近くの君への長い回り道



 物事には様式と云うものがある。多くの場合普遍的に社会に通用する様に設えられたそれは一種の儀礼的な鋳型とも云える。
 その在り様が『常識』ないし『一般的』と名付けられ広まれば、公然の場合に於いてひとつの『決まり事』として扱われる様になる。
 それらは日常生活に於いてのあらゆる場面で度々顔を覗かせる。社会の一員として生まれてから死ぬ迄の人生経験の中、人は幾度と無くその『決まり事』を繰り返していく。
 要するに人の生きる社会でのルール、或いは常識と言った鋳型の事だ。
 吉川ヤクモも未だ未成年とは云え、その定義内に収まっている存在である。故にごく『普通』にそれに倣い日々を暮らしている。
 彼の場合は『一般人』と云う範疇を既に逸脱し、その埒外に在る『闘神士』と云う枠に定義された存在ではあるが、それでもその何れの『内』よりは脱していない。
 規格外の能力、と云う評価が付随すれば周囲の見方は少なからず変動する事になるが、飽く迄それもまた『内』側であり、『闘神士』と云う定義そのものを覆す様なものではないからだ。
 そして彼自身もその枠を自ら逸脱して仕舞いたいとは望んでいない。
 ともあれ。『闘神士』と云うカテゴリに身を置けど、彼は飽く迄その更に外側にある社会からは全く抜けていないのである。
 闘神士である前に人間である。社会的規範に従い生きる普通の人間である以上は、当然ながら常識の範疇で生きている。普遍的な知識をも通常の神経で持ち合わせていると云えよう。
 「またいつか会えるさ」
 だから、そう云ったのはごくごく普通の、別れと云う場面に沿った意図の方が、実のところ多分に大きかった。
 実際『また』と云う事がそう易々と叶って堪るかと云うのが、改めて突き詰めてみれば本音であり、あの時ついそんな本音とは裏腹にそう発言して仕舞ったのは──自分なりにそれなり、彼らとの別れに対して思う処があった故である。
 要するに気休めであった。
 互いに別れと云う現象に寂しさをもたらさぬ様にと云う、冷静に思考してみれば不覚極まりない意図がその瞬間に僅かとは云えあったのは確かだ。
 そう気休めを口に上らせて仕舞う程には、相手に愛着や好意があったのだ、とも云える。
 それを認める事もまた不承不承の末なのだが──何のかんのと云って美化しようが恥じ入ろうが、多少なりとも惜しむ心があったから、本来叶わぬと知りつつも『また』、『いつか』などと気付けば口にして仕舞っていただけに過ぎない。
 故に────
 「……確かにそんな事を云って仕舞ったが……」
 物憂げな表情で、ヤクモは逸れつつあった目の焦点を眼前の男へと緩慢に戻した。ぼやけていた像が定まり、その形作る薄っぺらい『笑顔』までが仔細に網膜へと焼き付けられる。
 「や。そんな驚いてくれちゃうと照れるね〜」
 出会い然り別れ然り。言葉の上では如何なる心情が根底にあれど、それは一つの常識でもあった。
 もっとはっきりと云って仕舞えば、それは『社交辞令』と呼ばれる。
 …………つまり。
 「まさか本当に千二百年前から『また』来るとは……」
 ここで漸く、ヤクモの声は酷く呆れきった調子へと転じた。認識や常識と云う多大な前提を乗り越える努力を些か空しくも繰り返した結果の端的な結論だ。
 ちなみに認識とは幻や夢や幻覚の類を疑った事で、常識とはたった今自らなぞって思考し直した『またいつか会える』訳など易々とあって堪るかと云う本音の事である。
 さて、そんな経緯で漸く最初の驚きから立ち戻れたヤクモの、その『驚き』そのものを与えた張本人であるマサオミはと云えば、ヤクモのそう云った『常識的な』思考の流れぐらいは予想済みだったのか、寧ろ楽しむ様な風情すら湛えて始終にこやかな笑顔を作って佇んでいた訳だが。
