犬の習性



 「なぁ万事屋、一つ訊きてェ事があんだが…」
 重たげな息をつく土方の両肩は強張ってぶるぶると震えていたが、その放つ声だけは平時のそれと変わりない。
 向ける表情は大層引き攣って強張り、辛うじて笑みの様な形を刻んではいたが、それも多分に虚勢から出たものだろう。至近の銀時の顔を見上げるその額には薄く汗が滲んでいた。
 「何」
 遠慮がちな問いに一応は返しながらも、銀時とてゆっくりと話し合いに応じるだけの余裕は無い。何せ、
 「これは一体どう言う画なんだ」
 低く呻く土方の腕を掴んで体重を掛けている最中であって、土方もまたそれに背筋と肩とに力を込めて必死に抗っていたからである。
 鼻頭のつきそうな距離にある互いの額に浮かぶ青筋。向かい合うのは余裕の体を必死で作っている笑みと引き攣った笑みと。その交錯の正体を何なのかと客観的に表せば、殴り合い一歩寸前か掴み合い一歩寸前かと言った所だろうか。
 「どう言うってお前そりゃ、」
 そこで一旦言葉を切ると、銀時は両肩と手指に込めた力を揺るがせる事は無い侭ぐるりと視線だけで辺りを見回した。今更見た所で何がどう変わる訳でもない、見慣れた万事屋の寝室の風景である。
 「誰もいない家。夜。一組の布団」
 新八は定時通りの帰宅で、神楽は仕事が休みのお妙と柳生家へ遊びに行った。定春は納戸で早々と眠っている。そんな夜。
 そして銀時と土方との力比べの様な様相を呈している舞台はと言えば、ゴング鳴り響くリングではなく、銀時がいつも眠るのに使っている布団の上だ。
 端的に現状を見回すと、銀時は引き攣った笑みはその侭に何だか目の細くなっている土方の方へと向き直った。
 「もうアレだろ、アレしか無いだろ。お持ち帰り初夜dげふぉっ」
 「死ね」
 ストレートに辛辣過ぎる言葉と共に、土方の爪先が銀時の鳩尾へとめり込んだ。掴み合いをしていた腕から力が抜けてその場に潰れた蛙の様に蹲る銀時。土方はずりずりと座った侭後ずさりしてそんな銀時から距離を取ると、はあ、と声に出して溜息をつきその場に腕を組んで胡座をかいた。
 「ちょっとそこに座れ」
 潰れた侭見上げれば、今にも舌打ちせんばかりの表情で言う土方の顔に出会う。銀時は打たれた腹をさすりながら身を起こすと、子供に説教をする親父か何かの様に座り込んでいる土方の前に正座した。威圧されたと言う訳では無い筈なのだが、何故か自然と身体がそう動いて仕舞ったのである。
 (こっちの方がどう言う絵面なのかわかんねーんだけど…)
 布団の上に正座する銀時とその向かいで尊大そうに座す土方と。傍目に見たら説教をされている図以外の何物にもならなさそうだ。
 呻く銀時に土方が放ったのはたったの一言だった。
 「で?」
 まるで申し開きを待つ様なそんな一言──否、一音に銀時は思わずがくりと項垂れたものの、次の瞬間には勢いもよく身を起こした。布団に片膝をついて腰を浮かすと頭を掻きむしる。
 で、に掛かるのは疑問だ。即ち、あの力比べの意図は何なのだと問いているのだろう。
 無論あれが力比べなどでは無い事は仕掛けた銀時には解りきっている。土方も解っているからこその抵抗なのだろうとは思ったが、まさかその動機についてを今更問われるとは思いもしなかった。
 「で?じゃねェだろお前!俺らそんな短い付き合いじゃ無いよね?しかも良い歳こいた大人同士ですよ?もういい加減そう言う関係になっても良いかなーって頃合いじゃん!」
 要するに、押し倒そうとしたら全力の抵抗を受けて、あの喧嘩未満の力比べと言う画が出来たのである。
 手ぐらいしか握った事が無くとも、お付き合いと言う意味での銀時と土方との関係性はそれなり良好であった。ラブラブかどうかはさておいて両思いの末のお付き合いだったのだし、そうなれば何れは『こう』なる想像ぐらいはするだろう。と言うか既にしていた。
