この海に君を沈めて帰ろうか



 「海」
 「そ。海」
 予告も先触れもなく唐突に云われた言葉を鸚鵡返しにすると、相手もまた同じ言葉を二度返して来た。
 言葉──と云うよりは単語を紡いで寄越した、はい、と両手を拡げて示す仕草と笑顔との向こう側には、紛れもなくその単語に合致する光景が広がっている。
 海である。
 とは云っても絵に描いた様な砂浜や海水浴場と云う訳ではなく、沿岸に消波ブロックを敷き詰めたその手前に高い堤防が聳えていると云う、海と云うには些か味気のない湾の光景ではあったが、ヤクモにとっての当面の疑問は取り敢えずそこにはない。
 海沿いを緩いカーブを描いて走る道路から少しの距離を取ったそこは、付近の住民達にとっての散歩道や通路の様なものなのか時折人や自転車の往来があり、堤防の上には生憎の晴天の海面に釣り糸を辛抱強く垂らしている釣り人らの姿がちらほらと見受けられた。
 堤防の下の僅かな日陰では、釣り人のおこぼれでも待っているのだろうか、数匹の猫たちが退屈そうに尻尾を揺らしている。
 昇るには労しそうなほど高い堤防の向こうからは不規則に打ち砕かれる波の音。潮と云うには少々生臭さの強い感漂う香りが、湿ってぬるい風の不快感を更に高めている。
 近くに水揚げ漁港でもあるのか、鮮魚を積んだリヤカーを引き摺った男が、首から提げたタオルで薄い頭の汗を拭いながら通り過ぎて行く。
 その人が通り過ぎて人の気配がひととき稀薄になった頃、ヤクモは堤防の向こうに拡がっているのだろう海を見つめていた視線をゆっくりと戻した。眼前には先程と何ら変わらない風情で佇む大神マサオミと云う男が一人。
 「海だろ?」
 視線がぱたりと出会うなり、マサオミはにこりと笑みを形作った表情の侭、駄目押しをする様にそう云い、拡げていた両腕を自らの腰へと下ろした。そうすると益々得意気な様子が漂って来て、ヤクモの裡で疑問から憤慨へと変わりつつあった感情の変化が更に一歩進んだ。
 何のこともない。要するに、訳が解らなくて腹立たしいのである。
 「……で、朝早くから人を叩き起こして無理矢理バイクに乗せて。何で海」
 前日の疲れから泥の様に眠っていたヤクモの安眠を正に無理矢理、引っ張り起こす様にして遮ってくれたご当人様は、トーンの下がった声音からヤクモの不機嫌ぐらい察しているだろうに、全く意にも介しませんのでお気になさらずと云った風情でにこやかに晴天を軽く仰いで、それから再び堤防──の向こうの海──を軽く示してみせた。
 「そう云えば昨夜って云うか帰って来たの殆ど朝だったみたいだな。ヤクモってば知らぬ内に朝帰りなんてする様になっちゃって俺悲しいね〜」
 「仕 事 だ。闘神士としての仕事。人聞きの悪い」
 「解ってますよそんなの。冗談に決まってるでしょーが」
 「で、何で海」
 律儀に本気で憤慨しつつ訂正して仕舞うヤクモだったが、にこやかな侭あっさりとマサオミに返されて、うんざりとしつつも取り敢えず先を促す事にした。正直睡眠時間が足りていない為にか、一過性の怒りを継続出来そうになかったのだ。
 「夏と云えば海かな、と」
 「へぇ。で?」
 なんとなく。想像はついて仕舞ったその先を、胡乱な眼差しでヤクモは更に促した。
 嗚呼。正直張り倒したい。
 「『で?』も何も…。折角の季節の風物詩なんだから是非ご一緒に堪能出来ればと……──所で、アンタが何でそんなに不機嫌なのか出来ればお尋ねしてみたい様な止めた方が賢明な様な難しい心地なんですが俺」
 「存外簡単に白旗を上げたな。お陰様で張り倒したい気は失せたが」
 マサオミの指摘通りに不機嫌そのものと云った表情を隠しもせず、物騒な事をさらりと投げたヤクモに、彼は思わず鼻白んだ。
 期を逃すまいとヤクモは、畳み掛ける様に続ける。
