曇りのち吹雪。のち、ハレ。 ふと気付けば手元が暗い。思わず時計を確認するが、時刻はまだ夕方前だ。灯りを入れていない部屋での唯一の光源である、ぴたりと閉ざされた縁側の障子に目を向ければ、白い紙越しに薄く差し込む陽の色には生彩がない。 (そう言や今日は夜までに雪が降るかも知れねェとか…) 言ってた様な、と、朝のあやふやな記憶を辿りながら、土方は嘆息し肩を軽く回した。油断すると睡魔が訪れそうになる寝不足と疲労との所為で、最近の朝は彼にしては珍しく余り寝起きが良くない。 見廻組との悶着の事後処理もすっかり片が付き、退院してから向こう、溜まった雑務を機械的にこなし続けている土方は、多忙なのと負傷の経過見と言う名目で局長命令に因って見廻りの時間を減らされているのもあり、指摘も無いし自覚も無かったが、今まで以上に仕事と言う一所に向けて邁進していた。 部屋の暗さは手暗がりな角度もあって、仕事の効率に影響が出る程になっている。行灯を点けるか、と思って部屋を見回すが、行灯は丁度部屋の反対側にあった。取りに行くには立ち上がって移動するしか無い。 「……」 面倒臭ェ、と胸中で投げ捨て、土方は手が止まったついでに少し休む事にした。煙草を探して机を掻き回すが、出て来るのは空き箱のみ。 煙草どっかに買い置き無かったか、とストックを探して抽斗を次々掻き廻すが、少なくとも机周りにはバラした箱は無い様だ。押し入れにならカートン単位で仕舞ってあった筈だが──これもまた、行灯の件と同じで取りに行くのが面倒な事に変わりない。 (…面倒臭ェ……が、) 結局土方の脳内協議は、億劫さ<ヤニの補充、と言う式で決着がついた。のろのろと腰を持ち上げ立ち上がると、押し入れから煙草を1カートン引っ張り出す。続けて、どうせ立ったついでだと、行灯を持ち上げ机の方へと移動させる。コードの長さはギリギリだったが、手元を照らす用程度なら成してくれる筈だ。 行灯のスイッチを入れるとふわりとした灯りが机の周囲を照らし出す。幾ら薄暗いとは言え昼間に橙色の灯明は少しばかり変な感じがする。 そんな事を考えながら、さて一服、と思った所で、土方の眉間に思い切り皺が寄せられた。 「………」 一本、取り出す。くわえる。火を点ける。一息。 机の上の書類に緊急性を要するものがない事を改めて確認してから、土方は溜息と煙とを吐き出しながら、ちら、と曇った仄明るい空模様を透かしている障子を見遣る。 「あー、万事屋煙草デリバリーサービスとか無ェもんかな。電話一本で一箱からでも買って来ます的な」 そう笑い混じりの声を発するのとほぼ同時に、障子が左右にすぱァんと勢い良い音を立てて開かれた。 「ちょっと待てェェ!万事屋は焼きソバパンとかジャンプ買って来る不良のパシリじゃねーんだ、……あ」 「よォ、不法侵入者」 障子を開け放った侭の姿勢で、仕舞った、と言うばつの悪そうな表情で固まる銀時に向け、土方は笑いながらも睨む視線を遣った。犯罪者にお白洲で沙汰を言い渡すお奉行の様な眼差しに晒されて、銀時は泡を食った様子で言う。 「いや侵入とかじゃねーから!パシられに来た訳でもねーから!」 「何の用だよ社会的な落伍者寸前の暇人が」 「何久々に会うなりいきなりのこの仕打ち!?DVか、DVしたい年頃なのか!?言っとくが俺ァ自他共に認めるドSだが嫁に暴力だけは振るいませんから!ちったァてめーも見習ってくれたらどうですか!どうでしょう?」 「訊くなよ。つーか誰が嫁だ」 妙に力説する勢いの銀時を威嚇する様に睨みながら、煙草の灰を灰皿へ落とす。 土方の威嚇に怖じける気配など全く見せず、睨まれている事すら気にしていない風情の銀時は平然と縁側に腰掛けるとブーツを脚から抜いた。