023 「信憑性は確かなんだろうな?」 覆面の公用車を降りるなり、土方は本日二度目になる質問を投げた。 「確かです」 それに返る答えはいっそ素っ気ない程にあっさりとしていて、ある種事務的ではあった。元より土方が山崎の得て来た情報を、口で言う程に疑う事は滅多に無いのだが、今回ばかりは少し勝手が違った。 「……」 そうか、と納得を示す訳でも、確かなんだろうな?と猶も疑うでも無く、土方はむすりとしながら黙って身を屈めると、車の反対側の座席に座った侭俯いている同乗者に声を掛けた。 「オイ、着いたぞ。起きろ坂田」 真選組屯所からはそんなに距離も無いと言うのに、車に乗り込むなりシートベルトもせずに腕を組んでぐうぐうと寝息を立て始めた坂田は、暢気な事にも本気で眠りこけている様であった。 運転席から降りた山崎と助手席から降りた隊士からの困った様な視線を受けて、土方は大きく嘆息すると車に再び上体を突っ込んで膝をつき、熟睡中の坂田の胸倉を掴み上げた。 「んお?」 「仕事中だ、起きろ。切腹させられてェのか、坂田副長」 最後に付け足した役職に凄味を乗せて言うと、土方はぱっと坂田の胸倉から手を放した。頭を揺すられる事で漸く目を醒ましたのか、坂田は常よりも心なし重たそうな目を辛うじて開いてゆっくりと辺りを見回す。 「…あー、あぁ…、もう着いちまったのか」 「着いた。とっとと出ろ、仕事だ」 欠伸を噛み殺す様な仕草をして首を回してみせる坂田の仕草は、寝起きと言う事もあってか何処までも怠そうで億劫さが滲み出ている。願う事ならば仕事になぞ駆り出されず惰眠を貪っていたかった所なのだろう。そこの所の事情には土方も僅か程度に同情は憶えないでもない。 今日は夜番だった筈の坂田副長が、よりにもよって犬猿の仲である所の土方副長と組まされ、本来眠っている筈だった時間だと言うのにこの場に居ると言う事には勿論歴とした理由がある。そもそもその理由の所為で、土方は二度も信頼を置いている筈の山崎に情報の信憑性についてを再確認しなければならなくなっているのだ。 噛み砕いて言って仕舞えば、坂田と組まねばならない事実そのものが土方にとっては業腹なのだ。当の坂田が時間外に降って湧いた仕事にやる気を全く見せる素振りを見せないと言う現状も含めて。 苛立ち紛れに車のドアを締めると、音に肩を竦めた坂田はのろのろと逆側のドアから外へ出て来た。癖っ毛をいつもより酷くしている様に見える、寝癖のついた後頭部を掻くと、脱いで座席に置いてあった隊服の上着を左肩に引っかけて歩き出す。 「……」 解けっぱなしのスカーフにも、留まっていない釦にも、皺の寄った上着にもいちいち腹が立つのだが、土方は溜息一つで何とかそれを押しとどめた。いっそやる気が無さそうに見えるぐらいの方が相手の油断を誘えて良いかも知れないと、無理矢理に良い解釈を添えて、やる気の無さそうな坂田の背を追う。 山崎と、助手席の隊士らもその後に続き、コインパーキングの外に出れば、待ってましたとばかりに、辺りに駐車していた他の何台もの覆面車輌から黒服の真選組隊士らがぞろぞろと幾人も出て来る。 夕暮れの繁華街に突如として現れた黒服の一団の姿に、町は忽ちにざわめき始める。それも、事件の解決の為ならば強行手段も辞さぬ姿勢で知れた、チンピラ警察こと真選組だ。一体何の大捕物が起こるのだろうかと、辺りに非日常の緊張感が走った。 集まった一団を見回すと、まだ眠そうな坂田を隣に伴った土方は、己の目標とする『本命』目標を横目で油断なく見据えてから、町のざわめきを割ってよく通る声を上げた。 「これより、かぶき町○丁目の、江戸風営法に基づいた抜き打ち取締まりを開始する!」 「応!」 応じた黒服の群れたちが、予め指示された通りに統率良く散って行く中、坂田は一人横を向いて相変わらず欠伸を噛み殺していた。 * 「うちは健全とは言えないでしょうけど、法に触れる様な事はしてませんよ?勘弁して下さいって」 そうお決まりの文句を並べて渋る店主に、 「すいませんねぇ、こちらも仕事なんで」 先頭に立った山崎もまたお決まりの台詞を返しながらにこにこと笑って、然し有無は言わさずに薄暗い店内へと入って行く。その後に何でも無い様に、土方と隊士一人と、少し遅れて坂田が続く。 一つの建物につき、正面から乗り込む人員が四名。違法な事をやらかしている人間が逃げたり証拠隠滅を図ったりするのを阻止する為に裏口や建物外観を張っている人員が多くて三名。 都合、一つの店につき七名ほどで当たっての抜き打ちの取締まりだ。勿論事前情報も通達も令状も無いからそこまで強制的な振る舞いは出来ないが、調べられる側も「ただの抜き打ちチェック」でしかない事に難色を示すと本格的に捜査をされかねないので、渋りはするが黙って応じるほかない。 「ご協力をお願いします」 などと笑顔で告げても、その実は警察組織と言う威光を背負って「協力しないとどうなるか解ってるだろうな?」と言った所である。店側も良い顔なぞ出来る筈がないのだ。 真選組の副長だとは、土方も坂田もわざわざ名乗らない。纏う幹部の装束から決して一般の平隊士ではないとは知れるだろうが、まさか武装警察のナンバー2が揃って、抜き打ちの取締まり程度にお出ましとは思うまい。 無論の事だが、副長である土方がわざわざお題目通りの「風営法の抜き打ちチェック」如きでこんな現場へと出向く事などまず無い。何しろ真選組の本分は攘夷浪士の取り締まりや治安維持である。