パテントスチルの双塔



 最初にその違和感を感じたのは果たしていつのことだったか。
 (……あ。)
 適度にスったパチンコ店から出て来て後ろ頭を所在無く掻いた所で、通りの向こうを黒い制服が往くのが目に飛び込んで来る。
 今までは公僕の制服など雑踏に混じっていても気に留めなかった。それどころか、その黒服が真選組と言う組織の制服である事すら興味の対象外だった。
 然し今は違う。気付けばあの装束を、佩刀した侍の姿を、短い黒髪を、立ち上る紫煙を、整った横顔を、無意識に探している自分がいる。
 その事実は銀時に少なからずの驚きと衝撃とを与えた。別に警察から逃げ回らねばならない立場ではないが、万事屋と言う危なっかしい職の身からすれば公僕など、極力関わりたくはない人種だった筈だ。
 否、それ以前にあの、似た者同士故にか気も趣味も考えも話も全く合わない、己とそう年頃も離れていないだろう男になど、相手が警察で無かったとしても好んで関わりなどしたくはなかった。
 警邏中なのか、若い隊士を連れ急いでいる風情でもなく歩く姿が遠く離れるまでを茫っと見送っていた己に気付き、銀時は顔を顰めた。
 通りを隔てているのだから当然だが、こちらに気付く気配などまるで無かった。
 「……別に、気付かれたからって何だってんだよ??アイツと花咲く話なんざねーし、言わなきゃなんねー事も別にねェし。寧ろ気付かれなくて良かったなーって場面だろ此処は」
 顔を突き合わせればなんだかんだ不愉快な遣り取りが展開されるのは、今までの経験から省みても必定である。
 だ、と言うのに何故。
 「…………おいおい。どうなってやがんだよこりゃァ」
 己の内側へと解答を検索すればするだけ、そこに、寂しいとか張り合いが無いとかがっかりしたとかつまらないとか、負の感情しか見当たらない事に気付き、狼狽えた銀時は頭を抱えてその場に座り込んだ。道行く人々が不思議そうな視線を投げて来るが、そんな事は気にならないぐらいに困惑していた。
 これが、ついぞ一週間ばかり前のこと。
 
 *

 「ツイてねーとか言うレベルじゃないよ?コレ。なんかした?俺なんかしましたかーカミサマホトケサマー」
 万事屋の玄関先。ブーツを必死で履こうとしていた手を止め、天井を仰いで銀時は絶叫した。
 天井からは当然応えなど返りはしない為、数秒後にはかくん、と頭ごと背中を丸めて項垂れる。今更急いでも仕方ない、と、忌々しい思いと遠い諦めの感情とを視線に込め、ブーツの爪先に向けて溜息をつく。
 いつもだったら、煩い、だの、どうしたんですか、だの、背中から声が飛んで来てもおかしくない状況なのだが、生憎今日の万事屋には銀時以外誰もいない。より正確に言うのであれば、下のスナックお登勢にも誰もいない。
 新八の実家である恒道館道場で、福引きだかなんだかで当てた牛肉を使って盛大に焼肉パーティをやるとの事で、皆出て仕舞っているからである。銀時ひとりを除いて。
 無論、焼肉パーティ自体には銀時も誘われているし、当然の如く食い散らかす意気は満々だった。のだが、出掛ける寸前に運悪くも仕事の電話が入った。
 依頼人が切羽詰まった事情持ちだった事もあり、銀時はその依頼を請け負う事にした。
 焼肉楽しみにしてたのに、と頬を膨らませる神楽の頭に手を乗せ、簡単な荷物運びだから俺一人でやっとくと銀時は言い、神楽も「銀ちゃんがいないと肉の味もちょびっと美味しくなくなるアル」と珍しくも殊勝に言って来たのだが、請け負った依頼は依頼だ。銀時は、仕事が終わったら直ぐ行くから、と言って皆を送り出したのだった。
 これがおよそ一時間前の出来事。
 そして今、「本日休業」の張り紙の貼られたスナックの真上の、万事屋の玄関で銀時は盛大に溜息をついていた。履いたブーツの具合を確かめ、のろのろと表に出る。
 傾きかけた夕陽が優しげな笑顔を向けて来るのにさえ、本当は今頃焼肉を食べていた筈なのに、と際限のない溜息をぽろぽろと溢さずにはいられない。今の銀時にはポジティブなもの、明るいもの全てが眩しすぎた。
 数分前、先頃の依頼人から電話が入った。曰く、ただの電話番号間違いだったと言う謝罪の旨であった。最初の電話での依頼は飛脚にかける心算が、電話帳を読み違えただけだったらしい。よろずや飛脚便、という社名に銀時は一頻り悪態をついて、そして玄関で溜息をつくに至る。
 依頼がご破算になったのであれば今からでも焼肉パーティに向かう所なのだが、以前の鍋の集まりの悲劇を思い出して見れば、今回も敵地に潜むのは恐怖の鍋レオン達だ。更に鍋将軍指数が未知数のお妙と言う魔王も居る。鍋ではないが、食料を奪い合うと言う点では大差無いだろう。そんな餓えた猛獣の檻にあって一時間も遅れを取った今、肉が無事でいるとは到底思えない。
 神楽も殊勝な事を言ってはいたが、いざ焼肉を前にすれば銀時の事など忘れて食い散らかす事は目に見えて明かである。
 ただでさえ、仕事だから、と言っておいて、今更「間違いでしたァ☆」と急ぎ足で駆けつけるのも恥ずかしい所に持って来て、いざ鎌倉と馳せ参じた所で、もう薄切りの野菜くらいしか残っていない可能性が高いのだ。タイミングと運の悪さに、カミサマやホトケサマに絶叫したくもなる。
 謝罪の電話を受けてから玄関までは猛然と走ったが、冷静になれば既に焼肉パーティなど不戦敗だろうと気付かされた銀時は開け放しの戸口と玄関との間をうろうろと歩いた。
 「しゃーねぇ……肉も野菜も死滅するまで時間潰してから、新八ん家に電話でも入れるか……その方が未練も後腐れも無ェだろ…」
 猶も溜息混じりに後ろ頭をぼりぼりと掻いて、くるりと身を翻しかけた銀時はそこでふと足を止めた。何やら眼下の通りが騒がしい。
 「待てえええ!」
 「いい加減観念しろ!」
 近付いて来る、雑踏とは違う声達に気付き、銀時は二階の手摺りから身を乗り出して目を細める。
