ヘタレがにぶちんを口説こうとした結果。 ワインを用意して、キャンドルに火を灯して、そっと杯をぶつけ合って唇を重ねる。今目の前に迎えた『特別』な日は、そんなドラマや漫画によくある絵に描いた様な『特別』な情景とは大凡掛け離れていた。 掛け離れていた。が、それが銀時にとって少々『特別』な日である事には何ら変わりは無い。在るのが高級なワインではなく安い缶ビールであっても。電気代を気にして一つ本数を減らした薄暗い白色灯の下のいつも通りの我が家の風景であったとしても。変わりは無いのだ。 二度そう己に言い聞かせながら銀時は缶ビールを煽る。何だか矢膤と緊張で喉が渇いて仕方がない。アルコールなんか飲んでるから喉の渇きも易々解消しないのだと解ってはいても、水分で喉を潤し舌先を湿らせずにはいられない。からからに乾いた咥内とは裏腹に項は厭に汗ばんでいたが。手の中まで湿っていやしないだろうかと思ってこっそりと腕を組むふりなんぞしながら着流しに掌を擦りつける。 (ってどんだけ緊張してんの俺ェェ!!) 胸中で妙に冷静に己の一挙手一投足を観察していた己の意識が吼えたけるのに、「緊張してないからね、冷静だからね、今の銀さん嘗て無い程超クールだからね、シリアス一直線だからね」などと強がってはみるものの、全く冷静ではいられていないその証拠の様に乾いた喉が音を鳴らすのだからどうしようもない。 だって、向かいのソファに腰掛けて、銀時の手製のつまみに舌鼓を打つ土方の態度が余りに普通にしか見えないものだから。 (………えっ、まさか全く意識してないとかそんな事ないよね?仮にもか、…か、彼氏の家に初お泊まり括弧はぁと括弧閉じなこの状況で、ただ仲良く飲んでお終いとかそこまで鈍くないよねこの子?) 銀時の焼いた挽肉入りの卵焼きがお気に召したのか、小さく割っては味わう様にもぐもぐと咀嚼して行く土方の姿は、顔に似合わず普段結構に豪快な食事風景を見せている様子とは異なって何だか妙に可愛らしささえ憶える。 その合間に缶ビールを手にとって煽る、逸らした喉の上下する動きにいちいち肚の底を熱くして仕舞う銀時とは全く対照的にも、土方のその様子は概ね『いつも通り』としか言い様のないものであった。 (無駄にイケメンだし?モテるみてーだし?それなり場数とか踏んでんならそれくらいの空気……、いやいやいや場数踏んで無くても何となく解るだろそー言うのって?!いや待て、確かジミー情報だとこの子結構初心いとか何とか…、) 真選組の連中の下半身事情なぞ知った事では無いが、少なくとも土方が(主にその面が原因で)モテると言うのは銀時ならずとも知れている事だろう。すまいるに近藤の付き合いなどで引っ張ってこられる度に店の女の子が土方の周囲に人垣を成すのだとはお妙にも以前聞いた事がある。 まあ一見クールで悪っぽく見えるがその実正義のおまわりさんと言う点も、美形と言う土方の最大の外見的特徴に付随してよりその価値を高めているのだろう。女はベジータ的なタイプを好む傾向にある者が多いのだから間違いない。 要するにパッと見の印象や、憧れ、或いは観賞用の好意と好奇心、そして見えない部分に対する美化された想像だ。クールで素っ気ない仮面の下に彼女だけに対する独占欲や嫉妬の様なものが覗き見えたら……、などと夢想しては胸をときめかせるのだろう。 そんな勝手な第一印象やイメージとはこの子全く違うからね、と銀時としては思わずにいられない所である。クールと言うより本当に仕事以外の事に無関心なだけなのだとか、悪っぽいどころか単に柄が悪いだけとか、仕事以外の事は存外雑だとか、実は結構初心かったり、お堅かったり、にぶちんだったりするのだとか、そう言った諸々を。 自分しか知らないだろう自負のある、見てくれだけでは到底知れないだろう、土方のそんな部分を思う度にほんの少しの優越感を憶えて仕舞う銀時である。 女の子達が熱心に今見つめているこの男は、真選組副長のこの男は、俺のものなのだぞと。俺に抱かれる雌なのだと。 (いやまだ抱けてねーけど!これからヤろうって所だけど!…って良いんだよね?!