 こう言う話に時折妙に鈍い所を見せる事もある土方だが、流石に押し倒されそうになってまだ銀時の意図が解らないなどと言う事はあるまい。
 「まさかおめーアレか、結婚まで貞操は守ります系?意外に清純派?」
 「違ェよ、そんなんじゃなくてだ」
 ふと思いついてそう問えば、土方は手を伸ばして枕元に転がっていた煙草の箱を拾った。視線で灰皿を探す仕草をしたので、銀時は立ち上がると居間に向かい、テーブルの上に置いてあった灰皿を取り上げる。
 テーブルの上は先頃までの穏やかでささやかな宴会の跡が残されている。二人して酒を酌み交わしあっている間はこんな深刻(?)な話し合い的な空気では無かったのだけど、と詮なく思いながら、銀時は居間と寝室とを遮る襖をぱたりと閉じて元に戻った。
 取って来た灰皿を目の前に置いてやると、土方は大儀そうな風情で煙草を一本くわえた。火を点ける。
 「念の為に一応訊いておこうと思ってな」
 「?」
 疑問符を浮かべる銀時に構わず、土方は肺の中一杯に溜めた煙を吐き出すと首を軽く傾けた。まるで、尋問している犯人に向けて「どうなんだ、あ?」とでも言い出しそうな態度だ。
 「まさかとは思ってたが…、実際この状況だ。この際はっきりさせた方がお互いの為だろ」
 そんな態度と裏腹な、何かを言い倦ねる様な、溜息を交えて歯切れの悪い土方の言葉に今度は銀時が首を傾げる。
 「為って何の」
 すれば土方はもう一度しみじみとした様子で深く息を吐き出すと、煙草を持った掌を銀時の方へと軽く向けた。
 「だから。…てめぇ『が』俺『を』抱くのか?」
 途端に言い倦ねるどころか妙にはっきりとした声でずばっと斬り込まれ、銀時は暫しぽかんと口を間抜けに開いたが、問いの意味を咀嚼すると布団にだん、と両手をついて身を乗り出した。声を荒げる。
 「ったり前だろーが!じゃなきゃ勢い込んで押し倒そうとしたりしねェわ!って言うか何?!それ今更問う所なの?!お前今まで散々淡泊に接して来て、恋人?ナニソレおいしいの?みてーな面してたじゃん!銀さんひょっとして嫌われてんじゃね?って何度不安に駆られてたと思ってんの!」
 必死過ぎてみっともないかも知れない、と何処か客観的にそう己を睥睨しながらも、銀時は必死で言葉を尽くして叫んだ。何故かその勢いにじっとりと半眼になっている土方の両肩を掴んでがくがくと揺さぶる。
 そんな疑問に今更到達するとは、一体土方の中で己の扱いはどうなっていたのだろうかと喚きたくもなろうものだ。
 「問う、つぅか……その、アレだ」
 がくがくと頭を前後左右に振り回されながら、土方は再び何処か言い辛そうに語尾を淀ませると目を游がせ、それから漸く思い出した様に肩を掴む銀時の手をはたき落とした。
 「その。てめぇの中で勝手に決定事項になってんのが気に喰わねェ」
 「へ?」
 「お互い男だろうが俺らは。と、なりゃ双方雄の思考なのは確かだろーが。だってのに、何でてめぇの中でだけ俺が抱かれる事になってんだよ」
 鼻白んだ銀時に更に、煙を緩やかに上らせている煙草の先を突きつけてそう言うと、言いたい事はもう言ったとばかりに土方は再びふんぞり返って仕舞う。
 「だってお前、じゃんけんとかクジ引きで決めるもんじゃねェだろこんなん。まあおめーがじゃんけんしてェってんなら良いけどよ。最初はグー、で、俺がパー出すからお前グー出せや」
 「何でそんな不平等条約を飲まなきゃなんねェんだよ」
 去勢したろうか、と語尾に恐ろしい一言を付け足しながら、土方。彼の求める会話の着地点が今ひとつ掴めず、銀時は正座の姿勢に戻ると思考をフル回転させて円満な解決方法を思索する。
 そもそもにして、勢い思いの丈を先に伝えたのは銀時で、土方はそれに押されながらも己の気持ちを伝えつつ応じて、後は銀時の言う侭に誘われる侭に飲みに行ったり飲みに行ったり飲みに行ったりする関係になったのだ。
 飲みにしか行っていないのは確かだが飲み友達なんてものでは断じて無い。お互い好きだと言う感情が伴えば、ただの飲み歩きでも立派なデートになる筈だ。
