祝福の味 世間が大型連休だ行楽シーズンだと騒ごうが浮かれようが、世の中から働く人間が消える訳ではない。誰かが休めばその分別の誰かが働く。人と物と金が動かなければ経済は回らない。幕府の人間が頭を抱える政治の問題も、人と国とが無ければ成り立たない。社会の歯車(システム)は国民が健全に安全に、そして平和で豊かに在る為に常に動き続けていなければならないものだ。 だが、政治も経済も人が回して成り立たせるものだが、平和だけは幾ら望んだ所で誰かに作れるものではない。犯罪とは誰かが富や快楽を得る事で生じる謂わば『現象』であって、皮肉にも豊かさの裏側に常に付き纏うものなのである。 つまり、世間が連休だ旅行だ遊びだと浮かれられる社会の裏には犯罪や事件は付き物であり、平和や安寧の為に立ち働く者にとっては『大型連休』と言う時期は最も多忙となる時期であるとも言えよう。 本来対テロや凶悪犯罪を想定し組織された真選組であるが、一応は歴とした警察である。そして警察の職務は基本的に治安維持だ。その『治安維持』を名目に、江戸の同心らだけでは到底手の回らない様な事件や時期には容赦なく人手として駆り出される事になる。 真選組は人員数と組織力だけは他の警察組織の追随を許さない規模である為、そんな時にはここぞとばかりに便利屋よろしく使われる羽目になるのだ。日頃やれ管轄だやれ評判の悪いチンピラ警察だ何だと出る文句もこう言った時ばかりは何処吹く風なのだから全く現金なものとしか言い様がない。 当然だが、そう言った事情があれど真選組の任務は通常通りに行われる。テロの容疑者グループを壊滅させるのも、幕府内の贈収賄問題を調査するのも、問題の多い部下に始末書を書かせるのもその問題を解決するのも、交通整理に駆り出されるのも、全て同時にやって来ると言う訳だ。 そんな中で、真選組の実務と事務仕事とを一心にその身に背負う副長が忙しくない訳は無い。寧ろ役目が増えれば増えるだけ荒々しくなる部下たちの起こす問題と言う余計な仕事を付け足されて、最早多忙を通り越して、土方は毎年この時期は修行僧か何かになった様な心地にさせられている。 だが幸いにか昨今は連休が始まって向こう、取り敢えず真選組にテロ絡みの実務での出番は無く、精々手綱の取れない厄介な部下の持って来る厄介な始末事に頭を悩ませ睡眠を削られている程度で済んでいる。 それを『程度』と言い切れて仕舞う辺りが、土方に件の部下が付け込んで来る要因でもあるのだが、生憎と土方当人はその事に全く気付いてはいない。 ともあれ。真選組結成以降、毎年の様に巡る多忙な時期がこの五月と言う月だ。例年通り忙しくて堪らぬ季節に「何が大型連休だ」と毎年恒例の悪態をつきながら日々机に向かい続けていた土方だったのだが。 伸ばした左手がすかっと空を切る。眼下の書類に向けていた目が僅かに細まるが、その視線は未だ忙しなく動き続ける右手のペン先を追い続けている。 二度目、誤っただろう目測を修正した筈の左手が再び空を切り、流石に土方は顔を起こした。部屋の中央付近に置かれた卓のその上である。書類の山に三方を囲まれ筆記道具や判やファイルや許容量を超えた灰皿の散らされた空間が土方の今の戦場(しごとば)だ。だが、起こした視線が捉えたのは刺す様な陽光と軽い眩暈、そして何も無い空間へと間抜けに伸ばされた己の左手であった。 「…………」 眩しい、と思って目を眇める。そうしてから暫し瞬きをして、土方は酷い違和感を憶えた。果たしてこの部屋はこんなに明るかっただろうか。今日はこんなに日当たりが良かっただろうか。 「………え、」 首を捻りながら、ただ伸ばされている左の手先をじっと見つめて、そこで土方は漸く違和感の正体に気付いた。