執着に劣るは贋造の石 「ひょっとして大ピンチ?」 「……てめーか…」 物陰から突如飛び出した刃物の気配に動じる事なく、両手を挙げる銀時。その首に刀を向けていた土方は、正体を確認して一歩、離れる。 「サボり、って感じじゃあねーよなこの状況じゃ」 「ッたり前ぇだ。てめーと一緒にすんじゃねェ」 刀は下ろすが鞘には収めない。土方は銀時が姿を覗かせたコンテナの陰に寄り掛かり、はあ、と大きく嘆息した。 陸地からは橋一本しかない埠頭だった。コンテナが幾つかの区画に分けて置かれたそこはちょっとした迷路の様な地形で、夕闇に近いこの時間帯にはそのあちこちに闇がある。 その一角に土方は潜んでいた。左肩に自らのスカーフを裂いた手当の痕と共に。 「……てめーはどうやって入ってきやがった?橋には見張りが居た筈だ」 顔は覗かせず声を潜め、ばたばたと幾つか離れたブロックを往く足音を伺いながら、土方は慎重に銀時の方を振り返って訊いてみる。 「連中の仲間の振りした。攘夷浪士なんて似た様な連中ばっかだしな」 そう言われてまじまじと見れば今の銀時の格好は、いつもの様に洋服の上に片袖を抜いた流しと言う頓狂なものではなく、普通に流し一枚を着ているだけだった。そして腰には木刀。成程、これならただの浪人の様に見えなくもない。得心した土方は頷く。 「強行突破はしてねェ訳か。なら状況は寸分と変わらねーってことだな…。ま、端から期待とかしてねーが」 救世主の様に颯爽と参上、などとは死んでもして欲しくない相手だ。訳もなくコレに助けられるくらいならば、這いずってでも足掻く事を選んでやると、可成り本気で土方は思っている。 郊外に潜む攘夷の徒らに兵器を密輸している、攘夷党の一つだった。かねてより監察による内定も進んでおり、今日も山崎と共に情報収集をして、概ねの確信を得た所だ。後は機会を窺って証拠か現場を押さえて潰すだけ。 だが、敵の囮の動きに、単独行動中だった土方は見事に引っかかって仕舞った。連中も真選組に対して警戒を抱いていたのは当然だと言うのに、ついそれを失念していた。大した規模の連中でもないと、相手を舐めていたのもある。結果、出口も入り口もひとつしかない埠頭という隔離地帯に誘い込まれ、今正に追われ情けなくも手傷を負わされどうしたものかと呻いていた所だった。 「退路を拓くなら手貸さねーでもないぜ?勿論貰うモン貰うけどな」 「……てめーの貸しは高ェから出来れば借りたくねぇ」 人差し指と親指とで「○」を作って言う銀時に、土方は心底嫌そうに返しながら火を点けない煙草を噛んだ。煙ひとつでも今は気取られたくはないからなのだが、これもまた苛立ちの原因の一つである。 「まあ待ち合わせ場所に俺が現れないんだ、待ってりゃ異変に気付いて増援は来るだろーが…」 「その前に俺らが追い詰められるのが先じゃねーの」 銀時の正論に土方は舌打ちする。埠頭はそれなりの広さがあるが、多方向の視点から隠れられる場所は限られている。出口兼入り口を塞ぎ、敵がばらけて捜索を始めた以上、隠れ潜める残り時間はそう多くはないだろう。 無用に危険を冒したくはない為、土方は敵に打って出るよりも主に隠れ潜んで時間を稼ぐ心算でいたのだが、これでは難しそうだ。 「ていうか…、なんでてめーがこんな所にいやがんだ?」 敵の気配を手繰りながら当初の疑問に帰る土方に、銀時は耳に小指を突っ込んでふう、と溜息をつく。 「浮気調査の依頼中だったんだけどな。その相手がどうやらお前の追ってるこの攘夷党の奴みてーで。ソイツが真選組の奴がどーとかこーとか話してんの小耳に挟んだから…、まあ、成り行きて奴」 「依頼だァ?……まさかメガネやチャイナまで巻き込んでねェだろうな?」 攘夷浪士絡みの依頼に関わらせるなど、銀時がまさかする筈はないだろう、と思いながらも念のために問いてみる。土方の胡乱な目つきに銀時は仕草で示そうとでもしたのか、ハタキでもかける様にぱたぱたと手を動かしてみせた。 「新八と神楽なら今日はババアへの家賃代わりのご奉仕労働中だから心配いらねーよ」 「…………それじゃ何か、つまりてめーは、依頼にかこつけて労働奉仕から逃げて来たってワケか」 年齢的には子供の二人に目の前の労働を任せ、自分は本来断っても良い筈の依頼を生温く請け負って来るとは呆れたものだ。