シュガーレスな休日を 昼を過ぎた頃のスーパーは賑わいが少ない。棚に並ぶ品々も昼の売れ残りが殆どで、新鮮な惣菜や食材には夕方の、客の多い時間でないとそうありつけない。 (菓子パンってのはそのへん、時間をあんまり選ばないよなあ) そんな事を考えながら山崎退が手に取るのは、昨今多い季節の食材を用いた限定味のパンでも、腹を満たすよりおやつ的な扱いになりそうなごてごてしたパンでもない。菓子パンコーナーの一角にいつでもあるのにいつも忘れられていそうな、然しその姿が消える事は決して無い、言うなればベーシックな種のパンだ。脈々と続きそうな伝統の一品、餡を詰めて丸くした生地を茶色く焼いたその表面にひとつまみの芥子粒を塗してあるだけの、極めてシンプルなあんパン。 以前は張り込み捜査の際の願掛けの時しか食べないものだった。幾ら手早く確実に腹を満たす手段とは云え、餡を詰めて嵩を大きくしただけの様な──実際食べていると真ん中を過ぎた辺りで大概飽きる──伝統と実用性一点張りのパンなど、そうそう日頃から毎日好んで口にしたいものでもない。 だが件の張り込みで陥ったエンドレスあんパン生活以来、気付けばなんとなく、食べるものに困ればなんとなく、気付けば弁当よりもなんとなく、些かなんとなく、の比率が高すぎるなと思う程度にはなんとなく、山崎があんパンを手にする率は高くなっていた。 そんな様に対して時々土方に「殺すぞ」的な視線を何故か向けられる事も多く、この「なんとなくあんパン」生活と言うのは、ひょっとしたら異常なものなのかも知れない、とは山崎自身思わないでもない。のだが、気付けばどうしてか矢張りあんパンの袋を店内用のカゴに放り込んでいる次第だ。最早強迫観念的な存在と言える。 (あんパンと言えば牛乳) そうなると必然的に選ぶ飲み物もあんパンに添わせたものになる。迷わず手に取ってカゴに放り込むのは紙パックの牛乳。直ぐに片付けるものだから賞味期限は気にしない。 (この組み合わせは一種の黄金比だ。いや黄金ペアだ。カレーに白米、ショートケーキに苺、キャプテンの翼君には岬君的な) そうしてカゴに入れた黄金の組み合わせをレジへと誘い、私服の懐から財布を取り出す。会計の間に、使えるクーポン券とかはあったかな、と山崎は紙幣入れを覗いて見るが、レシートのゴミ以外は特に出て来なかったので、会計そのものは小銭で事足りるだろうと顔を上げて待つ。 「はい、お会計八点で1,348円になります」 (えーっと八円あったかな…………、) 「え?」 一円玉を探りかけた手が止まる。眉を顰めながら山崎が自分のカゴを見下ろすと、中には自分で入れたあんパン、牛乳、魚肉ソーセージ……の他に、一個の癖に三連のものより値段の上回る生クリーム乗せのプリン、いちご牛乳、パック売りのみたらし団子、細長い巻きクレープ、素昆布の小さな箱一つが入っていた。無論山崎自身にこんな物たちを入れた覚えなどまるで無い。 (〜っこ、この甘味尽くしは……) 「あっ、スプーン一つ入れといて下さーい」 ぴき、と山崎の背後に走ったヒラメキの稲光をさらっと払う様な、覇気の無い声がそう勝手に背後から注文をつけ、カゴをも勝手に持ち上げた。 「1,348円だってよ、ジミー。小銭8円俺あるから貸してやるよ」 ちゃりちゃり、と会計トレーの上に一円玉八枚を落として、その男はすたすたと袋詰めのスペースに行って仕舞う。 「あっ、ありがとうござ…、じゃなくて、っちょっ、旦那?!何やってんですかアンタ!!」 「お客さん、お会計」 思わず追い掛けようとした山崎の腕をがっちりと掴む店員。 「い、いやあの、これ、ちょっと…!」 わたわたと山崎が自分のカゴの行方を追うと、万事屋の旦那、こと坂田銀時はさっさと袋に買ったものを放り込んでいる最中だった。大事なあんパンが袋の中に消えて行くのを見て、山崎は歯軋りしたい気持ちになりながらも千円札と四百円を大慌てで支払った。 「はい、60円のお釣りです。ありがとうございました〜」 「旦那ァアア!!」 釣り銭を掴むや否や、さっさと袋詰めを終えて店から出て行こうとする銀時を、山崎は血走った目で必死で追い掛けたのだった。 * 「ちょっと、何考えてんですかアンタ!それ俺の買い物ですからね?!何勝手にカゴに色々入れてくれちゃってんですか、お母さんと買い物に来た子供じゃないんですよ!」 しかも山崎の買い物より、銀時の買い物の方が量が多い上に値段も張っている。軒を貸したら母屋を取られたどころの騒ぎではない。 