シンシア



 マホロバの乱が終結し、早くも半年が経過しようとしていた。季節が秋から冬へと移ろい始めるこの頃、空は日に日に高く澄んで行く。
 (…………落ちて来そうな空だなあ)
 身を切る様な冷たい風の中、小学校の屋上階段の屋根の上でヤクモは仰向けに寝転がってとりとめのない思考を意識に流していた。
 目を開いて刻一刻と変わる空を見上げているから、思考は自然と空や雲の事になる事が多い。目を閉じた方が思考は意識の底に落ちて考えが纏まり易いものの、それはしない。
 目を閉じれば、思考は全て記憶に切り替わる。未来ではなく過去。つい半年前に過ぎ去った慌ただしく厳しいあの出来事ばかりが脳裏をとめどなく過ぎって仕舞う。
 (そろそろ雪、降るかなぁ)
 青すぎる空が灰の淡い色を掃く冬の日は、深々と雪が降る。故郷の京都に降る雪をヤクモは嫌いではない。言いつけられた境内の掃除をサボって抜けだし、友達と新雪に足跡をつけて回って、雪玉を投げ合ってはしゃぎ合って遊ぶ。そんな楽しい毎年の光景がいつも思い出せるからだ。
 だがそんな想像の今年の冬に──ヤクモ自身の姿は無い。精々浮かんでも、校庭や帰り道を皆で笑いながら巫山戯て歩く姿ぐらいだ。
 それでも想像の中で、友達は皆愉しそうに笑い合っていて。それだけで何だか楽しくなって、ヤクモは密かに笑いを浮かべた。
 やがて思考の背景にチャイムの鳴る音が加わり、校内が俄に騒がしくなる。校庭から聞こえる別れや遊びの約束を取り付ける声を聞いて、もう六時間目は終わりか、とぼんやりと思う。
 「……またこんな所にいた」
 突然眼前の青空が人影に遮られ、ヤクモは後ろ手に頭を乗せた侭で視線を巡らせた。逆さまの顔でヤクモを見下ろしているのは、春に転校してきたクラスメートの北条ナナだった。
 「ヒトハが『授業だけじゃなくて掃除当番もサボるなんて』って怒ってたわよ」
 「うん」
 ヤクモの家の近所に住んでいる幼馴染みの名を出しながらナナは肩を竦めてそう云い、屋根の縁に足を投げ出して腰掛ける。
 「あなたの代わりにシマムラ君が追い回されたりしてたし。後で謝っておきなさいよ」
 「うん」
 「もう後数ヶ月で私達中学生なんだから。授業だってサボるの止しなさいよ」
 「うん」
 打ったら響くだけの様な、ヤクモの気のない相槌にナナは顔を顰めた。少しずつ冷たくなり始めた風が彼女の髪に結わえられたリボンを揺する。
 「……………………」
 「……………………」
 そうして落ちる沈黙。特別気まずいと云う訳ではないが、だからと云って居心地が良い訳では無論無い。
 放課後の校内には、掃除やクラブ活動、居残りの子供達の賑やかな声が響いている。校庭には駈ける靴音やボールの跳ねる音。ホイッスルの音や歓声。
 そんな音をBGMに、夕焼けが徐々に辺りを橙色に染めて行く。晩秋のこの季節、陽が落ちるのは酷く早い。
 「………あなた、変わったわよね」
 やがて、ぽつり、と、ナナが呟いた。タイミングが良かったのか、それとも他に理由があったのか。ヤクモは疑問符を浮かべながら、それに漸く真っ当な答えを返す。
 「そっかー?よくわかんないな」
 「変わった」
 「………………随分キッパリ云うなあ。どの辺見て変わったって思うんだよ?」
 よ、と腕を解いて起き上がると、ナナはヤクモに背を向けて腰掛けた侭でいた。その侭、振り返りもせずに、息を吐く様に云われる。
 「サボったり遅刻したり逃げ出したりするのとかは全然変わってないけど。ちょっと前みたいにヘラヘラ笑って馬鹿騒ぎは余りしなくなったでしょ」
 ナナの言は何処かキツい。ヤクモは思わず顔をしかめて、そう云えばコイツとの出会いのタイミングは丁度最悪の時期だったんだよな、と思い出していた。
 もともと、北条ナナはマホロバの手下の一人、ウンリュウの手に因って送り込まれて来た闘神士の刺客だった。ヤクモと同じクラスへと編入して来て、その隙を窺っていたのだ。
 その頃のヤクモは零神操機を名落宮で入手したものの、長い時期に渡ってマホロバやその部下達の動向を掴めずに、ただ過ぎる日々に焦りを隠す事が出来ずにいた。
 こうしている間にも父モンジュはマホロバの呪の元苦しんでいると云うのに、と云う焦り。知らぬ間にマホロバは太極神の力を手に入れて仕舞っているのではないかと云う焦り。
 そんな中で、ヤクモは『日常』の象徴である小学校では、せめてそれを乱すまいと思い只管に笑い続けていたのだ。級友達と戯れている時も、そうでない時も。無理に人当たり良く微笑み、巫山戯たり戯けたりしていた。
 一方のナナはウンリュウに因って「自分達の父親はヤクモの父モンジュに殺された」と思いこまされていた。
 その為彼女は強くヤクモを嫌悪していた。自分や姉は復讐の為にこうして日々爪を研いでいると云うのに。彼は父親が呪いで石になっている身でありながら何故へらへら笑っていられるのか、と。
 ──よく笑ってられるわね。自分の父親が石になってるんでしょ?
 故に放たれたナナのそんな言葉は、身を切る様にヤクモの心に傷を穿った。
 (……正直、アレは効いたよなあ。ま、そんな事悔しいから絶っ対云わないけどなー…)
 そんな事を思いながらナナの方を見ると、いつの間にか彼女は半身を振り返らせていた。逆光気味の視界に、少し怒った様な彼女の表情が焼き付く。
 「もっとはっきり言うと、あなたは腑抜けた、って事」
 「──」
 思わず瞠目するヤクモにはもう構わず、ナナはひょいとその侭屋根を飛び降りた。数メートル下の屋上にすとん、と降り立ち、上で茫然としているヤクモに向けて、言い放つ。
 「私とお姉ちゃんには、もう復讐や戦いの理由が無くなった。だから私、中学に上がったら闘神士を辞めるわ」
 「え、そうなのか?」
 「ネネやルリと別れるのはとても寂しいけど…もう契約は満了してるも同然だから」
 契約の満了、と云う言葉に、ヤクモの心がずくりと疼いた。
 その様子に気付かぬ訳でもないだろうが、ナナは続ける。
 「お姉ちゃんはもうじき受験だし、私も、将来やりたい事があるからそれを目指していくつもり。
 ………人は人の世界で生きるのが定めだから、闘神士でもないのに、寂しいからってだけで式神をいつまでも頼り続けるのは、契約闘神士を見守ってくれている式神をも悲しませる事になるもの」
 ナナは一瞬、彼女ら姉妹と契約を結んでいる豊穣の姉妹式神の姿を思い起こしでもしたのか、少し辛そうな表情になり──それでもはっきりとそう云い終えた。
 そうして再びヤクモを見上げる表情には、そんな辛さや哀しさを越えた勁さがある。
 「あなたは闘神士を続けるんでしょ?今は闘神符で戦う事をお父さんに学んでいるって云っていたけど…………でも闘神士には式神が必要。符だけじゃ闘神士にはなれない。
 なのに──あなたは一体何をしてるの?」
 じっと。ナナの、生来からどこかキツい瞳に見据えられ、ヤクモは微笑もうとして失敗した。泣き笑いの様な顔になるのを自覚するが、言葉が出てこない。強がりも、いい加減な嘘も、言い訳も。何一つ。
 「コゲンタと契約を満了出来た事を喜ばないで、振り返ってばかりで………きっとコゲンタが今のヤクモを見たら笑い飛ばしてそれから怒るわ!『お前は闘神士なんだろ?!何いつまでも言い訳して逃げ回ってるんだよ!』って!!」
 喋りながら激情が上がって来たのか、普段物事を良く考えて発言するナナにしては珍しく勢いばかりでそう叫ぶと。彼女は溜まった涙が零れる前に踵を返した。階段を駈け降りて行く足音が甲高く響き、やがて遠ざかって聞こえなくなる。
 「…………………解ってるに決まってるだろ、そんな事……」
 時間をかけて漸く、それだけを吐き出す様に呟くと、ヤクモは深く息をついた。
 今でも思い出せば心が泣き叫ぶ。ずっと共に在るのが当たり前だと思っていた、己の半身(相棒)と笑顔で交わした別れを。思い出す度。深く。心を切り刻む。
 「……………………………コゲンタ……、ごめん…………」
 様々な思いを込め漸くそればかりを呟くと、ヤクモは目元を掌で覆った。もう一度仰向けに倒れ込んで、紅くなった空を見上げてみるが、その意識は既に過去を向いていて、眼前の空などは見てくれそうになかった。