何かこの子全くいつも通りにしか見えねーけど良いんだよね?) またビールを一口だけ煽りながら、内心頭をごんごんとそこいらの壁に打ち付けて銀時は絶叫した。一頻り叫んでから膝を抱えて懊悩する。飽く迄気分だけで。外見は何事も無い風情でビールを飲んで、土方に適当な話を振っては平然と笑っている。 銀時は己に余り執着欲が無い事は良く知っているつもりだった。だがその反面で一度固執したものに対しては自分でも驚く程に貪欲になるのだとも。 かぶき町に住み着いて、居場所と言うものになまじ落ち着いて、関わり合う他者から様々なものを与えられる生活を享受し続けて仕舞ったのがその原因なのか、或いは生来の隠れた性情であったのかは解らない。 ただ一つはっきりとしている事は、今目の前で共に酒を酌み交わして笑い合っている、この土方十四郎と言う男に己が今物凄く執着していると言う事実であった。 執着があるからこそ、みっともなくもそれを誇示したくなる。些細な事柄に優越感を憶えては、そんな矮小な己の心にそっと呆れる。 それもこれも、土方から未だ確実な愛情表現の類を聞き出した事も見出した事も無いからなのだ、と言う、気付いて仕舞えば途方に暮れて仕舞う様な現実があっての事だ。 そもそも二人で示し合わせて飲んだり食べたりすると言う関係の発端は、銀時がぽろりとこぼして仕舞った告白からだった。言って仕舞った当初の銀時はそれを全力で後悔したものの、それを聞いた筈なのに聞かなかった事にすると言う結論に至ったらしい土方に次には苛立って、今度は思い切って真っ向から「好きだ」と言ってやったのだった。土方はその時も戸惑った風に曖昧に頷くだけだったが、その後こうして二人で会って飲んだり、家にまで上がり込んでいるのだから、別に悪い反応、と言う訳では無いだろう。勿論だが嫌々付き合っている、と言った風でもない。 何か、土方から少しでもそれらしい言葉や感情が見られればここまで焦燥する程に執着しないでも済むだろうに。 いや逆に益々執着しそうだ、と他人事の様に考えながら眼前の土方の姿を盗み見れば、彼は相変わらず黙々と箸を動かし続けていた。 二人で連れ立って飲み屋の暖簾を潜る事は今までにしょっちゅうあった事だが、家呑みで、と言うのは繰り返すが初めての事だ。土方は仕事が終わった後着替えてから万事屋のチャイムを鳴らして、そんな土方を玄関に通した銀時は、特に訊かれてもいないのに、神楽は今日いないから、と告げた。 それに対する土方の反応は「ふぅん」と言う素っ気ない相槌のみ。 (〜……本ッ当に、マジで、気付いてない可能性のが高くね…?) 以降、座してのんびりと盃を重ねる土方の様子からそんな最悪の結論、の可能性が増して来た気がして、銀時はそっと頭上の蛍光灯を見上げた。場所はいつもの万事屋の居間。銀時にとっては我が家で、土方にとっても然程に見慣れない場所ではないそこには確かにムードもへったくれもない。土方が殊更に乙女めいた思考をしているとは思ってはいないが、全く平生通りの有り様だった事で、銀時が期待していた様な『特別』な感じが、その鈍く初心い思考にさえも漂わなかったのだろうか。やっぱり環境から入ってロマンティックなムードでも作ってやらなければ察せなかったのだろうか。いっそラブホに連れ込んだ方が早かっただろうか。 (…………イヤイヤイヤイヤ!それで、ここで諦めてどーすんの俺!) そんな事をしていたら一生この難攻不落の土方城など攻め落とせやしない。将を射るには先ず馬から。その馬は酒やつまみで籠絡出来たと思って良い。少なくともここに来ている理由にはなっているのだから。後は下馬した将を討ち取るのみだ。 よし、と手汗の滲んだ掌を軽く擦ってから、銀時は一息に飲み干した缶ビールを置き、ソファから立ち上がると土方の隣へと腰を下ろした。急なその動きに土方は驚いたのか、手にした缶ビールを両手で落とさない様に掴み直す。 (オイそこはビールなんぞテーブルに置いて、手はフリーにする所だろォォ?!) 思いはしたが、土方の両手から缶を抜き取る上手い口実も動作も起こせず、銀時はソファに座った侭で体だけを土方の方へと向かせた。先程までよりは近いが、いつもの飲み屋での距離よりは少し遠い、そんな距離で目線が合って土方が訝しげに眉を寄せる。 