いくじなしの恋 「しゃーねぇだろ、何か気になって仕方ねぇんだよ、好きだから!」 自覚するより先に、思わず、と言った感でぽろりと吐き出された告白は、そんな間の抜けたものだった。 いつもの口喧嘩未満の言い合いの最中だった。飲み屋で偶然に遭遇して、千鳥足で帰ろうとする土方の事を銀時は追い掛けていた。攘夷志士に命を狙われ易い様な男が夜道を酔っぱらいの足取りで行くのが心配だったのだろうと思うし、言い合いをしながら飲み比べの様な形に持って行って深酒に付き合わせて仕舞ったと言う申し訳の無さもあった。 何でついて来るんだ、とかそう言った事を問われて、心配してやってるんだ、と横柄そうに答えたら例によって土方はキレて、てめぇに心配される筋合いなんざねぇ、と返して、それで件の間抜けな告白である。 今から二月程前の話だ。「…へ?」と間抜けに目を開いて、続け様に顔を真っ赤にした土方の様子を銀時は恐らく一生忘れられないと思う。 そんな姿を見て仕舞ったら、吐き出して仕舞った言葉を撤回する事なぞ出来なくなって、逆ギレ気味に「だから好きだってんだろコノヤロー!」と銀時は怒鳴った。今思えば混乱していたとしか言い様の無い流れなのだが、それでもその間抜けな告白と逆ギレの告白とを銀時が頭の中で冷静に処理するより先に、「……俺、も、」と蚊の鳴く様な声で土方が答えて寄越した事で、その間抜けな告白──否、告白劇は成就と言う形で終わったのであった。 なおその後思わず訊き返した銀時に、土方もまた自らの言葉をキレて言い返したのは言う迄も無いが、ちくしょう可愛い、と天を仰ぐ羽目になった。真っ先にそんな頓狂な感想が出てきて仕舞う辺り、矢張り相当混乱していたのだろう。 そんな訳で、間抜けさと勢いとの告白劇の先で、銀時と土方とはいわゆる『お付き合い』と言う関係に至った。とは言っても最近の若者がドン引くぐらいに清い関係である。未だキスも片手で間に合う回数しかした事が無いし、セックスなんて以ての外だ。 土方が翌日非番の夜や仕事の空いた夜などに飲み屋で落ち合って、肩を並べて酒を酌み交わして、それでお終い。時折銀時の家へ場所を移すが、然程に甘い空気になぞなる事もなく、泊まったり夜に帰るのを送っていったりして、やはりそれでお終い。 良い歳をした大人同士何をしているんだ、とは時折思わないでもないが、土方も特に何も言わないからそれで良いのだろうと銀時は思っている。 それはいい。そこまでは良い。 問題は現在である。 本日は10月10日。銀時が昔自分で適当に宣った『誕生日』だ。新八や神楽の頃ならともかく、銀時が子供だった時代は親を亡くしたり余所に貰われたりした事で出生の日時なぞ判然としていない子供も多かったし銀時自身も全く誕生日などと言うものを意識した事なぞ無かったのだが、松陽に問われて仕方なく適当な日を答えたのだった。以降は『その日』が銀時の『誕生日』となった。 坂田銀時が本当の意味で生まれた日、と言う言い方をするならば、確かにそれは誕生日と言えるものとなったのだろう。 とは言った所で、寺子屋時代ならいざ知らず、それ以降は真っ当に誕生日などと言うものを人と話した事も無ければ、祝われた事も無かった。尤も、生と死を日々跨いで歩いていた中で己の生まれを祝うと言うのも滑稽な話だっただろう。 だが、万事屋に居候と社員が増えてからはそれも変わった。あの子供らは銀時から『誕生日』を訊き出すなり、それから毎年の様にあれやこれやと祝ってくれる様になった。厄介な知り合いが増える度に同じ様にしてくれる人や言葉にしてくれる人が増えて行き、今年──今日も夕方から夜に掛けて新八の家で散々ささやかな祝宴を行って貰った身である。 皆が帰って、疲れて眠って仕舞った神楽をその侭預けて銀時が飲み直しに出たのは、今日が土方と約束のついた日だったからだ。飲むものも呑んで、食べ物も食べて、気分も腹心地も充実している。 