花に名前



 刃の折れる音が頭から離れない。
 澄んだ金属音が甲高く耳の奥に残響して、鼓膜を、脳髄を、屈辱に震わせる。
 折られた刀は銘兼定。真選組の結成以来、死地を共に潜り抜けてきた半身でもある。
 刀が惜しい、銘が惜しい、などとは思ってはいない。如何に名工の叩き鍛え上げた刃であろうと、扱いを間違えればただの鉄屑に成り得るのは、誰を見ても己を見ても容易に解る事だ。
 刀の日頃の手入れを欠かさず、常に傍らに置き、己の決意の拠り所にはしているが、今は時代が違う。重火器などの兵器を前にすれば、太刀は取り回しも難しく、佩けば邪魔になり、相手に因ってはなまくらでしかないものに成り下がる。
 然しそれでも土方が、真選組が皆佩刀を選んだ理由は、それが侍の魂を宿すものである、と言う自負があったからである。
 太刀を佩いていればそれだけでお侍様だと呼ばれ、廃刀令の時世には幕臣であると直ぐに知れる。故に、気が引き締まる、などと言う者も居る。それも強ち間違ってもいまい。
 然し土方は思う。幾ら拵えの見事な太刀を佩けど、侍が侍たるのは、その刃に乗せるべき魂そのものであると。
 だからこそ──空気を弾く綺麗な音だけを残し、血を纏わせた刃が落ちた、それが頭から離れない。
 或いは、あの瞬間に本当は落ちていたのは自らの首であった筈なのだと、そう思っているからだろうか。
 尽きない雑念を振り払う様に、竹刀を殊更に強く振るう。
 素振りを始めてどの位の時間が経ったのか、などとは知れず、ひたすらに目の前の惑う現実を叩き斬り続ける。
 平晴眼の構えから面へ。竹刀の先には、銀髪の侍の顔が見える。
 「俺の武士道だ」
 血を滴らせながら、笑いかけたその顔を縦に割り、その侭真一文字に振り払う。そして一瞬で腰溜めの姿勢から、足を、だん、と強く踏み切った。同時に片腕で切っ先を、相手の喉笛一点を目指して突き出した。
 銀髪の侍の笑い顔が、血に濡れて倒れる。
 「………畜生が」
 幻想だけで何度も繰り返した、斬り続けた男は、然しまた直ぐに目の前に現れる。残していった鮮烈な印象と、強烈なまでの敗北感とを優しい笑顔で差し出しながら。
 舌打ちし、土方は突き出した竹刀を戻し、とん、と己の肩に乗せた。溜息が自然と漏れる。
 「まぁた喧嘩剣法の練習ですかィ?土方さんも飽きねー事で」
 そこに掛けられた声に些か凶悪な表情で振り返れば、道場の入り口から竹刀を天秤棒の様に両肩に挟んで担いだ沖田が入って来た所だった。珍しい事にも鍛錬用の袴姿だ。
 その背負う陽の光が、夕方も過ぎた頃だ、と土方に経過時間を無言で知らせている。
 「てめーが時間外に鍛錬たァ珍しい事もあるもんだ」
 「土方さんが時間忘れて稽古に没頭してるって聞いたもんで。疲れてる所をこう、ぶすっと」
 「ふざけんな。それこそ『疲れて』んだ、付き合ってられるか。偶には真面目に素振りでもしてやがれ」
 道場の隅に置いておいた手ぬぐいを拾い上げると、汗で湿って重い黒髪を乱暴に掻き回しながら土方はそう短く吐き捨て沖田の横を通り過ぎる。
 「アララ。どうやら虫の居所が悪い様で」
 通り過ぎ様に朗らかな笑みで言われ、土方の足は一瞬だけ止まりそうになる。が、安っぽい子供の挑発になぞ乗るものか、と、頬の内側を噛んだ。その侭自然に、入り口に脱ぎ揃えた草履に足を乗せる。
 「アンタが不機嫌だろうが調子悪かろうが、俺ァ別にどうでも良いんですがねィ。ただ、局長がそこらの浪人に卑怯な手使われて負けたって事実が、まだ組(うち)の内部に燻る火種みてェに残ってやがる、そんな時期に。この上更に副長(アンタ)まで──しかもこっちは真っ向勝負で負けただなんてのァ、隊士共の士気に大きく関わりますぜ」
 ざり、と、足の下で草履が砂を噛んで音を立てた。自らの感情をその侭出したかの様な不快な雑音に土方は顔を顰め、ゆっくりと沖田を振り返る。
 「何が言いてェ」
