※劇場版完結編のネタバレと妄想です。一応銀土ですが色々注意。 ========================= 火を見る未来 世界が終わるとき、最期に見る風景がどんなものであったら良いか、などと。 そんな事をわざわざ考えてみた事は無かったし、仮に問われた所で、どうでも良いとか解らないとかそんな在り来たりな答えしか出ないだろうと思っていた。 それでも実際。今、土方の目の前に在るのは『世界の終わり』だった。それが果たして望み通りの風景なのか、そうではないのか。 どうでも良いとか解らないとか、そんな言葉を吐き出すより先にそれが目に入っていたのだから、それはきっと、選びようが無かった、と言う事なのだろうと思う。 ……誤謬がある。 選びようは、きっとあった。 『世界の終わり』などと言う曖昧な位置を人生の何処に置くか、と言う意味では、少なくとも。 ただ。土方十四郎と言う男の、未だ三十年には満たなかった人生の中で、『それ』は紛れもなく一つの終わりだった。 見つめる心はただ平坦だった。有り体の言葉だけを紡ぐ事で、憔悴しきった様子を隠せもしていない子供らを落ち着かせようとして、早い血流や酷い眩暈、足下が崩れそうな仄暗い絶望感から目を必死で逸らし続けた。 今になって思い出せば、解る。 きっとあの時が。そして今が。自分にとっては世界の、終わりなのだろうと。 * ずるずると、腕を掴まれて連れ込まれたのはうらぶれた路地裏。路地裏と言うよりは家の隙間と言った方が良い。周囲は空き家と言う訳でもない、単なる民家の狭間だ。 人がしょっちゅう出入りしていると知れる勝手口や、そこから出して置くのだろうゴミの袋。錆びた自転車や罅割れた植木鉢と言った、使わなくなって取り敢えず投げておいた様ながらくたが辺りには雑然と詰まれている。 土方をこんな所に連れ込んだ張本人の男は、仕事中だと、眉尻を吊り上げて威嚇するのにもまるで頓着しようとしない。……と言うよりは、どこか余裕も時間もない様子だった。 「おい、万事屋」 溜息混じりに呼びかければ、前を歩いていた男は漸く足を止めた。 付き合いは、あらゆる意味で長い。情も身体もそれ以外も、色々と重ねて来た。喧嘩や諍いが日常事ならば、仲直りも諦めも常のことだった。 付き合いは、あらゆる意味を経て長く、そのくせ軽い。情も身体もそれ以外も、重ねるに慣れた。 それは土方の視点の物事ばかりではない。銀時とて同じ事だ。 まず解るのは、銀時には余裕が無いが、怒りや苛立ちはないと言う事。 土方が仕事中の時にちょっかいを出される事を好まないのを、銀時はよく知っている筈だ。だが、今の銀時はそんな土方の基本情報にすら構っていられないと言う事である。 喧嘩の後、或いは始まりに同じ様な経験はあった。そう言う時の銀時は大概怒っていたりする事が殆どで、言って仕舞えば「お前の都合など知るか」と言った態度をそうして示す。 さて。怒りはない。苛立ちはない。ただ、余裕が無い。これは坂田銀時と言う男の行動パターンの、一体どんな状態に合致するのだろうか。 男の様子が常ならざるものであったと気付くには充分過ぎる要素。だが、いまひとつ確かな解答が見当たらない。土方は眉を寄せて考え込むが、当の銀時が悋気や欲求不満から為る怒りや苛立ちと言った感情をまるで見せてはいないから、逆上する事も憤慨する事も出来ない。 隊服の袖ごと掴まれていた腕が、やがてするりと羅紗の生地をゆっくりと落とす──離す、と言うより、落とす、と言う風に見えた──事で解放される。そこで、銀時のその五指の先にまで巻かれた白い包帯がふと目に留まり、土方は思わずぎくりと動きを止めた。 怪我をしているのだろうか。また、面倒事に足を突っ込んで、弱っているのだろうか。参っているのだろうか。 土方の凝視する視線に気付いたのか、銀時の手指は纏った着流しの袖の内へと引っ込められて仕舞う。 「万事屋、」 注意の遣り所を失った土方が仕方なしに顔を起こせば、相変わらず纏まりの悪そうな、その癖鮮やかな銀糸の様な頭髪を湛えた後頭部がそこにはあった。 背中。そこで土方は気付く。男がいつもの様に、何やらポリシーを持ってやっているらしい、片袖を抜いている白い着流しを、今日は何故か両袖を通してきちんと纏っている事に。 下はいつもの黒いアンダーとブーツをしっかりと身につけている。腰にはお馴染みの木刀が一振り。概ねいつも通りの出で立ちだ。 銀時も、幾ら自らのスタイルに拘りがあるとは言え、真冬や真夏には例外がある。上着を着ていたり、着流しの両袖をちゃんと通していたり、逆に両袖を抜いていたりする事だってある。 だから、土方のその時見た銀時の出で立ちが特別奇異なものだった訳ではない。 今の季節が、真夏でも真冬でもない、と言う一点を除けば。 何かあったのか、と。訊くのは簡単な話だ。だが、その問いは恐らく無意味なものでしかないだろうと土方は思っていた。悟っていた、と言うべきかもしれない。 坂田銀時と言う男の性質は、非常に不本意ながら土方のそれと良く似ている。だから、土方は銀時の態度に潜む意図が読めない時には、自分の弾き出した推察と思考パターンとでものを考えてみる様にしている。 そうして自ずと出る解答は。少なくとも「何かあったのか」と問う事は無意味だろうと言う判断だった。 自分ならばきっと、『何か』があったとしたら、それを隠す。問われたとして、正確には答えはしない。銀時とは異なり曖昧にはぐらかす事は苦手だから、何もない、と素っ気なく断じるだろう。 土方の注視を受けて、包帯に覆われた指を隠した銀時の背中は、何も答えようとはしない。語ろうともしない。かと言って何かを考えている風でもない。躊躇っているのかも知れないが、その意味する所は結局のところ土方には解らない。 念の為に今日の前、最後に銀時と会った事を思い出そうとすれば、記憶は存外に古かった。 非番の夜だったから、三週間は前だった筈だ。 どこから聞きつけたのか、土方が非番である事を前提に受話器の向こうで男はさくさくと話を進めて行き、どうせ仕事が無いならデートでもしようと薄ら寒い事を言われた。幾ら非番でも片付けなければならない書類仕事が山とあるのだと断れば、なんでかんで文句を言いつつも最終的には引き下がり、居酒屋での夕食と万事屋での逢瀬を代わりの様に約束させられた。 無理難題を通す時には、断られる前提の大きな注文を一つして、それに否と返った後で、幾分小さな要求をすると良い。最初に断った負い目もあって、最初に比べて小さな要求程度なら大概は通せる。ありがちな交渉術だ。 そうしていつも通り手際よく子供らを早く帰したり出掛けたりさせた万事屋の狭い布団の中で、深夜まで散々に啼かされた。……が、それ自体はこれもまた不本意な話だが『いつもの事』である。何か普通と違う夜だった訳ではない。 