのか」
 「断じて違うから信じない様に」
 問いではない、試す様なハヤテの呟きに、マサオミの首肯よりも先に返るのはヤクモのきっぱりとした口調だった。ヤクモは言葉の勢いの侭にマサオミの肩を押し退けて、忌々しそうに呻く。
 「マサオミも。誤解を招く様な言動は止めろ」
 「……本当なのに」
 ぐしゃ。
 「何か云ったか?」
 「………………いえなんでも」
 顔面を竹箒の先で突かれ、マサオミは生温い諦観の面持ちで箒を退けた。何か云ってやりたい事は山ほどあったが、こちらをじっと見ているヤクモが妙に凄味のある笑顔だったので止めておく。
 ぱらぱらと落ちるゴミを払い除けるマサオミの様子に、ハヤテはからからと声に出して遠慮無く笑いを寄越して来る。そんな彼の様子はつい数日前に東京で『知り合った』時に得た印象からも全く違えない。容赦のない、気さくな──友人。
 歳はマサオミやヤクモより少し上だが、年齢や出自、経歴などを間に挟まないフランクな性格の男だ。闘神士としての潜在力量も悪くなく、それ故に少々自尊心が高くその事について気取る一面も持ち合わせているのが難点と云えば難点かも知れないが、彼は基本的に悪い人格ではない。
 ……恐らく。鷹宮ハヤテはヤクモの事を、闘神士としても友人としても気に入るだろうと云う確信は、マサオミの裡に既にあった。そしてヤクモも元より周囲の人間に自然と好まれる、何に対しても屈託の無い質を持っている。そんなヤクモがハヤテを苦手とするとは、これもまたマサオミは思ってもいなかった。間に介在した自分が居なくとも、両者は友人として付き合う事が出来るだろうと容易に描ける。
 解っていたから、ハヤテにヤクモの事を話した。そして、此処まで連れて来た。友達になれるだろうと云う事は想定ではなく目的そのものだった。
 つまりこれは想像に易い結果だ。故に今更嫉妬など軽く抱いてみても仕様がない──、のだが。
 その『結果』は、罪悪感の軽減への期待であり、失望でもあった。
 黙って仕舞ったマサオミを余所に置いて、ヤクモはハヤテと何やら楽しそうな風情で言葉を交わし合っている。互いとも時折浮かべる笑顔には含む所や怖じける所などまるでなく、ごく自然な、数年来の知己同士の様な様子だ。
 「、──ところで」
 不意にヤクモはそう言葉を切ると、マサオミの方へと振り返った。気付けばただじっと彼らの様子を観察していたマサオミは、軽い鼓動の弾みと共にはっと我に返る。その不自然さに果たして気付かなかったのか、ヤクモは見咎める様子もなく、続けてハヤテの方をも見遣り、肩を小さく竦めてみせた。
 「二人共、足は電車やバスではないと察するが。最近は交通安全週間で、抜き打ちで駐禁を取っていたりする様だぞこの辺りも」
 さらりと告げる言葉に、マサオミとハヤテは同時にぎょっとなった。無論云う迄もなく両者の足はそれぞれお馴染みの単車である。
 「冗談じゃねぇ!この辺なら停めても平気だとか適当な事云いやがって!」
 「い、いや知らなかったんだ!態とじゃない!」
 「停めるなら道を少し右に行って、少し手間だが山道を迂回する様に上がって来ると良い。境内の脇なら私道だから安全だ」
 「助かる!おいマサオミお前は──」
 ポケットからキーを取り出して早速駆けだして行こうとするハヤテに、マサオミは思いついて自分のキーを投げ渡す。
 「俺のもついでに頼んだ」
 ぱし、と反射的に投げられたキーを受け取ったハヤテは、にこやかに手など振りながら云うマサオミへと僅かの間憤然とした様に歪めた表情を向けていたが、やがて呆れた様に息を吐くと「どうなっても知らねぇからな?」と苦笑し、石段の方へ向かって今度こそ駆けて行った。
 ハヤテの足音が遠ざって行くのを待ち、やや不自然な間を保ってからマサオミは我知らず詰めていた息を吐いた。詰めていた、と云うよりは詰まっていた、と云うべきかも知れない。いつも通りの笑顔で、恣意以上の意識など無い様な素振りで太白神社(ここ)を訪れたその瞬間から。