 動きの少ない道を、人を掻き分け走る者達。真選組の隊士たちが、素性の如何にも怪しい浪士たちと追いかけっこをしながら近付いてきていた。どうやら何かの捕り物らしい。
 少し考え、銀時は玄関に置いてあった少年ジャンプの束を手に取った。雑誌類をまとめてゴミに出しに行ったら、今日は資源ゴミではないと追い返されたので、仕方なく玄関先に置いておいたものだ。
 そのジャンプ数冊の束をよっこらせ、と持ち上げ、眼下を駆け抜けていく浪士たち目掛けて、ぽいと無造作に落とす。
 ぼす、と痛そうな音を立て、ジャンプが足下にヒットした浪士が躓いて倒れた。後ろを走っていた仲間も巻き込まれて倒れ、そこに真選組隊士たちが飛びついて抑え込む。確保成功。
 隊士たちの後から小走りに駈けてきた土方が、その様を見て歩調を緩めると指に煙草を挟んでこちらを見上げて来るのに、銀時は「よ」と片手を上げた。
 土方は、くわえ直した煙草の煙を吐き出すことでそれに応える様な仕草を見せると、隊士たちに捕縛した浪士の処遇の指示をてきぱきと出し、隊士らが行動を起こし始め野次馬たちが散って行くのを待ってから、確保の功労者となったジャンプの束をぶら下げてゆっくりと万事屋の階段を上って来た。
 手摺りに背中向きに軽く体重を預けた銀時がもう一度「よ」と片手を上げてそれを迎えると、土方はやれやれといった様子で億劫そうに手を一瞬だけ上げた。万事屋の玄関前で立ち止まるとそこにジャンプを放り出し、相変わらず瞳孔が開き気味の眼差しを不審そうに向けて来る。
 「どう言う風の吹き回しだ」
 「開口一番それは無いんじゃないの。一般市民の、犯人逮捕の協力に感謝とかお礼とかねェの?」
 別に本当に礼が欲しかった訳ではないが、土方の言い種が余りに不可解そうだったので、ついぞ銀時もやさぐれた感情を持て余しながら強く返して仕舞う。いつもこうだから下らない喧嘩と不快な思いをするのだと解っていても、なかなか治るものでもない様だ。
 だが、銀時の『今までの経験』から来るその推測は今回は外れだったらしい。土方は反論も特にせずに顔を暫し顰めていたが、やがて両手で己の両耳を塞いだ。目を閉じる。
 「善良な市民のご協力に感謝しまーす」
 「……オイ、そこまで俺に礼とか言いたくねーワケ?俺心を鬼にして大事なジャンプを投げたんだよ?手塩に掛けて育てた娘を嫁にやる様な一大決心だったんだよ?もうちょっとなんかこうさあ、労ってくれたりするべきじゃねぇ?誠意って何かなー土方くんン?」
 土方の見事な棒読みに思わず銀時の額に青筋が浮かんだ。こちらの顔を見ず、声も聞かず挙げ句棒読みとは一体どういう了見なのか。
 銀時の言い分を受け、己の耳から手を離したばかりの姿勢で、土方の表情が思い切り顰められた。
 珍しくも、完全に銀時が喧嘩を売った形だ。いつもならば銀時の言い種に土方も声を荒らげ始め、やがては埒もない様な言い合いになる所だと言うのに、ただむすっとしてはいるものの、尤もだと言う自覚があるのか言い返そうとはしてこない。
 やがて、溜息と共に土方は口を開いた。
 「……わぁったよ。で、何だよ、飯でも奢りゃいいのか」
 「え」
 反論どころか思いもかけない土方の返しに、銀時の背筋がぴしりと音を立てた。背筋を正した、と言うより、寒気が走った、にニュアンスとしては近い。
 目を点にした銀時に、土方が挑む様な睨む様な視線を寄越して来る。誰何の筈だと言うのに喧嘩を買う一歩手前にしか見えない。
 「礼を寄越せとか抜かしやがっただろうが。……違うのか?」
 「あ、いや…、奢って貰えんならなんでも…、………………マジで??」
 「丁度、逃走犯の逮捕も出来た事だしな。これで今日は上がりだ」
 些か遠回しではあったが、紛れもない肯定の色をした返答を煙と共に吐いて寄越した土方を、銀時はまじまじと見つめて仕舞う。
 「?何だよ」
 目つき悪し。仏頂面はデフォルト搭載。瞳孔は概ね開いている。畏まる事も出来るが日頃の口は悪い。これらのマイナスに対しても、結構な男前と言う点は相殺出来るプラス点であるのだから、銀時としては驚きである。
 (とは言え、基本チンピラ警察24時。立てばチンピラ、座れば警察っぽくないチンピラ、歩く姿はまるきりチンピラ)
 うっかり口にでもしようものなら間違いなく叩き斬られる事請け合いな評価を脳内でぼやきつつ、銀時は胡乱げにこちらを睨──もとい見返して来ている土方の額にぽんと手を当てた。
 「…………何してやがんだよてめェは」
 「熱でもあるんじゃないかと……無いな。何かヘンな物食ったとか?今日四月一日でもねーし……それとも俺の耳がおかしくなったのか?余りに優しさに餓えて幻聴でも聞こえてるとか」
 「さて、屯所に帰るか」
 「待て待て待て待てってば!!悪気はねェんだよ、今日は人情とか肉とかになんか餓えちまってて!そんな中滅多にどころか千年に一度くらいあるのかも知れないなーみたいな野郎の思いがけない申し出だったからついね、何かあるんじゃないかナーとか思って!」
 踵を返した土方の襟首を慌てて掴んで叫び散らす銀時に、一応は掴まれた事で足を止めた土方がぎろりと目を光らせ振り返って来る。
 「フォローになってねェよ!何なんださっきから失礼な事ばっか抜かしやがって」
 「ホラあれだよ、ギャップルール的な何か。傷ついた心には人の、しかも珍しい人の何気ない優しさが倍以上染み渡るって本当なんだな」
 「てめぇの何が傷ついてるってんだよ、毛ガニみてーな神経の癖に」
 「アレ?そこ普通は心臓とかじゃねぇ?……まぁ良いだろ、聞くも語るも全米が泣きそうな事があったんだよ、それ追々語ってやるから飯屋でも行くか」
 この侭埒もない言い合いをしていた所で仕様がない。掴んでいた襟首をぱっと離し、その代わりに土方の両肩をがっしと背中から掴んで押し出す様にして銀時が歩き出すと、不機嫌顔の土方はそれを振り解いた。襟元を正しながら言う。