それでも、仕事で不定休な事の多い土方と『今日』会えると言う事に、銀時は酷く緊張していた。 そう。それが目下の問題。 "土方に誕生日を祝って貰いたい" そんな、幼稚にも聞こえる願望は、思いついて仕舞ったが最後、銀時の裡からどうやっても離れてはくれない甘美な響きを伴った妄想となってぐるぐると脳裏で渦を巻いている。 誕生日おめでとう、銀時。 (そう、照れてはにかみながら言われた日にはああもうどうしよう可愛いから押し倒させてくれそしてプレゼントにお前が欲しいとか言ってみてぇイヤ言えるかそんな恥ずかしい事!) 喉奥で蟠った絶叫をビールと共に流し込んで、銀時は出てもいない汗を手で拭った。 言ってみるのは──多分簡単だ。簡単では無いが、言うだけと思えば簡単だ。だが、それを聞いた土方が冷めた目で呆れた風に銀時の事を見返して来たら一体どうすれば良いのか。想像だけで酷く落ち込む。 (いやほら、今日に土方の身が空いてただけでもスゲー奇跡的な感じじゃね?だからそれだけで良くね?) 思ってちらりと横を見る。銀時の座るカウンター席の右隣では、同じ様に座っている土方がおでんの大根を咀嚼している所だった。 銀時とは違って今が遅い(遅すぎる)夕食だと言う土方は、酒を傾けるより箸を動かしている頻度の方が高い様に見えた。食事を摂る暇も無いぐらいに忙しかったのだろうに、飲む約束の為にわざわざ出て来てくれたのだと思えば、愛しさやら何やらで銀時の胸は満たされ酷く暖かい。 「ん?」 視線を感じたのか、片頬をもぐもぐとやりながら土方が銀時の方を振り向いて喉を疑問の音に鳴らして来るのに、「何でもねぇ」と答えて銀時はまたビールを煽った。温いアルコールは脳の回転数をどんどん鈍らせて行って、言葉でさえ紡ぐのが段々と億劫になって来る。思考はぐるぐると澱を淀ませて流れ続けていると言うのに。 (誕生日だから祝ってくれとかそんな恥ずかしい事言える訳ねーだろ!?て言うか恰好悪ィし、奢ってくれってたかってるみてェに見えちまいそうだし…) ただでさえ杯を交わす『だけ』に等しい関係だと言うのに、そこに来て誕生日を笠に着る真似などしたくはない。 「 」 「 」 土方が何度か問いかけ、何度か銀時も適当に答えを返して行くが、気も漫ろな頭では意識も定かではない。ただ、余りにアルコールばかりを胃に入れ続ける銀時を見かねた土方が、何か腹に入れろ、と言って寄越したのは理解した。 「親父、おでんの玉子と牛スジとはんぺん頼まぁ」 そう言えばささやかなご馳走を腹に入れてからもう二時間は経っている。その間ずっとアルコールばかりを入れていれば胃も参って仕舞うだろう。間を保たせる為にもと思って銀時はカウンターの向こうにいる店の親父にそう声を掛けた。 「……何かあったのか?」 聞き辛そうにしながらも土方がそう問いを口に上らせた丁度その時、「へいお待ち」と親父が注文したおでんの皿を銀時の前へと置いた。 上手く説明も言い訳も本音も言えそうになかった銀時は、心の中で親父のタイミングの悪さに喝采を送りながら「何でもねぇって」と答えて割り箸を取った。玉子を二つに割ってその片方を口に放り込んで──、 「、」 むぐ、とそこで喉が変な音を鳴らした。よく咀嚼もしなかった大きな玉子が喉に詰まり、挙げ句の果てによく煮えて乾燥した黄身が喉に貼り付いて嚥下を阻害したのだ。どんどん、と自らの胸を叩く銀時を見て、土方は咄嗟にカウンターの向こうの親父に言う。 「すまねぇ、水を」 「はいよ、大丈夫かい?銀さん」 カウンターに突っ伏す銀時に声を掛けながら親父が水道に向かう。土方も銀時の背を叩いてくれて、何だか情けなく、そして恥ずかしくなった銀時が視線を咄嗟に巡らせれば、土方の席に透明な液体の入ったコップが置いてあるのが目についた。 これで良い、そう思って手を伸ばした銀時はコップを掴んでその中身を一息に干した。 