相場など知らないが、この浮気調査の依頼とやらの報酬が溜まった家賃とやらに相当するものとも思えない。 「ったく、巻き込まれた民間人を避難させる、ってフローチャートが一個加わっちまっただけじゃねェか。連中の仲間のフリ出来んなら大人しく歩いて帰りゃいいだろ」 煙草を噛み締めて土方は心底嘆息するが、 「お前見捨てて逃げるワケにもいかねーだろ。コレ銀さんの依頼ね」 「………全部テメー事じゃねェか。つーかそれなら依頼料払うのもテメーだろうがよ…」 ふ、と小指についた耳垢を吹いて飛ばしながらも真っ当に親切に聞こえそうな言い分を寄越す銀時の様子に、それ以上言い募るのは無駄と判断した土方は体ごと視線を逸らした。心強さを一瞬とは言え覚えて仕舞うのは悪い傾向だ。とことん単独だと思って行動した方が自分の為だろう。 「(おい、移動するぞ)」 そこに丁度足音が近付いて来たのもあり、銀時に軽くジェスチャーで合図を出しつつ、土方は足音も気配も忍ばせてコンテナの群れを回り込んで行く。その最中コンテナの隙間に挟まれた細い空を見上げてみるが、土地鑑のない場所では大まかな自分の居場所すら判然とはしない。陽の具合で方角だけは解ったがそれだけだ。 こんな狭い谷間からでは伺えないが、コンテナ運搬用のガントリークレーンが埠頭にはあった筈だ。もしもあんな高所から探索されたら、こんなのは隠れん坊以下の狩りになって仕舞う。一応注意は払っている心算だが、こういう状況で陰から光へ出ると言うのはぞっとしないものだ。 そんな考えを脇に携えた侭コンテナの丁度角で立ち止まる。顔を覗かせなくともそこに人間が居るのは気配どころか話し声で明らかだった。巡回組とは異なり、その地点の見張りでも担当しているのだろうか、それともサボっているのか。複数人の談笑する気配が光の方角にある。 「八人程度か?十人は…いねえな」 音だけで目算を立てる土方に、銀時が「大正解」と暢気な声を降らせて来る。 「……ん?」 声のした方をはっとなって見上げれば、コンテナに背中を貼り付かせた土方を横切る様な形で、銀時がコンテナから顔を平然と光の方へと向けていた。 「っな、(何やってんだテメェェェェェェ!!!)」 泡を食いながら土方は銀時の胸倉を掴んで物陰へと引っ張り戻す。流石に声量は抑えた。理性で。全力で。 「いや、だって実際数えた方が早ぇし」 「(ンなの当然だろーが!しねェんじゃねェんだよ出来ねんだよ!もし敵がコッチ見てたらどうする心算だったんだ!)」 「目が合おうが合うまいが、どうせ通り抜ける心算なんだろ?それに俺ならもし見つかっても、奴らの仲間のフリ出来るしな」 「〜っ」 正論と言えば正論だが、土方は苛立ちや焦りから成る呻き声などの諸症状を必死で堪えた。フィルターを噛み潰した煙草を乱暴に投げ捨て、それから己の内圧を下げる様にかぶりを振った。息を吸って、吐く。 「…ま、話が早くて結構な事だ。俺が先に出るから、てめーは適当にそこらで遊んでろ」 「へいへい。遊びの種類は適当に選ばせて貰うとするわ」 鯉口を切りつつちらと見遣れば、銀時は腰に佩いている、柄に「洞爺湖」などと巫山戯た銘の入った木刀に手を乗せていた。いつでも抜ける様にしているとは言え……木刀は木刀だ。 (そこらの浪士倒したら刀一本奪っとけ……って言っても無駄だろうな。何せ、それがコイツにとっての士道(ルール)とやらだ) いつか死ぬぞ、と呆れ混じりの思考を打ち切り、土方は眼前の現実に意識を集中させた。抜刀するのと同時にコンテナの陰から飛び出す。 つまらない冗談だか世間話だかに笑い合っていた浪士たちの顔色が変わるが遅い。呼気を声にはせず吐きながら、土方はまず刀を抜きかけた一人を駆け寄った勢いの侭斬り捨てた。噴いた血の色に、慌てた様に次々と鞘走りの音。 構わず集団の中に斬り込み、もう一人。左後方でにぶい呻き声が同時にもう一つ。 返す刀で三人目に斬りかかるが、辛うじて身を躱される。舌打ちと共に足を止めた土方に横から浪士が一人斬り込んで来るが、難なく受けて鍔迫り合いになる。 (後ろから、もう一人) 隙を大きく晒す事になる競り合いを長く続ける気は端から無い。斬り結ぶ相手の足を払って、態勢が崩れたところを胸倉でもひっ掴んで、後ろから迫る奴に投げつけてやる心算だった。