 「テメーの話はどうでも良いが、端から飯屋には行く心算だったんだよ。そのついでに奢るくれェ良いかとかうっかり思っただけだ。何が楽しくてテメーに情け掛けてやらなきゃなんねェんだよ俺が」
 土方は「うんざりだ」と言う態度をあからさまに言葉にも顔にも出していたが、銀時は寧ろ驚愕を隠せずにいた。震える指先を土方へと突きつける。
 「おま、それ、ツンデr…」
 「そぉかあ、そんッなに斬り殺されてェのか」
 間髪入れず鯉口を切りながら凄まれ、銀時は大人しく両手を挙げた。

 *

 その違和感に気付いたのは果たしていつのことだったか。
 池田屋で桂の企みに巻き込まれ、刀を打ち合わせたのが、始まり。
 この時点では、警官と言うよりも思考がチンピラ侍と同等の奴、程度の認識だったように思う。
 だが、幾つかの出来事を経て行く内、気が付けば真選組と言う連中は全くの他人と言う訳でも無くなっていた。飲み屋で出会う名前も知らない友人らの様に、多少なりとも銀時の裡へとそれは入り込んでいた。
 同時に、興味も抱いた。真選組、と言うよりも、土方十四郎という個人に。彼が何故真選組と言う存在に心血を注いでいるのか、自ら選んだ生き様──刀に乗せる魂の正体は何なのか。
 それは他人を知る、と言う過程そのものだった。顔を何度か付き合わせ、益体もない会話や撞着の果てに、相手の輪郭を少しづつ知る。
 そうする内に生まれたものは、道を往くのを見る度目で追って仕舞う様な、興味由来のものだったのか。
 或いはもう少し別種のものだったのか。
 解らない、と言うより、抱いた疑問に面と向き合う気が起きなかった、と言った方が恐らく正しい。
 いちいち、降って湧いた様な負の感情を見送る事には、意味も生産性も無かった。
 それに対して、単独で思考する以上、停止に至るのがある意味当然なのだ、と気付くには、もう少しの時間が要った。


 定食屋を選ぼうとした土方を「デザートがないから」と説得し、適当なファミレスに男二人連れ立って入る。そんな夕暮れ時。
 店はLの字型をしており、その角にある入り口から店内に入ると、土方のくわえた煙草に因って店内の一番奥詰まりの喫煙席へと通された。まだ仕事帰りの人間が立ち寄るには少々早い時刻だからか、埋まった幾つかの席は学生や主婦の姿しかなく、当然彼らは喫煙席とは逆方面にある禁煙席にいる。
 つまり喫煙席の、しかも最も奥の席とくれば、見事に周囲には他に誰も居なかった。卓上に呼び鈴が設置されていなければ店員を呼ぶにも困っただろう隔離地帯だ。余程煙害の酷い客であると判断されたのだろうか。
 「ご注文はお決まりでしょうか?」
 警察と浪人風の男の二人連れ、と言う奇妙な絵面にも動じない、店員の女の子の営業スマイルが眩しい。立てたメニューを凝視する銀時と異なり、メニューを軽く一瞥しただけの土方が先に口を開いた。
 「カツ丼。単品で」
 「あ、俺も同じのを。それと、ミックスベリーパフェ一つと、白玉クリームあんみつと、チョコバナナパンケーキ。あとドリンクバー一つね」
 「はい。ご注文を確認します──」
 終始笑顔で、注文を復唱すると店員は心なし早足で戻っていった。その姿が見えなくなるなり、ソファーにどすんと背中を預け、土方はげっそりと口を曲げる。
 「人の奢りだと思ってテメェ…どんだけ食う心算だよ」
 「いやね、本当は今頃酒池肉林だったワケよ。肉食い放題とか一年に一度あるか無いかの奇跡だってのにさぁ……。なあコレ電話帳作ってる会社訴えたら勝てねェかな?お宅の紛らわしい表記が一人の人間を不幸にしたんですよ!ってな具合に」
 「知らねぇよ。少なくとも酒池肉林の意味が間違ってるって事以外は解らねェしどうでも良い」
 はあ、と吐き出した煙が天井で緩やかに回る空調に吸われ立ち昇って行く。「つーか」煙を目でなんとなく追っていた銀時だったが、繋げる調子の土方の声に引かれて戻る。
 土方は先程から余り変わらず不機嫌と言った風情ではあったが、その原因が少し角度を変えている様に見えた。
 先程までは、付き合わされ奢らされる羽目になった事について、不満や気に食わなさが前面に出ていたのだが、
 「あんだけ好物注文しといて不幸はねぇだろうがよ。ったく…」
 今は、それで不幸たァどういう了見だ、と言う具合に。付き合わされた事よりも、その内容について何か思う所があるかの様な。
 (て言うか……今そう言った、よな??)
 「えー……っと…、」
 別に土方に睨まれている訳ではない。寧ろ彼は何処か不満そうな風情で窓の外に視線を投げている。
 だ、と言うのに銀時の背中には冷や汗が伝わっていた。蛇に睨まれた蛙の様に、焦りに満たされ思考がぐるぐると空回りを繰り返す。いつもの上手い適当な言い訳やら反論も出て来ない。
 「っど…、ドリンクバー取って来るわ俺!」
 わたわたと立ち上がる銀時を、土方の不審そうな眼差しが追い掛けて来る。背中を向けてそれを振り払い、銀時は先程の店員よりも余程早足で、店の入り口近くにあるドリンクバーへと向かった。
 (おい、おい、おい……おいィィィィ…!?)
 動揺は自分ではっきり解る。思わず顔の下半分を押さえ、銀時は頭を抱えたくなるのを堪えた。
 (落ち着け銀時ィ!奴ァ多分俺が思う様な深い事とか考えちゃいめェ。気ィ遣ってやってんのに不幸とか言われたから不満顔になったとか、そんな事はナイナイ、偶然!偶然だろ!?)
 そもそもアイツは不機嫌そうなのがデフォルトだし、と思い直しながら、ちら、と銀時は器を探す振りをして席を振り返ってみた。土方は窓辺に肘をついて雑踏へと物憂げな視線を投げている。
 ……それは決して、向かいの席がひとときとは言え空いたから、不貞腐れている訳では断じて、断じて無い、のだが。
 (……ナニこれ何俺どうしたんだよ…、何でいつの間にかアイツの行動や言動に一喜一憂してる訳??)
