猫と副長の七日間 / 6



 その日も猫はそこに居た。
 今日も居るなら明日もきっと居るに違いないと、誰もが自然とそう考える程度には、その存在はごくごく自然にそこに居て、溶け込んでいた。
 土方がそう容認したからそうなったとは言え、土方が猫を突っぱね続けていたとしても、多分、どうせそうなっていたのだろうと思う。
 鬼の副長の傍には当たり前の様に猫が居着いていた。
 そこに居るならずっと居るに違いないと、誰もが疑問に思うことすら忘れる程度には、その存在は余りにも当たり前の風情でそこに居て、落ち着いていた。
 見慣れた世界に、見慣れはしなかった筈のもの。探そうとなど思いもしなかったもの。ただ当たり前の存在でしか無かったもの。
 土方の視線は無意識に、部屋の何処かで丸まっている猫の姿を探す。いつの間にか、こんなに近くに居る事さえも忘れて仕舞う様になって仕舞っていた。
 目で見て、確認した所で、そうか、と不意に気付く。
 余りに当たり前だったから、そうと気付くのに時間が掛かった。
 その日も猫は、そこに居た。
 
 *
 
 その日、猫の姿は消えていた。
 朝である。昨晩、いつもの様に布団の上で丸くなろうとしていた猫を、つい布団の中に入れてやって、眠って、目覚めた朝。
 布団を剥がして裏表と確認しても、猫がその何処かに張り付いている事は無かった。温度を手繰ろうと掌で触れたシーツの上は毛だらけになっていて、確かに猫がそこで眠っていた痕跡だけは残されていたのだが、肝心の抜け毛の主の姿は果たして何処へ消えたのやら、見あたらない。
 布団と、次には枕と、仕舞いには机の下まで覗き込んでから、土方は首を傾げた。猫はいつも必ず朝は、早起きの土方に付き合う気など無い様にぐっすりと眠っていた。そのくせ朝の会議の時間にはのそのそと起き出して土方の膝を狙って来るのだが。
 「……散歩にでも行ったのか?」
 納得が行かないのは百も承知でそう無理矢理な結論を見つけると、それ以上の猫捜索は止めて、手ぬぐいを持ち土方は部屋を出た。今日は平日で、土方には普通に仕事がある。時間は有効な使い方をせねばならぬぐらいには有限だ。
 
 
 朝の会議に猫が姿を見せる事は無かった。大体いつもどこからともなく入り込んでは土方の膝の上へと、定位置とばかりに収まる筈の猫の姿が見えない事を誰もが気にしたが、誰もがその事についてを口に出すのは憚られていた。
 何分、基本的に猫の狼藉を許さないか、不承不承に放置する鬼の副長が相手だ。「猫見あたらないけどどうしたんですか?」なんて問いを投げる事の出来る勇気ある者はいなかったのである。
 「いつもの白いモサ猫が見あたらない様ですが、どうしたんですかィ?」
 ──一番隊隊長の沖田総悟以外には。
 「……俺が知る訳無ェだろうが。別に飼ってた訳じゃあるまいし、俺に訊くなそんなもん」
 次の瞬間には土方の「下らねェ話してんじゃねぇ」と言う雷が落ちるかと身を竦めていた隊士らは、苦虫を噛み潰した様な表情でぶすりと答える彼のその様子に軽く驚きはした。が、それもまた、突っ込む事の出来る者は沖田以外には皆無である。
 「へぇ。あれで飼ってねェつもりだったんですかィ」
 そして当の沖田は、無駄話をそこまでにとどめる事にしたらしい。土方は相槌すら打たずに、嫌味めいた年下の言葉を黙殺したが、沖田がその先を続ける事は無かった。
 「さて、この間の連続付け火事件の捜査だが──」
 次に近藤が余計な事を言わぬ内にと思ったのか、土方は会議をいつも通りにさっさと手早く進めていったので、誰もがその事をすぐに忘れた。
 会議が終わっても猫が姿を見せる事はなかった。
 それでも会議はいつも通りに進行して、いつも通りに終わった。
 何も変わらず。
 