思わずぽろりとこぼれた当惑の声に、応じる様に左手が卓の上へと落ちる。 ひたりと触れた掌に木製の卓のつるりとした感触があった。そしてそこに本来あった筈の書類山の一切が消えている。常に仕事に従事する土方の視界から光を遮っていた堆い紙の山が、消えている。 ぽろりと口から短くなった煙草が落ちて、土方は慌ててそれを拾い上げると灰皿へと突っ込んだ。書き終わる寸前の書類には灰や焦げの被害は無い。確認してほっと溜息をついてから恐る恐る再び前方を確認してみるが矢張り眼前に拡がる光景に変化は無い。いつも大体前方など伺えぬ程に積み嵩んでいる筈の書類山が、無い。 「………」 次に土方は油断なく身を屈めると机の下を覗き込んだ。卓上に見当たらなくとも仕事が急に消え失せるなどと言う道理が起こり得る筈が無い。机の下を確認したら次は背後を振り返り、仕舞いには押し入れの中まで覗き込んでから漸く茫然と、認める。 (……仕事がもう、残ってねェ、だと……?) 攘夷浪士の襲撃を受けた時でも出ないだろう、焦燥と恐れの滲んだ表情を隠さず部屋の隅々にまで向けて、土方は──自他共に認めるワーカーホリック気質の男は生まれてこの方経験した事の無い様な狼狽の味を愕然と開いた口中に感じていた。 (ンな馬鹿な話があるか、) ふるふるとかぶりを振って、土方は卓の前に元通りに座ると取り敢えず眼前で仕上げの判押しを待っている書類に向き直った。唇を尖らせ寸時目を伏せると、目当ての判子を手に取って朱肉にぎゅっと押しつけてふんと息を吐く。 (珍しく早く片付いちまったが、どうせ総悟辺りがまた直ぐに面倒事を運んで来るに違いねェんだ。うちの暴れん坊共が、いつもに無ェ余計な仕事に大人しくなんざしてられる訳ねェだろうが) ただでさえ荒事向けの人員だらけな真選組だ、交通整理だの駐禁取りだのと言った地味な仕事を何事もなく無事にこなせるとは易々思えない。現に毎年市民とのいざこざだの些少な問題を起こしては、報告を目にする土方の胃を痛めてくれているのだ。 向きを確認した判を書類に押して、軽く紙を当ててから書類の完了ボックスへと放り入れる。そこで土方は緩く腕を組んで部屋の入り口である縁側の障子戸を睨み付ける様に見つめた。今すぐにでもそこから、完了した仕事の代わりに新たな厄介事がやって来るのではないかと警戒して待つ。 ……が、待てど暮らせど戸を誰かが開きに来る気配も、副長室の前を誰かが通りかかる気配もしない。静かに過ぎる室内にはかちかちと時計の音だけが響き続けていた。 (……マジでか) 仕事が完了して仕舞った。その事実を今一度ゆっくりと噛み締めて、土方はその侭ぱたりと床に仰向けに倒れた。日中の白い陽光に薄らと照らされる天井板の木目をゆっくりと見上げて、深夜眠りにつく時でさえこんな風にぼんやりとした心地で見た憶えの無いそれから居心地悪く視線を逸らす。 組んだ侭だった足を解いて机の下に投げ出し、片腕を枕に横向きに体を転がす。懐かしさを刺激する日向の畳の匂いを鼻先に感じながら目を伏せ、土方はやけくその様に目を閉じた。 どうせその内誰かが何か面倒な仕事でも持ち込んで来るのに違いないのだから、それならばここ最近の睡眠不足を少しでも解消しようと決め込む。降って湧いた貴重な休息の時間なのだから、昼間だろうが何だろうが有意義に使えば良いのだ。 (よし寝よう。寝ちまおう。昨日も一昨日もその前も全然睡眠足りてねェんだ。寝て何が悪ィってんだ) とは言ってみたものの、日の高い内から寝たり休んだりすると言う事に慣れが無いからか、土方にこの現状は居心地が悪く何だか良心が咎める心地さえ感じられていけない。仕事が無いから仕方がないと言い聞かせはしても、時計の刻む音がぴりぴりと肌を叩く。 