Mellow / 21-



 部屋に入って顔を見た時に、これから聞かされる事になるだろう答えの想像は既について仕舞った。
 以前も使った、飲み屋の個室である。『条件付け』を必要としていたあの時の土方には、ゆっくりと酒を楽しむ様な余裕も無かったが、今日は違う。周期は未だ来ていないが、銀時に「話がある」と呼び出されたのだ。
 その内容の想像はついていたし、土方の方にも思う所が無かった訳では無いので、こうして比較的に気楽に相対出来る場所を選んだ。連れ込み宿やら銀時の家だと、どうしても条件付けの際の行為を想起させられていけない。
 行為自体は『条件付け』と言う、土方の身に必要なものを摂取するだけの事なので、食事や排泄と言った日常的な動作の一つとして受け入れてはいるのだが、それを必要としていない素面の時にわざわざ好んで思い出す事でも無い気がしたのだ。
 (そう意識している時点で、手遅れな気はするが)
 無言で入って来て無言で向かい席に腰を下ろす土方の姿を、俯き加減でいる銀時の視線がそっと捉える。彼の目の前の卓に置かれた酒は殆どその量を減らしていなかったが、気にする事はなく土方は自分の分として用意されていた猪口に透明なアルコールを注いだ。重たさしか感じられない空気の中では、素面で居るぐらいならきっと少しでも酔った方がマシだ。酔えるものならば、だが。
 「……その、この間言ってた知り合いに、例の件を訊いてみたんだが、」
 然し土方が杯に口をつけるより先に口を開いたのは、俯き杯に景気の悪い顔を映していた銀時の方だった。
 「ああ」
 「…現状では、条件付けを解くのは難しそうだって話だった」
 「……ああ」
 すまねぇ、と囁く様な声で呟く銀時には悪かったが、土方としては既に想像のついていた──否、知り得ていた話である。それだと言うのに、こぼれた相槌に落胆の色が乗っているのが自分でも解って仕舞い、苦々しい感情ごと酒を呷った。
 (解りきっていた事だろうが。今更何に期待したって言う、)
 そも、真選組副長にそれを盛ろうと目論んだ者から直接聞き出した話だ。今更になってそれが覆る様な奇跡など起こる筈もないと、そう納得していたのに。納得せざるを得なかったと言うのに。
 「おめーの腕に出てる痣みてぇなもんあるだろ。あれがナノマシンの巣になっていて、そいつが条件付け成分を摂取する事に反応して、脳内に麻薬成分を送り出すんだと」
 「………そうか」
 続ける、銀時の説明は未だ知り得ぬ新しい情報ではあったが、土方はそれを知識としてだけ憶えておく事にとどめた。原理など、今更知った所で何にもならない。解除する方法が『そこに無い』のであれば、意味がない。
 (…………)
 寸時すっと胸を冷やした感覚に背筋が総毛立ち、土方は自らの右腕にそっと触れた。杯を掴んで、刀を取って、生きる為に機能しているそこに宿った悪意に、怒りとも恐怖ともつかない感情を憶える。
 「ともあれ、現状維持を続けるしかねぇって事だろう。わざわざ調べて貰ったのに悪ィが、まだ当分迷惑をかける」
 「……」
 顔を起こした銀時が、唇の動きだけで「いや、」と返す、そこに否定や拒絶の気配がひとまず感じられなかった事に、土方は安堵に類するだろう息をそっと吐いた。
 そこから先は、大した会話も無く淡々と向き合って酒を飲む奇妙な時間が続いた。土方は基本静かに杯を傾けるだけの時間が嫌いでは無かったが、銀時は果たしてどうなのだろうか。
 以前近藤から聞かされた話では、時々だが懐具合の良い時はスナックすまいるに顔を出す事もあると言う。そんな話だけ思い出してみれば、無言で男と顔を突き合わせて飲む酒よりも賑やかに女と飲む酒の方が好きな様にも思えるが。
 (……そうか。思えばそんな仲でも無かったか)
 思い至って自然と浮かんだ苦笑に応えてくれる言葉は無かった。『条件付け』と言う厄介なものを抱えて、気付いた時には恥も何も無く全てをさらけ出して仕舞っていた。そんな己をして無様だとは思う。思うが、こうなって仕舞った以上は坂田銀時は土方十四郎と一蓮托生になって貰うほかには無いのだ。
 幸い、信頼だけは足りている。あと他に必要なものは何だろうか?
 (罪悪感と、金と……、何かしらの感情程度のもの)
 あと他に必要な時間は幾許だろうか?
 (消せないのであれば、迂遠)
 まだ当分、などと己の口から出た先頃の言葉を、白々しいと胸中で詰る。計る事など出来ない。終わらせる事など出来ない。では一体どうすれば良いのだろうか。
 (坂田は、)
 「土方」
 不意に、ことりと杯を置いた男が、まるで酔ってなどいない様な顔でこちらを見た。余りに静かな、その侭空気に融けて消えて仕舞いそうなその呼び声に、土方は数瞬遅れてから気付く。
 「なぁ、提案なんだけど」
 それはいつかも聞いた言葉だった。
 躊躇いと罪悪感の狭間から絞り出された様な表情をしながら、口端を軽薄そうに歪める男のその裡に潜んでいる感情の正体に、土方は多分に気付いていた。
 どうも信用がならない、と、まるで忠告の様に投げて寄越された沖田の言葉と、坂田銀時が僅かに覗かせた『それ』の片鱗とを重ね合わせて、今更の様に気付いた真実を、見る。
 『条件付け』として身体を繋げている時の土方では決して見えないものを。
 (……罪悪感でも、金でも、ただの感情程度でしかない『それ』でも、)
 卑劣な感情を噛み殺すのに失敗した銀時の顔を真っ直ぐに見返して、土方は頷いた。
 