だから、何かしら自分に問題があっての事ではない。…のだと思う。と、なると銀時は益々に『何かあった』としてもその事を馬鹿正直に土方に話すとは到底思えない。 「……仕事中、だったのに、悪ィな」 と、土方の思考が概ね行き止まりに達した頃、目の前の背中がそんな事をぽつりと投げて寄越した。余りに唐突だった。そして余りに今更だった。だから土方は何と返したら良いのか解らずに「ああ」と小さく相槌を打つ事しか出来なかった。 肯定とも、否定とも取れる曖昧さに、然し銀時は特に気分を害した風でも、機嫌を損ねた風でもなかった。ただ、ほんの少しだけ──気の所為かもしれない、ほんの少しだけ。笑った様に見えた。 「いつもみてぇに、見廻りしてるお前を見て…、それで良い心算、だったんだ」 訊いてもいないのに、そんな事を歯切れ悪く言う。それが、ここまで引っ張って来た理由、なのだろう、恐らく。 「テメェはいつも以上に訳が解らねぇな」 銀時の様子がおかしいからか、土方が返すのもいつもの悪態未満。仕事中にこんな路地裏に引っ張り込まれたのだから、然るべき抗議ぐらい、いつもならば立て板に水を流す様に出て来る筈だった。 果たして銀時の方も同じなのだろうか。いつもならば──『いつも』ならば、無駄によく回る舌でああだこうだとどうでもよさそうな事を並べ立てている所だ。 「悪ィ、な」 土方の素っ気ない返し方を怒っているとでも思ったのか、銀時はもう一度そう繰り返すと、持ち上げかけた手を下ろした。所在なさげに、袖の中で腕が揺れているのが解る。 いつもの癖で首の後ろを掻こうとして止めたのだろうと、土方は思う。 確証がないから、気付いた訳ではない。そんな気がしただけだ。 「万事屋」 何を言いたかったのかは解らない。ただ、呼びかけた声は少し固くなった。 そこに問い質す様な意図や、呆れて立ち去ろうとする気配でも感じたのか。 「俺、」 銀髪の頭が一度俯き、そして天を仰いだ。 どこか、草臥れた老人の様な動きで。 「……俺、はさ、」 息継ぎの音。 男が息を漏らす様に笑う気配。 土方はただ無言で、その背中を見ていた。 襟の隙間から僅かに見えた、首までを覆う包帯の白さが、いやに目につく。 「お前のことが、好きだったよ」 振り向かない。 白い包帯に包まれた指と、同じ様に包まれた、それはきっと偽なのだと、土方は直ぐさまに断じた。 うそに包まれた、優しい嘘だと思った。 「…………過去形かよ」 「そうだ」 即答。 ああ、嘘なのだろうと。思った。 それからは沈黙。家庭の音の僅かに漏れ聞こえる家々の狭間で、まるで決闘の様に、痛くも悲しくもない、傷を穿つ。 茶番劇よりもよほど茶番めいた喜劇の様に。 「お前は多分、手前ェが幸せになる可能性なんて、これっぽっちも考えて無ぇんだろうけどよ。でもやっぱ、これからお前の事棄てて行こうってコイビト……いや、元恋人的な老婆心で、……まあ勝手に思うだけ、なんだけどさ」 もと、と言う言葉が、土方の胸の裡に妙にすとんと落ちた。 振り向かない男。偽を嘘でくるもうとしている男。何かを躊躇う様に、諦める様に、笑う男。全てが合致していた。 自分も嘗てこうやって、そうやって、一人の女性を突き放した。 あの時はそんな殊勝な気持ちなど考えていなかったのかも知れない。ただ、徒に時間を掛ければ痛みは増すのだと思ったから、殊更に乱暴に無慈悲に、その心を切り裂いた。己の心ごと引き裂いた。 そうか、と理解する。言われた言葉ごと理解する。 この男は、俺を棄てて行くのだ──と。漸く。理解する。 「まァ、手前ェの好きに生きてくれや。俺は俺で生きてくから。今までと同じで。お前と付き合う前と同じで。それぞれ好きに、な」 じゃあな、と。まるで明日また会う時の様に『いつも』の様に言って、男は手を上げる代わりに軽く肩をそびやかして歩き出す。一度も振り返らぬ侭。土方の返事をなにひとつ訊かない侭。 お前のことが、好きだったよ。 それは、深い諦めに疲れ果てた、嘘のやさしい言葉だった。 だから土方は、俺もだ、とは返さなかった。 抱擁も口接けひとつもなく。ただ腕を掴まれ引っ張って来られて、顔も見せずにただ別れを一言だけ残して去って行く男の事を、馬鹿だと思った。 自分に似て、馬鹿だと思った。 自分もまた、馬鹿だと思った。 「心配するな」 暗がりへと遠ざかって行く背中へと、届くかどうかは解らないけど、小さく呟いた。 「直ぐ、忘れる」 短く。然し断じて。土方は目を閉じた。白い包帯の鮮やかさが、網膜にじくりと痛みに似て残留している。眩しいほどに。 薄汚い路地裏に挟まれて、遠ざかる足音はなにかが壊れる音にも似て酷く耳障りに響いていた。 (お前のことを、) そう、続けられはしない言葉を呑み込んだ。 つき慣れていた筈の嘘が、嘘をついた男に上手く届けられそうもない。 嘘に嘘を返して、それでこの愁嘆場は終わり。それでこの時間は終わり。これで、今までの関係は終わり。 この一言が出せれば、終わらせられたのに。 (忘れ……、) 消えた背中はもう見えない。走って追える筈の足は萎えて動かない。嘘を笑い飛ばして問い質して、一発殴ってやるくらいの気力も湧かない。 きっと、あの男はそれを期待していたのに。 棄てられる男が、それを嘘と知りながらも、何故だと、何故そんな嘘をつくのだと──そう、『いつも』の様に眦を吊り上げて喧嘩腰で挑んで来るのを。 そうすればあの男も、より酷い言葉を、より決定的な嘘を投げて歩き出せたのに。 もうお前に飽きたとか、馬鹿馬鹿しくなったとか、面倒になったとか、女が出来たとか、きっともっと酷い嘘をつく事が出来たのに。 嘘を偽と知った賢しい土方の心が、それをさせなかった。 物わかり良く、騙されて仕舞った。 嘘だと解っているから。嘘だと言う事にした。その中に包まれていた優しさも真実も見る事を拒んだ。 それが、銀時が嘘をついた理由となるのであれば、そんなものを知りたくはなかった。そんなものに触れたくなかった。そんな事を認めたくなどなかった。 だから、銀時の意には沿わず、騙されてやらず、追い縋らず、応じた。 どうあったとしても、在るのは確実な終わりだけだ。解っている。 ただ、どういう形で終わるのか、終わらせられるのか、それを選ぶ余地はあった。が、土方が選んだのは『嘘』だった。 だから、これで、お終い。 ここで、この話は、お終い。 仕事に戻らなければならない、と常識的に訴える胸中のその通りに、足が機械的に動いた。男の立ち去った隘路に背を向けて、歩き出す。 涙のひとつぐらい出て来るかと思ったのに、頬は乾いた侭。目が熱くなる様な事もなく、乾いた侭。煙草を吸う気にもなれなくなった唇も、乾いた侭。 これは嘘だから。何も感じない心も、きっと渇いた侭。 自分でついた嘘の通り、土方はこの事をなにひとつ忘れはしなかった。