Nu 多忙を公言して憚らぬ恋人はいつでも忙しい。 公僕の、しかも要職に就く男に定休は無い。正確に言えばオフの日取りがあったとしても直ぐに無くなる。サービス残業も良いところの無休労働だ。時には丸一日休日、どころか、数時間単位で身が空く事ですら滅多に無くなる。 時期やタイミングに因ってその都合は異なるが、概ね『忙しい』その点に変わりはほぼ無い。 更に正確に言えば。彼は暇な時間があれば何かと仕事や用事を探し出してはその時間に充てて仕舞うのだ。多忙と言うより最早、好きこのんで多忙になっているだけである。 そんな恋人──そろそろ自信が無くなって来るが──である所の、土方の時間を頂くとなれば、予めの下準備は必須だ。 一に、前々から休日に約束を取り付けておく事。これをしておかねば、まず間違いなくその休日は銀時に憚りなく土方の自由裁量で過ごす一日になる。仕事をしたりふらりと出掛けて仕舞ったり。 恋人、とは一応主張しておくが、実のところ土方が『己の時間』である休日に、わざわざ銀時の様子を伺いに来たり都合を訊ねてくれる事などまず殆ど無いと言うのが悲しいかな現実なのだ。 その辺りの事情については、きっと遠慮しているだけだから、とか、恥ずかしがり屋さんめ、とか。無理矢理そんなポジティブな納得をする様にしている銀時である。 そして次に、休日が潰れた場合は一体どのぐらいの時間が費やされるのかを問いて確認しておく事が挙げられる。討ち入りや重要な任務だと、銀時が問う以前に、土方の方から申し訳なさそうに休みが潰れた事を伝えて寄越してくれる。この場合はまず約束の履行はない。すっぱりその元休日は諦めるのが吉だが、無論次回の約束を打診しておく事を忘れてはいけない。 だが、貴重な休日を潰した原因が比較的に些細な用事だと、運が良ければ仕事上がりに逢瀬が叶う。当然の如くその場合の時間帯は夜間になる事が多い為、手が空くのは何時頃だ、としつこく訊ねるぐらいが良い。普段黙って『待て』をされる犬にだって、自分の願望ぐらいあるのだ。 夜間と言う事は、あわよくば閨を共に出来る可能性が高い。その日の疲労と翌日の予定次第ではあるが。期待も食い下がる価値も充分にある。何しろ滅多にない機会なのだ。 互いに二十代後半のおとな同士。とは言え到底枯れている年齢でもない。恋人…恋仲同士なのだから、隙あらばヤる事はヤりたいと言うのが性である。ヤれないにしても取り敢えずいちゃいちゃとスキンシップぐらいはしたい。お互いの精神安定の触れ合いとは存外侮れない癒し効果を持つものだ。 銀時は常日頃子供らの目に晒された生活にある以上、右手とのお付き合いも時には侭ならない事も多い。機を見てこそりと消化するも構わないが、折角恋人と呼べる存在が居るのだから、出来れば無駄に垂れ流さずそちらで楽しみたいと思うのが本音、と言うより切実な願望だ。 土方とて、余程疲労している時で無い限りはなんだかんだ文句を言いつつも銀時のしたい様にされてくれるので、まあ相応の性欲や情ぐらいあるのだろうが、それと同じぐらいかそれ以上に、基本的に仕事と体調とをきちんと天秤に掛けて考えた上で判断すると言うご立派な理性もある。 そんな土方なので、なし崩しにセックスに持ち込めばその場では流す事は叶うが、そうなればなったで後が怖い。手にした煙草と言う凶器で天パを焦がされそうになった事数知れず。 かと言ってお預けに甘んじてばかりいると、土方の寝顔を横目に淋しく自家発電に勤しむ羽目にもなりかねない。なおこれは一人で想像をオカズに抜くより余程酷な話であるのは言う迄もない。 