 「自重しちゃあ如何ですか、って事でさァ。仮にも真選組の副長とも在ろうお人が、そんな余裕無ぇ面晒してンなァ、みっともねーにも程があるんじゃねーかと」
 こちらは振り返りすらせずに、沖田。表情は伺い知れなかったが、言う言葉ほどどうでも無い様な態度や声音から、大体はどんなものかは察しがつく。
 「ま、精々足下掬われない様にして下せェ、って事です」
 どこか不快なものを含んで出さない笑み。思って土方は鼻を鳴らした。
 「なら安心しろ。全部てめェの気の所為だ」
 「……そうですかィ。なら別に構いやしませんが」
 そう言って肩を竦めて見せる。沖田の無駄な勘の鋭さは常ならば頼りになる事が多いが、こう言う時は恨めしくさえ感じる。
 舌打ちを隠して土方は沖田に背を向けた。
 
 *

 ざくざくと、砂を蹴る足音が遠ざかって暫しの後。残照に橙色に染められた道場に一人取り残された形になった沖田は、やれやれと溜息をつきながら竹刀を肩から下ろした。
 自らの体の左脇に携え、抜刀の姿勢を取ると、誰の姿もない正面一点をじっと見据える。
 この場に武道の心得のある者が居れば、立ち入る事さえ恐れただろう張り詰めた空気がほんの一息の間に道場を満たし、開け放しの戸を揺する風の音さえ遠慮して黙り込む。
 (作務衣だったか白い流しだったか……、まぁどっちでも良いか。体躯は土方さんと殆ど変わらず。頭は、憶え間違い様のない銀髪)
 眼前の『的』のイメージが固まったところで、沖田は眼光鋭く見据えた一点へ意識を集中させ、鯉口を切った。抜刀とほぼ同時に薙ぐ様に真横に切り払い、そこでぶすりと顔を顰めた。竹刀を引き戻せば、道場の空気はたちどころに先程までの穏やかさを取り戻す。
 「やっぱダメだな。直接相対してねェから、イメージが全然湧かねーや」
 そもそも姿形からして曖昧だ。これではイメージトレーニングどころではない。
 (……何遍、斬ったんだか)
 沖田の茶化す様な物言いすら流せない程に余裕のない土方の様子は、まるで人斬りのそれだった。刃などない、打たれればただ痛いだけの竹刀でさえ、血の匂いが漂って来そうな気迫があった。
 「別に、喧嘩に負けるなァ、一度や二度じゃねーでしょうに。何がそんなに気にいらんのですかねィ?」
 言いながらくるりと沖田は視線を、言葉を、道場にある用具倉庫の戸へと向けた。普通の木の引き戸で閉ざされたそこには、剣道の用具やら予備の稽古道具などが収められている。当然、人間の様に話しかける対象ではない。
 だが、沖田の言葉を受け、戸ががたりと音を立てた。遠慮がちに戸が頭ひとつ分ばかり開くと、やがてそこから近藤の顔が突き出された。近藤はきょろきょろと左右を見回しながら、ばつの悪そうな表情で出て来る。
 「あのな総悟、俺は別に盗み聞きとか見とかしてたワケじゃないんだぞ、ていうかよく気付いたなお前!」
 「ストーカー技術が順調に培われてるみてェで結構な事じゃあないですか。アレでしょ、捜し物とかで入ったら土方さんが来ちまって、出るに出れなくなったと」
 「そう、それなんだよ!トイレ行きたくなったらどうしようとか、色々考えてる内に余計出れなくなっちまってなー…。トシもなんだか真剣だったしで邪魔するのも憚られてなあ」
 ストーカー云々と言う部分は都合さっぱり聞き流したのか、涙を拭う様な仕草をしてみせる近藤の姿に沖田は苦笑を浮かべる。
 「まぁ、あんなに鬼気迫った剣の振り方なんてしてりゃァ、誰だってお近づきになんてなりたかねーでしょ。で、何がそんな気にいらんのか、近藤さんにも解らんのですかィ?同じ相手に負けた者同士でしょうが」
 先程の問いにもう一度沖田が繋ぐと、近藤は少しだけ表情を真剣な色にした。残りには案じる様なものを含ませて、うーんと唸って腕を組む。
