不可避の不侵



 特に忙しくて堪らないと言う日では無かった。
 徹夜残務が必要な程に困難な案件を抱えているでなし、期限の近い提出書類がある訳でもなし。急な捕り物が出て立ち働いている間に書類山が嵩を増して行くなんて事も一切なく。
 この時期は年末に向けた各種公行事への対策や計画の練り込み、それらの仔細を纏める為のお偉方との会議、それらを台無しにすべく活動を行う攘夷浪士の逮捕、…などなど……、真選組副長である土方にとっては枚挙に暇がない程の多忙に在るのが常なのだが、世が少しづつながら平和に向けて傾いて来ている事に加え、年々積み重ねた慣れもそれに手伝って、驚く程に順調に仕事運びが進んでいたのだ。
 秋晴れの空は爽やかで、気温も程良い温かさ。金木犀の香りを乗せた風が吹けば少し涼しさを感じるが、体を動かしていれば然程気にはならない。運動だの芸術だの読書だの……、趣味や娯楽を大らかな心地で楽しむには確かに良い季節なのだろう。
 偶には外で素振りをするのも悪くないかも知れない。人気のない裏庭でやれば徒に隊士らの目に留まる事もあるまい。これだけ爽やかで心地の良い日なのだ、道場で黙々と竹刀を振るには少々勿体ない気さえする。
 巡回は特に何事もなく終了し、部屋には土方の帰りを待つ書類は無いと山崎から報告は既に受けている。どう潰そうかと悩んでいた、夕飯までの空き時間はこれで埋まった。
 よし、と土方は一人出した結論に、歩きながら軽く顎を引いた。縁側の廊下から見上げた空は直に夕方に差し掛かる頃。この季節の日の沈みは早い。穏やかな気候を全身で堪能出来るなどと言う贅沢の許される時間は限られている。
 少し早めた歩調で、副長室までの距離を一気に詰めた土方は、その勢いの侭に部屋の襖戸を勢いよく開いた。そして。
 