だが、振り返る迄もなくそのプランの破綻を知るは、人が木刀に打たれ倒れ伏す音。洞爺湖銘のアレ以外には有り得ない。 然し、どんな画数の多い銘や大層な名のついた逸品だとしても、木刀は木刀だ。銀時の打ち倒した浪士二人は気を失っているだけに過ぎない。 (あれが、真剣だったら) 嫌々思い起こされるのは折られた刀。命のひとつふたつを持って行くには易い、鮮やかな所行。 (──厭な事思い出しちまった) 上からかかる競り合いの力にではなく表情を歪め、土方は当初のプラン通りに眼前の敵の足を払った。バランスを崩した相手の隙に容赦なく攻め込み、刀を上へと勢いよく打ち払う。 「──、」 へたり込んだ所に刀まで飛ばされ、浪士の表情に絶望が乗る。高々と天を向いた土方の刀の、刃がくるりとそちらを向いた。 それはただの空隙だ。数秒に満たない間の出来事だ。恐怖を感じる遑や、走馬燈を見る余裕があるかなど定かではないし、どうでもよい。ただ、その空隙を裂く、昂揚も憐れみもない無表情で、袈裟に振り下ろされた刃の軌跡に添って血が飛沫いた。 「っひ、怯むなァ!!」 瞬時にして倒れた四人の仲間を見て、漸く浪士たちは敵の驚異を悟ったらしい。鼓舞する様な声を上げ各々刀を構える。周囲をぐるりと包囲する様な四つの刃に土方も油断なく刀を構え直した。その背後と言うよりやや左側に銀時が立つ。先程もそうだった。土方の負傷の影響する方角をまるでカバーするかの様なさりげない位置取り。 「…ち」 感心ではなく苛立った感情と共に舌打ちをする。苛立ちの正体はよくわからない。 「命は粗末にするモンじゃないよ全く」 溜息混じりに銀時がぼやくのが聞こえる。いつもの軽口と同じ様な調子で言うそれは、向かって来ようとする浪士らに向けたものなのか、それとも木刀の銀時と異なり真剣で屍の山を平然と作り上げる土方に向けられたものなのか、判然としない。 怒声に似た気合いの叫びを上げ、一人が斬りかかって来るのを先程の様に受けると、背後で残った浪士の一人が懐をまさぐるのが見えた。彼が取り出したのは紐のついた呼び子だった。 見るが早いか、組み合った刀をずらして相手の態勢を崩させてそこに斬りつけると、土方は絶命した浪士の手から刀を素早く奪い取った。背後の二人の心配は端からしていない。あの巫山戯た木刀に気絶させられ終わるだろうと言う安い確信はある。 その確信の正体も、実のところよくわからない。 奪い取った刀を中空で反転させ、切っ先を、今正に呼び子の紐を掴んだ浪士に向けた。振り下ろす様な動作で投げる。 「っが」 呼び子を鳴らさせる隙を少しでも奪えればと思っての咄嗟の行動だったのだが、偶然も手伝い刀の切っ先は綺麗に浪士の喉に刺さった。その手から呼び子がぽろりと落ち、数瞬遅れて人間の方も倒れ伏す。 「オイオイ、変わった物騒な特技持ってんな。普通投げるか?」 「普通は投げねェ。刺さったのも偶然だ。運が良かっただけだな」 木刀をだらりと下げた銀時が無造作に歩いて来るのを、戦闘の緊張をゆっくり解きながらの動作で土方は振り返る。見れば先の二人は既にやられたらしく、気を失って転がっていた。安っぽい確信の、その通りに。 「……殺さねえならせめてふん縛って隠しとけよ。折角仲間呼ばれんのを防いでも、目醒ました其奴らが触れ回ったら意味ねェだろーが」 「………ま、それもそうだな。折角の運の良さが無駄になっちまうか」 嫌味、とも取れる言葉に、煙草を探りかけた土方の顔が盛大に顰められる。ひととき剣呑になった目で追うが、木刀を腰に戻した銀時は浪士らの刀の下緒を使って器用に拘束して行っているだけで、言葉にはまるで他意など無い様にも見えた。 自分の作った死体の山を見遣る。これだけ血が残っていれば、遺体を隠した所で余り意味などありそうにない。首尾良く拘束した浪士たちをコンテナの陰へと蹴り転がした銀時を手招いて、そそくさとその場を移動しようと、土方は現場に背を向けた。 「あ」 銀時が放ったのは一音だけの言葉だったが、土方には何故かそれが呼びかけに近い質の様に感じられ、思わず振り返っていた。 「なん──」 振り向いた所で、思いの外近くに既に来ていた銀時の手が土方の頬にひたりと触れた。