不器用な秋刀魚の食べ方。



 「はぁい」
 と、そんな気の抜ける声を上げてひらひらと掌を振ってみせる男の姿を見下ろすこと十秒ほどか、土方は鯉口を切りかけていた刃を鞘へと戻し、自然と重たく吐き出される溜息と共に呟いた。
 「……はぁい、じゃねェだろ不法侵入者。で、何の用だ」
 他人の所有する土地や家屋に許可無く無断で押し入る事を不法侵入と法では定義する。警察である土方は本来その点を寧ろ追求して然るべきなのだが、最早そんな事をいちいち口にし、文句を言うも注意をするも馬鹿馬鹿しくなって仕舞う程度には、この男の『不法侵入』には慣れて仕舞っていた。不法侵入と書いても、そのルビには来客とふれる。悲しいかなそんな存在なのだ。
 文句を言うより注意をするよりも先に来訪理由を問いた土方に、坂田銀時と言う名の不法侵入者──来訪者──は、何て事もない様に目を細めて口端を持ち上げて笑うと、その手にぶら提げていた重たげなビニール袋を示してみせた。
 「聞いて驚け、秋の味覚。安く手に入ったから、引き籠もりの副長さんの為にわざわざ持って来てやったんだよ」
 恩着せがましさを強調する様にそう言うと、銀時は縁側を離れて庭へと降りた。その背を見送りながら、土方は顰めた眉間に更に力が籠もるのを自覚して額を軽く揉む。
 憶えている限りではここ三日はまともに睡眠などとれていない。引き籠もりと銀時が当て擦りめいて言わしめる程にはここ一ヶ月近くは殆ど見廻りにも出れていない。
 仕事が忙しいんだから仕方ないだろう、と言ういつもの反駁は直ぐに浮かんだが、それを咄嗟に口にするのを躊躇う程には土方は疲れていて、銀時は上機嫌そうだった。
 口元に運ぼうとした手が持っているのが、煙草ではなくペンだった事に気付き、土方はばつの悪さを持て余す様にペンの尻で頬を引っ掻く。やはり人間睡眠が足りないと意識と判断力とが甘くなっていけない。
 庭にビニール袋を置くと何やら重たげな音がする。酒瓶でも入っているのかと眉を顰める土方の視線の先で、銀時がその中から取り出して見せたのは七輪だった。続けてまるで魔法の様に、小さな袋から練炭や団扇や焼き網が出て来て、最後に得意顔で向けられたのは青い半透明のビニール袋に窮屈そうに入った生魚。
 「秋刀魚」
 「はい正解」
 答えたと言うより、ただその名称が自然と出て仕舞っただけなのだが、妙に鷹揚な仕草でそう頷くと、銀時は一尾だけのその秋刀魚を、七輪の上にセットした焼き網に乗せた。どうやらこの場で焼くつもりらしい。
 「オイ、屯所の庭で何おっ始めるつもりだてめーは。ここはキャンプ場じゃねェんだぞ」
 「んな事言ったって、その場で焼くのが一番美味ェんだから仕方ねーだろ」
 どう言う理屈だ、と思ったが、きっぱりと言い切られた事で面倒になったのでそれ以上追求はせず、土方は両肩を落とすと、障子は開いた侭で卓の前へと戻った。その上には相変わらず書類山がいっそ芸術的な様相で積み上がっている。
 手暗がりになったので、壁際の文机ではなく部屋の中央に大きな卓を置いて仕事をしていたのだ。全く何の偶然か、それとも狙って来たのかなど知らないが、開け放たれた障子の向こう、庭の真ん中で七輪を前にしゃがみ込む銀時の姿がそこからはよく見る事が出来た。
 刀を傍らに置いて、座布団の上に再び座る。少し立ち上がっただけなのにもう臀部が痛い気がするのは実に腹立たしい。どれだけ身体に負担を強いているのかと思い知らされる気がして、実に。実に腹立たしい。
 書類山の隙間から一度だけ、練炭に火を点けている銀時の姿を盗み見てから、土方は再び手元の書面へと視線を落とした。
 何処まで進めたのだったか。突然縁側に他者の気配を感じて飛び出してみればあの様だ。仕事は中断されるし身体は痛みを思い出すしで、良い迷惑以外の何物でもない。
 眠気と疲労とを訴える目だが、一度書面の上に刻まれた活字を追い掛け始めれば直ぐに活性化する。記憶を繰って、時に卓に積まれた資料を開いて、時に算盤を弾いて、土方はもう庭を見遣る様な真似はせず、直ぐ様に脳を慌ただしく揺らす仕事の世界へと没入して行った。
 

 それからどれぐらいの時が経ったのか。長くてもきっと十分程度。不意に鼻を擽る匂いに心を引き戻されて、土方は書類山の隙間から庭を見遣った。