違法業務に対する取締りも治安維持の一環ではあるが、何か明かな犯罪の関与があると知れていない限りそれらは通常業務の中では重要視されるものではない。 況してそこに、もう一人の副長である所の坂田までが来る事など有り得ない。 要するに、抜き打ちの取締りと言うのは当然ながらフェイクだ。本命は山崎の調べて来た情報の方にある。 情報に疑いの余地が僅かでもあったならば、土方が自ら出る事は無かっただろう。そもそも、疑っていたとしたら精々、信頼のおける部下を行かせる程度で終わらせていた。 情報の内容とは、牢番の役人と追跡した同心らを殺害して逃走中の、凶悪と言って良い部類の攘夷浪士の男がこの店に匿われている、と言うものだった。 店主がその逃亡犯の同郷の知り合いであった事もあり、頼る可能性があるかも知れぬと張らせていた所、犯人隠匿への関与は疑い無しと監察の確信が下された。 然し店には無関係の人間も沢山雇われており、件の攘夷浪士は腕も立つ。もしも強引に突入を図れば巻き添えが出る畏れがある。それに、客を装って潜入した程度では逃亡犯が匿われていると言う証拠までを見つけ出す事は困難だった。 ……と言う経緯で、「大江戸風営法の抜き打ち取締り」と言う茶番が決定したのであった。目標の店以外はフェイクなので、そこまで厳しいチェックは入らないだろうが、取締りは取締りだ。 「まあ、最近あの辺りは強引な客引きやら、未成年の売春問題やらがよく取り沙汰されてたからな。上の連中も、風紀の乱れが人心を荒ませるだの何だの抜かしては警察の職務が怠慢だからだと仰せだったし、丁度良いだろうよ」 とは、この大掛かりな作戦を考えた土方の弁である。皮肉たっぷりに鼻で笑い飛ばす仕草も付いていた。この時までは未だ、作戦立案者であって責任者でもあった土方副長の機嫌はそれなりに良かったのだ。 問題はその後、作戦遂行に当たって土方に同行する筈だった沖田が、前日に少々『やらかし』て、名目上謹慎せざるを得なくなった事だった。 だからあれ程、可燃物に向けて火器は撃つんじゃないと言ったんだと、代わりに巻き添えになってほんのり焦げたお偉いさんに謝罪をする羽目になった土方が、そう怒鳴りながら沖田に、始末書になる予定の白紙の山を叩き付けたのは言う迄も無い。 そんな訳で、本来ならば夜番でこの時間は睡眠中だった坂田を起こして、この極秘の捕り物作戦に付き合わせる羽目になったのだった。一人で十分だと土方は言ったのだが、何しろ相手は役人の殺害ですら躊躇わぬ凶悪犯だ。念の為にと近藤が頑として譲らなかったのである。 故に土方は不機嫌を、坂田は眠気を抱えた侭での作戦開始となったのであった。 山崎が店主を前に、ああだこうだと紋切り型な質問を投げているのを横目に、土方は店の奥へと入って行く。余り不機嫌面を出している訳にも行かないが、店の奥へと一歩進む毎にどうしても渋面が浮かんで仕舞う。 店の業務内容は、まあ広く言えば風俗業の一種だ。長い廊下があって、扉がそこに幾つも並んでいる。その間隔からしても隣り合った各部屋はかなり狭そうだ。 小さなその部屋の中には、椅子と、ローションやティッシュの類の乗った、壁に備え付けのカウンターの様な出っ張りが一つあるだけだ。 否、もう一つ。椅子に腰掛けて丁度顔の高さになる辺りに、小さな穴が空けられている。 穴の向こうには同じ様な作りの小部屋があって、そちらは従業員のみが通る廊下からしか入れない様になっている。各部屋には多少の違いはあれど、大体そう言ったつくりだ。 客の通される小部屋と、従業員の居る部屋は完全に分断されており、繋いでいるのは小さなたった一つの穴だけだ。 「…こりゃ一体どう言う趣旨なんだ?」 と、報告を受けた当初そんな疑問を口にした土方に山崎は、「のぞき部屋って奴ですよ」と(何故か妙に得意げに)答えて寄越した。 言われれば聞いた事ぐらいはある。従業員が部屋の中で着替えたり眠ったりと言った事や自慰をしたりする、日常を装った姿を小さな穴を通じて言葉通りに『覗き見』て楽しむ、らしいサービス内容なのだと。 らしい、と言うのは、幾ら説明を聞いた所で土方にはそれが理解や納得をし得ない類のものだったからである。他人の性癖をわざわざとやかく言うつもりは無いが、世の中には理解し難い様々な需要があると言う事だ。 「はーい、ケーサツですよー、取締りに来ましたー」 廊下に居並ぶ扉を見つめて、この全く己には理解し得ぬ類の──つまりは個室の中でどう言った光景が繰り広げられているのかも想像したくはない──ものを前に、さてどうしたものかと考え倦ねていた土方を余所に、坂田は無造作にそう言って扉の一つを蹴り開けた。 「えっ?!な、へ?け、警察??」 途端聞こえて来る、泡を食った男の声と椅子からずり落ちる様な物音。室内にずいずいと押し入る坂田に押される様にして、足に絡まった下着を上げながら飛び出して来る哀れな男の、情けない姿を目の当たりにした土方はそっと頭を抱えて嘆息した。理解は出来ないがどう言う状況かは大体察したので多少の同情も涌く。 客の取り調べは廊下の所で仕事をしている部下に任せる事になっている。土方は渋面を隠さずに、坂田の消えた部屋をそっと覗いてみた。のぞき部屋を覗くと言うのは如何なものかと、浮かんだ下らない冗談には失笑すら出て来ない。 「あー、そんな最中に悪ィね。大江戸風営法に違反してねェか調べてるだけだから」 穴を覗き込んで、その向こうで──客向けのサービスの何かしらをしていたのだろう──従業員に軽い調子で声を掛けていた坂田は、男か女か知らぬが、壁の向こう側と二言三言交わしてから、入り口に佇む土方を振り返った。 