秘すれば花 / 秘したら無 見上げる天井の明るさから、少なくとも今は早朝では無いらしいと土方は悟る。布団を背に、天井を見上げ目を開く。そんな毎日の動作に、こんな明るい天井を見た憶えは殆ど無い。 朝議があろうが無かろうが、眠って目覚めるのは普通は朝だ。土方には体調でも崩さない限り昼に布団を敷いて眠る趣味は無い。そこまで怠惰に暇に過ごす時間があるのならば仕事の一つでも片付けている方が余程良い。 昼頃だろうか。縁側の障子を透かして、差し込む日中の陽の明るさに目を眇めながら頭を横に転がせば、まず己の手が目についた。布団から引き出され畳に手の甲を付けて、掌に重ね合わされた何かを握っている。 続けて焦点を手から遠くへ移せば、同じ様に横臥してこちらを見つめている銀時の顔に出会う。 「おはようさん?」 片側だけ吊り上がった口端でそう言われ、土方は胸の奥底に溜まった感情の侭に顔を顰めた。舌を打つ。笑っている様に見える癖、笑われている感じがしないと言うのが益々に腹立たしかった。もう全て種明かしされた後ならば、いっそ小馬鹿にするか軽蔑するかしてくれた方がマシだ。 畳の上に直接寝転がって、手だけを重ね握り合わせて柔く笑う男の姿など、現実には決して憶えなど無かった筈だと言うのに、これが『夢』では無いのだと解って仕舞う。 掌の温度の伝えて来る現実感が、もう夢を見てはいないのだと冷静に残酷に突きつけて来る。 恐らくは、銀時を『夢』から醒ます作業を繰り返す内、本来昏睡に至る程に『夢』を深く見る事など無かった筈の土方の方が逆に『夢』に囚われ戻れなくなって仕舞ったのだろう。そして今度は銀時がそれを助けに来たのだ。再び『夢』に陥って仕舞うやも知れない危険性もあっただろうに、『夢』の寝覚めに苦しんでいた土方の元へと平然と怒鳴り込みに来た。 正に、ミイラ取りがミイラの図だ。それだけでも無様極まりない話だと言うのに、銀時が『夢』に来れたと言う事は、既に山崎に話を全て聞かされている筈なのだ。土方が銀時の夢に入り込んで『夢』を演じていた事まで、察しの良いこの男であれば直ぐに知れただろう。 つまりそれは、あの隣席に座る事を選び、流され身体を重ねる事にまで応じたのは銀時の見た『夢』などではなく、土方自身の意思に因るものであったと。そう正しく理解されていると言う事だろう。 無様さと申し訳の無さと居た堪れの無さと──様々な感情のない交ぜになった土方の表情は正直に不満を訴えて歪んだ。クソ、と悪態が軋る歯の隙間からこぼれる。 すると間近に横たわっている銀時が、ふ、と鼻から抜ける様な息を吐いた。笑ったのだ、と気付けたのは、思わず見遣った男の顔がゆったりと気の抜けた風情で目を細めていたからだ。 「久々におめーらしい姿見れた気するな」 「……少なくとも、てめぇが夢見た『俺』とは違うだろうよ」 思わず吐き捨てる。それが己の演じたものだったとして、銀時もそれを良しと思ったからこそ、彼は『夢』の土方に対して好意なぞ寄せて寄越したのだろうから。 苛々とした成分の殆どは自己嫌悪に由来するものだ。更に、それを理由にして目の前で何やら穏やかに笑う男に八つ当たりをしている、そんな己が酷く矮小でみっともない存在の様に思えて、土方は居心地悪く身じろいだ。 その動きで、掌を重ね合わせられた侭で居る事に気付いて指がぴくりと強張るが、振り払う動作も引き抜いて逃げる動作も出来ない。ただ温かいだけの五指に、まるで縫い止められでもした様に。 「おめーが見てた『俺』はどうだったよ?」 言ってにやにやと笑う顔に、然し口調ほどには人を馬鹿にしている気配の無い事を伺ってから、土方は大きく息を吐いた。全て種明かしをされた事を本心では楽だと感じている、酷く草臥れた溜息だと己で思う。 「解らねぇ」 何か考えを巡らせるまでもなく答えは率直なものだった。実際土方が銀時の夢の中で見ていたのは、過ちとしか思えぬ事を繰り返す己の無様な為体と、それを『夢』とは知らず振る舞っていた銀時本人の姿だったからだ。それをして茶番とは思うが、少なくとも銀時の方にはそう言った自覚が無かったのだから、どうか、と問われて答えられる様な理由も無い。 「んじゃ、その解らねぇ夢の中の俺じゃなくて、今ここに居る目の前の俺はどうよ?」 「……どう言う意味だ」 受けて、土方は今度の答えは慎重に出した。ともすれば游ぎそうになる目元に力を込めて、繋がれた侭の掌たちの向こうで、眉を寄せて妙な顔を作っている銀時を真っ向から見据える。 「…アレ、通じてなかった?