 「アンタが寂しがってると思って、こっちに戻って来る為にかなり頑張っちゃったんだぜ?俺」
 「誰がどうなれば寂しくなるのか、理由と根拠を詳しく聞かせて貰いたいものだな。勿論お前の主観は一切合切除いた上で」
 その笑顔を前に、どちらかと云えば冷ややかに分類されるだろう眼差しでヤクモは相対していた。
 時刻は一日の始まり、朝である。早い朝食も終え、袴姿に箒を携え境内の掃除に励んでいた最中にこんな、『常識』の埒外としか云い様のない青天の霹靂が降って来るなどと、果たして誰が予想出来ただろうか。
 春爛漫の新太白神社境内は、その風光明媚な風景にそぐわぬ剣呑な気配に包まれつつあった。
 なお、春先の『別れ』からは未だ一月と経っていない。喉元を過ぎる以前である。
 「愛。それが主観になっちまうなら勘で。
 で、だ。先ずはあっちの時代で刻渡りの鏡を探す事から始めたんだが、これがもう困難とか云うレベルじゃなくってさ〜。やっとの思いで戦乱で放逐されてた一台を発見したのは良いけど、今度は使う為の試行錯誤でねぇ…。姉上に闘神巫女や術の知識が無かったらこんな早くは叶わなかっただろうなぁ」
 「……それはそれは、明かに間違った労力だな。
 で、何の用事なんだ一体。わざわざ禁忌でもある刻渡りを行って来た以上──何か正当な理由ぐらいはあるんだろうな?」
 どことなく生温い眼差しで、飽く迄慇懃に、然し手順を踏んでそう問う。
 本来ヤクモは、遠い処をやって来た知人相手にこんな態度を取る程に狭量な精神では決して無い。無い、が──
 「だから、愛」
 「…………」
 いけしゃあしゃあと、真顔で云って除けるマサオミの真っ向に佇むヤクモは気の利いた反論すら思い浮かばず、ただ沈黙を以てそれに応えた。
 「この苦労も、ひとえに愛の為せる業だとは思わないか?」
 己の想定していた『常識』の範囲外、その体現が眼前でにこにこと微笑んで、しかも全くヤクモの意識とは繋がらない、己限定の恣意を真剣に提示して寄越してなどくれていたら。忍耐の限界点が最初から喉奥直ぐにあったとしても、誰にも責める事は出来まい。
 マサオミの為した、本人曰く『苦労』だが、それが刻渡りと云う本来硬く禁じられていなければならない類であった事も大きな要因である。
 ヤクモは目の前で(しかも己絡みの事で)そう云った型破りな事が行われているのを見てにこやかでいられる程にお人好しでも不真面目でも無い。
 因って。
 「〜莫迦か貴様はッ!!戯言一つで刻など軽々しく越えて来るんじゃない!」
 数秒後には、ヤクモは彼にしては大変珍しくも全力でブチキレて声を荒らげるのであった。

 *

 「タワゴトじゃなくって愛。そこの所アンタちゃんと解ってくれてる?」
 「大体冗談云うぐらいでわざわざこんな苦労して戻って来ないって。さっきも云ったけど鏡の件では本当に尽力してだな」
 「あ、ちゃんと『途』は繋いであるから平気だぜ?イヅナさんやナズナちゃんの手を煩わせなくとも帰りは問題無し」
 耳を次々と素通りする言葉に、最早顔を起こす気力もないヤクモは、首肯すら返さず卓に突っ伏した侭溜息をついた。
 場所は境内から移って吉川家(仮)の居間である。激情の侭怒鳴るだけ怒鳴ったのは良いが、久々で唐突な血圧の上昇に相俟って、マサオミの抗弁とも取れなくはない『戯言』を延々聞かされ続けた結果、ヤクモは酷い眩暈と脱力とに見舞われ、この有り様となった訳だ。
 「兎に角アンタに会いたい一心で戻って来たんだってば俺。ほら、お茶でも飲むか?ちょっとは具合もマシになるかも知れないぞ」