「見る?」 「阿呆か」 暢気に言って来る坂田をむすりと睨んで、土方は次の部屋へと仕草だけで促した。すれば坂田は土方の横にさりげなく近付くと、小声で囁いてきた。 「向こうの様子見る限り、場合に因っては本番の覗きもやってた感じだな。今のは一人遊びの覗きだったけど」 「いちいち説明しねェで良い」 余りに平然としている坂田の声に苛々として、土方は溜息を重ねて言うと小部屋の外へと出た。自慰行為を覗かせる程度ならともかく、本番の性行為を見世物にしたり、或いは客とそう言った行為に及んでいるとしたらそれは立派に法に触れる業務内容だが、そっちの取締りは山崎らに任せてある。坂田が見て気付けた程度のものなら、山崎にも容易に知れるだろう。わざわざ伝えに行く必要は無い。 土方の目的は飽く迄、この店の敷地内に潜んでいると思しき、凶悪な逃亡犯の方だ。そんな輩が客の通される様な場所に居るとは考え難い。何しろ顔も氏名も指名手配として報道されている様な男なのだから。 「こう言うの、オメーは嫌い?」 と、店内の間取りを考えながら従業員の使う区画に入って、不審な場所は無いかと見回す土方の後を大人しく付いて来ていた坂田が不意に声を掛けて来た。その質問の意図が──意味が知れず、思わず眉が寄るが、振り返らずに問い返す。 「何の話だ?」 「だから、こう言うのだよ。のぞき部屋」 廊下の隅に位置する倉庫の扉を開けた所でそんな言葉を重ねて言われて、土方は「は?」と素っ頓狂な声を上げて振り返った。声同様に胡乱になる土方の視線を受けて、坂田はちらりと、背後に続く廊下を見遣る様な仕草をしてみせる。居並ぶ扉の向こうでは、小さな穴を通して虚構のショーを見つめては、己の欲望を発散させる行為に転換する事に没頭している客たちが居るのだろう。その事実には嫌悪感さえ憶える。欲望そのものが、とか、行為そのものが、と言うよりも、理解が出来ない類の感覚に対して。 「……趣味が悪ィと思ってるのに違いはねェよ」 まるで理解が無い事を責められている様な、謂われの無い怖気を憶えた土方は短く坂田にそう返すと、「そんな事より」と、薄暗い倉庫の内部に向け、点灯した小型のフラッシュライトの光を投げた。壁にある電気のスイッチを押したが、反応しなかったのだ。電気が切れるか壊れるかしているらしい。 「わお。そう言うプレイも対応済みか」 坂田の戯けた様な声に思わずそちらに灯りを向ければ、彼は入り口付近に置かれた箱の中から、革ベルトで皮膚に触れる金属部分を保護してある、『そう言う』用途のものなのだろう手錠を取り上げた所だった。 「普通は一人で手錠なんざ使わねェからな。壁の向こうの強姦プレイを覗いて楽しんでたとかそう言う感じなんだろうよ」 くるりと人差し指で手錠を回して見せる坂田の姿に向けてライトを揺らしながら、土方は極力押し殺した声を作って言う。 「…………そっちはてめぇの仕事じゃねぇだろうが、いい加減にしろ」 「へーへー。色々揃ってて面白そうなのに」 言って坂田の覗くその箱の中に、一体どんな『面白そう』なものが入っているのやら、考えれば頭が痛くなった様な気がして来て、土方はさっさとそちらから目を逸らすと倉庫の中をぐるりと慎重に見回した。 土方の本気度を感じ取ったのか、やがて坂田も巫山戯た箱から離れると、懐からフラッシュライトを取り出し、土方に倣って闇の中へと向けた。 真っ暗な倉庫は、然し暗さの割に全く使われていないと言った様子では無いらしく、棚にも床にも埃は余り積もっていない。暫し倉庫の中を二つの灯りで照らしながら歩き回る。 土方は慎重に灯りを、幾つかの棚で区切られた倉庫の隅々まで向けて、やがてある一点で視線を固定した。 ちら、と横に立つ坂田を伺えば、彼も小さく顎を引いて応じる。 二人が目に留めたのは、積まれた段ボールの後ろに置いてある板きれだった。一見してただのベニヤ板だが、床に残った埃の痕を見れば、板が度々横に動かされているのは明かだ。 足音を忍ばせた坂田が板の横に回り、土方はその逆側に立つと、歯の間でフラッシュライトをくわえ、刀に手を添える。 頷けば坂田が板を蹴って退かすが、取り敢えずそこから何者かが飛び出して来る様な事は無かった。くわえた灯りの照らした先にあったのは、地下へと続くL字の階段であった。 人が一人程度通れば一杯になる細さの階段を、刀を抜いた土方は足音を立てずに駆け下りる。それから坂田が階段の角まで追って来ている事を確認すると大きく息を吸い、地下配電室、と書かれた古くさい扉を思いきり蹴り開ける。続け様に耳障りな軋み音を立てて扉の開く音に合わせて、吐き出す呼気に乗せて声を張り上げた。 「御用改めである!真選組だ!」 * ぞろぞろと、狭い階段を何人もの隊士たちが昇っていく。その中にはがっちりと両脇を固められて拘束された、件の逃亡犯がいる。無論その殺害を犯した腕を戒めているのは、上ののぞき部屋で従業員が使っている様な玩具の手錠などではなく本物の金属の手錠だが。 ともあれ、土方が声を張り上げて扉を蹴破るなり、地下室に潜んでいた男は刃物を携え物陰から飛び出して来た。幸い、上の倉庫とは異なりこちらは電気が皓々と点いており、突然の捕り物の気配に追い詰められた男は冷静さを既に失っていた。 土方が刀を突きつけるより先に、その身を押し退け飛び込んだ坂田の木刀を喉に受けて、呼吸の詰まった男は見事なぐらいに一発で倒れた。 