 「お気遣い結構。だが、せめて了承は取ってから行動に移ってくれ」
 暗にも何でもなく、現状が迷惑なのだと正直なところを告げるヤクモに、然しマサオミは態とらしく両手を肩の高さに持ち上げてみせた。竦める。
 「や。だって了承なんて取ろうとしたらアンタ絶対断るでしょうが」
 ……確かに、真っ向から「夏だから海へ行こう」などとマサオミに誘われた所で、ヤクモが断るか食指が動かないのは火を見るよりも明らかである。それは疲れていようがいまいが関係なく揺るぎもない事実だ。
 ごもっともな打ち返しに、今度は逆にヤクモの方が出鼻を挫かれて仕舞う。
 「…………まぁ否定はしないが。〜だからと云って無理矢理連行して良いなんて道理が罷り通るのは堪らない」
 「……〜それって突発的な我侭──もとい、俺のささやか〜な願望全般叶える気はさらさら無いって事にならないか?」
 「そこまで云う心算は流石に無いが……、」
 ぶー、とわざわざ不満の擬音らしきものを声に出して口を尖らせ迫るマサオミを、制する様に手で押しやりながらヤクモは真横に頭を巡らせた。静かな溜息を漏らして頬を軽く掻く。
 「兎に角。今日はこうして連れて来られて仕舞った以上、この上更に無駄な抗議を重ねて疲れる心算はないが、今度からはもう少し考えろ」
 「はぁーい」
 そう云う間にも妙に疲れて仕舞っていたからか、ヤクモの説教と抗議とはあっさりとお開きになった。果たしてそれすらも付き合いの長さからある程度予想済みだったのか、マサオミは妙に上機嫌な会心の笑みを浮かべて是を応じると、では早速、とばかりにヤクモの二の腕に自らの腕を引っかける様にして掴んだ。ずるずるとその侭堤防に向かって歩き出す。
 為す術も無くマサオミに引き摺られて行きながら、ヤクモは清々しい程に蒼く晴れ渡った空と、眩しくて直視出来ない太陽とをぼんやりと見上げた。
 疲労。寝不足。そして茹だる様な暑さ。何れを取っても、一時の憤慨や慣れ切った迷惑行為に対する真剣な感情を持続させるのには矢張りまるで向かなかった。
 
 *
 
 波がひっきりなしに消波ブロックに砕かれ堤防を打つ音は、余り風情として面白味や味わいがあるものでもない。堤防も海沿いを緩やかな弧を描いて延々続いているだけの、云って仕舞えば壁でしかなく、これもまたさして楽しい風景でもない。
 海の方に目を遣れば、開けた視界のほぼ一面が水面と云う、それなりに新鮮な物見となったが、湾の沖合に漁船が数隻出ている他は穏やかな海には特に何と云う変化があるでもなく、長時間見つめていても特に面白いものでもなかった。
 (……見事なくらいに夏の空模様だな……)
 だから、半ば仕方のない感でヤクモは自然と空を見上げていた。水平線の縁を覆う様にいつからか湧き出していた巨大な入道雲が、上空の風にも散らされる事なく緩慢に動いているのをぼんやりと観察する。
 白い、誰かが捏ねて固めた様な雲が背負っているのは、蒼すぎて堕ちて行きそうな錯覚すら憶える空。
 空には鳥の影も人工の建造物も無く、ただその圧倒感のある色に彼我の距離感をひととき失いそうになって、瞬きをして地上に堕ちてくる。そんな事を何度か繰り返していく内にヤクモは、ひょっとしたら自分は寝惚けているのではないかと思えて来て、空へと上向かせていた顎をかくんと元に戻した。
 視線をその侭巡らせると、少し離れた場所にある、海へと突き出した消波堤の上で釣り人と何やら意気でも投合したのか和気藹々としているマサオミの姿は直ぐに見つかった。
 彼と話しているのは老人とその孫らしき子供で、懐かれたのか子供に釣り餌の付け方などを習っている風に見える。
 山育ちとは云え、自給自足の生活に幼い頃より晒されて来たマサオミが釣りの仕方を知らない筈などないのだが、自分よりも遙かに年齢の上のものに得意気な顔を出来るのが嬉しいのだろう子供に対する優しさなのだろうか。彼は真剣な眼差しで子供の話に耳を傾けている様だった。
