鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす



 覗き込んだ居間に、果てして目当ての姿はあった。
 「よぉ、久しぶりだね〜…、って、どこか出かけるのか?」
 笑みを添えてひらりと振った手が、然し目の前の光景にぐにゃりと力無く折れる。そんなマサオミの視線の先には、この家の住人の一人であるヤクモが何やら鞄を拡げている姿。
 そのヤクモは、度重なるマサオミの来訪に既に慣れているからか、ちらりと一瞥を向けたのみで、目の前の荷物に再び向き直って仕舞う。
 「少し東北の方に。最近鬼門の周辺でちょっとした妖怪騒ぎの様なものが起きているらしくて、それの調査に向かう事になってな」
 「妖怪騒ぎ?」
 問い返しながらマサオミがヤクモの手元を覗き込んでみれば、小型のリュックに、下着や簡易的な救急キット、よく解らないツールセット、地図や資料などを詰めている最中の様だ。東北と言えば少々距離がある。泊まりになると言う事かと、マサオミは落胆に眉尻を下げた。
 伏魔殿は嘗ての大戦でその殆どが崩落したが、位相空間そのものの存在が消滅して仕舞った訳ではない。伏魔殿の幾つかのフィールドは欠片となって空間を漂っており、妖怪の数も依然として多い侭だ。
 ウツホの封印、と言う形で安定していた伏魔殿は、その内部構造の崩落以降、安定性を欠いている。元々鬼門とは空間の連結面である為に、内部で起きた何らかの拍子に妖怪が漏れ出て来たり、人を鬼門の内側へと引き摺り込む様な事も稀にだが、あるのだ。
 崩落した伏魔殿の状況や状態は殆ど解明されておらず、未だ大して進まぬ『調査中』。その為、各地の闘神士やMSSの人員が日々その調査に明け暮れていると言う訳だ。
 「ああ。ムツキさんの所からの依頼でな。MSSで調査は行ったが、心配があるから念の為に俺にも見て貰いたいと言う話だ。どうやら俺は『伏魔殿の第一人者』なんて呼ばれてるらしいからな」
 中身を確認した財布を取り出し易い所に仕舞うと、リュックのジッパーを閉じた所でヤクモは一息ついた。マサオミは勝手に卓の前へと座りながら、ヤクモのその言い種に思わず苦笑した。
 確かに、神流を除けば──否、ある意味で神流以上に伏魔殿を歩き回っていたヤクモだ、第一人者と言う評価はあながち間違ってもいない。
 「そう言やアンタ、どの位の間伏魔殿を調査していたんだ?しかも天流が、しかも単独でなんて」
 言いながら、これまた勝手に卓の上においてあった、盆の上の茶筒を手にとって急須に茶葉を放り込む。
 最早勝手知ったる何とやら。マサオミにとって太白神社も、その敷地内にある吉川家も、別宅と言った感覚なのだ。こうして勝手に庭から居間に直で入って来て、勝手に茶を煎れても特に誰が文句を言うでもない。
 茶葉を入れた急須にポットからお湯を注ぐと、荷物の点検を終えたヤクモが当たり前の様な動作で湯飲みを差し出して来た。受け取って急須を軽く回すが、まだ流石に茶は出ていないので注がない。
 マサオミの向かいに座したヤクモは、暇つぶしの話に付き合ってくれる気になったのか、うーんと考える様な仕草をしながら眉を寄せた。
 「地流が伏魔殿に立ち入っていると言う明確な情報を、そもそも掴む事が出来たのが遅かったからな。大体…、そうだな、お前に遭遇した頃から見れば……、一年少々ぐらい前かな?」
 指折り数えた所でヤクモは、片肘を立てた手の甲に顎を乗せた。心なし浮かない顔である。
 「それに、お前の言う事も尤もだ。天流は基本的に伏魔殿には近づくべからずと厳命していたからな。俺も存在は知っていたが、開けば妖怪が出ると言うリスクもあったしで、易々調査に踏み切ると言う事も出来なかったんだ。もう少し早く行動を起こせていれば、地流の、多大な犠牲を払った大鬼門の建造も阻止出来ていたかも知れない」
 ヤクモの言う内容から、成程浮かない表情にもなる訳だ、と思ったマサオミは、そろそろ出ただろう茶を湯飲みに注いでやった。