 「よ、お帰り。そんな急ぎ足でどうしたんだよ。まさかそんなに銀さんに早く会いたかったとk」
 
 最後まで聞かず、すぱん、と音を立てて同じ勢いで閉ざした。
 
 「ちょ、オイィィィ!何だよいきなり人の面見るなりそれは無ェだろ?!って何押さえてんだテメー!開けろ!」
 「テメェの面だけならまぁ不本意ながら慣れねェ事も無ェが、生憎と俺の部屋にテメェの面って言う有り得ねぇ状況には対処不可能だ、諦めて帰りやがれ不法侵入野郎が!」
 室内から襖を開こうとする闖入者の動きを、外から襖を押さえつけて阻止する。
 「帰れってお前、自分で出入り口塞いどいて言う台詞じゃねーよソレ!て言うか不法侵入じゃありませェん、ちゃんと塀に入って良いかって訊きましたー!」
 「塀に伺うんじゃなくて門番に訊け!そして即刻摘み出されろ!何なら留置場にダイレクトで送るよう言いつけといてやらァ」
 「副長命令で『入れるな』って言われてる、なんて訊いちまったら、もうお前塀でも何でも乗り越えるっきゃねェだろーがコノヤロー!」
 「不法侵入なのちゃっかり認めてんじゃねェか!馬鹿か!侵入すんのを止めろってんだよ!」
 ぎゃあぎゃあと騒ぐ両者の声に混じり、襖がガタガタと音を立てる。この騒ぎでは何れ誰かが聞きつけて仕舞うやも知れない。土方は苛立たしげに舌を打つと、襖からぱっと手を放した。
 すれば当然、部屋の中から襖と(その向こうの土方と)格闘していた、自他共に認める、銀髪頭の不法侵入者は、力を掛けていた先が突然無くなった事で勢い余って、襖の開いた隙間から廊下に転げ出て来る。
 ばたりと転がる男をさっと避けた土方は、その侭横たわった体をひょいと跨いで室内へと入る。そうして、まだ室内側に倒れている男の足を掴んでぐぐっと外へと押し出すと、たん、と何事も無かった様に襖を閉ざした。
 「よし」
 「よし、じゃねーだろォォ?!ちょっともうお前ホント何なの!」
 だん、と閉ざされた襖に貼り付いて喚く銀時の声を寄り掛かった襖越しに聞きながら、土方は両肩を重たく落として息を吐き出した。
 どうやら、秋空の下での心地の良い運動に充てる心算で居た時間はこれで台無しになりそうだと、諦めを噛み砕いて溜息に換える。
 呑み込むかどうかは追々考えようか、と思いながら、土方は座って背を預けた襖を、拳で少し強めにどんと叩いた。
 「対話とかする努力を人間諦めちゃ駄目だよ、頑張ればゴリラと人類だって解り合え──、」
 がたがたと、襖を開けようと格闘している騒音の中では、それは些か控えめな音だったが、それを鳴らした土方の意図を解したのか、何やらいつもの訳の解らない屁理屈を流していた銀時がぴたりと口を噤む。
 しん、と。騒音と声の一時止んだ空気の中にもう一度溜息を──今度はうんざりとした内心を──吐き出してから、土方は口を開いた。
 「……何の用だ」
 「…………や。用って言うか。用は用なんだけど用事って訳じゃ無いみてーな」
 問えば、襖の向こうからもごもごと、余り歯切れの良くなさそうな声が聞こえて来て、土方は襖に後頭部を預けて天を仰ぐ仕草をした。尤も、見えるのは傾きかけた陽に染まった秋晴れの高い空ではなく、木目の連なる天井板だったが。
 この歯切れの悪さからして、銀時は恐らくまた「暇だったから」とか下らない事で不法侵入の回数を重ねたのだろうと察しをつけて、土方は俄に痛み出した気のする頭をそっと手で覆った。
 少なくとも今まで、数えるにも馬鹿馬鹿しい回数はこの男の『不法侵入』を許して仕舞っている。塀の監視カメラの台数を増やすとか、警報装置を付けるとか、対抗策は幾らでも浮かぶのだが、如何せんそう言った対策後に『不法侵入』で捕まるのなぞ、坂田銀時(このおとこ)以外にはいないだろう。私情で組の経費を使うのは流石に躊躇われる。
 もう、裏庭で素振りでもしてみる、と言う爽やかな『運動の秋』的なプランは既に破綻した。かと言って、銀時の不法侵入を看過し共に暇つぶしに興じてやるのなどは論外だ。そんな事をするぐらいなら、夕食の時刻まで畳の目でも数えていた方がマシである。
 さて、何と言って適当に追い払おうか。忙しい、と言うのは、部屋に銀時が侵入していたのを見る限り、書類山は疎かすっきりと片付いた机ぐらいは目にしている筈なので、適当な嘘にしては無理があるだろう。
 ここはやはり、適当にあしらって追い払うのがベターか。
 そう結論を選んだ土方が、用も無いのに不法侵入たァ暇で羨ましいこった、と暴言めいた軽口を舌の上に乗せかけた時。
 「俺さぁ…、今日誕生日なんだよね」
 「…………」
 恰も機先を制した様なタイミングでぽつりとそんな言葉を吐きこぼされて、土方は出掛かっていた言葉の行き先を見失って沈黙した。
 何と反応して良いのか、居た堪れの無さに似た心地になった土方の視線が、無意識に卓の上のカレンダーへと漂えば、十月と書かれたその中、十日の部分に赤いボールペンでハートマークが書かれているのを見つけて仕舞う。
 当然土方はそんなものを書いたりはしない。書いた憶えもない。問う迄もなく、先の不法侵入者の狼藉だろう。これ以上はない、たった今自らで口にした通りの意味としてのもの。
 仕事用の、スケジュールを簡易に確認するのに使うカレンダーに何てものを落書きしてくれたのか。山崎はともかく沖田辺りに見つかると面倒な事この上無い事になるじゃねェか、と内心愚痴りながら、土方はもう一度十月十日を囲う赤いハートマークを見て。
 「……おめでとう?」
 色々考えた挙げ句、取り敢えず引っ張り出したのは、割と真っ当な祝いの言葉だった。
 「……アリガトウゴザイマス。……イヤなんで疑問系?」
 「てめぇだってスゲー棒読みじゃねェか」