「っおい、それ水じゃなくて酒、」 喉に詰まったものは速やかに流れ落ちたが、ついでに下ったアルコールの強烈な臭いと熱さとで、銀時の意識もまた流れ落ちて仕舞うのであった。 * すっかり潰れて仕舞った銀時を、店は閉店ぎりぎりの時間までそっとしておいてくれたが、それでも酔いは完全には抜け切っていない。 千鳥足にもなれない、骨の抜けた様な足取りとなった銀時は土方に肩を貸される形になって夜道を万事屋に向かって戻っていた。新八の家に帰って寝ると言う選択肢もあったのだが、酔い潰れた人間の為に彼らを起こすのは流石に忍びないし情けないと思ったので口にはしなかった。 「重ェ…、少しは足に力入れやがれ」 土方がぐんにゃりと芯の抜けて仕舞った銀時の身体を必死で引き摺ってくれているのは解ったが、真っ直ぐ立とうと思ってもまるで溶けた脳に足下を掬われているかの様に上手く行かない。 「悪ィ…」と何度目になるかも解らない謝罪を吐きこぼせば、土方の口から出ている荒い呼吸の中にほんの少しだけ、苦笑や溜息に似た成分が混じるのを感じた。 万事屋の外階段を時間を掛けて何とか昇り、「鍵は」訊かれるのに「開いてる」と答えれば、「不用心にも程があるぞ」と土方は呆れた様に言って小さく笑った。かぶき町で名の知れたお登勢の家やそこに番犬の如く間借りしている万事屋に、解っていて手を出す輩なぞそういないと彼も気付いたのかも知れない。 玄関を開けるなりまろび合う様に三和土に二人して転がって、土方は自らの上に半身覆い被さる様にして倒れた銀時の頭をぺしりと叩いた。 「おいコラ、家にご到着だぞ。早く起きろ。つぅかチャイナは?いねぇのか?」 きょろ、と顔を巡らせた土方が三和土に靴の一足も無い事を見て自ら結論を半ば出すのに、銀時は「新八ん家行ってる」と答えつつ身を起こした。以前、時々食事の都合やお妙の誘いで神楽が恒道館に時々泊まっているのだと話題に上らせた事もあって、土方が特にそこに気を留める事は無かった様だ。 ブーツを苦労して脱いで玄関へ上がると、壁にずりずりと寄り掛かりながら銀時はなんとかソファへと辿り着いた。手を貸す様にしてついて来た土方に促されて座面にどかりと尻を落とすと、途端に全身が泥の様に重たくなって、湧き起こる息苦しさに思わず天を仰ぐ。 「まず水飲め。で、入れる様なら風呂入ってとっとと寝ちまえ。無理なら風呂は良いが、多少でもアルコールを抜いとかねェと明日が辛ェぞ」 この侭眠っちまおうかな、と銀時が思いかけていた時、土方がそう言って水の入ったコップを差し出して来るのに意識を引き戻される。わざわざ台所に行って持って来てくれたらしい。 辟易している事は明かだと言うのに、ここまで銀時を置き棄てる様な事なく、あからさまに文句を言ったりする風でもなく、ここまで付き合ってくれている土方の優しさ、或いは単にそう言ったものを放っておけない性格にか、銀時は堪らなくなった。 愛しかったし寂しかったし欲しかったし、それとも単純に甘えてみたかっただけかも知れない。 「水、は良いから、ちょっとここ」 ソファの隣を指して、座って、と促す銀時に、土方は眉を寄せて疑問符を浮かべたものの、直ぐに応じて指された場所へと腰を下ろした。 そこに銀時はぱたりと倒れ込んだ。 「なん、」 ぎょっとなった土方は慌ててコップを落とさぬ様に持ち上げ、まるで万歳の様な姿勢で銀時の側頭部を暫くぽかんとして見つめていたが、やがて溜息混じりの声がそこから吐き出される。 「おい、何してんだ…」 ソファに座った銀時の上体が横向きに、隣に座す土方の腿の上に倒れ込んでいる。有り体に言えば膝枕と言う姿勢に類するだろう状態だ。 酔っ払いのする事と思っているのか、土方の口調は呆れ混じりではあるが、不快感や怒気の様なものの一切を纏ってはいなかった。その事に少しだけ安心して、銀時は目蓋をそっと開いて壁の時計を見遣った。 指す時刻は12時の20分過ぎ。