「なん、」 「土方」 出掛かった問いを遮る様に一歩乗り出して言えば、土方は鼻白んだ様に半歩ほど体を引いて疑問符を浮かべた。結局半分しか近付けていない距離に脱力しかかりながらも、銀時はぐ、と目の間辺りに力を込めた。真摯で真剣な顔を、と、念仏の様に繰り返しながらじっと土方の顔を見つめる。 「万事屋?」 凝視と言っても良い至近の視線に晒された土方は居心地が悪そうに肩を揺らす。至近に迫る銀時の真剣な表情を目の当たりにして黒瞳が困惑を一杯に湛えて震えるが、咄嗟に視線を逃がさない辺りは真選組副長の貫禄と言った所か。 (そうだよ、何でも無い風にしてる様には見えるが、流石にこうやって迫れば厭でも何か察するだろ。つーか察してお願い) そんな些かに情けなくなった心の声が聞こえたのかどうかは定かでは無いが、土方は銀時の『察しろ』そんな希う眼差しを受けてそっと手を動かすと伸ばして来た。 「……俺のも呑むか?」 首を僅かに傾げてのそんな一言と共に、つい、と目の前に差し出されたのは土方の掌──に握られている一本の缶ビール。 「………………」 「喉乾いてるみてェだし。俺はもう充分呑んだから構わねェ」 「………うん、ありがとね」 ぱきぱきに乾いた声音で辛うじてそう受け答えをしてから銀時は感じた脱力その侭に項垂れた。真っ白に燃え尽きたボクサーの様な姿勢になったその手の上にいつにない優しげな手つきで缶ビールが手渡される。 確かに喉は凄く渇いていたけど。確かにテーブルの上に置いた銀時の分の缶ビールは空だけど。寧ろ空になったのを契機に行動を起こしたのだけれど! そんな気遣い要らないからもっと他に気を回しては頂けないでしょうか。 諦念に溢れた調子で棒読みにそう胸中でぼやくと、銀時は土方に譲って貰った──望んでではないが──缶ビールを自棄っぱちな仕草で煽った。その横で、「そんな喉が渇いてたのかよ」と笑う土方の微笑が妙に柔らかくて腹が立つ。と言うか畜生可愛い。 二本目の缶ビールは最早味もしなければ水分としても然程に役には立たなかった。ただ機械的に、目の前に立ち塞がった障碍を払い除けるが如くに一息で思い切りよく飲み干してテーブルの上へとカン、と乾いた音を立てて置く。 そうしてから改めて土方の方へとぐるりと向き直れば、彼もまた丁度卵焼きの最後の一欠片を呑み込んだ所だった。割り箸をそっと置いて、「旨かった」と満足そうに頷いて口元をティッシュで拭う仕草からはあからさまな機嫌の良さが漂っている。ご満悦の様で恐悦至極。 「そう言や」 口を拭ったティッシュを屑籠に放ると、不意に土方はそう言って銀時の方へ視線を滑らせて来た。鋭く整った目尻へと動く黒い瞳に睫毛に影が差して綺麗だとか、そんな事をぼんやりと考えながらも態度にはおくびにも出さず、銀時は「何?」と普通の態度で応じる。 「お前、今日誕生日なんだってな」 「へ?」 「皆でパーティをするとか、チャイナがこの間そんな事言ってた」 思わず目を点にしてから、銀時は壁のカレンダーを目で追った。日めくりのそれに記された日付は十月九日。続けて時計を見遣れば、現在の時刻が示す今日の残り時間はあと四時間程。 「あー…、今日つーか明日な」 「もう殆ど明日だろ。俺的には仕事が終わった時点で今日と言う一日は終わりみてェなもんだ。で、誕生日だって?」 相変わらずの独特の感性だか感覚だかで物を言う土方に呆れ顔で溜息をつくと、銀時は思わぬ事を指摘された照れ隠しもあって目を游がせて仕舞う。 「まあほらこの齢にもなって誕生日とか俺はどうでも良いんだけどね、そう言う名目で集まる言い訳にいつの間にかされてたっつぅか。神楽なんかアレだよ、お妙やら九兵衛なんかが持って来るケーキや食い物目当てで浮かれてるだけだから」 毎年無駄に階下の大家を筆頭に、賑やかで暇な連中が集まって祝い事を謳った宴会を行う、と言うのが昨今銀時の得た誕生日についての認識である。 無論、建前だろうが何だろうが祝ってくれようとする善意や気持ちを無駄にするつもりは無いので、毎年悪態をつきつつも最後には大人しく祝われている銀時だ。タダ酒も飲めるし悪い事は無い。 