おにはそと、おにはうち 煙草を銜えた唇の両端を下げて、眉間には小さな山脈。玄関を開けるなり目の当たりにした土方の顔はそんな、不機嫌そのものと言った様相であった。 とは言えそれは、拗ねている、或いはふてくされている、そう言った想像を銀時が巡らせる程度には、ある種の微笑ましさすら感じる質であったのだが。 「珍しいじゃん。どしたの」 だから銀時は玄関口で気易くそう問いた。土方の表情が本当の怒り由来のものだとしたらそんな真似は到底出来やしない。 「上がっても平気か」 果たして銀時の想像は正しかったのか、土方は常よりやや低めの、そこにだけやや不満の感情を込めた声でぶっきらぼうにそう言って寄越して来た。擬音にするなら「むすっ」と言った所か、唇をやや尖らせてみせるその様子からは、不満や不平はあれどもそれが怒りと言う感情を示していない事が見て取れる。 「良いけど。ガキ共もいねェしな」 三和土に一歩引っ込んで、どうぞ、と言うジェスチャーを添えて、玄関口で不機嫌顔を形作る来客を迎え入れてやれば、土方は来客らしからぬ態度で「邪魔する」と頷いて上がって来る。 玄関に座ってブーツを脱ぐべく足元を見下ろした土方だったが、然しそこで顰め面を盛大に顕わにしながら、三和土に散らばる小さなものを摘み上げた。 豆だ。煎った大豆。 「ああ、それな。神楽が下のババアに貰って来て、さっきまで散々撒いてた奴。掃除が面倒臭ェし、撒くぐらいなら勿体ないから食えって言ったんだけどな、季節の行事だから構やしないよ、とかババアも適当な事言いやがるしで」 今は外にまで撒きに行ってる、と続けると、銀時は三和土を見回した。余り玄関には撒かない様に注意したのだが、何粒か廊下から転げて犠牲になったらしい。 ふぅん、と、銀時の話に余り気も無さそうに、然し一応は相槌らしきものを投げると、指先で弄んでいた豆をぴんと弾いて棄てた土方は廊下へと上がった。その侭振り返りもせず居間に入ると迷わずソファの上に腰を下ろす。 大体いつもの事ながら、客と言うよりは家に久々に帰って来た父親か何かの様な態度である。慣れている為特に何を言うでも無く、銀時は寝室からアルミ製の灰皿を持ち、ついでに窓を細く開けて来ると、土方の隣へと座った。こちらも同じ様に慣れた動作である。 灰皿の上でとんとんと灰を落とす土方の横顔を見つめながら、銀時は溜息をついた。この分ではこの不機嫌様はその理由など自ら口にはしないだろうなと、これもまた慣れた思考でそう行き当たる。 別に銀時が問わずとも、土方は時間が来たら普通に帰るだろう想像は易いのだが、少なからず訊いて欲しい、或いは愚痴をこぼしたいと言う思いがあるからこそ、勤務中に当たるこんな時間だと言うのにわざわざ訪ねて来たのだろう。然し自分からは言い出そうとはしない辺り、それが単なる一過性の鬱屈に因るものだと言う自覚があるのだ。 要するに、積極的に愚痴るのはみっともないと思ってはいるが、訊かれれば話したい。そんな塩梅なのである。 「で、どしたの」 むっつりと黙り込んでいる土方に仕方無しにそう問いてやれば、彼は灰皿と口元とを往復していた煙草の動きを寸時止め、それから少しだけ視線を游がせた。深々と息を吐く。 「……屯所に居ると豆投げられんだよ」 思い出した様に出現する、への字の口に眉間山脈。どうやらそれが不機嫌顔の九割以上を占める理由らしい。豆、と幾度か反芻してから、「ああ」と銀時は手を打った。 「鬼だから?」 「おう。そう言うこった」 クイズの回答者を労う様な調子でそう言うと、土方は煙草を吸った口から重たげな煙を吐いた。苛立ち指数の高さをその様子から厭でも感じて仕舞い、銀時は苦笑した。確かにこんな理由では愚痴も吐きにくいし、怒りも湧き辛い事だろう。それ故の解り易い不満顔と言う訳だ。 「でもまた何で。おめーらの所の鬼さんってそんな、豆投げられて逃げて来る様な可愛らしい感じだっけ?」 言って、その鬼さんを見遣れば、何か厭な事でも思い出したのか、酷く投げ遣りに振られる頭。 「総悟が声高に鬼は外イベントを主導してんだよ。一番隊隊長の命令とか言う理不尽な虎の威でな。申し訳なさそうな面しながら豆なんざ投げられたら、流石に俺でも居た堪れねェわ」 つまり怒るに怒れない空気と言う訳なのだろう。いっそ馬鹿にでもして来たら応戦出来たのに、と言いたげな様子でそう肩を竦めてみせると、土方は灰皿で煙草を消し、首元のスカーフを直す様な緩める様な仕草をひとつ。 その様子からも今日の土方のスケジュールがオフな訳では無いとは知れるのだが、仕事を放り出して出て来たのだろうかと、今更ながらにそんな疑問が浮かぶ。 