忘れられもしなかった。 ならば、銀時のついた嘘はどうだったのだろう、と少し考えて、それから止めた。 銀さんの姿が見当たらないんです。 そう言って、神楽と新八が真選組の屯所に飛び込んで来たのは、それから一週間後の事だった。 渡された手帳をじっと見つめる。それ自体は何てことのない、ただの手帳だ。 あの男はこんなものを書く様なタイプではないと土方は思っていたし、実際目にした事もない。精々電話などで軽くメモを取るぐらいで、日記や記録の類を付ける趣味はないとも聞いた憶えがある。 だから、それは酷く現実味の無い光景だった。 神楽がずっと握りしめていた手帳は、少し歪んでいて温かい。何か手がかりがないかと何度も頁を繰ったのだろう、紙の角はよれたり折れたりして仕舞っている。 行方不明だ、とは、神楽も新八も、一度も口にはしなかった。ただ、 姿が見当たらなくなった。 一週間連絡ひとつない。 どこかで飲んだくれてるのかもしれない。 何か事件に巻き込まれたりしていないか。 ひょっとしたら留置場に居たりしないか。 何かを知らないか。 それらの言葉を、何度も口にした。不安を払拭したかったのか、藁にも縋る思いだったのか。子供らの言葉は何処かに『大人』達からの同意や、返答らしいものを期待していたのだろうと思う。 神楽が、常にはない程消沈して見えたからなのか、珍しく沖田は無駄口も叩かずに、自ら他の警察組織に連絡でも入れてみると言って場を辞して。近藤は新八の口にする繰り返しにも似た話を聞いては、安心させる様な言葉を口にしている。山崎は直ぐさま攘夷浪士関係の情報や資料を取りに出て行った。 そして土方は、唯一の手がかりだと言って渡された手帳にじっと視線を落としていた。 手帳の中身は記録と言うより走り書きのメモの様だった。 ナノマシン。ウィルス。抗体。疫病。星崩し。治療法。薬。詛い。大凡坂田銀時の知識や経歴からは縁の無い様な単語が散見する書き付けの量自体はそう多くない。 所々破いた跡。ボールペンで乱暴に塗り潰した跡。書きかけた言葉がぐしゃぐしゃと乱れて行く跡。 それらは男の懊悩を表している様であり、一週間前に土方の見たあの背中と嘘とに似ていた。 最後の頁は乱れた文字。キノコを食べたら腹が痛いとかそんな巫山戯た言葉がひとつ。 神楽と新八曰く。縁もゆかりもないコンビニの店長からこの手帳を受け取ったと言う。なんでも、トイレに籠もって姿を消した銀髪の客からの預かりものだと。 そんな馬鹿馬鹿しい落とし物を後生大事に手がかりと信じるのもどうかと思うのだが、子供らにとっては本当に、それが『可能性』だったのだろう。手帳のそこかしこに寄った皺が、彼らの憔悴する心を物語っていた。 手帳から読み取れる大まかな内容は、銀時が『何か』を追っていた様だと言う事ぐらいだろうか。 姿を消すまでのここ二週間ぐらいずっと落ち着きがなかったとか、仕事を放っぽり出してしょっちゅう出掛けていたとか。そうして最後には、木刀も持たずにコンビニのトイレに消えた。一週間前の事だと言う。 銀ちゃんは意地汚いから、毒キノコを食べて当たったに違いないと、神楽は憤慨しているのか泣いているのかもよく解らない調子で言い、新八も、事の真偽はともかく、銀さんが何かを追っていたのは確かだろうと。そう言う。 万事屋たちの交友関係を考えれば、警察である真選組に来る前に、恐らくは攘夷浪士の桂に当たっているだろうと土方は察していた。桂は馬鹿に見えて、未だ古い攘夷浪士たちの内では象徴に近い存在であり、組織力と言う意味では本来警察が棄て置いて良くない程の規模を保持している。 その桂の預かり知らぬ所で、攘夷浪士の何者かが銀時に──白夜叉に手を出せたとは、考えにくい。と、なると次は、単純にいつもの厄介事に巻き込まれたか、どこかで飲んだくれて寝ていた所を不審者として逮捕でもされているか。 何れでもないだろうな、と、土方は即断していた。 一週間。そう、丁度土方が最後に銀時と会った、あの日だ。 あの時に、銀時は『嘘』を残して土方の前から立ち去ったのだ。 だからこの手帳も、きっと『嘘』だ。 腹を下して死ぬなんて、アイツらしい馬鹿な話だと、笑い飛ばしでもして貰おうとして──でも、何かをもしも掴めるのであれば掴んで欲しいと何処かで思いながら、密やかに書き溜めた紙片たちを遺した。『嘘』と一緒くたの、『それらしい』真実として。 気付いて貰いたかったのか。追って貰いたかったのか。知って貰いたかったのか。 気付いて欲しくなかったから。追って欲しくなどなかったから。知って欲しくなどなかったから。 だからこそ。 土方は気付いた。気付いて仕舞った。 『これ』は、嘘ではないのだと。 坂田銀時は、『ここ』から消えることを選んだ。 彼の大事にする人々や世界の中で、死ぬ事を選んだ。 土方の中で、忘れられる事を選んだ。 お前のことが、好きだったよ。 そう。嘘だ。 それでおしまい。その為の、嘘だ。 手帳を、乱れた文字を、なにひとつ伝えようとはしない言葉の群れを追い掛けるのを止めて、土方は瞼をそっと伏せた。 あの時に全ては終わっていたのだ。土方が追い縋ろうが、拳を振り翳そうが、きっとあの背中は何も変わらずに。 これはきっと、あの時の続き。嘘に千切れた心の先の行き着いた所だ。 目の前の、この手帳が。それをぎゅっと握りしめて、縋る様な子供たちの視線が。そんなものを残して。 銀時が居なくても日は昇って沈んで、外では鳥が鳴いて、遠くを救急車のサイレンが走って行く。そうして続く世界が。そうして続けなければならない、世界が。変わらない、世界が。 「あの野郎の事だ。きっと──」 そんな風に『嘘』を紡ぐ己の姿が。 涙ひとつ最早流せなくもなった、嘘つきの心で目を背ける、この空白へ押し込んだ絶望感が。 紛れもなく、あの時から繋がった、今のこの時ここにある全てが。 土方十四郎にとっての、世界の終わりの風景だった。 お前のことが、好きだよ。 あの男の遺したかったのだろう、嘘を取り除いた本当の言葉が。 世界が終わって、最期に遺された絶望の風景だった。 * 病の蔓延はそれこそ詛いの様だった。 突如発生した死病『白詛』。その発症を最初に確認された江戸を中心に、世界は瞬く間に混乱に満たされて、人々は我先にと争って船に乗った。 天人たちは早々に地球を見捨てて立ち去り、宇宙の難民となった地球人たちは他星や他文明の世界へと散り散りになって行ったが、特に江戸の人間たちは白詛の病原体を持っているのではないかと疑われ、差別され、時に謂われなく殺されていったと言う。 将軍家を始めとして、富の在る者身分の在る者らは早い内に諸惑星の同盟に助力嘆願に出たらしいが、その成果がまるで顕れる事が無かったのは、現状を見れば明らかな話だった。 取り敢えず徳川宗家を無事に逃れさせるのが肝要、と、言い出したのが幕府の何者であったかはよく解っていない。