 「闘神士を、降りたのか」
 吐き出した息の続きの様に、ぽつり、と、問いかけの意を潜めて呟かれたヤクモの声音はそう大きなものではなかったが、マサオミの耳には驚く程はっきりと聞こえた。
 ミカヅチセキュリティサービスの人員の殆どは元・闘神士で構成されている。故に式神を連れずに居る闘神士を見てヤクモがそう解答に至る事は別段おかしい事でも何でもない。
 云いに来たのはその事だったと云うのに。その為の茶番めいた行動だったと云うのに。マサオミは胸を抉られた様な心地を憶えて、息を詰めていたものの正体を──喉奥の更に深くに止まっている感情を、疲労の錯覚と共に吐き出した。肯定の頷きは浅い。
 「……………彼奴の式神を喪わせたのは、俺だ」
 苦り切った、絞る様な声音にヤクモがマサオミへとゆっくりと振り返るのを気配で感じる。目を合わせる気にはなれなかったから、マサオミは態と遠くの山に視線を固定した侭、己が注視されている事だけを意識に留めた。
 眼は人の感情や性質を時に表情よりも顕著に示して来る。ヤクモの琥珀色の眼差しはマサオミの知る限り常に深く、厳しい癖に優しかった。包容力とでも云うのか、見るものを落ち着かせてくれる様な不思議な安堵を感じさせてくれるものなのだ。
 そのヤクモの眼差しが、今は鋭くマサオミの横顔を見つめて来ている。険しさや懸念とは少々趣の異なったその正体が気になり、振り返って確かめてみたくなる衝動を、然しマサオミは何とか堪える。
 そして、堪えたその代わりに、感情の堰が綻びを生じた。
 「……地流の、闘神士だった。手強い相手だった。キバチヨには少々苦手な手合いで、手加減をして何とか捌ける相手でも無かった。況して近くにはリクとコゲンタも居た。だから、」
 僅かに生じた綻びは直ぐ様堰を決壊させ、マサオミは次から次に己の喉から零れ出す言葉を止める事が出来なくなる。
 鷹宮ハヤテ。流派章は六。位階だけで見れば御せる相手ではあった。だが彼の式神の戦術や得物の飛び道具はキバチヨとは相性が悪く、思わぬ苦戦を強いられた。
 ……否。仮令ハヤテが強敵では無かったとしても、マサオミの正体をリクも居たあの場で看破される訳にはいかなかった。己が伏魔殿に侵入した地流闘神士を幾人も屠った闘神士であると、知られる訳にはいかなかった。
 「……………だから、俺は、」
 結局。あの時の神流闘神士ガシンはどうあっても──地流闘神士ハヤテを倒す事しか出来なかったのだ。
 敵として送り込まれ、あの場で遭遇した瞬間から。
 或いはそれとも、幼い頃に天流と地流を憎んだその瞬間からか。
 「それでお前は、俺に懺悔でもする心算か?」
 言い訳や自己弁護を気付けば次々に口にしていたマサオミは、間に挟まったヤクモの鎮かな声に思わず息を呑んだ。想像には易いその表情を脳裏に描きながら振り返れば、厳然たる裁きの眼差しに出会う。
 眼と云う器官に先程抱いた役割の通りに。然しマサオミの予想とは違え、ヤクモが向けて来ていたのは冷たくも温かくも無い、もっと澄んだ無辜の様相だった。
 それは厳しいが中立。能動的に裁きなど下してはくれない、ただ真意を射抜くばかりの。
 「……いや。アンタにそんな事をしても意味がないって事ぐらい、俺だって解っている」
 「………どうやらそこまで腐っていた訳では無い様だな。安心したよ」
 その眼差しに晒され、急に己とそれ以外の全てが頼りないものの様に思えた、マサオミの軋る様な声音に、ヤクモは細く息を吐いて肩を竦めて返して来た。だがその所作にも言葉にも、笑みが浮かぶ程に易くはない。
 ハヤテを『友達』として此処に連れて来てヤクモに引き合わせたのは、マサオミにとっては感傷であり、期待していたのは罪悪感の軽減だった。全てが終わった今だからこそ湧き起こったそれは、どうしようもない慚愧。彼らから奪った、二度と取り戻す事の出来ない闘神士として嘗てあった人生をどう償うべきかと云う、答えの出ない煩悶。