 *
 
 見慣れた玄関を通って殺風景な居間に入るなり、銀時に背後から押し倒されて、土方は己の背骨が軋む音を聞きながら床に横頬を付けて、自らにのし掛かる男の姿をゆっくりと仰いだ。
 「……坂田」
 苦しい姿勢に苦しげな声がこぼれる。それが非難や暴言の類にならなかったのは、僅かに仰ぎ見えた坂田の表情が余りにも葛藤や慚愧に満ちて見えたからだ。
 提案がある、と嘗て言われた時には、煽られて持て余した性欲を都合良く解消する手段が目の前にあるから、そんな事を口にしたのだろうぐらいにしか思わなかった。
 忌まわしいナノマシンの巣や、粘膜に与えられる体液を得る手段になるのならばそれでも良いと思った。その程度で支払いが済むのであればとさえも思った。
 然しそれこそが坂田銀時と土方十四郎の関係性に、『条件付け』以外の理由を与えて仕舞った。
 では、今回の『提案』とは何なのか。
 身体を繋げた。想いは多分に近づいた。土方がそれに気付かぬふりをしている内に、銀時は罪悪感と後悔と葛藤とをない交ぜにしながらも、きっと『それ』を育てた。その苦悩は彼の表情そのものが既に語っている。
 土方の背にのし掛かった坂田の手が、着物越しに右腕に触れて来る。条件付けの発作の起きていない、素面の時にそこに触れられた事など殆ど無い。布の下にある皮膚を、そこに根付いたナノマシンの花を、まるで優しく慰撫するかの様なその動きに、土方は何だか無性に泣きたくなった。
 押さえつけられた両腕に痛みは無い。土方が抵抗をしていないからだ。己の身体に何故か裏切られた様な感覚を覚えて仕舞うのは、その感情が嬉しくて、怖かったからだ。
 「提案、なんだけど」
 銀時の声が、軋る歯の隙間からこぼれた。その葛藤が、罪悪感が、解って仕舞うのが怖かった。
 触れる指に込められているのが、労りや愛情であると、解って仕舞うのが恐ろしかった。
 『条件付け』の発作がそこになければ、こんなにも解って仕舞うものなのかと、今更の様に思い知った。
 土方は床に向けてそっと項垂れる。
 解けない『条件付け』に必要なのは、坂田銀時の今後の人生全てだ。土方十四郎と一蓮托生でいなければならなくなったその事実に、土方が支払えるのは罪悪感と金と、そして彼の向けて来る罪悪感と葛藤とにまみれた愛情と憐憫とを受け入れる、何かしらの感情。
 「っ、」
 右腕を痛い程に引かれ、身体を仰向けに転がされるのに小さく呻いて、土方は正面にある銀時の顔を見上げた。脅すなり取引なり、何なりとでも卑怯な提案をする事も出来た筈の男が、然しそれを良しとはせずに必死で隠そうとすらしていた、愛情を訴えて来る苦しげな顔を。
 坂田の手が土方の右袖を捲り上げた。そうする坂田の顔を見上げている土方からは見えない、花の様な烙印の静かに息づく皮膚を、右の腕を、何度も優しく撫でて来る。
 「この侭で居ても、お前は発作に苦しんではどんどん中毒を酷くして行くだけだ。それに、今後もし俺に何かあったりしたらお前まで巻き添えにしちまう。だから、」
 そう言って、銀時は恐らくは花の浮かぶ皮膚をその五指で強く掴んだ。
 「この侭にして、俺がいつでもお前の近くに居て発作に対処して行くか。それとも──この花を切り落とすか」