脱いだそれを縁台の下に突っ込むと、「おー寒」と言いながら部屋に上がり込んで来る。 「嫁じゃねーなら妻でも可」 「却下」 「……何だよ、不機嫌全開ですか?折角久し振りに面ァ突き合わせたっつうのに」 ぶ厚い羽織の中で袖を合わせて腕を擦りながら、飽く迄『久々である』事を強調して言うと、銀時は土方の横から机の上を覗き見る様な仕草をしてみせる。 機密書類などが万が一あったら、と気にしているのか本気で見てはいない様だが、仕事が山積みで苛々しているのかと当て擦っている。 ち、と密かに舌打ちをして、土方は、障子を閉じると畳の上に平然と腰を下ろした銀時から目を逸らした。 久々、と言うのも、忙しい、と言うのも、苛々している、と言うのも、全部見事なくらいに当たっていて、それが少々癪に障る。 他の奉行所などの治安維持組織とは異なり、真選組では副長や隊長と言う位の人間も市中見廻りに出るのが当然の様に行われている。攘夷派の浪士らに対する牽制の意は勿論、万が一何かが起きた時に速やかに対処出来る『頭』格の人間が自ら見廻りを行う、と言う点は、実用性の意味でも、市民の印象を良い方向に上げる意味でも理に適っているからだ。 中でも土方は見廻りと言う仕事に熱心に当たっている。自らの目で耳で足で江戸の様子を伺う事は、情報収集や様子見や確認にも大いに役立つ。 その見廻りの中で、最も雑多で人の動向や噂の流れを察知し易いかぶき町を念入りに歩くのは──実用的な意図以外にも、少しばかりの私情が混じっているのは、大っぴらには認めたくはないが、事実である。 (…………確かに、久々、だ) ここ暫く机に向かっている事が多く、見廻りに碌に出れていなかった日々を思い起こしてみれば成程、銀時が「久々」と強調するのも頷ける。が。 「オイ、聞いてんのかお前」 ひらひらと目の前で手を振られ、土方は思考を遮る様に咳払いをした。口を尖らせてこちらを見ている銀時へと視線を戻し、右目を眇める。 「機嫌は関係ねェよ。単に嫁だ妻だ言われんなァ御免被るってだけだ」 「……そか」 何かしら追い縋るか、と思われた銀時だが、意外にも普通の相槌を寄越すと、次の瞬間には今までの話題など何処かへ飛ばして仕舞ったかの様に、ふ、と気の抜けた表情で笑った。 「雪がさ、夕暮れからまた降るみてェだからよ。そのくれェの時間に飯でも行かねぇ?」 いきなり転じた銀時の話題と態度とに一瞬だけ鼻白んだ土方だが、直ぐに取り直す。 「あ?飯は構わねェが、何で雪降るって解ってんのにわざわざ出掛けんだよ」 「飯終わったらぶらっと雪見酒でもして、そっから、」 そこで一旦言葉を切って、笑みを湛えた表情はその侭に、銀時はそっと土方の方へ手を伸ばして来る。 「……」 解ってはいるから、溜息混じりの視線だけを遣って、土方は銀時の手を取った。握手ではなく、指を甘く絡ませる様に。ただ繋いでいるだけのその温度が、じわりと染み込む外気温に浸され暖かい。 「そっから二人で、遭難でもしてみねぇ?」 繋いだ手と手を見つめて柔く笑んでいる銀時へと、土方は鼻を鳴らして笑い飛ばしてやる。 「……んだ、その頭悪ィ口説き方」 「酷ぇな。結構切実なんだっつぅの」 「…ま、明日はオフだしな。別に構わねぇよ」 正確には、明日も見廻りや稽古やらの実務から外されている、と言うだけだが、今の休養中の土方にすればどちらも同じ事だ。普段こなしている仕事が割り当てられていない以上、明日も今日の様に部屋で延々と雑務に没頭していたと言うだけの話だ。遅く朝帰りしようが疲労が残ろうが大した問題にはならない。 