 己が手を下して来た何人もの闘神士達の中で、偶々記憶にあったハヤテだけを償うべき対象として選んで仕舞った時点で、それは平等でも何でもない。つまりこの事自体がマサオミの自己満足でしかないのだ。
 僅か言葉を交わした程度の『敵』。あの頃残っていたのは、リクが立ち会って居たから告げられなかった、己の『名』程度の口惜しさだった。だから別段深く振り返りも後悔もしなかった。天地流派は敵である、その大義名分さえあれば、悔やむ理由など何も無かった。
 戦いが終わった後で、それは或いは間違いであったのだと気付かされた時、マサオミは初めて、心の引っかかり以上の悔恨を憶える事となった。そして気付けばその罪悪感に後押しされる様に東京へと赴き、ハヤテに今度こそ己の『名』を伝えていた。
 赦しは貰えない。だから求めない、とそう判じたのは己自身だったと云うのに、気付けばマサオミはハヤテにヤクモの事を漏らしていた。きっと気が合うと太鼓判を押して、『友達』ごっこをヤクモにまで求めていた。
 己の。決して去りはしない、潰えもしない、罪悪感の軽減を求めて。
 ヤクモならばマサオミの痛みを知り、その上でハヤテにも相応の相対をしてくれると──無責任な結果を求めて。
 だからマサオミは己に失望していた。ここに来る事ではっきりと知れて仕舞った、己のそんな怯懦で身勝手な罪悪感に。
 「……そうか。彼は闘神士を降りて仕舞ったのか」
 先程漏らした言葉と似た様な言葉を、然し今度は独り言の様にヤクモがそう漏らした。透徹とした感情を体現したかの様な声音は酷く鎮かで、その癖揺らいだ感情に波立っていた。少なくともマサオミにはそう聞こえた。
 「………………もしかして、知り合い、だったのか?」
 「いや……、ああ、…知り合い、と云う程では無いが、伏魔殿の中で一度だけ遭遇した事がある」
 これは流石に予想だにし得なかった事で、思わず瞠目するマサオミへと、ヤクモは鎮かな侭の声で答えて来た。恐らくそれは事実で、それ以上の意味は何も持たない。だが紛れもなくその事実はヤクモに何らかの痛痒を与えているのだと、鎮かに過ぎるその声音から逆にはっきりと知れた。
 故にじわりと。湧き起こったのは益々重苦しい感慨一つ。
 共通の喪失なのだと。そう押しつけがましく瞬間的に判じて仕舞った己への、激しい自己嫌悪。
 「……先に云っておくが、マサオミ、」
 ぐ、と唇を噛んだマサオミの思考を聡く察したのだろう、ヤクモがそう窘める様に切り出した。
 「俺はお前の求めている様な気休めは云ってやれないし、勿論赦してやる事も出来ない。そもそもお前が罪を感じているのかどうかも知れないが」
 「ッこれが、こんな惨めな事が、どうしようも出来ない罪滅ぼし以外の事で考えられる筈がないだろう!?」
 「形が無い罪だから、己の正義と云う大義名分で誤魔化して来れた。違うか?」
 突き放した様なヤクモの云い種に咄嗟に荒らげたマサオミの声は、間髪入れずに続けられたその言葉に断ち切られる。
 反論すら出来ず息を呑むマサオミを、鎮かなばかりの眼差しでじっと見据え、ヤクモはかぶりを振った。
 「…………そうだな。お前のそれは間違いなく罪悪感だろう。試す様な云い方をした事は謝るが──……実際、闘神士の罪は罪としての形も証明も何一つ遺されはしない。糾弾する者も、赦してくれる相手も、取り戻すべき物も無い。『仕方がなかった』と己に言い訳さえ出来れば、それで終わりだ。楽になれる。罪はない。何も喪わせてなどいない。奪ってなどいない。相手にも覚悟があった。だが、」
 そこで一度ヤクモは言葉を切った。拳を身体の脇で握り締めた侭、激情に打ちのめされて佇むマサオミの事を窺う様にか沈黙を挟み。
