──この、攘夷志士白夜叉の首、とれるもんならとってみやがれい──
 
 そう、嗤った男の顔は、今までに見た事のない表情をしていた。
 少なくとも土方の知る限りでは、男はいつも気怠そうな眼差しで、午睡を楽しむ風情で世界を睥睨していた様に思える。
 だが、これはどうだろうか。
 鬼の副長と呼ばれるだけの自覚は己にもある。厳しく激しい気性だけではなく、敵を、死地を前にして嗤えるだけの、『鬼』めいた有り様と言う、言葉通りの意味もそこに含まれているのも知っている。
 だが、これはどうだろうか?
 その『鬼』も霞む様な白い鬼の嗤いが、目に痛烈に焼き付く。
 驚きではない。衝撃でもない。

 (今更何を驚くってんだ?)

 歓喜に程近い、高揚感。
 得心と安堵とに、思わず笑みがこぼれる。
 それは恐らく、鬼の嗤い。
 鬼同士にしか見えない、同種の感情。
 修羅になった者だけが知る、嫌悪さえする程の血の匂いと罪科の味。

 (道理で同じ匂いがすると思った)

 抜きはなった白刃は、鬼退治の刃か。
 或いは、地獄の案内人に対する正当な対価か。
 互いに認め合った、『鬼』が嗤う。
 
 (今更、)
 
