ザッフォーの詩聲



 「………静かだなぁ」
 森林浴だかフィトンチッドだか知らないし伏魔殿の木々にそう云った効能があるかも定かでは無かったが、ともあれ森はヤクモがそう口にした通りに静まり返っており、穏やかな風情そのものでいた。
 そう深く野放図に拡げられた森ではない。地面もなだらかだし木々も行く手を遮る程の有り様でもなく、まるで何処かの公園かハイキングコースの様だ。
 『整えて植樹された地の様でおじゃる。これは大昔の闘神士が何かの目的で手を加えたのやも知れないおじゃるよ……多分』
 「別荘でも設けようと思ったのかもな」
 きょろきょろと辺りを見回すサネマロにそう冗談めいた云い種を投げて、ヤクモは小さく深呼吸した。森の様子や組成がどうであれ、大自然を模したフィールドは矢張り心地が良い。時間や心に余裕があればのんびり一休み、と行きたい所だが、そうも云ってられないのが生憎の現状である。
 ついぞ数日前に大火の式神を連れた神流闘神士と一戦を交えて以降、ヤクモの周囲は概ね平穏の一言に過ぎた。相変わらずちらほらと姿を見せる闘神士約一名を除けば、あれだけ苛烈だった神流の追跡の手はどう云った訳か緩くなっている様に思える。
 いよいよ神流も人員不足なのか、それともあの大火使いが予想以上に腰抜けだっただけなのか。はたまた他の些事にでも追われているのか。
 ヤクモとしては平和な事に越した事はないのだが、今までの神流の連日息をつく暇も無かった妨害っぷりを思えば、彼らの最近の静けさは些か拍子抜けと云えた。
 嵐の前の静けさと云う言葉もある。静かである事そのものに問題はなんら無いが、自分のしている事と神流の存在とを思えば、この平穏を有り難いとのんびり享受する気にもなれない。
 神流にとって天流のヤクモと云う闘神士が厄介な敵扱いされている事は、今更改めて想像する迄もない事実だ。連中の『ウツホを復活させる』計画とやらの核が伏魔殿外で今も動いているとは云え、肝心の封印に迫っているヤクモの存在を易々と看過してくれる筈も無いだろう。
 「普通こう云うのは、核心に迫れば迫る程妨害が苛烈になるものだと思うんだが……」
 ヤクモがそうぼやくのは、心配性だから、と云うよりも寧ろ真っ先に至るべき疑問だからである。伏魔殿の探索も既に──数えたく無い程の月日を経ているし、消費してきた時間は事実として、伏魔殿の最奥に迄至っている、と云う結論をも示している。
 ウツホの封印が存在する場所が限りなく『底』にあるだろう想像も最早易く、其処に至るのも恐らくそう遠い事ではあるまい。
 「手が回らないだけ、とか、追跡出来ていないだけ、なら別に構わないんだが」
 渺茫たる伏魔殿での、目的への手がかりはほぼ神流にある為、必要に応じてヤクモは敢えて彼らの『追跡し易い様』に行動を取る事もある。
 ──の、筈が肝心の『敵』は姿を見せず、ヤクモの前へと現れるのは始終暇そうな正体不明の闘神士一名ばかりと云う現状。これを良い事と取るか悪い事と取るかは実のところ可成り判断として微妙なのだが、何れにしても静けさは静けさ。平穏は平穏だ。
 『噂をすればなんとやら、と云いますからねぇ。そろそろ厄介事が転がって来そうな頃合いだと思いますよ〜?』
 四本の腕の内一本を目の上に翳して、リクドウ。ヤクモは少し考えてから一応同意した。
 「厄介事に比例して事態が進行するのは──…認め難くはあるが事実だからな。願って良いのやら良くないのやら」
 物騒とか不謹慎と云うよりは些か怠惰な発言ではある。そう思って仕舞ったからこそ、ヤクモはまるでそれに応える様なタイミングで前方から沸き上がった不穏な気配へと剣呑な眼差しを向けずにはいられなかった。
 「善し悪しは兎も角として、願った訳でも無いんだけどな。別に」
 『……正しく、噂をすれば、って云う所だね』
 「全くだ」
 にょろん、と擬音の付きそうな仕草でヤクモの顔の真横に霊体を滑らせるタンカムイに溜息と共に頷きを返すと、ヤクモは一転して真剣な面持ちを前方へと向けるなり大地を蹴った。
 遠く、木々の天蓋に遮られぬ青空の中に、暗雲めいた妖怪の群れが躍り上がっていくのをちらりとだけ見上げて、ヤクモは胸中で密かに呟く。
 せめて、これがこの膠着めいた事態を解消させる類の『厄介事』であれば良いのだが。
 
 *
 
 ざん、と軽い手応えと共に背後に迫っていた妖怪の群れが一掃されるのを、振り返りもせず気配だけで感じながら飛鳥ユーマはひた走っていた。
