マイヤーリング 子供(ガキ)共の前じゃあ言い辛い情報がある、と、見廻り中に小声でかけられた言葉を、思えば何故容易く信用したのだろうか。 こいつはつまらねェ嘘をつく様な男じゃねェ。 こいつが俺に嘘をつくメリットがねェ。 こいつが何を考えていたかなんて、そういえばまるで知らなかった。 ……当たり前だ。お互い膝を交えて酒酌み交わす仲でもないし、戦場で背中を任せて戦う仲間でもない。町中で、事件で、ひょんな事から遭遇しては子供じみた撞着を起こして喧々囂々と意地を張った口喧嘩に興じる程度の仲。良く言って腐れ縁。 ただ、仲が悪い、似た者同士──そんな周囲の評価とは別にお互い、強さや信念の在り方は知り尽くしている積もりだった。 そんなものは付き合いの長さには比例せず、印象や直感や観察や斬り合いで解る。それは一種の信頼と言い換えても良い。己の見出した、人間性への信頼だ。 だから思った。「こいつはそんな奴じゃねェ」──そんな、根拠のない確信を。背を向ける程油断は出来ないが確実な信頼を。 出会う度なんだかんだと喧嘩をするのも日常行事の様なものだ。目障りだ、嫌いだ、と言い切る程ではない。だが、特別な理由でもない限りわざわざ会いたい相手でもない。ただ互いに在る処に居る、それだけの人間。向こうだってそれは同じだろう──、 ………と、思っていた。 (だからこそ、こいつがそんな回りくどく俺を呼び出した理由に疑問こそ抱けど、その裏にある──かも、知れない、『何か』の想像など、全くしちゃいなかった) あちらから見れば恐らく、他愛もない作業だったのだろう。いつもの様に死んだ魚の様な目でもなく、へらへらとした様子もなく、何処か追い詰められてすら見える風情で。 (俺は、あいつに、騙された) * 現状の再確認を、己の最も厭う部分に結論として運び、土方は奥歯を噛んで溜息を殺した。その頭の上でじゃらりと鎖の音が鳴る。 呼び出された場所で、何気なく渡された缶コーヒーを何の疑いもなく煽った。いつもなら甘ったるいいちご牛乳でも飲んでいるのだろう男は、何故かその日に限って土方に渡したのと同じ缶コーヒーを手の中に携えていた。 口もつけず手の中の缶を弄ぶ銀時の様子は、何かを躊躇う様な風情でもあった。そんな様子を見て、大方ココアとでも間違えて買ったのだろうと適当に結論付けた土方は、促しながら路地裏へと歩き出した男の後を追い掛けた。 そして、意識が遠のくのを殆ど感じる余裕もなく──目が醒めたら、上着やベストやスカーフは取り払われた姿で、頑丈な鎖で両腕を戒められ、天井から足がつくギリギリの高さに吊られていた。 暗くて周囲はよく解らないが、廃倉庫の様な所らしい。窓ひとつ無く、外の様子はまるで判然としない。念の為に声を上げてみたが、近くに人の気配は無い様だった。反響した己の声だけが虚しく辺りに響き渡る。 可能性は色々と考えた。土方は攘夷浪士に多く恨みを買う立場だし、銀時とてそれは似た様なものだろう。日々かぶき町にあらゆる敵も味方も作っている様な奴なのだから。 情けないが、二人して拉致られたのかもしれないとも思った。だが、銀時に呼び出された経緯を考えると今のこの状況はどう考えてみた所で不自然だった。 どれくらいの間吊り下げられていたのか、果たして目を醒ましてからどれだけの間考えを巡らせていたのか。上方に上げられた侭の腕の痺れが痛さを忘れ始めた頃には土方は不承不承認めざるを得なかった。 どう言う目的かは知れない。ひょっとしたら万事屋の眼鏡やチャイナ娘が人質になって已む無く、と言う事情でもあったのかもしれない。 だが、理由はどうあれ結果は一つだ。 (俺は…、あいつに) 「……騙されたのか」 口に出してそう認めた瞬間、忽ちに沸き起こった苛立ちに唇を強く噛む。そうしていないと口汚い罵りの言葉か、或いはどうしようもない侮蔑が喉から勝手にこぼれて行きそうだった。 信じていたと言った訳ではない。