つまり、土方と休日を閨まで共に過ごす為には、銀時には幾つもの越えねばならぬハードルが聳えていると言う訳だ。 休みを取り付け、僅かの時間で土方が疲労する様な事なく計らい、且つヤる事をなんとか、翌日に響かない程度に致しておしまい。また『多忙』な恋人の次の休日までをじっと待つ。ハチ公も吃驚の健気さだろうと銀時は自分でそう思っている。 結構に忍耐と努力の必要な関係。且つ、地道な事この上ない話だ。 まあ別に結婚を控えている訳でも無いのだし、互いの関係がこれ以上進む事も戻る事も取り敢えず無いのだから、時々会って想いを確かめ合うだけでも充分な成果なのだろうとは、思う。 もうすこし、傍に。 もうすこし、長く。 土方が聞いたら、女々しいと笑い飛ばされるかも知れないとは思うが、銀時は大真面目にそんな願望未満の望みをかれこれずっと抱え込んでいる。大事だからこそ我を通す事を一歩下がって憚る。寧ろそうでなければ、こんなに大人しい飼い犬めいた真似など到底出来なかっただろう。 こう言う時には、土方が『多忙』な人間で良かったとさえ思う。否、土方の身が容易に空く事がないからこそそんな願望が浮かんで仕舞うのだろうが──、他者を惜しむ様に感じる事など、銀時としても大凡未知の経験だったのだから致し方あるまい。 出来れば土方もこれと同じ様な感覚を抱いてくれていれば嬉しいのだが、生憎と『多忙』な恋人の頭の中は、銀時と過ごす甘やかされた穏やかな時間よりも、仕事に任務に駆けずり回る生活で一杯なのだ。 その点は少々残念ではあるが、別段不満ではない。銀時は土方の事が好きだが、その成分の中には真選組の副長として常に忙しく仕事に妥協しない、そんな所も含んでいるからだ。 忙しい事を理由に何かと邪険にされる生活も堪ったものではないのだが、有情である事が知れるなら良い。基本的に理由も根拠もなく尊大な男が、仕事と恋人との時間の切り替えをきっちり分けて考えていると言う事は、それだけ真選組(しごと)以外の──銀時の存在に心を砕いてくれていると言う事でもある。 その比重が些かに平等でないとしても、そんな事は最早些細な事だ。 (……うん。スゲー自分でドン引くくらいポジティブじゃね?俺) 風呂上がりの顔を鏡でじっくりと観察する。ポジティブと言う割に、鏡に映った銀時の表情は大凡浮いたものとは言えそうも無かったが、湯に浸かって暖まった顔の血色は良く、目立たぬ不精髭も綺麗に剃った口元はほんのりとした喜色を湛えて僅かに弛んでいた。 …………そう。今日は正に恋人との──土方との貴重な逢瀬の時間を勝ち取れた日であった。今日自体は土方の通常勤務の日だが、明日が休日なのだ。そこに来て幸運な事にも、前日の夜、つまりは今晩から来れると言うので、銀時は神楽に酢昆布の上納を約束して新八の家へと泊まりに行って貰い、夕飯に酒にと誠心誠意土方を持て成し迎え入れる準備に励んで、そして── 「……………やっぱ起きてねーか」 今盛大な溜息をついていた。 持て成しと言うより、甘やかす行為自体は概ねいつも通りに成功した。土方は銀時の作った簡単な食事をつまみつつ酒を飲んで、気分も良さそうにしていたし、銀時とてそれは全く同様だった。土方の顔色は余り宜しく無く、薄墨を伸ばした様な色をした目元に疲労の気配は濃かったが、数時間前までは厳しい表情を湛えて仕事に取り組んでいたのだろう目尻から力を抜いて、柔く笑いかけたり悪態をついたりしてみせるそんな姿を見れば、銀時の今までのハチ公的な忍耐も今日のささやかな頑張りも報われると言うものだ。 が。 溜息を吐いた口をへの字に歪めた侭、銀時は眼前のソファに背を預けて眠っている土方の姿を見下ろしてみた。