Strange Medicine 「はい、お大事に」 カルテに書き付けをする手元からは視線を上げぬ侭の医者に事務的にそう送られ、ずるずると、引き摺られる様に診察室を後にする。 「全く、この年の瀬の忙しくなる時に…」 苦笑を浮かべるマサオミへと肩を貸してくれているヤクモの、ぶつぶつと不平を溢しつつも表情は存外そうでもない横顔をそっと覗き見て、マサオミは密かに笑いを噛み殺す。怪我は痛いし生活にも支障が出る厄介極まりない事だが、こう云う特典がついてくるのであれば、悪い事ばかりでもない。 「いてて、余り乱暴に扱わないでくれって。俺怪我人なんだからさ〜」 「こっちは大掃除やら新年の準備やらで今から大変なんだ。付き添って来てやっているだけ有り難いと思え」 ちょっと甘えを深くしようかと思って云えばぴしゃりと切られ、マサオミはヤクモのその素っ気なさに、慣れてはいるが少しばかり消沈。 患者と看護婦とが行き来をする合間を縫って、昼間の、ニュースと云うには娯楽性の強いワイドショーを垂れ流しているテレビの置かれた待合室へと戻ると、丁度混む時間帯だからか先程よりも随分人が増えている。ヤクモはマサオミの身体を半分支えた侭、空いた席をきょろきょろと探した。 人の増加減少と共にひっきりなしに開いたり閉じたりを繰り返す自動ドアの仕業か、受付と対面する配置にある待合室は少しばかり温度が低い。丁度その事が気になっていたのか、厚手のコートを自らの隣に置いていた老婆が、それを羽織る事で一人分のスペースを空けてくれたのを見るや否や、ずるずると今度はそちらに向かってマサオミは為す術もなく引き摺られて行く。 「だ、だから余り乱暴に…〜ッッ!!」 「…子供でもあるまいし少しぐらいは我慢しろ。これでも気を遣っているんだぞ」 実際動作は不平を漏らす口からは比ぶるべくもない程に丁寧ではあったが、未だ怪我の具合に慣れていないマサオミとしては、どの程度患部を動かせば痛みが起きるのか、と云った加減がよく解っていない。 マサオミの動きに合わせて力を貸す事しか出来ないヤクモには確かに非はないのだが、もう少し丁寧に扱ってくれれば気持ち的に満足になれて万々歳な気がすると云うのに。などと些か自分勝手にそんな事を考えつつも、マサオミはヤクモに支えられて椅子の端の席へと漸く腰を落ち着ける事が出来た。 思わず安堵の吐息を漏らしながら、何処か疲れた様に脇に佇むヤクモへと遠慮無く頭を預けてみれば、一瞬だけその気配が硬くなったものの、こちらが怪我人と云う事を考慮してかいつもの様に払い除けられたりはしない。 (役得役得) 不埒な思考は表情には出さず、「あー痛〜」などと呻きつつ内心はその真逆の感情を湛えて、マサオミは目を細めた。そんなマサオミの様子を斜めに見下ろしているヤクモから、溜息と同時に言葉が降って来る。 「……大体、少し転んだぐらいで骨折するなんて、鈍っているんじゃないのか?」 仮にも闘神士としてどうなんだ、と小声で続けられる言葉に、細めた目の上でマサオミの眉が僅かに寄った。呆れた様なその云い種は、ポーカーフェイスを易々と保てる程に看過出来るものではない。幾ら今は式神がいないとは云え、己はヤクモにも劣らぬだろう実力を持っている闘神士である筈だと自負しているからこそ余計に自尊心が反論を求めてずくりと疼いた。 悲しいかな、きっぱりと断定出来ないのは、色々な意味でも比べる対象が『人外』だからである。 「闘神士云々は関係無いだろ?別に戦闘でポカやらかした訳じゃなくて、俺アンタん家の長〜い石段で転んだんだし」 「闘神士イコール戦闘、ばかりでは無いだろう。気構えや身のこなしの問題だ。気が少し緩み過ぎている良い証拠だな」 ふう、と溜息をひとつついて寄越すと、ヤクモは右肘を立てて手の甲に顎を預けた。左腕でそれを支える様に腕を組むと、すい、とマサオミから視線を逸らして、壁の時計に意識を向けた侭、黙考する姿勢になって仕舞う。 神社と云う家柄故にか、吉川一家(+α)の年末年始はそれはもう忙しく慌ただしいのだとは、部外者であるマサオミも幾度となく耳にしてきている。未だクリスマスが終わったばかりの頃合いとは云え、その準備は早めに行わなければ色々と支障が生じるのだろう。 そもそも俄現代人のマサオミには現代の、年末年始の人々の忙しなさの基準と云うものからそもそも良く解っていないのだが。 そう考えれば、その忙しさの最中マサオミの為にわざわざ駆り出されてくれているヤクモの些少な苛立ちや不平にも頷けるので、マサオミはそれ以上の反論を諦めた。 素っ気なさが常の何割か増しなのは少々悲しいものがあったが、ただでさえ不機嫌寄りなところ、わざわざ怒らせる様な事をするのは宜しくない。 