 「……だからこそ罪は罪らしいと、俺は思っている。だからお前の今感じているだろう罪悪感や、紛らわす手段を、どう取った所で咎める気などない。繰り返すが俺はお前に答えはやれないが、同時に、お前の選んだ、採った手段を責める事もしない」
 琥珀色の厳然たる、然し存外に思い遣りの込もった眼差しでそう告げると、ヤクモは憂いを含んだ柔い、ほんの僅か微笑みらしい表情を刻んだ。
 決して赦されず、決して解消されない罪悪や後悔を。恐らく己でも知っているからこそ滲み出た。それが、
 「罪を背負って生きろ、マサオミ。『彼ら』を忘れない事が、出来る数少ない罪滅ぼしだ」
 闘神士としてその痛苦を引き擦って歩む事を遙か先にまで決意した、ヤクモの見つけた答えなのだろう。
 「………………、」
 言葉に溢れる激情とは異なった、心の中で常に流動する叫び。幾度もなぞったのだろう瞋恚の情は却って鎮かな言葉一つ。
 「最初から言い訳を求めるぐらいならば、購おうなどと思うな。彼はお前の自己満足の為だけに此処に連れて来られた訳ではないんだ」
 泣き笑いの様な表情で言葉を失って仕舞っているマサオミへとこれだけは厳しい侭で告げると、ヤクモは山道の方から聞こえ始めた排気音に耳を傾ける様な仕草をして、マサオミから身体ごと意識を逸らして仕舞う。
 その侭振り返りもせず、ヤクモはバイクの排気音の向かう先へと歩き去って行くが、それはマサオミを突き放したり軽蔑したりした訳ではなく、思考を整頓するだけの猶予をくれたと云う事だろう。
 どこか超然とした印象すら感じさせるその背中を止める事も出来ず見送って、マサオミは時間をかけて強張った表情を苦笑の形へと変えた。
 期待は見事に端から全て裏切られて仕舞った訳だが、ある意味では適っていたとも云える。楽になれた、と云う様には到底行きそうにないものの、ぐだぐだと暗澹たる自己嫌悪に身を任せている時よりは幾分気分は晴れやかだった。
 自らが全てを喪わせた者を、それが自己満足と云う動機にあったとして──友として扱いたいと決めたのは誰あろうマサオミ自身だ。ヤクモもそれを知ってくれる事で自分の負担が減るかもしれない、などと勝手な事を考えたのは浅ましい話でしかないが、幸いハヤテとヤクモの相性はそう悪くも無さそうだった。多少とは云えつまらない嫉妬を憶えて仕舞った程。
 この侭三人で友達として安穏としていられれば、それは幸福で酷く楽しい情景だろうと、描いて思える。仮令いつまでも棘の様に、去らない罪悪感が胸の何処かを充たしていたとしても。
 ──忘れない事だ、とヤクモは云った。
 例えば、辛い事があったからと姉の記憶を忘れたいかと問われれば、それは否だ。忘れられた者の心の痛苦を知るからこそ、余計に強くそう思う。
 己が生き長らえる為に奪った糧には、如何なるものに対しても責任を負うべきだ。
 奪った時間の全てを知る事は出来ないが、闘神士として戦った相手として、憶え刻み続ける事は勝者の義務だ。己が闘神士として負けるその時まで。願いを諦めるその時まで。罪悪として軽く蓋をして放り出して仕舞う訳にはいかない。
 幸いにしてか皮肉にしてか、今は式神を持たないマサオミは少なからずその記憶だけを喪って仕舞う様な危機をも持たない。
 安易に逃れる事は、自らが罪悪を『そうではない』と判じて投げ捨てる時にしか訪れまい。
 「………だとしたら、これが、本当の罰なのかも知れないな」
 ほんの一瞬芽生えた唾棄すべき自身を直ぐ様切り捨てて、マサオミは力無く空を見上げる。
 この侭、忘れる事はなく友達として肩を並べて生きる。簡単な様で難しそうな先行きに浮かんだ苦笑に、不思議と苦さは少なかった。




今更なんですがマサヤク(最終話まで)と云いこの捏造三人組と云い、何処までマサオミ救済に燃えてんですかねほんと(´A`;) 何れもネタ的趣味半分、残りはマサオミとヤクモの救済が目標なのである意味仕様な訳ですが…。

傷つかないギリギリの距離では、何も学べないし感じられない。だって負っても傷は回復する。