 少しの自嘲を滲ませて、『鬼』は嗤う。
 人を殺すことの出来ない、わるい『鬼』が笑う。
 

  鬼斬りの銘は腐爛と慕情



 「報告はこんな所です。で、他に何か必要なものとかありますか?副長」
 山崎の差し出す、クリップで角を留めた報告書を受け取り、土方は不機嫌そうな声を上げた。
 「煙草」
 「それはダメです。医者に止められてるでしょ」
 今まで何度とあった遣り取りの返答は今日もいつもと変わらない。解ってはいても訊かずにはいられないだけだ。
 山崎とて、土方が入院生活のフラストレーションからいつも以上に煙草を欲している事を知ってはいるが、だからと言ってハイどうぞと渡してくれるものでもない。申し訳のなさが出れば八つ当たりになると言う一連の遣り取りにも慣れたからか、返答は自然と淡泊なものになっていく。
 慣れる程の回数は同じ遣り取りを繰り返している。慣れる程の回数を繰り返せる日数、病院に縛り付けられている。
 開け放たれた窓から吹き込む爽やかな秋風に目を細めて、土方は口の端を下げた。
 「寒いですか?」
 「いや」
 窓を閉めようかと、椅子から腰を浮かせかけた山崎を軽く手で制止すると、土方は改めて今手渡されたばかりの報告書に目を落とした。
 本来これも、絶対安静・療養中の真選組副長には必要のないものなのだが、市中で起きた出来事の報告ぐらいは受けておかなければやはり落ち着かないからと、近藤にも無理を言って頼み込んだ。
 落ち着かない、の比重が段々デスクワークと言う実用的な面に傾きつつあるのは、それらの報告を毎日持って来る山崎には半ば結果が見えていた事だった様で、特に言いつけなくとも文箱やら印やらを差し入れ(と言って良いかは甚だ疑問だが)て来た。
 個室とは言え一応は入院患者の居る病室だと言うのに、備え付けのテーブルやら小卓は今ではすっかり仕事場の様相になって仕舞っている。
 足りないものは煙草と刀くらいだ。そしてその何れもが土方にとっては必要不可欠でも、ある。
 気もそぞろに溜息混じりで報告書をめくっていると、「あ」と思い出した様に山崎が声を上げた。
 「そう言えば、旦那、釈放されましたよ」
 山崎はこう見えて人間の感情の機微に聡く、空気を読む男だ。常ならば土方が書類に集中している間は余計な話など挟んで来ないのだが、何処か上の空であった事を見抜いていたのだろうか、澱みかけていた空気を切り替える様にそんな話題を振って来る。
 「あァ、そりゃそうだろ。釈放しろと言っといたのは俺だしな」
 同じ様に、常ならば書類に集中していれば答えなどはまともに返さない土方が応えると、山崎は驚いた様に目を開いた。土方が返答を返した事に対しての驚きでは当然ない。
 「ええ?!……ま、まあ確かにあの侭だと、鉄が責任感じて切腹しかねない感じでしたけど…」
 「鉄(アイツ)の事ァ別に関係ねぇよ」
 あの事件で責任を感じていた鉄之助は、山崎の言う「旦那」こと万事屋の旦那、坂田銀時──或いは白夜叉──の処遇についても随分と気に病んでおり、土方の見舞いに駆けつけるなり必死でその潔白を訴えて来ていた。
 鉄に嘆願される迄もなく、土方は端から銀時を釈放する心算ではあった。ただ、見廻組も居合わせたあの場面で白夜叉を名乗った者を逃がすと言うのは真選組の信用や沽券に関わる事にもなる為、建前として手錠をかけただけの話だ。
 敵の様で味方の様で、どちらでもない立ち位置に立って全てを丸く収めて掬い上げて仕舞う。それが銀時の守る「武士道(ルール)」なのは承知の上だからだ。
 故に土方が白夜叉の釈放を指示した背景に、鉄之助は答えの通りに全く関係はない。暫く不思議そうな、意外そうな顔をしていた山崎の眉がやがて少しだけ寄る。
 「……ついでに、今てめぇが考えてる様な事でもねェからな」
 山崎の表情から下衆の勘繰りの気配が漂い出す前に、土方はぱこんとその後頭部を叩いておいた。いてて、と呻く地味な髪型に向けて呆れの強い溜息を投げる。
 「元より、あの野郎が本物の『白夜叉』だって証拠も無ェんだ。何せ、自称だしな」
 「はあ……」
 曖昧にそう相槌を打ってくる山崎の表情から、言いたい事は雄弁過ぎて読めた。これっぽっちも疑ってない様な表情で何を言うのか、とでも呑み込んだに違いない。