 耳鳴りを響かせる重い頭を、卓袱台に上半身ごと突っ伏した侭で何とか上下に揺らせば、冷えた手指に湯飲みを、渡されると云うより押し込まれる。焙じ茶の香りと湯飲みの温度とに、疲れ切ったヤクモの神経が幾分癒され始めた頃。
 「第一アンタだって『また』なんて云ってくれちゃったしで。俺本当きゅんと来ちゃったんだよね〜」
 「だ・からッ、そんな言葉を額面通りに受け取って本当に刻を越えて来る莫迦が何処にいるんだッ!…〜」
 顔を起こして叫んだ言葉の途中で軽い眩暈を憶えて、ヤクモはへなへなと卓袱台に再び突っ伏した。ひょっとしたら本当に血管のひとつやふたつぐらい切れているのかも知れないと思って益々陰鬱な心持ちになる。
 「……大丈夫か?アンタひょっとしなくてもまだ本調子じゃない?」
 「…………な訳あるか。あれからどれだけ経ったと思っているんだ。
 他者の理不尽な無聊に対して、怒鳴らねばならない精神状態にでも追い詰められてみれば、今の俺の気持ちは容易に察せるだろうな」
 「そりゃあ大変そうだな。アンタって割と大雑把な性格の癖して、人付き合いの事になると結構繊細だよねぇ」
 ふ、と凄絶に微笑んで告げるヤクモの嫌味を、解っているのかいないのか一言で流したマサオミは、自ら煎れた茶をのんびりと啜った。
 日頃どちらかと云えば感情よりも理性の方が上位にあるヤクモは、本能的な反応よりも瞬間的な判断で物事を解している事が多い。生死をかける戦いの最中や突発的な混乱を来している様な状況で無い限りは、己の状態を見誤る程に激昂する事などまず無いのだ。
 故にヤクモは自分自身で、現在の己の様子に違和感を感じずにはいられなかった。『怒鳴らねばならない精神状態』とは云ったものの、果たして何故マサオミの頓狂な行動や言動に対してここまでの激昂を禁じ得ないのか。
 寧ろ千二百年前へと戻る以前のマサオミはこう云った、ヤクモ曰くの戯言を日常的に口にしていた。行動で何らかを示されそうになった事だってあるのだが、ヤクモは別段、冗談を笑って済ませられない程に狭量な人格でもない。この程度の『戯言』ぐらい、その頃の様に聞き流して仕舞えば良いだけなのだ。
 確かに、刻渡りは基本的に禁忌とされる事項に分類される。悪戯に渡り歴史に歪みをもたらす事は、鏡の機能や世界の調整力がそう易々と可能にはしてくれない。嘗てのマホロバの様に逆式と云うイレギュラーな力を用いたりすれば強引にそれを為す事も出来る様だが──何れにせよ、禁じられているか否かではなく、刻を渡る、歴史を歪める、と云う事自体を本来現象として畏れ忌避すべきだ。
 歴史が歪む危機にあって、歴史の歪みと為りかねない一因を未来より送ると云う矛盾の戦い。大戦時に幾度となく刻を渡り、その歪みの起こす恐怖や驚異を身を以て実感してきたからこそ、ヤクモは刻を渡ると云う事は決して安易に行うべきではないと戒めとして抱く様になっていた。
 因って、安易な刻渡りを行って来たマサオミへと憤りを憶えるのは不自然な流れではない。のだが。
 然し決定的な、これが最も予想だにし得なかった事実としてあるのが──マサオミ曰くの通りに、この時代へと彼が『戻って』来た事そのものである。
 刻渡りの鏡は万能に時空を渡る事の出来るアイテムでは断じて、無い。
 つまりマサオミが千と二百年の刻を渡って──否、戻って来たと云うのは、世界にとって、歴史にとってそれが何の歪みともならないと判じられたのだと云う証明でもある。
 もっと踏み込んで想像するのであれば、彼は既にこの時代の存在として『認められ』ている、とも云えないだろうか……?
