だから愚かな恋はなつかしい / 1 今日も矢張り、銀時の隣の席が埋まる事は無かった。待てど、暮らせど、そこに待ち人が座る事は無いのだとは、とうに解っていた。 一人の酒は──本来一人では無かった酒だと知っているからか、淡泊な味わいを舌先に乗せては、酩酊の代わりに憂い気持ちを募らせて行く。 最初から一人で飲んでいたのならこんな想いはしないで済んだ筈だ。そう思えば、この約束を反故にした相手を恨むに似た心地も涌くが、それも直ぐに消える。酔えない心地でも解る、待ちぼうけしながらしみったれた感情で酒に呑まれるのは余りにみっともないし惨めなものだ。 約束は多くが破られた。だがそれを『また』かと鬱屈すら感じぬ程に一種の諦念を得ていたのも確かだった。 確かに銀時は土方十四郎と言う男の事を好いていたし、その逆も疑うのが馬鹿らしく思える程度には確信を得ていた。そうして互いに想い合う関係であればどんな状態であれど幸福と言えるのかどうかは、人それぞれの感性の違いだろう。少なくとも銀時はそうとだけ解っていればそれで良いのだろうと思える方であった。 元より、互いに寄り添って将来を語り合って共に並んで歩んで行くと言う類の関係には成り得ないのだろうとは思っていた。老成した頃であればともかく若い内では、土方の心が他者を思い遣る様な恋愛よりも己の生き方を選ぶ事など解り切っている。 女であったら「私と仕事とどっちが大事なの」と修羅場に至る文句の一つでも吐く類だろうが、その点では銀時は柔軟であった。土方の生き方に対する理解も共感もあった。 故に、約束を破られる回数が嵩んで行こうが、そこまで酷い鬱屈を溜める事も無かった。諦念を得るのも容易かった。そもそもにしてそんな、絵に描いた様な恋愛事を演じられる様な男では互いに無かったのだ。 恐らく互いに愚かな恋をしたのだと思う。だからこそ感情が浮いて沈む事に対する痛痒もそんなに酷くは銀時の裡を苛む事は無かった。それこそが誤りだったのだと気付く事さえも長いこと無かった。 約束を破られた翌日に偶然を装って姿を現し、土方の確かに抱いている後ろめたさや罪悪感を感じ取れればそれで良かった。約束ではない、密かな触れ合いが互いを疼かせては性急に求め合う、そんな爛れて無様な為体であっても。 空いた侭の空席に少しづつ心が摩耗して行くのを、それがこの恋と言う執着の形を変えて仕舞うのを恐れて声を荒らげても、次の瞬間にはそれよりもっと大きな恐れに気付いて立ち竦む。 恋と言うのは、己のそれを肯定される事で叶う想いと言うのは、こんなにも恐ろしいものなのかと己に呆れさえ抱いた。 恐らく、互いに段々と疲れていっているのだと思う。 些細なすれ違いが段々と深い溝を刻もうとしている事に気付いてはいても、銀時にはそれを埋める術が解らなかった。痛みにも落胆にも極力気付かぬ素振りを決め込んで、擦り抜けて行きそうな手を必死で留めようとし続けた。 手さえ放さなければ、感情に諦めさえ抱かなければ、大丈夫だと思っていたのだ。 酒を勢いよく煽って、憂いた心地を喉奥へと必死で流すと、銀時は大して酔わぬ事を自覚しながらも、酔った素振りで席を立った。もうそろそろ店じまいの時間だ。店内には銀時の他には、呑んだくれて泥酔している中年男ぐらいしか残っていない。 「ごっそさん。また来るわ」 毎度、と言って来る店主の愛想にそう返しながら外に出て、酒臭い呼気を夜空へと逃がす。今日も『また』。 それでもこの恋を棄てようと出来ない己が滑稽だとは思うのだ。だが、これだけ約束を破られても、待ち惚けを食らわされても、想い合う感情だけはどれだけ擦り切れようが明瞭に見えて仕舞っているのだから、どうしようもない。 隣合って盃を傾けずとも、ホテルに雪崩れ込んで身体を重ねずとも、幾度も真摯な言葉で想いを告げ合わずとも、何故かこの恋情は成立しているのだ。ただ想い合っていると言う、それだけしか無く、それ以上には何も無く。 きっと、それ以上を求めて仕舞うから苦しいのだ。それこそ愚かだと解っている。それでも。 (……ただ、会いてェ、とか、一時でも独占してェ、とか、そんな青臭いもんが、) 思って銀時は酔いの薄い頭で忍び笑う。土方にはそう言った感情は果たしてあるのだろうか。今更そんな疑問を浮かべるなど。 夜道の遠くで救急車両の走り抜けて行く音がする。建築物たちの間で反響する騒音はその出所すら知れず、夜の闇の中にただ不安を煽る様な響きだけを残しやがて何処かへと消えて行く。 遠ざかるそれに然程の関心も無く目を閉じて、銀時はひとりきりの家路についた。 。 ↑ |