夢からお互いもう醒めようって俺言ったよね。届いてたよね」 腫れ物に触る様な、威嚇する野良猫に恐る恐る手を伸ばす様な、びっくり箱と知れている箱を開く時の様な──言って仕舞えば怯えの成分の僅かに宿った、そんな微妙としか言い様のない表情で唇を尖らせ、銀時は追い縋ってくる。 そんな様を目の当たりにして、慎重であるべきだ、と土方は思った。あれは『夢』だったのだと互いに割り切ればそれで全ては元通りになるのだから、一過性の期待や好意などここで無理をして押し通すべきでは無いだろう。 夢の痕など『夢』と同じ。醒めれば、終わるのだから。 本来抱くべきでは無かった恋情も、秘した侭で良い。夢の侭仕舞われていれば良い。 銀時は微妙な表情を形作った侭暫しの間黙り込んで、それから「はあ、」と態とらしく声に出して溜息をついた。一旦頭を天井の方へと転がして──言葉通り天でも仰ぎたかったのか──、空いた片手でまとまりの悪い銀色の頭髪をぐしゃりと掻き混ぜる。 「頑ななのもそれはそれで良いけどよ、なんつーかいい加減観念しなさいって言うか、俺はもう観念したんだからてめぇも腹くくれって言うか…、」 ぼそぼそと何やら不穏な内容の言葉を誰も聞くものの居ない天井へと逃がして、それから顔を覆った指の隙間から眼だけが土方の方を向く。 本能的に、ぎくりとした。だが土方が何らかの回避行動を考慮に入れるより先に、銀時が動いている。土方の掌の上に重ねられた手指に寸時力が込もったかと思えば、銀時は勢いよく身を起こして布団を引き剥がすとその侭乗り出して来た。 影が覆い被さって来た、と土方が思った時には、繋いだ侭の手とは逆の手を畳の上について、銀時は土方の事を見下ろしていた。 矢張り本能的に逃れようと全身に力が入った。だが、それを実際に何らかの行動にして起こせなかったのは、土方の片方の手をしっかりと繋ぎ止めているものがあったからだ。それに対して、振り解いて逃がれる事が出来なかったからだ。縫い止められた心地こそすれど、そこには何の拘束力も無かったと言うのに。 「だから!お互い夢の中の手前ェらじゃなくて、この現実の、気に食わなかったりこうして言い合いしたりもする手前ェら自身をいい加減見ようじゃねェかって事だよ、最後までいちいち言わせる気かコノヤロー!何の罰ゲームなんだよ、何様のつもりなんだよこの副長様は!」 一頻り喚く様にそう言うと、銀時は紅くなった鼻先をずいと土方の顔に近付けた。咄嗟に引こうとするが、背は畳の上で目前には坂田銀時が一人。これ以上は下がれる筈もない。 仕方なく土方は至近に迫った男の顔を睨み付けた。正直な所を言えばもう無理だとは解っていたし思ってもいた。秘め続ける事など最早無駄で無意味だ。身体を繋げる悪夢ならいざ知らず、重ねられた掌ひとつ振り解けずに居る時点で、既に分の悪すぎるこの勝負は決しているのだ。 頭を横に転がす事が、きっと僅か取れる最後の抵抗だった。悪足掻きだろう。解っている。然しそれさえも、手指に込められていた微細な震えや熱い体温や想いの丈を孕んだ力とに気付いて仕舞えば、もう。 (クソ、) 胸中に湧いた言葉はやはり往生際の悪い悪態だったが、その内容に反して土方は目を閉じた。程なく接触した唇は、それまでの覚悟の時間が嘘の様に、戯れめいた僅かの触れ合いだけで離れて行く。それでも僅かに触れただけのそこから、隠し通そうとしていた心が、棄てて忘れようとしていた想いが、罅割れて溢れ出す。 「…………夢から醒めても、まだひでぇ夢ん中かよ、これは。…てめぇこそ夢の中の俺ばかり見てやがった癖に」 抗議を呑み込んだ代わりに出て来たのは余りに弱々しくて情けない呻き声でしか無かった。 自己嫌悪に浸り続けている己の心はそれとは相反した感情を訴えている。この、醒めて終わらせる心算だった恋を棄てる事など出来ないと嘆いている。秘める事を忘れて願ったが故に誤ったのだと解っているのに。 すれば、銀時は未だ至近にあった距離で溜息を吐くと、重なった侭でいる五指を強く握った。 「だから夢じゃねぇって。夢ん中と違っておめーは面倒くせェし、しおらしくもねェし、笑ってもくれてねェし、口開けば可愛くねェ事ばっか言って逃げ回るし…、」 「……」 「でも、それがお前だから。俺が何の間違いでかうっかり惚れちまったらしい、土方十四郎って言う面倒くせェ、てめぇの領分にクソ真面目で頑固で馬鹿な野郎なんだから、しゃあねェだろ」 ぐうの音も出ない土方に畳み掛ける様に一息でそう言い切ると、銀時は紅くなった顔を誤魔化す様に一瞬逸らして然し直ぐに戻ってきた。 