 手を握ったのも銀時からだったし、一向に進展のない関係にいよいよ業を煮やして今日家で飲む事を決めたのも銀時の方だった。土方に自分が本当に嫌われているなどとは思っていなかったが、少なくとも、一緒に居たいとか触れてみたいとか、抱いてみたいとか。そう言った欲求を示していたのは常に銀時だけであったから、土方はこう言った事に淡泊なのか、それとも地味な部下の言う様に意外と初心だからなのかと思っていたのだが。
 然し今し方の反応からすると、土方が力比べ状態になってまで拒絶に至った理由は、淡泊だとか興味が無いとか銀時の事が嫌いだからと言う訳ではなく、単に一人盛り上がった銀時に納得が行っていなかったからと言う事だろうか。
 正直、土方を抱く事しか頭になかった銀時だ、かなり真剣になって思考を巡らせる。果たしてどう言いくるめたものか。どう説得したものか。
 不気味に落ちた沈黙を途切れさせたのは、煙草を灰皿に押しつけながらの土方の溜息だった。
 「……あのな。別に、嫌だけど嫌って程じゃねェんだ」
 「いやそれどっちなの」
 途方にくれる銀時に、再び腕を袖の中で組むと、土方は顎を擡げてこれ以上なく無意味に尊大そうにふんぞり返った。
 「場合に因っては説得に応じてやらねェでも無ぇから、根拠とか理由を言え」
 「…………」
 どん、とか効果音のつきそうな態度でそんな事を言われて、銀時は益々途方に暮れた。つまり何だ、抱かれる事が嫌とか言う深刻なものがある訳ではなく、本当に単に納得したいだけと言う事だろうか。
 「……あ。おめーに突っ込んでる所想像しながら抜いた事なら何度も」
 「真顔で最低なカミングアウトしやがったよこの野郎」
 少し考えて銀時の出した答えに、土方は目を細めて顔を横にふいと背けた。どうやらお気に召さなかったらしい。
 「え、お前は無ェの?」
 「ある訳無ェだろうが!て言うかこちとら毎日忙しくてそれどころじゃねーわ」
 「いや俺も別に毎日ガキ共の目盗んでそんな事やってる訳じゃないんだけどね?」
 呆れきった様に言う土方に、一応は訂正を挟んでそう言ってから、銀時は再び頭をひねる。これは一体何のかぐや姫なのだろうかと思うが、そんな疑問は口に出さない懸命さはあった。
 (そう言や久々の休みとか言ってたか。……アレ?じゃその貴重な休みに恋人の家にお泊まりに来てくれるとか、その時点でもう確定なんじゃねェの?満更でもねぇって事だよね?据え膳?これ物凄く婉曲な据え膳なの?)
 沸々と涌く奇妙な流れに、銀時は眉を寄せつつこっそりと土方の姿を盗み見た。私服の着物姿。酒をほんのり入れた後の寛いだ空気。機嫌も態度も決して悪いものでは無いと言うのに。
 「で、理由とか無ェのか?大した意味もなく抱かせろとか言われんのはお断りだ」
 「いや理由とか言われましても…」
 「普通そうだろ。こちとら男として真っ当に生きて来てんだ、手前ェが抱かれる想像なんざした事ねェんだぞ。
 ……それを折れてやろうってんだ、それ相応の理由、俺が納得出来る様な言い分を用意しやがるのが筋だろうが」
 困り果てる銀時に向けてまるで居直り強盗か何かの様に堂々と言い切ると、「で?」と再び言いたげな様子で土方は目を眇めた。どうやら面倒臭い事にも本格的に説得の必要があるらしい。
 (下半身的な事情?本能的な劣情?いや何言っても気に召してくれる気がしないんだけどコレ…)
 他人を適当な理屈や勢いで言いくるめるのは得意である銀時だが、屁理屈の通じにくい相手との真面目な(?)対話と言うのは難しいものだと思わずにいられない。理屈と屁理屈とでは生憎とチャンネルが違うのだ。下手な事を言えばそれこそ土方の逆鱗に触れかねない。
 ここは少々卑怯でも真摯な態度で押してみるのが一番だろうか。情に訴える様な感じで行けば土方も絆されてくれるかも知れない。
 「……てめーは」