 (何気に子供の扱い、上手いよなぁ…)
 マサオミの住んでいた隠れ里には彼より幼い者がたくさん居た筈だ。誰もが協力しなければ生きていけない様な環境下にあれば自然と己よりも小さい者の面倒を見ることになる。マサオミが子供達にも懐かれていたし慕われてもいた様だったのを思い出して、ヤクモは一人で成程と頷いた。
 (ナズナやソーマやリクの扱いもそう云えば上手かった)
 他者の気を汲んで、子供の自尊心を理解して、適度に折れてやんわりと諭して宥めて。そうして何度もナズナとソーマの『いつもの』遣り取りを仲裁していた事をも思い出せば、ヤクモの視線には感心の色が灯る。
 そんな評価にまさか気付いた訳ではあるまいが、マサオミがちらりとヤクモの方を振り向いて来た。連れを一人きりにしている、と云う所に思うものがある様で、その視線には少々気遣わしげなものが乗っていたが、元より「暑いから」と動く事を拒否してマサオミへと「一人で散歩でもして来い」と促したのはヤクモの方である。堤防に膝を抱えてしゃがみ込んだ姿勢の侭、気にするなと云う意を込めて手を軽く振ってやりながら、再び視線を空へと戻す。
 戻したと云うよりは戻ったと云うべきかも知れない。水を湛えた海を前に、じりじりと身を灼く陽光に晒されて、陸の上でその苦痛に喘ぐしかない、釣り上げられた魚の様に。
 (………なるほど寝惚けている)
 次々に移動する己の取り留めもない思考に少し辟易しながら、ヤクモは空に向かって目を閉じた。じんわりと目蓋を照らす陽光の熱に押し出される様に、額から汗が首筋に伝って落ちていく。
 「夏と云えば海……か。どうせならもっとちゃんとした──白砂青松とまでは云わないが、『海』と云う感じの名勝地にでも連れて来れば良いものを」
 例えば泳ぐのに適した海岸や水遊び程度には困らない入り江や磯。地域をこの辺りに絞っても『海』のイメージに余程該当しそうな場所は思いつくと云うのに、何故この場所なのか。何故暑いことこの上ない堤防の上なのか。
 暑いと云うよりは最早熱いと云える程の炎天下。海の上でも空の下の狭間。ぼんやりと目を開いて見下ろせば、くっきりと黒い己の影が灰色の堤防に描き出されている。
 (……いや待てこれは眠いと云うより、熱中症なのでは)
 茹だった頭で茫っとそんな事を思い、ヤクモは己の両膝に額をこつりと下ろした。そう云えばこんなにも暑いと云うのに発汗量も少なすぎる気はしていたのだが、それでも動く気になれなかったのは、果たして疲労や怠さの所為ばかりではない。
 「──つめたい」
 「大丈夫か?ヤクモ」
 気遣わしげな声と共に項に当てられる冷えた感触にその侭の応えを返して、ヤクモは己の膝上に埋めた顔を起こした。振り返りもせずに手を後ろにやって、項にぴったりと押しつけられていたペットボトルを受け取る。
 「いや〜、ご当地価格はお高くて吃驚」
 暑さに項垂れていたヤクモの為に走って自動販売機でも探しに行って来たのか、少々息を切らせながらもマサオミは戯けた様にそう笑って己の分のペットボトルの蓋を捻った。ぷしゅ、と良い音がする辺り炭酸飲料の様だ。
 熱中症突入寸前の様だし折角だから頂こうかと、ヤクモが受け取ったペットボトルを見遣れば、こちらは無炭酸の、有名なスポーツドリンクだった。
 確かにこの場合間違ったチョイスでは無いだろうが、何となく肩透かしの様な感覚を覚えて仕舞い、ヤクモは己の子供っぽさを自覚した苦笑を浮かべて、ぷはー、と心地の良さそうな息を吐いているマサオミの手から炭酸飲料をひょいと抜き取った。
 「お、」