もう誕生日と言う甘えや理由の通じる時間は終わって仕舞っている。 だけど。 男の膝も腿も柔らかいものとは到底言えないし、厚みもあって高さがあるから寝心地が良い様なものでは無い。 だが、触れたそこから土方の体温や匂い、存在感を感じる。頭上からは、呆れを伴って然し見放しはしない事の知れる優しい溜息。 うんざりしているだろうに。仕事もしたいだろうに。こんな時間までこんな酔っ払いに付き合って、世話まで焼いてくれる、まだ殆どキスさえした事の無い優しい鬼の恋人。 感じた距離の近さは、肉体的なものや空白の時間よりも寧ろ感情に因るものだったのだろう。ささやかで、優しい、ただそれだけの過ごし方。 土方が己の時間の僅かでも、銀時に明け渡し、赦して共に過ごしてくれる事が酷く嬉しかった。 「……銀さんさぁ、実は昨日誕生日だったんだよね。昨日っつーか20分くらい前だけど」 やがて、呟きが自然とこぼれた。間抜けな告白の時の様にほろりと。意味もないただの本音として。 「…………そうだったのか」 そっと言われて、銀時は土方の腿の上で頭を上向きに転がした。見上げた土方の表情は少し曇っている。 それが、惜しむ様な寂しい様な、銀時が日頃土方を見つめてよく感じる感情と同一であれば良いと思った。そっと片手をその頬に伸べれば、黒い髪にさらりと指先を擽られる。 こそばゆい様なその感覚に任せる侭、銀時は出来るだけ軽く見える様な笑みを浮かべてみせた。 「なぁ。……言葉だけで良いから、祝ってくんねぇ?」 ここに来て漸く出た言葉を銀時が恥ずかしいとか照れくさいとか感じる間も無く、土方の手がぐしゃりとその髪を掻き混ぜた。思わず目を細める。 「誕生日おめでとう」 そしてあっさりと目の縁を緩めてそう言われ、銀時は暫しの硬直の後、ぐるりとまた土方の腿の上で頭を回転させ黒い着物に顔を埋めた。 言っておいて何だが、気恥ずかしいのを通り越して何か見てられなかった。 (可愛い。ちくしょう可愛い。想像以上のデレ破壊力じゃねーかなんだこれ。使用上の注意にチンピラ警察とのギャップをちゃんと明記しとかないと駄目なやつだろこれ!) 「…んだよ、文句でもあんなら言え」 俯せて黙って仕舞った銀時の様子から何か不穏なものでも察したのか、少しむすりとした声音で土方が言うのに、「いや、」と言って銀時はごろりと頭を横に転がした。 「一日グダグダ悩んだのは何だったのかなとか…、」 ぼそりとこぼせば、頭上から土方の呆れた様な声。 「……ひょっとして何か様子がおかしかったのはそれでか?」 「そうだよ悪ィかよ。だっておめーそう言う事恥ずかしくて言えないとか言いたくないとか言わないとかそう言うキャラじゃん!そんなあっさり言ってくれるとか夢にも思わねェじゃん?!」 がばりと身を起こして捲し立てる銀時に、同じ目線の高さになった土方が鼻白む。 「まあ…、そこんとこは否定しねぇけどよ…、」 「……しねぇんだ」 「いや、それはそれで間違ってねェってだけでだな…、その」 がくりとする様な発言に思わず半眼になる銀時から少し目を游がせ、土方はもごもごと歯切れ悪く呻いた。こほん、と態とらしい咳払いを一つ。 「………頼まれなくても、誕生日だとか知ってたらちゃんと…、その、…言った」 言葉の歯切れは酷く悪い。目も逸らされた侭だ。然しそれでも銀時の胸の裡に土方の言葉の真正直な響きは刺さる様に届いた。 突き動かされる様に銀時の両の手が伸びて、土方の顔を捉える。 あの間抜けな告白劇から何一つ変わっていない自分達にそっと苦笑して銀時は言う。 「来年はちゃんとお願いさして貰わぁ」 だからまた祝って欲しいと顔を寄せて囁けばかすかな頷きが返ったので、銀時は憶えた安堵を隠さず、土方に片手の指を漸く越える回数目になる口接けをした。 ……誕生日ネタにすると毎回毎回ほんと何なのこの人たち…。でもちゃんと祝ったのでもう「不」は無し。 どっちもどっち。 |