ただ記録に確かなのは、そう言った者らが上手い事将軍の後釜として支配者の座を狙ったものの、三日と経たずその新政府(仮)は潰れ、あっと言う間にこの国は無政府状態となったと言う事だけだ。 病気の──白詛の撲滅をと乗り出した者は少なくは無かった。そして何れも短期間で失敗し諦めた。 誰が最初に言い出したのだろうか。──江戸は、この国はもう終わりだ、と。 その言葉は白詛より余程呪いらしく民を縛り、一気に世紀末の様相を呈した世界は派手に荒れていった。 地球を棄てようとする者らを妬んだ者の仕業か。白詛ごと江戸を滅ぼす為に宇宙からターミナルへ、他星の戦艦がやってくると言う話がまことしやかに囁かれたかと思えば、テロリストの仕業か民の暴動か、ターミナルの動力炉が破壊された。 これで、地球に残った人間は宇宙へ逃げる術を失い、皮肉にもそれによって、船に乗ろうとする人々の争いは沈静化した。有り体に言えば、誰もが『逃げる』と言う選択肢を諦めたのだ。 真選組も、無政府状態となってからは警察の名前で民を押さえる事など出来なくなっていたし、頻発する暴動からは江戸の何処も、屯所とて例外なしに、災禍と襲撃を逃れられはしなかった。 そうなる以前に宇宙に去った者も居る。白詛に追われ逃げる様に田舎へ消えた者も居る。白詛の犠牲になった者も、暴動の犠牲になった者も、居る。 警察組織の多くは倒れ、民は自治団体を作り、人は身を寄せ合って生きていた。 そうして少し世が落ち着いた頃。新政府(仮)は数日で潰れたが、幕府の生き残り達は再び江戸を、仮初めの世界を建て直す事を選び、多くの人々はそれに特に異もなく従い、それで江戸中の荒廃はひとまず沈静化するに至った。 白詛は確かに凶悪なウィルスだったが、人間の全員に必ず感染するものではない。感染すれば致死は免れないと言うだけで、感染力には個人差がある。 一般的には空気感染が広く唱えられたが、研究の末に空気でも接触でも明確な感染力があるものではないと既に知れている。血液や体液の交換で感染したと言う例は多いが、それも100%では無い。 いつの間にか拡がり、感染したら死に至る。正しくそれは詛いだった。世界を嘆いて呪う様な、強い想念の様だった。 一応は権力を持つに至った幕府も決して盤石のものでは無かったが、江戸に残った多くの民は、いつ終わるとも知れぬ──白詛が撲滅される未来など最早誰も信じてはいない──世界の中で生きるならば、少しでも平和で安寧で、穏やかな時間を、と望んだ。 そんな人々の諦めに似た、然し逞しい気風のお陰でか、幕府は治安維持と言う側面を主に、取り敢えず上手く機能する事となった。実際は危ういバランスでなんとか均衡を保っている、と言った程度の効力であったが。 無論真選組もその去就をどうするかと迫られた。幕府の後ろ盾が完全に失われた訳ではなかったが、以前より身の置き所が狭くなったのは事実である。 土方にとって真選組の存在は己の魂であって心の置き所であって、死に場所でもあった。だからこそ、治安維持の為に尽力する事をその侭受諾した。 あの時に土方の世界は一度終わっていた。あとは、己の生きる途は近藤と真選組を護る事だけだと自負するばかりの心には、ひょっとしたら既に詛いがかかっていたのやもしれぬ。 そんな土方が、自らの誇りと決めた隊服を脱いだのは、近藤が幕府に捕縛された時だった。 奇しくも同じタイミングで、桂と言う頭目を失っていた攘夷浪士達と手を結ぶ事を即決し、世界を棄てて自分たちの『世界』を護る事を提案したのだ。 それを、志の無い田舎侍と罵る声を嘲った。忠義を失った芋侍と蔑む声を嗤った。 自分たちに遺されたのは『これ』しかないだろうと、ここまで残り付き従った者らに淡々と説いて、好きに道を選べと言った。 ……誰も、そこを動こうとはしなかった。今度は自分たちが犯罪者となるのだと告げられた所で、誰ひとりとして。 沖田は呆れて、この間まで攘夷浪士を追い掛けてた俺らが、今度は連中と同じ攘夷浪士になるなんて、世の中わからねーや、と笑った。 仲間達も笑った。 こわれた世界に残ったのは、誰しもそんなものばかりだった。 自分たちのものを取り戻そう。自分たちの魂を得よう。自分たちらしく生きよう。 詛いなどには負けない、それが侍の生き様なのだと。 白詛による死者が日に日に増え続ける中の、それは世界を生きる為の、ただの願いだった。 * 世界の終わりを象徴、或いは想起させるものはと言えば。 そう思って土方は雨の緞帳の向こうに聳える黒いシルエットをじっと見つめる。 それは嘗ては栄華を誇った江戸の中心、ターミナルの残骸だ。動力炉を破壊されて、巨大な塔の半ばほどから崩落した建造物は、崩壊した世界の象徴と言うに相応しい光景だと思う。 崩落の少し後に事後調査などもあって(当時既に無政府状態だったのだが)訪れた時には、辺りは人や人の残骸で酷い有り様になっていた。幾年も掛けてあらゆるもの殆どが片付けられたそこは、今はまるで空白しかない伽藍の様だった。 世界が滅びた、と言うより、人が滅びた、と言った方が良いのかも知れない。物資はとうの昔に争い奪われ尽くし、そこに残るのは栄華の傷痕などではなく、ただの無常の残骸ばかり。 中心地に近い市街はごろつきや荒くれ者の巣窟となり、白詛に罹った為に追い遣られた人々が死を待ってただ日々を過ごすだけの墓所となっている。 そんなターミナル跡地付近とは真逆にも、旧市街にはまだ人々が細々と逞しく暮らしている。物売りをしたり、自給自足で暮らしたり、助けあったりしながら、生き残った者らは残る時間を変わらぬ世界で生きている。 この世界はまるで、砂の降り積むのをただ待つだけの砂時計だ。だが、生ある限り人は砂の海でも生きる事を止められない。 世界が滅びるのであれば、一瞬で全てが消える様な──例えば、地球に隕石でも衝突してくれない限りは無理だろう。どこでだって人は生きる事を止めないし、どこでだって人には希望があるのだから。 だが、己に在るのは希望ではないと土方は識っている。 あの時に、世界は確かに終わった。 少なくとも、自分にとっては、自分の大事な一部分ひとつに於いては、終わった。 生きるのは余生ではない。生への希求ではない。本能でもない。 何か、ともしも問われたならば土方はきっとこう答えただろう。 傷痕だ、と。 終わった世界と壊れた望みとを継いで接いで、変わらぬ世界に何でもない様に生き続ける。忙しく、自分らしく、刀を振るって、チンピラ顔負けの柄の悪さを本格的に犯罪者の身分に背負い込んで。 この悼みに堪える方法を、この痛みを思い出さずにいられる方法を、他にはきっと識らない。他のものに明け渡して仕舞いたくもない。だから、享楽に耽って生きる者の様に、刻む針に乗って一瞬先の死へとただ進む。 