 取り敢えず「そうしておく」のが、あの場に居合わせた真選組にとっての暗黙の了解になりそうである。土方個人ばかりではなく、真選組にとってもあの『自称白夜叉』には借りたくもなかった借りが出来ているのは間違い様がない事実だ。
 「でもあれですよね、良かったんだか悪かったんだか。白夜叉なんて言えば一気に真選組(うち)の株価上がるぐらいの大物ですけど、旦那を処刑台送りにするってのは…流石に気が引けますし」
 山崎もその「真実」に落ち着く事に同意したのか、ちらりと土方の横顔を見上げてそう言うと、椅子から立ち上がる。
 「じゃあ俺はそろそろ帰りますけど、お大事に。何か要望とかありますか?煙草以外で」
 「早く退院させろ」
 「それも無理です。副長、ご自分が重症なの忘れてません?」
 これもまた概ねいつもと余り変わらない遣り取りだ。山崎が「子供じゃないんだから」と言外にしない溜息をついてみせるのに、土方はぶすりと言う。
 「屯所に居たってその内治るだろうが。こんなんただの怪我だ」
 「だから入院して貰ってるんです。これ以上無茶な事はしないで下さいよ。局長や俺含めて、皆心配してるんですからね」
 釘を刺す様な山崎の言い種に、土方はやさぐれた溜息をついてそっぽを向いた。いい加減不貞腐れていても仕方ないのも解っているが、入院生活は退屈やらヤニ不足以上に落ち着かなくていけない。
 佐々木異三郎に斬られた傷は出血の割にそう酷いものでもなかった。神経には到達しておらず致命とは言えない。意識を失ったのは失血に因るブラックアウトの方が主な原因だ。
 寧ろ問題は銃創の方だった。利き腕では無いからと甘んじて受けた傷だが、暫くは熱を持ち土方を辟易とさせたものだ。貫通していたのは不幸中の幸いだったとも言える。
 怪我は動きや命に何れも支障のない部位ばかりで、だからこそ病室で大人しく療養していなければならないと言う現状に至る訳なのだが……、或いはこれも佐々木のイヤガラセだったのではないかと、そんな不健康で無駄な思考までしてみたくなるぐらいに、土方としては現状は限りなく不満だったと言えるだろう。
 「……多分、万事屋の旦那も」
 「あ?」
 ふと差し挟まれた山崎の呟きに、土方は思わず振り返り眉を持ち上げていた。
 「真選組(俺達)じゃないですけど、多分あの人もなんでかんで心配してると思いますよ、副長の事。早く治して今回のお礼くらい言った方が良いんじゃないかと。鉄も随分気にしてましたし。
 そ、それじゃ俺はこれで。明日また来ますね」
 続ける言葉の途中から土方の額に青筋が浮かぶのを見て、山崎はそそくさと逃げる様に病室から駈け出た。遠ざかる足音に遅れて、ばたん、と戸が閉まる。
 「あの野郎……」
 忌々しげな目で閉ざされた扉を暫し見つめていた土方だが、やがて視線を窓際の方へと戻した。肩を竦める。
 「有名人は苦労するな、天下の悪ガキ殿」
 ほんの僅かの苦笑を滲ませた響きが病室の壁に吸い込まれて消える。
 「悪ガキはよせって。悪ガキ警察の副長さんよ」
 否、吸い込まれる前に応えが返る。ごと、と音を立て、土方の横になる寝台の下からのそのそと這い出して来たのは銀時だった。
 狭い所に居た所為で痛むのか、肩を軽く回しながら出て来た銀時は、先程まで山崎の腰掛けていた椅子に勝手に座ると懐をまさぐった。取り出した煙草一箱とライターとを布団の上に「ほい」と置き、財布を開いて中身を検分し始める。
 「滅多に無いお前からの依頼とか、何かと思ったら煙草買って来いたァ、パシリですか俺は」
 「丁度良い所に来たからな。厭なら断りゃ良いだろうが」
 苦笑した侭の土方は、煙草を取り上げると早速一服と洒落込む事にした。
 曰くの『お遣い(パシリ)』から銀時が戻った所でタイミング悪くも山崎が見舞いに訪れた。故に仕方なく土方は煙草没収を回避しようと、煙草──もとい銀時を寝台の下に隠れさせたのだ。そう長い時間ではないとは言え不自由な狭い空間に追いやられた銀時にも不満や愚痴は山とあるだろうが、漸く吸えると思った煙草を目の前で取り上げられた土方にもフラストレーションはあるのだ。この際銀時の愚痴や文句など後にしても問題無い。