 *

 絶対に切れないと思っていた絆があった。
 尽きないと思っていた信頼があった。
 訪れないと思っていた別れがあった。
 実際訪れたのはその三つ目。

 「闘神士ヤクモ──ここに、白虎コゲンタとの契約を満了する」

 永遠に放つ事の無いと思っていた言葉は、然しするりと頭の中から出て来た。
 自然と、この別れ方で無ければいけないと、理解していた。
 これこそが、最後にコゲンタが与えてくれたたったひとつの──信頼なのだと、理解していた。

 闘神機での『命名』契約とは異なり、神操機の支える『願い』を代償にした契約は、式神の帰結と同時に闘神士の、闘神士としての間の記憶を奪って仕舞う。
 元は闘神機で結んだコゲンタとの契約だが、契約が零神操機に継承された時点でその理は成立していた。コゲンタが敗北すれば、ヤクモは闘神士としての記憶を全て失う事になる。心に、取り戻せない空白をひとつ、穿つことになる。
 そればかりではなく、コゲンタは嘗てモンジュと裂かれた時の事をずっと悔やんでいた。己の式神を死なせ、式神界へと帰結させると云う最悪の形で契約を終えて仕舞ったモンジュの深い悲しみを慮り、憂いていた。
 故にコゲンタは、ヤクモにモンジュと同じ悲しみを抱かせたくなかったのだ。喪失の痛みに泣き叫ぶ声は、現実には聞こえずとも心には聞こえて来ていたから。
 だから、コゲンタは必死で生き延びた。
 命を相殺にし、消滅寸前の体で、たったひとつの信頼の為に戻って来た。
 ヤクモに、己の式神を殺したと言う咎を与えない為に。この時間の間の記憶を失わせない為に。絆と信頼とを、彼から奪って仕舞わない為に。
 コゲンタはヤクモとの契約を満了すると云う最良の結果を望み、永遠に裏切る事のない信頼を贈ってくれたのだ。

 闘神士は一度分かたれた式神と再び契約する事は出来ない。運命に因って標された絆は一つで、同じものは二度と取り戻せない。
 ──契約の証に名を与えた。
 ヤクモにとって最初で最後となると信じる事の出来た、己の節季たる秋分を司る白虎の式神。
 他に式神を持った事はヤクモには無かったが、紛れもなくコゲンタはヤクモにとって最良のパートナーであり、戦いの師であり、兄の様な弟であり、家族であった。
 故に──その喪失は大きかった。それが信頼故の結果であると、最良の終わり方であるのだと、理解をしていながらも。

 父の戻った、日常での生活は色々とあって慌ただしく楽しく。
 闘神士になるとあの時決意し闘神機を手にした自分はもう、闘神士になるのだと──幼い頃より抱いていたのよりもずっと強くそう理解出来ており、それはコゲンタと別れてからも変わらぬものだった。
 モンジュはヤクモの決意が変わらない事を知っていたから、忙しい時間の合間を縫って闘神符の扱いや印、戦い方、心構え。あらゆる事をヤクモへと教えてくれている。
 イヅナもまたそれに協力し、様々な知識や天流地流の闘神士の在り方、歴史。そしてそればかりではなく、作法や難しい小話まで。色々と学ばせてくれた。
 級友と遊ぶ時間は自然と減って、ヤクモはいつも急ぎ足で家へと帰るとそれらの学習や修行に明け暮れた。
 そんな生活の中で、然し時に──例えば幸せな食卓の中で。ふと、ここにコゲンタがいたら、と云う考えが過ぎるのを、止められない。
 モンジュはコゲンタの前契約者で、コゲンタを良く知っている。きっと二人してヤクモへ様々な武勇伝や恥ずかしい話などを暴露し合って、そして四人で笑い合う。そんな、有り得ない『家族』の様な憧憬。
 ────抱く度、泣きたい程に切なくなる。
 堪らなくなり、ヤクモはひっそりとモンジュとイヅナの目を盗んで倉庫の文献を調べ、同じ式神と再び契約する方法は無いのだろうかと探し求めた。が、調べれば調べるだけ、如何にしてもそれは不可能であるのだと思い知らされるばかりだった。
 そこに差し挟まれる、新しい式神との契約、と云う闘神士としての命題。
 避けては通れない宿命だ。然し、どうしても心の何処かがそれを拒否するのだ。
 己の式神は、信頼を誓った唯一の相棒は、白虎のコゲンタだけなのだ、と。
 だから最近、符の扱いの上達は目覚ましいのだが、故に修行に限界が来始めており、自然と「新たな式神を」と云う話題になる事が多く──ヤクモはそれを避け続けていたのだ。
 授業をサボったのはいつもの慣例の様なものだが、こうしていつまでも放課後の校舎で物思いに耽るのは、少しでも新たな式神と云う話題に触れる時間を短くする為にだ。
 モンジュはヤクモの思いを理解してくれてはいたが、だからと云って、闘神士として生きる事を決意したヤクモが契約を満了した式神の事ををいつまでも引き擦ると云う事を黙って認めてくれる程に寛容ではない。余り厳しく口にはしないが、ヤクモが早く新たな式神を得る事を望んでくれているのは確かだ。寧ろ今まで半年も引き延ばし引き延ばし黙認してくれていた事に感謝すべきなのだ。
 確かに、ナナ曰く『腑抜けている』のは間違い様の無い事だろう、とヤクモ自身でも理解している。
 寧ろ契約を満了すると云う信頼を与え、その為に生きてくれたコゲンタに、感謝こそしても後悔や未練など抱くべきではないのだ。
 それは自分の為に生き延びてくれていたコゲンタの優しさを、好意を──何よりも深い、その信頼を裏切る事になる。
 絆は切れていない。信頼もまだ其処にある。

 「モンジュは俺の中に居る。俺はいつでもあいつに会える…。そしてヤクモ、お前にも…………」

 そう、いつでも式神(コゲンタ)は其処に居て、自分達を憶えていてくれる、と云ってくれたのだ。
 ならば、彼の残してくれた信頼に応える事こそが──己の在る道ではないのか。
 以前より何度も、ヤクモはその結論へと達していた。いたのだが、割り切りは未だ難しい所にあった。
 それでも今日、ナナにはっきりと云われた事に背中を押されて知った。
 いつまでも式神の優しさや思い出に縋る事は、闘神士を見守ってくれていた式神を悲しませる事になるのだと。
 彼女ら姉妹もまた、式神と深い絆を持っていた。互いに一度は互いの式神を失い、然し互いに交換する様な形で同じ式神と巡り会える程に、絆の深い彼女達には、或いはヤクモよりももっとずっと深い悲しみがあるのだろう。
 それでもナナははっきりと。闘神士を辞めると云う事で突き付けられるその命題に向かい合っていた。
 「……………怒ってるか?コゲンタ。俺がいつまでも、うじうじしている事」
 小さく呟く。神操機も闘神機も、使役する式神も持たない自分には、当然の様に応える声などない、のだが。