息を呑む様に疑問の声が途切れると、手の甲が頬を擦る様にして、そして離れていく。 指の背が、赤い。 返り血だ、と気付いた土方が手を上げようとするのを制する様に、銀時の手は両手に変わり、土方の両頬を挟む様に添えられた親指がぐしぐしと無遠慮に皮膚を擦ってきた。何度も。 「……そんなんで落ちる訳ァねーだろ。拡げてどうすんだよ」 いい加減辟易した土方が呻く様に言うのに、銀時は顔を顰めて、それからそっと土方の頬を解放した。その両手は拭おうとした血で薄ら赤い。 返り血がついているなら、そうと言えば手拭いくらい持っているのに、と溜息が漏れる。拭き伸ばされて仕舞ったら布で擦った所でもう落ちなどしないだろう。 「こんなのは、汚れた内には入らねェんだよ」 自らの、赤くなった指を見下ろしていた銀時が、土方のその呟きに顔を起こした。少しだけ妙な顔をしている。普段余り見る事の無い類のそれは、死んだ魚の様だとされる目が益々朽ちて、腐った魚の目の様にも見える気がした。 澱んだその色が、何故か己を責めている様に感じられ──、居心地の悪さを振り払う様に土方は続けた。 「拭おうが言おうが、無くなるモンなんざねぇんだ」 (だからてめーが、俺に降りかかった血だの、面倒事だのを、払う必要なんて無ぇんだよ…) 残された呻きは声にはならなかった。殺して無い筈の男の手が血に汚れて、その掴んだ”殺さない為の”木刀までもが赤くなる事に、言い様がない程に心が騒いだ。痛烈な、吐き気にも似た、これは果たして何かの感傷なのだろうか。 土方の密かな困惑を余所に、銀時は片方の眉を少し上げた。 「無くなったら寧ろ困るだろーが。手前ェの剣の重さくらい知っておけよ、まがりなりにもオマーリさんなんだろ」 「そんくらい知ってらァ」 かちん、と来て思わず即答する土方に、澱んだ様にも見える瞳を軽く閉じて、銀時は溜息をつきながら頭を適当そうな仕草でばりばりと掻きながら続ける。面倒、と言うよりは、どう言うべきか、と悩んでいる風情だ。 「あのな。俺は別に無くしてやりてェとか思ったワケじゃねーの。まァ、今回のコレは成り行きだけ、とは言えねェけど?」 幾ら道中で耳にしたからと言って、危険度の高い事も明らかな直中に銀時がわざわざ飛び込んで来たのには、当然の様にその渦中に置かれた土方の身を少なからず案じる類のものがあったからだ。 だからこそ、土方は苦々しい感情を噛む。木刀で人を倒すのも、自分を害する者を排するのにも、本来要らなかった筈の「理由」が篭もっているのを思い知らされずにいられない故に。 「とんだお節介だ」 噛み砕いた感情から吐き出された言葉は、自分ではっきりと解るほどに効力がないものだった。 案の定、銀時はいつもの様な草臥れた目に戻って、口元に呆れの強い表情を浮かべてくる。 「…………お前本ッ当可愛くねーな……。手拭いでもなんでもやってやるってんだから、素直に甘えとくもんじゃねぇ?普通」 「……俺は手前ェの思う通りの人間、てワケじゃねぇからな」 そう──捨て台詞だとは思ったが──吐き捨てながら、土方はもう一度だけ背後の死体の山を僅か振り返った。 抜けば、惰性の様に斬る命がある。自分が生きる為に、真選組が無事である為に、江戸が平和である為に。それは大義名分ではなく充分な理由そのものだった。本能の様に、躊躇う事のない、揺るぎない鋳型で造型されたのは決まりきった一つの作業と結果。 (××だから殺す、ッてんじゃねぇ。真選組は、俺は、”人殺しが出来るべき”だ) 「そうでもないと思うがなァ…」 自らの思考と、先程の捨て台詞に対するものだろう、銀時の呟きが重なった。偶然とは言え厭なタイミングに渋面になった土方は、銀時から──その赤く汚れた手から、そっと視線を逸らした。 「……手伝って貰っといてなんだが、てめェはもう帰れ。連中のフリして来たってェのと同じテでもなんでもいい。そうでもなきゃ、俺が出入り口制圧したらそこから帰るんでも構わねぇ」 「あ?」 目を逸らしたのは失敗だったかも知れない。銀時から土方の表情は伺い知れないだろうが、土方もまた銀時が今どの様な表情で己を見ているのかを知る事が出来ない。 声は──少なくとも怪訝そうではあった。不満と言うより不審と言った感情の濃そうな。 目は。