鮮やかではあるがえげつない所業に、土方への万一の危険さえも許すまいとしたのだろう、坂田の一見してやる気のない態度から覗き見えた本心には、いつもながら返す言葉は見つかりそうもない。 その坂田は、男が何週間かの間主に潜んでいた、余り広いとは言えない地下室をぐるりと歩き回っていたが、めぼしい何かを発見する事は出来なかったのか、やがて、部屋にあったノートPCを調べている土方の方へと戻って来た。 どうやら、他の仲間とメールなどで遣り取りをしていた痕跡がありそうだったので、取り敢えず土方は机に向かってざっと確認をしている最中だったのだが。 「詳しくは鑑識に持ち帰って調べた方が良いな」 重要な証拠になりかねない代物だ、専門家にきちんと調べさせた方が良いだろうと判断し、土方は開いていたメーラーを閉じた。と、バックグラウンドで何やら動画が流れている事に気付き、忽ちに渋面になる。 「上の映像か?」 「……多分な」 椅子の背に寄り掛かり、土方はまたしても呆れの色の濃い溜息を吐いた。机に手をついて横からノートPCを覗き込んだ坂田は、階上ののぞき部屋の何れかの部屋を撮影しているのだろう動画を見ながら、マウスを操作して次々に画面を切り替えて行く。どうやらここののぞき部屋のサービスの中には、ネットでの有料会員に向けた配信もあったらしい。逃亡中で退屈だったのか、踏み込む寸前まで暢気にも映像を楽しんでいたのだろう。 配信だからか、映し出されているのはリアルタイムの映像である必要はない。よく出来たものの録画の様だ。任意に好きな映像や角度を選んで閲覧出来る様になっている。もしもライブ配信であったらこの捕り物の──もとい、抜き打ちの取締りの様まで全国配信されている所になっていた所だった。 配信されている映像の中には、疑いのあった、セックスの真っ最中ののぞき配信も含まれている。先頃坂田が見つけた、いかがわしい道具の類を使ったものなども勿論あるのだろうが、それをいちいち探し立てする気は土方にはない。 「自慰だろうが本番だろうが、他人の行為を覗き見て何が楽しいんだか知れねェ。同じ目的ならAVでも見りゃ容易に用途は為せるだろうが」 映像を消す様に坂田に促すと、土方はこののぞき部屋と言う店を前に、当初から理解し難かったその疑問を思わずぼやいた。逃亡犯を首尾良く逮捕出来た事で多少は気が緩んでいたのだろう。呆れの仕草でひらりと振ってみせた手を、坂田が掴んだ時にも別段何も思ってはいなかった。 だが。 がちゃり、と鈍い音がして、土方の右腕は革で覆われた金属の輪にぶら下げられた。輪には鎖が付いていて、その鎖の先には同じ様な輪がもう一つ──、 「………え?」 先頃までの、逃亡犯を探していた土方であったらそんな隙は晒さなかったであろう。疑問を浮かべる余地すら無く、単純に危機感を感じた本能だけで、目の前で笑う坂田の顔面を殴りつけていたに違いない。 然し事件は思いの外にあっさりと気持ち良く解決して、土方は、正直に言えば充実感で多少浮かれていた。肩の荷が下りた様な解放感もあった。 故に、ぽかんと口を開いた侭、土方は己の右手首に付けられた輪と繋がったもう片方の輪が、壁に這う配管の一つへと、がちゃりと、再びの鈍く重たい音を立てて掛けられたのを見ても、まだ理解を追いつかせる事が出来ずに瞬きを繰り返していた。 思考も動作も停止した土方を余所に、坂田はノートPCの中にまだ映し出されている映像へと視線を向けて言う。流れている映像は男女の営みの最中を穴からカメラが覗いている形になっている。声や音はよく聞こえるが、小さな穴の視点では肝心の状況はよく伺い知れない。 「需要があるからこう言う商売が成り立ってる訳でー…、まあ俺は解る気するんだけどな」 ふ、と笑うと坂田は映像をオフにした。上着をぽいと机の上に放る、その様子は至極普通の表情と所作で、つい今し方土方の意識の空隙をついて手錠を掛けた人間とは思えない。 「坂、」 それは一仕事を終えた土方の油断よりも大きく、坂田への信頼や安心感があったからこそ起こった事だったと言えたかも知れない。 坂田は己を決して裏切らないと、土方は確信している。坂田銀時と言う男は土方十四郎と真選組を害する筈は無いのだと、この世の何の道理よりも強く確信している。 故に、己の手から伸びる短い鎖がその身を戒める類のものであると認識しながらも、それを生命の危険であるとは思わなかった。 当然だ。これはプレイ用のおもちゃみたいな手錠であって、よりに因ってそれで土方を拘束したのが坂田だったのだから、そこに命の危機などある筈も無い。他の危険はあったかも知れないが! 「〜……ッッ!!」 そこまで至って土方は漸く我に返って現状を理解した。反射的に手錠を掛けられた手を引くが、逆側の輪は壁にしっかりと留められた配管に掛けられていてびくともしない。暫くがちゃがちゃと鎖に繋がれた腕を振り回すと言う無意味な抵抗を繰り返してから、土方は憤慨に奥歯を軋らせて、背後に佇んでいる坂田を睨み上げた。 「何だこれは!何考えてんだてめぇは!」 「コラ、あんま振り回さねーの。幾ら傷が残りにくい様になってるって言っても、そんなんしたら痛ぇだろーが」 傷痕残っちまうぞ、とまるで他人事の様に言う坂田の胸倉を自由な左腕だけで掴むと、土方はその暢気そうな顔を眼前に引っ張り寄せて、怒りに戦慄く唇を開いた。ぶつかりそうになった額には青筋がくっきりと浮かんでいる事だろう。 「外 せ ば 済 む 話 だ ろ う が !」 