雨上がりの花の如く 「だからよォ。綺麗な花咲きそうなのに寂しげに荒れてた庭があったからね?ちょっと丹精してみた訳だよ」 水を遣って、肥料をやって、言葉を与えて、心を埋めて。そうして行った庭師の真似事は、多分それなりに楽しいものだったのだと思う。 いつになく上機嫌でコップ酒を傾ける銀時に、相席のサングラスもとい長谷川が、拍子抜け、と言った顔をする。 「あれ、確か銀さん、そのガーデニングとか何とか…なんか余り上手く行ってない風な口振りじゃなかったっけ?」 「まぁねぇ…。結構当初は必死だったよ。切実だったよ、うん。でもさ、終わって振り返って見りゃァ、庭師レベルの低さとか自分の青さ加減とか……まぁ、なんつーの?終わり良ければ、って訳じゃねーんだけど…」 酔っているからか何なのか、上手く言葉にならない感情を持て余しながら、銀時は手の中でぬるくなりかけた酒をぐいと煽った。 延々続いた曇り空の期間が嘘の様な大雨は先日までだらだらと続いていたが、長雨の季節もそろそろ終わって、直に夏が来るだろう。 夏に咲く花はどれも大輪で逞しい印象がある気がする。向日葵然り朝顔然り。散々雨に打たれ咲き誇っていた紫陽花の群れが草臥れて行くのは少々残念な気もするが、そうやって時は流れて行く。日々が何かを癒す様に、ゆるりと変わり映えの無い毎日が続いていく。 「て事は、収穫がちゃんと出来たって事?良かったじゃないの銀さん」 銀時の長考を破る様に、長谷川がにこにこと笑いながら言って来る。余り気にも留めていなかったのだが、どうやらこちらも今日は何やら機嫌が良いらしい。いつかの、パチ屋帰りで景気の悪い面をお互い並べつつ愚痴なぞこぼしていた姿とは大違いだ。 あの日から一体どれだけ時を数えたか。寸時思ってかぶりを振った。指折り数えて恋人(仮)を待つなど、女々しい事この上ない。 「収穫っつーか。最初は枯らしちまって、もう駄目なんじゃねーかなあと諦めかけてたんだけどな。雨の恵みの助けとか色々あって、なんでかんで持ち直してくれたっつーか。もっかい育て直したらちゃんと花咲かしてくれたっつーか……」 ぶつぶつと適当に流す内、ああこれはなんか違うぞ、と気付くが、どうにも上手く着地出来ずに、結局銀時は語尾を濁した。 曖昧に誤魔化す様な形になったが、上機嫌な長谷川はさほど気にしなかったらしい。 「でもちゃんと実ってくれたならそれで良いじゃない。やっぱり苦労はしないと駄目だよね人間。俺もね、ここの所日雇いのバイトを何とか回して、やっと財布にまとまった金が出来たんだよー。でね、今日はハツとの結婚記念日なんだけどさ、なんとか料亭取る事が出来てさぁ」 そんなに高級な所って訳には流石に行かなかったけど、と照れた様に続けて笑う長谷川を見れば、その上機嫌の正体は明らかだ。 「あーそりゃ良かったねぇ長谷川さん。今度は痴漢とかすんなよ?坂田弁護士も色々忙しいから。庭の掃除とか大変だから」 「ちょっとォォ銀さん、厭なトラウマ刺激すんのやめてくんない!?そもそもあれ冤罪だし!痴漢とかしてないから、幾らマダオでもそこまで人間腐ってないから俺!あ、って訳で俺そろそろ時間だから行くね。悪いけど飲みは割り勘で」 店内の時計を見上げると、長谷川は幸せに弛みきった顔でそそくさと立ち上がった。勘定を済ませると銀時に手を振って慌ただしく店を出て行く。 (……あのいつもの格好で行く心算なのか?アレ絶対気付いてねーよな) 肝心な所が抜けているあのオッサンらしいけど、と思い、元夫婦になりつつある気がしないでもない長谷川夫妻の事を銀時は頭から閉め出した。 