 「きっとコゲンタが今のヤクモを見たら笑い飛ばしてそれから怒るわ!お前闘神士なんだろ?!何いつまでも逃げ回ってるんだよ!って!!」

 ナナの叫びを思い出して、苦笑する。
 「そっか。そうだよな……」
 眠る様に深い思考の海から抜け出て、ヤクモは上体を起こした。
 早くも夕陽は山の向こうへと落ちかけており、空の頂点は薄い群青色へと変わりつつある。
 「そうと決まったらさっさと帰らなきゃな、とうさんに怒られるっ!」
 ふ、っと笑みが自然と浮かび、歪んでいた口の端をヤクモは自然に持ち上げる。泣きそうではもうない、決然とした笑顔。
 屋根から屋上へと飛び降り、ズボンの尻を叩いてからカバンを手に。ヤクモは一人きりの時に、久しぶりに年相応の笑みを浮かべた。
 ズボンの後ろポケットから闘神符を取り出すと、屋上の柵を軽々と乗り越えて符を翳してぽん、と飛び降りる。普段であれば父に怒られる行動だが、気合いを入れる為だ、構わないだろう。
 「チカミチ!」
 久しぶりの掛け声に、へへ、と鼻の下を擦って。符の力で落下速度を調節して地面へと降りると、すかさず家路を急ぐ。
 帰ったらきっとまずはイヅナから、帰宅が遅くなった事に関してを問われるだろう。そうする内にモンジュも一緒になってお説教を始める。
 だからそれを遮って云わなければならない。
 だって思い立ったら実行すべきだ。やろうと決めたら挑むべきだ。叶うのならば今直ぐにでも!

 山の裾野の方に位置する、太白神社への石段を駆け上がり、ヤクモは神社の拝殿へと駆け込んだ。何やら話し合っていたらしいモンジュとイヅナが、嵐の様に飛び込んで来たヤクモを前に、一瞬言葉を失った隙を狙う様に、告げる。はっきりと。
 「とうさん、イヅナさん。俺、式神との契約に挑んで来る!」

 *

 突然の息子の心境の変化に多少なりとも驚きを隠せない侭。モンジュは本殿に奉られていた紅い闘神機を前に印を切り礼を捧げていた。
 嘗て此処に収められていた白い、己の闘神機とは異なる、ヤクモが半年前の戦いの折に手に入れて来たものだ。闘神士を失い、式神も宿っていないその表面はただ無機質に蝋燭の灯りを照り返している。
 闘神機や神操機はは代替の効かない一子相伝の品で、未だその製造方法は愚か修理方法さえも判明していない。闘神士達は厳しい修行の果てに、己の家系或いは師の元に伝わるものを継承することで初めて闘神士としての道を歩む事になる。
 因って闘神士達は式神との繋がりであり陰陽神具である闘神機や神操機を命よりも大切に扱う。仮令式神が敗れても、闘神機さえあれば再び闘神士に戻る事が可能なのだから。神操機さえ残れば、何れは新たな闘神士が生まれるのだから。
 この紅い闘神機もまた、そんな風にして古来より連綿と伝えられて来た品である為、壊す訳にもいかずこうして丁重に奉ってある。
 その、つるりとした玻璃の様な表面を見つめ、モンジュはそこに、幾ら年月が経てど色褪せぬ嘗ての契約式神の姿を思い描いた。
 ヤクモの最初の式神であった白虎のコゲンタ。数奇な事にコゲンタは嘗てモンジュが現役闘神士として生きていた頃の心強い相棒であり、信頼を寄せた式神だった。
 節季と運命、偶然と太極神の標。余りに縁の深いその導きに、モンジュもまたコゲンタ──アカツキとの絆と縁の深さが未だ失われてはいないのだと、知った。
 然し契約が分かたれた当初は、その様な事は思いもしなかった。これで彼の式神との絆は解かれて仕舞ったのだと、そう思い込んでいた。
 そんな喪失の痛みを知るからこそ、コゲンタとの契約の満了と云う結果がまだ幼いヤクモの心に大きな成長と、何よりも大きな傷を穿ったのだろう事はモンジュの想像に易い。
 絆は途絶え無い。彼の結んだ契約は確かに式の元に在り、その絆は彼らの交わした信頼の時間と同じ、裏切りも尽きる事も決して無い、心に在り続ける事実なのだ。
 その事をモンジュは、息子の今回の決意に因って改めて知った。
 なれば父として師として己に出来る事は、ヤクモのその決意を尊重し出来得る限りの手助けをしてやる事だ。
 モンジュは祭壇へと手を伸ばすと、闘神機の収められた台の背後にかかっている小さな遮幕をそっと除けた。その奥には、まるで封印するかの様に厳重に、清められた布で幾重にも巻き付け更に何枚もの封印符を貼り付けた塊が眠っている。
 戦いの最中でヤクモが名落宮にて玄武の式神より託されたと云う、闘神機の原型である神操機。その中でも源流と呼ばれる最古の力──零神操機。
 ヤクモはコゲンタと共に零神操機と云う更なる力を手に入れ、禍々しい太極の力を撃ち破った。
 そもそも闘神機とは、嘗て闘神士が式神を利用し起こした忌まわしき大戦があった時代に、式神を支配するべく当時の闘神士達が生み出した陰陽神具だ。
 そして神操機とは闘神機の原型とされた陰陽神具で、これもまた闘神機同様に代替の決して効かないものであるのだが、その絶大な力と相応した不安定さ故に、天流も地流も、どの闘神士もその使用を硬く禁じられていた。
 神操機は闘神機よりも式神の能力をより強く引き出す事が可能で、印や気力の伝達も闘神機のそれより処理が早く、優れている。また式神のポテンシャルを引き出す容量も大きく闘神機のそれを上回っている。能力の面では明かに神操機の方が優れているのだ。
 だがその反面、神操機が結ぶ式神との契約は『名』の縛りでは無く契約者の『心』──即ち『願い』であり、契約者の願った心次第で式神は大きくその能力を増減させて仕舞う。また、『名』に因る式神への支配力よりもその効力は低く、契約を結んだ後にも式神との相性の相違があれば、これもまた双方に悪影響を酷く及ぼす。
 闘神士に力が無くとも半ばねじ伏せる形で使役が可能な闘神機の『名』の契約とは異なり、神操機に因る式神との契約は、契約した闘神士の心の強さや、式神と結ぶ絆の深さがその侭強さとなるのだ。
 『名』を置き式神を縛る訳ではない為に、闘神士の心と式神とに伝達が強く行き渡る事で神操機は式神の力を最大限引き出す事が可能になっている。
 無論それ故のリスクもある。それが、神操機に因る式神との契約では式神が敗北し式神界へと帰結された時点で、式神と繋いでいた心が断ち切られ、闘神士は闘神士として在った記憶を全て失って仕舞うと云う弊害である。
 そうして失われた記憶を取り戻す術は確立しておらず、また契約していた式神との絆が深ければ深い程に闘神士自身にも記憶の欠落ばかりではなく精神的な損耗を与え、時には廃人同様に陥って仕舞う事態も多かった為に、天流も地流も、闘神士達は神操機の使用を硬く禁じる事となった。神操機は皆厳重に封じられ、闘神士達は現在闘神機を用いて式神と契約を結び、使役するのが通常となっている。
 然し近年、今までその取り扱いの危険さ故に封印されてきた神操機が少しずつ見直されて来ている動きにある。地流宗家であるミカヅチの元では神操機の研究が進められているらしいなどと云う噂も耳にする様になった。
 これは、ヤクモがマホロバを倒す為過去を渡り歩いた際に神操機を用いていた事が歴史に僅かな変化(歪み)をもたらした結果に因るものではないかとモンジュは踏んでいる。
 つまり過去の時空に於いて零神操機を手に絶大な力と式神との連携で戦っていた闘神士ヤクモの姿を過去の闘神士らが目にし、今まで封じていた神操機についての認識を(どちらかと云えば良くない方向へだが)少しずつ変えていったのではないか、と云う事だ。
 またマホロバの乱に因って闘神機の数が大きく減少して仕舞った事も矢張りその一因だろう。闘神機の契約では闘神士は記憶を失うリスクが無い為に、闘神士ばかりが残って肝心の闘神機が足りないと云う事態になろうとしている。
 もう幾年か後には、闘神士は全て神操機に因る契約で戦う事になるのではないかとイヅナも云う。無論リスクは大きく、結果的に闘神士の数を減らす事になるだろう、との危惧の声も大きい。出来る事ならば式神の力に頼らずとも問題の無い様な、闘神士などと云うものが存在しなくても良い世界になれば、とは思わずにはいられない。
 とは云え、世界はいますぐ変容して仕舞うものでは決して無い。伏魔殿への扉の秘められた鬼門からは妖怪が溢れ、それを倒す為には闘神士の力は欠かせない。
 それに近年表社会へと台頭を望む地流闘神士を牽制出来るのもまた、同じ闘神士たる天流闘神士のみだ。
 戦いは、闘神士の役割は、当分尽きそうにはない。
 そしてそんな事よりも、今息子(ヤクモ)に必要なのは闘神士の道を歩む為、新たな契約式神を手に入れる為の力なのだ。
 思考から返ると小さく頷き、モンジュは厳重に封印を施した零神操機を手に取る。
 ヤクモはまた式神と契約を結び、それに因って闘神士として戦いの道を行く事になる。その時その手にこの神操機があれば、ヤクモは敗北した時にその記憶を失うと云うリスクを背負う。
 師として、そして何より親として、大事な一人息子にその様な危険な道を歩ませたくはないと云うのが本音ではある。
 然し。
 思い出すのは、ヤクモが時折語った、白虎の式神との物語。絆と信頼。その深さ。
 感慨深いその感情は、嘗て己にもあったものだ。
 なれば。
 その信頼の強さと、絆を思う心は──ヤクモにとって、決して失われる事の無いものだ。
 これからの戦いも、闘神士としての道も。あの子は全てを乗り越えるだろう。
 我ながら、これは親馬鹿かもしれないな、とモンジュは苦笑し眼鏡の位置を直すと、封印された零神操機を片手に拝殿を後にした。
 
