花の前に 「全くよォ…なんで二日連続で同じ作業しねェとなんねーの?ていうか俺怪我人なんですけど?」 「はいはい、文句言ってる暇あったら手動かして下さいよ」 「だから俺怪我人。利き腕ダメだわ、金槌も持てねェ。スプーンにパフェ乗ったもんより重いもん持てそーにねェんだって」 建築中の家屋の屋根上。とんかんと釘を打つリズム良い響きの合間に、気怠いことこの上ない銀時の声とそれを咎める新八の声とが投げ交わされている。 「往生際悪く今更しょうもない嘘ついてんじゃねえよ。怪我したの左肩でしょうが」 眼鏡の向こうで新八の目が少し据わるのを見て、銀時はやれやれと、放り出しかけた金槌を掴み直した。もう少しからかっても良い所だが、余りやり過ぎると「自分の尻くらい自分で拭え」と、一人で大工作業に放り出されかねない。愚痴もこの辺りが諦め所だろうか。 「大体、昨日仕事放っぽり出して早退した銀さんが悪いんですよ?本当なら僕らまで駆り出される事無かったんですから」 諦めたタイミングは悪くなかった様だ。案の定新八は「銀時の不始末を手伝いに来ている」のだと言う現状を再確認させるかの様に、強い口調で言って来る。 「だーかーらー、何度も言っただろーが。なんか昨日より屋根が壊れてんのとか、俺が悪いんじゃねーんだって。寧ろ俺は被害者なんだよ。アンダスタン?」 「その言い方だと尻ぬぐいに駆り出されてる僕らも被害者になりますけど。 まあ、何でも良いからぱっぱと終わらせちゃいましょうよ。昨日より報酬も上乗せして貰ってるんですし。三人で力を合わせればあっという間ですよ」 まだ不満顔の消えない銀時に埒があかないと思ったのか、さっさと切り替えいつもの様なポジティブな調子でそう笑いかけると、新八は大工道具の入った箱を持って立ち上がった。今作業していた所が終わった為、移動する心算の様だ。 手ぬぐいで額を軽く拭って背を向ける新八の姿を見送り様、「ん?」銀時は思わず浮かんだ疑問に声を上げる。 「ちょい待て。報酬上乗せ??昨日壊れた分減額じゃなくてか?」 綺麗に整えて仕上げてあった箇所まで無駄に破壊されたのだ。その分を弁償請求される事があったとして、更に増やされると言う意味が解らない。 然し新八は「何を今更」と言わんばかりの表情で肩を竦めて返してくる。 「さあ?理由は解らないですけど、昨日より増えてるのは間違いないですよ。三人分って訳でもない計算ですし、ちゃんと親父さんに間違いないかどうかも確認しましたから」 ていうか報酬額ぐらい依頼受ける前に確認して下さいよ、と言い残し、新八が屋根上を移動し始めた所に、明るい声が降ってくる。 「銀ちゃん、新八!瓦たくさん持って来たアルよ」 「神楽ちゃん、ご苦労様…って何その量!」 両手と頭とに山の様に屋根瓦を積み上げた神楽が、器用なバランスを保って歩いて来るのに、新八は思わずぎょっと目を見開く。当の神楽はそんな事には全く気にする風情すら見せず、「備えあれば憂い無しヨ」などと、これまた危険過ぎるバランスに小首なぞ傾げている。 「ちょっとォォ!どう見ても屋根の空きに合ってないからその量!良いからちょっと減らして来い!」 泡を飛ばす新八に、神楽は平然と、片腕に積み上げていた瓦の山ひとつを器用に屋根の上に置いた。重さでか地面──屋根上──が嫌な音を立てる。 「オイ神楽、ヤバいからそれ!お願いだから下に置いてきてェェェ!」 「イヤアル!世界に挑むには瓦たくさん必要ヨ!瓦と言えばやっぱりこれアル。私一度やって見たかったネ!」 言うなり、顔面蒼白の銀時と新八を前に、積んだ瓦の前で似非空手の様なよく解らないポーズをしてみせる神楽。構えた手刀からして、やろうとしている事は明白だった。 「瓦割ってどーすんのォォ!第一神楽ちゃんがやったら下の家まで裂けるから!割れるんじゃなくてもう裂けるってレベルで壊れるから!!」 「何故止めるアルか!世界に挑戦するチャンスネ!」 「挑戦しないで良いから!報酬増額がゼロに戻るから!マイナスになるからァァ!!」 