横にはならず座った侭の状態。俯き加減の表情は長めの前髪の向こうでよく伺えないが、眉間には皺が刻まれている。余り柔らかいとも言えないソファの上で、しかも座した侭なのだ、さぞかし眠り辛いのだろうそんな様子を顰めた皺の一つが物語っていた。 転た寝程度。だが船も漕いでおらず速やかに落ち着いた眠りは、土方が多忙な身の中で自然と身につけた、曰く『効率的な』睡眠摂取の方法である。 眠りは浅い。呼ぶなり揺するなり近藤や部下の声を聞かせればすぐに起きて脳を覚醒状態にする事ぐらいは恐らく易いだろう程に。だが、銀時が洗い物に立った僅か十分程度の間にそんな眠りに落ち着いたと言う事実は、土方の決して軽くない疲労を物語っている。ほんの少しでも眠りたいぐらいに疲れ切っていた所に、温かな食事と酒なぞ入れているのだ。本来ならば布団に包まれ本格的に眠って仕舞いたい頃合いだろうに、そうとは切り出さず堪えようとしたのだろう。自分に気を遣ってくれたのだろう銀時に少しでも応えを与えられればと思って、眠いから寝ると言いもせずに居た。 (……起こせる訳ねェだろ、こんなん) とは言えその転た寝程度の眠りを享受出来る程に、土方が疲れていて、そして速やかな睡眠を欲していたのは事実だった様である。洗い物を済ませて、風呂までゆっくりと浸かった銀時が居間へ戻って来るまでの小一時間。眠る土方の姿勢にも表情にも変化らしい変化は全く見受けられなかった。 もう一度深々と嘆息した銀時は、湿った頭髪を肩に掛けたタオルで拭いながら、音を立てない様に注意して向かいのソファへと腰を下ろした。何かの切っ掛けがあれば土方は直ぐに目を醒ますだろうし、己を起こさないで居てくれた銀時に申し訳無く思いながらも、その事を咎めたりはすまい。 後は眠気を飛ばすぐらいに睦み合って、その心地よさを通り越した疲労感の中で眠れば良いだけだ。どうせ明日は休みなのだから、昼過ぎまで寝過ごした所で誰に憚る事もない。 寧ろその方が銀時にとっては願ったり叶ったりの筈。なのだが。 置物か何かの様に座した侭、静かな寝息を立てる土方の顔を卓越しに覗き見ながら、銀時はやれやれと肩を竦めた。浮かぶのは苦笑以外の何者でもない。いい加減馬鹿馬鹿しいとは己に思う。 ヤれる事はヤりたい。良い歳をして今更その事実に嘘をつく心算は無い。セックスを通じて情と快楽と充足とを貪って微睡むのも悪くないが、銀時にはただ土方のありの侭の様子や生活を愛おしみたいと言う、自称ドSには些か不釣り合いな優しい感情が在るのも事実なのだ。銀時は達観した親か何かの様な心地でそれを認めてはいるが、気分としては寧ろ修行僧か何かである。 静かに眠る土方の姿を見れば、今すぐにでもその身を布団に横たえ貪りたくなる。そんな激しい欲情は確かにある。 ある、が。 (寝る子とナントカには逆らえないとかなんとか…アレ、泣く子だっけ?あー、泣かせっつーか啼かせてェなァ。会ったのどんくらいぶりだっけ?一ヶ月とかそこら?三十日ってお前、健全な男子なら眠る恋人を前になんてしたら簡単に獣になっちゃうよ?普通) 言ったものの、まあ別に土方は銀時に忍耐を強いている訳ではないので──少なくとも意識的にはしていない──、感謝もしなければ咎めもしないのだろうが。 「………」 肩から取ったタオルをソファの背もたれに掛けて、銀時は物音をさせずに立ち上がった。眠る土方の横に近付くと、細心の注意を払いながら隣に腰掛ける。 (そのままそのまま…) 皺を刻んだ侭の眉間がぴくりともしない事を伺いながら、銀時がそろそろと慎重に手を伸ばして、その肩を静かに己の方へと寄せてみれば、土方の頭はずるりとソファの背もたれを滑った。