 「………………………」
 そこまで考えた所で、何だか莫迦らしくなってヤクモは溜息をついた。幾分眩暈も収まった上体を起こすと両掌で湯飲みを挟んで持ち、ゆっくりと茶を口に含む。喉を下る水分は適度に温かく、その芳香で心をも安らがせてくれる様な心地を憶え、自然と目の縁が緩んでいく。
 刻を軽々しく渡って来たマサオミに対する憤りが消えた訳ではないのだが、彼が刻を歪める対象には成り得ないと云う予想事実は少なからず『今』のこの瞬間の危機をもたらす類では無い。放置しておいても問題はないと云える。
 マサオミが起こした事象として、それを怒り正す事は間違えてはいないだろう。偶々彼の場合は問題が無かっただけで、刻と云うものは安易に渡って良いものではないと云う結論に変わりはないのだから。
 ただ、問題は──、この自分らしからぬ一連の憤りの、本当の意味での理由である。
 戯言だけならば聞き流していれば良かった。刻渡りだけなら咎め叱責するだけで良かった。どちらもこんなに、ヤクモが我を忘れる程に憤りを憶えるには足りない。
 ならばある筈なのだ。マサオミへと激昂せざるを得なかった、何かしらの副次的な理由が。
 (………………そもそもこの時代へ来た理由が、ただの社交辞令や気休めに真剣に応じた事、だなんて、)
 「またいつか会える」、そう、恐らくの無理を悟りながらもつい願う様に口にしていた。叶えられる筈など無いと理解していたからこその、『社交辞令』と云う別れの挨拶(言葉)の形で。
 迂闊だった、と己の発言を改めて思い出して、ヤクモが眉間に山脈を形成した丁度そのとき。
 「なぁ、さっきからやたらトゲトゲしてるのってまさか、俺が戻って来たのが嬉しくって照れちゃったりしてくれてるから?」
 








 

 「だったりして〜……って、、、、、、、…、     え?」
 妙に長い沈黙の理由は、直後に繋げたマサオミの、かなり本気で驚いたらしい疑問──と云うより驚愕の表情に概ねが顕れていた。
 ぽかん、と口を開いた侭ヤクモの顔を、何か信じられないものでも見た様な目で見遣ってくるマサオミのその表情と意味とに気付いたヤクモは、咄嗟に誤魔化す様に隠す様に己の右手を顔に引き寄せた。顔から頭まで一気に熱くなる。
 実際己がどんな表情をして仕舞っていたかなど、考えたくもない。
 「え、え……、えええええ?!!!!!まさか本当にあ」
 「ッ煩い黙れそれはお前の勘違いだ、断じて違うし関係無いからそれ以上云うな!」
 ヤクモは乱暴に湯飲みを卓袱台に叩きつける様に置くと、三度声を荒らげマサオミの言葉を無理矢理遮った。然し言葉は遮られたとしても、目の前に座るマサオミの存在そのものまで消せる訳でもなく。また、妙な誤解を招く様な表情を形作って仕舞った事実を無かった事に出来る訳でもない。
 うわ〜、などと云いながら、驚愕変じて喜悦の類に近い、にやにやとした笑みを隠さず、まるで鬼の首を取った様に上機嫌にしているマサオミを忌々しげに睨み据え、ヤクモはこれ以上無い程に己の不覚を恥じた。
 どうしてこうも顔に正直に出て仕舞ったのだろうかと呪った所で、元来莫迦正直で嘘の下手な自分の性質ばかりはどうしようもない。
 ……つまり、マサオミの今の指摘は。確かに一部の面ではそう間違いでもない。と云う事だろう。何より、己でも指摘の少し前に達しかけていた解答でもある。
 それがマサオミの今思っている(だろう)様な戯けた事ではないとだけは全身全霊で断言出来るが、そうと取られてもおかしくない表情と沈黙とを見せて仕舞ったのは不覚でしかない。このご都合主義男は間違い無く、ヤクモの態度を己の都合の良い様に解釈して浮かれ上がっているのだろうから。
 「ヤだなぁそんな照れてくれちゃうと俺冥利に尽きちゃうなぁもう!苦労して戻って来た甲斐充分って云うか、やっと念願叶って両思いって云うか〜」