 「トシは確かに負けず嫌いの性分だがなあ。ただ、積極的に悔しさを引き摺る質でも無い。悔しさは自分への鍛錬で克服して、意趣返しとかそういう事を目論む様な事は今まで無いしこれからもせんだろう」
 「わざわざ手前ェの足で仕返しに行く様な事ァしねーですからね。いっそ自分から挑んで負けりゃあ良い介錯になるでしょうに。それ以前に、なんであの旦那に負けたのだけがそんな悔しいんだか」
 近藤の仇討ちであると明言して。刀まで持たせて。不意打ち気味に斬りかかって。喧嘩じみた剣法で一太刀浴びせるには成功して。だが、逆に一太刀で負かされた。目眩ましの手ぬぐいに騙されると言う、お得意の騙くらかし合いで。命を獲られるには充分な空隙の中で、刀を折られると言う形で。
 指折り数えてみれば、確かに土方にとっては屈辱的な仕打ちしか連なっていないのだが、少なくとも沖田や近藤の知る土方は、その惨敗を──程度がどれだけ酷かろうが──直接引き摺る様な質ではない。
 無論、近藤の言う負けず嫌いの一面を持つその通りに、負けた事実自体は忘れまい。そして、次があったらもう負けまいと、猛烈な迄に己を鍛え上げる。一度負けたら死(終わり)であると理解しているからこそ、何らかの理由で命が残り、『次』があるとすれば、恐らくはもう負けまいと言うぐらいに。
 「気にしてねーフリしてその実根深いとか、女だったら死んで枕元に立つタイプですよあれァ。それが、生きて枕元に立ってんだから、余計にタチが悪くていけねーや」
 はん、とあからさまな溜息をつく沖田の頭に、近藤は軽い所作で大きな掌を乗せた。
 「まあ、お前が心配なのは解るがな、あんまり厳しく言ってやるな。指摘すればするだけムキになって否定するからなあ、トシは」
 「冗談は止してくだせェよ。これ以上真選組(うち)が痛くもねー腹衝かれたり、大将格二人が頼りねェだとか言われんのは御免なだけでさァ」
 心底嫌そうな態度を声にすら隠さず沖田は言うが、頭の上の近藤の手は相変わらず温かい。「ちぇ」こういう言い方をされたらかなわねーや、とふて腐れた様な表情だけは作っておいた。
 「多分、だがなあ」
 そこに降って来る近藤の、どこか晴れ晴れとした声音に、沖田は誘われる様に目線を持ち上げた。
 居たのは、土方の敗北を見て、銀髪の侍に挑んでみたいとこぼした沖田に「やめておけ」と笑っていたあの時の表情に良く似た、何処か面白そうな風情すら湛えた近藤の笑顔だった。
 「負けたのが悔しい、と言うより、勝てなかったのが悔しい、んじゃないか、と、俺にはそう見えなくもないな」
 「……」
 負けた、のと、勝てなかった、のと。どちらも結果的には悔しさを残したのだとしたら、その二つには一体どれだけの差異があるのか。沖田はほんの少しの間だけ考え、それからかぶりを振った。
 「それ、言い方からして曖昧過ぎますぜ、近藤さん」
 「何せ、多分、だからなあ。仕方あるまいよ」
 言っておいて、自分でも明確な確信はなかったのだろう、近藤は豪快に笑ってみせた。
 「ひょっとしたら、トシも自分自身でよく解っていないのかも知れんなあ」
 
 *

 「……よく解んねェな」
 風呂と着替えを済ませ、土方が部屋に戻った時には陽はとっぷりと暮れて仕舞っていた。
 机の上には山崎が置いていったのだろう書類が積んである。その中身は先日の旅籠池田屋での捕り物についての報告書や調査書だ。それをぱらぱらと適当に流し読みしながら、土方はそう呟いた。
 使用された爆弾は、残留物の分析で桂謹製のものと直ぐに知れた。ただ常のものより火薬の量が圧倒的に多く、上空で爆発したから良かったものの、ビル内で爆発していれば相当の被害になっていた筈だ。あの場に居合わせた隊など、土方や沖田含め全て殉職していた可能性は余りに高い。
 その爆弾は、池田屋で使われていなければもっと規模の大きい破壊工作を行える様な場所に用いられていた筈のものだろう。例えば江戸城、例えば天人の大使館、例えば──ターミナル、とか。