そうして銀時の肩に寄り掛かる様にして止まる。 静かな寝息が規則正しく繰り返される。距離が近付いた事でより鮮明に感じ取れる土方の体温や呼吸に、肩に置いた指が思わずそわりと動く。 「あー…生殺し」 思わず漏れた小さな呻きは、顎下に寄せた黒髪の中に吸わせて仕舞う。万事屋に来る前に風呂に入って来たのだろうか、頭皮に脂臭さはなく仄かな石鹸の香りと煙草の臭いとがした。 すん、と差し入れた鼻先で強くその匂いを嗅いでみれば、石鹸と煙草の香りの下には確かな体臭がある。銀時の知る土方と言う人間の匂いだ。社会への奉仕活動の代わりに日々老廃物を生産する、生きている人間の体臭だ。 それは決して香しいものでも甘美なフェロモンでも何でも無い筈なのだが、銀時には酷く好ましいものである様に感じられた。体臭、しかも煙草を嗜む人間の匂いなど、大凡良い香りとは言い難いとは思うのに、それが好きな人間を構成する一部だと言うだけで容易に昂ぶる己は全く現金なものだ。 「この侭匂い嗅ぎながらヌいたら流石にドン引かれんだろうなァ…」 「いや引くっつうか呆れるわ。ついでに言うと呆れてから引くが」 「うん、呆れるっつー事は概ね察してくれてるって事で良いんだよな。つーかお前起きてたの」 鼻を埋めた頭の下で、穏やかだった寝息は大きな溜息と辛辣な声音とにいつの間にか変わっていた。銀時は土方の肩に回していた手に力を込めて、己にすっかりと寄り掛かる形になっていたその身体をぐいと引っ張る。 「頭の上で鼻息が煩ェんだよ。目も醒めるわ」 察しているのだろうと言う銀時の言い種を否定しなかったその通りにか、土方はすんなりと上体を、引っ張られる侭に銀時の膝上へと転がした。ぐるりと頭を巡らせれば、膝枕の様な形になる。 「で、人の匂い嗅いでおっ勃ててるたァ…、てめぇ匂いフェチだったのか?」 腕の辺りに当たった感触に少し顔を顰めながら、土方は横たわった侭で銀時の頭へと両手を持ち上げ伸ばして来る。癖の強い天パを指に引っ掛ける様にして導く動きに逆らわず、寧ろ自分から上体を屈めながら、銀時は眼前に迫った土方の鼻先で小さく笑った。 「いやフェチって訳でも無ェけど嫌いでも無ェつーか、お前の匂い嗅いでたら色々考えちゃいました、みたいな?まーホラ、久し振りだし?仕方無ェつーか何と言いますか。銀さんの忍耐とオアズケ日数も少しは察してくんない?」 くしゃ、と耳の横で髪が軽く引っ張られる。銀時の耳の辺りをやわやわと撫でる土方の掌の温度は少し温かい。眠っていたからだろうか、それとも。 緩やかに、性感と言うより気分を高める意図のある動きは解り易いが控えめな誘いで、心地の良い触れ合いだ。銀時も土方の顎先から首筋へと指を滑らせてそれに応えてやれば、触れた指の腹の下で喉がくつりと揺れる。 「お預けか。良いな。匂いも嗅ぐしで本当に犬みてェ」 そう言うなり、ぐいと前髪を掴まれ額を押さえられた。む、と眉を寄せて有り体に不満を示す銀時に、土方は、にい、と口端を吊り上げて笑んでみせた。 「『おあずけ』…ったらどうする?」 本当に飼い犬か何かに言い聞かせる様な調子で言う土方の顔を真っ向から見返して、銀時は犬歯を見せて獰猛に笑って応じる。生憎とこの飼い犬は、恋人がその手に収まってくれるまでは大人しいが、一度手を触れさせたが最後、躾や殊勝さなど放り捨てたケダモノにだってなれるのである。 「……まぁたまた。匂い嗅がれてただけでココ熱くしてる野郎がなァに言ってんの」 「っ、」 目は逸らさず、指先だけで土方の下肢を着物越しになぞり上げて言えば、想像通りにそこは熱を持ち始めていた。