 *

 イヅナ曰く、式神との契約は常に太極神の導く『運命』に因るものなのだと云う。
 基本的に式神は己の司る節季に因って、契約を求める闘神士の前に各々の種族が現れる。そしてその種族の中より、互いの資質や相性、能力、そして運命或いは偶然に因って定められる『運命』の出会いを果たすのだ。
 節季は闘神士が生を受けた『時間』であり、それに因って闘神士が得る事の出来る五行の加護も異なる。また闘神士の節季に属する式神が最も闘神士と、あらゆる面で良い相性をもたらす。無論己の節季など無関係にして式神と最良の関係を築く例外も多いのだが。
 ヤクモは秋分節季の生まれであった為、秋分を司る白虎族の中より若き一体の式神が導かれた。
 「うーん……でも俺、自分の節季で『一番』なのはコゲンタだけで良いからさ。今度は自分の節季とは違った式神に会ってみたいんだ。
 マホロバの部下だった……えーと水行王って云ってたかな、ナギさんって云う人がいたんだけど、その人は自分の節季が大雪で土行なのに、それとは別に水行の式神と契約してたんだ。だから俺もそう云う風に出来ないかなって」
 式神契約の儀式には時間がかかる事もあるからと、イヅナに強く言われ先に夕食を摂る事になりながら。また白虎をお選びになるのでは、と云うイヅナの問いにヤクモはそう答えると、お代わり、と茶碗を差し出した。
 「己の節季や属性ではない式神と契約する事は、闘神士として余り有利とは云えない事になりますが……ヤクモ様は今では五行の全てにそれぞれ強い力を与えられる程の符使いに成長なさっていますからね。恐らくどの属性の式神と云えど、導かれれば応えてくれるでしょう」
 ヤクモの差し出した茶碗を受け取り、お櫃から丁寧によそってやりながらイヅナはそう云った。
 ヤクモは土行の加護が強い秋分の生まれだからか、符を扱う時も土行に最も長けた力を発揮している。そもそも五行には相克と云う関係があり、己の最も苦手とする行には力を充分に発揮出来ない、或いはそれに弱いと云った現象をよく起こす。
 しかし闘神符を扱う為に精神の鍛錬を行い、目覚ましい成長速度で符使いに慣れて来ているヤクモは既に、己の克に当たる木行の力でもその威力を衰えさせる事は無い。
 通常己の最も加護強き行の式神が最も導かれ易いが、先程ヤクモの挙げたナギと云う闘神士の様に、修行や鍛錬で他の属性を高めれば、その行の式神と契約を結ぶ事も充分に可能だろう事は既に知られている。或いは深い運命の引き寄せる業で式神が導かれる事もあると云うが、それは稀なケースだ。
 「俺が闘神機を最初に手にした時はさ、勝手に節季でどうのって決められちゃったんだけど……そこで他の節季も選べたりするのかなぁ?」
 「……少し難しいかも知れませんが、そのナギと云う者が出来た事を思うと可能なのでしょうね。然しいつも申し上げておりますように、式神と闘神士との出会いは太極神の導く運命です。具体的に『どの』種族、節季の式神を、と望む事は難しいでしょう。
 恐らくその闘神士は水行の力を鍛錬に鍛錬し、己の本来持つ節季の土行を放棄し越える迄に高める事で、水行の式神との契約をも結べたのではないかと思います」
 イヅナの答えにヤクモは難しい表情になった。然し食事の手は止めない。がっついている訳ではなく神社の息子らしく作法もきちんとしたものだが、それにしては結構な速さで食べながら、うーん、と喉奥で呻く。
 正直五行どの属性にもそれなりの力を発揮出来る様になったとは云え、自分ではまだ、水行王とまで上り詰めたナギほどに各々の力が洗練されているとは言い難いだろう。
 となると零神操機を手にして契約を望んだ所で、土行の式神、或いはまたしても秋分の白虎族が導かれかねない。それで万が一ランゲツに巡り会ったりして仕舞ったら……それはヤクモとしては少々複雑な事となる。
 「式神との契約とかについて、もーちょっと詳しい話とか知りたいなあ……うーん、式神式神式神……………あ」
 呟くうちにふと思いつき、ヤクモは最後の白米を呑み込むと箸を置いた。
 「ご馳走様!良いこと思いついたよイヅナさん、相談のってくれてありがと!それじゃ俺ちょっと行って来るから!」
 「ちょ、ヤクモ様!」
 親指など立てて笑って云われ、そして嵐の様に走り去られ。イヅナは暫し茫然としていたがやがて溜息をつくと、ヤクモの食器を流しへと運び、未だ手のつけられていないモンジュの食事に丁寧にラップをかけてから、ゆっくりとヤクモの走って行った方角へと歩き出した。迷う迄もない、行く先は太白神社の本殿だ。