「幾ら節分っつっても、鬼さんが逃げちまったら困るんじゃねーの、実際の所」 そんな当たり前の様な銀時の疑問に、然し返るのは土方の、諦めきった様な微苦笑。 「総悟筆頭に大喜びだろうが。鬼の居ぬ間と好き勝手やってんのは目に見えてら。まぁそれでも本格的に巫山戯た事や仕事に支障が出る様な真似をやらかす様な教育はしてねェさ」 一応、と付け足しながらそう言うと、土方はソファの背に思いきり体重を預け、腰を少し座面から滑らせながら天井を見上げた。見遣れば、不機嫌顔の中に笑みを作ると言う器用な事をしている。 「鬼なんざ、必要無ェならいない方が良いに決まってんだろ」 何処のお父さんか、はたまた引率の先生か。土方の横顔に浮かぶものにそんな印象を受けながら、銀時は喉奥で小さく笑った。膝の上で頬杖をつくと、表情を真っ当に見られない様にする為だろう、天井へと向いた顔を動かさない土方の頬を、つん、と指先で小突く。答えは解っていたが一応訊いてみる。 「でも怒らねーのな?」 鬼は仕事を妨害され、大層不機嫌な表情を形作っていると言うのに、それで居てどこか清々しく笑んでいる。鬼が居ない事を喜ぶ者に、恐らくは同意を示して。 「行事だ縁起事だと言われて真面目に怒ったら大人気ねェだろうが。一日の事と思って諦めてやらァ」 頬を突く銀時の指をぺしりと払いながら、土方。部下の茶目っ気──かイヤガラセ──は一日限りの事と諦められても、無意味に頬を突いた銀時の指は耐え難かったらしい。 「ま、その代わり、仕事で溜まった負債は各々ちゃんと負って貰うつもりだけどな」 「鬼の逆襲か。怖い怖い」 ふ、と息を吐いて意地悪げな声を作ってみせる、その様が目の前の鬼の──鬼になりきれぬ鬼である故の不器用な甘さなのだと銀時は知っていたし、またそんな鬼の甘さこそが土方を好ましく思える部分なのだとも解っていた。 だから態とらしく追従した銀時の物言いに何か感じるものがあったのか、土方は少しばかり不愉快そうにふんと鼻で笑い飛ばすと、漸くそこで頭を水平に戻した。 「でもそれだと、おめーの今日の仕事は明日倍になって返って来るって事になるんじゃねェの?」 「警察が暢気に豆まきなんざしてんだ、平和じゃなきゃ困らァ」 「……つまりあんま忙しくねェ訳ね」 「珍しくもな」 目を閉じそう返すと、土方は思いだした様に懐から煙草の箱を取り出した。慣れた仕草でくわえた一本に火を点けると、美味そうに味わう。 確かにここ最近江戸で大きな事件や捕り物の気配は無く、土方は日課の見廻りを連日欠かす事も無く行えていた様だった。目元に隈も無いし、疲れ衰えている風では全く無い。 珍しくも。そう本人の口にする通りだったのだろう。 「銀さんとしても、鬼さんが逃げ場所にウチを選んでくれるって、ちょっと嬉しいサプライズがあったしね?悪いもんじゃねェわ、節分の豆まきも」 そう。これも珍しいと感じた一つの事だ。笑みを添えた顔を、煙草をくわえる土方の方へと近づけてそう言ってやれば、再び浮かべた不愉快そうな表情と共に煙を顔へと吹きかけられる。 「生憎、内に来たのは福じゃなくて鬼の方だけどな。あと、逃げ場所じゃなくて退避場所だ」 咽せる銀時へとよく解らない訂正を、然しさも重要な事の様にきっぱり言い置いてから、土方は眉間の皺を仏頂面と共に消すと、内緒の相談でも持ちかける子供の様に目を細めて忍び笑った。 「所詮、鬼の行き着く先は鬼の居る所ってこった。なァ、白夜叉殿」 果たして鬼は追われて逃げたのか、追われずして来たのか。その笑みから、居場所(仕事)を奪われた鬼の小さな不満と、代わりの居場所を求める鬼のささやかな不安とを、恐らくは正しく読み取って仕舞った銀時は、喉を鳴らして笑うと今度は指先一本ではなく手ごと伸べた。 「言うねぇ、鬼の副長」 硬質な頬のラインに沿わせる様に伸ばした掌に、土方はさも不満そうに舌を一つ打つと、煙草を灰皿に放り込み、自ら銀時の手に軽く頬を擦り寄せてきた。甘えると言うには至らないが、それに近い態度ではあった。 大人しく人間に追い出されて来た、そんな優しい人間の鬼の不平不満の心に付け込むなんて言うのは、それこそ鬼の所業だろうか。ちらりとそう思った所で、互いに後悔も抵抗も無い。 「まぁ鬼にもこうして羽根を伸ばせる逃げ場ぐらい必要だろうから、良いんじゃねェの」 「だから逃げ場じゃねェって言ってんだろうが」 距離を詰めた唇の狭間で言ってやれば、どうしてもそこは譲れないらしい、強がりで頑固な鬼の訂正がわざわざ入ったので、もう面倒になって銀時は至近で再びへの字になりかけていた土方の唇に黙って口接けた。 鬼は不満を昇華して飲み込めてはいたけど、実害と言うストレスは消せなかったので。 地方に因っては鬼も福も内らしいですね。 |