 幾ら何でもターミナルの全機能を喪失させる程の破壊は行えないとは思うが、数日或いは数週間は江戸と宇宙とを隔絶させる威力であったのは間違い無い。そしてその間は天人によるバックアップ──或いは牽制──も無い状態に、幕府は曝される。
 (それが狙いだったとして…、)
 ターミナルの爆破で被害を被るのは天人だけではない。ターミナルを利用する民間人、外宇宙からの物資を取り扱う商人、港に勤める職員たち、そして──ターミナルの破壊で起こるだろう混乱や暴動の中に曝される民間人。
 テロ行為を行うと言う事は即ちそういう事だ。桂の様に破壊行為を行ってまで世直しを声高に訴える危険思想の持ち主は、大義の為ならば多少の犠牲など厭わないものだ。
 桂の爆弾があの後、ターミナルに使われたかもしれない、と言うのは単なる憶測でしかない。だが少なくとも、何故か池田屋で、しかもビルの外で爆発したお陰で、真選組も、江戸も、天人も、幕府も、結果的に難を逃れたのは確かである。
 真選組に追い詰められた桂が、自爆覚悟で爆弾のスイッチを入れたと言うのは考えられない話でもない。だが、何故それを、その場に居合わせた民間人──万事屋とか言ったか、素性も不確かな浪人風の男と、民間の未成年と、天人の小娘の三人連れ──が、爆破の被害を最小限に留めたのか。
 その三名は同日、飛脚に扮した攘夷浪士から任されたと言う爆弾を犬威星の大使館に運んだ事もあり、桂一派の工作員ではないか、との嫌疑が掛けられたのだが、取り調べの結果彼らには攘夷思想も攘夷浪士との関係も一切なく、前科も無く、意図的に犯罪を行ったと言う確たる証拠も挙がらなかった事もあり、結局釈放されている。
 (桂も逃走し、爆弾も破壊力以外には何の効力も無かった。大使館にも人的な被害は皆無)
 被害報告の箇所を数度読み返し、土方は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
 (……見事なくらいに潔白だ。奴さんらの『お陰』で、池田屋も、俺達も、誰ひとり負傷すらしちゃいねェ)
 カウントダウンも差し迫った爆弾を抱えて窓の外に飛び出し──と言うより投げ飛ばされていたか──、何もない、誰もいない上空へと投げた。一歩間違えれば自分が死んでいたかもしれない、壮大すぎるスタントだ。
 「…………益々解んねぇな」
 桂らの仲間だったとしたら、みすみす爆弾ひとつを、ターミナルの機能一部を破壊出来る程の威力の貴重な爆弾を、無駄に使った事になる。これもまた、彼らが釈放された決定打の一つだ。
 連中もまた、桂など知らないの一点張りだった。飛脚に騙され爆弾を運ばされた事は、飛脚が事故を起こした偶然に接触したと言う事で、目撃者も証言者も多数いた。大使館からの逃走時に桂が手引きしていた風に見えた事については、
 「『そりゃいきなり爆弾テロと疑われちゃ逃げるしかねーだろ普通。こちとら善良な一般市民ですよコノヤロー。したら長髪の生臭坊主が逃げ道確保してくれたんで、渡りに船かと思ったんだよ。したらアイツもテロリストだとか言うしで、本当もー良い迷惑だよ』……ね」
 取り調べの書記は発言をその侭書き取る。故に奴さんの証言したその侭なのだろう文章を気もなく読み上げ、土方は溜息混じりに報告書の束を机に放った。懐から煙草を取り出し、くわえて火を点ける。
 (解らねぇ奴なのは間違いねェ、が、)
 腕の立つ侍なのも間違い無い。ついでに言うと爆弾を抱えて走ったり決闘に不意打ちで挑んだり命でなく刀を折ったりする様な、肝の据わり方もしている。
 普通ならばやらない。少なくとも土方ならばその何れも、同じ場面に立たされたとして、やらないだろう。
 少々不快なものが喉奥に滲みて、土方は剣呑な眼差しを部屋の隅へと向けた。一歩で近づける距離。ひとときの間に掴み取って抜刀の出来る間合い。そこには、新調した刀が置いてある。