 ぎょっとした様なマサオミを無視して、透明な炭酸飲料をごくごくと飲み下す。冷えた水分と弾ける泡の清涼感に先程のマサオミと同じ様な息を吐いて、ヤクモは堤防の上に腰を落とした。ずっとしゃがんだ侭で少々節の痛い足を投げ出して、それから眼前の海と、それを覆う堤防と、遠い雲と空とを見つめて目を細める。
 身体の熱がひととき去っても、海は相変わらず平坦な侭だし、堤防のある風景も味気の無い侭だ。何も変わらない。
 「〜何の為にアンタの分まで買って来たと思ってんですか」
 返却された、半分ほどにまで中身を減らして仕舞ったペットボトルを苦笑混じりに見遣って、マサオミが盛大な溜息をつく。
 「具体的な栄養素よりも気分的な清涼感の方が欲しかったんだから仕方がない。それに、こっちはこっちで熱を冷やす役には立ってくれているから良いんだ」
 未開封の冷えたボトルを頬に当てて笑えば、マサオミは諦めた様な苦笑を返してヤクモの横に腰を下ろす。
 ちらりと先程まで赴いていた消波堤を見遣って、手を振って寄越して来る子供にそれを返してやっている。ヤクモが先程していたのと全く同じ様な構図だ。
 「海釣りをした事が?」
 頬と肩との間にペットボトルを挟んで尋ねるヤクモに、いいや、と振られるマサオミの首。
 「川釣りなら慣れたものだが海は無いな。何故?」
 「ひょっとして、釣りでもしたかったから此処を選んだのかと思ったんだ」
 先頃の疑問を思い出して、然しそれ程正解の気も無しにヤクモが応えれば、隣のマサオミからは少し柔らかい笑みが返ってくる。
 「まさか。ヤクモと海に来たかったって事以上の他意はございませんとも」
 「夏ならば海、と言い切った割にはそれ程『海』である必要が無い様な気がしたからな。お前の発想パターンからすれば、海水浴場辺りにでも連れて行かれてもおかしくないかな、と」
 戯けた云い種に自然とこちらも楽しげな口調になって仕舞う。するとマサオミの方は少し曖昧に視線を彷徨わせ、それから悩む様に呻いた。
 そんなマサオミの予想外の反応にヤクモは、はて、と小首を傾げた。笑った侭目を逸らしたその様子は、答えに窮したと云うより、どう答えたものかと迷っている風に見える。
 「んー……〜と。何て云うかな。アンタと、知らない場所の知らないものを見てみたかったんだよ」
 間と云うには少々長い空隙の後にマサオミがぽつりと漏らしたのは、ヤクモにはいまひとつよく主旨の解らない答えだった。
 訝しげなヤクモの表情からも疑問を察していたのだろう、マサオミはちらりと平坦な海を見遣りながら続ける。
 「つまらない風景とか酷い光景とかは関係無く、二人で初めて同じ、見たことのないものを見に行きたかったんだ」
 捕捉する様にそう付け足されるが、益々ヤクモにはその言葉の意味がよく知れない。今度はその疑問を置き去りにする様に、マサオミはよいしょと勢いをつけて堤防の上に立ち上がった。自然とその動きをヤクモの視線が追い掛けていく。
 「感想も感慨も印象も。記憶も。多分アンタと俺では同じものにはならないとは思う。アンタが今日ここで見るものを俺は同じものを見ていながらも『見る』事が出来ない。
 ──だから、かな」
 天頂の眩いばかりの陽光を海の反射を見つめる事で受け止めて、マサオミは少し面映ゆそうな表情で照れ隠しの様に苦味をそこに乗せた。その横顔をぼんやりと見上げていたヤクモは、続けて視線をマサオミの見る先へとそっと向けて見るが、彼の云う様に確かに、マサオミが今抱いているのだろう感歎の一切はヤクモには知り得る事の無いものなのだろう。
 「……………………」
 少し表面の温くなったペットボトルを頬から剥がし、熱を未だ保っている額へと押し当てれば、とろけた水分が肌を温まった水で濡らした。睫毛に到達しそうな水滴から逃れる様に目蓋を半分下ろして、ヤクモは密やかな溜息を漏らす。