ごろりと反対方向に転がってまた目を閉じて──それを四回繰り返した所で土方は目蓋をようよう持ち上げた。眠るどころか冴えきった意識は、肉体的な疲労の一切を無視して土方が睡眠しようとするのを阻害している。 (何でだ、寝れねェ…) 瞑った目の間に力を込めて顔を顰めてから、土方は渋々と身を起こした。時計を見上げるが時刻は先程眠ろうと決め込んだ時からまだ三十分も経過していない。机の上は相変わらず片付いているし、誰かが仕事と言う名の厄介事を運んで来る様子もない。 静かな室内で仕方なしに煙草をくわえて、火は点けずに溜息を吐いた土方は額をぐしぐしと揉んだ。我が事ながらどれだけ仕事に意識を向け続けているのだと思えばなんだか居た堪れない様な心地にさせられる。 土方の焦燥感になぞ拘わらず規則正しい音で時間を刻み続けている時計をもう一度見上げてみる。時刻は依然として変化無い。昼の少し前だ。 机仕事の残りは何度見つめた所で変わらず無いし、土方に割り当てられている実務も──机仕事で埋まる予定だったので──無い。それならば、少し早いが昼食に出て、そのついでに巡察でもして時間を潰してみたらどうだろうか。そもそも机仕事自体別に好きなものではないのだし、それをわざわざ待ち続けているのも馬鹿馬鹿しい。 「…どうせ寝れやしねェんだし、無駄に転がってるよりはマシか」 火の点いていない煙草を掌の上に落として、思いつくが早いか土方は軽快な動作で立ち上がった。長押に掛けてある制服の上着を羽織って、財布を尻ポケットに、携帯電話を胸ポケットにそれぞれ仕舞うと刀を下げて部屋を出る。 人の殆ど出払って静かな屯所の廊下を誰とも擦れ違う事なく通り過ぎて門へと辿り着くと、門番の隊士に昼食に出ると言う旨を伝えて江戸市中へと繰り出す。繁華街の方から風に乗って流れて来る雑踏や車のざわめきに漸く人心地がついた様な妙な感覚を憶えながら、土方は見当を付けた食事処の立ち並ぶ方角へと向かった。店先の看板や暖簾に視線を走らせつつ己の今の気分に合った昼食を探し歩くのだが、矢張り本日休業の張り紙を出している店が多い。数軒も見ない内に土方はまたしても大型連休と言う言葉に忌々しく舌を打った。 昼食は普段ならば屯所内の食堂を利用する事が殆どだ。が、こちらもまた連休の最中と言う事もあって賄いの人間も休みを取っているのだ。その為こうして町中を当て処なく探す羽目になっているのだと思えば、連休と言う言葉にとことん踊らされている様な心地にさせられて腹立たしい事極まりない。 やがて土方が足を止めたのは、安普請の長屋の一角に掛けられた暖簾の前だった。紺色の薄汚れた暖簾の下に覗く看板には手書きで、『お得なランチメニューやってます』と書かれた紙が貼られていた。更に下には細かい文字でメニューの詳細が書かれていたが、目は通さず戸を引き開ける。 真選組の制服姿の土方にも特に厭な顔を見せる事無く、いらっしゃいませ、と愛想の良い声で迎え入れられた店内は昼時に差し掛かる頃合いだからか賑わっていた。見た目にはお世辞にも小綺麗とは言い難い食堂だが、どうやらそれなりに客足には恵まれているらしい。 軽く店内を見回す。埋まったカウンター席に、疎らに空いたテーブル席。壁の一面に貼られた手書きのメニュー。カウンターの向こうに置かれたテレビに映るのは国営放送の番組。 席を埋める客層も普通のそこらの町人と言った風情の人間ばかりだ。適当に選んだ店にしては悪くない結果だ。思いながら土方は入り口を目視出来るテーブルを選んでそこに座った。壁のメニューに素早く視線を走らせると、水を持って注文を取りに来た若い男に「ランチAセット」と告げる。 「はいAの海老ヒレカツセットですね。