その事を実感すれば、銀時の訪いは願ったり叶ったりとまでは行かずとも、強ち迷惑なものではなく、寧ろ良いタイミングであったと言えなくもない。 「じゃ、出る前に残り片付けさせろ。手前ェは出直しでも現地集合でもそこらで寝るんでも、好きに時間潰してりゃ良い」 指に沁みる体温に惜しみを憶えたのは一瞬だけで、土方はするりと指を銀時の指から抜いた。煙草を灰皿に押しつけると、新しい一本を取り出しながら机へと向かう。 「んーじゃお言葉に甘えて」 背中を完全に銀時へと向ける形になり、軽い声がそう応えるのを耳に、土方はペンで算盤の珠を転がした。新規予算計上の為の見積り書を取り出し、計算を開始し── 「……オイ」 ようとした矢先、背中にどす、と寄り掛かられ、背筋を曲げられて呻き声を上げる。振り返るまでもない、銀時が背中に寄り掛かっているのだ。 「何やってんだテメェは…」 「考え事的なものをしようかと思って」 「重い、邪魔だ、退け。考え事なら人に寄り掛からずしろや」 「だってこの部屋寒ィし。暖房が無い時は人肌が良いってなァ、古来からの様式美だよ?」 だらりと、完全に頭を土方の背中の真ん中辺りに寄り掛からせている銀時には、悪びれる風も、怖じる風もない。しゃあしゃあと相変わらずのよく解らない理屈を適当に投げつけて来る。 こうなるとまともに相手をするのは馬鹿馬鹿しい。煙草を思い切り噛みながら、極力背筋に力を入れ伸ばし、寄り掛かる銀時の居心地を少しでも悪くしてやると、土方は背後の重みを完全に無視して算盤の珠を弾き始める。 (…………甘えた、って感じでも無ェが……、まぁ良い、無視だ無視) ただでさえ雪見酒とその先に、明日が正式なオフでもないのに付き合うと言う甘さを見せて仕舞っている。これ以上甘さを見せれば付け上がらせるだけ…というよりは癪に障ると判じて、背中に何の気配や重量など無いぞ、と言う顔で土方は次々に計算を終え、次の雑務へと取りかかる。 時折煙草の煙を吐き出し、かりかりとペンを動かし続ける。そうする間も背後の重みは静かで温かだった。奇妙な感はしたが、静かで邪魔にならないのに越した事はない。 「………なぁ」 終えた書類の山が随分高くなり始めた頃、ふと背後から声が投げられる。一瞬は無視しようかと思った土方だったが、特に煩わされる事なく大分作業も進んだから良いだろう、と思い、「何だ」と、余り気も乗っていなさそうな応えを返す。 土方の返事から暫時の沈黙を挟み、やがて銀時はぽつり、とこぼす様に云った。 「さっきの。二人で遭難してぇって奴。本気ったら怒るか?」 思わずペンの動きが止まった。が、振り返ろうとするのはなんとか留めた。銀時が一体どんな表情でそう口にしたのか、真意が全く知れず、土方は返答の前に問いの意味から考えなければならなかった。 遭難、と言って思い出すのは、ついぞこの間の将軍護衛イン阿鼻叫喚のゲレンデ〜雪山での不運な遭難事故だが、銀時の言いたいのは当然そんな事では無いだろう。 ペンの動きが止まっていなければ、無視をしたと取られてもおかしくない程の沈黙が流れる。土方は銀時の口にした意図と、どう返すべきかと言う考えの狭間で立ち往生していた。 そんな土方の困惑を遮る様に、長い間の後、銀時は助け船の様に続けてくる。 「色々考えてたんだけどよ。俺の本音の希望って言うか願望としては、お前を煩わせる組織の問題とか、悩みとか、寝れねー程の仕事とか、江戸の為に、真選組の為に身ィ捧げなきゃなんねぇ様な事とか、そう言うの全部取っ払ってやりてぇ、ってのがやっぱあるんだよな」 苦く、苦く、どこからか気付かぬ内にじわじわと浸みていた漏水の様なそれを銀時がゆっくりと吐き出すのを、土方はどこか茫然と聞いていた。 