まだあの澱んだ様な、責める様な、問う様な目だろうか? その想像は余り愉快ではない。殊更に背後の気配に無視を決め込み、土方は先程探りかけた煙草を取り出し、火は矢張り点けぬ侭にくわえた。 「何だよいきなり?会話繋がってねーぞ土方くん。ひょっとして生理中?不機嫌?」 「ンなワケねぇし、てめーと会話のキャッチボール成立させなきゃなんねぇ謂われも無ェだろが」 巫山戯た発言は、土方の不穏な気配に聡く気付いた故のものだ。そうと解ったからこそ、土方はそれを躱すべきだった。だが、上手く除ける理由も思いつかず、結局いつも通りの埒も無い返球をするしかない。 「良いから早くアタマを帰る方に切り替えやがれ。これは俺がドジ踏んだ結果の戦場だ。手前ェが関わる様なモンじゃねぇ」 言葉を噛み潰す様に吐き出す度、無性にニコチンが欲しくなる。歯切れの悪い言同様に潰れた煙草のフィルターの感触が不快だった。 背後で息を大きく吐く気配。 「あのな、別に俺は、」 「俺の汚れなんざ拭った、そんな赤い手してやがると…、ガキ共が心配すんだろ」 鬼札だ、と言う自覚を持って、土方は唇を噛みながらも最後の手札を切った。背中越しではこんな情けない程に苦りきった表情も伺えないだろうが、声から感情は隠せただろうか、と僅かに思って後悔しそうになる。 警察官として、と言う訳では無いが、子供が巻き込まれたり無用に悲しむ姿を見るのは好きではない。 それは仲の悪い万事屋とて例外ではないのだが、そう言う意味で切った札ではないのだと、己で理解するだけの分別はまだ、ある。 銀時はそうと気付かないかもしれない。だが、そうならそれで良い。この札が銀時にとって鬼札になれば良いのだ。 「メガネも、チャイナも、馬鹿じゃねぇ。手前ェがそんな血の匂いさせて戻ったら、何だと思うよ」 「………」 銀時からの返事はない。土方は噛み締め過ぎた煙草を指で摘み、それからひとつ、溜息未満の乾いた呼気を吐き出した。 (血の匂いをさせたコイツなんて、) 土方はそこで吐いた息を小さく呑み、否定する様にかぶりを振った。それはしてはならない想像なのだと、頭の何処かで警鐘が鳴るのを、何処か茫然と聞いていた。 (メガネと、チャイナと、コイツで……万事屋だ。コイツは万事屋で良い。坂田銀時とか銀髪の侍とか桂の知り合いとか攘夷志士だとか、そんなものは興味も無ェし、知らねェし、要らねェ……!) 人を殺せる腕で人を殺せない木刀を持って、自分(てめー)の武士道(ルール)とやらに従う、馬鹿で正体不明の、万事屋で良い。 己のそんな絶望的な思考に、土方は頭を抱えたくなった。 (辻斬りがあった。高杉一派と桂一派が争った。彼奴は関わってんだか関わってねェんだか、山崎の作文みてェな役立たずの調書じゃ結論は何も出なかった。だから、もう面倒くせェからと捨て置いた…) それが、無意識の手心だったのだと。鬼札と知りながら切った「万事屋」と謂う札には余りにあからさまに描かれ過ぎていた。 (………最悪だ) 背後の銀時には気取られない様に、苦い理解を溜息にして吐き出す。いっときの情に絆されて、見誤った。それは最早認めざるを得ない失敗だ。少なくとも真選組副長と言う立場として持って良い感情ではなかった。 「……おめーが今、何をそんな悩んでんのかは解るよーで解んねェんだろうけどよ」 背後から、ばりばりと頭を掻く音。思考を遮られた事は寧ろ今の土方には有り難かった。そうとは気付かず少しだけ顔を上げる。 「それは真選組の副長、って立ち位置から来る意見か?それとも、土方十四郎(てめー)の個人的な意見か?前者っつーなら俺ァ諦めて帰るが、後者ならそうも行かねェよ。てめーの汚れ拭って余計なもん被ろーが、俺の護ると決めたもんは譲る気は無ェ」 まるで、答えは後者であると確信している様なはっきりとした言い種だった。そしていつもの彼の言葉と同じで、迷いなどない。飾りもない。 (………これも、お前の魂ってやつが、折れる様な…事なのか?) 嘗て銀時に言われた。手前の信念こそが真っ直ぐな魂であると。突き動かされる様なそれから目を逸らせば、魂が折れて仕舞うのだと。 その時は、理解はしたが共感は持たなかった。己のロマンティシズムだけを行動理念に、死も同然の渦中に飛び込むのは馬鹿としか言い様がないとも思った。