ソースは何に、」 「マヨネーズ」 「え」 「マヨネーズ」 「……はい、Aセットマヨネーズですね」 重ねて言えば、店員は当惑を隠せない表情を見せながらも伝票に素早くペンを走らせ、カウンターの後ろへと引っ込んで行った。土方にとっては慣れたものだが、さも奇異なものでも見た様な態度を取られるのは矢張り面白いものではない。俄に涌いた苛立ちを消す様に煙草に火を点けて椅子の背に体重をゆっくりと預ける。 賑わう店内の声たちや食器の触れる音。水の流れる音や調理の音。どこか遠方の食事の紹介をしているテレビの声。静かではないが平和だと思う。そんな社会を作る事に真選組が貢献出来ているのだろうとこうして僅かでも実感を得られれば、休みどころか煩わしいだけの大型連休も幾分報われようものだ。 (平和を護る、だなんて自覚は然程には無ェんだがな…) 寸時涌く感傷に似た感覚を立ち上る煙に乗せて吐き出す。土方にとって『それ』は生業で、真選組と言う組織の負う役割だと言う理解以上のものは無い。任務とそれに因ってもたらされる結果についての実感は無論ある。ただ、それが己の信念と直接的に結びつくかと言う事に於いては稀薄と思えるだけだ。 (どこぞの野郎みてェに、護りてェもんが少ねぇからなんだろうが) 護りたいひとつがはっきりしている事は、解り易いが視野が狭いとも言える。以前の土方ならばそんな事は気にも留めなかっただろうが、最近はそうも行かなくなっている。別段誰の所為だとは言いたくは無いが、その『誰か』が土方の生き方や心情に何かしらの変化を与えて仕舞っているのは、大変に認め難いが事実だった。 思考ついでに厭な事を思い出して仕舞った。顔を顰めた土方が灰皿に灰をとん、と落としたその時、店の入り口が開かれて新しい客が入って来た。ほぼ入り口の正面からそちらを見る形になっているので、自然と土方の視界には客の姿が飛び込んで来る。 「お」 「…」 暖簾を潜った所で客の男が土方の姿を認めて声を上げる。挨拶では到底ない言葉に、土方は無言で煙草をくわえた。 「前髪V字の副長さんじゃん。こんな所で奇遇じゃねェの」 客の男は遠目にもよく目立つ鳥の巣めいた銀髪を自らの手でぐしゃりと掻いて、土方の座る席へと真っ直ぐに歩いて来ると勝手に向かいの椅子を引いてそこに腰を下ろして仕舞う。 「ランチBセット宜しく」 「おい、何勝手に相席してんだ」 カウンターの向こうにそう声を掛ける男を土方は思いきり睨みつけて言う。眉間に思いきり皺を寄せた様はお世辞にも機嫌が良いとは言えたものではないだろうに、男はそんな土方の態度など何処吹く風と言った風情で肩を竦め、嘲る様に鼻を鳴らした。 「店混んでんだろ。昼時になりゃこれからもっと混むんだよ。そう言う時は知り合い同士でも他人同士でも相席して他の客に席を譲んのがマナーな訳。常識だろ?」 返される正論と言えば正論の言い種に土方はむっと口の端を下げた。煙草のフィルターが歯の間で潰れる感触がする。 相席自体が不満な訳ではないし、混んだ店でのローカルな道理にも理解はある。ただ、その相席者がよりにも因って脳内思考の議題となりかけていた坂田銀時と言う男であると言う所が土方にとっての問題であって不満でもあった。 嫌いな訳ではない。どちらかと言えば尊敬なり羨望なりを抱いておかしくない男なのだとは不承不承に思う。近藤は疎かあの沖田でさえ銀時には一目置いている所からもそれは解る。 ただ、本能的な所──とでも言えば良いのか──で土方は銀時の事が苦手だった。正確には苦手と言うよりは関わりたくないと言う忌避感があるのだ。故に取り敢えず向けるのは、忌々しさを隠さない、隠す事の出来ない子供じみた感情表現なのである。 