信じてくれと言われた訳でもない。ただ確信があっただけだ。 それでも『騙された』事が何故か酷い裏切りの様に感じられ、土方は失望を覚えずにいられない。己に対してと、銀時に対してと。そして失望を自覚するその度に、そんな己に酷く呆れる。どれだけ諦めが悪いのかと、罵りたくなる。 (……手前ェが勝手に、信じてただけだろうが……) 碌に知りもしない人間の本質を、勝手に信じていただけだ。思い込んでいただけだ。 元は攘夷浪士。穏健派の桂とも親しい。攘夷だ革命だのに興味は無いらしい。ただ、どんな時でも個人の感情が男の行動原理の核であることには、疑う心算もなかった。 土方が『信頼』するに躊躇いないぐらいに、その信念は真っ直ぐで力強い。……憧れさえ抱く程に。 (だからこそ、問い質してェ。騙されといて何の意味もねェが、それでも、) 問いてどうなる訳でも無いと言うのに、今更、それでもまだ信じようとでもしているのか。ほとほとそんな己に呆れ果てて俯くのとほぼ同時に、遠くで鉄扉が軋む様な音が聞こえ、土方ははっとなって顔を起こした。がちゃり、と錠前を回す音の後、暗闇を足音が徐々に近付いてくる。 頑丈な靴底のブーツが鳴らす足音。歩幅は成人男性のそれ。歩き方は綺麗で、何か武術やスポーツの類に長けた者の足運びであると感じさせる。 歩き方や足音一つでその程度は想像出来る。だから土方は、近付いて来る人物が件の男である事も直ぐに見抜いていた。 やがて暗闇がひとつ、切り取られた。扉があったらしい。そのうっすらとした光の中には、予想通りの銀髪の侍の姿があった。 「──」 目の当たりにするなり沸き起こった感情の数々の正体をいちいち己に追求する気にはなれなかった。土方は今の心情のその侭に鋭い視線を銀時の方へと投げる。 「……目、醒ましてたのか」 土方の、射殺す様な眼差しを受けても平然と、淡々とそう言うと、銀時は扉を閉めて代わりに室内の電気を点けた。ぱちり、とスイッチの音の後、天井から下がった小さな裸電球が震えながら光を灯す。 暗闇を追い払うには足りない小さな光量だったが、そう広くもない空間でお互いの顔や様子を確認する事ぐらいは叶う。 無造作に近付いてくる銀時を蹴り上げてやろうかと土方は考えるが、それを防ぐ為にか鎖は頭上で吊られた両腕から地面につく足下まで、ギリギリの長さに調節されていた。これでは蹴りたくとも足を上げる前に天井からぶら下がる形になって仕舞う。そうなると元通り立つには少々手間取る。 だから土方は衝動的な抵抗を一旦は諦める事にした。その歯痒さと悔しさとを奥歯の間で擦り潰せば、自然と押し殺した低い声が漏れる。 「……万事屋、てめェ……、」 どういう心算でこんな真似をしてるんだと、言外にはせず問いかける。土方に接近してきた銀時は、囚われて猶眼差しの強烈な光を炯々とさせるその顔に向けて苦笑らしきものを浮かべた。 「色々、悩んだんだけどな。結局、こうするしか思いつかねェ」 「なん──ッ、!」 何の話だ、と土方が問い返すより先に、銀時は土方の胸倉をぐいと掴んだ。引っ張られる形になり、足が宙に半端な姿勢で投げ出される。鎖が両腕に体重分の負荷を掛けて鈍い痛みが走った。 抗議の意を込めて銀時の顔を探した土方の表情は、然しそこで凍り付いた。 絡んだ視線は土方の抗議や怒りなど意にも介していない。強く引き寄せ見下ろす貌は、狂気を帯びた安らかで柔らかい微笑みを浮かべている。 こんな表情は、犯罪者達の中でも見た事がなかった。 とても純粋に、狂った──幽鬼めいた眼差しと、それを悪いなどとこれっぽっちも思わない無垢な微笑み。 竦んだ瞬間、顎を引かれ、唇を重ねられる。乱暴な程に深く。 「──ふ、ッ、?!」 不自然な姿勢が痛みを生み、舌で口内を犯される間も苦痛の吐息が漏れた。めり、と音がしそうな程に強く掴まれた下顎は閉じる事も出来ず、宙吊りに近い体勢にただ苦しくて大きく口蓋を晒して喘ぐほか無い。