 片手の中には残数も不安になった符が数枚と、信頼の名の神操機。そうしてもう片方の手に繋がれているのは、絶対にこんな所で離し喪う訳にはいかない大切な存在。
 「も、もう…、駄目、走れない…!」
 息を切らせて、今にも倒れて仕舞いそうなか細い少女の身体は、繋いだユーマの手に引かれて辛うじてまだ立ってはいるが、そろそろ彼女の言葉通り限界に近い。
 「頑張れミヅキ、あと少しだ!──っランゲツ!!」
 声に応える様に、黒き白虎の式神がその巨躯からは想像もつかぬ素早さで、契約者たる飛鳥ユーマとその連れる少女ミヅキとに迫っていた妖怪の群れへと飛び込み剣を振るう。
 軽い手応え同様、妖怪達は僅かの衝撃でも軽く吹き散らされる類のものではあったが、些か量が多すぎた。刃に断ち斬られたその傍から新手が湧き出し彼らの行く手を無情にも遮る。
 「あっ!」
 「──ミヅキ!!」
 遂に、がくん、と崩れた少女の身が大地に投げ出される。慌てて駆け戻ったユーマは彼女を抱え起こすが、一度頽れた人間はそう簡単に再び立ち上がれるものでもない。
 生死のかかっている自覚が一応はあるからかミヅキは何とか藻掻こうとするのだが、急激な疲労で萎えた足は全く動いてくれそうになく、必死で己の手を引くユーマへと、彼女はかぶりを振るしかない。
 「もう、駄目…、これ以上、走れない、わ、」
 「何を云うんだ!俺はお前と約束したんだ、必ず生きてお前を連れ帰ると!ミヅキ、頼む、あと少しだけ頑張るんだ!」
 諦観の念強いミヅキを励ます様に声を荒らげるが、かく云うユーマの疲労もまた限界に近かった。体力と気力の消耗激しい伏魔殿で、ここまで全速力で走りつつ、式神をも降神させているのだ。幾ら日頃闘神士として、人として鍛えている身とは云え、そろそろ潮時である事は誤魔化しようもない事実だ。
 だが、だからと云ってそこで諦めて仕舞える程に、飛鳥ユーマは簡単な人間でも無かった。
 闘神士として経験を重ねて来た自負はもちろん、自分の所為で闘神士を降りさせて仕舞った少女を守る事が今出来るのは己しかいないのだと、課してもいたからである。
 嘗て闘神士、地流宗家の義娘として毅然と在ったミヅキは、闘神士を降りてその記憶を失ってからはまるで幼い少女の様に成り果てて──或いは戻って──仕舞った。感情表現は苛烈だし、我侭も云う。状況が今ひとつ理解出来ていない事もあって、ユーマを敵視もした。
 然しそれは全てユーマ自身の責でもあった。ミヅキがこうなっていなければ、代わりに今『こうなって』いたのは──ランゲツを喪っていたのは、自分の方だったのだから。
 だが、仮令そんな理由がなくとも、ユーマはミヅキを見捨てる事など出来なかっただろう。
 親に勝手に決められた婚約者。そんな存在を一時は疎ましく思った事もあった。馴れ合って遊んでいる暇があったら修行をして強くなるべきだと、何度も彼女に冷たく当たった。
 それでもミヅキはユーマを、飛鳥兄弟を見捨てたり見限ったりしなかった。裏切り者の親を持つ身として、地流内部で蔑まれ続けた彼らを、いつでも見守ってくれていた。
 そんな彼女の優しさや想いに気付いていながらも、敢えて気付かない振りを続けていた己を、ユーマは今こそ呪っていた。
 喪うまで気付く事もしなかった己を何処までも罵って、まるでその代償の様に。贖罪の様に。彼女を守り、現世へと連れ帰る事を誓ったのだ。
 「ミヅキ、少し大人しくしていてくれ」
 「え…、?!」
 決意を改めて力に変えると、ユーマはミヅキの体を抱え上げて再び駆け出す。その背を守る様に、信頼の名の式神が後に続く。
 これ以上無い様な絶体絶命の状況に在りながら、その口元は酷く頼もしげに、笑みさえ浮かべて契約者の姿を見つめている。
 それは果たして信頼の為せる業なのか。
 「消えろぉッ!!」
 怒号と共にユーマの手から符が放たれ前方に回り込んだ妖怪を次々消滅させ、背後から迫る新手は黒き白虎が次々に散らして行く。
 「──!ユーマぁあ!!」
 周囲に当て所なく拡がっていた草原が途切れ、森らしき陰が前方に見えて来る。木々の狭間へと逃げ込めば妖怪の追跡から逃れるのも楽になるだろう。この侭行けるか、と、ユーマが僅かに気を緩めたその瞬間、突然の白虎の絶叫に我に返る。
 符の効果の範囲外から、逃れた妖怪達がひといきに、ユーマとその抱えるミヅキへと迫ろうとしていた。
 仕留め損ねた、と冷静な思考が背筋に冷や汗を伝わせた。ランゲツがこちらへ向かって来る気配はあるが、到底間に合わないと、闘神士としての経験が何処かでユーマに理解を促す。