 肺に煙を思い切り吸って、吐く。懐かしいニコチンの匂いと味とに、表情が我知らず安らぎに近いものに変わる事を自覚しながら、土方は言う。
 「報酬は釣り銭で良いな」
 「パシリどころかお遣い?!」
 「要らねェなら返せ。何の為に札渡したと思ってんだ」
 「言い方の問題だろ!貰えるもんなら貰います毎度ありがとうございました!」
 土方が久々のニコチン摂取を全身で楽しみながらひらひらと掌を振れば、銀時は釣り銭を探っていた財布を畳み素早く引っ込めた。懐に仕舞い込むと上から腕を組む。
 「まあいいけどよ。それならそうと先に言ってくれりゃあ、売店でジャンプもついでに買って来れたのに」
 「帰りに買や良いだろ」
 他人が見れば上機嫌そうに見えるかも知れない、久し振りのニコチン摂取に穏やかな安堵に似た心地になった土方がそう返すと、銀時は口を尖らせた。
 「病室でボーっとしてたら暇にもなんだろ。だから可及的速やかにジャンプが欲しい所」
 ほー、と適当に相槌を打ってから、「うん?」と土方は首を傾げる。銀時の言葉の脈絡が解らないのは概ねいつもの事だが、今の発言は寧ろ着地点が解らなかった。
 「……………なんで此処に居座って読む気満々?」
 暫く考えてから達した結論に、更に首を傾けて胡乱に問うのに、銀時はさも当然である様に鷹揚な頷きを返した。
 「ひょっとしたらまた副長さんに『お遣い』頼まれるかも知れねーだろ。来たついでに存分に堪能させて貰おうかと」
 で、それまでの暇つぶしにジャンプを読むのが良いと思っていた、と続けて来るのに、土方のゆったりとした心地が一気に醒める。
 「堪能たァなんだ。別に頼まねぇから帰れ。俺ァこれから仕事なんだよ」
 「邪魔する気は無ェっての。居るだけなら別に良いだろ」
 「良くねぇ。集中出来なくなんだろうが」
 食い下がる銀時を横目にちらりと睨みつけ、土方は先程山崎の持って来た報告書を備え付けのテーブルに載せた。文箱から筆記用具を取り出すと、短くなった煙草を殆どカラのコーヒーの缶に押し込む。
 「ほうほう、そんなに銀さんが気になりますか土方くんは」
 「……根性焼きされてーのかテメーは」
 丁度火を新しく点けたばかりの煙草を押しつける仕草を見せれば、わざとらしく「イヤン」と言った感じのポーズを取っていた銀時は無言で後ずさった。一緒に下がった椅子の上で、開いた両足の間に手をつくと背を丸めてかぶりを振る。
 「………じゃ、雨宿りの間だけ頼むわ。置いてくんない?」
 溜息混じりの銀時の言葉に、土方は思わず窓の方を見るが、そこには先程までと何ら変わらない、昼を大分過ぎた秋の青空が拡がっているばかりだ。雨どころか曇る気配すらない。
 「…………いつ止むんだ、その雨」
 「さあ?雨降らしてんの俺じゃないからね。傘も見つからねぇし、濡れて帰んのも嫌だし。もうちょい経ちゃァ、止むんじゃないかとは思うんだけどな」
 「………」
 遠回しな上よく解らない銀時の言い種では、どうも土方が雨模様だと言いたいらしい。それは解るが、肝心の雨とやらの正体が判然としない。
 言い掛かりかも知れない、とは銀時とのそれなり長い付き合いや経験から考えなかった訳ではない。だが、「帰れ」と言うものを断って居座るに足る『雨』なのだと、少し咎める様な口調が告げて来る。
 (いつもコイツのペースにこうやって乗っちまうから、コイツがどんどん付け上がるんじゃねェか…)
 呆れるにも飽いた自嘲がこうして浮かぶ程には、躊躇うだけの理性は、ある。或いは分別か。
 だが、結局のところ。
 「……雨が止んだら帰れよ」
 銀時の玉虫色の言葉やそう告げる理由が気になって、乗って仕舞う。応じて仕舞う。
 (…………〜俺も大概、碌でも無ェ所でお人好しだ)
 恐らくは、それもまた、言い訳。
 (……クソ)
 忌々しげに──何に対してかなど解らないが──呻くと、土方はペンを手に取った。報告書を拡げ、内容に目を通しながら、懸案事項や対策などの指示や予定を別の紙に細々とまとめていく。
 かりかり、とペンが紙を引っ掻く音だけが病室に響いている。そのペンを動かす当事者である土方はともかく、同室している筈の人間は先程までとは打って変わって沈黙を守っている。本当に邪魔をする意図はないのだとは知れるが、土方としては些か落ち着かない。