 先頃の歯切れの悪さを引き摺った様な返礼に思わず土方が噛み付けば、「いやあ…」と、襖の向こうからぼそぼそとした声が返る。
 「まさかオメーからね?そんな素直なお言葉が聞けるとは思って無かったからよ…、うん、……」
 襖を開けてその巫山戯た頭を殴ってやろうかと全力で思いながら、土方は然しその衝動を何とか呑み込んだ。流石にそれぐらいは空気を読む。
 握り締めそうになった拳をこわごわと開いて、土方はその手で隊服の上着から煙草を取りだした。唇に挟んで一本を抜き取ると、ライターを取り出す。
 と、その背の寄り掛かる襖に、たん、と掌を付く様な振動と音とが響いた。何だろう、と、寄り掛かった侭で背後に軽く頭を巡らせてみる。どうせ見えはしないのだが。
 「なぁ…、今スゲーお前を抱き締めてェんだけど俺」
 甘える様な声音だが恐らくは──真顔。聞こえて来た言葉の内容よりも、それを発した銀時の表情や態度を脳裏で瞬間的に再生して仕舞った土方の頭にかっと血が昇る。
 「…阿呆か。なんでそーなる」
 唇の間から思わず取り落とした煙草を指で探りながら、土方は心拍数と共に上がり掛けた声のトーンを何とか正した。襖を挟んだ向こう側には己の様子は勿論、その心情なぞ伺えはしないと解っていると言うのに、訳知らぬ緊張感に鼓動が跳ねる。
 それは恐らく、己が銀時の『今』の表情や感情を察したのと同じ様に、銀時もまた土方の悪態の正体なぞお見通しなのではないかと言う、確信めいた想像に因るものだからなのだろう。
 「だってよー…。デレ、とかそー言うんじゃねェけど、お前が、疑問系だろうがなんだろうが、真っ向から素直に正直におめでとうとか言ってくれちゃうとかさー…、反則じゃね?」
 =いつもは可愛げのない悪態しか吐かねェのに。
 そう解釈してから、土方はまあそれも無理はない、自業自得だと思って顔を顰めた。自分の口が悪い事や口下手な事、大凡殊勝とも素直とも言えない事なぞ承知の上である。
 そこに猶も届く、嬉しそうで照れくさそうな銀時の声。
 「な。顔見てェんだけど。開けてくんねぇ?」
 とんとん、と襖をノックする様な音と共に言われて、土方は、これは届きはしないと理解しながらも渋面でかぶりを振った。
 たった一言だ。特に深い意味も考えなかった。誕生日だと言われたから、反射的におめでとうと出た様なものだ。言っている途中で己が銀時へと発する言葉にしては違和感が強いと気付いたから、咄嗟に疑問系にして仕舞ったが──所詮、その程度の意味もない、情もない言葉だ。冷静になれば取り敢えず撤回したくなる様な、ものだ。
 だ、と言うのに。
 「お前の顔が見てェ。照れて真っ赤になってる所が見てェ。それをからかいながら抱き締めてキスしてありがとうって言いてェ」
 もう一度襖を、とんとん、と叩いてそんな事を言って寄越す、銀時の声からは酷く鮮やかな感情が滲み出ている。
 そんな、嬉しくて堪らない、愛しくて堪らないと言う様な声を聞かせないで欲しいと、土方は下唇を噛んで猶もかぶりを振った。畳の上を歩いていた指は、漸く見つけた煙草をぐしゃりとその拳で握り潰して仕舞う。
 「……照れてなんざいねェ。それはてめぇの勘違いだ」
 襖に掌を押し当てると、土方はそこに横向きに体を寄り掛からせた。ずる、と滑った頭が傾いて、巻き込まれた髪の毛が引っ張られて少し痛んだ。
 僅かに届く、笑う様な息遣い。
 「おめでとうって言っちゃってから、らしくなかったとか後悔してんだろ?お前ね、それが照れてる以外の何だってェの。
 だから、何なら『言い直し』さしてやるから。な?」
 言葉の意味の無さが居た堪れ無いなら。そうは続かなかったが、恐らくはそう言う事だろうと気付いて、土方は露骨に舌を打った。どうやらこれもまた結局は銀時に読まれていたと言う事か。
 今更襖一枚を挟んだ程度で、仲違いや勘違いが出来る様な軽い関係には戻れないらしい。誕生日が生まれてから重ねた月日を数える為の目印の様なものなら、その内何度かは既に共に数えているのだから。
 「………は。祝いの言葉の無心すら、恥ずかしくてなかなか出来なかった野郎がよく言うぜ」
 軽口を皮肉気な笑いに乗せて言ってやれば、ぐ、と答えに窮した様な銀時の呻き声。言い出しが歯切れが悪かったのは、誕生日なのだと告げる事が、祝いを求めていると訴えるも同然で気恥ずかしかったからに相違ない。
 歯軋りをしかねない様な不本意そうな銀時の沈黙を感じて、土方は少しだけ笑ってから目を閉じた。息を小さく吸う。
 「万事屋」
 「何だよ」
 「おめでとう」
 「…………、」
 そう、『言い直し』て口にすれば、返る息を飲む気配。我知らず苦笑めいた表情が浮かび、続け様に恥ずかしさに顔が熱くなった。
 どうせ見えはしない。思って、憮然とした調子で続ける。
 「ンな事でわざわざ不法侵入すんな、馬鹿。祝いの言葉ぐらい幾らだって言ってやらァ」
 「………………顔真っ赤な癖に?」
 どうせ見えはしなくても解られている。それを肯定する様ににやにやとした調子で指摘され、諦めに似た心地で、土方は「るせぇ」と吐き捨てた。襖から体を起こして、そっと戸を横へと開く。
 そこに居た銀時の表情はと言えば、口元に嫌らしげな笑みをはいてはいるものの、やはり照れくさそうに顔を赤くしていると言う、土方の姿と然程に変わりのないもので。
 お互い様だろう、と指摘するより先に、土方は急速に近付いて来たその顔に大人しく目蓋を閉じてやる。
 同時に、室内へと銀時が身を滑り込ませ、たん、と襖の閉ざされる音がした。




……なにこの人たち…。照れ合う馬鹿ップル傾向。季節ネタはやっぱり苦手です…。

あいにいきます。