貴重になった煙草も以前と変わらずバカスカ吸うし、マヨネーズだって同じだ。そうする傍ら相変わらず平然と刀を振り回す。白詛に罹った者にも物怖じせず近付くし、生きる方向性が警察から犯罪者へと180度変わった事にも何の感慨も無い。 心配になったのか、頻りに様子を伺ってくる山崎に、投げ遣りになった訳ではないとは言った。実際投げ遣りになどなってはいない。部下の命を負う責も、近藤を護る信念も忘れたことはない。 或いは、忘れたくはないからこそ、刃の上を歩く様な生き方を続けているのかも知れない。生きる事を止めたくないのかも知れない。 溜息混じりに吐き出した煙が、湿気て重たい空気に拡がっていくのをぼんやりと目で追いながら、土方は遠いターミナルの残影から視線を逸らした。 決まりの銘柄が安定して供給される訳でもない今では、煙草は以前に増して無駄な嗜好品のひとつだ。今日は宴席なのもあって多少はマシなものを選んだが、明日もこう行くとは限らない。 今日は処刑場に殴り込みをかける様な真似をして、犠牲者を一人も出さずに近藤と桂の奪還に成功した。だが、明日もこうしていられるとは限らない。 ……明日もこうして居たいと、そんな事を望んだのはいつ以来の話だろうか。 思って土方は苦く笑う。終わった筈の世界が、終わらない。それを苦痛と感じない事を僥倖の様に感じる事など。 ざあざあと叩き付ける様に降る雨の後ろでは、どんちゃんと馬鹿騒ぎが続いている。 明日こうしていられるか解らない、と言う世界は、人に不思議な胆力を与えている。それは命を惜しまない破滅的な思考ばかりではなく、今を惜しもうとする心でもある。 あの男が居たら、どうだっただろうか。どう思っていたのだろうか。 手からこぼれるものを多く見て来たその半生の影響か、男は手に触れぬものにはまるで興味を示さぬくせ、逆に手にとどまるものには酷く心を砕くきらいがあった。 惜しむものが在る事を、あの年頃で誰よりも知っていた。 あの男が居たら。そう繰り返して、土方は癖の様に瞼を閉じた。暗闇の裏に残像の様に焼き付いている、銀髪の男の後ろ姿と、真白な包帯。嘘しかなかった、世界の終わり。 振り返らない顔が、今となっては酷く有り難いものの様に思える。 あの時、どんな顔をしていたのかなど、識りたくなかった。 「何してんですかィ、こんな所で」 背後からの聞き慣れた声に、瞼の裏の男の背中はふっと掻き消えた。夢から醒めた時の様な心地で、土方は億劫そうに目を開く。 「いちいち気配消して近付くんじゃねぇ、総悟」 「ひょっとして、折角出来たオトモダチも桂の所に戻っちまって、また窓辺のぼっち逆戻りですかィ?」 土方の迷惑顔に頓着した様子もなく、にやにやと質の悪い笑みを浮かべる沖田。一人で物思いを続けていたかったが、どうやらそうも行きそうにない。 「阿呆抜かしてんな。マヨで出来た絆は固ェんだよ。そう簡単にくっついたり離れたりする真夏のカップルみてーなのと一緒にしてんじゃねぇ」 そんな事を口にして仕舞ってから、らしくない物言いだと気付いて、土方は密かに顔を顰める。こう言う冗句は寧ろあの男の口にする類のものだ。記憶を手繰ったついでに影響でもされたのかもしれない。溜息をつく。 「つーか、お前こそこんな所で何してんだ。近藤さんの後追ったんじゃなかったのかよ?」 眼鏡の方の万事屋の後をこそこそと追い掛けていった近藤の、一応は護衛としてか、土方が何を言うでもなく自主的に沖田も出て行ったのを見ていた。 今更近藤を暗殺しようと企む者がいるとは思わないが、ただでさえ治安の危うい、しかも雨の夜道だ。警戒はして然るべきである。 眉尻を少し持ち上げる土方に、然し沖田はあっさりと肩を竦めてみせた。あれから何故か伸ばしている栗色の髪が、そんな動きに合わせて頭頂部で揺れる。 「そのつもりだったんですがねィ、万事屋も同じ方角に向かったみてーなんで。心配はいらねーかと思いやして」 「……どっちの万事屋だ?」 斬り込む様な土方の問いに、沖田はぴくりと押し黙った。どうにも説明し難い話を持て余す様に、口をへの字に下げる。 万事屋と言う言葉を、今のこの世界で指すのはふたりきり。万事屋ぐらさんと、万事屋新八っつぁん。然し沖田の出し倦ねる対象は、その二人に合致しない。 「…………さぁ。どっちでしょうかねィ」 寸時言い淀みかかるが、結局沖田は解答を保留した。土方にしてやられた感があるのか、少々不本意そうに目を細める。 そんな沖田に向けて、煙草を携帯灰皿の上で消しながら土方は続ける。 「総悟。あの野郎をどう思う?」 「……まぁ、似てるんじゃないでしょうかねィ?眼鏡は兎も角、チャイナやワン公が気を許しちまう程度に、雰囲気は」 誰、と具体的に示した問いではなかったが、沖田は土方の言いたい所を正しく解した。或いは、それ以上の部分にも、だが。 「人間なのか天人なのかも知れねェ卑猥な見た目はさておいて、連中の──チャイナや眼鏡の下手なコスプレより、余程あの形が板に付いてた気はしますぜ」 「そうか……」 少し考えながらも正直な所を答える沖田の意見を受け、土方は重たい息を吐き出した。こんな事ならば少しぐらい酔っておけばよかっただろうか。素面の頭は、景気の悪い雨に浸されて碌な思考を弾き出そうとしない。 「でも、別人でしょう。仮に…、もし仮に、旦那が何かの事情であんな存在自体発禁になりそうな姿になっちまってたとして、五年も姿を眩ませてた挙げ句、それを俺らに──、いや、チャイナや眼鏡に隠す、そんな事をする理由がねーです」 「………」 全く、小憎たらしい程的確な物言いだった。土方は無言で再び目を閉じるが、もうそこにあの男の残像は蘇ってはこなかった。 雨の音だけが降り積む。耳の奥を叩いて、脳髄にまで。ひたひたと、破綻の足音を引き連れた、悪い夢の様に。 終わった世界を、壊れた残像を。閉じた記憶の奥底を、疼く痛みにも似てしつこく叩き続ける。 「土方さん。アンタが何を期待してるかは知らねーですが、」 「してねぇよ、別に」 真剣味を増した様に聞こえる沖田の声音を、嘘できっぱりと断じる。 あのときから続く、慣れた偽だ。 「野郎は死んだ。そんだけだ」 土方の言い種に、取り付く島もない事を悟ったのか。沖田はあからさまな嘆息を投げてきた。大概にしなせぇよと、忠告する様なニュアンスで。 「……なら良いんですがねィ。 やれやれ。珍さんて言ったっけ、あの変なオッサン現れてから、どうにも皆調子が狂っちまっていけねーや」 ふ、とそこで沖田の言にあたたかな温度が混じった気がした。 「ほんの少しの間だってのに、何だか余計な事思い出させられた気がしてなんねーですよ」 自然と苦くなる土方の心地を感じ取ったのか、沖田はひとつ、本当に余計としか言い様のない事を投げるだけ投げておいて、宴会に賑わう座敷へと戻っていった。 