別に他人の幸せが憎い訳でも羨ましい訳でもない。色恋に浮かれる季節の街の空気をそこはかとなく呪う事もあるが、思えば自分まで一緒になって浮かれたい訳ではないのだから、構わなければ良いだけの話だ。 ちらりと、店主の立ち働くカウンターの方を見遣れば、後ろの壁には『かぶき町商店会』の広告の入ったカレンダーが掛かっている。店の定休日や仕入れ日に赤丸が付けられた日付の並びを逆に追っていけば、月の端にまで到達していた。 あれから、もう三週間近くが経過している。 真選組の──と言うより山崎が事前に手配していたものだが──用意しておいてくれたチャーター機に乗せられて、銀時は数時間にも満たないフライトで江戸まであっと言う間に戻って来ていた。 今度は貨物扱いではなくちゃんと席を用意して貰えたが、人員入れ替えの為と言う事でか、ぐるりと見回せる個数しかない座席は全席黒い隊服一色で埋まっており、実に居心地が悪かった。 何かと局長まわりの人間の傍に居る様や、事件の幾つかに首を突っ込んだ事もある。故にか万事屋銀ちゃんの存在を知らない者は真選組の内部には最早いないと言っても良いくらいだろう。全員が全員人相を知り得ている訳ではないとは言え、名前や風貌を出されれば「ああ、あの」と得心されるぐらいの認識はあるらしい。 それが理由でか、ちらちらと好奇の視線めいたものも感じていたから余計にだ。ただでさえむっさい空気の中の注視の気配。幾ら寝不足の身であってもとても眠れたものではなかった。それこそ、貨物室の方がまだマシだったかも知れない。……往路同様、あっちはあっちで酔いと寒さとで眠れたものではきっとなかっただろうが。 空港に着いた時、顔見知りの隊士に、車で家まで送りましょうかと申し出られたが、赤色回転灯をくっつけた白黒の車などに送迎された日には、近所に何事かと思われるから止めてくれと言って、結局真選組屯所まで戻った所で降車した。 途端、思い出した様に涌き出る眠気に、もうそのへんの路地で寝て仕舞おうかと自棄っぱちに考えつつも足を動かせば、空が白み始める頃には懐かしい気さえする我が家へと無事に帰り着いていた。 そっと伺うが、押し入れの戸は開け放しの侭だった。アレ?と思いながら居間へと足を運べば、本来押し入れで眠っている筈の神楽が、ソファの上で毛布を被って丸くなっていた。その下には定春が寄り添う様に眠っている。 履き物はなかったから新八は家にちゃんと帰った様だが、なんの気なしに台所を覗いて見れば、そこには夕飯だったと思しきうどんの入った鍋が残されていた。 昨晩真選組の屯所に出掛けて、それから丸一日空けた形になる。一応「ちょっと仕事入ったから出て来るな。明日には戻るから」と、大阪へ出立する前に、沖田の携帯電話を借りて二人に連絡は入れてあったのだが、この様子を見ると予定の延長もあってか、なんでかんで心配の様なものはかけて仕舞っていたらしい。 銀時は嘘を言いたくはないから何も言わないでいる心算でいるが、恐らく二人もわざわざ問い質したりはしないだろう。 なんとなく申し訳ないような有り難いようなこそばゆい心地になって、その侭銀時は社長椅子に座って、ただぼうっとした侭朝を迎えたのだった。 朝の時間帯に入るなり早々と訪れた新八に心配らしきものと愚痴のようなもの、神楽に文句らしきものと心配らしきものと取れなくもない愚痴をぶつけられながら、点けたテレビにはニュース速報が入っていた。 大阪城地下の違法賭博施設の摘発と、その関係者や客達の大量検挙。