 庭は、有り体に言って白い煙に包まれてちょっとした小火騒ぎの様相と化していた。小火とは違うのは、そこに明らかに芳しい脂の焼ける香ばしい匂いが漂っている事だ。
 何だかまんまと填められた気がする。思いながらもペンを置いて立ち上がれば、煙の中にはわざわざご丁寧にもこちらに向けて団扇をぱたぱたと扇いで秋刀魚を焼いている銀時の姿が否応無しに目についた。
 「あとちょっとで焼けるから待ってな」
 「………」
 「やーほんと煙いけど、秋の風物詩って奴だよなコレ」
 「………そうだな」
 わざわざ仕事している人間の目の前でやる事じゃないが、と言う抗議を芳しい匂いと共に飲み込んで、土方はいつの間にか高くなった気のする空を見上げた。
 夕刻の近い空はよく晴れているがそろそろ夕焼けの色彩になっていて、雲はそんな橙とも菫ともつかぬ色になって薄く広がり、上着が無ければ随分と冷たく感じる様な風が吹き下ろして来ている。ついこの間までは上着があると寧ろ暑いと感じられる陽気だったと言うのに。
 屯所の庭木は大体防犯用途で植樹されている為に常緑樹ばかりだが、その中にもぽつぽつと山茶花が彩りを添えていた。この分だと街路樹や公園の木々は赤に黄色にとさぞかし派手に色づいているのだろう。
 仕事に夢中になっていると、当たり前の季節感を感じるのも忘れて仕舞う。秋刀魚にしてもそうだ。最後に美味いと思って食べたのは果たしていつだったかなど思い出せそうもない。
 視界は煙いし、生臭く脂臭い。それでも香ばしいそれが美味しい事は知っている。この季節には特に美味しいのだとも知っている。部屋の中まで臭くなりそうだ、と思いはするのに、それでも良いかと投げ遣りにでもそんな事を思うのは、この匂いを引き連れてやって来た不法侵入者が楽しそうだから──土方にそう思わせようとしているからであると、気付いて仕舞ったからなのか。
 「そろそろ良いか」
 声に視線を戻せば、銀時は割り箸を割ると器用に、網に脂でくっつこうとする秋刀魚を引き剥がして使い捨ての紙皿の上へと取った。小さなそれに収まりきれず頭と尻尾とが不格好にはみ出しているが、こんがりと焼けた表面で脂がじゅうじゅうと良い音を立てていて、見るからに美味そうだ。
 七輪に火消し蓋を乗せると、銀時はビニール袋から小さな魚の形をした容器を取り出し、赤いキャップを開けて中に入っている醤油を焼きたての秋刀魚の上にさっと垂らす。脂の匂いに醤油の益々に香ばしい匂いが加わって、自然と口中に唾が涌く。
 そんな土方の顔が空腹そうにでも見えたのか、銀時は喉を鳴らして笑うと、土方がしゃがみこんでいる縁側までやって来てその横に座った。
 「一尾しか無ェんだからもうちょい待ちなさいって」
 皿を寄越せと手を出す土方にそう言うと、銀時は割り箸を使って秋刀魚の腹の辺りをほぐし、箸に摘んだそれを土方の口元へと差し出した。
 「ん」
 大人しく口を開けば「火傷すんなよ」と口にほぐした身を放り込まれる。確かに熱かったが、少量なので骨に気を付けながら咀嚼しただけでその侭飲み込めた。
 「ど?」
 「美味い」
 脂のよく乗った身は言われずとも美味しい。次を要求する様に口を開けば、続け様に次の身が与えられる。何の餌付けなのだと思える程度には癪な事の筈なのだが、美味いのだから良いかと、感情ごと美味しい秋刀魚を飲み込む。
 「大根おろしと酸橘と白米が欲しくなるな」
 「あー解る。でも流石にそこまでは用意出来ねーわ。何ならどっかに食いに行く?」
 土方に与え、自分で摘み、交互に咀嚼しながら銀時は頷く。確かにそこまでするならそこらの食堂で秋刀魚定食でも頼んだ方が早いだろうけれど。
 「…いや。てめぇが持って来た事に意味があるんだろうしな」
 ぽつりとそう呟きを落とせば、片眉を思いきり持ち上げた銀時の妙な顔に出会う。
 「何だよ」
 「……いや。やけに素直だなと思っただけ」
 「ここまでされて気付けねェ程馬鹿じゃねェさ」
 咀嚼した身の、刺さりそうだった骨を抜いて紙皿の隅へと置きながらそう言えば、銀時は「あっそう」と素っ気なさそうにぼやいて肩を竦めた。