 カップを手に取り項垂れ凝固している銀時の姿に、ドリンクバーの利用客たちがそそくさと離れていく。その事には気付いていたが、今の銀時にとってはそんなことよりも眼前にぶら下がった難題の方が重要だった。
 (恋?……いやいやそんな青春真っ盛りの学生みたいな…〜うん、ナイナイ。違うな)
 気にしたり、深読みをしてみたり、好意的に解釈をしてみたり、頭を真っ白にしてみたりと、銀時は色々思考を試してみるのだが、突如降って湧いた『これ』はどうにもそういう単純な解答を持つものではないらしい。
 何せ考えれば考えるだけ普通に腹立たしい。以前ほどあからさまに「気にくわない奴」と言う印象は受けなくなったとは言え、それはどちらかと言えば慣れに近いものだ。決して盲目の恋フィルターを通して見て、全てが好意的に見えてくると言うアレではない。
 困惑を抱えた侭、銀時は白いカップにコーヒーを用意し終えた。よく解らない緊張に似た感覚を足の裏に引き摺りながら席へと戻り、持ち帰って来た飲み物を土方の前に差し出す。
 「ホラよ」
 「?何だよコレは」
 「コーヒーだよ、見りゃ解んだろ」
 向かい席に戻った銀時と、目の前で湯気を立てるカップとに、土方は不審そうな表情を向けて来る。
 「オイ、一人前のドリンクバーで二人分飲んで行くとか、そう言うみみっちい事はしねぇぞ俺ァ」
 「違ェェェ!万事屋(うち)の連中ならしょっちゅうやるけどコレは違ェから!」
 二人か一人分のドリンクバーを注文し、怒られない程度に三人でローテーションを回す事など万事屋的には慣れっこである。そも、実入りの良かった時でも無い限り、三人だけで連れ立ってファミレスなどに食事にさえ来ないのだが。
 何れにせよ余り胸を張ってやることでも言う事でもない。土方もそう思っているのか呆れた表情を隠さず口角を下げた。煙草の灰がぽろりと灰皿に落ちる。無機物の癖にまるで同意している様だ。
 「……普段はやってんのか……。まあいい、じゃあ何だよコレは」
 「端からドリンクバーはオメーの分として注文してたんだよ。カツ丼一つとか、間ァ保たねぇ事山の如しだろうが」
 言いながら、ずい、ともう一度コーヒーの注がれたカップを土方の前へと更に押し出す。「俺ァ長居する気なんざないんだがな…」そう、返る溜息は全力でスルー。
 「……ま、どうせ俺が金払うんだしな」
 有り難く頂戴する、と言って、土方はカップを持ち上げた。口をつけて、傾け──
 「?!!!!!!」
 た、瞬間、声にならない悲鳴を上げて、ぶふうううう、とコーヒーを噴き出す。
 「オイオイ何やってんのお前!?」
 カップをソーサーにではなく卓へがしゃんと叩き置いて、土方は突っ伏して激しく噎せ返っていた。喉をさすりながらげほごほと咳き込む姿に、遠くの店員が何事だろうと言う迷惑顔でこちらを伺っている。
 「さてはマヨか?!マヨ入れなかったのが問題なのかァァ?!」
 「て、てめ、」
 店員に、ナンデモナイデス、と言うジェスチャーをしつつ、銀時は狼狽しつつも土方の背中をさすってやりながら、思いついた可能性を言ってみるのだが、返って来たのは地獄の底から這い出して来た様な形相と怨嗟のこもっていそうな声音。
 「っなんだ、この…、この甘っクソ不味さはァァ!!」
 「甘クソ不味いって何その新ジャンル」
 そもそも銀時的な価値観としては、甘いと不味いは共存するものではない。思わず冷静にツッコむ銀時に、体を起こした土方は血走った目でカップを傾けて見せてきた。
 「ロールシャッハ?死神のシルエットとか出た?」
 「違ェェ!!てめ、何だこの砂糖は!?分離したドレッシングみてーに沈殿してんじゃねーか!違う意味で死神が見えたわ!」
 「あ」
 土方はどうせブラック嗜好だろうと思いミルクは入れなかったのだが、ついぞ癖で砂糖は山盛りに入れて仕舞った、と、漸く気付いた銀時はぽんと手を打つ。しかも砂糖を入れている最中は考え事に夢中だったのだ。上の空でどれだけ入れたかは定かではないが、ともあれ土方的には到底許容出来る分量ではなかったらしい。
 「つい癖で」
 「癖でこんな殺人的な分量入れる奴が居るかァァ!てめェ、殺人未遂でしょっぴくぞコラァ!」
 「俺にとっては普通の量なんだよ!ミルク入れなかっただけ有り難ェとか思えねェのか!」
 「押しつけた挙げ句なんだその言い種腹立つ!」
 余程気にいらなかったのか、お冷やを一気飲みし、それでもまだ喉をさすりつつ、土方。
 「こんな、ご先祖様が川向こうで手ェ振っちまう様なもん飲める訳ねぇだろ!」
 「あ、オイどうすんのそれ」
 カップを持って立ち上がった土方だが、銀時に上着の裾を掴まれて止まった。青筋を浮かべ瞳孔を思い切り開かせた目つきで、ぎろりと音がしそうな睨み方をしてくる。
 「棄てるに決まってんだろうが!糖尿病になる所の騒ぎじゃねェ、バイオハザードでしかねぇよこんなん。毒物のレベルだ」
 「オイオイ、砂糖様に謝れよ勿体無ェ!つーかそんなら俺が飲む」
 「あっオイ」
 土方の手からカップを素早く奪い取ると、銀時は中身を一気に干した。砂糖のじゃりじゃりとした感触が喉を落ちて行く。どうせならちゃんと混ぜて飲みたかった、と思いつつ、「ごっそさん」言ってカップを土方へと返す。
 「……」
 吐きそうな、妙な表情で銀時を暫し見下ろしていた土方だが、やがて踵を返しドリンクバーコーナーの方へと歩いて行く。
 (……つーか、これって)
 そこで気付き、銀時はなんとなく己の手を見下ろした。掴んだ隊服の布地の感触に、カップの温度。まだ残るそれらに、ではなく、もっと別の事実に茫然と。
 (おいィィ俺ェェェェ?!!間接キスとか言って意識しちゃうとか俺ドコの小学生ェェ?!)
 気を逸らす役にも立たない、てのひらに残る感触たちごと拳を握り固め、銀時はばたりとテーブルに突っ伏した。
 (縦笛とか別に舐めねェよ俺!つかアイツと間接キスとか言って、何だよその感動の欠片も無ェドッキリイベントは!!〜いやいやいやだからなんでドッキリしてんの俺ェェ!)