こいつは逃げなかったのか、と土方はそんな銀時の姿を見て思う。 秘して隠して逃げて、やがてはそれをひっそりと枯らせる心算だった土方とは違って。逃げなかったから、此処に今来ているのだろう。夢の中にまで来てくれたのだろう。 「……てめぇが惚れたってのが、てめぇが『夢』に見た『俺』だとしてもか」 すると銀時はまるで手の施しようのない患者を診た時の医者の様な顔をした。かぶりを振る。 「あのな。俺もそりゃ最初は諦めようと思ったよ?どう考えた所でおめーが俺に好意を抱いてくれるとか万の一つも有り得ねェだろうし?でもいざ腹括って言いに来てみりゃお前、俺の『夢』のお前は他ならないお前自身だったとか聞かされた訳だよ?もうネタは上がってんの。だからいい加減、大人しく、観念しやがれってんだよ」 最後の言葉をゆっくりと強調して言う銀時の姿をゆっくりと見上げて、土方は嘆息した。これが待ち望んでいた諦めの時だと言うのならば、随分と想像とは違う方向に来て仕舞ったものだと自嘲しながら。 棄てる筈だった想いと、醒めて消える筈だった恋情と、隠し通す心算だった本音とが、諦めを受け入れて力なくわらう。 逃げようとして、棄てようとして、それでも浅ましく『夢』を見ようとした、その罪悪がどうしてこんなに甘いのかと。どうしてこんなに、嬉しいのだろうと。 「…………そうだな。潮時か。まさかてめぇが、その曰く頑固だとか馬鹿な野郎に惚れるなんざ、想像した事も無かったわ」 「それこそ夢にも見なかった展開だろうが。って言うか案外気にしてんのソレ」 「さてな」 吐く息に乗せて曖昧にそう投げる。実の所はどうなのか土方自身も解らない。銀時の『夢』と思われていた、仲の余り良くない奴の隣に喧嘩も言い合いも無くただ穏やかに座っている自分自身と言うのは、一体何処までが『自分』であったのか。銀時に向ける態度全てが演技だったと言う訳ではないが、意識して大人しくしていた自覚はある。 そしてそんな態度を、夢の醒めた今も同じ様に継続していられる自信は残念ながら無い。『夢』の中として感情だけは正直に振る舞って仕舞ったが、銀時曰くの『しおらしい土方』の態度はそれに付随して生じたものでは無いのだから。 「なら、夢も醒めた所でここは一発どうよ。今でも『夢』に夢見て惚れてんのか確かめてみるってのは」 「、」 言うなり、ずい、と寄せられる顔に浮かぶ笑みと、不埒な意味合いを隠しもしない言葉。いつかの様にゆるりと寄せられる下肢に土方は露骨に顔を顰めたものの、特に抵抗も反論も出さずただ銀時の顔を目だけで見上げた。小さく笑い返す。 「精々、後悔しなきゃ良いんだが」 「しねぇから、お前もしないでね」 鼻先に唇を落としながら言われる言葉に、後悔なら夢の中でし飽きてる、とは思ったが答えずに呑み込んで、土方は空いた手で銀時の頭髪を掴んで引き寄せた。 陽も高く人気の無い自室で一体何をしているのだろう、と何処かで冷静な己が抗議めいて思うのは解ったが、今はその眩しい現実感こそが欲しかった。 知らない曖昧な印象のラブホテルの一室や飲み屋では無く、現実に己の見て知る場所で、これが夢ではないのだと実感したくて、土方は繋がれた銀時の手と、掴む髪とに力を込めた。 これが醒めてまで見続ける事の叶った恋の夢なら、二度と醒めない様に。 「夢じゃねェって確認すんなら、普通は自分の頬とか抓るんじゃね?」 そんな土方の意図を察したのか、そう呆れた様に言って寄越す銀時に向けて、 「これが『夢』じゃねェって、手前ェ自身で味わいやがれ」 負け惜しみの様にそう返せば。 「……あぁ。醒めなくて安心した」 何故か本当に酷く安心した様に言われて、醒めた世界に、この恋情を抱えた侭目覚められた事を土方は漸く知った。 銀さんもまだコレひょっとしたら夢かな的な不安がある訳で。 とは言えもう夢オチでは無いので、お付き合い下さりありがとうございました。 ← : ↑ * * * 結構余計な蛇足。 ほんと言わぬが華、秘すれば花って感じなのでどうでも良い方は黙って回れ右推奨。 引っ込めちゃった「ゆめのすこしあと」と言うお粗末過ぎた夢オチ話の変形リベンジでした。 土方が夢に惑わされてぐるぐるするのを、今度は二人でやって貰った、そんな感じ。 銀さんの事が好きなのが出過ぎな土方と言うのは何気にベクトル的には(多分)初めてだったので最後まで慣れなくてもうね…。 隠しておいた方が良かったけど、無い侭で居る事も苦しくて、隠しておけなかった。 ▲ |