 (……安心したいのかな)
 記憶を共有するのではなく思い出と云う事象そのものを共有したいのだと云っているとも取れるマサオミにそんな推測が浮かぶが、敢えて口にはしない。
 マサオミは何の気無しに云った心算で居る様だったが、あの躊躇い振りは勿論、どこか硬い所作は彼の裡の感情を雄弁に語ってくれていた。 
 彼はヤクモへと好意を向ける事そのものを憚る事は無かったのだが、己でそんな風に思う事を何処か畏れている節が時折あった。
 それは、大切なものを失った経験のあるものが抱く不安だ。
 また失われやしないかと、大事にしたいものをどう扱えば失われずに済むのかと怯える、畏れだ。
 逆に云えばそれは、自分がどれだけ彼に大事に思われているかと云う事でもあるので、彼にとっての不安が募れば募るだけイコール想いの真剣さを窺い知れて、マサオミのその感情の対象にあるヤクモとしては少々気恥ずかしいものを感じずにはいられない。
 特にマサオミは少々思い込みや感情の起伏が激しく狷介な質でもある為、そう云った『揺らぎ』が顕著である。
 常の自信に溢れた様子や、此処に連れて来た時の得意気な態度は今は形を潜めて窺い知れない。
 その、横顔の先には風情のない海の風景が拡がっている。
 沈めて仕舞おうと思っているのかも知れない。だって此処は何かを沈めるのには相応しい、穏やかな海だから。
 「……………」
 さて、とヤクモは再び小さく息を接いだ。気休めを云う事は簡単だが余り意味のない事でもある。何しろ彼が欲するのは形のない『安堵』だ。
 だから、黙ってマサオミの向けている視線の先を追い掛ける。同じ蒼い海を、空を、白い夏雲を、釣り人の姿を、味気のない堤防を、風情のない波音を。同じものを見て、違う事を憶える。初めて目にするものに対して初めて生まれる感慨を与える。
 ずっと後になって、お互いに憶えている『違う事』を、同じ記憶(もの)として語り合う様になる時の為に。
 (海と云うにはいまいちだとか、子供の面倒を見ていたりとか、寝不足で不機嫌な俺は熱中症気味だったりとか)
 些細な事象を、綻びの生じるだろう曖昧な記憶を、『朝早くから無理矢理に海に連れて来られた』インデックスを付けて仕舞い込んで、ヤクモは苦笑を浮かべながら、暑さに億劫になった所作で腰を上げた。きらきらと中の水分を揺らすぬるいペットボトルで、マサオミの項を軽く小突く。
 「ぬるいなぁ」
 「此処が暑すぎるだけだ。少しは陽を避けられる所に移動しないと、俺もお前も身が保たないし、」
 振り返る苦笑に八割ぐらいは正直な思いを投げ返して、ヤクモは堤防から降りる様にマサオミを動作で促した。
 お開きにしようと云う意の伝わるその動きに、マサオミの表情が不満と云うには些か頼りなさげなものに変わった。名残が惜しそうに平らかな海面を滑る様に見回して、それから先に堤防から飛び降りたヤクモの姿を見下ろして来る。
 「ないし?」
 捕まえられた言葉尻と共にヤクモは、先程よりも少なくなっていたとは云え、漸く得る事の出来た日陰に佇んでマサオミを振り仰ぐ。
 またいつでも来れるのだし、何処にでも行けるのだと、気休めは一言も渡してやらずに。彼に対する理解や共感を、名前も付けずにそっと沈めた。
 「そろそろ昼になる」
 どうせこの辺りの名物丼ぐらいは調査済みに違いない。想像に笑いを噛み殺した素っ気ないヤクモの提案に、応える様にマサオミもまた理解に微笑みながら、堤防から降りて来た。
 



想い出作り。えーなにこのヘタレ悲恋フラグと温度差…。互いの在る時代が違えば見えるものも違うだろとかそう云う問題じゃーなくて要するに感情の齟齬よりも感情の先にある帰結を共有したい訳で。我侭。

そうすれば、『此処に来れば』確実に会えるからと彼は云った。