 *
 
 今日も矢張り、習慣めいて見上げたスナックの二階に灯りは無かった。見廻りのついでだ、と言い聞かせて歩く事の滑稽さに忍び笑う。息を継ごうとすれば思いの外に落ち込んだ溜息が出て、土方はくわえた煙草の先に自嘲を逃がしながら、見慣れた建物にそっと背を向けた。
 屯所に戻ってからも、廊下を歩く足は重い。今日は猫の姿を全く見ていない。朝に姿を消してそれっきりだ。だから、きっと部屋に戻っても『いつもの』様に居る気のしている、猫の姿は無いのだろう。
 その想像は土方の心と足取りとを大層重くさせた。慣れたものが無くなる事と言うのはこんなに心を気鬱にさせるものだったか、とぼやいてみた所で、こうして今、どうやら己が落ち込んでいるらしいと思い知れば、そんな軟弱な事実に益々落ち込まされるばかりだ。
 「……よし」
 小さな声ではあったが、形に出して前向きな気持ちで呟く事で、幾分かは気を取り直せた筈だ。いつまでも腐れ縁の情人や気紛れな猫の事で落ち込んでいられる程に、真選組の副長は暇では無い。
 土方は手を伸ばし自室の戸を開いた。
 「よ。お帰り」
 
 果たしてそこには──が居た。
 
 「お帰りっつーかお疲れさん?お前こんな夜まで仕事に歩いてるってどんだけだよ。もう夕飯とか食いっぱぐれてる時間じゃね?」
 「…………」
 部屋の真ん中程、勝手に引っ張り出して来て敷いた座布団の上に肘をついて寝転がっていた銀髪の男は、呆然と立ち尽くす土方を前にのんびりとした所作で身を起こすと、そう言って笑ったのだった。
 「腹の足しになるかどうか解らねェけど、土産に温泉饅頭持って来たから食うか?あぁそうそう、長期の仕事って言われてとんでもねぇ山奥のド田舎に行く羽目になってよォ…、」
 温泉入り放題って言われてガキ共ははしゃいでるし、と続いた声は然し途中で消える。土方のよく見慣れた、いやに懐かしく感じられる万事屋稼業の坂田銀時の顔は、何やら困惑を顕わに暫し固まっていた。
 「……何だ、途中で」
 思わずそう口を開いた土方から視線を少し游がせ、銀時は「あー、」と少し歯切れ悪く呻いた。
 「だってお前、」
 何処か苛立った風に言って銀時は立ち上がると、戸口に立ち尽くしていた土方の横から、首を出して廊下を左右と確認し、いやに静かな所作で戸をぴたりと閉ざす。
 そうしてからくるりと振り向くなり、まだ驚きの余韻から抜け切れていない土方の背と腰とに腕を絡めてぐいと引き寄せた。噛み付く様な勢いで口接ける。
 「、」
 猫は居なくなっていたが、最も会いたかった筈の男にまた、会えた。ごく当たり前の事の様に部屋に勝手に上がり込んで、勝手にだらだらと横になって。勝手に出かけて行った筈の男が、当たり前の様に勝手に帰って来た。
 驚き過ぎて上手く受け止め損ねていた、ふわふわと現実感の遠いその事実が、然し重なった口唇やぴたりと触れた体温から、余りに近い実感と言う明瞭な形を持って土方の脳を灼く。
 喉を鳴らして舌を絡めて味わって存在感を得て、土方は酩酊しそうな意識に逆らう事なく銀時の首に手を回してその存在を引き寄せた。
 口腔で熱を分け合う様な深い交合の末、銀時に押される様な形で土方は畳の上に膝をついて座り込み、ぐいと引き寄せられてその勢いで寝転がった銀時の体の上へと半身を乗せられる。唇を離してそっと見下ろせば、至近にある銀時の顔が苦笑を形作って土方の後頭部を優しく撫でた。
 「スゲー俺に会いたかったって面してんだけど、何、柄にもなく寂しかったとか?」
 「……柄にもねェのはどっちだ、クソ馬鹿天パ」
 一体どんな面だ、と訊いてみたい気はしたが、きっとどんな表情をしていたとして、それに間違いは無いのだろうと諦め混じりに思って、土方は話の矛先を逸らした。