「まーホラ、折角こう言う店に来てる訳だしィ?おめーもこの際だ、社会勉強してみた方が良んじゃね?って銀さんの優しさだよこれは」 「ンな優しさ要るか馬鹿が!外せ!速やかに外せ!」 身体の右側の壁から、鎖の長さ15糎ぐらいしか土方の自由に動ける範囲は無い。背後にはノートPCの乗った机があって後退れず、前に進もうにも配管の留め具に輪が引っ掛かって殆ど手錠の自由になるスペースも無い。 片手を突っ張ってみた所で結局は両腕の長さまでしか伸ばせない。幾ら地下室が余り広くは無いと言っても、土方が全力で指先まで踏ん張った所で階段への扉には全く届かないだろう。第一、階段までの間には電気設備の機械や棚が置いてあって仕切壁の様になっている。 そして手錠も壁の配管も、ついでに己の右手首も思いの外頑丈で、どこかの箇所を引き千切って脱出を試みると言うのは不可能に近いだろう。 「…………」 まんまと土方を陥れる事が出来た事で満足でもしたのか、目の前でにやにやと笑っている坂田でさえ、土方の自由になる範囲から一歩でも外に出て仕舞えば全く手の届かない存在になる。万一この侭置いて行かれたりでもしたら、土方が自力でこの地下室から脱出する事は到底叶わない。声を上げて助けを呼べたとして、坂田の悪戯にやられたなどと絶対に言いたくないしバレたくもない。 坂田のイヤガラセじみた行動に、漸く土方は人並みの理解と憤慨とを憶えた。そしてそれで少々冷静さを取り戻す事には成功する。 落ち着いた頭で、ここ数分の坂田との遣り取りを振り返ってみれば、のぞき部屋と言うものが理解出来ないとか出来るとかそう言った話で終わっていた気がする。 果たしてそれが原因なのかどうかは知れないが、土方は憮然と言った。 「……で、何だって?社会勉強とか言ったか?一体何させる気だ、下衆な覗きの映像を仲良く鑑賞しましょうってか?」 変態が、と吐き捨てると、坂田はちらりと土方の背にした机の上のノートPCを見たが、「いいや?」と肩を竦めると、机の前のキャスター付きの椅子を横へと押し遣った。 「多分なー、俺の想像だとおめー結構好きだと思うんだよね、こう言うの」 「ハァ?」 不快も顕わに眉を寄せる土方の頬と背とに手を伸べると、坂田は片膝を足の間へと差し入れて来る。反射的に後ずさった腰が机にぶつかり、土方は流石に血相を変えて坂田を見た。流石にここまでされてこの先が解らないほど初心ではない。 「っま、待て馬鹿、仕事中だぞ…ッ、何考え、っ」 「大丈夫大丈夫、階段のドアは締めてあるし、ここにはもう調べるもん何もねェから。誰も戻って来やしねェよ」 腰から臀部をざわりと撫で下ろす坂田の手つきに、土方は背を粟立てながら自由な左手で必死にその肩を押し返そうと藻掻く。 「限らねェだろうがッ、誰かが、来たら、──ッ!」 「そうそれ。そう言う奴だよ要するに」 「──なに、が!っん、」 足の間の膝と迫る胸板とに押されて、上体を反らして机に寄り掛かる形になった土方の後頭部を捕まえて、坂田の唇が降ってくる。ぱくりと噛み付く様な口接けで口唇を擦り合わせて、舌が閉じた唇に吸い付いてこじ開けて来る。 逃げる舌を追い掛けながら口中を舐め回され、上顎をざらりと舐め上げられれば背筋がぞくぞくと震えて「ふぁ、」と情けない声が漏れた。羞恥に抵抗する様に土方は坂田の胸を叩いて押すが、どう言った訳か土方に比べて全く稽古などしていない様な男の体躯は小揺るぎもしない。 己の拳に力が入っていないからだ、と気付いたのは、すっかり咥内を坂田の好きにされて息が上がった頃だった。土方が酸欠に軽い眩暈を起こしそうになった所で、漸く坂田の唇が離れて行く。 笑いそうだった膝を軽く押されて、座り込んで仕舞いそうになる腰は優しく支えられて、机の上に背を乗せられる。呼吸を整えながら見上げる土方の視線の先に、窮屈で仕様がないと言いたげな仕草で自らの襟元を緩めた坂田が覆い被さって来るのは見えていたが、背には机、足は地から上げられて開かれて、右腕には鎖では最早逃げようもない。 お終いに刀をそっとベルトから抜かれて机の下に置かれた。これでもう詰みである。 「イケナイ事してる時とか、一人こっそり後ろめたく愉しんでる時とか。誰かに見られたらどうしようって思うのと同時に、誰かに見せびらかしてやりてェって思って、興奮するんだってよ」 坂田の言う『そう言う事』なのだろうこの所業は、然し土方には理解の程度を越えていた。 「いいかげんに、しろ、」 弱々しいのは承知で呻いて抗議するが、坂田は寧ろ柔和に笑むと土方の常識的な反応を嘲笑う様に、首元を包むスカーフを抜き取り、ベストとシャツの前を開くと、ぢゅる、と乳首に吸い付いてきた。 「っひ、」 吸って歯の間で転がして、ぺちゃぺちゃとミルクでも舐める様に音を立てられて、土方は耳を塞ぎたい程の羞恥に駆られた。こんなに大きな音を立てたら上で捜査を続けている誰かが気付いて仕舞うのではないか。誰かに聞こえて仕舞うのではないか。 そんな馬鹿なと思うのに、そんな不安と錯覚とがぐるぐると頭の中で羞恥や焦燥を攪拌して全身に広がって行く。 「ッん、んぁっ、んんん…!」 声を出さない様にと歯を噛み締めている筈なのに、勝手に腰が浮いて口が開いて仕舞う。吐き出す吐息は酷く熱を持ってわなわなと震えて、背筋は恐怖で冷たい筈なのに、坂田の身体の触れる場所から与えられる性感だけが矢膤強くて、喉を裂いてあられもない声が今にも飛び出しそうだった。 「っあ!やめ、さかた、本当に…ッ、も、やめ…」 つう、と臍の窪みを撫でられて鳥肌が立つ。