 これで死ぬ事が仮令無いにしても、負った負債は確実に彼らの寿命を縮める。何しろ此処は現世の決まり事など通じぬ伏魔殿なのだから。闘神士としての記憶や、式神を喪う程度で済む世界では無いのだから。
 「、くそッ!!」
 だが此処で諦める訳には行かないのだと、腕の中の重みで知る。ミヅキの願いの為にも──彼女の犠牲を、想いを、無駄にしない為にも。彼女を守る為にも、この信頼を失う訳にはいかないのだ。
 戦いの意志──ランゲツへの信頼を僅かたりとも揺らがせぬ侭、ユーマはミヅキを庇う様に抱き込んで身を伏せた。一撃を凌げばランゲツが妖怪を倒してくれる。怪我程度で済むならば安いものだ。
 その揺るぎない信頼へと応える様に、ランゲツの駆ける速度が僅かに増したかに見えたその時──、今正に二人に襲いかからんと迫っていた妖怪が突如弾け消失した。
 「む、?」
 ざ、とユーマの傍らで足を止めたランゲツの訝しむ様な声音を待っていたかの様なタイミングで、次々に周囲の妖怪達が消滅して行く。
 はっとなって顔を起こしたユーマの目に映ったのは、滄く明滅する鮮やかな出来映えの、符に因る障壁だった。それに触れた途端妖怪達はあっと云う間に消えて行き、辛くも逃れて散っていくもの達もまた、別の衝撃を受けて消滅していった。
 あれだけたくさん居た筈の妖怪達は、瞬く間にその全てが滅せられ、その場に残るのはユーマと、彼に守られたミヅキと、その傍らで油断無く身構える白虎の式神のみとなる。
 「、」
 事態は好転したと云えるのか、それとも別の厄介事が舞い込んで来たと云うべきなのか。ぽかんとしているミヅキは兎も角、ユーマもランゲツもこれが単なる偶然や救済では無かろうと判じていた。
 「何者だ?!」
 妖怪の群れと入れ替わりに、前方の森の方にいつの間にやら現れていた気配へと、ユーマは神操機を構えながら油断なく誰何する。その動きに合わせてランゲツもまた剣を構えそちらへと向かい──
 「…………む」
 そこで盛大に顔を顰めた。金色の眼差しが、大層珍しい事にも一瞬だけ見開かれて、それからゆるりと細められる。
 「……ランゲツ?」
 己の式神のそんな滅多にない様子に、ミヅキをその場に落ち着かせ立ち上がったユーマが眉を寄せ、それからじっと固定されたランゲツの視線を追う。
 「……………………あ。」
 ユーマと、その式神との──それぞれ趣は異なったが──視線に晒されて、気配の主が何やら間の抜けた一言を発するのが聞こえて来る。
 懐中に手を突っ込んだ姿勢で凝固していたのはまだ若い、ユーマとそう年齢も離れてはいないだろう一人の青年だった。が、その姿は些か普通とも言い難い。
 「貴様も、あの変な連中の仲間か…?」
 先に出会った二人連れの、時代錯誤な装束を纏った闘神士達を思い起こしながらユーマが問えば、青年はぱちくりと瞬きをしてからユーマの事をまじまじと見つめて、慌てた様に懐中より空手を戻した。
 ユーマは一瞬警戒したが、彼が符や神操機の類を、少なくともその手に持っていない事にひとまず油断は出さず肩の力を抜く。
 「いや、その曰く『変な連中』と一緒くたにされるのは少々心外なんだが、」
 苦笑を浮かべた青年が自らの頬を軽く人差し指で掻きつつ、ちらりと視線を再び横に少しずらす。
 そこでユーマは漸く、目の前の青年が主に視線を──或いは注意を──向けているのが、己ではなく式神の、ランゲツの方なのであると気付く。闘神士であれば敵の式神に気を付けるのは当然だが、何と表したものか、少し驚いた風でいる青年の様子が示しているのは警戒や敵対と言った様子では無い様に見えた。言うなれば、まるで変わり果てた古い知己にでも久々に会って困惑しているかの様な様子だ。
 問う様にランゲツを見上げると、ランゲツは丁度、何処か溜息混じりと云った風情で剣を下ろした所だった。
 「ランゲツ?!」
 闘神士の戦いや警戒の意に沿わぬ式神の行動にユーマは慌てるが、白虎の眼差しが酷く複雑な──然しまるで落ち着いたものである事に気付き、訝しむ。
 「………案ずるなユーマよ。此奴は恐らく、我らの敵では無い」
 「何だって……?」
 恐らく、などと云う前提の割にはまるでそうとは思っていない風情で云うランゲツの眼差しには、ユーマへと常に彼が向けてくれている『信頼』に似た色が宿っている。
 それは確信と云うべきであるのかも知れない。
 不審な心地を隠さず、妙と云えば妙な出で立ちの青年を再びユーマが振り返れば、一方的なそんな『確信』を向けられた彼は、然しそう満更でもない様子で軽く、全身を覆う様に纏ったマントの下で肩を上下させた。溜息。