 問う言葉とは裏腹に、銀時の指に込められた力は強く皮膚に痛みを穿っていた。そうする事で忌々しい花を握り潰そうとでもするかの様に。
 「選んでくれ、土方」
 優しげな言葉の調子からは隠せない情がひとつ。強い五指と感情の力とに、土方の顔は自然と、痛みを訴えようと強張った。
 条件付けの発作が今後悪化しないとは言い切れない。常に死を隣にして戦わねばならない土方にとって、いつ何時それがリスクになるとは知れない。
 仮に、銀時が常に傍に居てそれに対処してくれるとしても、それは余りに重すぎる。この『条件付け』の為に、自分を生かす為に、お前の人生を捧げて欲しいなどと誰が言えよう。その代わりに愛情を返すからなどと、どの口が吐けると言うのか。
 ──俺の為に共に生きてくれと、そう命令しろと言うのか。
 食い込む指の痛みに、土方は静かにかぶりを振った。それは出来ない。出来る訳が無い。そんな資格は誰にも在りはしない。そんな不確かな未来など、身勝手に望める筈が無い。
 心変わりは許さない、離れて行くのは許さない、勝手に死ぬななどと言うのは許さない。そんな誤ったものを『愛情』などと言って騙し続ける事など、出来はしない。
 「なぁ。今までみてぇに戦えなくなっても良い。俺が代わりに戦ってやる。俺がお前を護ってやる。俺がお前の右腕になってやる」
 然し、葛藤を──きっと心の中のあらゆる正義や道徳を噛み砕きながら、銀時は吼える様に叫んだ。
 土方からの苦悶に満ちた愛情を得る事よりも、自らの罪悪を増やして、それを愛情と言う枷に縛り付けようと。
 これは己の身勝手な情だから。お前が苦しむ必要など、気に病む事など、何一つ無いのだと。
 「…………」
 腕を掴む指の強さは、今にも皮膚を貫いて肉を裂いて骨を砕きかねない程に、きっと強かった。その侭血が凝って腐り落ちそうな程に、頑なだった。
 それが抱かれた愛情の強さと等価だったのかは解らない。卑劣な本心を抱えながらも、葛藤を棄てられずに苦しげに叫んだ、男の強いる選択と優しさとが本当に正しいものなのかも、解らない。
 一蓮托生であるしかないのであれば、そこにどちらの罪悪感が生じ続けるのかと言う程度の問題でしかないのだから。
 「おまえは、どうしたい」
 そっと腕の力を緩めながら、銀時が囁いた。それは問いではなくただの確認だとは、土方も理解していた。
 『条件付け』を解除する方法と言うのであれば、それしかないのだと、真相を聞き出した時に既に解っていた。
 その罪悪と恐怖と憎悪と負担と、断たれるであろう幾つかの未来を、然し銀時は自ら買って出た。
 恐らくは、己のその愛情こそが、土方を救う唯一の方法なのだと確信した、それは決断であった。
 故に、土方の返せるものはその決断に足る同意。納得。或いは、選択し委ねたと言う事実。
 怒りとも悲しみとも絶望ともつかない感情が胸に満ちて、土方の表情筋はそれを表そうとでも言うのか勝手に歪んだ。真選組の副長としてであっても、そうでなくとも、己に絶対に必要な戦う為の、生きる為の腕が、散るのは厭だと喉を震わせ咽び泣く。
 その先に、坂田銀時と言う人間の愛以外の何もかもが無くなる事を知っているからこそ、その甘さに溺れる事を拒絶しようと、足掻く様に。
 