護りたいと思うものに対して妥協なく、真正直に向かって行ける。そんな銀時の生き様に羨望に似たものを抱かない事もないが、だからと言って望める程に己が器用ではない事は土方自身が最も良く知っているのだ。 それは我のはっきりした土方にとってコンプレックスと言うには満たないものだが、少なからず苦手や忌避意識を生み出させる存在には充分に足りていた。 連休などと言うものが無ければこの食堂に入る事も無く、銀時に遭遇し相席になると言う事態にはならなかっただろう。つくづくこの時期は土方の神経を逆撫でし胃を痛めるものでしかないらしい。 ち、と舌打ちをして、正面に相席した銀時から目を逸らす土方の露骨な険悪さを前にしても、珍しく銀時が同じ様な態度でそれに相対する事は無かった。それどころか頬杖をついて暢気そうな風情で口を開く。 「つーかオメーがこんな時間にこんな所に飯食いに来んの珍しいんじゃね?」 「あ?」 「何、ひょっとして暇なの?」 問いに声を上げる土方に銀時はあっさりとした声で続けた。暇、と言う言葉を反芻した土方の眉根が思いきり寄せられる。 「てめぇにゃ言われたか無ェよ、自営業無職が」 「無職じゃねェっつってんだろ、万事屋舐めんなコラ。俺はアレだ、たまたま一週間連続で依頼が何も無ェってだけだから」 「てめぇのが余ッ程暇じゃねェか!」 ぐしゃ、と指の間で煙草を握り潰して声を荒らげる土方に、然しいつもならば同じ様な調子で返す銀時はそれには乗らず、ふと真顔になった。 「…って事はやっぱ暇な訳」 「暇って訳じゃ、」 暇と言う訳ではないが、偶々に多忙な中に妙な空隙が出来て仕舞ったのは事実だった。それ自体別に悪い事でも何でも無いのだが、日頃暇人だ無職だと嘲る対象の男の前では非常に居心地が宜しくない。よりによってこんな時期のこの日に。そう思って土方が言い淀んだ所で、店の奥から歩いて来た店員が二つの盆を卓の上へと並べた。 「はいよ、AセットとBセットお待ち」 「おっ来た来た。いただきますっと。ほれ、オメーも出来立ての内に食えよ」 ぱきりと割り箸を割って手を合わせる銀時に、話を振ったのはどっちだ、と猶も言いたくなる心地を堪えて土方はすっきりしない心地の侭自らも箸を手に取る。 海老フライとヒレカツが二つずつ並んだ皿には刻んだキャベツがたっぷりと敷き詰められていた。盆には他にも、白米の入った丼と味噌汁の器、付け合わせのサラダの小皿とが並んでいる。これでワンコインと言うのだから、ランチセットと言うに成程お得感がある。 そう言う所が店の繁盛の原因だろうか。箸を割った土方が味噌汁を軽く啜る間にも客がまた一人、二人と増えて行く。 銀時の方は土方と同じ盆の内容で、揚げ物の種類などが異なる様だ。ハムカツが三枚に両面をよく焼いた目玉焼きが一枚乗っていて、こちらには問答無用で普通のソースが掛けられていた。 「……暇って訳じゃねェ。今日は何でかウチの問題児共が大人しいし、仕事も少し早く片付いちまったってだけで、まだ俺ァ職務時間中だ」 やがて、ぽつりと土方がそうこぼせば、目玉焼きを白米の上に乗せながら食べていた銀時が片眉を持ち上げた。疑問と言うより何かを思いついた様な表情だと思いながら、土方はヒレカツにマヨネーズを付けて口に放り込む。脂っこくなく、衣が厚すぎる事もなく、なかなかに美味くてマヨネーズにも合う。 「なぁ」 「ん?」 「それ一本くんねぇ?」 不意にそう言うなり、銀時は土方の皿から海老フライを一本勝手に取って行くと、自分の皿に掛けられたソースを付けてぱくりと口に放り込んだ。問う間も止める間も無い一瞬の事だった。 「っオイてめぇ、」 子供か、とか、意地汚い、とか。