 「その評価には一応感謝するが──、………此処は先ず、久し振り、と云うべきかな?」
 青年の表情は、旧知の相手を見ると云う風情によく似ていたが少々趣が違う。もっと複雑で、もっと途方もなく困り果てている様な、そんな『どうしようもなさ』が苦笑や溜息となって顕れていると云った感だ。
 そしてそれはランゲツにも同種の感慨をもたらしているらしい。黒き白虎の、読み取りにくい厳つい表情は今、笑みとも苦みともつかぬ形を作っている。
 「どう云う事だ、ランゲツ!」
 「知り合い、と云うか。憶え深い相手、と云うか。
 『今』は何の確執も必要の無い対象なのだと理解はしているから、彼の云う通りに俺は君達の敵では無いし、敵になる心算も無い、との事実について式神自ら太鼓判を押してくれた、と云う訳だ」
 誰何と云うよりは鋭いものとなったユーマの問いに応えたのはランゲツではなく、その向かう青年の方だった。再び困った様に頬を掻いて、敵意のない事を示す様に軽く両手を挙げて見せる彼の様子には怪しい所は確かに無い様だったが、それでもユーマは再びランゲツを仰ぎ見る。
 「……そう云う事だ、ユーマ」
 返る肯定に咄嗟にユーマは幾つか反論を浮かべかけるが、その式神の応えが信頼の名の元にある確かなものであると気付き、顔は未だ顰めた侭で神操機だけをなんとか下ろした。
 息を整えながら両者を見比べているミヅキへと気遣わしげな視線を向けて、それからユーマは改めて青年へと向かった。
 ランゲツの云う言葉やその向けてくれる信頼を疑う余地などまるで無いが、もしも自分や彼女に害を為す者であれば、その時は容赦しないぞと云うはっきりとした意を込めて。
 
 *
 
 「どう云う事なんだ、ランゲツ」
 『……うむぅ』
 再び繰り返される問いに、霊体へと戻った白虎の式神は腕を緩く組んで呻く。元より無口な式神だが、今回のだんまりは不機嫌と云うよりは答えに窮していると云った感が強いからか、ユーマの問いも自然ときついものになっている様だ。
 「彼奴が天流のヤクモで、お前が嘗て彼奴の敵だったと云うのは解ったし知ってもいる。嘗ての敵を前に複雑なのは解るが、それにしてはお前の態度はそう云う雰囲気でも無い」
 こんな時ばかりは鋭い己の契約者の問いに、ランゲツは顔を顰めた侭、喉奥で呻き続ける。
 正直、幾ら式神とて苦手なものはある。別にそれは嘗て己を敗北させた闘神士の存在には限らない。
 忌々しいかと問われれば、答えるかは兎も角、是とは思うだろう。それは此度の契約とは無関係の『前』の話であろうがなかろうが、単純に己に敗北と云う泥を塗った相手としてごく自然に。
 大概の式神は『前』と『今』とを綺麗に割り切っており、長い運命の中では以前己と契約者との絆を断った張本人と新たな契約を結ぶ事も珍しくない。寧ろそう言う相手にこそ縁(えにし)が生じる事もある。長き刻を生きる式神ほどそう云った超然とした在り方をごくごく当たり前に受け入れ通り過ぎて行くものだし、ランゲツとしても彼の闘神士に対する感慨は「忌々し」さを想起させる程度のものだ。積極的に憎んだり疎んだりするほどの悪感情は今更湧いて来るものでもない。
 では何が『苦手』に感じさせる故なのかと問えば、前回の敗北を与えた彼の闘神士の契約していた式神が、それこそ千年の因縁を未だ引き摺る仇敵である事がまず大きいだろう。式神は闘神士(人間)に敵だの味方だのと特別な感慨を抱かぬ事こそあれど、式神同士の関係であれば話は別なのだ。
 最強の式神などと讃えられた身の、果てなく暴走をした結果の、完全な敗北。しかもそれが最も己にとって屈辱的な敵に因ってもたらされたのだ。
 式神としての『割り切り』を乗り越え無理に思い出せば思い出すだけ、如何ともし難い苦い思いが胸中に満ちて、自然と口も重くなろうものだ。
 『……………儂にとって『前回』の敗北は、それ程に苦いものと知れ、ユーマ』
 これ以上訊いてくれるな、と暗に示して、ランゲツはぷいと視線を森の方へと逸らす。金色の視線から外れる刹那、ユーマが僅かに俯くのが見えた。
 飛鳥ユーマにとって白虎のランゲツとは絶対たる力そのものの具現とも云えた。式神を己の力とだけ捉えるきらいのあるその傾向については、ランゲツも少々懸念している所だが、ともあれ──、その『絶対』の権能の具現たるランゲツが、『敗北』と云う事象について言葉を濁した事に不満を隠せないのだろう。