少なくとも、多くの命を背負う土方の身では、出来る事ではない。 「副長の立場でも、俺自身でも、てめーみたいな得体の知れねェ奴に守って貰う必要なんざ無えよ」 なんとか探しだしたのは、自分で思ったよりも険の込もった声だった。攘夷浪士が、と蔑むのにも似た響きである事に気付き、同時にそれと同様の問いになって仕舞っている事にも気付き、土方は再び俯いた。 怪我のある位置に銀時が立つ事を許しておきながら、今こうして背中を見せておきながら、絞り出した言葉は剰りにも矛盾が多すぎた。思いつく侭拗らせて行って仕舞っているのが自分でも解る。 「……俺の正体知りてぇってんなら、別に普通に答えるぜ?ウチのガキ共も知ってるし、隠しておくよーな事でも無ェし、バレたらどうにかなっちまうってもんでも無ェし、そんな大層なもんでも無ェし。今までだって、お前に訊かれてりゃ答えてたよ」 「──ッ、」 奥歯を噛んだ侭思わず土方は振り返っていた。今最も離しておきたかった当面の問題を目の前にわざわざそうと解る様に転がされ、冷静でいられる気が余りしない。一方の銀時は、普段と何ひとつ変わらない風情に見えた。だからこそ土方には厭な確信が生まれた。間違いなく、問いさえすればコイツは何の躊躇いもなく、最も知りたくない事を答えるだろう、と。 「万事屋、から──攘夷志士かもしれない何某、に、見える位置、変えてみるか?」 「、」 焦点が合わなくなった。それでも解る。目の前の男は、普段余り見ない様などこか淡泊な表情で居る。 その首に抜き放った刃を突きつけた侭、土方は我知らず荒くなった呼気を一度だけ、吐く。 「……侮辱してんのか」 辛うじて、それだけが言葉になった。憤怒や、衝撃や、悲哀や、安堵。色々なものが混じり過ぎて渦を巻いた感情が己の裡に居座っている事を静かに自覚しながら、土方は銀時へと向けた切っ先を毛ほども揺らがせずに立ち尽くす。 刀を向けているのは自分の方だと言うのに、何故だろう、切っ先には寄る辺が何も見当たらない。威嚇の心算だったのか、本気で斬ってやる心算だったのか、単にそれ以上を代弁されるのを止めたかっただけなのか。 「見くびんじゃねぇ。てめえが何者だろうと、そんなのは俺には関係無ェ。斬る相手見誤る様な無様は晒さねぇよ」 「…刀向けて言う台詞じゃねぇ気がすっけど。それは、正体不明の俺でもお前を護って良いって事だよな?」 「………敵じゃねぇってだけだ」 今の所は、とは続けず呑み込む。 そして、言われたから、と言う訳ではないが、銀時に向けていた刃をのろのろと下ろして、土方は呻く様に絞り出す。 「お前んトコのガキ共を言い訳にしたのは…、悪ィと思ってる。だが、手前ェの油断が招いた失敗を、他人に拭わせる趣味は無ぇのには変わりねぇ」 「言い訳っつーか、割と本気だったろそれは。アイツらの心配してくれてあんがとさん」 軋る様な土方の言い種と対照的に、場違いに穏やかな笑みを浮かべた銀時が笑いかけて来る。見るからに軽薄としか言い様のないそんな銀時の表情に、土方は己の内圧が下がっていくのを実感した。途方もない自己嫌悪がまた一つ堆積していく。 「大体…、俺はてめェみてえな善良な一般市民とやらを護る警察だぞ。それが逆に護られてたら世話無え」 恐らく、最大の失敗はこれだ。 (真選組や、その任以外での手前ェの都合で、護りてェだなんて思い違えちまうもんがありやがった) それは坂田銀時と言う個人を、と言うより、彼を含めた『万事屋』と言う形そのものだろう。 そうまでして、土方は銀時を『万事屋』と言う鋳型に収めておきたかった。時々真選組の前にぷらりと現れては下らない撞着を起こしたり、町で会えば溜息の一つでもついてやりたくなる様な、そんな存在であれば良かった。 (本当に……最悪だ) 絶望的な己の思考をもう一度諳んじて、それから土方はゆっくりと周囲を見回した。よくよく耳を澄ませてみれば、遠くが少し騒がしくなって来ている。定時連絡か何かで人数が減った事を知られたのかも知れない。のんびりと立ち話などしている余裕など無かったと言うのに、と、目の前の銀時よりも己に忌々しい感情をぶつけずにいられない。 移動をした方が、と言おうと、土方が注意をその銀時の方へと戻せば、もう一度彼のてのひらが頬に軽く触れて来た。