そんな背景もあって、説明は無用に素っ気ない言い種になったが、土方もその辺りの銀時の心情は察したらしい。ふ、と柔く笑って言う。 「それだけ愛されてる内が華だろ。余り邪険にしてやるなよ」 (いや出来れば隣にいるアナタに一番愛し愛されたいんですけどね) 胸中のぼやきとは別に「わぁってら」と照れ混じりに頭を掻いて返しながら、銀時は膝上で行き場を失っていた腕を軽く組んだ。なんだかもうそう言うムードに至れる空気では無くなって仕舞ったと、落胆とも諦めともつかない感覚で受け入れる。 「おめーも来てくれんの?ババァに参加費は取られると思うけど」 「生憎だが仕事でな。行ってはやれねェが、何か強請るもんは無ェのか?てめぇの事だ、てっきり誕生日プレゼントを寄越せとか言ってくるかと覚悟してたんだが」 言って首を軽く傾げて覗き込んで来る土方に、銀時はまたしても目を点にした。 「え、なんかくれる気あんの?」 「意外そうに言うな。てめぇと違ってこちとら真面目に働いてるだけ定収があんだよ。まぁ物に因るし、今日…いや明日にとは行かねェが、次会う時までには用意しといてやる」 (お前をくれとか言ったら殴られる奴だよねコレ絶対) 「チョコレートパフェとかケーキ食べ放題とかでも良いって?」 言えない本心を余所に問えば、土方はふんと鼻を鳴らしてソファの背に寄り掛かった。何故かそこはかとなく得意顔なのだが、畜生かわいいと再び悶える銀時。昔なら単なるチンピラとしか思えなかった筈だと言うのに、不器用な優しさや照れが横柄そうな態度に見え隠れする事にいちいち気付いて仕舞う故に。 「パフェの一つや二つぐらいなら付き合ってやらァ。……つぅかやっぱり甘いもんか、解っちゃいたが余程好きなんだな」 土方は度々銀時の甘味嗜好をして子供っぽいだのと言っては笑うが、銀時に言わせれば土方のマヨネーズ嗜好──至高かも知れない──の方が相当酷いと思っている。思っていてももう口には滅多に出さないが。 (パフェよりお前が喰いたいとか言ったら間違いなく斬られる奴だなコレ) さも可笑しそうに喉を鳴らして笑う土方の姿からそっと目を逸らしつつ、銀時は暫く前から頭に上がりっ放しだった熱を引かせるべく、ゆっくりと嘆息した。 銀時の願望と土方の申し出とに温度差は確かにあったのだが、別にそれが決定的な隔たりになったと言う訳では無い。寧ろ誕生日などと言うものに対して土方が銀時に何かをくれようとしているらしいと言う事実は、銀時に安堵の感情をもたらして余りあった。 確かに初めてのお泊まり的なイベントで、『特別』な日であったかも知れない。だが、土方にまだそう言った気持ちの許容や覚悟や想いも無しに、手前勝手に事を進めたいとまでは思っていなかったのも確かだ。あわよくば、と言う期待はどうしたって拭い切れないものであったが。土方の想いが少しでも知れただけで上々と思えたからもう良い。 随分と己も単純で、お手軽で、安っぽい男だとは思う。恋は盲目とは果たして誰の言った言葉だったか。悔しいが悪くはない。 (まぁ、誕生日って奴?に土方と、後は寝るだけとは言え過ごせて、次のデートの約束まで貰えてんだから良いか…) それ自体がプレゼントには十分であって、パフェだケーキだの言うのは只の言い訳の様なものだ。果たしてプレゼントと言う名目でパフェを頼んだ時、土方は祝う言葉を口にするだろうか。恐らく、照れながらもそれを隠して尊大に振る舞うだろう想像は易い。 そんな、勝手に少し先の事を考えて銀時が忍び笑えば、穏やかに微笑んでいる土方の顔と出会う。 ソファに隣り合った至近距離。無防備に安らいだ表情。酒の入ってふわふわと覚束なくなった思考。 (………でも、このぐらい、は) 誕生日、にしてはまだ何時間かフライングになるが、勇気を出して身を乗り出す。 素早く近付いた唇が音を立てて即座に離れて行けば、土方の目は忽ちに瞠られて、顔に血を昇らせながらも拳を固めるのが見えた。 初めてのキスの後味は血になりそうだ。 誕生日ネタはもう毎回こんな痒い感じで行ってやろうかと。 鈍いと言うか想像すらしてなかっただけなので、察しろと言うには無理がある。 |