 一旦森の方へと消えた彼の闘神士の姿は、道中なにやら色々と講じていた様だったが、それを終えた様子の今でも未だ戻ってくる気配がない。ユーマはその事についても、ランゲツの『アレは敵ではない』太鼓判が押されているにも拘わらず懸念や疑念を隠せない様で、会話を打ち切った後は落ち着かなさげな様子で付近を警戒している。
 ミヅキの方は走り通しだった緊張が切れたからか、ユーマの足下に寄りかかって目を瞑っている。完全に眠って仕舞っていると云う訳ではないのだろうが、彼女を時折気遣う様に見つめるユーマのその視線はひとときの厳しさから解き放たれて、優しい。
 こう在る事こそがお前の力なのだから、仮令この白虎のランゲツに不甲斐の無さがあったとしても、その些事を案ずる必要などないのだと、ランゲツは心の中で密かに呟く。
 それに、実のところ『苦手』さを想起させる過去の出来事は兎も角、力と権能の狂気に陥った我が身を其処より解放してくれた、と云う事実に関しては──ランゲツは彼の闘神士に感謝さえもしていた。無論口や態度になど出してやる心算などこれっぽっちも無いのだが。
 それ故にか。それとも、あの忌々しい甘ちゃん白虎と契約を交わした者であるからか。或いは、父子に渡って見たその変わらぬ勁い意志を抱く姿に多少なりとも感銘でも受けていたからか。
 式神、白虎のランゲツは、彼の闘神士に対して一種の『信頼』に似た感情を抱いていた。
 そう、それは正しく一方的な『確信』として。違えもすまいと自信さえも持って。断言する。
 あれは決して我らの敵となりはすまい──と。
 
 *
 
 視線が痛い。
 眼力に棘があるのなら刺さり放題だろうと云う程に。そりゃあもう。
 あからさまな棘に何処となくうんざりとした感と、風呂敷状にしたマントとを利き手とは逆の肩上に背負いながら、ヤクモは森を抜けて先程の草原へと戻って来た。
 姿を見受けた時からずっと注視していたのだろう、飛鳥ユーマと名乗った少年はじっと、ヤクモの一挙手一投足を油断なく伺っている。
 「潤沢な森の近くで良かったな。ひとまず食料の心配はせずに休む事が出来る」
 どさりと、マントに包んで持ち運んで来た果実や各種の木の実、野草、茸などを目の前に拡げてやると、ユーマの眉が面白い程に真ん中に寄せられた。
 「……なんだこれは」
 「取り敢えず食料を取って来ようと、先程俺は云い置いて行ったと思うが?」
 ユーマの方はまだ元気そうだったが、連れている少女ミヅキの方は到底そうとは云えない程に衰弱しているのが明かだった。故に、積もる話よりも先ずは食事と休息だろうと、ごく自然にヤクモとしては申し出た心算だったのだが、未だ警戒醒めやらぬユーマの方は不審そうな目つきで、目前に転がり出た食料の数々を検分している。
 「〜そうではなく!この、鍋とか器は一体何処から涌いて来たんだと訊いている!」
 不満や不審は食材そのものと云うよりも、マントの包みから一緒くたに転がり出したそれらの方へ向けられたらしい。何処からどう見ても正真正銘の土鍋としか言い様の無いそれをユーマは胡乱な眼差しで見下ろして、泡を飛ばしてきた。
 「まあそれは、その辺りの材料で。こう」
 ちら、と懐中から符を軽く覗かせてヤクモが返すのに、ユーマの表情が益々硬くなる。傍らに浮かんでいる白虎の表情は、何処となく溜息をついている様にも見えた。
 「そ、の辺りの材料…?」
 「企業秘密」
 別に秘密にするものでもなかったが、ユーマの狼狽え振りが余りに面白かった為に、ヤクモは態と悪戯っぽくそう云って、マントを手早く畳むとユーマへと放った。仕草で、足下で眠っている少女に掛けてやれと示す。
 ユーマはマントを怪しむ様に散々に裏表と返していたが、やがてそっとミヅキの肩にそれをかけてやると、漸く自分もその場に腰を下ろした。流石に伏魔殿の奥で出会ったばかりの天流闘神士に対して未だ完全に警戒を解く心算はないらしく、神操機を手元から離す様子は無い。
 そんなユーマを前に、ヤクモは手早く、さきほど一緒に拾って来た石を組んで簡単な竃を作るとそこに件の土鍋を乗せた。煮炊きをするには水が必要な訳だが、タンカムイを降神させると再び背中の毛を逆立てられそうな気がした為、少々労は要ったが符で大気中の水分子を鍋の中に集め還元させる。
 続けて同じ様に符で火を灯し、先程採って来た食材の中から火を通さなければ食せないものだけを取り分けて、携帯用のナイフでざくざくと下拵えをして鍋へと放り込んで行く。これもいつもならばリクドウにぱぱっとやって貰っている所だ。