上がりそうになる声を坂田への制止に変えて、土方は自由にならない右腕の鎖を鳴らした。 「またまたァ。ここで止めたら困るのはおめーの方だと思うけど?」 「!」 臍で遊んでいた手が更に下へと進んで、着衣の上から掌でそこに触れられて土方は思わずびくりと背を跳ねさせた。 「うそ、」 呻くが、それは紛れもなく、全く触れられてもいないと言うのに、誤魔化すのは最早難しい程に育ちきって仕舞っている己の性器。認め難いが坂田の手の触れたそこの感触は明かで、土方は激しい羞恥心に泣きたくなった。 「な?解って来たんじゃねェ?こう言うのの楽しみ方。見られてたらどうしようって、バレたらどうしようって、興奮してこんなにしちまったんだろ?」 「〜──っ!」 己の惑乱までも具に説明され、土方は憤慨よりも図星だったのだろう事実に愕然としながら、笑う坂田の姿から頭ごと視線を逸らした。情けなさと恥ずかしさとで死ねるなら何度も死ねると思う。 ベルトを外す音がして、土方のズボンと下着とが足から抜かれた。ひやりと冷える感触から、きっと下着まで濡らしていたのだろうと思えば益々居た堪れない。 「この部屋も、階上ののぞき部屋から覗ける様な仕組みとかあったりしたら、どうする?」 「な…っ!、あぅっ、んぁッ!」 潜めた声でとんでもない可能性を囁かれ、咄嗟に辺りを見回そうとする土方の性器を掌と指とで扱き上げながら、坂田が喉奥で笑う。 「ほら、期待で興奮しちまって、やーらしいの」 揶揄の言葉からも、坂田が適当な嘘を並べているのは解っている。だが、それでも、ここはのぞき部屋と言う趣旨の風俗店なのだ。何処かにカメラがあったり、何処かに穴が空けられていたり、誰かが監視出来る様な仕掛けが無いとは言い切れない──かもしれない。 思えば思うだけ、不安になればなるだけ、坂田の愛撫の存在感が大きくなって土方の精神を苛む。戯れじみた触れ方なのに、気持ち良いと感じる熱と、恥ずかしいと感じる熱と、抑えなければならないと言う熱とが喉まで迫り上がっていて、限界はもうすぐそこに迫って仕舞っていた。 「っさ、坂田ぁ…っ、も、もうだめ、もう…っ!」 「ん?イキそう?じゃ、皆に見て貰おうな、鬼の土方くんがかーわいい顔してイくところを」 「〜っっ!」 坂田の、明かにブラフと知れた言葉に、然し土方の精神の奥深くで今までに得た事の無い類の衝動と快楽とが涌いた。 常識的な羞恥や批難が、『のぞかれる』事を、『のぞく』事を愉しむ為の場所である事とが受け入れ無意味に砕く。 「 !!」 土方は今までに感じた事の無い様な解放感と同時に、脳をつんざく様な鋭い快楽が全身を駆け抜けるのを感じながら、それを喉からとろけた音声にして、追い詰められた射精感と共に吐き出していた。 「っ、っ、っっ、!」 尾を引く悲鳴が消えても、はくはくと開く喉が声にならない声を上げ続けて、坂田の手の扱く動きに合わせて土方は精液と共に、きっと解放感とかそう言った実のないものをいつまでも吐き出し続けていた。 「な?おめーはこう言うの好きだって、俺の言った通りだったろ?スゲー気持ち良さそうじゃねェの」 腹の上に散った土方の精液を指でぬるぬると皮膚の上に拡げながら、坂田が上擦った息遣いで笑った。言いながらも土方の足や臀部に自らの股間を擦りつけて舌なめずりをするのに、思わず息を呑む。 ここまでならばまだ、坂田が土方を拘束して行っている一方的なイヤガラセだ。だが、坂田は自らのベルトを外すと硬く勃ち上がった性器を取りだして土方へと突きつけて来た。血管を浮かせ赤黒く脈動するそれは、これから己の収まる場所を知っていて、迷わずそこへと向いている。 「さか、っさかた…、」 真選組の二人の副長は憎み合っている。その前提があってこその二人の副長と言う存在が、然しこれでは無意味になって仕舞うのではないかと、土方はかぶりを振った。 「誰か覗いてると思ってるんだ?」 そんな土方の畏れを察して坂田はそう小さく嘲る。確かにこれはのぞき部屋と言う存在感を煽ってのプレイだが、飽く迄ここはのぞき部屋では無い。覗く為の設備も無ければ覗ける穴やカメラなど存在しない。それは坂田が先頃部屋を歩き回った時に確認したのだろうし、地下室の階段の扉はきちんと閉まっていると言っていた。 まるで覗かれている事を期待しているとも取れる指摘に、土方は真っ赤になって俯いた。覗かれている筈などないのに、それでも一度「覗かれているかも」と囁かれれば、どうしてもそんな気がして離れない。 そして何より土方は、『のぞかれている』その想像を承知で、先頃達したのだ。あの時全身を駆け抜けた快感と解放感は紛れもなく、覗かれ見られていると言う想像の羞恥がもたらしたスパイスであって、それを気持ちが良いと土方自身が受容した事に因る快楽であった。 「もし見られてんなら見せつけても良いだろ。おめーは抵抗出来ねェ様に手錠掛けられてんだ、俺が戯れに強姦してるって事にしちまえよ」 熱っぽい吐息と共に小声でそう囁くと、坂田は大きく開かせた土方の足の間に陣取って腰を掴んで更に上へとずり上げた。身体を二つに折られて後孔をほぼ真上に晒される恰好に、土方が声にならない悲鳴を上げるより先に、坂田は身を屈めると硬く閉じている後孔の窄まりに顔を押しつけてじゅるりとそこを舌で舐め上げたかと思えば吸い付いてくる。 「っひあ!?あッ、やだ、さかた、あぁッ、汚ね、からぁ…ッ!」 「んっ、濡らすもんねーし、良いだろ別に。