手を振り下ろそうとする神楽を羽交い締めにして止める新八の奮闘を横目に、銀時は少し考えてから立ち上がった。報酬云々、と言われた事で先程の疑問が再び脳裏に蘇ったのだ。 ぎゃいぎゃいと騒ぐ二人をちらりと見遣って、まあ大丈夫だろうと判断すると、すたすたと屋根の反対側へと銀時は移動した。淵によいしょとしゃがみ込み、眼下で柱に鉋をかけている親父に声をかける。 「おいハゲ。なあハゲ。ちょっと訊きてーんだけど」 「なんでハゲ二度連呼すんだよ!?つーかお前ら真面目に働けよ少しは!煩ェぞガキ共、報酬さっ引くぞ!!おやつ出さねーぞ!!」 言葉の後半は屋根上で騒いでいる新八と神楽とに向けられた大声。「うるせーな空気読めよハゲが」神楽の悪態めいた言い種が返っては来たが、騒ぎは見事に沈静化した。おやつ云々と言ったのが効いたのだろう。現金なものだとは思うが。 「その、報酬なんだけどよ。昨日より増えてるって聞いたんだけど。どう言う風の吹き回しかと思ってな」 「あン?」 続けられる銀時の問いに、親父は鉋をかける手を一旦止めた。首周りに下げた手ぬぐいで汗を拭ってから、銀時にだけ聴こえる声で答える。 「昨日銀さんが早退とか抜かして帰りやがった後にな、〜なんつったか、何かの警察の偉いお侍様がやって来てよ、迷惑料だってんで、結構な額書いた小切手置いてったんだよ」 「……………」 ぴく、と銀時の眉間がひくついた。 親父の言う、警察の偉いお侍様とやらの正体は十中八九間違いなく、昨日の事件の原因でもある真選組の何某だろう。 思わず口を曲げた銀時の様子には気付かず、声を潜める様な仕草をしつつ親父は続ける。 「こんだけありゃァ屋根の修理どころか作り直せちまうってんでな、多すぎるって俺は丁重にお断りしたんだよ。だがな、そしたらそのお侍様、なんつったと思うよ」 「……さあ?」 「早退した銀髪の野郎の再雇用費にでも使ってやってくれ、だとよ」 「……へぇー…そーなんだー…」 「全く、お陰さんで二日連続テメーみてぇな碌でもねェ奴雇う羽目になっちまったって訳だよ。こちとらな、ちゃんと昨日の修復分と早退分さっ引いて、今日の報酬上乗せしてあんだからな、ちったァ真面目に働きやがれ!」 そう言うと手を払う仕草をして、親父は再び鉋かけの作業に戻って仕舞う。玄妙なバランスで鉋が木材の上を滑る度、ぴるぴると鰹節の様な皮が美しく削がれて行く。 (……ワケわかんねーよ、多串くん) そんな、頭同様繊細な親父の手元から目をふいと逸らして、頬杖をついた銀時は呻いた。 昨日の一幕。時間にすれば数分でしかない出来事であったが、思い出すには少しばかり時間が掛かる。ここ最近滅多に無かった、信念の乗った刃の気配に因る命の遣り取り。 (ダチの仇討ちってのァ解るよ?今時古ィって言う奴もいるかも知んねェけどな) あれは、感情任せに動いている様に見えて、理性でしか動かないタイプだ。鋭く真っ直ぐな眼差しを炯々と怒りの色に染めて、その癖酷く冷静だった。 警察と言うだけあってか、命の勘定に慣れた手合いだ。己の刃物の重さを知って、平然と振り回せる程には。 力任せに刃を叩き付けた様な跡は、折角大工が敷いたのだろう瓦を割って大きな傷を穿っている。 怒りだけで飛び込んで来た。そんな隙を平然と晒して、刃を斬り上げたあの瞬間── (……笑って、するもんじゃねぇよなァ) 一手の返しを指す、棋士の様に。勝負を、命の取り合いを、酔うではなく恐れるでもなく、ただ静かに、銀時に生まれた寸分の隙へと笑いながら挑んで来た。 (何を、楽しんでたのかね。アイツは) 思い出せば出すだけ、少々複雑な心地になるのを禁じ得ない。不愉快と言うのではなく、なまじ理解出来そうな気がしただけにタチが悪かった。 (まー…なんつーか解り易) 「いつまでサボってるアルか天パ侍!!」 「ぐがッ!!」 後頭部に突如飛来した衝撃に打たれ、銀時は大きなコブの出来た頭を抱えて転げ回った。見れば小脇に大工道具を幾つも抱えた神楽が屋根の天辺に仁王立ちしている。あの中の何かを投げつけたのだろうか。否、逆か。