 長旅に於いて塩分は必需品である為、こればかりは油紙に包んで慎重に隠し持ち歩いている固形調味料をぽいと最後に放り込んで、土鍋に蓋をする。ふと見遣ればユーマは何処かぽかんとした表情でヤクモの一連の行動を観察していた。
 詳細を未だ問い質した訳ではないが、この飛鳥ユーマと云う闘神士と、ただの少女ミヅキとが単なる物見遊山などでこの伏魔殿へと立ち入った訳ではなく、偶発的な事故或いは何者かの悪意などに因って、伏魔殿を彷徨う事を余儀なくされたのだろうと、ヤクモは察する。
 如何せん、サバイバルの年季──もとい、心構えが違い過ぎる事からも見て明らかではあったが、彼らの居る『此の』座標が伏魔殿の深奥に近い事も視野に入れると、単純な迷子と云う訳では無い事は明々白々と云えた。
 遭遇した当初は正直、『あの』白虎のランゲツを連れている事もあって、好戦的な地流の闘神士がうっかり伏魔殿の奥深くにまで迷い込んだのではないか、とも思ったのだが。
 ヤクモとて彼の白虎に思う所含む所は山とある。白虎の方も概ね同じ様な心地らしく、霊体を顕してはいるものの口も開かず遠くを見ている。
 時間からするに、マホロバの直ぐ『次』の契約者と云う事になるのだろう、赤毛の、負けん気の強そうな少年へとヤクモはゆるりと視線を投げた。相手は先程からこちらを伺っているのだから、当然の様に目線が行き会い、固定される。
 途端にむっとした様に表情筋に力を込める少年の様子に、やり辛いなぁと思いながらもヤクモは軽く咳払いをした。ことりと首を傾ける。
 「天とか地とか流派は兎も角、遭難者は遭難者だ。繰り返すが俺には君達と敵対する気はまるで無いのだから、そこまで睨まれると少々居心地が悪い」
 「敵かそうで無いかは俺が決める事だ。貴様は何者で、何故こんな所に居る」
 「だから。俺は天流の」
 「お前が天流のヤクモで、伏魔殿を探索していると云う事ならばもう聞いた。だから何故、天流の闘神士が伏魔殿の中などを彷徨いている?よもやあの妙な連中とつるんでいる仲間なのでは、」
 「それと一緒にされるのだけは勘弁願おう。俺も連中に追い掛けられて迷惑しているんだ」
 お互いに道理の正しい言い分と問いかけとを、まるで牽制の様に投げ合って暫し黙り合う。ヤクモとしては過分な詮索はしたくない為に、敢えてユーマとミヅキが此処に居る理由を問う心算は無かったのだが、ユーマの方はそうではないらしい。
 彼の不審を取り除くには『天流闘神士が伏魔殿の最奥を彷徨いている』事について、彼の納得のいく様な説明をする必要がある様だったが、ヤクモはこれについても否定的であった。状況が未だどう傾くとも知れない以上、闘神士の歴史にも関わるだろう事実を安易に漏らすべきでは無いと云う考えが先ずあるからだ。
 因って、放置する訳にはいかない遭難者二名の面倒を何くれとなく見てやる事で誤魔化したい所なのだが、あからさまな敵意を視線に乗せているユーマを見る以上、それも難しそうではある。
 どうしたものかな、とヤクモが、そろそろ煮立ち始めた鍋を見つめて考えていると、助け船は意外な所から出て来てくれた。
 『ユーマよ。儂の見立ては確かだ。此奴は我らの敵にはならぬ』
 「ランゲツ!」
 低い、嘗ては畏怖さえも憶えた白虎の声音に、ヤクモは思わずきょとんとした。ユーマが呼んだその名に応える様に、ランゲツはゆるりと、逸らしていた首をこちらへと戻し──大層珍しい事にも、目に見えてはっきりと笑った。
 相違なかろう?と問いかける様な、挑戦的な笑み。受けて、ヤクモも少しばかりの笑みの含有された感情をそちらに向ける。是、と肯定を込めて。
 それは式神の意志と云うより、闘神士の責である──と。そう頭で理解してはいても、あの頃はどうしても、黒き白虎の式神へと憎しみや怒りをぶつけずにはいられなかった。その存在を畏れずには、いられなかった。
 それが今はどうだろう。『丸くなった』とでも云えば良いのか、『前』のランゲツとは違うのだとでも判じれば良いのか。今目の前で再会している彼の白虎はごくごく普通の式神の様に、ヤクモには見える。
 故にその様子をまじまじと見つめて見たところで、そこからは以前感じた様な途方もない、仄暗さを伴った感情の一切はまるで涌いて来なかった。
 逆式の果てに主を呑み込んだあの禍々しさなどは片鱗すら伺わせず。信頼や絆や闘神士を嘲っていた彼と存在が同一である事すら疑いたくなる程に、ランゲツが闘神士へと向ける眼差しは紛れもなく信頼のそれに満ちている。
 (……変わったな)
 胸中の呟きが何ら表情にでも出ていたのか、ふん、とランゲツが鼻を鳴らした。