再び静寂の戻った濡れ縁の柵に縋る様に寄り掛かって、土方は雨の止まない夜空を仰いだ。 (雰囲気、ね。……野郎だったら、魂だとか何とか言う所か?) 無言の侭で笑い飛ばす。大事なのは姿形ではない、人の本質は魂だとか、あの男なら大真面目にそんな事を口にしそうだ。 仮にそうだとしても。 終わった世界は続かない。そんなことは自分で一番よく解っている。 記憶の底の残像を振り払って、土方は喉を鳴らした。暫し、唸る様に嗤う。 解っている。五年も姿を消す、そんな理由など。 五年かけて、あの男についた嘘を貫き通して、忘れずに居た、そんな理由など。 五年かけて、痛みをその侭に諦めだけを憶えた、そんな理由など。 ……………解っている。 見れば見る程面妖な形だと思う。 一応は人間の様だ。手足はあるし、日本語をちゃんと話す。まあ体型は色々だろうが、ここまで奇抜な姿をした人間と言うのも珍しい。 様々な天人の種族を見慣れた土方から見ても、男(?)の姿は実に異様ではあった。 全体的に見れば、自分でも指摘したし、沖田も評した通りに、卑猥なフォルムである。人間として此処のパーツを見ればさほどでもないのだが、シルエットがいけない。世が世ならモザイクをかけられてもおかしくなさそうだ。 卑猥さを除いて強いて言えば、エリンギと言うキノコに似ている気がしないでもない。首も顎も控えめな所に持って来て胴体はガタイは良いものの起伏なく平坦で、そこから人間の手足が生えている感じだ。 白髪の様な頭髪はどこぞの万事屋とは異なって無駄にストレートで、それこそキノコの笠の様にまとまって乗っており、その万事屋当人に貰ったと言う同じ装束を、コスプレも良い所の着こなしにしている。 幾ら仲が良かったと言え、自分の衣服を一式他人に譲渡すると言うのも普通ではないが、それをそっくりその侭同じ様に着ているのだから、最早驚きを通り越して妙な慣れさえ感じる始末だ。 (まあ、結構無駄に顔は広かったみてぇだしな…) あんな、天人か卑猥な造形物かと見紛わんばかりの面をした知己が居たと言うのはどうにも想像し辛い所だが。 今一つ納得はいかないが、納得云々の問題では最早無くなっていた。 宴会の翌朝。復帰した近藤と桂は、白詛の撲滅と言う共通目的を抱え、万事屋やその知己らと協力して、手がかりとなる『魘魅』についてを調べる事を提案し、全員それに諾を示した。 旧真選組、攘夷浪士、嘗ての吉原の自警団、柳生一門。これだけ多種の人間が同じ目的を持って行動する事など久しく無かった事だろう。少なくとも土方は、この星が諦観に満たされてからはそんな光景を見た憶えがなかった。 仲違いをしていた万事屋の子供ら──もう子供と言う年齢でもないのだが──も、何か一晩の間に開き直る様な事でもあったのか、昔見た様な格好をして、例の卑猥な形の男の『依頼』を受ける事に決めたらしい。どうやら沖田の昨晩言った通り、皆揃って『調子が狂って』仕舞った様だ。 白詛に立ち向かう、と言う明確な目的を持った集団は、生き残ろうとする人々の間には幸いにか好意的に受け入れられている様だった。 ……とは言え、ネットワークも過去の資料もほぼ散逸した世界だ。『魘魅』と言う名称、珍宝や桂の記憶で描かれた似顔絵を手がかりにして町中を、江戸中を虱潰しにしてみるぐらいしか実用的な打つ手は無い。 昨晩、あの男はビルの狭間に魘魅の影を見たと言う。それが桂の推測した「生き残りがいるのではないか」と言う考えと結びついた故の、ローラー作戦だ。 確かなものかすら、実の所確証はない。男が目撃したと言う魘魅の姿も、そのときの話題が話題だった事で見えた幻想だったかも知れないし、桂の推測も正しいとは言い切れない。 白詛の原因となったナノマシン病原体が、魘魅と言う傭兵屋たちの扱う常套手段である事には、五年前に土方も至っている。だが、仮に魘魅が生き残っていたとして、何故十年以上もの間白詛を世界にバラ撒かずに居たのかが知れない。そして、今再び姿を見せたのかも知れない。 土方は、それをまるで待っていた様なタイミングだと思う。 何を、かなど知れない。 だが、病の潜伏期間の様に、白詛の牙を研ぎ続けた時間が、それを必要とした理由が何処かにあるのではないかと思えてならない。 そしてその証拠の様に、魘魅と戦った攘夷志士の一人である白夜叉──坂田銀時は、何故か世界に白詛が蔓延するその前に、その答えに至っていた。 全てがまるで、何かの意志の様なものだと、思えてならない。 誰かの作為が、この世界を終わらせた。そんな、途方もない感覚が確かに在る。 沖田辺りに言えば、妄想癖が酷くなりやしたねィとでもからかわれるに違いない。思って土方は煙の中に溜息をそっと逃がした。 倒壊しかかったビルの、非常階段の踊り場だ。剥離したコンクリ片や、卵の殻に似た塗装片を踏みしだいて、そっと眼下を見下ろせば、そこには単独行動中の『珍さん』が居る。 こういった廃墟に魘魅が潜んでいる可能性を当たっているのか、辺りの建物と、気配とを探りながら地道な探索を続けている様だ。 土方は別に男の様子を見張っていた訳ではない。偶々、魘魅の探索の手段として、どうやら同じ考えに至っただけらしい。そんな遭遇だ。 この辺りを既に歩き慣れている土方とは異なり、奴さんの探索の進捗は今ひとつの様だ。倒壊しそうなビルに入り込むのは流石に危険だから、探す場所を慎重に選んでいる。人の痕跡がある場所はじっくりと調べているが、成果は芳しくないだろう。 (まあ…さっき俺が調べたばかりだしな) 思ったが、わざわざ声をかけるには距離がある。土方がいるのは六階建てのビルの、傾ぎかかった中程の外階段。男の歩いているのは、そのビルの間の街路だ。わざわざ声を上げて、この辺りに住んでいる人々やゴロツキ、はたまた本命の魘魅がいたとして。それらに悟られる短慮を起こすのも気が進まない。 ふと、男の足が止まった。ゴミ捨て場の様になった一角にしゃがみ込むと、何やらけばけばしい色をした雑誌の残骸だろうか、紙切れを引っ張り出し──慌てた様にかぶりを振って投げ捨ててげしげしと踏み付ける。卑猥なフォルムの癖に、卑猥な雑誌でも見つけたらしい。見下ろしながら土方はやれやれと苦笑する。 踊り場の端まで歩くと、錆びて中程から折れた手摺りに一瞬だけ片足を掛けて、土方は隣接した直ぐ隣のビルのバルコニーへと跳躍した。ビルの中も外も瓦礫で真っ当に歩けない為に、こういったルートを辿りでもしないと効率が悪くてやっていられないのである。 がらん、と手摺りを蹴った音に、流石に男が顔を起こした。耳は良いのか、ビルの狭間で反響した筈の音の出所を正確に聞きつけ、土方の姿を見上げて来る。 声を出す代わりに軽く手を挙げて見せると、土方は今し方降り立ったバルコニーから念の為に室内をちらと伺い、そこが瓦礫の山である事を確認した。