あの中に無い何かを投げつけて来たのだ。 「ちょ、ちょっと神楽ちゃん!?金槌は痛いから!打つなら銀さんの頭じゃなくて釘だけにしといてよ!」 どうやら飛んで来たのは金槌だったらしい。流石に泡を食った様子で屋根を駆け下りて来る新八と、のたうち呻く銀時に向けて神楽はぺっと唾を吐く仕草をしてみせてくる。 「お前もツッコミとか良いからとっとと仕事に戻るアル、駄メガネ。私もうお腹ぺこぺこネ、早く終わらせて報酬でたっぷりご飯食べるアルよ」 「お前ね、幾ら報酬水増しだからって一気に食いきってどうすんだよ…。あ、コレ頭割れてない?割れてない?何か脳ミソ的なものはみ出してない??」 「大丈夫です割れてませんから。元からある意味壊れてますけど、割れてはいませんから」 新八の言うよく解らない保証に眉根を寄せ、銀時は無駄に疲れた体を起こして嘆息する。 「おいお前ら何度も言わせんな、とっとと働かねーと報酬を迷惑料代わりに減らしちまうかんな!」 「へいへい、わぁってるよハゲ」 鉋を掛ける手はもう止めずに、こちらも疲れた様な呆れた様な声を投げてくる親父に軽く答え、銀時は立ち上がってふと屋根を見回した。 昨日壊された屋根は、当然だがまだその侭でそこにある。修理はこれからだ。瓦だけでなく、屋根板から修繕しなければならないだろう。よくもまあこれだけ遠慮なく壊してくれたものだ。 (ま、連中の面子潰しちまったとか、こっちにも負い目みてェなもん一応あるしな。お互い様って事で今回は諦めとくか。いや、報酬増えたって喜ぶべきか?……イヤイヤそれもなんか癪に障るが…) 元々決闘の流れにして仕舞ったのは銀時やお妙の方である。近藤に全面的に非があるとは言い難いのは間違い無い。あちらからしてみれば、銀時は真選組の面子を丸潰しにした憎き仇敵であるのは今更変えようもないのだろう。 (挙げ句こんな置き土産と来たもんだ。ったく、結果的にてめぇの尻拭いしてやってる様なもんじゃねェかこれじゃ…) 親父にわざわざ迷惑料込みの報酬を預けてまで再雇用を頼むなどと何のイヤガラセだろうかと思わないでもない。或いは単に本業大工だとでも勘違いされたのかも知れないが。 「どうしたんですか、銀さん」 仕事に戻ろうと歩き出していた新八が振り返って言ってくるのに、銀時は小さく肩を竦めた。 「謝りてェならよ、ちゃんと面と向かって言や良いと思わねえ?」 そう呟いた途端、自然と口元が弛むのが自分でも解った。それが出来ない奴なのは、百も承知だ。 「謝るって……あの、金槌投げたの僕じゃなくて神楽ちゃんなんですけど…」 「金槌じゃなくてだな…、迷惑料とかそういう…、」 「はい?」 不思議そうに返して来る新八に「いや」とかぶりを振って、銀時は先程神楽に投げつけられた金槌を拾い上げ、くるくると手の中で回した。 「なんでも良いですけど。楽しそうなのも程々にしてちゃんと仕事して下さいよ。僕もお腹そろそろ空きましたし」 「ああ、昼までには一区切りつけられたら良いねぇ」 「何その他人事口調。はいこれ釘です」 「おー、さんきゅ………って」 銀時は、新八が投げ渡してきた釘入れを受け取った姿勢の侭、暫し固まった。 「……楽しそうに見えんのか?俺」 恐る恐るそう訊けば、新八の首はあっさりと縦に振られる。 (……何処がだよ。多串くんみてェに俺、なんか妙な楽しさでも見出してたりすんの?) 楽しい喧嘩は嫌いじゃないが、あんな風に瞳孔の開いた鬼気さえ迫る様相で、命をどちらかが獲るまで、などと言うのは好みではない。 だが、そう言う真っ直ぐな奴も、嫌いではない。今時、語るなら剣だけで良い様な馬鹿も、嫌いではない。 (命の遣り取りの最中に平然と笑う様な、ある意味危ねェ奴だけどなあ) 命の遣り取りの最中に平然と笑う事が出来る様な、肝の据わった馬鹿も、嫌いではない。 壊れた屋根板の前に座り込み、銀時は肩を落としながら力なく笑った。 第九訓の直後的な。なんか割と今更な感じしかしない、そんな妄想の銀さんサイド。 花見の前だからという。花を前にしたからともいう。 |