 『お陰様でな』
 「それは重畳」
 皮肉そうな物言いで、にやり、と口の端を歪めるランゲツ。対するは持て余しそうな感慨を折り畳んで胸中へと仕舞い込んだヤクモ。
 「良い契約者に巡り会えた様だ」
 嫌味ではなくその侭に云って、ヤクモは鍋の蓋へと手を伸ばした。蓋をずらすなりもわりと涌き上がる湯気の向こうで、ユーマがきょとんと、ランゲツとヤクモとを見比べる。
 『洒落臭い。主に云われる迄も無き事よ』
 「……惚気にしか聞こえない。何でこう白虎は皆惚気たがるんだろうなぁ」
 ぼそりと、ユーマには聞こえない様にこぼして、ヤクモは人数分の椀に、色々とごった煮状態にされた汁を取り分けていく。正直ヤクモ自身はちっとも空腹では無かったのだが、ただでさえ怪しまれている所に持って来て、相手にだけ食事を施すと云うのはフェアではない光景だろうと思ってのことだ。
 「大概のものは火を通せばなんとかなる。そんな伏魔殿生活での知恵」
 内容物は正体不明だが、調味料のお陰かそれなりに食欲をそそるものに仕上がっているらしい、鍋の中身を興味深そうに伺うユーマにそう云って、ヤクモは匙を添えた椀を差し出してやる。
 「ミヅキ」
 少女を優しく起こすユーマの、気遣わしげな横顔からそこに込められた確かな想いを酌み取って、ヤクモはもう一度、自らの契約者の傍らに何処か誇らしげな風情で佇む白虎の式神の姿を上目に見上げてみる。
 解りづらくはあるが、確かに刻まれた満足そうな白虎の表情に、ヤクモの方にも再びの笑みが無意識にこぼれた。
 (……良い契約者に、会えたんだな)
 今一度の呟きに、何故かヤクモは己自身でもよく判じ難い、ある種の感慨がそこに宿っている事に気付く。
 それは好意に因ったものとは少なからず言い難くはあったが、決して心地の悪いものでもない。強いて無理矢理に名を付けるのであれば、安堵。
 嘗ては忘れ難い『敵』として、恐怖として、幾度も夢にさえ見たものは、やはり式神でしかなかったのだ。
 
 *
 
 「本当は最後まで見届けるべきなのだとは、思う──が、」
 途中から物憂げさに転じかかった言葉をなんとか最後まで紡いで、ヤクモはユーマの横へと符を無造作に投げた。その行方をユーマが見送る前に、符は其処にひとつの界門を創り出している。
 此処は伏魔殿でも可成り深奥の位置に当たるから、『直通』の途を拓く自信は俺にも無いんだ、と先に言い置いて開かれたそれは、此処より見上げればかなり『表層(うえ)』の座標へと繋がっている筈である。
 だからこそユーマとミヅキとを『外』まで送り届ける心算が当初はあったのだが、生憎状況はそれを許してくれそうにはなかった。
 取り敢えずユーマはその『状況』に未だ気付いていない様だった為、ヤクモは口早に彼らを追いやる事を選ぶ。
 「俺の方も少々立て込んでいるんだ。済まない」
 繋いだ『表層』への途は、上、と云ってもまだまだ伏魔殿慣れのない闘神士にしてみれば充分深い座標に当たるのだが、ランゲツの庇護もあるし、何よりユーマ自身に強い自負がある様なのでそう心配もないだろうと、そう判じたからでもある。
 そもそも余り過分な心配を抱かれる、と云う事自体がユーマにとって不本意なものである様だ。彼は当初頑として「天流の助けは必要無い」と、表層への界門をヤクモが繋ぐ事さえ突っぱねたくらいだ。
 なんとかミヅキの存在を盾にして、界門を通る事を承知させたのだが、これもランゲツの説得が加わらなければ少々難しかったと思われる。
 「……世話になった。いつかこの借りは返そう」
 そんな経緯を経て開かれた界門をちらりと振り返って、ユーマは相変わらず愛想の無さそうな様子で云って寄越すが、これが彼なりの妥協点なのだろうとはヤクモも、短い間の観察とは云え察する事が充分出来ていた為、殊更に刺激のないよう凡庸な態度で彼らを促す。
 「ありがとう。ご飯は妙な味だったけど…」
 小さく頭を下げて、然し正直な感想を漏らすのは忘れないミヅキの手をユーマが引いて行く。その更に後を、霊体のランゲツがするりと通り過ぎ。
 『……誰に似たのやら。相変わらずお節介な事だ』
 小声でぽつりとそうこぼして行く。矢張りこちらは気付いていたかと、内心舌を巻きつつもヤクモは平然とそれを聞き流した。今は混ぜっ返すより、彼らを此処から早く離す方が先である。
 界門の目前に佇み、ユーマが軽くヤクモを振り返った。その眼差しは健やかな人としての感謝めいたものを、言葉に告げた通りに抱いてはいたが、それとは相容れぬ別の焔がその裡で静かに揺らめいているのをヤクモは見る。