無遠慮な動きで入り込み、散々に犯して、たっぷりと楽しんでから離れていく雄の表情は、やはり先程と何ら変わらぬ、狂いながら理性を保つ狂人のそれ。 無遠慮に、乱暴にシャツの前を暴く銀時は土方の首筋に噛み付く様にして骨を、肉を、皮膚をゆっくりと舐め上げる。そこに感じるのは興奮した様な熱い吐息。裏付ける様に、知らしめる様に、張り詰めた下腹部を押しつけ、雄は戦いた土方にまるで親愛でも向ける様に笑いかける。 「て、…めェ…!なんで、こんな…」 言葉を探した時には、理由を問い質そう、などと言う考えは既に霧散していた。 明白だったからだ。 欲であるが、欲より猶明白なのは、土方を見ている銀時の貌が全て物語っている。 だが、それ故に土方は恐れを覚えずにいられない。 男に欲情を抱かれる事は、容色の良い男として、様々な屈折した恨みを宛がわれる者として、始めてでは決して、無い。さりとて──全く己の知らぬ訳ではない相手に。一定の信頼を感じていた男に、穢れた欲望ばかりではない、ここまで突き抜けた思いを向けられたのは、始めてだった。 「お前が、どうやっても俺を見てくれねェから。痺れが切れちまったんだ」 そう言う銀時の口調は常のものと全く変わらない調子で…、その事で漸く相手の、狂気じみた執着を冗談や勘違いではなく、理解する。 何故だ、と言う疑問はあった。銀時の周りには関係の悪くない女もいるし気安い男友達もいる。昔の仲間や今の万事屋(家族)も居る。それが彼の最も大事で、守りたいものである事は問う迄もなく知っていた。 だからこそ、この狂気じみた餓えの正体が、何だかわからない。 狂う程の執着と飢餓感が、何故己に向いたのか。それも解らない。 「ふざ、けんな…!てめェ、人を馬鹿にすんのも大概に、」 「巫山戯てなんかねェよ」 今更意趣返しだなどと思った訳ではなかったが、そう思いたくて言った。だが、いつもの口喧嘩の延長線の様なものになりはしないかと言う土方の甘い考えと淡い期待とは、腕の鎖が既に否定していた。 「……そうかよ。お前やっぱり、全く気付いてねェのな」 溜息に似た声の後、突然喉を強く掴まれた。得た者の手は然程力を込める事なく、首に晒された頸動脈を的確に押さえる。 「ッぐ、」 急速な酸欠状態に眩暈を覚えると同時に、肌蹴られた胸元から手が乱暴なほどの性急さで愛撫じみた動きを始めた。意識の淵に引っ掛かった慣れない痛みや甘さに身を捩れば、足がバランスを失って宙を蹴り、鎖がじゃりりと音を立てて腕に食い込んだ。 「俺が、どれだけお前の事見てたか。その分だと全く気付いてねェんだろうな」 責める筈の口調が慈悲深く聞こえた。土方の喉から銀時の手が離れ、迅速な解放に頭がガンガンと血流の音を立てて痛む。漸く得た意識の拡散に夢中になって酸素を貪れば勢い余って咳き込んだ。 膝をつきたいと震える足が訴えて来るが、じゃり、と鳴る鎖に、その場に立ち続ける事を強要される。 「……、殺すんなら、手前ェの剣に、しやがれ…!」 涙の滲んだ目で見上げる様に睨み付けると、銀時は少し笑った様だった。大きく上下する土方の胸元に唇を寄せたかと思えば、肌を強く吸われて微細な痛みに身じろぐ。 「殺す訳ねェだろ。漸く思いを遂げようってのに死体なんざ相手にしてどうすんだよ」 声に潜む陶然とした色を感じ取って、土方の背筋がぞわりと粟立つ。虫の這い回るに似たそれは嫌悪感よりも、只の恐怖だった。ここまで突き抜けた純粋な狂気を、向けられた事など、無い。 信頼を抱いた男の精神の有り様とは、果たしてここまで理解の叶わぬものであったのか。それとも、土方が気付かなかっただけで、この男は元よりこう言った性情の人間であったのだろうか。 「好きだ」 常なら甘く囁くべき言葉は、既に狂気の彩りを濃くするものでしかなかった。熱の籠もらぬ目で、ただ只管にその言葉を本気であると訴える眼差しが、侍としては百戦錬磨とも言える土方に、未知の恐怖を覚えさせる。 