怒りはない。もう既に。幾分か昔の土方と銀時であったら、間違い無く憤慨して刀さえ抜きかねない物言いだった。 だが、短くもない銀時との付き合いの中で、彼が僅かの気の迷いの中でそう思っている事は薄々と感じられていた。土方の背負う荷を全て取り払って、真選組副長である土方十四郎を、ただの土方十四郎にしたいのだと言うそれは、銀時自身理解しているであろう、エゴに満ちた願望だ。 土方にとってそれは自身の全てを否定し奪われるも同然の所行だ。それは酷い冒涜でしかないと銀時も解っているからこそ、噤まれるべき『本音』である筈だ。 銀時の言いたい事や想いは解っていたが、何故今更それを口にするのかは解らない侭、土方は静かに返す。 「……悪ィが、それを叶えるには俺を殺すしか無ェな」 「わァってるよ。それがお前を殺すのと同じ意味なのは。だから本音なだけで、本気じゃねぇ」 土方は生死と言う現実的な意味で「殺す」と言ったが、銀時は本質的な意味で「殺す」と答えて寄越す。そこにも小さな思い遣りを感じられ、土方は少しだけ顔を顰めた。人がもしも見ていたら、苦しそうだ、と表したかもしれない。 「それに、真選組の副長サンしてる、きれいで勁い土方くんが好きなのも事実なんですゥ」 どこか投げ遣りな小さな溜息と共に、銀時の後頭部がずり、と滑り落ちた。一度傾けば後は重みで、ずる、ずる、と畳を尻が滑っていく。 「で、二番目の本音の願望が、せめてそんな副長サンを俺が護って労って大事にしてやりてェって事で」 「………また悪ィが。ンな、女子供みてェな扱いされんなァ御免だ」 思いの外強い調子で吐かれた言葉に斬られたかの様に、どす、と銀時の頭がいよいよ畳に落ちた。背中から体温が完全に消え去り、土方は我知らず空虚な寒さに身を震わせた。僅かの躊躇いはあったが、振り向かない侭堪える。 「………………ていうかそれ以前に、お前が真選組(ここ)に在ってそう言う事望んで無ェってのも解ってんのよ俺ァ」 吐息と共に、溶ける様に大気に吐き出される銀時の言葉を背中に受け止め、密やかに膝の上で拳を固める。土方の裡にあるのは怒りや憤慨ではない、もっと別のものだった。 堪えるに値する、ものだった。──例えば、痛みを。 「俺が…、誰かが支えようとしなくても、お前は真選組(護るもの)ひとつ在れば生きてける。どうやったって、お前がそれ以外のものを欲する訳が無ぇ。俺がそれ以上を願ったとしたらそれは──それこそお前を殺しちまう以外には無ぇだろ?」 常より何処か乾いてさえ感じられる銀時の言葉は、土方の事を実に正しく解していたと言える。 特に約束や取り決めがあった訳ではないのだが、二人共互いに、互いの『護る』領域には触れようとはしなかった。依頼や事件や縁や関わり合いなどの偶発的な事態は稀にあったが、意識して深く触れたり関わったり口出しをしようと思った事はない。 然しそれは別に隠し事でも秘密でもない。もしも何かの拍子に訊く事があれば、お互いにむきになって隠したりはしないだろう。言って問題の無い事ならば言う。 それに、お互い話さずとも薄々と解る事もあるし、解ったとして大人の対応としてわざわざ口に出して咎めたり問い質したりはしない。 それは棲む世界の違う人間同士に限らず、人間関係では普通に発生する適度な距離と言える。そんな距離があっても付き合いは普通に続いていたし、支障が出た事もない。 その距離を、詰めたいと、もしもそう言うのであれば。 土方は強張った己の拳に気付いてはいたが、上手く力を抜く事が出来ずにいた。先程は指が絡んで、温かな温度を分け合ったそこが、今は凍りついた様に冽たい。 吹き飛ばす様に、笑い混じりに言ってやる。 