汚ェとか思ってたらここに大事な息子さんなんて突っ込めねェよそもそも」 「ひぃっ、や、やだ、やめ、はぁッ!」 本能的な羞恥と忌避感とで土方は足をばたつかせて抗議するが、お構いなしに坂田は土方の後孔を指で拡げながら舌で舐め回して行く。その仕草から感じられるのは何処からどう見たところで、先頃坂田の口にした強姦などと言う行為には見えない。極度の変態か、はたまた労りや盲目的な愛しさしか伺えない様だろう。 見られているかもと興奮して達した挙げ句、犬猿の仲の筈の男に尻穴を舐め回されて、堪らない快楽を憶えている。それをもしも覗かれていたら──否。のぞかれていたい。羞恥を、無様を、誰かに見られて仕舞いたい。 到底信じられない様なそんな衝動と、それを厭だと、怖いと思う相反する心があって、惑乱しては何もかもがどうでもよくなっていく。 「はぁ…っ、あ、…あー、ぁ、」 最早誰かに覗かれていようがいまいが関わらず、土方は恐ろしいまでの羞恥と背徳的な快楽に身を投げ出して震えていた。 ぴくぴくと土方の足は引き攣って痙攣して、舐め回されているそこから皮膚を刺激する坂田の荒い息遣いと、舌に続けて入って来た指が孔の内部を拡げてほぐしていくぐちゃぐちゃと言うはしたない音とに、再び高まる絶頂感を憶えていた。足の間で再び持ち上がった性器が、すぐ近くの場所に与えられているもどかしい様な感覚に堪えかね震えている。 「…っは、土方、」 ぐい、と口元を拭った坂田が身を起こし、自らの性器を扱いて濡らしながら、机の上で仰向けに転がってただはぁはぁと荒い呼吸を繰り返す土方を見下ろす。指と舌とで散々に嬲られた後孔が、そこを埋めるものの訪れを待って切なく開閉を繰り返して土方の視線と共に坂田を見上げる。 「なァ。たっぷり見せつけてやろうな?お前は俺のものなんだって」 何処か箍が外れた様な笑みを浮かべた坂田が、掠れて小さな声でまるで秘め事の様に囁いた。言葉は土方の再びの羞恥を煽った上に埒もない様な文句だと言うのに、土方は背筋を蠢く快楽にぶるりと身を震わせて仕舞う。 お前のものにはなれない。打算で繋がる信頼関係は、そこから何にも変わらない。変われない。坂田の呉れる情が本物であったとしても、土方にとってそれは望んで良いものではない。 それでも、戯れ混じりの嘘の陶酔感に今ばかりは浸って、土方は自由な左腕を伸ばして坂田の頭を引き寄せた。見せつける、と言う嘘が、それを土方に赦した。 求められる侭に坂田は土方に口接けて、強請る舌を捕らえて口腔を深く犯して来た。先頃まで己のあらぬ場所を優しく舐めていたそれが愛しくて堪らなくて、舌を絡ませ吸い合う口接けに夢中になる。 そうする間に坂田は腰を動かすと、柔く開かれた土方の後孔に性器を宛がい、ゆっくりと腰を進めて来た。 「さかっ…、あ、あぁッ!」 銀時、と呼ばない様に努める事が、土方の護れる最後の理性だった。離れた口唇の間から唾液と短い悲鳴が飛んで、甘く濡れたその響きが互いの膚を打つ。 「あーーッ!あっ、あ…、あ、あぁ…っ、」 ずくずくと坂田のものが狭道を押し広げて肚を満たすのに、土方は白痴の様な声を上げて背を弓なりに跳ねさせた。抑えつけられている腰がぶるりと震えて互いの身体の間に生暖かい欲の証をびちゃびちゃと散らして行くのを、脳を溶かす快楽と充足感と共に感じる。 「挿れただけでイッちまったんだ?やっぱ、見られてると思うだけでおめーはいつもより感じちまうんだな。締め付けも、すげェし」 身を屈めた坂田が、絶頂感の中で小刻みに微動している土方の耳にそう囁き、柔らかな耳朶の肉を甘く噛む。そんな動きですら気持ちが良くて、土方はもう段々と役立たずになり始めている自覚のある脳を必死に活性化させ、括約筋を必死で引き絞った。自分の味わっているこの絶頂感と多幸感とを、坂田にも同じ様にこの身で得て欲しいと思って、必死に。 「っ、」 ぎゅう、と震える膝で縋る様に腰を挟まれ、坂田は一瞬息を呑むが、次の瞬間には雄の獣に表情を変えていた。机に掌をついて身を起こすと、まるで机の上に無防備に供された餌を食い散らかす様に荒々しく腰を振って土方の肚の中を味わい始める。 性器で抉られたかと思えば内臓を引き摺り出される様な衝撃に、土方は己が喰われる様な原始的な恐怖を憶えて右腕の鎖を慣らして藻掻いた。然しその律動の与えてくれる快楽は身によく覚え込まされた確かなもので、土方は一時己が殺されているのか喰われているのか解らなくて混乱する。 嵐の海に投げ出された様な混乱の中で、救いを求めた左手が掴み取ったのは机の上に放られていた坂田の上着だった。隊服の触り慣れた感触と、そこに染み付いた坂田の匂いとにくらくらとしながら、縋った布地に鼻と口とを押し当てて、堪えきれない悲鳴がこれ以上出て行くのを抑える。 こんな、今にも死にそうな声など上げたら流石に上に居る隊士たちにも聞こえて仕舞う。何かしらを悟られて仕舞う。 「煽ってくれちゃってェ…、」 「!」 ち、と舌打ち混じりに呟いた坂田の律動で前立腺を腰が浮くほどに突き上げられて、土方の足指がぎゅうっと丸まった。目の眩む様な快楽に目蓋を思いきり閉じると、腰を痺れさせる様な絶頂感に脊髄を電流が走り抜けて意識が一瞬飛んだ。性器はまだ兆していなかったから、中の感覚だけで達したのだと知ってはいたが、いつもこの感覚は強くて鋭すぎて、土方の意識を真っ白に灼いて仕舞う。 小刻みに痙攣する土方の身体を抱え込んで、坂田はぐっと歯を食いしばると熱い肉に包まれた性器を深々と突き刺しながら幾度か息を小刻みに吐いた。 