銀時が匂いを嗅いでいた時からなのか、触れ合い始めた時からなのかは実際の所は解らなかったが、自覚を促して仕舞えばどちらでも同じ事だ。 硬度を感じられる様になるまで着物の上から指を遊ばせていれば、ぴく、と眼前の喉が震えた。吐息に逃がした呻き声の代わりに顎が浮くのが何だか艶めかしく見えて、銀時が忍び笑えば、土方は小さく舌打ちをした。顔は背けないが視線を天井に逃がして仕舞う。 「それとも、お前が『おあずけ』されてェとか?何、そう言う焦らしプレイして欲しい気分?」 「……勘弁しろ」 Sっ気を込めた声でそうにやにやと問うと、土方は游がせていた視線を戻してから、銀時の後頭部を掴んで寄せた。もう充分に狭まっている距離だが、正直な態度である事は悪くない。無駄口はもう終わらせて早くしろ、と促す土方の行動は、正に言葉通りの据え膳である。 「てめぇが久し振りって言うのと、俺の『久し振り』も同じだろうが」 「だな。大丈夫、ちゃぁんと察してやるから」 擽ったさにも似た戯れに吐息混じりに答えて、土方の鼻先に軽く歯を立ててから、今度は明確な笑い声を忍ばせている唇に思い切り噛み付いてやった。 * 「お前の匂いは、何つぅか……甘ェ」 布団の中で腹這いになってぐたりと身を伏せていた土方が、不意にそんな事をぽつりと呟くのに、銀時は怪訝に寄せかけた眉を持ち上げた。 「……何の話?」 「てめぇの大好きな匂いの話に決まってんだろ」 「いや待って、だから匂いフェチとかそう言うんじゃないからねアレは。目の前に食うに食えない据え膳があったからそれで」 さらりと言う土方の側頭部を軽く小突けば、彼は迷惑そうに目を眇めてごろりと身体を横に転がした。狭い布団の上で横伏して向かい合う体勢になると、銀時の胸元へと顔を寄せて来る。 「汗臭ェ」 すん、と鼻を鳴らして不機嫌そうにそんな事を言いながらも、土方はその行動を已めようとはしない。いつに無い、懐く様な媚び誘う様なそんな土方の様子に銀時は思わずごくりと喉を鳴らしたものの、伸ばしかかった手は何とか止めた。止まったのは吹けば飛びそうな理性ではあったが。 「いや言っとくけどお前も似た様なもんだからね?つーかさっきまで汗かく様な事してたんだから当たり前だろうがンなもん」 「んー…」 「で、何してんの」 一頻り匂いを嗅いでから離れようとする土方の顔を銀時は捉えた。汗に湿った黒い頭髪を掻き分けて耳朶を擽ってやれば、細くなっていた目元がやわりと弛むのが解る。今にも眠りそうなリラックス状態だが、もう一回ぐらい行けるかな、などと不埒な事を考えながらのそんな問いに、土方は掠れた吐息にも似た声で答える。 「普段は甘ェんだよ。糖分が汗腺から出てんじゃねェかと思う程に」 「やめて怖い。何その化け物。その論で行くとお前はマヨ臭いって事になるよそれ?良いの?」 「………マヨなら別に構わねぇだろ」 「いや構うから。主に俺が構うから。つーか、それも良いかもみたいな面して真面目に考え込むの止めてくんない」 むに、と土方の耳の下の皮膚を摘んで──結構切実に──銀時が口を尖らせて言うと、彼はその手を少し鬱陶しそうに払う仕草をしながらもう一度、 「いつもなら甘ェから、そんな気がしたんだが気の所為だった」 そう独り言の様に繰り返してから、己の二の腕の匂いを嗅いで肩を竦めた。 「煙草臭ェ汗臭ェ、そんな野郎の匂いを無心に嗅いでた馬鹿犬が居たからな、どんな気分なのかと思っただけだ」 まあやっぱり解らねェ。そう付け足すと土方は己の耳元を動き回る銀時の手指に目を細めて、「ん」と小さく喉を鳴らしてみせた。どうやらもう一戦と言う銀時の願望は予期せず叶った事になる。 