以前より黒い噂のあった幕臣や、反天人を謳っていた公家、更には政財界に携わる人間や名家の子息、有名な俳優などの名前が次々と挙げられ、その周囲の人間達がカメラのフラッシュを浴びながらインタビューを受けている映像が映し出されて行った。 マスコミにとっては格好の餌だったのだろう、面白半分なのがあからさまな質問や嫌味を浴びせる声や、あれこれと蘊蓄を並べるコメンテーターの会話が続いていく。 そうして最後に、現場を押さえ突入した実行部隊である真選組の紹介と今回の働き振りとが報じられ、彼らが違法闘技場で行われていた人身売買に晒されていた被害者を救助した旨を事務的に伸べたところで、一旦ニュースは終わった。 CMに切り替わった画面を前に、銀時は我知らず詰めていた息を吐き出す。何か間違いやミスがあって、或いは佐久間とか言うあの老人が再び開き直って、土方に纏わる今回の『取引』と言う一連の事情が漏れ出してはいないとは、銀時には確信しきれていなかったのだが、どうやらそう言った報は無さそうだ。 土方の周囲には沖田や山崎も居る。だから大丈夫だろうとは思ってはいたが、矢張りどうした所で不安は拭い切れない。自分が元々の原因とされただけに余計にだ。 近藤は『何も無かった』事にする様だったが、事実として、選んで仕舞った土方の過ちが消える訳ではない。それがいつ何時蘇って足元を掬う事になるやもとは知れない。幾ら証拠を消して回った所で、事実は純然たる現実だ。変えようがない。 土方はあの老人へ、これからずっと自分のした罪科に怯えて過ごせと凄んだが、あれは恐らく己へも向けた言葉だったに違いない。 後悔をするだけでした事全てが消えるなどと言う甘い事は起こりはしない。 だが──もしも、その事で土方がまた苦しむ様な事があったら、銀時は自分の全てをかけてでも土方を護る心算でいる。土方自身はそれを無論良しとは絶対にしないだろうが。それでも、だ。 その銀時の行動こそが土方をまた別の意味で苦しませる事になったとしても。呆れ果てて見限られたとしても。必ず護る。逆の立場であれば、恐らくは──いや、確実に土方も同じ事をしていたからだ。 (酷ェ奴なのはお互い様です、ってか。まぁでもアレだよな。大切な奴だから護りてぇって、それは俺たちみてェなのにとっちゃ、本能みてェなもんだ) 身勝手な言い分にも一応理解はある。 これでも、土方が銀時の為に馬鹿をやらかしたのだと知った時は、憤慨と無力感とにどうにかなって仕舞いそうな程に絶望したのだ。 何も出来ないこと程歯痒く、自分の精神を打ちのめすものはない。知った銀時もそう感じたのだから、突きつけられた土方も同じ事を感じたに違いない。 それを誤りであると言い切るには、銀時には些か後ろ暗い思いがありすぎた。だから結局、何も言う事が出来ない侭に、言われる侭大阪へと向かったのだ。 大阪へ発つ寸前、震える足を鼓舞して向かった副長室。 足音も気配も隠さなかった。障子の前にそうして立って、それでも動けなかった。 背後に月を背負って、自分の影だけが映し出されているこの障子の向こうで、あいつはきっと起きているだろうと確信していた。 言葉が幾つも浮かびかかっては消えて、結局何も出せず仕舞い。 そうして、剣を向け合って対峙する様な間にも似た緊張感に、先に耐えきれなくなったのは銀時の方だった。 それからずっと、何も言えなかった自分に何が出来るかと思いながらも。手を伸ばさずただ見守る事だけが正しいとは到底思えなくなって、咄嗟に木刀を投じていた。 それが間違いだったとは思わない。 その後も間違いになったとは思わない。 そうして三週間と少しを待って、連日報道を賑わせていたこの、違法闘技場摘発から成る芋蔓式のスキャンダルや不祥事が徐々に民衆の興味から離れて、なりを潜めて行った頃。