 *

 「とうさんとうさん、っと、とうさん!」
 封印に包まれた零神操機を携えてモンジュが本殿を出た時、丁度廊下をばたばたと走って来る件の息子に遭遇した。
 「こらヤクモ、廊下は走るな。夕食はどうしたんだ?」
 「もう終わった!それより零神操機零神操機!」
 いつの間にやら、古来より伝わる闘神士の戦いの装束をいつもの服の上に纏い、未だ落ち着かない様にたたらを踏みながら、ヤクモはずい、と手を差し出して来る。が、それは取り敢えず置いといて。モンジュはごほん、と形ばかりの咳払いをした。いつも概ね説教や叱責の始まる前触れとなる合図に、ヤクモがぴたりと足を止める。
 「急いた心で式神と契約をしようとするとし損じるぞ。あの時の様な緊急を要する事も無いのだから、落ち着いて取り組んだ方が良い」
 「そうじゃなくってさ、今イヅナさんに相談してたんだけど──」
 そうして口早に語る、ヤクモの『己の属性ではない』式神との契約を結びたい、と云う言葉にモンジュも眉を寄せた。
 確かにナギはイヅナの云った通り、己の元ある属性を棄てる程に水行を極めた故に水行の式神と契約をする事が可能となった闘神士だ。
 正直今のヤクモでは、親の欲目を除いても含めても、己の属性を上回る程に秀でたものは無い。神操機や闘神機での、太極神の導く運命では恐らく土行か縁や相性の叶った式神以外は示されないだろう。
 「だから、式神の事は式神に訊け、ってね。ちょっと名落宮行ってバンナイさんに相談に乗って貰おうと思ったんだ」
 だから一応零神操機。と手を差し出す息子に、モンジュは微苦笑を漏らした。
 自らの契約相手でもない式神とも友達の様に親愛を交わす事の出来る闘神士など今では──太古の、天流宗家一族を於いて他にはいないだろう。
 それは闘神機に因る式神への『支配』と云う感情が闘神士の多くに少なからずあるからであって、それに因って式神は人間の使い魔、或いは良き隣人と云った程度の認識であるのが殆どだ。
 然しヤクモは子供らしい順応でか、式神を人の様に近しく思っている。故に式神にも愛され情を寄せられるのだろう。
 それは或いは、ヤクモ本人の天性の素質と云えるものなのかも知れない。
 モンジュは息子の頭に手を乗せた。いきなり頭を撫でられ、ヤクモは父の意図が解らずに瞠目するが、やがて楽しそうに嬉しそうに、照れくさそうに微笑む。
 そんな息子の姿が酷く頼もしいのと同時に何処か果敢なく感じられ、モンジュは目を細めた。
 「ヤクモ。もう既に解っているとは思うが、神操機は闘神機よりもその扱いが難しく危険なものだ。式神や己の力に自惚れず、常に自戒を決して忘れない事」
 云いながら、息子の手の上に封印された零神操機をそっと乗せた。それはヤクモの手に戻された瞬間、僅かに熱を持って鳴動した。封印を施されて尚強大なその力に、モンジュは改めて畏怖を憶えずにはいられない。
 「うん、大丈夫。解っているよ、とうさん」
 ぎゅ、と。両手に、強大な力の具現でもある零神操機を握り締め、額に押し当て目を瞑るヤクモ。
 我が子の見ているものが、思っている事が、痛い程に滲みるのが解り、モンジュは軽くヤクモの身体を抱きしめた。背をぽんぽんと叩いてやってからそっと離れる。
 「ありがと。それじゃちょっと行ってくる。多分朝までには戻るから!」
 そう云うとヤクモは、懐から取り出した札をそっと掲げた。闘神符ではない、古の札。式神が作り彼に与えてくれた、親愛の証でもある鍵。
 札が発動の光を見せると同時に、ヤクモの足下に五紡星の陣が浮かび、その身と共に消失した。
 光の残滓が完全に消えれば、辺りはいつもと変わらぬ静かな夜。
 「モンジュ様」
 恐らく父子二人にしようと気を遣ってくれたのだろう、廊下の角からイヅナが静かに進み出て来る。
 「イヅナ。親馬鹿と笑ってくれても良いが……俺は、ヤクモにならば出来ると確信しているんだ。あの子は伝説に消えた天流宗家の一族の様に、天性で式神に愛されている。
 必ずやどの様な式神であろうと、契約を──それ以上の絆を結べると信じている」
 モンジュの、微笑みながらの言にイヅナも釣られて微笑みを浮かべた。
 「私もです。ヤクモ様には他の闘神士にはない、何かがあると。そう思っています」
 「ああ、そうだな。
 ……──さて、それでは夕食にするとしようか。冷まして仕舞って済まないな」
 「いえ、直ぐに温め直しますので。参りましょう」
 穏やかにそう云うと、イヅナは台所へと向かって歩き始め、その後を追いながらモンジュは、密かに空を見上げた。
 あの子であれば──或いは、天と地とに分かたれ、各々で争う事しか出来ない現在の闘神士たちの在り方そのものを、変える事も出来るのではないだろうか、と。そんな途方もない筈の事を夢想しながら。

 *

 ふわ、とした、エレベーターに似た落下感の後。障子の形をした孔からヤクモはひょいと飛び出した。途端に重力の理が変化し、恰も地に開けられた障子より飛び出て来た様な形になる。
 「ヤクモ様、いらっしゃいませ。歓迎致します」
 まるでヤクモの訪れを知っていたかの様に、障子の前で彼を出迎えてくれたのは、トカゲに似た面差しをした、芽吹族の式神、バンナイだ。
 「やっほーバンナイさん。どのくらい振りだっけ?」
 「ふふ。つい一週間程前に、闘神巫女殿のお説教から逃れる為と云っていらして下さいましたよ」
 「あ、そうだ。そうだったっけ。はは、でも今回は大丈夫。逃げて来た訳じゃないからさ」
 「おや、それは珍しいですね」
 良い逃げ道になった、と云うのが理由かどうかは不明だが、ヤクモは戦いが終わってからはよくこの名落宮に顔を出すようにしていた。その度バンナイと他愛の無い話をしたり、式神について興味深い話を聞かせて貰ったりとして、今ではすっかりお馴染みの仲だ。気安い言葉の中でヤクモとバンナイはくすくすと暫し笑い合う。
 と、そこに。
 「やほーぅ。久しぶりじゃなヤクモ君。元気しとったか?」
 「しとったか?」
 「しっとった?」
 かけられた長閑な声に、ヤクモはぎょっとなってバンナイの後ろを覗き見た。
 「っラクサイさん!戻って来たんだ!?」
 懐かしい玄武の好々爺の姿に、ヤクモは思わず瞠目するよりも早く、その身へと抱きついて行って仕舞う。いきなり飛びついて来たヤクモを然しラクサイは軽々と受け止め、人間の子供のその心を労う様にそっと頭を撫でた。
 「はい、ヤクモ様。ラクサイ様はつい先日お戻りになられました」
 そう云うバンナイの様子はとても嬉しそうで、それを見てヤクモの表情にもますます笑みが昇る。一人きりになってからバンナイがいつもどこか寂しそうにしていたのを知っている為に、その喜びがよく解ったのだ。
 「そうなんじゃ。あの男存外堪え性が無くてのー。長くなるかと思いきやアッサリと転生してしまってのう」
 「しもうたー」
 「しまったー」
 「ええいお前らウルサイ、ちっとはだまらんか!」
 「だまらんかはお前ー」
 「お前もだまらんかー」
 ラクサイの言葉尻を捉えて喋る、自らの甲羅の二匹のウツボと戯れるその姿を見るのも久しぶりで、ヤクモは心底の嬉しさに密かに涙を滲ませていた。
 この哀しみ或いは喜びの理由は、玄武の式神が名落宮の奥へと消える事となった最大の理由は己の責任でもあるのだと云う、はっきりとした自責もあったのだがそれよりも、知り合いとなれた式神に恩も返せず会う事が出来なくなって仕舞っていたと云う理由の方が大きい。
 「バンナイさん、良かったね。ラクサイさんが戻って来てくれて」
 「ええ。この半年間、私もまだまだ師匠から学ばねばならぬ事が沢山あるのだと痛感させられていましたから。ラクサイ様の無事を喜んで下さってありがとうございます、ヤクモ様」
 そうやって一頻り、式神二体と子供一人が笑い合った後。
 「それでヤクモ君は……──式神じゃな?」
 「………あ、そうだ。その為に来たんだった!
 ラクサイさん、バンナイさん。式神との契約の事について教えて貰いたい事が──」
 