一瞬だけ鼻孔を擽った腥い臭いは少し汚れた手からか、それとも己の身からか。 「そんなおまわりさんを手助けする一般市民とか、ど?俺カッコイイんじゃねえ?」 「正義の味方気取りか腐れ天パの癖に。要らねーって言ってんだろ」 「天パ関係ねーだろ?!」 頬に宛われた手をぺちりと叩き落として言うと、土方は銀時の抗議を無視しつつ新しい煙草を取り出してくわえた。ライターを探り出す。 「……んじゃ仕方ねぇな。オイ、ちょっと上着(それ)脱げ」 「あ?」 ぶすりとした表情の侭銀時の言った唐突な要求に土方は片眉を持ち上げた。ひらひら、と上向きの掌が仕草で促してくるのを疑問符を浮かべて見返す。 「良ーから早くしろや」 訳は解らない侭だが、まあ別に良いかと深く考えず、土方は制服の上着を脱いだ。銀時へと投げ渡す。それからゆっくりと煙草に火を点けた。ニコチンの味に溜息が漏れる。 「…何する気か知らねーが、乱戦になったらとっとと逃げろよ。手助けしてやろうなんて考えやがったら背中から叩ッ斬るからな。今のテメーの格好なら連中に混じってもちょっとの間なら、」 バレねーだろ、と続ける前に、銀時は渡された上着を羽織っていた。流しの上に真選組の制服、と言う頓狂な格好だが、土方が言葉を途切れさせたのは無論見た目についての評価が原因ではない。 「………っな、にしてんのお前ェ……?!!」 「いたぞ!」 「おい、こっちだ!反対側からも回り込め!」 土方の引きつった声が消えぬ間に、遂に二人を発見した攘夷浪士達がぞろぞろと集まって来る。 そしてそんな土方と対照的に、銀時はにやりと、いつもの太々しい笑みを口元にはいた。 「これで俺も、連中にとっては『真選組(てき)』だ。お前にとっても『真選組(なかま)』って事で」 よろしく、副長さん、と、これ以上無い程に軽く肩を小突くと、自然な動作でその侭土方のやや左に立った。別方向からやってくる浪士らを牽制する様に、銀時は木刀をだらりと携えてみせる。 「…………後で、身分詐称でしょっぴいてやるから覚悟しやがれ」 地の底から響いて来る様などろどろした感情と共にそう吐き捨てると、土方も抜刀した。 「んーじゃその前には早退さして貰います、副長」 「馬鹿か。敵前逃亡は士道不覚悟だ。切腹に決まってんだろ」 心強さを一瞬どころか、笑みと共に悪態を付き合う程度に覚えて仕舞うとは。……本当に悪い傾向だとしか言い様がない。 近付いて来るサイレンの音に依る辺をすり替え、土方は今までの憎まれ口の代わりに言う。 「頼りにしてやるよ、新米」 * 数十分も後には埠頭は大層騒がしくなっていた。薄暗くなってきた辺りを赤い回転灯が何度も舐めて通っていく。 土方はパトカーの後部席に横向きに腰掛け、開け放った侭のドアから入る喧噪にぼんやりと耳を傾けていた。その傍らでは山崎が土方の肩の負傷の応急手当をしている。 「今回は災難でしたねえ。しっかし、それでも傷一つで済んでるたァ、ホント生き汚ェ奴は違いますねィ土方さん。一匹見たら三十匹的なそのしぶとさ、死んでも見習いたかねーや」 「ゴキブリ的なものより性根まで真っ黒に汚ェ奴には言われたくねぇ」 助手席に退屈そうに座っている沖田が投げる軽口を適当にあしらうと、土方は煙草の煙に乗せて鋭い溜息を吐いた。 「密輸の証拠から、また新たな売買ルートが出た、ってたな」 「はい。出所はまだ確かじゃありませんが、天人の武器商人も上がっています。……全部壊滅させるにはまだ遠そうですね」 山崎は包帯を巻く手を止めずに、こちらは疲れた様な溜息と共に答える。 天人絡みとなると捜査がまた面倒な事になる。下手をすれば圧力がかかり、今までの全ての事が無駄になる可能性もあるのだ。 「やれやれ。三歩進んで二歩戻るどころか、歩いてる地面は逆向きのベルトコンベアかも知れないと来たもんたァ、世の中どんどん世知辛くなっていけねェや」 「そうボヤくな。埒も無ェ事まで考えるのは手前ェらの仕事じゃねぇんだ。ところで山崎」 沖田の竦めてみせた肩を軽く後ろからぽんと叩き、土方は山崎に向き直った。丁度手当も終わった所だ。 「はい?」 「俺の上着はまだ見つからねェのか」 「いちおう、探させてはいますけど…、何せ……」 バズーカとかガンガン撃ち込まれてましたし、と、は言葉にせず、山崎はちらりと沖田の後頭部を見てもごもごと答える。 