 地流が大鬼門の建造の為に払った犠牲は多大だった。そもそも伏魔殿についてすらよく知り得ない手探りの状態から始めたのだ。幾多の闘神士と式神の命──或いは絆──が奪われたか、と言うのは、想像の上でも気鬱に余りすぎる。
 「結局、単独で名落宮から伏魔殿に入って、闘神石を何とか一つ手に入れて。それからはこの近所にある天流の鬼門から結界を張って入る様にしたんだが、大分遅れを取って仕舞った」
 マサオミの差し出した湯飲みを受け取りながら言ったヤクモは、啜ろうとした茶の温度に顔を顰めた。熱かったらしく、行儀悪くも舌を出して顔を顰めている。
 「そうか、アンタは確か名落宮に直で行けるんだったな」
 別に直でも何でも好んで行きたい場所ではないが、とは飲み込んで、マサオミ。ヤクモはどうやら名落宮に住んでいる変わり者の式神と顔見知りらしく、名落宮へ直通の『道』を開く事の出来る符を授かっていると言う。
 その時点で規格外を通り越した、それ本当に闘神士なの?と言いたくなる様な状況なのだが、ともあれヤクモは伏魔殿どころか名落宮にさえも自由自在に行ける、唯一の闘神士と言って良いだろう。伏魔殿を忌避する事を厳命していた天流としては例外中の例外だ。
 「それなら、当初からかなりキツい環境だっただろう。よく無事だったな」
 感嘆とも呆れともつかぬ調子で言うとマサオミは、熱い入れ立てのお茶を小さく啜った。猫舌では無いのでへっちゃらだ。
 名落宮の座標は伏魔殿のそれとは合致しない。同じ位相空間上にある、と言うだけの共通点しか無いのだが、空間の『深度』で合わせてみれば、伏魔殿に於いては相当に深い地点になる。深い地点からのスタートと言う事は、当然だがそれだけ伏魔殿の凶悪さと危険性も増すし、神流たちの縄張りと言っても良い地帯に放り出されるも同然だ。
 (成程ね。だから地流がまだ表層をうろついていたぐらいの比較的早い段階でも、神流にヤクモの──天流の侵入者の──存在が知れてたって訳か)
 表層から探索を続けていた地流闘神士たちは神流に遭遇する事も滅多に無かったが、いきなり深部に現れたヤクモはそうもいかなかっただろう。神流にとっても、鬼門には立ち入らない筈の天流の、しかも随一の闘神士が目の前にいきなり現れたも同然の事態は、それこそ青天の霹靂だっただろうが。
 当初、仲間を次々倒されて焦りつつも、余計なプライドが邪魔をしてマサオミやタイザンへ報告が出来ずにいた神流闘神士たちの事を何となく思い出しつつ、マサオミは頬杖をついた手に持った湯飲みをくるりと回した。呆れとも苦笑ともつかぬ調子で言う。
 「そりゃ年季も入るってもんか」
 「お前ほどじゃないさ」
 マサオミの言い種をあっさりと躱すと、ヤクモは息を吹きかけて少しぬるくしたお茶を啜った。
 「とは言っても、俺はこの時代に来てからは結構頻繁に外に出てた…って言うか寧ろ、外で生活していた時間の方が長いくらいだが、アンタの場合は逆だよな」
 湯飲みから指を外すと、思いついてマサオミは卓の上へと少し身を乗り出した。伏魔殿に引き篭もり状態だったあの一件は、矢張り未だにばつの悪さを憶える話題なのだろう、ヤクモは馬鹿正直にも若干視線を游がせる。
 「……まぁそれについては、少々不健康だったのは自覚している。何しろ伏魔殿の中は時間の流れが曖昧だからな。自分では数日程度の滞在のつもりが、外に出たら何ヶ月、なんて事もあった」
 「…………本当、よくアンタ生きてたよな…。伏魔殿サバイバーって意味じゃ、神流より余程にアンタの方が堂に入ってる」
 気力と体力を大きく消耗させる伏魔殿では、数時間程度でも人に因っては昏睡の危険性もあるのだ。そんな中で、結界を張って安全や『空気』の循環を確保していた神流の拠点でも無い所で、幾日も過ごすと言うのは、伏魔殿に慣れているマサオミでもぞっとしない。