 *

 「ふむ。それなら簡単じゃ。己の式神は己で選んで来ると良い」
 ヤクモのかいつまんだ説明を受け、ラクサイは何事もない様にそんな事を言ってのけた。説明中五回も妨害された為に両手でそれぞれ掴んで仕舞っているから、左右のお喋りなウツボの茶々も入らない。
 「己で選べ、って云われても……闘神機や神操機を持って印を切って、自分が闘神士になりたいって告げて〜…それに式神が太極神に導かれて、応えて来るのが契約なんじゃないんですか?」
 「うむ、それが殆どじゃのう。じゃが良いかヤクモ君。例えば闘神士を殺して、或いは闘神士に死なれて名落宮へ堕ちた式神達がおる。彼らは式神界と実相世界の狭間であるこの名落宮にいる限り、どれほど渇望しようと闘神士と契約を結ぶ事が出来ないのじゃ。
 ではそんな式神達はどうするのか?一つはその式神をどうしても選びたい闘神士が名落宮を彷徨い探し出して契約する事。二つは業深いばかりの縁があり絆があり、或いは最良に過ぎる相性がある式神であり、また闘神士である事。それならば通常の契約であっても、余りに強い縁に因って互いに惹かれ合う事が出来る。まあこれは滅多にない様な事じゃがの。
 そして三つは、式神界、実相世界、名落宮、あらゆる空間を越え太極の理そのもので契約を──即ち絆を結ぶ事じゃ。これならばあらゆる時空に存在する式神の全てと平等に契約を交わす事が出来る。無論名落宮とて例外ではなく、な」
 或いは、と思った言葉をラクサイは密かに呑み込む。それをまだ、この少年闘神士に知らせるには恐らく早すぎる。
 「それで……どれなら俺にも出来るんでしょうか?…〜なんかどれもスケールが大きそうなんだけどなあ…」
 うーん、と真剣に悩んで仕舞うヤクモに、ラクサイは、ほっほ、と笑いかけた。
 「先の三つは、要するに己の力で式神を探す、と云う事も可能と云う事じゃ。なに、そんなに難しく考える事もあるまい。幸いここは式神界と実相世界の狭間、時空の隙間である名落宮じゃ。ここならば伏魔殿を含むあらゆる時空へと至る事が出来る」
 「フクマデン?」
 「時空の狭間に嘗て構築された封印空間の事じゃが……今はそれは良かろう。要するにそこからならあらゆる時空に通ずる途がある為、何らかの弾みで『声』が届けば式神界、御主の呼ぶ──運命の呼ぶ式神へと接触を取れる、と云う事じゃよ」
 伏魔殿は位相空間に人為に因り構築された連結空間だ。現在ではウツホを封印する為の時空結界と成っており、大概はその狭間の歪みで構築した空間同士が連結されているものの、それらは法則性を持って繋がっており、また場所に因っては『別』の空間へと深く求めれば途が開かれる事も多々ある。つまりはそれだけ時空の隔たりや構築の理が曖昧であり薄い空間なのだ。
 「んー……要するに、そこなら望めば式神に直接会う事が出来る、って訳ですか?」
 「うむ…まあニュアンスとしてはそんな感じじゃな。そうそう上手く行かんとも思うが……御主が欲する行の者を望み、それが届けば。上手く行けばその中で最も御主の存在に惹かれた者が姿を現してくれるかもしれん」
 うんうんと頷くヤクモを見て、ラクサイはまたしても続く言葉を呑み込んだ。
 己の言通り、そうそう上手く行く、と確信している訳ではないが──言う程に困難な事では恐らくあるまい。
 未だ、僅かな予測しか抱いてはいないが──ヤクモは嘗てのウツホと同じ様に、太極の理を越え式神を呼ぶ事の出来る、一つの『現象』を有している可能性が高い。
 それは式神や世界の理である太極そのものに酷似した存在であるが故に──その気になればあらゆる空間などを超越し、あらゆる契約や法則をも無効化し、式神をその理として従える事が出来る力だ。
 現象の名前で云うのであればもっと単純で、それは『生まれ持って式神や節季に愛されている』、と云う事である。才や生い立ちなど無関係の、一種の天性の資質の様なものと云っていい。
 彼が望めば、その心に答えようとする式神は後を断たないだろう。ただでさえ、純粋で志が強く、式神を大事な絆として受け入れている少年の心の有り様は、大層心地が良いものなのだから。
 普通の式神達であれば、少年の裡のその気配に気付けなくとも、普通に対峙しその心を好ましく思うだろう。この玄武のラクサイや、芽吹のバンナイの様に。或いは少年自身が嘗て契約を結んだ白虎の様に。
 然し彼がそれを知らされたならば──強大な力に因って思い知る事となれば、それは間違い無く彼の人格を歪めて仕舞うだろう。彼の周囲の人間達の畏怖を招いて仕舞うだろう。
 それはこの子供には未だ不必要な事だ。そして出来れば永久に訪れなければ良い、試練でもある。
 故にラクサイはその可能性を呑み込む。少年が未だ自身を普通の闘神士であると。人間の子供であると思うのであれば、それで良いのだ。と。
 ラクサイが考えに沈んでいる間にヤクモは決心と算段とを固めた様だ。立ち上がるとラクサイの方を見る。
 「それじゃ、その伏魔殿って所への行き方を教えて下さい、ラクサイさん」
 少年の、澄んだ琥珀の双貌を見つめ──ラクサイは、その姿に僅かの憐憫を憶える。
 然しそれは顔には出さぬ侭、ラクサイはヤクモの横へと新たな界門を開いた。
 「お気をつけ下さい、ヤクモ様。伏魔殿はその構成の不安定さと閉塞故に気力を大きく消耗する場所です。また空間も入り乱れているので、迷ったらとても危険になります。
 引き際を良く弁え、帰りたい時は此処への札をお使い下さい」
 「ワシがもーぅちびっと若かったらのう。御主と契約してやりたい所じゃが……すっかりこんな隠居の身じゃしな。此処よりゆるりと見守らせて貰う事にするぞい」
 「はは。ありがと、ラクサイさん、バンナイさん。また来るからね。
 それじゃちょっと行って来まーす!」
 楽しげに手を振ると、少年は障子の外へと飛び出した。

 *

 ぱしん、と小気味よい音を立てて障子が開かれ、ヤクモはえいやとそこから飛び出した。ざくり、と足下に砂の感触。吹き付ける風に目を瞑ると、パチパチと細かい砂粒が頬を叩いた。
 「って…伏魔殿って砂漠なのか?」
 思わず瞬きし、眼前に拡がる広大な砂の大地を見る。風に流され形成された、波模様の砂丘が幾つも連なり、手触りのよい細かな砂粒が寄り集まった大地が足下からずっと拡がっている。
 実物を見たことなど無くとも確信出来る。正に絵に描いた様な砂漠の風景だった。
 見上げた空は薄ら青い不自然な色をしており、一体光源が何処にあるのか、太陽の様なぬるい光ばかりが砂漠の景観を薄く照らし出している。
 そしてその空の中には──否、空間の至る中空には先程ヤクモが抜け出て来た様な障子が幾つも浮かんでいる。それぞれ開けばまた別の場所に出るのかも知れない。
 「……取り敢えず、歩いてみるか」
 ぼやく様に呟き、眼前の──周囲の砂漠を見回すと、人差し指を伸ばして瞑目。よし、と直感で決めた方角に向かってヤクモは歩き出した。