 それは闘神士の、熱意。激しい瞋恚の元にある、ひとつの帰結。
 「貴様が天流の闘神士であるならば、何れまた見えるだろう」
 その時は敵としてだ、と言外にしない部分を正しく拾い上げて仕舞ったヤクモは、最後までやりづらい事だとは呑み込んで、目をほんの僅かだけ眇めた。
 「謂われが無くとも?」
 「………」
 試すような眼差しと問いとに、ユーマは答えを寄越しはしなかったが、向けた背が雄弁に語るのは先に告げた通りの「敵かそうで無いかは俺が決める事」と云う頑なな強い意志のみ。
 天流だと地流だと、同じ闘神士と云う枠にありながらも峻別する輩をヤクモ個人としては好まないのだが、今はそれを論じている時でもない。
 態度には出さず嘆息して、ふと気付いた視線に顔を戻せば、ランゲツがじっとヤクモの事を見て来ていた。
 其処に含有された感情は、紛れもない。ヤクモ自身も晒され見慣れて来た、『信頼』の名前。
 ああ、と自然と先程も覚えた安堵の情を揺すり起こして、ヤクモはランゲツの視線に在る意を正しく受け取った。
 「……………………成程、惚気るだけの事はある。期待しているよ」
 自然と応える様に漏れた言葉は、彼らを呑み込み閉ざされた界門の向こうには届かなかっただろう。だが恐らくは通じた筈だ。
 あの白虎であれば、己の闘神士の進むべき道を違わせる様な真似はすまい。
 彼はきっと、正しき心を持つ、良い闘神士となる筈だ。
 そう。あの式神であれば。
 抱いた確信はそれこそ『信頼』とでも呼ぶべきものであったかも知れない。
 ヤクモは、苦笑と呼ぶには些か晴れやかになりすぎた笑みを寸時の間だけ口元に許すと、それから腰の神操機を素早く引き抜いた。
 「神流、かな。何にしろ気付くのが遅い様で良かった」
 ユーマは最後まで気付かなかった様だが、食料を探すと云って森へ入ったヤクモはこそりと彼らの休む付近を含めた一角を結界で切り分けていた。そのお陰で先頃付近を通りかかった神流と思しき闘神士はこちらの気配に気付く様子も無かったのだが、流石に違和感は感じたらしく、先程から辺りを慎重に調べつつ近付いて来ている。この侭潜んでいて逃げおおせるのは難しいだろうし、そもそも現状を打破すべく『厄介事』さえも欲していたのは寧ろヤクモの方でもある。
 「さて、今度こそ現状を拓く結果に繋がると良いんだが」
 先程の少年ではあるまいし、殊更に好戦的になる心算は無いが、見つかって仕舞えば受けて立つ程度の心構えはあるのだ。
 ランゲツは『敵』の気配にもヤクモの張った結界にも気付いていた様だったが、それをユーマに云うと状況をややこしくするだけだと思っていたのか、それとも他に考えがあったのかは解らないが、取り敢えず黙ってはくれていた。
 「それも『信頼』と取れたら、これ以上の自惚れは無いが」
 幾ら『丸くなった』とは云え、流石にそれはあるまい。お節介だと言い残されたその通りに、ヤクモの性分を正しく解した彼の式神なりの打算の様なものだろう。
 『幾らアレが図々しい白虎だからって、ヒトの闘神士にまで手なんて出させやしないから安心してよ、ヤクモ』
 そこに返されるタンカムイの少々険のある物言いは果たして、ずっと余所様の式神の事ばかりを考えていたヤクモに対する牽制でもあったのかも知れない。
 背中に不本意な緊張感を少しばかり感じて仕舞ったヤクモは、やれやれ、と小さく苦笑しながら、己の真横に浮かんでいる式神の霊体を軽く撫でた。
 「皆がやきもきする程の事は何も。ただ、嬉しかった、んだと思う」
 式神が在ると云う事と。それに見守られる闘神士の有り様と云う事と、──彼の式神にも救いの手は等しく降っていたのだと云う事。
 「……性分だな」
 埒もない事だけど、と続けるヤクモの表情は、言葉程にそれを無意味だとは思ってはいない事があからさまで、タンカムイを含めて式神達はそれに対する吐息を諦めて呑み込むのだった。





46話の終わり際で「あれは…ヤクモ?!」とすっごくナチュラルにユーマが呼んでいたもので、なんぞ面識あっても良いんじゃないかなあと(41話のチラ見だけで個体名の識別にまで至るとは思えないし…)ずっとぐだぐだしてた所に加えてヤクモが散々苦労して踏破した道程をユーマが一直線とは云え七話程度で遡ったのが理不尽と思った事に対する自分納得の為の。
あー土鍋はそこらの土でも符で固めたんだと思いますよ。材料も調理器具も現地調達の伏魔殿サバイバーな理想。

"いまわしいと思うものにすら身を縛られる"