「そうか。なら良い。手当、助かった」 そう言うなり片袖を抜いていたシャツを着直して土方が立ち上がるのに、山崎が慌てた様に声を上げる。 「後でちゃんと医者に……って副長、どこ行くんですか?!上着なら別に、」 「上着探しじゃねーよ。ちょっとその辺見て来るだけだ」 付いて来なくていいぞ、と言うジェスチャーで手をぷらりとさせ、土方はパトカーの群れから離れて歩き出す。 あれから、二人で孤軍奮闘にそう長く勤しむまでもなく救援は訪れた。派手なバズーカの炸裂音と共に飛び込んで来た真選組に因って乱戦模様は相当なものになったが、投降した者らは捕縛出来たし、肝心の密輸の証拠も挙げられた。 思いの外厄介な釣り糸がまだ繋がっていたのは予想外だったが、釣り上げられるならば上げられる限り戦うのが真選組の仕事だ。 そして、土方が気付いた時には身分詐称の軽犯罪者は何処ぞへと姿を消して仕舞っていた。迷惑な事に土方の貸した上着ごと。言った通り本当に早退したらしい。 「借りパクしやがるたァ、中学生かアイツは」 夕陽に橙色に染められた波間が目に眩しい。砕ける波に打たれる埠頭の端に立ち、土方は溜息混じりの煙を吐き出す。 上着そのものはどうでも良かったが、結果的に『色々と』看過する事になった現状は余り居心地が良くない。 「………山崎にどうでもいいと言い置いた方が良かったか。アイツ俺が上着血眼で探してるとか勘違いしかねねェな」 「万事屋さんにももうちょっとその気遣いを分けてあげればいいと思いますよ、副長」 「まあまた借りたくも無ェ借りが出来たs……、ってオイてめェ何してんの」 ぽん、と背後から両肩に手を置いて来たのは銀時だった。脱いだ上着を土方の肩に掛け、何事も無い風情でそこに居る。 「借りパクとか言われたから返しに来ただけだ、心配すんな」 「心配って単語が何にかかってんだかさっぱり解らねーんだけどォ?!」 「お前なんだかんだ言って筋は通す奴だから。上着探しでも良いが、来てくれたワケだしな」 な?と土方の右肩に頭を乗せて言って来る白髪頭が笑う。 「身分詐称の犯罪者ァ捕まえる気ならまだあんぞ」 ぷはァと煙を吐きながら、不貞腐れた調子で土方が睨み付けると、銀時は存外素直に離れた。両手を上げて降参の意を示す。 「はいはい、捕まえる気になる前に行けって事な。ああ、そうそう」 余計な解釈をにやにやと言いながら、現れた時同様にぷらりと立ち去りかけた銀時がふと足を止めるのに、土方は渋々そちらを振り返った。残照を浴びて、血とは違う温かな赤色の光に照らされた銀髪が、酷く優しい色をしている様に見えた。 「頼るのには貸しも借りもねーから。でも、返しに来てくれんなら歓迎するぜ」 そう、灼き付く様な風景の中に言い残すと、じゃ、と手が振られる。それきり振り返りもせず立ち去る背中を暫く目で追っていた土方は、苦い気持ちを噛んで頬を歪めた。 「……あの野郎、結局貸しつけてんじゃねぇか」 奇妙に苦いが不味くはない感情の味は呑み下すには寸分の迷いがあって、結局持て余すことになる。 選択は最も良いものを選んだ心算で此処まで来た筈だった。その為になら己の何をも犠牲に出来た。だ、と言うのに、今になって入り込んだ、心で相対する必要のあるものに対して、己の一部を切り落としてやらなければならないなど。そんな度量も器用さも土方は持ち合わせていなかった。 (…………最悪、だな) 今日幾度も出した答えを、もう一度噛み締める様に諳んじて、いい加減短くなり過ぎた煙草を靴の下で擦り潰し、土方はパトカーに向かって歩き始めた。 バラガキ篇の大分前に書いてたもんでちょっと今更感ですが…ごにょり。土方は銀さんの正体を気にしてんのかしてないのかと考えてくと、実用的な意味としては余り気にしてないんじゃないかなーとやっぱり思えたもので。やっぱり出しちまえと。 知りたいってほど興味ないのに、寧ろ知らんでもいいのに、近くなるとなんか微妙に知るというか考えちゃって、それが癪で突き放そうとするんだけど、それは寧ろ墓穴です的な所に陥る、そんな土方くん。 贋物ではなく偽者でもなく、ただ己の意志に従えば見えるものであること。 |