 頭を抱える。どうやら本当に何かがおかしいぞ、と銀時は念仏の様に疑問を唱えるのだが、考えれば考えるだけ深みに嵌っていく気さえして来て、益々混乱するばかりだ。
 「何テーブルと一体化してんだよ邪魔くせぇ」
 「なあ、何か俺ごっさ気持ちワリーんだけど!なぁ俺気持ち悪くない?悪くない?!」
 戻って来た土方に思わずそう訴えれば、向かい席に座った彼は早速、持ち帰って来たカップの中身──今度はミルクも砂糖も入れていないブラックのコーヒーだろう──を軽く煽ると肩を竦めてみせた。真顔で。
 「別に今に始まった事でも無ぇたァ思うが、自覚症状があるだけマシだった様だな。て訳で答えは"気持ち悪い"」
 「フォローになってねェェ!てかフォローする気すら無かっただろフォロ方の癖に!」
 「〜っな、」
 「お待たせしました。ご注文のお品です」
 ウェイトレスの笑顔の闖入に、何かを反論し掛けた土方は然し口を噤んだ。誤魔化す様にコーヒーをもう一口。銀時も思わず浮かせかけた腰を下ろし、黙ってテーブルに並べられていくカツ丼二つとパンケーキを見つめる。
 「残りのお品はデザートですが、いつお持ち致しましょうか?」
 「あ、一緒で良いです」
 「…畏まりました。もう少々お待ち下さい」
 アイス系は溶けるだろ、と言いたげな胸中は笑顔に隠され覗き見えない。感心出来る接客態度である。ぺこりと頭を下げてウェイトレスが立ち去ってから、銀時はテーブルに肘をついて大きく溜息をついた。
 「……ちなみに、ランク付けるとか喩えとかしたらどの位の気持ち悪さだ?」
 懐から取り出したマヨネーズを早速、熱々のカツ丼の上にぐるりと盛って行く土方の手つきから微妙に目を逸らしつつ銀時がそう問えば、返るのは暫しの沈黙。
 考えていたから、ではなく、マヨネーズ山を拵えるのに夢中だったらしい土方は、その作業を終えてマヨネーズに蓋をした所で漸く口を開いた。
 「モテモテの近藤さん。博愛主義な総悟。華やかな山崎。メガネの無いメガネ。始終敬語のチャイナ。ロン毛の原田、」
 「待ってやっぱストップ、心が折れる」
 「テメーで喩えろって言ったんだろーが。つぅか、要するに、だ」
 そこで一旦言葉を切ると割り箸を器用にくわえて割り、土方はげっそり肩を落とした銀時の顔を真顔で見つめて来る。視線には容赦ないほどあからさまな溜息や不審さを込めて。
 「らしくねぇって事だ。テメーが気持ちワリーって言うのが、今日は『らしくない』様子だからだ」
 そう、視線に込めた意図の割には素っ気なく言うと、土方は薄黄色の山を乗せた丼を持ち上げた。早食いなのは職業柄なのか、相変わらずの驚異的な速度で件の、健康に悪そうな山が咀嚼音と共に消えて行く。
 「土方くん…」
 「あ?」
 生来の整った顔を、その輪郭が変形する程食物を詰め込むと言う壊滅的な残念さに貶め、もごもごと咀嚼する合間に疑問符を投げて来る。そんな土方の顔──もとい姿をまじまじと見返しながら、嚥下を待って銀時は言った。
 「悪ィな、そんなに俺の事を心配してくrぐぁぁあああ」
 語尾に到達する前に割り箸が眼球…というか目蓋に刺さって銀時はのたうち回った。
 「目がァ、目がァァァ」
 「あんま巫山戯た事ばっか抜かしてやがると刺すぞ」
 「刺してから言うんじゃねェェェェ!!」
 凶器である割り箸を銀時の方へ牽制する様に向けながら、土方。「洒落になんねぇ」呻きながらも銀時は渋々席へと戻った。そう言えば此奴は本当の事を指摘されるとムカつくタイプだった、と思い直す事で溜飲は少しばかり下がったがそれまでだ。
 「心配じゃねェだろ議題は。てめーが気持ち悪ィか否か、って所だった筈だ」
 カラになった丼を隅に寄せるなり早速煙草に火を点ける土方に、銀時は訊いてみる。一応はしんみりとした調子で。
 「そんな、気持ちワリー程に俺、"らしくない"訳?」
 「……少なくともそんな事を訊くぐらいには"らしくない"な。気持ち悪ィのはいつもの事だから心配するな」
 「………………お前そんな俺の心抉って楽しい?楽しいの??」
 「馬鹿言え、俺はてめーらみてーなドS星から来た使者じゃねーんだ。そんな悪趣味持ち合わせてねェ」
 てめー「ら」と言うのが、坂田銀時と沖田総悟を指すのは言う迄もないだろう。土方はふんと鼻を鳴らすとテーブルの下で足を組んだ。無駄にふんぞり返ったそんな姿勢で続ける。
 「調子狂わされるなァ御免だ。思い当たる節でもあんなら言や良いだろ。人生相談も愚痴も真っ平だが、飯の間くれェどうせ暇なんだ」
 「……」
 大分遠回しだが、「悩みがあるなら聞いてやる」と言う事だろうか。こちらの方が余程珍しい、と言うか"らしくない"のだが、それ程銀時の様子が曰く"らしくない"事に、土方なりに思う所でもあったのかも知れない。
 少なくとも銀時が知る限り、土方が万事屋相手にこう言った無償の気遣いなど見せてくれた事などはない。大概は何かしらオマケに悪態が付属してくる。
 (……まあ気持ち悪い呼ばわりは散々されてんだけどな)
 それが悪態なのか、只の正直な感想なのかは判然としない。寧ろさせたくない気がする。
 「お待たせしました。ミックスベリーパフェとクリームあんみつになります」
 背筋をなんとなく正した銀時の前に、タイミング良く残りのデザートが運ばれて来た。
 「ご注文は以上でお揃いでしょうか」
 そう、硬い営業スマイルを見せて来る店員に頷きを返せば、彼女はくるりと丸めた伝票を置き、「ごゆっくりどうぞ」明かに歓迎したくはなさそうに言い置いてから去っていった。
 妙な客たちである自覚はあったが、土方のほうは別に気にしている様子もない。黙々と煙草を吸いながら黙って座っている。
 その沈黙が、銀時が口火を切るのを待っているからである、とは、気付かされる迄もない。はっきりと促すでもなく、待っているとも言わない。突き放しもしない。これがフォローの達人フォロ方か、としみじみと思う。