 一般の新米隊士や浪人の佩く様な数打ちの安物ではない。以前と同じ銘とはいかなかったが、知れた名工の手に因る一刀だ。
 これで叩き斬れるならば斬ってやりたいくらいだ。この訳の解らない蟠りごと全部。
 だが──対峙してみたあの有り様を思い出せば出すだけ、脳裏には刃の折れる音しか蘇らない。あれしきの屈辱だけで、まさか自身まで折れて仕舞ってはいないだろうが、何故だろう、何度頭の中でそれを斬っても、斬っても、
 (……奴は、死なない)
 消えない。残響する音と同じ様に、いつまでもそこに在り続けている。
 それは太刀筋を迷わせる様なノイズにはならない。現に、あの後の捕り物は至極普通に行えている。抵抗した浪士も何人か斬った。稽古でも腕は鈍っていない。惑わされる様な瑕など刀にも自身にも一切残ってはいない。
 ただ、ひとり切っ先を見つめると、それが戻って来る。
 それを倒したい、斬り捨てたいと思えば思うだけ、其奴は土方の感じた屈辱など気にしない様な笑い顔でそこに立つのだ。
 負かされた事そのものには、寧ろ突き抜けて晴れ晴れとさえしたくらいだったと言うのに。
 其奴が消えない『事』には、屈辱と途方もない悔しさしか感じられない。
 (斬れねェならいっそ、斬られてた方がマシだったか?)
 そうも思うのだが、不思議な事に其奴に自分が斬られる姿も想像出来ないのだ。確かに「斬られる」とあの時覚悟もしたし、負けたら斬られるのは当然なのだと思ってもいた。だが、
 (………結局、残されたのは、)
 『途絶えない』と言う、戦利品としては最悪の、負の感情。
 折られた刀の、澄んだ悲鳴。
 まるで刀ごと、魂まで斬られて仕舞ったかの様に。
 陳腐な考えだ、と自分でもそう思って、土方は苦笑しながら煙を吐き出した。余り吸わない侭短くなって仕舞っていた煙草を灰皿に押しつけ、それから刀を引き寄せる。
 鞘からゆっくりと抜き出せば、重たい刃は脂に汚れその後に手入れを繰り返した、『実用的な』刀そのもの特有の存在感を以て顕れる。
 二尺三寸一分六厘。この部屋で取り回すには到底適した長さとは言えまい。精緻な刃紋がぬらりと灯明の光を受けている。
 土方には刀の善し悪しの目利きがある訳ではない。ただ、業物にはそれなりに目が引き寄せられる。目、と言うよりは匂い、かもしれない。それがどれだけ切れ味よくどれだけ人を断てるかどうか。そんな根拠の無い勘には自然と惹かれる。
 そしてその勘は、未だ違えた事はない。斬り合いの最中で折れる様な脆弱な刃には、命を断ち損ねる様な切れ味の鈍い刃には幸いにか会っていない。
 刃の扱いなど持ち主次第だろうが、佩刀し己の命を預ける以上、矛とするにせよ楯とするにせよ、なまくらでは意味がない。故に土方は『実用的な』意味を刃の上に求める。
 そしてそれは、次にそこに振り下ろす時には、断てなければ全くの無意味に没する。
 竹刀で断てないそれを、次にもしも死合う時には、何の未練も遺さぬ様。
 (未練……、か)
 渋面の己が刃に逆さまに映っている。確かに無理矢理当て嵌めるには相応しい言葉だったかも知れない。気付きたくもないものだったのは自らの表情を知れば間違いないが。
 「……折られたのは、刀だけじゃ無ぇって事か」
 不承不承にそう認め、「下らねぇ」小さくそう吐き捨て、土方は刀を鞘へと納めた。




第九訓の直後的な。なんか割と今更な感じしかしない、そんな妄想の土方サイド。
「俺も負けちまったよ」の台詞からすると全面白旗に見えるんですけどもね(その後ちまちま借りが云々と言ってたのは寧ろ照れ隠しレベル)、なんかすっきりしないものがあると良い。人間的に魂的に負けたけど、剣じゃ負けたくないとかそんな感じ。
……多分に土方くんが最初辺り装備してるの兼定ではないと思うんですけど、いちおう歳三さんに合わせてみた。十一代のほうで。

花見の前だからという。名付けるならばという。