 「?何の事」
 疑問符を浮かべる銀時の鼻の先に軽く唇を落としてやれば、至近で驚きの表情。そんな些細な動きに少しだけ胸が空いた様な気がして、土方は小さく笑うと銀時の胸の上に額を落として言う。
 「誕生日だから祝えとか一緒に居ようとか、そのぐらいちゃんと言えってんだよ」
 「…………恥ずかしくて今更そんなん言えるかよ。つーかお前知って…、た訳じゃねぇよな。いつ頃思い出したのソレ」
 ぶすりと唇を尖らせて言うと、銀時はゆっくりと身を起こした。土方の後頭部を自らの胸へと引き寄せるその仕草から、恐らく顔を見られたくないのだろうと察しはしたが、土方も顔は見られたくなかったので、丁度良いから黙ってされるが侭にしておく。
 「てめぇが長期の仕事とやらに出てる間だ。……悪かったな、忘れてて」
 「いやまあ別に、もう気にしてねーし、特に最初っから気にもしてなかったしね?思い出してくれただけで充分だよ」
 ぽん、と髪に置かれた手が頭を撫で下ろす、慰撫する様な仕草に、土方はそっと息を吐いた。こうして同じ様な姿勢で猫を抱えていた事があったが、あの時あの猫はどんな気持ちだったのだろうと、埒もない事を考える。
 「てっきり、憶えてなかった嫌がらせで猫を放り込んでったのかと思ったわ」
 「……猫ぉ?」
 素っ頓狂な声を上げる銀時を思わず見上げれば、彼は何やら眉を寄せて考え込む様な表情を浮かべていた。何かものが喉に詰まっている時の様にすっきりとしない様子で居る。
 「いや、何かな、おめーの横でずっと、猫みてーにごろごろしてる夢とか見てた気ィしてよ」
 何だと問えば銀時はうーんと唸ってそう言ったものの、次の瞬間には悪戯っぽく笑った。
 「もしかして本当に、おめーと一緒に居てェ一心で、猫になってたのかも知れねェよ?」
 そんな馬鹿な、と普段なら一笑に付す所だったが、土方には奇妙な確信があった。それは、恐らくもうあの猫が戻る事は無いだろうと言う事実。銀時が夢を見たとか、猫がしょっちゅう寝ていたとか、そこに合う辻褄や理由があったとして、それはただの事実ひとつに置き換わって、それまでだ。
 「ド田舎に行ってたんだろ?ガキ共の喜ぶ温泉地だったって手前ェで言ってただろうが。それがどうやりゃ、江戸で猫になってやがるってんだよ、馬鹿か」
 銀時の笑みに、土方も喉奥で笑ってそう返す。互いに気安さや安堵の滲む笑顔に悪いものは無い。
 「まーほら、魂半分に割れたりしてるし、猫は体験済みだし?猫になっておめーの傍で日がな一日ごろごろするのも悪くねェさ」
 だから土方は、多分油断していた。
 「俺は、猫より本物のてめぇの方が良かった」
 当たり前の様に思わず呟いて仕舞ったそんな言葉に、「えっ」と銀時の発する間の抜けた一音が聞こえた気がしたが、気付かないふりをして土方は、今度は自分から口接けて言った。
 「お帰り」
 
 返事は言葉では無く、行動で返って来た。





猫も銀もほぼ出てないじゃん!と後から気付きました、何かもう…、何。
副長密かに、普通の人間の感性程度には動物が好きなんだよ!好きでいいじゃん!と言うお話。

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割とかなり蛇足。
どうでも良い方はささっと戻っちゃって下さい。

猫に懐かれて「べっ別に猫好きって訳じゃねーから!放っておいてるだけだから!」と言うツンデレ的な反応をさせまくりたかったんですが色々あってほぼ省略に。
銀が寝てる夜>猫が起きてる、銀が起きてる日中>猫が寝てる、様ですがそのへんフワッとした感じの侭にしときます。別にそこは重要じゃないので…。