呆気に取られてそんな罵りの言葉が咄嗟に出なかった土方はただ歯噛みして銀時を睨み付けるが、銀時は全く気にした風情もなく、人の皿から奪い取った海老フライを口中でもぐもぐと咀嚼しながら言う。 「それってさぁ、アレじゃねーの?」 「?」 「てめぇんとこの部下たちとか、沖田くんとかゴリラからとかの心尽くしみてーなもんじゃねェの?」 「……は?」 行儀悪くも箸の先を土方の鼻面に突きつけて言う銀時に、土方は心底訝しんで声を上げる。それが、馬鹿じゃねぇのか、とか、何言ってんだ、と言う悪態にまで転じなかったのは、言う銀時の目に真摯さの様なものが確かに見えた気がしたからだ。 心尽くし。反芻して思う。心尽くしとは何だろうか。土方が今日偶々に銀時曰くの『暇』だったのは仕事が速く片付いた挙げ句に追加の厄介事を持って来るだろう連中が珍しくも静かだったからだ。 それがもしも心尽くしとやらだと言うのなら、何故今日だけ、 「今日は何の日か考えてみ?」 今度はにやにやと、壁に掛けられたカレンダーを指さしてみせる銀時に促され、頭を巡らせた土方はそこで固まった。 「…………あ?」 五月五日。赤い数字で書かれたその日付に思い当たるスケジュールの中、こどもの日と言う言葉と同じくして最下方に置かれた『その日』を漸く思い出して、土方はぽかんとした。 「んじゃ、銀さんからはこのハムカツを進呈してやらァな」 「、」 言うなり頭を戻した土方の口にハムカツが一枚押し込まれた。咄嗟に落とさない様に歯を立てた土方が銀時を見遣れば、彼はにこりともにやりともつかない笑みを浮かべている。まるで餌遣りか何かの様な状況にかっと頬を熱くしながらも、口中に放り込まれた食べ物を吐き出す事が出来ず、土方は渋々とそれを咀嚼しながら銀時の事をむすりと睨み返した。 この男の、こう言う所が苦手なのだと思う。仲の悪い他人に興味なぞ無い様に振る舞う癖、変な所で聡く、図々しく人の心に踏み入って行く、この男の事が。 「誕生日おめでとさん」 「……、」 まだ口中のハムカツと格闘を続ける土方に返せる音声は無い。笑みの残滓をはいた侭、銀時は箸をおくと「ごっそさん」と立ち上がった。自らの分の支払いをカウンターの上に置くとひらりと手を振って店を出て行く。 いつの間にやら銀時の皿は綺麗に平らげられていた。己も早食いな方だとは思うが、見事な逃げぷりを呆れ混じりに見遣れば、海老フライの尻尾がひとつだけ残されているのが目に入った。 ごく、と漸くハムカツを飲み下した土方は、箸の先で自らの皿の上に同じ様に残されている海老フライの尻尾を軽く弾いた。 「……フライ一本くれてやってんだから、これじゃただのトレードじゃねェか、あの野郎」 無理矢理押しつけられたも同然のハムカツは、先に奪われた海老フライの対価としてみれば、勿体振って進呈される道理も無い。 置いていった言葉、以外は。 「…………っ」 敗北感と気恥ずかしさとに呻きながら、土方は最後の海老フライをバリバリと勢いよく咀嚼した。銀時も、真選組の連中も、全く余計な事をしてくれる。誕生日などと言うものは昔から気にした事も無かったし、歳を取ってからは心底にどうでも良い様なものでしか無かったと言うのに。 仕事の方が大事な事だと解っている筈なのに。それでも心の何処かがじわりと温かさを憶えている事が、何だか酷く苦しい様な気がした。罪悪ではないが、それに近い苦味。 畜生、と思って思わず頬の内側を噛めば、マヨネーズではなくソースの味が残っていて、土方は益々に身の置き所が無い様な心地になって、そっと目を伏せ嘆息した。 (……つぅか、何で野郎が俺の誕生日なんて知ってたんだ……?) 両片思いの無自覚土方にアタックしてみた銀さん。誕生日おめでとうございます。 翌日にはまた書類山が出来ていたそうです。 |