それから、こういったマンションのベランダやバルコニーによくある、階下へ降りる非常口の蓋をぐいと引き揚げ、そこから一階下へと飛び降りた。 今度の部屋は床が崩落していた。この調子だと一階まで全部抜けていそうだ。これでは到底人など住めないし潜めもしない。 数えるのにも飽いた、ハズレの溜息を小さく落としてから、土方はバルコニーの柵を無造作に乗り越えた。地面に立ってこちらを見上げていた男がぎょっとした様な顔をするのが遠目に解る。 ふわりと一瞬の無重力を感じながら土方が次に飛び移ったのは、向かい側の別の建物だった。こちらもまた集合住宅だったらしく、概ね先程と変わらない作りのベランダの上に着地すると、埃っぽくなったコートの裾を軽く叩く。 土方が飛び降りた訳ではないと漸く気付いたのか、胸を撫で下ろす仕草をしてくる男へと、お前も探せよと手の仕草で訴えながら、辿り着いた室内をそっと覗き込んで見る。 今度は幾分崩落は酷くない。室内には生活のあった痕跡が残されている。腰の刀を意識せず確認しながら、土方は割れた窓硝子の隙間から建物に入っていった。 近代的な建物の多くは暴動で起きた火災にやられ、残ったものは破壊や略奪の対象にされ、殆どの建物が倒壊したり無惨な姿を曝している。長いことそう言った廃墟を見ていれば、それが五年以内のどの程度の時期に放逐されたものなのかがなんとなく解る様になるもので、調査を始めて早々、土方はこの住宅がターミナル崩落辺りの暴動の時期に破壊されたものの一つであると結論付けていた。 生活の痕跡は五年前のものが殆ど。最近になって何者かが入り込んだ形跡は無い。つまりは幸先悪くもハズレだ。 まあまだ階下にも部屋はあるし、同じ階にもう一室ぐらいはありそうだ。 そうやって一つ一つ、家庭の名残を見つめながら下って行く土方が、階下から上がって来たらしい『珍さん』と遭遇したのは、誰の家だったとも知れない一室だった。 「……どうだった?」 問われるのに、かぶりを振って返す。もしも何者かが入り込んで暮らしているとしたら、辿り着くのも逃げるのも困難な上層よりも下層の階に潜む事が多い。土方がそう口に乗せるまでもなく、男の方もどうやら空振りだったらしい。ふざけた造作の面構えはともかく、肩を少し落として消沈している様に見える。 「これは、白詛の仕業ってだけじゃ、無ェんだろ…?」 ぽつりとそう呟き、その場にしゃがみこんだ男は、足下に転がっていた、子供のものと思しきぼろぼろの人形をそっと両手で拾い上げた。 「白詛が直接奪うのは人命だけだ。世界を破壊したのは白詛であって、白詛じゃ無ェ」 江戸にずっと居た土方にとってそれは当然の認識だったのだが、田舎から出て来たのか何なのか、白詛についても碌に詳しくなかったらしい男にとってはそうではなかったらしい。 じっと壊れた人形を見つめる男の背中は、何故か酷く辛そうに見えた。ちらりと、割れかけた窓硝子を見遣れば、どことなく落ち込んで見える男の表情が映っている。 ゆっくりと目を閉じて、開いてから、土方は手を伸ばして人形を取り上げた。訝しげな顔をする男に背を向けると、子供用の机らしい低い卓の上にそっと人形を座らせる。 埃と塵と滅びとにまみれた卓のその上に、土方は開いた五指を乗せた。ざらりとした感触が指の腹を擦る。 「世界は終わって、それでも生きてる奴等が居る。世界が変わって、それでも生きなきゃなんねぇ奴等が居る。多くが喪われて、多くは取り戻しも出来ねェ所に行った。 ……アンタはどう思う?野郎が、今の世界を見たら何て言うと思う?」 そっと手指を持ち上げれば、白い塵の中には土方の手の痕がくっきりと残された。塵と灰と埃と滅びの堆積。その中に刻まれた無意味の痕跡。 口にして仕舞ってから、土方は苦笑した。こんな奇ッ怪な形の奴に、此処を直ぐ去る奴に、らしくもない愚痴をこぼしそうとしているのだと、正直に己を恥じて、小さくわらう。 「すまねェな。単なる愚痴だ。どうやら俺も、万事屋の連中に多少毒されちまってるらしい」 「多分」 次へ行こうと、背中をさっさと向けた土方がそう促すのよりも早く、男が口を開いた。 気休めの類だとしたら、聞きたくはないと。訊いておいて勝手だが、土方はそんな事を思って顔を顰めた。 あの男の話をしたかった訳ではないのだ。況して思い出話など、冗談ではない。 終わった話だ。忘れないだけの、傷痕の底に潜むだけの、終わった世界の出来事だ。 無言で拒絶を示す土方の背中に向けて、男が続ける。 「何も変わっちゃいねェって言うさ。生きてる奴等が居る。生きようとしてくれてる奴等が居る、」 雰囲気は似ている。沖田の評した通りに。自分でも少しはそう感じた様に。声は記憶の底をざらりと不快にくすぐって行く。 如何にも野郎の言いそうな事だ。 如何にも野郎ならそう言うだろうと言えそうな事だ。 「忘れないで居てくれる手前ェが居る」 如何にも、野郎が、言わない様な。 野郎しか、言わない様な。 刃の緊張感にも似た感覚に、ざ、と土方の意識が総毛立った。背筋を伝い落ちる寒気に、振り向く事も出来ずに。ただ茫然と立ち尽くす。 「何も、変わっちゃいねェよ。世界は、手前ェらは、まだ終わってなんかいねぇ」 聞き慣れた、聞き慣れていたはずの、声に。聞こえた。 目の前の、半分以上が割れた窓硝子には、相変わらず収まりの悪そうに跳ねる銀髪の男の姿が。 「──よろ、ず、」 「違うよ、土方」 ひたり、と背中に触れたてのひらが、振り返ろうとする土方の動きを封じた。紡ごうとした名を封じた。 これは幻なのだろうか。昨晩男が見た魘魅の姿の様に、なにかの、それこそ悪い夢の様な。 「俺は、珍さんだから。……お前の、銀さんには、なってやれねぇから」 どうやら、薄情な奴だったんだなあ、あいつ。 「 、」 そう言って力なく笑う声に押しだされる様に、息を飲んだ土方は、強く目を瞑った。 壊れた世界の残滓の様に、目の前の硝子ががしゃんと突然割れて落ちる。 世界の終わりに負った傷痕の、残した風景の、忘れない痛みの、その中から。何かに抗う様に。 「…………見くびってんじゃ、ねぇ」 おまえを、あいつだと、宛う様な真似など、する訳がない。 だって、俺の中にあいつは未だ居る。忘れない傷痕は、そこで生きている。ここに留まっている。 震える声が、足下に散った硝子の破片たちの間を転がって落ちていく。誰にも、届く事もなく。 解っている。 解っている。 世界は終わったのだ。土方の世界は、確かにあのときに、終わった。 そうして、何ひとつ変わっていない世界が続いている。誰かの居た場所を大きな傷痕にすり替えられて、忘れることの出来ない誰かへの慕情だけを抱えた侭、誰かの居なくなった、何も変わらない世界を生きている。 「……………………………そうか」 土方の背中にそっと掛けられる、ただの相槌には、紛れもない安堵の色。 