 改めて目の前の闘神士の規格外ぷりを思い知らされた気がして、マサオミは脱力に任せる侭に溜息をつくと、卓の上にだらしなく上体を倒した。普段ならば、マサオミのだらけた態度を見ると何らか咎める様な視線ぐらいは寄越すヤクモだが、今回はそうせずに、自嘲めいた柔い笑みを浮かべてみせた。
 「それでも、結局俺は間に合ったとは言い難いからな。今にして思えば、もう少し頻繁に外に出て来て、リクや他の闘神士たちと情報共有をしておいた方が良かったのかも知れない」
 年下の子供らに、天流の過去にまつわる事で負担をかける訳にはいかないと判じた、ヤクモなりのそれは配慮であったのだが、それが個人主義になり過ぎたと言う思いは否めないのだろう。
 然しマサオミは「そんな事はない」と、落ち込んで見えるヤクモの横顔に向けて声を上げた。
 「もう何分かでも早く到達されていたら、俺とキバチヨはアンタに負けていた。実際あの時、ウツホ様がいなければ、俺はとっくに闘神士を降ろされていただろう」
 励ましたかった、と言うよりはむきになったのだと、自分でも解った。マサオミが、彼らしくもなく正直に負けを認める様な言い方をした事が気にかかったのか、ヤクモが驚いた様に瞠目する。
 「とは言ってもな。月の勾玉を持っていない俺では封印の地に降りる事さえ叶わなかったんだぞ。お前とキバチヨは、扉を開いて、月蝕までの時間を凌いで、俺に結果的には勝利している」
 ヤクモの言い分も、これまた彼らしくない譲歩が出ていたが、マサオミはこの件についてを譲るつもりは無かったので、歯切れ悪くも続ける。
 「なんて言うかな…、人としては結局アンタに負けたなって思うんだよ。いや、闘神士としてもかな。あんな勝ち方は、今振り返ってみればあり得ない。姉上たちの為に、キバチヨも、俺も、犠牲になっても構わないなんて、エゴが過ぎた」
 口にしながらも、何情けない事を暴露しているのだ、と自分でも思えてはいたのだが、マサオミは顔を顰めつつも言葉を止める事が出来なかった。
 説得とある程度の手心。全てを喪っても構うまいと向かったマサオミに対して、ヤクモは当初から全力でマサオミとキバチヨをねじ伏せには来なかった。五行の式神と五行の力とを最初から直接ぶつけられていたら、月蝕を待たずしてマサオミは敗北していた。
 言って仕舞えば、ヤクモの甘さこそがウツホの復活とマサオミの勝利を許したとも言える。大鬼門を介してウツホはその影響力を現世にまで伸ばしてはいたが、式神の契約を奪ったり戻したりする能力まではあの時点ではまだ発現出来なかった筈だ。つまりは、マサオミとキバチヨとが助かる確率は万に一つも無かったのだ。
 それでも全てを擲とうなどと言うのは、単なる自己満足でしか無かった。その後、姉や仲間たちがどんな思いをするかなど、当時のマサオミは考えてすらいなかった。
 故に、あの勝利は今思い出してもマサオミには苦い記憶をもたらす。ヤクモの側にも同じ事が言えるのかも知れないが、負い目があるだけに矢張り、易々看過する訳にはいかない。
 果たしてマサオミのそんな泣き所を正しく解しているヤクモは、突っ伏した姿勢のマサオミの額をつんと突いた。むっとして見上げてみれば、妙に穏やかな表情に出会う。
 「だが、お前は気付けただろう。俺が言う迄も無くな。お前は式神を使って俺(ひと)を殺せと言う、誤った命令を式神の為に拒絶した。それを見て、俺はきっと、お前なら──お前たちなら正しき道を歩めるだろうと信じたからこそ、お前にその後を託す事が出来たんだからな」
 「その時点じゃ、解っていたなんて到底言えなかったさ。あそこまで永い時を苦労して、漸く姉上が戻って来て下さったんだと言う、安易な偽に飛びつく方が楽だったからな…」
 飽く迄、浮かべた穏やかな笑み同様に優しいヤクモの言葉に、マサオミは決まり悪く唇を尖らせた。どうにも拗ねている様な態度になって仕舞うと思って、は、と溜息を一つつくと切り替える様に目を閉じ笑った。