 「〜〜だからそれは違う!お前の勘違いだッ!俺はただ、」
 案の定のマサオミの云い種に、ヤクモは真っ赤になった侭で否定の言葉を探すが、説得力も、誤魔化すに足りる言い回しも、取って仕舞った不覚の数々も、否定材料には全く足りない。それでも何とか己の潔白(…?)を証明しようと言葉を募らせ──
 「ただ?」
 「〜──ッ!」
 真っ向から語尾を捕らえられ、ヤクモは危うく出掛かった言葉を何とか呑み込んだ。
 「んん〜?ナニ?アンタ曰くの『勘違い』の理由って。それともやっぱり照れちゃっているだけの出任せかなぁ?」
 にまり、と今までに無い様な質の悪い、にやけ顔と名付けても良いだろうマサオミの満面笑顔は明かにヤクモの動揺を楽しんでいる。
 本当に『勘違い』であったとしても、その理由を云うのに躊躇いのありそうなヤクモをからかい楽しめば良し。
 『勘違い』などではなくマサオミの指摘通りに、照れ隠しに言い訳を募らせているだけならば、結果的に良し。
 恐らくはそんな思惑なのだろう、マサオミの『勝利』の確信を全開にした笑顔を前に、ヤクモは正にあらゆる意味で今までに類のない『絶体絶命』とも云える状況に陥っていた。悔しさやら情けなさやらにぎしりと奥歯が軋む。
 「『俺はただ』なんなのかな〜?言い訳でも本音でも何でも遠慮なく云ってくれて良いんだぜ?」
 「(云えるか!!)」
 流石に今度は出掛かった叫びを何とか呑み込んだ。口にしていたら本当に、『云うに抵抗のある理由』がある事が知れて仕舞う。それをマサオミに看破されれば今度は敗北以上の屈服感に苛まれる事請け合いである。
 (あんな『社交辞令』を叶えようと真剣に、刻まで渡って、来てくれた──だ、なんて)
 云えよう筈もない。
 要するに手前勝手な戯言を引き連れて刻を渡って来たと云う事実も問題だが、『それ』を為して来たマサオミの動機が、誰あろうヤクモ自身にあったと云う事が、許せないのと同時に、
 (云った『気休め』を実行する為に、苦労までして、戻って来たことが──喜ばしかった、だなんて)
 ………やはり云えよう筈もない。
 「なー、どうなんだよ?
 まぁ別にそんなのあってもなくても、アンタがそッんッなッにッもっっ俺に『また』会えて嬉しかった、って云うのはよぉく解っちゃったからさ〜」
 「!!」
 いよいよ堪える気もなくなったか、マサオミはにやにやとした笑いの侭、喉を鳴らして笑い声を上げた。そんな様子を益々真っ赤になって睨み据えながらヤクモは、此奴は心でも読んでいるのかと喉奥で呻いた。流石に問い質して、発言を肯定して仕舞う様な不覚はもうやらかさないが。
 「〜…」
 赤面の理由は最早不覚や指摘にだけではなく、己への憤りも半々になって来ている。どう収拾をつけるべきか、どう誤魔化して終わらせるべきかと、ヤクモは現実的な方向へと何とか思考を持って行くべく、苦々しい表情の下で必死に考えを巡らせていた。
 そこに不意打ちの様に。マサオミの見せていた質の悪い笑顔が、はにかむ様なものへと変化した。
 「俺はアンタに『また』会えて嬉しいからな、ヤクモ」
 蕩けそうな表情で至極幸せそうに、忌憚なくそんな事を云うと、マサオミはこれ以上をからかうでもなく、同意を求めるでもなく、ただその侭そこに収まって仕舞う。
 「………………………………………………そうか」
 言い募る必要も無く、反論する必要も無く。ヤクモはただそうとだけ応え、マサオミの言葉を漸く受け取った。気付いてみればそれは、ここに来て初めての肯定。事実を容認するより先に憤りの方が勝って仕舞っていた為に躊躇いは生じたが──何の事はない。
 拒絶は、否定は、悲嘆よりも怨嗟よりも余程辛いものである事を何処かで理解していたからか、そう首肯する事の出来た己の心に、ヤクモは密かに安堵した。
