グライド



 「副長は…兄上殿は、確かにつながっていた。それだけきけたら…自分は充分っスから」
 泣き笑いに似た横顔でそう言うと、鉄之助は紙飛行機の形に折った手紙をそっと空に投じた。静かな残照を受け、寂しげな橙色に染められた翼はほんの少しの距離を切って、ぱさりと墜ちる。届かない手紙と言う役割の、その通りに。
 それでは、と頭を下げて去って行く小さな後ろ姿を見送ってから、銀時は足下の堤防に引っ掛かる様に墜落している紙飛行機をそっと拾い上げた。
 (そんだけで充分って。万事屋(俺)を雇ってまで届けたかったもんなんだろーがよ…)
 死者に手紙を届けたい、などと無意味でしかない行為を、それでも必死に頼み込んで来たのは鉄之助の方だ。しかも武州の方までの出張だったのもあって半日掛かりの大仕事になって仕舞った。
 茶番中の茶番だと悪態は散々ついた銀時だったが、鉄之助や土方為五郎の妻の思いは解ってはいる。
 死者には言葉は届かない。何もしてくれない。死者にしてやれる事も、掛けられる言葉も、期待出来るものも何もない。故に、死者へ手向ける言葉は、思いは、己に向けたものと同じなのだと思う。死者に語る言葉は、してやる事は全て、己の心の裡を晒して改めるものなのだ。
 だから、死者には語りかける事しか出来ない。返事は己の裡にしかないのだから。
 だから、死者には是か否かなど問わない。勝手に約束を、誓いを置いて来る事しか出来ないのだから。
 そしてその証は死者の眠る場所にではなく、己の魂にこそ宿るものだ。
 届けられなかった手紙は、鉄之助の胸にしか無い。それを伝えられるべき人は、墓の下になど居ない。だからまだこの手紙は、何処にも飛べず届けられず、墜ちた侭でいる。
 行き場を失った紙飛行機がなんだか憐れに見えて来て、銀時は折り目をそっと開いてみた。白い紙の上にはびっしりと、筆で書かれた文字が散っている。
 『拝啓、土方為五郎様。自分は福長にお世話になっている、佐々木鉄之助と言います』
 (うお……汚い字だなオイ。しかも副の字間違ってるよ)
 『福長は真選組を率いて日々江戸を守り、人々を守り、とても立派にやっておられます』
 紙の上には、お世辞にも綺麗とは言い難い、みみずののたくった様な文字が連ねられている。紙の余白や文字の間には墨が垂れた様な染みも所々に目立つ。文字の読み書きは最低限学べていた様だが、日頃筆など持って文字を記す事などそうそう無かったのが伺えた。
 (これじゃ兄ちゃんも読むの大変だろーなァ…)
 それとも、目の見えない彼の人ならば、この汚く拙い手紙からも込められた想いを読み取ってくれるのだろうか。
 『福長は、自分の命の恩人です。命だけでなく、生きる事を許して、認めてくれた、唯一の人です』
 「………」
 そこまで読んだ所で、銀時は溜息をついた。手紙を綺麗に畳み直す。
 「ったく、あの馬鹿ガキは…」
 畳んだ手紙の白い表面に、夕陽に照らされ光る川面がきらきらと映し出されている。
 こんな風に、まるで何かの宝物の様に、綺麗で、尊いものがある。それは手紙と言う解り易い形をしているかどうかも解らないものだ。在るかどうかすら、意識をしなければ見る事も出来ない。
 名付けるなら、魂とか、想いとか、絆とか、そんなあやふやな言葉しか与えられそうもないそれが、こうして手の中に、目に見える形で表現される事もある。
 生きて、元気でやっている。届く先の無くなった今でも、土方はそれを伝える為だけに筆を執っている。そして、結局溜息混じりに、白紙の侭の手紙を投函するのだろう。
 (それがアイツの、兄ちゃんに対する想いなんだろうな)
 それはきっと、己の魂の裡に宿り続ける、大切な人へ向ける想いだ。
 (確かに……適わねぇのかも知れねェけど)
 思って、銀時は紙飛行機の折り痕の残る紙面をくるくると回した。汚い文字を僅かに透かして、きらきらと光る、鉄之助の想いの詰まった翼。
 「…こんな、重てェもんが飛ぶ訳ねぇだろうが」
 苦笑混じりにそう言うと、手紙を今度は空へと、その先へと、差し出す様に向ける。
 届かなかった場所へと、もしも届けたいと願うなら──それは己の裡にのみ在る、想いの中に静かに宿っているものを、口にするしかない。
 これは、約束でも誓いでも願いでも無い。それでも、鉄之助の綴った想いがどうか少しでも伝えられれば良いのだが。
 「安心しなよ、お兄ちゃん。お宅の弟さん、今きっと幸せに生きてるよ」
 真選組と言う居場所で、近藤や、沖田や、隊士達や、鉄之助の想いに囲まれて、もう、土方の棲む場所は自身を棘にし、他者を寄せ付ける事を拒む茨の森ではない。
 引き戻した手紙を大事そうに懐へと仕舞って、銀時はぷらりと歩き出す。家に帰る前にもう一軒寄り道が必要だな、と思いながら。




短ッ。思いついただけのこばなし。漫画にしたら思いの外地味だったので短いことこの上ないテキストまんまで。

I wanna be just like the sky. just fly so far away. to another place.