「……んー、で、甘いと?」 大人しく目蓋を下ろした土方の額に、耳朶にと唇を落としながら、仰向けに転がしたその身にのし掛かりながら銀時がそう、今ひとつの納得し難さをこねくり回しながら訊くと、こくりと頷きが返った。 「ああ。汗臭く無い時のてめェは何だか甘ったるい匂いがしてる。気がする。別にそれは嫌いじゃねェが、嗅いでおっ勃てる気持ちにゃ到底なれそうも無ェわ」 「だからそれはオアズケ期間の長さで駄々漏れた切実なアレ的な感じだっただけだってんだろーが!」 からかい笑う土方に、銀時は怒りだか羞じだか解らない熱で顔を熱くしながらそう怒鳴ると、まだ汗の気配の残る背にゆるゆると伸ばされる腕に促されながらも、負けじと眼下の恋人との交わりに専心した。 仕事の事、真選組の事しか見ない眼差しが銀時ただ一人を映して、熱に潤みながら全身も理性も融かして仕舞うのを見るのが、与えるのが好きだ。普段の土方の事を大事に思い、それこそ犬の様に、らしくもない誠実さ一筋で相対する事が常だからこそか。 首筋に埋めた鼻を鳴らせば、汗と煙草、あらゆる老廃物の混じった体臭がした。生き物らしさはあれど、そう、決して香しくはない筈のその香りを、銀時は確かに好んでいる。 (お前が、生きて、ここに、居る、って実感出来るからに決まってんだろうが。バカヤローが) 今更だが、何だか照れくさくてそんな事をわざわざ面と向かって告げてみたいとも思えない。断じて土方のからかった様なフェティシズムでは無いのだから、きっちりとその誤解を否定しておく為にも言ってみるべきか、と思うが──どの道銀時が土方の存在を体臭と言う原始的な部分にまで欲し執着している事実には変わりないのだ。別段どちらでも構わないか、と少し投げ遣りにそう考えて、銀時は汗に湿って重たくなった天パを掻き上げてから、何となくその掌に鼻を近づけてみる。 だが、当然の様に掌は湿った汗の不快な臭いを漂わせるばかりで、土方の口にした『甘さ』などと言うものは大凡嗅ぎ取れそうも無かった。 (……つぅか、) 寧ろ『甘い』などと感じるのは、銀時自身の体臭などでは当然無く──その相対の、犬の様に素直で大人しい、微睡みにも似た甘ったるさの様なものなのではないかと考えに至り、銀時は眼下で与えられる快楽に身を跳ねさせている土方の姿を、今まで以上に熱の篭もった目でじっと見下ろした。 「甘いの、嫌いじゃねェ、ってたっけ?」 「んッ、ん…?、あ…ぁ、っ」 僅かの間だけ浮かびかかった疑問符は、然し次の瞬間の銀時の不意な律動にあっと言う間に熔けて消える。 「じゃ、これからも存分に味わわせてやっからよ。それこそ、嗅いだだけで辛抱堪んなくなって、おっ勃てちまうぐらい?」 銀時との拙い触れ合いから、甘い優しさから、逃れられなくなるぐらい。 「………は、」 喘ぐ様に口を開いた土方が、笑ったのか、それとも吐息を溢しただけなのかは解らなかった。 ただ、手遅れなのだろうと互いに思った事だけは解って、銀時は土方の背を思い切り抱き寄せた。鼻孔一杯にその存在感を満たして、充足の侭に達すると、土方もまた銀時の存在感で全身を一杯にして恍惚の中に揺蕩っていた。 (俺がお前で一杯なのと同じ様に、お前も、俺の事で一杯になっちまえば良いのに) こんな刹那的な一時、休日のひととき以外にそれは有り得ないのだろうけれど。 それでも。そうだとしても酷い多幸感を得ている己に、銀時は酷い安堵を憶えていた。 それが単なる愚鈍な犬の所業だとしても、喰らい尽くす無粋を犯す心算は無いのだから。 覆そうと望むのは易いけど、しない。そんな仏の銀さん。 否定ではない。 |