 「アンタに言われて『戻って』来て初めて、俺が色々誤っていた事に気付けた気がするよ。アンタの説得に聞く耳を持たなかったのも、真実を知らしめられるのが怖かっただけだったんだろうしな」
 そんなマサオミを黙って見ていたヤクモだったが、そこで不意にぽんと手を打った。
 「そう言えば、あの時お前は泣いていたよな」
 そうして放たれた唐突に過ぎる一言に、マサオミの動作も思考も固まった。
 「……は?」
 「見事な号泣だったからな。よく憶えている。リク達から聞いていた話と総合してみると、思うにお前は感情的に過ぎるんだろうな」
 呆気に取られるマサオミを置き去りに、ヤクモは何やら一人で納得した様にうんうんと頷いて、茶をゆっくりと啜った。長い間解けなかったテストが漸く解けた、とでも言いたげな、どこか満足そうなその様子に、マサオミは再び卓の上へと身を乗り出した。余りの言い種と態度とに、流石に眉間にもぐっと皺が寄る。
 「いやちょっと待って、何でそんな話になってんの」
 「いやあ、」
 近づいたマサオミの顔から、距離を取る様に背を少し反らすと、ヤクモは人差し指を立てた。
 「感情を抑制して言いたい事も言わない、言えない、なんて言うのは不健康極まり無いだろう?」
 リクが当初そんな感じだったとコゲンタも言っていたからな、と付け足しつつ、続ける。
 「ただでさえ偽の仮面を被って相対して、肚の底の感情を表に出す事が出来なかった代わりに、あの胡散臭い喜怒哀楽を作っていただろう、お前は。その分、本心となると全てが明け透けに出て仕舞う、と言った所だったんじゃないか?」
 「…………」
 「その反応の方が余程健全な人間だろう」
 言って器用に片目を閉じてみせるヤクモの顔を、むすりとマサオミは見返した。こう見えて彼が時々妙に洞察の深い所を見せると言う事はよく知っているつもりだったが、こうも真っ向から確信顔で指摘されるとは思わず眉間が苦々しく寄る。
 言われてみれば、泣いたり叫んだり、感情の昂ぶる侭に色々とぶち撒けていた記憶がマサオミ自身にも何となく残っているのだが、自信満々に指摘を寄越して来るヤクモの手前、易々と認めてやりたくもない。
 「いやいや、良い歳こいてそんなめそめそ泣いたりする訳ないだろうが。あの時はホラ、姉上の事もあったしでちょっと例外だって」
 「…まあ別にそれでも構わないが」
 肩を竦めるヤクモには、マサオミの強がりぐらいは軽くお見通しだったのだろう。その事に少し苛ついたマサオミは、勝手に二杯目のお茶を注ぐヤクモの鼻先へと人差し指を向けた。
 「そう言うアンタはどうなんだよ?それこそ泣きたいぐらいの重傷だっただろうに、ナズナちゃんやソーマの手前、気張ってたの見え見えだったが?」
 誰の所為だ、と逆に返されそうな気もしたが、ヤクモは真顔であっさりと、
 「生憎と痛みには強い方だからな。そんな事では泣かないさ」
 そんな事を言って二杯目のお茶を啜ってみせるのだった。思いの外普通で真っ当だったそんな言葉に、嫌味のつもりで投げたマサオミは脱力して、ぐにゃりと下がった人差し指でヤクモの肩口を軽く指さす。
 「…………まぁ確かに、アンタ全身至る所に古傷いっぱい残ってるもんなあ」
 その背に大きな傷が残っている事をマサオミは知っている。腕や足にも、大きなものから細かなものまで、沢山。
 通常、式神同士を闘わせる闘神士がその命を脅かされる事は殆ど無い。だが、ヤクモの身に刻まれている傷は、明らかに闘神士の命を直接狙われたとしか思えない様なものも多く、彼の経て来た戦いの苛烈さを物語っている。
 「痛くない訳ではないが、いちいち痛がってたらやってられない。だから我慢強さは結構鍛えられてる方だと思う」
 指す指をまるで躱す様に肩を上下させるヤクモを見て、マサオミは溜息混じりに元の位置へと戻った。このあらゆる意味で規格外の伝説の闘神士様は、他人には無駄に聡い癖に、己の事には酷く無頓着なきらいがある。
 「そうは言っても、アンタだって偶には泣いたり怒ったりする事ぐらいはあるだろ?」