 *

 バンナイが警告してくれた通り、どうやらこの空間では気力体力の消耗が激しいらしい。歩き始めてまだ小一時間と経過していないが、早くもヤクモの身体には疲労が感じられる様になって来ていた。日頃修行をしていると云うのに情けない、と思い、殊更しゃんとして歩く。
 そして何より一番困ったのは、どうやらこの空間には妖怪がわんさと生息しているらしい、と云う事だった。砂の間から、空の上から、突然目の前から。その都度際限なく現れる妖怪をヤクモは闘神符を使い堅実に仕留めて行く。
 ここで困り果てたのが、気力の消耗が激しいと云う点だ。闘神符を扱うには当然気力を消費するのだが、この消費がいつもの比にならないのだ。
 歩きづらい大地での体力の消耗に加え、闘神符に因る妖怪退治でどんどん削られる気力。正直これでは歴戦の闘神士であっても辛いだろう。
 ヤクモは何度も休憩を挟みながら砂漠を進んだ。次に来る時は水や食料があった方が良いかな、などと、元よりサバイバルにはタフな精神なのでそんな事を考える余裕はまだある。
 「にしても、何なんだろここは……。式神どころか何も無いぞ…」
 ぼやくと同時に疲れた足を思わず止めた。懐にある、名落宮行きの札に胸の上から手を乗せて、一旦帰ろうかと逡巡する。
 だが、式神を探しに来た自分が、こんな所で何も出来ずに──せめて契約に失敗したとかそう云う、式神に接触出来たのだと云う証も無しに、一度とは云え諦めるのは厭だった。
 一度諦めると云う楽が出来る事を知って仕舞えば、何度もそれを繰り返す様になる。
 そんな惰弱な考えでは式神は応えてはくれないだろう。只管歩き回る矮小な子供を憐れみはすれど、力などは貸してくれないだろう。絆など結んでもくれまい。
 よし、と。最悪、戻るのはちょっとでも式神の感触に触れてからだ、と決意し直したその時、突然厭な風が全身を打った。
 振り返ると、突如そこから湧き起こった砂嵐が激しくヤクモの身体へと打ち付けた。
 「──!」
 口を開くと砂が入る。呼吸をすると肺に砂が当たる。強い風に少年の身体は翻弄され、砂丘をごろごろと転がり落ちた。打ち付けた全身の痛みに悲鳴を上げる暇無く、砂嵐はヤクモの身体を容赦なく打ちのめす。
 転がり落ちた侭身体を丸め、出来るだけ砂に顔や腕などの剥き出しの部位が傷つけられない様に防御し、ヤクモは苦労して闘神符を取り出した。障壁を発動させるがそれは今までの消耗からか不完全で、砂や風の衝撃を全ては殺し切れない。そこにきて障壁を維持するのに気力がどんどん消耗して行き、急激な衰弱に激しい眩暈を憶える。
 それでもヤクモは符を維持し続け、打ち付ける激しい砂の痛みと風の衝撃が去るのを待つ。
 ぐ、と拳を握り締め、ヤクモは歯を食いしばった。
 こんな事で。
 こんな事で俺を試せると思うな。
 こんな事で俺を挫けさせられると思うな。
 強く、強く唱えて眦に力を込める。
 幸いにか砂とは土行だ。己の最も加護深い行であり、何より。
 自分を守護し、共に戦ったあの式神を思い出させる気配は、酷い安堵。
 大丈夫、負けはしない。
 そう励まされる、心の裡にある小さな光は──確かな絆の残滓。

 「俺達は、負けない」

 あの頃誓った言葉を今一度紡ぐ。魔法の様に。
 この思いがある限り、負けはしない。
 故に──

 その絆を、求む!!
 

 声の無い叫びが通った瞬間、ぱしん、と云う、あの小気味よい音を、ヤクモは確かに聞いた。
 思わず顔を起こす。いつの間にか砂嵐の光景はそこには無く、天も地も無い不安定なその場所に立つ己の前には長い、障子。
 そして気付く。障子の向こうに映った、黒い影。
 「──あ、」
 ずぐ、と心が軋む音を立てた。あの時、必死で掴んだ闘神機に願い──自分の与えた名に於いて応えた、白虎の姿を思い出し、既視感を憶える記憶に困惑したヤクモの鼓動がひととき早くなる。
 然し映った影は、白虎族のそれでは無い。見覚えのあるそれでは、無い。
 その事に落胆よりも安堵を覚え、ヤクモは倒れそうになる足を必死で踏ん張った。障子の向こうの影をじっと見据え、腰に下げていた、封印された侭の零神操機にそっと触れる。
 「自分は春分節季を司る、青龍族であります。貴殿の求む声を聞き、太極の導きに因り求めに応じて馳せ参じ申した次第であります」
 実直そうな式神の声に、自然とヤクモの表情に僅かの笑みが射す。
 と、応えを返す前に、ぱしん、と再び響く音。それが四回。続けて。
 はっとなってヤクモが周囲を見回すと、一瞬で彼の周囲を五角形の形に、式神界への扉である障子が取り囲んでいた。
 いずれの障子にも、式神の影がある。
 「我は雨水節季、雷火族。求めに応じ参じ申した」
 「僕は穀雨節季の消雪族。君のその心に呼ばれて思わず来ちゃった」
 「麻呂は立夏節季、木行の榎種族。ちなみに立夏とは四月節季の事でおじゃるよ。そちの勁い志に興味が湧いたでおじゃる……多分」
 「小寒節季の黒鉄族でっせ。あんさんの声、確かに聞き届けたんで来てみたら…なんだか仰山お仲間がいますなぁ」
 「ご、五体も……??」
 順番に云われ、ヤクモは茫然として己の周囲を取り囲む式神のシルエットを順繰りに見つめた。
 「えと、青龍は土、雷火は火、消雪は水、榎は木、黒鉄は…金」
 指折り数え、集まった五体が各々違う行に属している事を知り、ヤクモは更に瞠目する。
 「他にも声を聞いた者はおった様でおじゃるが、応じる事を望んだ中で太極の導きに叶ったのは麻呂達だけの様でおじゃるな」
 「えらい人気者ですなぁ〜あんさん」
 「さ、どうするの?面白そうだから僕は君と契約するのに依存はないけど。君は誰を選ぶ?」
 ざ、っと。五つの影が一斉にヤクモを五方位から見つめて来た。
 (五体の式神──五つの行。自分の適正で選べば土行の青龍だけど……)
 そこまで呟いてからヤクモは、いや、とかぶりを振った。
 次の瞬間、笑みが自然と浮かぶ。不意に変わったその空気に、障子の向こうの式神達が息を呑む様な気配。
 「選ぶんだとしたら、君達みんなが良いな。皆折角来てくれたんだしさ。
 前に一個の闘神機を二つに分けて三体の式神と契約している人もいたし、一個の闘神機で三体って人もいたし。出来るんだよな?」
 「………無論、一つの神操機で複数の式神と契約する事は可能でおじゃるが……」
 榎の種族の影が、何やら考え込む風な動きを見せる。見ると他の式神達も少なからず思案する様にしている。
 「だから、皆が良ければ。揃って俺と契約を交わしてくれると嬉しいな。俺の声に折角応えてくれた式神を選んだり追い払ったりなんて、出来ればしたくないよ」
 闘神士と云う、契約し使役すると云う立場だと云うのに。その少年から放たれた言葉は式神達を少なからず動揺させた。
 普通、闘神士は運命で出逢った式神へと「想いが通じるものだ」と云う前提で契約を交わすものだ。
 故にこの場に集った誰もが、「皆(あなた)が良ければ」などと云われた事など無かった。予想もしていなかった。
 式神達は各々、時空の隔たりの中で、この場に五体揃った同志達を窺った。
 その意志は『是』。
 「自分達からもお頼み申したいであります。まだ若き闘神士殿、貴殿のお名前を是非此に」
 最初に現れた青龍が告げる。見回す周囲の式神が一斉に向ける首肯の気配を受け、ヤクモは腰の零神操機を手に取った。封印の巻かれた侭、静かに掲げる。
 「俺はヤクモ。──闘神士ヤクモだ」
 す、と障子の向こうの青龍が、雷火が、榎が、消雪が、黒鉄が、次々に立ち上がる。
 「自分の名は青龍のブリュネ」
 「我が名は雷火のタカマル」
 「麻呂は榎のサネマロ」
 「僕は消雪のタンカムイ」
 「わては黒鉄のリクドウ」
 式神達が名乗りを挙げた。その名は不思議とヤクモの中に、記憶ではなく心として静かに染み込んで刻み込まれていく。
 「汝が願いは『式神の絆』。我らはそれを叶える事を誓おう。さあ、契約の証に我らの名を呼ぶが良い!」
 誰かが──或いは誰もが叫んだ。
 うん、と頷き、ヤクモは零神操機を障子に向かって構えた。
 まずは最初に来た青龍の方へと。
 「青龍の──ブリュネ!!」
 続けて実直そうな意識を向ける雷火へ。
 「雷火のタカマル!!」
 次に面白そうな挙措を隠そうとしない榎へ。
 「榎のサネマロ!!」
 無邪気そうに微笑む消雪へと。
 「消雪のタンカムイ!!」
 最後に、呑気そうに両手の得物を上下させる黒鉄。
 「黒鉄のリクドウ!!」
 名を呼び終えた瞬間、構えた零神操機がぶるりと震え、ヤクモの手の中で眩しい光と共に封印がまるで蛹の羽化の様に剥がれ落ちた。顕れ出るは、手に馴染んだ真紅の神操機。
 五方の障子が次々に開き、その向こうに続く式神界から各々がヤクモの方へと向かって降神する。
 「我ら、契約承った!!」
 ヤクモの周囲へと集った式神達が、それぞれの司る行を示す五色の光となって、手の中の零神操機へと吸い込まれる。
 その衝撃と光が収まってから、ヤクモは恐る恐る目を開き、手の中の紅い神操機を見つめた。その中には確かに、嘗てそこに居た白虎とは違うものの、近しい程に慕わしい、暖かな気配たちが宿っている。
 ヤクモの表情に、我知らず笑みが浮かんだ。嬉しさの涙で視界が滲むのを感じながら、然し恥ずかしさに拭ったりはせず、ただ神操機を手のひらの中に大事に包み込んで、そっと胸に抱く。
 「ありがとう──みんな」
 呟きに応える気配が、酷く懐かしく頼もしい。
 その温度の心地よさと懐かしさとに耐え切れなくなり、ヤクモは静かに瞑目して──微笑みながら囁いた。
 「これから、宜しくな」
 返る答えの意思に微笑みを絶やさず、ヤクモは己に新たに寄り添ってくれた式神達に深い感謝と、泣きたくなる程の幸福を憶えた。
 願ったのは絆。欲したのはその心。今度こそ失われる事が無い様に。
 只管に、そう誓いを捧げた。
 