 「俺も何か変だ変だとはちょっと前からずっと考えてるんだけどよー…」
 ぽつり、と、沈黙を裂く様にそう漏らし、銀時はクリームあんみつの皿を手前に引き寄せた。匙を、綺麗に渦を巻くソフトクリームに突き立てる。
 「で?」とは言わなかったが、続きを促す、そう言う意を込めた土方の視線が返って来る。さほど熱心ではないが真剣な色はあるその注視を受けて、銀時は一掬いしたアイスを舌で溶かしながら、あれ、と首を傾げた。
 (…………オイ待て、ちょっと待て。間接キスだのそんな事考える俺が気持ちワリーだの以前にだ、発端はそもそも…、)
 土方の事を何故か気にかけ無駄に意識し始めた事がスタート地点ではなかったか。
 (っい、)
 「言えるかァァァァァァ!!こんなん言える訳ねーだろォォ!何だ、なんなんだ俺、やっぱ気持ちワリーよ!」
 がたん、と席を立って頭を両腕で抱えて一頻りそう叫んでから、銀時はへなへなと席に戻った。遠くの店員や他の客の視線よりも、目の前から遠慮無くもたらされる呆れ顔の方が余程痛い。
 「……てめーがらしくねェのも気持ち悪ィが、その"らしくない"思考に至る時点で既に気持ち悪ィみてぇだな」
 手の施しようのない患者を診る医者の様な、哀れみより諦めにほど近い土方の言い種に、銀時はのろのろと顔を起こした。
 「……なぁ、こんな時ばっか甘えさせ上手みたいなお前の優しさっぽいもんが偉く身に沁みるんだけど……」
 「……………あー、そら重症だな。介錯程度の優しさなら今スグにでもプレゼントしてやろうか」
 「お前いちいち刀抜かねェと会話出来ないんですか!」
 立て掛けてあった刀をかなり本気の目で抜こうとする土方の手を、テーブルから身を乗り出して銀時は必死で止める。往来でまさか刃傷沙汰に至るとは思えないが、何せ瞳孔が全開だ。
 「言っておくが、俺ァてめぇに優しくした憶えなんざ無ぇ」
 「だからそれはギャップルール的な何かなんだって!あとは俺補正!」
 両肩を上から押され、渋々席に腰を下ろした土方は、噛み潰して仕舞ったらしい煙草を口から抜き取り灰皿へと乱暴に放り込んだ。再び腕と足とを組んだ所で、「ん?」と動きを止める。
 「…お前の補正って何?」
 「あ」
 失言と言うより、よくそこに気付いた、と言うべきだろう。銀時は冷や汗の浮かんだ頬を誤魔化す様に人差し指で掻きながら、ちらり、と土方の方を伺ってみる。
 (…………イヤイヤ、殺されるだろ。間違いなく。良くても変質者扱いされるとか。命か社会的立場かどっちかが危うくなる可能性は否定出来ねェくらい山積みだ)
 後者は、万事屋と言うアヤシゲな職業上既に危うい位置にあるのだが、この場合の問題はそこにはないのでさておき。
 「そ、それはそうとして……、結構真剣な相談なんだよねー、何せ悩みだから!銀さんもー夜も眠れないくらい悩んでるから!」
 それは嘘だが。
 自分ながら強引な逸らし方だ、とは思ったが、土方は「ほう」と片眉を軽く持ち上げてみせた。たった今でっち上げた「悩み」とやらが真剣だからこそ、言いだし辛くて遠回しになっているものと思ってくれたらしい。銀時的には嬉しい誤算だ。
 椅子に座り直し、再び匙を手に取る。最早大好物の甘味にも余り心惹かれるものがないが、糖分摂取は頭の回転に役立つかも知れない、と祈る様に思いながらクリームあんみつを一気に口に放り込んだ。
 深呼吸をひとつ。


 その違和感が決定的なものになったのは果たしていつのことだったか。
 恐らくは、沖田の姉であるミツバの臨終に立ち会う事になった時だ。沖田の口から漏らされた、土方の徹底的に不器用で偽悪的な一面。それ故に死地に独りで立ち向かうも厭わぬ、勁過ぎる程に揺らぎもしなかった信念の宿った魂。
 彼の生き方は、まるで刀だと思った。真選組を守り、隊士(なかま)を守る為だけに研ぎ澄まして、研ぎ澄まして、己の鞘さえも傷つけて仕舞う、鋭く無骨な刃。
 結局土方は、独りで涙を隠し、ただその刃を己の身へ納めた。結局誰にも口に出しては本心を一切語りはしなかった。
 それを薄情と呼ぶ者もいるかもしれない。だが、少なくとも銀時は違った。
 ミツバとは言葉も交わしたし、数日とは言え関わった人間だ。知人の死を悼んだり、その死に泣く沖田らの痛みを感じる事は勿論あった。
 それと同時に、独りであっても己に悲しみを誤魔化す事しか出来ない土方の事が酷く気にかかった。
 同情や憐憫とは少し違う。ただ、不思議な理解はあった。共感めいたその正体は寧ろどうでも良い。
 土方は、次に会った時にはもう何事も無かったかの様に戻っていた。血も、悲しみも、傷も、全てを鞘の裡に彼は納めたのだろうかと言う事だけが、何故か気に掛かった。
 そして。その、疑問や気懸かりだけが、今に至るまでずっと銀時の裡に残留している。いっそ不可解な程に。


 結局のところ、総括するとこう言う言い方になるだろうか。思って銀時は気乗りしない内心を振り払って口を開いた。
 「っじ、実はさー…俺、今ちょっと……なんつぅかその、気になる子がいて」
 相談、と言う方角にハンドルを切られた以上は何かそれらしい事を話さなければなるない。それに、単なる恋バナと言うのも強ち間違ってもいない。……筈だ。
 「他人の惚れた腫れたなんてのァ得意分野じゃねぇし、余り積極的に関わりたいもんでも無ェんだがな……」
 溜息混じりにそう言われ、銀時が匙をくわえた侭恐る恐る前方を見上げてみれば、発言通りにか土方は眉間に「面倒くさそう」と書かれていそうな山脈を作っていた。
 「ほら、お前なんやかんや黙ってりゃモテるし、ゴリラからもあれこれ相談とかされてんだろ?」
 「黙ってりゃ、は余計だ。……で?」
 気乗りはしない様だったが、一度相談に応じる様な姿勢を見せた以上、反故にするのも気が退けるのだろう。土方は顎を軽く振って、続きを促す様な仕草を向けて来る。
 (アレ?何?俺、相談したいの?誤魔化すんじゃなかったの??)