「……後は、拉致監禁ぐれェしか無いだろうな」 「やってイイ?」 「駄目に決まってんだろ」 問いが強ち冗談にも聞こえなくて、土方はぴしゃりと返しながらも僅かに湧いた動揺を隠せなくなる。今更、そんな下衆の手段を取る男だとは思っていないが、何せ相手は自他共に認めるドの付くサディストで、嘗ての鬼だ。本気で良からぬ事を目論んだとしたら、土方にそれを阻止出来る目算は残念ながら全く無い。 (やったら、それこそ二度とは縮まらねェ距離だけが残る、だけだ) 銀時はそう思うだろうと己に言い聞かせる様に呟き、土方は冽たい己の指をこわごわと苦労しながら開いた。引きつった様なそのてのひらで、目元を覆って嘆息する。 (何で……、今更になって、こんな事を言い出しやがるんだよ) 殺されるのは当然御免だ。人間として、人格や存在を無視した扱いを受けるのは更に御免だった。だが、そうはならない、そうはさせない、お互いの感情や矜持や理性が時々、越えられないそれが何よりの隔絶なのだと知らしめて来ている様で、薄ら寒い感覚を覚えずにいられない。 これは恐らく、どちらか一方が女であったら成り立たない関係だ。正しく二人で幸福になる途を探る事が出来たとして、それが実現するより先に別れていただろう。 予想の確信は酷く簡単だ。銀時も、土方も、そんな人並みの幸福な未来を求めてなどいないからだ。銀時は幸福の肖像を知らず、そして、土方は近藤に付き従った時からその可能性を棄てていた。 抱いた、共感めいた感情は愛情や恋慕では断じて無かった。ただ、そこには何をも憚らなくて良い、互いの本質を知った上での、通じ合って一致した想いがあった。 それを何と呼べばいいのか、何と当て嵌めればいいのか、未だによく解らない。が、どうしているのかを意識して気にしなくとも、見廻りをすればなんやかんや目に留まる。そんな奇跡の様な偶然と言う恣意。互いに気付き合えば子供の喧嘩めいた遣り取りを交わして、時には食事や酒を共にして、気が向き合えば閨まで共に過ごす事もある。そして夜中の内や朝早くに分かれ、また互いに違う日常に舞い戻る。 そんな関係に、名前も、形も、在り方も、決める心算にはなれなかった。だから常に距離は一定。伸ばせば手が届き、指を絡ませて笑い合う程の空隙。 ……その距離を、詰めたいと。もしも本当に、そう言うのであれば。 (それは、終わるって事だ) 覆った手の下で、目蓋がふるりと痙攣した。馬鹿が、と罵る様な呻き声が軋る奥歯に擦り潰され消える。 遊び、と言い切る気にはなれない、そんな埒もない答えも未来もない関係だが、そこに居るのは酷く楽だった。必要とされている実感以上の想いを寄せられる事は、大層不覚な事ではあるが──命の遣り取りの混じる多忙な日々に、今までにない熱を生んでいた。 ……それひとつを幸福であると言う心算は土方にはない。己の日々の中に、新たに混じったそのものだけが欲しい訳ではない。真選組も、銀時も、どちらも棄てきれず、どちらが欠けていても、今感じる熱には足らないからだ。 (それはテメェも、同じ筈だろうが……) 呼吸困難に喘ぐ様に溜息をつくのと同時に、背中から、笑う様な零す様な陶然とする様な声がした。 「だからさぁ……、遭難してェなって」 手に手を取り合って白い世界で、冽たくなっていく心と体は二人分以外他に無く──とでも言う心算なのか。思わず振り返った土方の視線を受けて、銀時は酷く凝った笑みを浮かべてみせた。 呑まれはしない。解っているからだ。此奴が自分の周りのものたちを棄て、そんな破滅的な思考を抱く輩ではないことぐらい。 夢の様にしか言えない事だから、陶然と笑っていられるのだ。 