 *

 その後、戻った名落宮でラクサイとバンナイはいきなり五行五体の式神を引き連れて来たヤクモの姿に大層驚き、心からの祝福をしてくれた。
 そしてなんだかんだとあった後、家に戻った時はもう深夜に近い時間だったが、モンジュもイヅナも起きてヤクモを待っていてくれ、二人もまた──ヤクモの連れてきた『愉快な仲間達』の様な風情ですらある五行五体の式神達にあんぐりと口を開き、その後笑いながら式神達に礼を述べ、ヤクモを労り、新たな絆を祝い喜んでくれた。


 静かに思い出す、自分に信頼と絆とをくれた白虎の姿。
 そしてその想い出に負けず、新たな絆をくれた、癖はあるけれど頼もしく温かい新たな『家族』。
 その存在に──式神と云う、優しくも厳しい絆へと、隠さず感謝を憶えずにいられない。
 絆を教えてくれた彼の存在が云ってくれた言葉がある。与えてくれた信頼がある。
 だから、いつか訪れるかも知れない、分かたれる未来を。然し嘆く事の無い様な確かな絆を。信じていられるのだ。

 次の日の学校で。ヤクモの腰に再び提げられる様になった神操機を見て、ナナはくすりと微笑むと云った。
 「遅かったじゃない。お帰りなさい、ヤクモ。──頑張りなさいよ、私達の分まで」

 その言葉に頷きを返して。その日から再びヤクモは闘神士としての道を生き始める事となった。
 新たな絆達と共に。




漫画終了〜アニメ開始の隙間妄想、小ヤクモさん戦隊と契約篇。
闘神機とか神操機とか契約とか界とかかなり捏造妄想設定デッチ上げしてますが、辻褄合わせは好きなので、自分の知る(或いはそうと判じた)アニメ&漫画の設定やその断片から繋いで何とかしっくり来そうなものをこねくりました。矛盾点とか余裕でありそげ。
以下これまた長い、デッチ上げ設定と辻褄合わせ妄想に関しての言い訳をいちお。

・ナナマリの事 … アニメで豊穣のルリがキクサキの式神になっていた=ナナには式神が現在いない。となる訳で。でもナナが負けてまた式神を失ったとか考えるのは寂しい。
そも北条姉妹はモンジュへのカン違い復讐の為に闘神士として生きて来た(家が元々闘神士家系だったのは確かだけど、強くなるべく戦って来たのは復讐が目的だし)から、本当の復讐相手である木行王ウンリュウが死んだ今闘神士として生きる意味ないんじゃ。と。で、ナナがルリと契約したのはウンリュウ没後なので、何で復讐終わったのにまだ闘神士してるのかなと考えたんですが…。ともあれアニメの時間軸でルリがナナと契約していない=満了したって事が一番幸せじゃね?と云う事で。

・闘神機と神操機の事 … かなりデッチ上げ。実際は単に玩具の仕様と云われたらそれまでです。
アニメで大昔の闘神士が出ると大概闘神機を使っているのが気になりました。単純に神操機の数が少ないんじゃね?とか云っても現代では雑魚から強者まで皆持ってるので、式神を調伏させるに最も効率的な手段として造られたのが闘神機なのでは無いかと妄想。
やっぱり式神にとって「名」って云うのは縛りが強いと思うので、手軽な服従を強いれるけど(ライホウなんてコゲンタといきなり契約>いきなり大降神とか出来たし)その分式神は思う通りに動けずその出力が落ちると云う事で帳尻を合わせてみる。
逆に神操機は式神と闘神士の心をありの侭繋げるから式神出力は高いけど、その繋ぎの所為で、契約が断ち切られたら記憶がフッ飛ぶと云う事で皆恐れて使わなかったんだよ!と。
取り敢えず闘神機での契約は「名」付けで、神操機の契約にはそれは無い、と云う、アニメからの情報を繋いでデッチ上げ。
(単純に設定した式神名がしょっちゅう変わったらアレだからだろ、と云う真っ当な説も、お察し下さい)

・闘神機と神操機の事その2 … ヤクモが過去の時代で、そんな前述のデッチ上げ設定の闘神士認識の中平気で零神操機とかブン回してたらそれはやっぱり何かしら影響を与える事になるんじゃないかなと。たった五年で闘神機から神操機へ一気に移ると云うのも何だか不自然だとか何とか考えた挙げ句、小ヤクモさんの仕業(影響)と云う事にしちゃいました。ごめん。
実際は玩具の都合d(略)やっぱりお察し下さい。

・契約の事 … 節季と無関係でも縁な例=リッくんとコゲンタ。ですが、多分これは宿業とか深すぎる縁。或いは贖罪。ナギが「ワシの節季は元々は土」とか云ってたので、式神は基本的に節季で選ばれるもんなんじゃないかねと。あと、やっぱり生まれ節季で得意分野とかあるんだろうなと。
この妄想デッチ上げ話の小ヤクモさんの契約方法は可成りいい加減ですはい。五体同時に契約した、と云うのが根底の希望もとい妄想なので、単純に零神操機から五体同時コンタクトでも良かったんですがそこはそれ、バンナイさん出したかっt
ちなみにアニメ初期にヤクモが使っていた紅い闘神機は漫画でランマルが落とした奴だと妄想繋ぎしてます。タカマル降神してたので紅い色ピッタリかなあとか。ノブナガがヤクモに投げ返してたので、その侭持ち帰った率は高いと思うのですよ。この話の中で出て来たのもソレ。

・式神に好かれる人 … これは欲目妄想で。五体とコゲは勿論、フリーだったからかラクサイやバンナイとも一時的とは云え親しげになってるし、バンナイからは名落宮にいつでも来てねと誘われちゃう始末で。少なからず式神に好かれる側にいるだろうと。ついでにヤクモ自身も式神に心を預け易い性質だろうとか。
ウツホとは違って指向性や強制力は持っていない、なんと云うかこう、単純に「式神に好かれ易い体質」くらいのもの、と云うニュアンス程度で。

・リクドウとサネマロの喋り種 … 未だによく解りません_| ̄|○サネマロは漫画も参考になるのでまだマシ…?リクドウは今の所似非敬語+謎の方言くらいにしてますが違和感酷い。

【sincere】…嘘偽りなく正直な。純粋な。