 泥沼のど真ん中にたどり着いてから、足下が底なし沼だと気付かされた気分だ。乗りかかった船がもしあるならば切実に欲しい本音を隠しつつ、銀時は仕方なく続ける事にした。悩みの対象者である当人を前に些か間抜けな事だとは思ったが、まあ何かの参考にはなるかも、知れない。
 「よく解んねェんだけど、其奴をどうこうしたいとか、どうして貰いたい、とかそう言うんじゃねェんだよな…。ただ、其奴見てて飽きねェし、なんか気になるし、其奴の知らなかった一面を知る毎に一喜一憂して…なんか楽しいのかもなって思うし、」
 溶けかけたパフェのアイスを匙でつんつん、と突きながら、銀時は土方の姿をじっと見る。
 知ってか知らずしてか、土方の表情に茶化したり呆れたりする色はない。それなりに真剣に耳を傾けてくれている様子は確かだった。
 「其奴が……、自分をあんま大事にしない質だからかな、なんか見てて放っとけねェし。だからって俺が何かしてやれる事もねェし、そんなの望まれてもねェから、俺も、其奴の周りの連中も其奴自身の好きにさせてんだと思うんだけどさ…、だからかも知れねェけど、其奴が意識してねェような所で其奴を大事にしてやりてェって言うか、気付かれない程度に労ってやりてェって言うか…」
 見返りとかどうでもいいからさ、と、言えばそれはエゴでしかない感情なのだと己でも気付くが、言い終えて銀時は唇の代わりに匙を噛んだ。
 「何をしてやりてぇって言うより、ただ自分がしてぇってだけだ。〜だから、其奴をどうしたいのか、それともどうにかして貰いてェのか、情けねェけどよく解んねぇんだよ……」
 相手の感情を根こそぎ無視したそれは、ただの束縛か飼い殺しだ。どちらにも共通していることは、自己満足と言う一言に尽きる。
 そしてそれは、恐らく土方にとっては受け入れ難い所行の筈だ。なればこそ、口になど出せまい。
 土方は、銀時が自身に、多少なり関わる事があれど基本的には不干渉と言う立場を取っている事を知っているから、銀時が何かをするのを容認している節がある。
 故にか、土方が銀時を指す呼び名は「万事屋」なのだろう。坂田銀時と言う個人の向ける──よりにもよって土方の最も嫌う所であろう、支えや労りを与えたいのだ、などと言う勝手な言い分など、通る筈も通せる筈もない。
 ……そんなものはただの冒涜だ。間違っても、好意などと到底呼べる代物ではないだろう。
 (……相談相手、間違えたかな。手前ェの事だと思わねぇとしても、こんな感情が俺の裡に渦巻いてるだなんて知れたらドン引くだろフツー)
 現状無許可の、しかも些か身勝手な情を孕んだ片思いだ。これでは近藤のストーカー行為を笑えないかも知れない。実際銀時には土方の事を追い回す様な心算はまるで無いとは言え、感情面での原動力は似てなくもない。即ち、相手の意は問わず何かをしたい。
 自分で考えるだけ頭が重くなる。恋か好意かそんな種別は兎も角、ここに来てはっきりとした己の思考とその先行きとに、銀時は静かな絶望感を覚えずにいられない。
 「──そりゃァ多分お前、」
 そこに、く、と小さく息を漏らす様な音を耳にして、銀時が俯き加減になっていた顔を起こせば、頬杖をついた土方が──大変珍しい事だが、僅かに口角を上げていた。
 呆れた様な苦笑よりは、親しげな笑みに近いかもしれない、そんな表情で、土方は、ぴ、と人差し指を銀時へと向けてくる。
 「本気で惚れてんだよ、その何某に。間違いねェ」
 「…………マジでか」
 妙に自信たっぷりにそう断じられ、銀時の口元が皮肉を感じて歪んだ。笑っている様に見えたかも知れない。
 「いやでもホラ、俺其奴の事情とか感情無視してそんなん思ってるっぽいし、それってアリな訳?寧ろヨコシマなんじゃね?」
 「動物的に言や、まず真っ先に願望として発現すンのは肉欲だろ。人間なら美醜もだな。で、愛だの情だのって言う厄介極まりない代物が付随して発生する訳だが…、」
 「動物的に喩えられるたァ思いませんでした!」
 余りに生々しい土方の言い種に思わず脱力して、銀時。ひょっとしたらこいつは人を発情した犬とかを見る目で見ていたのではないか、と思えなくもない。
 「腰折んな。それより先にその何某の性質つぅか…、魂みてェなもんに惚れたんだろ、テメーは。そんだけ真摯な想い向けられるたァ、相手にも滅多にねェ事だろうよ。手前ェん中で誤魔化したり、感情に名前付けて分けちまう前に、玉砕覚悟で挑んでみたらどうだ?」
 「そ、そうか…?そういうもんなのか……?」
 「成功するかどうかはまあ、手前ェ次第だけどな。ツラに似合わずまともな恋愛も出来るみてぇで良かったじゃねェか。一途なのは感心するが、悪化すると近藤さんみてェになりかねねェから、精々気を付けろよ」
 ふゥ、と、土方は柔い表情を浮かべた侭煙草の煙を吐き出して言う。男同士の「解ってる」と言いたげなしたり顔は、常ならば張り倒したい衝動に駆られるものだっただろう。が。
 「へ、へぇー…そうなんだぁ…」
 (いや……お前の事なんですけど)
 真顔で頷く土方。どうやら本気で気付いていないらしい。まあ当然かも知れないが。到底言い出せない銀時としては複雑な表情を浮かべるほかない。
 「……そォかァ…、惚れてんのか…俺」
 「ああ。間違いねェな」
 溶けて柔らかくなったパフェのバニラアイス部分を震える匙で口に放り込み、銀時はどこか得意顔の土方をひきつった表情でじっとりと見遣った。お前だよお前、と言ってやりたいが、それが言えそうになかったからこういう流れになったのだった、と思い直して小さく溜息。
 (……………惚れてる?お前に?俺が?)
 疑ったり否定したい理由は幾らでもあるが、逆に断じられた根拠も幾らでもありそうだ。故に単純に笑い飛ばす気にもなれない。
 (気に、なんのは間違いねェんだが……、確かに世間的に見りゃァ、惚れてる、って事に…なんのか?)
 パフェの底の方に敷き詰めてあるコーンフレークをがしがしと溶けたアイスに混ぜて、銀時はヤケクソの様にそれを一気飲みした。その侭天を仰いで、甘い匂いのする溜息をもうひとつ。
 かくん、と頭を戻せば、丁度煙草をもみ消した土方がコーヒーカップを手前に引き寄せた所だった。そこで不意に、困惑顔の銀時の表情を目の当たりにして、彼がどことなく楽しそうな風情でいる事に気付かされる。
 (………ナニコレ。なんでお前楽しそうなワケ?人が悩むの見て笑うタイプじゃないよな?え、ちょっとナニ?何その「まあ頑張れよ」みたいなツラ。俺が他の誰かさんに惚れてるってのがそんな嬉しい訳?)
 人の恋路などどうでも良いと言ってはいたが、そう言う雰囲気でもない。普通ならば、茶化しも煽りもしない良い相談相手を選んだと安堵する所なのかも知れないが、今回のコレは事情が違う。何せ、曰く「惚れた相手」を前にこんな遠すぎて近い会話をしているのだから。
 心がささくれ立ったと言うより、何でお前こんな鈍いの、と言う、少々湾曲した感覚が銀時の裡にじわりと沸き起こる。全て自分の自業自得とは言え。どうにも理不尽さが付きまとう。
 (……よし)
 ひとつ頷くと、銀時は土方がカップを置くのを待って、その両手をやおらがしりと掴んだ。
 「?」
 疑問符を浮かべて瞬きをする土方の手を己の手で包み込んで、銀時はテーブルにぐっと身を乗り出した。真剣な表情を意識して拵える。
 「……どうやら、俺はお前に惚れてるらしい」
 「は、……はァ?!」
 びし、と表情どころか肩まで引きつらせ、土方は思わず立ち上がろうとするが、銀時に手を掴まれている為に動けない。距離も開けない。振り解くにしては、向けられる表情は余りに真摯である。筈だ。
 「オイ、何の冗談、」
 「冗談で言うかよ、こんな事」
 「ッ、」
 (……あ、)
 真顔の銀時の返しを受け、土方の頬がかッと染まる。憤りかと思う程解り易く。珍しくも狼狽えた様子を隠さず──と言うより隠せず──視線を彷徨わせ、何かを言いかける様に何度か口を開きかけて閉じてを繰り返している。
 (え、な…、何この子普通に照れてんのォォォ?!っちょ、どういう…どう言う事ォォォ?!!)