その都度に肚の内に、坂田の命の奔流とも呼べるものが射ち込まれるのを何処か飛んだ意識の片隅に感じながら、土方はなかなか気怠さに転じようとはしてくれない程に強い快楽を持て余して震えていた。 * 配管に繋げた手錠の鍵を外してやると予想通りに、解放された右腕からキレの大層良い右フックが飛んで来たので、坂田は軽く首を竦めてそれを避けた。 顔の前を素通りした土方の拳を掴んで、未だ右手首にぶら下がった侭の手錠の残りも外してやれば、土方はべたりと机に寄り掛かって床に座り込んだ。ちくしょう、とか、いつか殺す、とか、何やら物騒な呟きが俯いた口からぽろぽろこぼれている気がしたが、坂田は気の所為だと思う事にした。 矢張り多少暴れた事もあってか、土方の右手首にはうっすらと紅い痕が残って仕舞っていた。一応革で保護されていたお陰か擦過傷の様な傷は残っていないので、まあこれならわざわざ隠し立てしなくても大丈夫だろう。 「立てるか?」 机の上からティッシュ箱を取り上げて訊けば、土方からは「舐めんな」と低く押し殺した声が返って来る。彼ははぁはぁとまだ呼気を多少荒くしながらも、乱暴に抜き取ったティッシュで汚れた下肢を拭い、それからふらりと立ち上がって下着とズボンとを引き揚げた。 (……溢れねェのかな) なんとなくそう疑問が浮かぶが、口に出したら今度は左フックが飛んで来そうだったので坂田は浮かんだ疑問ごと口を噤む事にした。何しろ迂闊な事を言えば、誰の所為だと思ってる、と開いた瞳孔で刀を振り回しかねない危険人物である。扱いは心得ているつもりだ。 「ノートPCはこの侭持って行くか」 「…あぁ。証拠品として提出しておけ」 頷く土方の、身支度をする衣擦れの音を聞きながら、坂田は念のためノートPCの外観をぐるりとひっくり返したり光を当てたりしてみるが、まあ体液やらあれこれで汚して仕舞った様子は無いから大丈夫だろう。それに鑑識が調べるにしても、PCのガワよりも重要なのは中身の方だ。 コンセントを抜いてアダプタごとまとめて、ノートPCを小脇に抱えた坂田が振り向けば、土方は丁度刀を腰に差してスカーフを整えた所だった。こうして見ればその様は誰が見ても『鬼の副長』でしかなく、先頃まで坂田の腕の中で啼いていた痕跡などは外見からはまるで見て取れない。 仕事用の表情に切り替えた土方の眼差しはいつもの様に──或いはいつも以上に鋭く、煙草をくわえて歩き出す彼の背を、坂田は僅かの笑みと共に追う。 「…………」 地下室から上階に続く階段を昇って行く土方の姿がL字の角の先に消えたのを見送ってから、坂田はぴたりと足を止めて地下室の入り口を振り返った。 土方は扉を開けただろうか?思って開いていた扉を引けば、キイィ、と軋む音が鳴る。 「…………」 その侭扉を幾度か押して、引いて。 坂田は地下室で行為に及ぶ寸前、己が確かに扉を音を立てて閉じた事を憶えている。がちゃん、とノブの引っ掛かる音を確かに聞いている。 然し今、土方はノブを回す音も、開ける時の軋み音すら立てずに階段を昇りはしなかっただろうか。 「…………ははぁ」 頬を掻いて、坂田が階段をのろのろと昇れば、そこに山崎や部下らと事務的な、捜査についての会話をしている土方の姿は直ぐに見つかる。 辺りに視線を投げれば、風営法での摘発の目的だろう、のぞき部屋を調べている者も数名が動き回っている。店員たちは受付の奥の待機部屋でひとまとめにされ、一人ずつ別個に聴取を受けている筈だ。警察が帰るまでは自由には動けまい。 さて。山崎か、そこにいる部下の隊士か、それとも捜査を行っている者らか。それとも、全員か。一体誰が、『のぞき部屋』を愉しんでいたのやら。 (……ま、誰が見てたとしても俺にとっちゃ別に構うこたねェけどな) 仕事用にモードをすっかりと切り替えた土方は開いていた扉に全く気付く様子もなく、地下で密やかに何をしていたかと言う姿など微塵も漂わせずに仕事に戻っている。 真剣な鬼の横顔、横暴な表情を浮かべながら部下に無茶振りをして物騒にわらう、土方副長が愉しんでいた秘め事は、その姿からはきっと誰にも伺えはしない。 誰かが見ていたとしても、土方がそれを知りさえしなければ何ひとつ変わらない。だから坂田はどうでも良い些事だと思い、のぞきと言うスリリングな興奮を愉しんだのだろう、誰知らぬ人間を少し羨むだけで忘れる事にした。 土方に言った通り、二人の副長の仲が険悪だとは真選組の中では有名だし、誰もが知る事実だ。 仮に『あれ』を覗き知ったとして、それを誰かに話したとして、おいそれと誰も信じはすまい。天地がひっくり返ったって有り得ないと笑い飛ばされるのがオチだ。 もしも露見したとしても、坂田が土方を一方的に犯していた様にしか見えないだろうし、そうなったら、弱味を握って脅して関係を持っている=つまり不仲と結局は思われるだけだ。 (………悪ィが俺も、『そういうの』が好きな質なんでね) 土方には悪いが、と坂田は口端を吊り上げ目を細めて笑った。 見せびらかせた、真選組の中では坂田しか知ることの赦されないだろう、土方の痴態も啼き声も体内の熱も、潜めた執着の果てのいとしさも。 全ては坂田だけのもので、そうだ、と言う事を誰かに知らしめる事が出来た事実に、もう一人の夜叉(おに)の副長は酷く満足したのであった。 誕生日要素が欠片も無い件につきましては、銀誕と言う記念日を真摯に受け止め協議の末今後に役立てたいと思います(テンプレ的謝罪台詞 023=おにいさん、ではありません。 |