「…………馬鹿か、この腐れ天パ。爆発してんのは頭だけにしとけ」 「爆発してませェん!つーかね、銀さんストパーになったらモテモテだからね?後悔してもその時には手遅れなんだよ土方くゥん?」 畳に仰向けに転がった侭、びしりと土方の鼻面に指を突きつけ鼻息を荒くする銀時。 ここから始まるのはいつもの、慣れた遣り取りだ。茶化してみたらノッてくれたと言う事は、遭難云々と言うのが軽い意味であったのだと言う事で正しい筈だ。 「しねーよ。第一てめーの天パはアレだから、性根と毛根と魂からだから」 「魂から全否定?!何この子ホントに俺の事好きなの?!」 「嫌いじゃねェよ?」 「微ッ妙!」 大袈裟にショックを受けた風に、態とらしく銀時は丸まって横になって仕舞う。畳の上で「の」の字をぐるぐると書いている姿は、到底大の男がして見るに堪える光景ではない。土方は大きく嘆息するとペンを机に投げた。こちらに背中を向けている銀時の横腹に頭を乗せ、その侭だらりと体を投げ出す。 「ちょっとォォ副長サンお仕事サボりモードですか。重ッもいんですけどォォ」 「るせェな、休憩だよ」 ぐぐ、と首を反らして小さく伸びをする。銀時の横腹は枕にしては些か硬く高さも合わない。寝心地の悪さに肩凝りが酷い事を改めて知るが、今は忘れて、眠くなる前に口を開く。 「……んで、いきなりそんな事言い出したんだよ」 「…………」 土方の問いには前置きも主語も無かったが、意味は正しく受け取ったらしい。考えると言うより迷う様に溜息をこねくり回す様な間を空け、銀時はぽつりと言い出す。 「だってお前吝かでも無さそうだと思ってたのに、嫁も妻も厭だって言うじゃん?じゃあどうしたら良いもんかと考えて」 「……それで遭難たァ、飛躍し過ぎにも程があんだろ」 「うん、まァ……、」 呆れた、と言う色を隠さない土方の笑い飛ばす様な溜息に、銀時は何かを良い倦ねる様に曖昧に相槌を打ち、不意に体をごろりと転がした。落とされそうになった土方が思わず畳に肘をつくと、仰向けになって上体を起こした銀時の手が降って来て、ぐい、と胡座をかいた太股に後頭部を押しつけられる。寝てろ、と言う様に。 些か強制的な膝枕の図に土方は柳眉を顰めていたが、気を張っているのも面倒になって力を抜いた。脱力したその侭の思考で、肩とか首とかマッサージに行きてェ、とぼんやりと思っていると、頭を押さえていた銀時の手が、猫や犬にする様に髪を撫で始める。 「……なぁ、お前はさぁ」 「何だよ」 「…………今、幸せ?」 「…………………」 うっわァ、と呟きは脳内に留まったが、顔には出ていたらしい。呆れを通り越して憐れみに似た表情で見上げる土方の視線の先で、銀時の表情が苦笑にもならず後悔に引きつった。 「無し、やっぱ今の無しで……、あ痛!」 気まずさや恥ずかしさより「やっちまった」感強くそそくさと視線を逸らそうとする銀時の鼻へとすかさず土方は手を伸ばし、指でびしりと弾いた。 「だから、女子供みてぇな扱いすんじゃねェよ」 赤くなった鼻を押さえて悶絶する銀時へと「はん」と吐き捨て、土方はその侭伸ばしていた手で銀時の後頭部を掴んだ。項垂れさせる様に引き寄せる。 「大体な。俺はテメェに幸せにして貰う心算も、テメェを幸せにしてやる心算も無ェんだよ。今の侭で充分足りてんだからそれ以上は必要無ぇ。解ったらいつまでも遭難してねェでとっとと下山して来い阿呆が」 癖の強い髪に突っ込んだ指に力を込めて強く言ってやってから、手を放して上体を起こす。この侭だらだらと遣り取りを続けている間に眠くなって仕舞うのは避けたかった。 すると、煙草何処やったっけか、ときょろきょろする土方の背後へと再び銀時が凭れ掛かって来る。 