 ぐるぐると思考を続ける銀時に向けて、やがて土方がぽつりと呟いた。見れば、目は相変わらず細まった侭であったが、真顔だ。
 「そんなに俺を抱きてェのか?」
 「──!!」
 真っ向からのそんな問いに、銀時の頭にかっと熱が上った。図星と憤慨と、成分のブレンドは半々だ。今更そんな事をいちいち確認しないと駄目なのだろうかと、諦めに似た思考の出そうとする結論を押し遣ると、似た様な真顔を形作って土方の目をじっと見つめる。
 「〜、そんなの当然だろうが」
 出そうになる溜息を息継ぎに変えると、銀時は土方の両肩を再び掴んだ。柔くはない男の肩だ。多くを背負う事を選んだ侍の肩だ。それを好ましいと思う気持ちから段々と明確な恋情へと変わって行っても、この男に触れたいと思う気持ちは変わらなかった。どころか、より強くなって行った。
 「お前の事が好きだから、抱きてェと思った。お前の全部が知りてェし、お前に俺の全部を知って貰いてェし、お前と一緒に色んなものや感覚や思い出やらも共有してェし…、
 お前が俺のものになってくれたんだって、ちゃんと実感してェ」
 最早隠しても仕方がない。これが土方の必要としている『理由』とやらに足りるかなど解らないが、取り敢えず銀時は己の思う望みの形をそう言葉にして紡いだ。本音が駄々漏れではあるが、言いくるめる材料になるのならそれでも構うまい。
 (…ってこれ何の罰ゲーム?逆羞恥プレイ?)
 思いながら見遣れば、土方は眉を寄せて、少し紅くなった気のする顔を複雑そうな表情に歪めていた。照れている、と取るのならそれに近いのかも知れない。
 「要するに…、匂い付けしてェって事で良いんだな」
 「……アレ、なんか銀さん頑張ったのに犬以下って思われてる?て言うか言ってる?」
 尽くした筈の言葉が物凄く簡易的な解釈にされるのを聞いて、銀時はがくりと脱力の侭に俯いた。頷いた訳では断じてない。そんな頭上から土方の呆れ声。
 「単に手前ェの好きな奴をひとまず抱いて、安心してェって話だろうが。下らねェな」
 「え、この状況で、こんだけ恥ずかしい事言わされた挙げ句お断り宣言とか有り得なくね?つーかひとまずじゃねェって、俺は、」
 「が、」
 流石に不満顔で追い縋った銀時をそう遮ると、土方はさっと目を游がせた。酒の所為ばかりではあるまい、皮膚に走る赤みと体温。その意味する所は。
 「……そこまで必死なてめぇを見れたから……、その、……悪くねェ、な、と」
 「へ?」
 「〜っ、だから、その、こんな言い方しか出来ねェが、てめぇが本気なのかとか、遊びのつもりなんじゃねェだろうかとか、ちゃんと知りたかっただけで、」
 素っ頓狂な一音を上げる銀時に、殆ど勢いでそう言うと、そこで土方は口を上下させてからぼそりと小さな声で。
 「…もう解ったから良い。てめぇに任せてやるから、好きにしろ」
 そう、許可らしきものを寄越したのだった。
 銀時は一連の言葉を数秒で咀嚼すると、改めて土方と言う男の不器用さや、強がる余りの自尊心の高さを思い知って、一気に脱力した。同時に、僅かでもあった嫌われて拒否されたのかも知れないと言う可能性を完全に棄てられた事に安堵する。
 「つまりやっぱ据え膳だったって事ね。……お前本当解り辛いわ」
 「誰が据え膳だ、黙って喰わせてやる程俺ァ甘かねェんだよ」
 「はいはい」
 むっとした様子で言い返して来る土方を溜息混じりにいなすと、銀時は改めて土方の肩を押して、腕を回した背に体重をそっと傾けた。ぴく、と咄嗟に触れた背が緊張するのを掌に感じながら、顔を近づけてそっと囁いた。
 「……って訳だから、お前が欲しい。抱かせて?」
 また力比べになっては堪らない。だから、今度こそ解り易い理由をくれてやろうと思って。
 土方からの返事は、黙ってただ、背に込めようとする力を抜く事だった。




土方の自尊心を宥めるのが銀土最初のおしごと。

マーキングされる事が嬉しかったとは死んでも言えない。