「遺されたのは、こんな、碌でも無ェ世界だが。 還らねぇなんて、本当は誰ひとり思っちゃいねぇんだ。だから、変わってねぇ。何も、誰も、変わっちゃいねぇ」 絞り出す様な土方の呟きに、背後の男が少し笑った気配がした。 夢から醒める様な心地でゆっくりと土方が振り返れば、男は額のホクロをぐしぐしと手でこすりながら、「次行ってみようか」と戯けた仕草で言って来る。 相変わらずの、卑猥で珍妙なフォルム。似ても似つかず、声も違う。服装以外には何の共通点もありはしない。 「……ああ」 それでも、落胆はない。夢であれ、幻想であれ、都合のよい思い込みであっても。 小さく頷いた土方は、割れた硝子を踏みしだいて、男の──『珍さん』の後を追って歩き出す。 終わった筈の世界は、未だ続いている。 それは酷く無惨で救いのまるでない、詛いか悪夢の様な世界で。 でも、死ぬ訳ではないから生きている。 * 嗅ぎ慣れた紫煙の匂いが鼻をつくのに、銀時はそっと顔を起こした。 一度だけ瞬きをすれば、黒い姿は直ぐに見つかる。 ざわざわと雑多に賑わう街路の中で、その存在はくっきりと、一滴落とした墨の様に綺麗だ。 派手さはなにもないのに鮮やかに見える、それはきっと自分が彼に抱く想いがそこに色を付けているからなのだと思う。 大真面目にそんな、現実的ではない上に恥ずかしい事を考えて仕舞うぐらいには。理由が欲しい。 諦めて仕舞わなければならない理由だ。 大事なものたちだからこそ、ここに諦めていかなければならない、そんな理由だ。 まだ長い煙草を唇の間で軽く上下させて、男は少し苛々と辺りを見回している。また年下の相方に逃げられでもしたのかも知れない。 いつもの。よくみた、いつもの風景だ。 世界の終わる、きっとそんな時の風景だ。 思った途端堪らなくなって、路地から足音も荒く飛び出すと、銀時はこちらの姿を認めて少し驚いた様な顔をしている土方の腕を掴んで歩き出した。 「待てコラ、俺ァ仕事中、」 はっきりと咎める声を上げるのを背中に、適当な横道に入り込んだ足は自然と、どんどん狭く暗い方へと進んで行く。人々の過ごすかけがえのない『いつも』の世界から離れて、少しでも遠く。誰もいない所へと。遠く。 「おい、万事屋」 どれだけ歩いた頃か、溜息混じりの声に引っ張られる様に、足が自然と止まった。見た事もない様な路地裏だ。家々の間で、ゴミやがらくたが転がり、鼠が闇に目を光らせている。 汚れてしまう。汚してしまう。 まるで過ちにたった今気付いた子供の様に、銀時の手から力が抜けた。幸いにか、袖ごと掴んでいた腕には直接触れてはいなかった。 包帯に爪の先までを包んだ手を、土方に見咎められる前に袖の中に隠す。 この身の裡に潜むものが、直接触れた程度で害を為すものではない事など知っている。だが、それでも。己の触れたもの全てが穢れて仕舞う様な錯覚はあった。気付いた時から、ずっと。 詛いの様に。 抱きしめる大事なものが、次の瞬間には自らの腕の中で冽たくこわれて行く、そんな夢を何度となく見た。 身の裡で。血管の中で。神経を這い回り。細胞のひとつひとつが。全てが詛われて、全てが赦されない。 生きていた、護っていた、大事にしていた、その心算の筈のすべてが。今では何て遠くて、何て虚しくて──口惜しい。 幾ら包帯で全てを隠した所で、幾ら着物の袖にこの手を潜ませた所で、この身が既になにひとつ赦されない事を、銀時は理解している。 ならば、何が一体赦されるのか。この世界を終わらせる前に、何をすることだけが、赦されるのか。 源外には既に手を打たせた。時空の移動などと言う真似が、幾らたまのスペックと源外の頭脳があった所で、果たして叶うのか。それも未だ確証はない。ただ、信じるしかないだけだ。己のしなければならない事を『終わらせ』たその『後』を。 新八と神楽には、いつも通り何も言わずにふらりと出てきた。なにも特別なことはしていない。これが『いつも』の延長線上になるのであれば、それで良いと願いながら。 他の連中にだって同じだ。 お登勢がキャサリンに掃除の指示をしているのを。 桂がエリザベスとラーメン屋に入っていくのを。 月詠が晴太と日輪と共に歩いて居るのを。 買い物をしているお妙が近藤を、九兵衛が東城をそれぞれ殴り倒して居るのを。 さっちゃんが銀時の隣のカーネル像に抱きついて行くのを。 長谷川が段ボールの中に三角座りをしているのを。 沖田が団子屋で高いびきをかいているのを。 人々がいつも通りに暮らしているのを。ただ、『いつも』の様に横目にそっと見て来た。 いつもの──『いつも』の様に、沖田に逃げられても一人巡回をしている土方の様子を。 「いつもみてぇに、見廻りしてるお前を見て…、それで良い心算、だったんだ」 その侭、手筈通りにコンビニの裏口から人目を逃れて、人知れず山奥でひっそりと命を断つ心算だった。 それだと言うのに、手が伸びた。身の裡の詛いも、懐に隠した白木の短刀の重みも忘れて、手が、伸びていた。 笑うしかない。笑えて来る。俺の望みがなにひとつもう赦されはしないと解って仕舞ったから、わらう他に出来る事が無い。 「テメェはいつも以上に訳が解らねぇな」 『いつも』通りでなどないのに、それを『いつも』だと口にしてくれる、土方の言葉がまるで救いの様に聞こえた。きっと言った本人はそんな事を意識しちゃいないし、他意も何も無いに違いないのに。 これが、お前の、いつもの世界で。これからも続く筈の、いつもの世界で。 「悪ィ、な」 ごめんなさい。 俺は、これからそれを、壊します。 「……俺、はさ、」 触れたい。抱きしめたい。お互いの味覚や趣味にケチを付け合ったり、また喧嘩をしたり、一緒に酒を飲んだり、他愛もないことを話したり、閨を共にしたり、したい。 振り向いて、駆け寄って、背を抱いて、お前が好きだから一緒に居たいのだと叫んで仕舞いたい。 叶わない詛いに浸された、穢れた腕で、お前を、お前たちを、「 」。 そっと吐いた息は、諦めと、持て余した癇性とに浸されて、涙にも笑みにもならずに消える。 仰いだ天の滄い空。こんな薄汚い路地裏にあっても、なにひとつ、世界はいつもと変わらない。この侭の。 だから、俺もこの侭で居たい。だけど、俺はこの侭では居られない。 俺は還らない。時は過ぎない。 だからせめて、お前の中で、皆の中で、世界の中で、このまま。 きっとそれは、お前にとっても酷い詛いになる。 俺のことなど忘れて、幸せになって欲しいと願いながら、俺は世界を詛って消える。己を詛い続ける。 そうして、お前をきっと縛り続ける。 「お前のことが、好きだったよ」 世界を壊した、最期の太刀の手応えは。あった。 魘魅銀さんが土方くんに、葛藤抱えつつも執着してる話とか駄目ですかね?とか思いつつ。 忘れないだけで苦にした日々よ。 |