「捜索隊お願いします。思いの外荷物が一杯になっちまって自力で帰って来れそうにありませェん」 ぐ、と腰を引き寄せる様に両腕を回して、首筋には唇が寄せられる。引っ張られて土方は苛々と眉間山脈に凄味を込めた。肩の上から顔を突き出して迫る暫時の口接けを見過ごしてやってから、その額を押し退ける。 「いい歳こいて自分探しの旅にでも出てんのかてめぇは。転げ落ちるだけで良い帰り道なんだ、帰って来れねェってんなら飯付き合わねぇぞ」 どことなく恨めしげな視線を寄越す銀時を、暗に「サカッてんじゃねぇ」と一蹴し、土方は重たい銀髪頭を自らの肩から除けた。銀時は唇を尖らせてはいたが、大人しく諦めて座っている。 (誤魔化してェ訳じゃ無ぇんだろうが……、いちいち言い訳して甘い面させようとすんなァ、腹が立つ) 言葉一つ、キス一つ、抱擁一つで黙らせられるとは、今更銀時も思ってはいまい。が。 畳んで置いておいた隊服の上着から、携帯電話を取り出して時刻を確認すると、土方は色々な意味で凝った肩を軽く伸ばしつつ銀時を振り返った。 「ちっと早ェがもう行くか」 夕飯時と言うにはまだ少しばかり早かったが、どうせのんびりと歩いて行くのだし、酒も入れるのだし、別に良いかと思いながら、土方はさっさと制服を脱ぎ捨て、冬用の着物に着替える。足袋を履いて羽織りを取り出し、マフラーも必要かなと、ふと思い出して中庭に面した障子を開けた。 「見廻組コスプレした時も思ったけど、お前ホント早着替えだよね!服脱いだ次のカットではもう朝チュンでしたぐらいの情緒の無さだよそれは」 「誰がコスプレだ。有事の際に早く動ける様にしとくなァ当然の事だろ。寝てました>呼び出しかかりました>もう現場、ぐれェの刑事ドラマ並のテンポの良さが大事なんだよ」 いつものどうでも良い遣り取りを投げ合う空気に完全に戻っている事に安堵の意味ではなく嘆息し、開いた障子から中庭を見遣れば、連日細々と降り積んでいた溶け残りの雪の上に、ぽさぽさと新たな雪が落ちて来ていた。天気予報の精度は相変わらずの高さの様だ。 (……こんな雪じゃ、遭難なんて出来ねぇだろうが) く、と喉奥で密かに笑うと土方は、マフラーをしっかり巻き直して立ち上がった銀時を振り返った。 いつもの距離がそこにある。もっと近付くのは容易で、許されてもいる。 ただ、並んで続く途は決して交わらない。ひとつにもならない。 (遭難も出来ねェが、迷子になる心配も無ぇ) 手の届く距離から、呼ばれ引かれれば、迷う暇もありはしない。 「……ゆっくり飯食って、ゆっくり酒飲んで、」 いつもの様に。そう言いながら土方は縁側の縁に立ち、緩やかに雪を降らせて来る空を仰いだ。大寒も終わりの頃の雪はまるで惰性で、もう大して積もりもしないだろうが。 「そうしたら、ゆっくり遭難気分でも味わって行けば良い」 土方の言葉に、ブーツを縁の下から拾い上げた銀時の顔が、きょとんと暫し瞬きをして見上げて来ていたが、やがて何がおかしいのかくつくつと笑い声を上げる。 「…そうだな。吹雪が止むまで一緒に居よっかねぇ」 朝になって、雪が溶けて仕舞うまでの間は、二人のほかは誰も居ない世界でも良い。 いままでの銀土恋愛観まとめてふっくら焼いてみました的な…。 銀さんは家族の在り方みたいなものを覚えてなくて、どうすれば幸せってものがあるのか、ってイメージがし辛い(テンプレ的な意味は知っていても、与えたり受け取ったりするのはよく掴めない)人だと勝手に妄想してる故に、一人で勝手に「幸せにしてやれたら」願望みたいなものが衝動的に起きたり、「イヤないだろ」と冷静に妥協出来たり。 雪には融けないけど雪は融ける。 |