 ちら、と紙をめくる合間に密かに視線を投げれば、銀時は俯き加減に床に視線を落としてじっと黙りこくっていた。暇だからジャンプが読みたい、などと抜かしていたのは何処へやら、まるで置物の様に動こうとはしない。
 (………黙ってりゃ鎮かでも、一度牙を剥けばとんでもない悪タレの『鬼』だ)
 半ば必然的に思考が、銀時に判明した新たな一面へと向けられて仕舞っている。気付いて土方は密かに拳を固めた。自己嫌悪と言うよりは己に対する批判だ。
 (…………雨、降ってんのって、俺じゃなくてコイツの方なんじゃねェのか)
 「……なあ、土方」
 土方の詮索混じりの視線の先で、俯いていた銀時の頭がのろりと擡げられた。予期せず目が合って仕舞い、苦虫を噛み潰す。呑み込み損ねた。
 「っ、何だよ」
 「そんな熱視線注がれると照れるんだけど。何、銀さんを深く知って惚れ直した?」
 に、と銀時の口角が持ち上がるのを見るが早いか、土方は先程握り固めた拳を振り上げていた。が、距離があったのと姿勢の悪さもあり、銀時の退いた鼻先で拳は空を切って終わる。
 「〜〜ッ、ぐ、」
 同時に刀傷の縫合痕に痛みが走り、土方はその侭身体をくの字に曲げて突っ伏した。嫌な汗が背筋を伝うのに、唇を噛み締めて耐える。
 「お前ね…、そんなだから入院生活長引くんだよ?おーい、大丈夫か」
 「っるせぇ……、誰の所為だこの野郎…」
 呆れた様な溜息と共に銀時の手が丸まった土方の背を撫でてくる。宥める様なその動きに振り解きたくなるのを必死で堪えて、ゆっくりと呼吸を整えていく。
 (……本当に、誰の所為だと思ってやがる)
 飛び出しかけた呟きは奥歯を噛み締めながら砕いた。呑み込みはしない。吐き捨てたいくらいだ。
 真剣に考えかけていた所に、からかう様な言動を不意打ち気味に投げられたから、だけではない。
 その言葉の中に銀時が隠しもせずに潜ませた、土方が思わず詮索めいて銀時の『事』を見ていた理由があったからだ。
 まるで見透かされたかの様に。
 だから逆上した、と言うよりは、それ以上を言わせたくなかった。
 元あった姿に戻らないそれに苛立ちを感じることはない。何故ならば土方が知ったのは、元あった何かを失った後の銀時の姿と、その性質だけだったからだ。
 見えざる空隙に手を差し入れる心算など端から無かった。彼の過ごしている今の、間隙のひとつひとつに、多分自分達は収まっている。望まぬうちに、気付かぬうちに、坂田銀時の世界に棲んでいた。
 知らされたのは、その空隙に元から棲んでいた『鬼』の存在。
 (今更、何を驚くって言う?)
 鬼の嗤いは傲慢。鬼の涙は高慢。だから今更、掛ける言葉も無ければ、欠けるものもない。
 知りたくはない、『鬼』をそうやって拒絶したのは、銀時の裡の『鬼』に食われる想像があったからだ。
 午睡の様に穏やかであやふやな、真選組の他にちいさく胸に灯った万事屋と言う存在を、斬り棄てる日がきっと来るからだ。
 土方は、真選組以外の存在を認める己を最も間違っていると信じていた。だから銀時を見据える目には絶対の正しさしか無かった。己が間違っているのだと言う、正解しかなかった。
 だから受け入れず、ただ捨て置いて、端からそこには否定しかなかった。
 「土方」
 降って来た言葉に目を開く。どうやら知らぬ間に力を込め過ぎて閉じていたらしい。
 背をさすっていた銀時の腕は土方の両肩にあった。丸まっていたのを起こす様に、「よいしょ」と押されて上体が起き上がる。
 「おい…、」
 刀傷はもう痛まなかったが、肩の銃創に程近い位置にある銀時の手に抗議を上げようと土方は口を開きかけ、然し止まった。
 椅子から腰を浮かせて、程近い距離にあった銀時の表情は、伺う様な、怒れない様な、躊躇いを踏み越えようとする様な、ある種の切実さを持って、じっと土方を見ていた。
 起き上がった上体をその侭押され、枕の上に後頭部が沈む。茫然と天井を向いた土方の視界に、表情は変わらない侭の銀時の姿が入り込んでいる。
 圧し掛かられはしなかったが、逃がす心算はないとでも言うのか、寝台へと身を乗り出した銀時に押し倒されている様な状態になっている事に漸く気付き、常から比べれば随分と遅れて、土方は声を上げた。