 思わず銀時も自らの顔面に血が昇るのを感じて、これは不味い、と泡を食う。これでは本当にまるで。
 (い、意外と可愛い……かも知れ……いやいやいやいやいやダメだからァァァァ?!)
 ぶんぶんと頭を思い切り左右に振って、銀時は思い切ってぱっと手を離した。その瞬間、土方も弾かれた様に背後に体重を戻し、避ける様に距離を開ける。
 お互い赤面した侭暫し見合ってから──卑怯だな、と思いつつも銀時は一旦逃げる事にした。
 「よ、予行練習……こんな感じで…、オッケー……?」
 「……れ、練習、か…よ………あ、いや驚いてねーから。つい俺もてめぇに合わせてノってやっただけだし?」
 虚勢とはっきり解るいつもの強がり調子で、土方はぷいと銀時から顔ごと目を逸らすとライターを取り出した。煙草を逆さにくわえたりはしなかったが、何度も失敗しながら火を点け、舌打ち混じりの煙を吐き出す。
 「わ、悪ィな…、臨場感あったほうが良いかと思ってよー…」
 臨場感ありすぎた、と思いながら、銀時は乾いた笑いを浮かべて誤魔化しつつ、震える手で割り箸を割った。大分バランス悪く割れて持ちづらいが、気にしている様な余裕も湧いて来ない。
 これは戦術的撤退だ。この侭勢いで土方を頷かせるなり断らせるなりするのは本意では無い。
 (ま、まあ……なんか凄いもん見ちまった気はするけど…)
 震える手でカツ丼に──いつの間にやられたのか、それとも最初からだったのか、いつぞやの土方スペシャルとやらと同じくマヨ山が出来上がっていた──箸を突き立て、もそもそとカツを口に放り込む。マヨネーズなのかカツなのか白米なのか卵なのか、全く味など感じられなかった。
 こっそりと伺えば、土方も平然とした様子を装って煙草をふかしている。普段ならばそれこそ、騙された、と怒る所なのだろうが、銀時の演技(ある意味本気そのものだったが)に圧されたのか何なのか、本気で相対した事に気恥ずかしさの様なものがあったのだろう。飽く迄大人の応対で済ませる心算の様だ。
 (それとも…怒ったら図星になる、から……〜なんて訳ねぇか)
 もそもそと、味も食材も解らなくなったカツ丼を機械的に口に詰めながら、銀時は複雑な感情を溜息にして飲み込んだ。
 「……ま、上手く行きゃァ良いがな。応援は別にしねェが、失敗ってのも後味悪ィだろ」
 半端に長く残った煙草を灰皿で消すと、伝票を手に土方が立ち上がるのを銀時は慌てて止める。
 「お、オイ、もう帰っちまうのか?」
 やはり気分を害したのだろうか、と言う焦りが背筋を伝わるが、土方は伝票をひらひらとさせながら肩を竦めて見せた。口元に先程の笑みや焦りの名残はもう無かったが、憤慨や嫌悪の感情が乗っていない事にひとまず銀時は安心する。
 「さっき言ったろ。残務があるんだよ。心配しねぇでも支払いだけァしてってやるから、てめぇはゆっくり食ってけ」
 思わず店内の時計を見遣ると、時刻はいつの間にか夕刻を通り過ぎて夜に入っていた。土方が帰る時間だと言い出したのもどうやら嘘では無いらしい。
 「じゃあな」
 「あ…、あのな、」
 あれは本気だったんだ、と言いたかった訳ではない。だが、届かない事に対しての未練や、結果的に散々利用した様な後悔が喉につっかえて、思わず銀時は声を上げていた。
 だから、と言う訳ではないだろうが、ふと土方は立ち止まると、ひとつだけ、混じり気のない、口の端だけを持ち上げ目から力をゆっくりと抜くだけの笑みを見せた。
 今までに見た事のないそれは紛れもなく、土方の会心の笑みだと、確信する。
 思わず息を飲む銀時に気付かず、心地の良い笑みの残滓の中で土方は言う。
 「あァ、そうだ、忘れる所だった。"犯人逮捕のご協力感謝します"」
 そうして手の代わりに甘味のずらりと並んだ伝票をぷらりと振ると、店の入り口へと土方は去って行く。もう振り返る様な事もなく。
 会計を済ませて、ドアベルを鳴らしながら出ていく背中を見送るのと同時に、言葉を呑み込み尽くした奥歯が軋る音を立てた。
 「…………何なんだよ、俺も。…アイツも」
 顔の上半分を手で覆って、銀時は両肘をテーブルについて溜息を吐き出した。灰皿の中には吸い殻と煙の匂い。干されたコーヒーの白いカップ。「居た」ものの名残はそこかしこに在ると言うのに、そんな事よりも余程鮮烈に脳裏に焼き付いたものに気付いて仕舞えば、もう取り戻しがつかない気さえしてくる。
 惚れてる、などと言われた事だけが原因ではないだろうが──或いは言った事が原因ではないだろうが、土方の去り際の笑みを思い出すと、違和感なんてものは気にせず解らない侭で居た方が良かったのだろうかとさえ思えて来て仕舞う。
 (…くそ。最後の最後で何だよ)
 あんな風に笑いかけておきながら、警察としての物言いをするなど。
 個人的に相対し飯屋に連れ立って来た訳ではないのだと、決定的に言い切られたも同然だ。領収書も切らずに出ていった癖に。
 だと言うのに、それこそが決定的な一撃になった事を、誰が知れると言うのか。
 惚れただの腫れただの、そんな安易な名前が相応しいかは銀時自身にも解らなかったが、たった今目撃したコレに関してだけは断言出来る。同時にそれは、逃がしたかも知れない魚の大きさをも知ることになる。
 (………あそこで、あんな面すんの、反則だろ…)
 結果的に焼肉より余程餓えが満たされている現状を思えば、電話を間違えてくれた依頼人に感謝するべきなのだろうか。
 そんな事を思いながら、銀時は全身で溜息をついて、赤くなった顔を誤魔化す様に窓の外へと視線を投げるのだった。




私的な酷薄…じゃない告白篇銀さん的なスタート地点。ミツバ篇の後辺りから、ホントこの子は不器用だよなー馬鹿だよなー俺をもっと生きるの下手にしてみると腹立つくらい似てんだけど!的な事実に気付いて、あーもう見てらんない、的な理解が出来ると良いなと妄想。

恋に酔ったふたり。