 会う為だとか愛だとか勘だとか戯言を募ってはいたが、ヤクモが刻渡りと云う事象に対し厳しく云う事をも知っていながら、ただの様式でしか無かった『また』と云う言葉を体現する為に、『戻って』来た。そんなマサオミの、恐らくは本音そのものでしか無いのだろう笑顔を前に、ヤクモは強張った背筋から力を抜いた。脱力、と云うには意識の伴い過ぎた身体の動きに合わせる様に、表情も、頭に昇っていた血も落ち着いて下がっていく。
 ただ、喜ばしかった、と云う一点に於いてならば、それは『また』と云う言葉が叶った事そのものに先ずあって、ヤクモにとってもマサオミにとっても同質である筈だった。
 それだと云うのに何故己ばかりがこんなに煩わされているのやら……全く、フェアではないことこの上ない。
 ちらりと盗み見れば、マサオミはにこにこと惚けた様な笑顔の侭で、頬杖をついてヤクモの向かいに収まっている。その表情で衒いもなく愛だの恋だの嬉しいだのと云って除けるこの男は、もう少し羞恥や慎みを持っても良いのではないか。自分ばかりが真剣に憤って挙げ句眩暈まで憶えている現状を思い返せば、情けないやら腹立たしいやら、溜息しか出そうにない。
 ……或いは、マサオミに余りにも奔放で衒いが無いからこそ、ヤクモの方はそれに呆れるしか無いだけなのかも、知れないが。
 (……………云ったら、間違いなく曲解されて惚気られるだろうな)
 ヤクモはマサオミを別段、嫌ってはいないが、その語る愛だの恋だのと云う謎の成分は今ひとつ理解し難いのが本音である。然し少なからず別れを惜しみ、再会へと喜びを抱ける程度には好意を抱いているのは、不承不承ながら認めるしかない事実の様だ。
 認めるのに抵抗があり、故に憤り猛々しかったのだと気付いて仕舞えば──マサオミ曰くの『照れ』にしか該当しそうにないと思って、憮然と湯飲みへと手を伸ばす。
 (……あ)
 そこでふと気付いて、ヤクモは対面ですっかり寛ぎきっているマサオミへと視線を戻した。両手で己の両頬を支える様に頬杖をついて、目の前のヤクモの事を観察する様な風情で、幸せそうに表情を融かしているその様子を(色々と堪えながら)静かに見返し、小さく息を吸う。
 思えば。何となく今までのやり取りを流して来ていたが、或いはマサオミは端からそれを待っていた様な気がする。会話の流れでも云い種でも、『戻って』来たのだと、まるで懸命に訴える様にしていた。だからこそか、警戒もあってその部分には敢えて触れずにいたのだが。
 ただ喜ばしいだけならば、抵抗はあれど初めからこうしていれば良かったのだ。
 (これも、絆されている、と云うのかな……)
 ヤクモは、吸った息をそっと吐き出す様にして、恐らくはマサオミがずっと待ち望んでいたのだろう、一言を口にした。
 「お帰り」
 それが、肯定でしかない言動であると、理解はあった。
 刻を越えて『また』会いに来た──此処へと『戻って』来たマサオミの行動を、認めて労うと云う。迎え入れると云う。容認だ。
 唐突な言葉に、マサオミは暫し目を瞬かせ、僅かの間何かを窺う様な様子でじっとヤクモの方を見ていたが、やがてその相好を蕩けた様に崩した。幸福だ、としか云い様のない、子供の様に雄弁な表情を湛えた眼差しで微笑んで来る。
 「ただいま」
 言葉と同時に伸びて来た両手に頬を左右から挟み込まれ、そのくすぐったさに混ぜ込む様にして、ヤクモも応える様に目元から力を抜くと、時間をかけて自然に、微笑んで返した。




何だこのらぶらb…、
最終話での「またいつか会えるさ」と云うヤクモの云い種が何か妙〜に意外性や胡散臭いなあと感じられて気になってつい。
ちなみにこの後宗家ズも集めて、第一回・本当に極めきってるのは誰だ選手権を開催する訳です。

なにもかも回り諄い。