これも立派な気遣い、などとマサオミが鼻息荒く思った所で。 「要介護人が一人増えたどころか予定より人手は減るしで……今年も忙しいのは変わりなさそうだな…」 思考を巡らせた侭の風情で、ぽつり、と恐らくは無意識にだろうそんな本音を漏らして仕舞うヤクモを斜めの視線で見上げ、マサオミは今度こそ完全に消沈しきってがくりと頭を垂れた。 (『お手伝い』一名脱落でそりゃ申し訳ありませんでしたね……) 胸中でぶつぶつと呻いて下方を向けば、至太白神社への石段をうっかり何段か転倒して骨折した己の足の有り様が目に入る。 右足を確りと包み込んでいるギプスはなかなかに堅固そうな風情で、がっちりとマサオミの足を保護している。骨折の基本は骨の癒合まで兎に角しっかり固定する事、だそうで、ギプスで固定された足は全く自由になりそうもない。当然感覚もないので歩く事さえ出来ないのは云う迄もなく。 これでは少々見栄を張ってみたくとも、見事に何も出来ないどころか却ってヤクモ達の手を煩わせて仕舞う事請け合いである。 (まぁ確かに情けないよなあ……) 思わずごちて心の中でだけ泣いておく。矢張り少々冷えるのか、組んだ腕を幾度も落ち着き無く動かしているヤクモの腰に抱きつきたくなる衝動は何とか堪えて、代わりに思う存分寄りかかってやった。 「大神さーん、受付までどうぞー」 と、そこにカウンターの向こうの事務員の女性の声が響き、マサオミは「お」と目を開いた。 「は」 「はい」 声を上げかけたマサオミの代わりに、あの凛とよく通る声であっさりとそう返事を返すと、ヤクモは己に寄りかかっているマサオミの頭をぐい、と傾斜90度の正位置へと戻してから受付に向かってさっさと歩いていって仕舞う。 「…………、」 思わず呆然とその背中を見送って、機械的に姿勢を正されたマサオミは顎をぱかんと開いた侭、忙しなく瞬きを繰り返した。 その視線の先でヤクモは処方箋を受け取り精算を済ませていた。その途中、診察室から出て来た看護婦に松葉杖を借り受け、それに丁寧に礼を返すと、どうと云う事もない様子でマサオミの元へと戻って来る。 「ほら、松葉杖。使い方は解るか?…………マサオミ?」 「え、あ、」 渡された二本の、奇妙な形状をした杖を反射的に受け取ったマサオミは、真正面で顔を覗き込む様に見遣って来るヤクモをまじまじと見返して──それから口元が情けなく弛むのを自覚した。していて止まらなかった。 「…………………打ったのはまさか頭の方だったのか?」 唐突ににへらと表情を笑ませたマサオミの姿を、何か奇妙なものを見る様な目つきでヤクモは見下ろした。コートに袖を通し帰る支度をしながら訝しむ様な視線を更に向けてくる。 「いや…ね、」 使い方もよく解らない松葉杖を二本ともまとめて持って、それを支点にマサオミは何とか身体を起こすと、不審そうな眼差しを向けつつも背中にコートをかけてくれようと近付いて来たヤクモの肩に、抱きつく様にして顎を乗せた。 役得、と云うよりこれはある意味では特効薬かも知れない、などと思って、最早隠さずに崩れきった笑みで、喜悦に肩を震わせて感極まったその侭の勢いで云う。 「だってさ〜、『大神さん』って呼ばれてヤクモが『はい』なんて返事してくれちゃうなんて、俺達まるで夫婦みたいじゃないか……!!」 くうッ、と拳さえも握って感動に打ち震えるマサオミに貼り付かれた状態の、ヤクモの肩がぴくりと揺れた。次の瞬間。 「☆@*;〜・。:?!!!!!」 堅固な筈のギプスの上から突き抜ける様な衝撃と痛みが走り、マサオミは悲鳴にならない悲鳴を上げると、尻餅をつく様に椅子に逆戻りした。はっとなって見上げてみると、そこには絶対零度にほど近いヤクモの冷たい笑顔がひとつ待ち構えている。 「松葉杖もあるしもう肩を貸さずとも問題はないな?後は適当にひとりで帰って来い」 「ちょ、ちょっと待てヤクモ…!!〜痛たたた!」 靴底跡のくっきり残ったギプスを、思い切りリノリウムの床に着けて立ち上がりかけて途端痛みに呻くマサオミには全く頓着した様子もなく、視線の先にはかなり本気で歩調荒く立ち去ろうとしているヤクモの姿。 「幾ら何でも怪我人を放っておいたらいけないだろ!?て云うかちょっと嬉しくなっちゃったんだから仕方ないだろうが〜!」 咄嗟に記憶から見様見真似で松葉杖をついて、マサオミは本気で不機嫌になったか足を止める気配すら見せないヤクモの背中を慌てて追い掛けた。 何つーかありがちな…。うちの吉川さんはどこまでも大神さんに真っ向からは振り向く心算ないんだなとつくづく。 惚気への処方箋は意趣返し。 |