 仕事にかまけて季節感も忘れて外にも出て来ない恋人に、会いたかったとか、心配だったとか、恐らくはそう言った感情を抱いて来たのだろう張本人である銀時としては、あっさりと肯定されると言うのも複雑な事に違いない。その辺りは解らないでもないが。
 (わざわざ秋刀魚なんて買って来て、こんな事までしねェと理由にならねェんだろうしな)
 自分を棚に上げる形になるが、不器用な男だと思う。不器用だが、素直じゃないが、優しい男だと、思う。土方は真正直にそう言ってやるつもりは無いから、ただ向けられた表層的な部分を享受して、旬の旨さを味わう事に専心した。
 「なぁトシ、なんかこの辺で良い匂いが…ってそこに居るのは万事屋か?何してるんだお前ら」
 「良い匂い通り越してこりゃ公害ですぜィ土方さん。局中法度には、庭で秋刀魚を焼く莫れってありませんでしたっけ」
 やがて紙皿の上に残る秋刀魚が骨と頭と尾ぐらいになった頃、漂う匂いに誘われでもした様に近藤と沖田とがやって来た。土方は軽く、銀時は億劫そうに手を振ってそれに応じる。
 「秋刀魚かぁ。良いな、よし今日の夕飯は皆で庭で秋刀魚でも焼いて食べるか!」
 「どうせなら芋と土方さんも焼きましょうよ。落ち葉とゴミが片付いて一石二鳥でさァ」
 庭で七輪なぞ持ち込んで秋刀魚を焼いていた不法侵入者については土方同様に矢張り問わぬ侭、二人の手元を覗き込んだ近藤はぽんと手を打ってそんな事を言い出し、沖田は土方と銀時との様子を見比べながらそれに追従する。
 恐らくは秋刀魚の匂いに晒された部屋を見遣れば、そこにはまだ書類山が片付くのを待って佇んでいる。だが土方はそんな風景に背を向けた侭、七輪を貸すとか貸さないとか下らない言い合いをしている銀時と近藤の方を見遣った。
 (秋刀魚が美味かったから、)
 そんな下らない理由で良いのだ。銀時に告げるのはそんなものできっと構わない筈だ。土方がそうし易い様に、言い易い様に振る舞ってくれた男の気持ちを無駄に出来る程、土方は銀時の事を軽んじてはいない。
 「この七輪は特別な高級七輪だから、レンタル料五万円ぐらいするんですゥ」
 「良いぜ、五万円払ってやるから、その七輪は置いてけ」
 近藤に向けてそんな事を言っていた銀時は、不意に横から差し込まれた土方の言葉に「へ?」と口を丸くぽかりと開いた。
 間抜けな面だな、と思いながら、土方は立ち上がると仕事に疲れた手足を伸ばした。聡く何かを察したのか、沖田が呆れた様なジェスチャーをしてみせるのを横目に、スカーフを解く。
 「てめぇにゃ秋刀魚より美味いもん食わせてやる。行くぞ万事屋。先に玄関で待ってろ」
 「………おー。早くしろよ、銀さんもう腹減り過ぎて狼になりそうだからね」
 土方が言うその意味に気付いたのか、間抜け面を不遜な笑みに切り替えてそう言うと、銀時は七輪を置いてすたすたと庭を歩き去って行く。心なし早足だ。
 言い合いから取り残された形になった近藤は暫くの間疑問符を浮かべていたが、土方が私服に着替え始めたのを見て、漸く得心がいった様に頷いた。
 「成程、酒か。トシはここ最近ずっと働き詰めだったもんなぁ。ゆっくりして来ると良いさ」
 「ああ。悪ィな近藤さん。そう言う訳だから秋刀魚パーティには参加出来そうもねェ」
 「良いって良いって」
 楽しんで来いよ、と背を叩く近藤に押し出される様にして歩き出す土方の背に、
 「秋刀魚一尾たァ随分とお安いもんで」
 と、沖田の皮肉めいた笑みを添えた小声が向けられる。
 「……全くだ」
 食べ物に釣られた訳では決して無いが、皮肉を返す気もなく正直にそう言ってやれば、やってられないとでも言う様に沖田は鼻を鳴らし、「じゃ、山崎の野郎にでも言って秋刀魚買って来させますかねィ」と廊下を土方が向かうのと反対方向に歩き出した。
 (全くだ)
 もう一度そう胸中で諳んじると、土方は先頃は抜きかけた刀を帯の間にしっかりと収めて玄関へと向かった。
 これが銀時の呉れた秋刀魚より美味いものかどうかは解らないが、精々餓えを満たしてやれるに値すれば良いと思う。
 自分も相当に毒されたものだと、今更の様に気付かされた気のした土方は、隈の酷く刻まれているだろう目元をなぞって小さくわらった。




秋刀魚で土方が釣れたと言う棚ボタ。

食い散らかしはしない。