鬱屈も溜まっていたのかも知れない。久々にゆっくり呑もうと繰り出した所で長谷川に遭遇して、そうして今に至る。 土方からの連絡は全く無く、便りのないのは元気な便りとかそう言うレベルでも最早無い。ただでさえ筆まめなのか筆不精なのかよく解らない男なのだから、そんな経過報告をいちいちされた所で逆に気持ち悪いなどと失礼な事を考えて仕舞いそうだが。 事後処理に相当の労を必要としているのは、連日の報道を見ても明らかだ。当事者である土方は、そうである事を隠す為にどんな労も惜しまないだろう。万が一世間に露見する様な事になれば一人で腹を斬りかねない。というか必ずそうする。 が、その懸念を裏切って、今のところ世の中も真選組も押しなべて平和だ。 つい三日前には警邏中──のサボり中──の沖田に偶々遭遇したが、どうやら近藤も土方も地味なアイツも無事に江戸には戻って来ているらしい。と言うか二週間前には戻って来たとも聞いた。 沖田は特に報告や無駄話を振ろうとはせず、余計な揶揄も寄越さなかった。故に銀時も逸る心を何とか抑えて、無用な詮索はしなかった。 土方がそれでも未だ『戻って』来ないのかと言えば。別にそれは銀時への後ろめたさからなどではないだろう。照れくささでも無論無い。単に忙しいだけに違いないのだ。 だから、別に無用に何かを問おうとは思わなかった。終わったら自然と帰ってくるに違いないと、そんな事を確信していたからだ。 あのA型を絵に描いて着こなしている様な生真面目な男の事だ、きっちりやる事は終わらせないと、心から此処に戻ってくる気にもなれないのだろう。 以前までの銀時であれば、ここで無用な嫉妬を掻き立てられて、それこそ苛々と長谷川に愚痴でもこぼしていたに違いない。 そうやって苛々と疑って、つまらない妬心に埋め尽くされた庭に、囲いでも立ててやろうと仄暗い思いに身を浸していたに違いない。 手前勝手な言い分ばかりお互いに当て嵌めて、馬鹿みたいなすれ違いをした。一言、何か一言でも発していたら、多分全く違う関係になっていただろうに。 然しそれもまた、過ぎた事──だ。過去を選べる程人間は万能ではないし、過去で選べる程利口でもない。だから誰もが皆必死で毎日を選び取る。より良い明日がその先にあると願い信じながら、自らで選んで行く。 当然、過ちが無い者なんていない。何かを間違え転んで藻掻きながら、なんとか、それでも、そんな中でもちゃんと途を選んで行ける。 代え難い、取り戻し難い過ちの末に、それでも収まるべき所を見つけられたのならば、それはきっと幸運な事に違いないのだから。 らしからぬ感傷的な物思いは、ほろ酔いの気分と、雨も止んで温かくなり始めた大気の仕業だろうか。 思った銀時が顔をふと持ち上げた時、店の戸を開け、縄暖簾を除ける黒い影が目に留まった。 あ。と瞠目した顔は次の瞬間には、懐かしいものを見る様に目を細めて、それから困った様に、ほんの少しだけ笑った。 蕾が綻んで花がゆっくりと開く様な。そんないとおしささえ思わせる、柔らかな気配を纏った微笑み。 それを見て仕舞ったら途端に堪らない様な心地になって、銀時は手をひらりと振った。熱さを抑えきれない声を上げて迎える。 全く。雨が止むまでどれだけ待たせてくれたのか。 戻ってくるまで、どれだけ雨に打たれていたのか。 ここに。俺の居るところに。 「お帰り、土方」 取り敢えずこれにて終了です。銀土つーか幕土過ぎて消化不良なのをそのうちフォローしたい…。 長い事お付き合い下さりありがとうございました! : ↑ |