 感動する映画を見た時とか?と続けかけたものの、映画館で泣いているヤクモの想像がつかなかったので、マサオミは浮かべかけた想像を撤回した。
 「多分…、最後に号泣したのが…、コゲンタとの満了の時だったと思う。それ以降は特に思い切り泣いたとか、そう言う記憶は無いな」
 「……やっぱアンタの方が余っ程不健康なんじゃないの?」
 「あの頃は、いちいち泣いたり振り返ったりしている余裕も無かったんだ」
 「……」
 言う言葉の割にはけろっとしているヤクモに向けて大きく、全身からこぼれる様な溜息をつくと、マサオミは手をつと伸ばしてその頭を撫でてやった。それが不意打ちだったからか、ヤクモは彼にしては珍しくも、虚を突かれた様にきょとんとしている。
 ひょっとしなくてもヤクモは、態と自分を使命感や大義名分で縛る事で、色々な事を考えない様にして来たのではないかと、マサオミはそんな事を思った。だからこそあの意志の強い眼差しは常に、過去には向かずに未来だけを見据えていられたのかも知れない、と。
 過去を取り戻すと言う事に囚われて、未来(さき)を見る事すら出来なかった己を思えば、少々痛い所ではある。マサオミはまだぽかんとしているヤクモの頭を撫でながらそっと苦笑をひとつ。
 「その内アンタを泣かせてみたいな」
 「…そう言われると、何が何でも泣いてやるものかと言う気にもなるな」
 目を閉じて小さく笑うと、ヤクモは自らの頭を撫でているマサオミの掌をやわい仕草で除けた。お茶を干すと、壁の時計を見上げてから立ち上がる。
 「さて。それでは俺はそろそろ出立する時間だ」
 「バイクもあるし、後から追って行きますよ」
 湯飲みを傾けながら掌をひらひらと振るマサオミに向けて、「矢張りついて来るつもりなのか」とヤクモは呆れ声で言うものの、よくある事なのでわざわざ抗議も拒否も寄越さない。
 「近づけば近づくだけ、機会は増えるからねぇ」
 「……物好きだな」
 笑って言うマサオミに肩を竦めてみせると、ヤクモは先頃点検をした鞄を左肩に担ぎ上げ、神操機を腰の後ろに下げた。その横顔が既に闘神士のそれになっている事に気付いたマサオミであったが、ふと思いついた言葉が自然と口をついて出る。
 「あ、まぁでも夜はよく泣、」
 然し言いかけたところでこれはまずいと我に返り、咄嗟に両手で口を押さえた。
 「何か言ったか?」
 「……」
 幸いにも聞き逃してくれたらしいヤクモに、マサオミは無言でぶんぶんと首を振って返す。迂闊な事を言って符で固められたくなはい。どうせ見るなら怒り心頭の姿よりは泣き顔の方が良い。
 「? …まあ良い。じゃあ行って来る」
 「ハーイ、気をつけてな」
 上着を着て出て行くヤクモの背中辺りに、神操機から漂った殺気の様なものが凝っている気はしたが、マサオミは気付かぬ素振りを決め込んだ。絶対零度の毒舌でちくりとやられるのも御免だ。
 そうしてヤクモが出て行った居間の中、一人残されたマサオミは、ずず、とお茶を啜った。もう大分ぬるくなって仕舞っているそれで、今度はゆっくりと喉を潤す。
 「いつか絶対泣かしてみせるからな。アンタの弱音とか涙とかを直ぐ拾える様になるまで、離れてやるつもりは無いんでね」
 宣戦布告の様な呟きではあったが、それを受け取る者も聞き咎める者もいない。我ながら回りくどい話だと思いながらも、マサオミは湯飲みを卓へと置くと、ヤクモの後を追うべくそっと立ち上がった。




十年ぶりくらいなのでリハビリ感で、本篇妄想補完を挟んだ会話をして貰っただけ。
マサオミって暗躍キャラの癖に結構感情表現が大袈裟と言うか、見られてない所では泣いたり変顔したりと凄く解り易い人だよなあと。
ヤクモの方が余程に感情を隠すのが上手だったと言うか。本篇中の厳しい表情の凝り固まりっぷりが何ともね。一方で笑ってみせる事でリクやソーマやナズナを安心させようとしていたのはバレバレだったけど。

泣かないのは泣かずに済んでいるからなのです。