 「てめ、何して」
 「確かに俺には、誤魔化す事は出来る。それは恐らくお前の用意した逃げ道なんだと解ってもいんだよ。──でもな、それはつまり、お前は『そう』と認めたって事だよな?」
 上げかけた抗議が、再びあの『切実』な銀時の表情に遮られる。その口が紡ぐ声色も何処か、切実な色を帯びている事に気付き、土方は狼狽した。
 「何の話、」
 「だから」
 そう返しながらも半ば解っていた。だからこそそれを遮りたい土方の胸中を切開する様に、銀時は声を少し荒らげた。続ける。
 「なんで『俺』を釈放したんだ?」
 「──」
 「証拠が無ェだの鉄(ガキ)に嘆願されただの……、テメーらしく無ェぜ?『鬼』の副長」
 組み敷いた者より余程鬼めいた顔が、わらう。
 頂点より傾いたぬるい日差しが照らし出している顔の半分で、三日月の様な笑みが踊っている。
 土方はそれに応える様に目を眇め、それから逸らした。
 知りたくもなかった『鬼』が、何故、こんなにも『切実』な顔をしてわらうのか。
 ひょっとしたら始めからこの『鬼』は、真選組が斬るべき敵ではなく、ただ大層な名前だけを与えられた悪ガキだったのではないか。
 (見舞いなんて来やがるし、頼めば煙草買って来るし、ジャンプは読むし……、何かに追い立てられる様にこんな面しやがるし)
 『鬼』が牙を剥いた途端、ほんとうの『鬼』になるのだとしたら。それは、見方を変えた自分が、彼を『鬼』にして仕舞うだけの事なのかも知れない。
 茨に巣食う鬼子などと呼ばれ、益々忌み嫌われる様になった土方を、ずっと案じてくれていた兄、為五郎を思い出す。目の見えない人だからこそなのか、ただの信頼だったのか、それともどちらも正解なのか。兄は土方が何も変わらずに居た事を理解してくれていた。
 (…………そんな俺が、今更何を驚くって言うんだ?なァ、)
 あの時の痛手を負った自分は、今の銀時と同じ様な表情をしていたのかも知れないと思う。
 澱が肚の底から溢れて行く。その苦痛と重さとに、土方は眼前の『鬼』から逸らした侭の意識だけをそっと戻した。
 (今更、)
 「……俺ァ、今のてめェ程、らしく無いなんて言葉ァ似合わねーよ」
 あからさまな皮肉に、銀時からは何の言葉も行動も返っては来ない。だからその侭土方は続けた。
 「それに、眠った鬼の首まで獲らなきゃなんねぇ程暇でも餓えても無ぇ」
 溜息に似た、吐き出した呼気と共に視線を戻せば、ほんの少しの困惑を滲ませた万事屋の笑みがある。
 『鬼』を裡に眠らせた分何かを欠かし、だがその欠けた部分に人間であることの希求を埋め込んだ、気怠い眼差しの侍が居る。
 ただそれだけの、万事屋が居る。
 「ま、てめーが俺達に斬りかかって来るってんなら、いつでもしょっ引いてやるよ、悪ガキ」
 つと伸ばした手を、くるくると跳ねた銀色の頭に置いて笑い返せば、銀時はそんな土方の手を止める様に、掴んだてのひらを合わせて来る。
 「やっぱらしくねーわ、お前。天気雨だよ嫁入りだよコレ」
 「…いきなり喧嘩売るたァ、上等だこの野郎」
 「違うよ違う、褒め言葉だからね一応」
 くつくつと笑うと手は握った侭銀時は身を退いた。少し近づけた椅子に戻るのを待って、土方ものろのろと上体を起こす。重なった手にはずっと握っていようと言う様な力は無かったが、何となくその侭にしておいた。
 (不安で堪らなかったのは、どっちだよ)
 知らぬ間に降り続いていた雨が止む。雨宿りもせず濡れながら土方を待っていた銀時の上に降っていた雨も止む。
 そうして二人の『鬼』は、わらい合う。




白夜叉を知る事は銀土的にもでっかいターニングポイントだと思うんです。現役でないとは言え、知ったら「万事屋」が「攘夷浪士」になっちゃうから、お互い扱いに困る気がしていて、やっぱりこれはタブーだろとか言ってたらバラガキ篇でバレたけど何事も無さそうで公式最大手(まだ言う)。
うちの土方くんは知るの拒否りまくってたんでてのひら返してアレですが…、お互い鬼っ子的な共通点やら救い方の違いやら諦めざるを得なかったものの多さやら…、てのひら返させたくなる程公式最大手でもえたんでご勘弁。

武器は心で爛れた悦楽の刃。