「……怖ェ?」 「ッ、」 土方の裡の怯えを感じ取ったのか、目を細めて問いかけて来る銀時に、いつもの様に毅然と強がるか、正直に応じるべきかを数瞬悩んだ。 「…………怖ェに決まってんだろ。てめェがそんな、色狂いしてるたァ、想像だにしてねェんだ」 結局率直な感想にいつもの強がりが乗った形になった返答は、然し銀時には余り受けが良くなかったらしい。彼は人差し指で土方の胸から喉をつつ、と辿って行き、顎をそっと捉えた。 「じゃ、これからゆっくり理解して貰うわ。鈍いお前にも解る様に」 いっそ憎しみに近いのかも知れない、強いひとつの感情を抱いた目が、ぎらぎらと光っている。 「──、」 喉に噛み付く様な仕草を受け、本能的に筋肉が硬直した。だが、そんな土方の無意識の拒絶ですら楽しむ風情で、銀時の手が、ベルトを外した下肢にするりと侵入する。 「ッ、よせ…!」 人体の決定的な弱点としか言い様の無い場所に触れられ、土方は思わず目蓋をキツく閉じた。唇を噛み締めて、そこからわき起こる感覚から必死で目を逸らす。 「んな怯えんなよ。こう見えて銀さん凄く『優しい』んだって」 「っあ!」 先端に爪を立てられ、強い刺激に声が上擦る。 怖い。 自分の身がどうこうされる事がではなく、この狂気が怖い。 妄執の果ての狂った愛着になど、まともな『優しさ』があろう筈もない。 「怖い?それとも、気持ち良い?」 愉しげな調子で笑う声には、土方のいつもの強がりも出ない程の得体の知れない恐怖があった。 逃れたい。だが、その術はない。 刀は奪われ、腕は体が自由にならない絶妙な戒めに囚われ、今まさに陵辱されようとしている所。 それは良い。良くないけどまだ良い。問題はその後だ。──その後は果たしてどうなるのか。 殺されるのか、それともここで死ぬまで飼い殺しにされるのか。脅されるのか。近藤や真選組の仲間にこの様を曝されるのか。何事もなく解放されるとはどれほど楽観的になってみた所で思えやしない。 相手は間違いなく、色に狂った獰猛な雄の獣だった。そして、狂った所で強い侍だった。 「声も出ない程気持ち良い?なぁ、土方」 乱暴で鋭い手の動きと裏腹な、いっそ優しいとも聴こえる囁き声に土方は意識を理性的な思考へと必死で逃がした。 機を待つしかない。ここから無事に──少なくとも死なずに逃れる為には。いずれ必ず逃れる機会は生まれる筈だ。その隙を待つしかない。作るしかない。まだ、こんな所で、こんな風に殺される訳にはいかないのだから。 その為には、どんな屈辱ですら受け入れるしかない。 「痛ェに、決まってんだろ…。斬り合いなら兎も角、こんな事まで痛ェのは、御免だ」 だから、頼むから優しくしてくれ。 懇願めいた響きに、銀時がそっと吐息を逃がす気配がした。痛い程にきつかった手の動きが弛む。 「お前がそうしろって言うなら優しくしてやるよ」 いっそ死ぬまで。 うっとりとした響きを孕んだ優しい声が、熱い吐息と共に耳に吹き込まれる。びく、と震えたきりで大人しくなった土方の体の上を、公言通りにそっと這う、指と唇と舌。そこに確かに愛おしむ様な優しさが加わった事を厭でも感じられて、固く目を瞑る。 信じていたものに裏切られた失望の痛みが心を食い荒らして行く事なぞ、この恐怖の前には何の意味も無い。 堪える時間は、これからどれだけの間続くのだろうか。 過ぎった恐ろしい想像からは目を逸らして、土方は身体を弛緩させるのとは真逆に、意識を研ぎ澄ませ始めた。 堪えるだけ。終わるまで。──全ては、無事に帰る為に。 その為ならば、どんなものにでも堪えようと、絶望の中で密かに決意する。 そんな悲壮な決意に彩られた土方の顔を見つめて、銀時は酷く満足そうに口の端を吊り上げた。 リサイクルなので続きません。なんかきっと思い余っちゃう程に銀さんが追い詰められる何かがあったんでしょう(てきとう 心中は多分しないのでご安心(? |