 「おまえは、どっちが良い?」
 
 土方は頷かなかった。拒絶もしなかった。
 問う言葉と共に、指が優しく花の如く咲き誇った烙印に触れる。今度は優しく、そこを一本の筋でなぞって辿って行く。
 きっと次の瞬間には、指は鋭い刃に代わるのだろう。
 だから、ただその時を待って、目を閉じた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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 まだ陽も高い時刻だと言うのに、繁華街は今日も変わらず賑わっていた。それを平和の証だろうと嘯ける程度には、それは土方にとって既に見慣れ飽いた風景である。
 行き交う人通りの中には探す人物の姿はまだ見当たらない。人相は懐の中の手配書を見ずとも頭に叩き込んである。今更見過ごす様なポカはやらかしはしない。
 寧ろ問題は、手配書の暫定容疑者を発見すると同時につい先走って動いて仕舞いそうな己の気質の方だ。最近は落ち着いて来たと自分では言うが、つい勇み足になるのは土方の本能の様なもので、そう易々治せる性情では無いと言うのが、残念ながら正しい所だ。
 待ち時間が長いからこそつい短気を起こしたくなるのだが、ここはぐっと堪えてその時を待つしかない。事前に入手した情報と、土方の勘働きとが、手配犯は直にこの辺りに現れる筈だと強くそう確信しているのだから。
 人目につき難いコインパーキングの片隅で、駐車した覆面車輌に寄りかかって煙草をふかしながらそうして待っていた土方であったが、遂にその目が不審な人影を捉える。辺りを憚る様に歩く、目深に帽子を被った男の姿。変装はしているが、間違い無い。何件もの強盗殺人容疑をかけられている、兇悪な攘夷浪士だ。
 土方は左手で作った拳で、覆面車輌の窓ガラスをこんこんと叩いた。すれば直ぐに、扉を開けて中から銀髪の男がのっそりとした動作で外へと出て来る。
 その身に纏う装束は、土方と同じ黒の洋装。
 その腰に収まる得物は、何かを護る為の刃が一振り。
 「漸くお出ましか。待ちくたびれて眠ィわ」
 言って、欠伸を噛み殺す仕草をしてみせる男の姿を僅かな苦笑と共に見遣ると、土方は懐から取り出した地図をボンネットの上へと拡げてみせた。続けて携帯電話を開き、用意していた命令のメールを部下宛に一斉送信する。
 「良いな。他のチームの待機場所はここと、ここと、そしてここだ。呉々も逃がさねェ様に上手く追い込めよ」
 「解ってるって、土方副長」
 戯けた様な仕草をして微笑んでみせる男に、土方の置く信頼は強い。任せとけ、と自らの胸を指して言う彼に向けて土方はそっと左腕を伸ばした。
 「……」
 察した様に顔を寄せて来る男の胸倉をぐいと掴めば、同時に両の腕が伸びて来て土方の背を優しく抱きしめて来る。その襟元にそっと鼻を寄せれば、そこには土方にしか解らないだろう、芳醇な甘い香りの残滓があった。
 「……頼んだぞ、坂田副長」
 「ああ」
 それが、坂田銀時と言う元攘夷志士の現在の名前。
 頷きと共に優しく背を、確かな愛情の仕草と共に撫でられる。その度に鼻先と記憶とを擽る甘美な芳香を思い出して、失われたものの──或いは失わせたものの重さを思い知る。
 名残を振り切って身を離すと、土方はこれから己の右の腕となって死地になるやも知れない戦いへと赴く男の姿を、今日も一人見送った。





…と言う訳で、実は原作設定に見せかけてW副長パロになると言うお話でした。

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めろめろには一応なった筈なんだけど蛇足。
余談と言うか言い訳と言うかまあそんな感じ。

酷い話だとは呟いてましたが想像以上に非道かったと言うか違う意味で酷いと言うかなんと言うかごめんなさい的なー…。
どっちを選んだのかは、狡いですがどちらとも解釈出来る様にしてありますので、お好みで結論を決めてやって下さい。

原作設定じゃないので、銀さんは万事屋じゃなくて、新八や神楽も取り敢えず近しい所には居なくて、江戸で暮らしてる元攘夷志士の流れ者みたいな感じのパロディ世界線です。なのですまいるに通うとか妙な事してたり、(うちの副長は)坂田呼ばわりが落ち着かなかった様です。
最終的にW副長に至ってはいますが、当サイトにある他のW副長パロとは設定が別物の単発話です。

『条件付け』なんて無くとも、その芳醇な甘さからは逃れられなくて。