然し山崎の怒りなど何処吹く風。銀時はさりげなく袋を奪い返そうとする山崎の手をひょいと避けながら袋の中身をまさぐっている。 「奢ってくれてありがとうなジミー君。はいこれお礼のあんパン」 「あ、どうも…って言うかそれ俺のだし!」 それでも一応差し出されたあんパンを奪い取った山崎は、猶も自分のものの様に袋をまさぐって巻きクレープを取り出しもさもさ食べ歩き始める銀時をギリギリ歯を軋らせながら見つめ、暫し経ってから溜息をついた。 勝ち目のない戦いに挑むのは趣味ではない。金の方は後で万事屋に行って新八にでも訴え出よう──無駄だろうとは思ったが──と堅実な思考に切り替え、山崎は肩を落としつつも銀時の後を追い掛けた。まだ牛乳やら他の買い物を取り戻していない。 雑踏の中を、クレープをもぐもぐ頬張りながら歩く銀髪をちらりと斜め後方から見上げる。いつも土方の横に付く時のポジションを自然と取って仕舞うのは、見上げる両者の丈がほぼ同じくらいだからだろうか。然しその佇まいや歩き方は随分と違う。 一流の達人ともなれば歩き方一つにも身のこなしや心が自然と出る。銀時もただぷらぷらと歩いている様に見えて、その様にはしっかりとした骨があるのが解る。仮に今突然山崎が斬りかかったとしても直ぐさま腰の木刀を抜いて払い除ける事ぐらい簡単にやって除けるだろう。 (……でも副長とかと違って、警戒したくてしてるんじゃなくって、癖になっているとか、染み付いているとか、そんな感じに見えるんだよなこの人の場合は) 監察と云う職業柄か、人間を『見る』のは山崎の特技だ。自然と浮かぶ感想を溜息に混ぜて咀嚼しながら歩いて行くと、やがて銀時は公園の中に足を踏み入れた。木陰のベンチに「どっこらせ」と親父臭いかけ声をかけつつ座り込む。 銀時が真ん中ではなく端の方に座っていたから、山崎は真ん中を空けて同じ椅子の隅っこに腰を下ろした。 「あのー……旦那、俺の荷物そろそろ返してくれやがらないと困るんですけど…」 「んー?」 山崎の控えめな抗議が聞こえているのかいないのか、銀時は袋の中から牛乳パックを取りだした。投げ捨てる様な動作で返して寄越し、自分はみたらし団子のパックを発掘する。 「良いだろどうせ今仕事じゃねェんだし。てことは急ぎじゃねェんだろうし」 「そういう問題じゃ…って何で旦那が俺のスケジュール知ってんですか!そっちのが寧ろ大問題なんですけどォオオ!?」 「何、イライラしてんならそのあんパン食えば?糖分摂ると人間頭も心も冴え渡って清々しくなるよ、何事にも動じない強い心持てるよ、ホラ銀さん見習ってみな?」 何故か自慢気に顔などキリっとされても、みたらし団子を頬張った姿では元からない説得力がマイナス下落の一途を辿るばかりである。どうやら銀時が己の抗議に真面目に取り合う気は無いのだろうと判断した山崎は、ここに来て存在感を増した諦めと言う選択肢を胸中に転がしながら嘆息した。 「……アンタを見習うと糖尿かダメ人間にしかなりません絶対。で、何で非番だって解ったんです?」 確かに山崎の格好は私服だが、監察と言う役所柄、隊服以外の形で任務につく事は別段珍しい事では無い。銀時がそこまで知っているのかどうかは定かでは無いが、少なくともあんパンと牛乳と言う鉄板の張り込み装備を購入しようとしていた時点では、それが私用の買い物なのか仕事目的かなのかまでを判断出来たとは思えない。 「ジミー君も食う?団子」 「あ、どうも。……ってだからソレ俺の金で買わされたもんでしょーが?!」 差し出された団子を受け取って仕舞ってから眉を寄せた所で、山崎の頭にピンと来るものがあった。この勘の良さも優秀な監察として評価される点である。 (俺が非番だって事を何故か知ってて。んでやけに俺にイヤガラセじみた絡み方して来る) 何故か八つ当たりする様に。 …と、来れば簡単な足し算だ。 (さっき俺と副長が立ち話してたのを見てた…って言うか聞いてたのかな) スーパーに立ち寄る少し前の事だ。警邏中の昼休憩をしていた土方に山崎は偶然遭遇した。それで、今進行中の問題やらに混ぜて他愛もない事を立ち話しして、別れた。その時の会話の内容に、山崎が今日非番だと言う話も上がっていた。 銀時がそれを通り過ぎざまにでも聞いたのであれば、山崎が今日非番でスーパーに遅い昼食でも買いに行こうとしていた事まで知っていて当然だ。八つ当たりは恐らく、土方との会話内容に何か気に食わないものでもあったと言うところか。 (……やれやれ。迷惑な話だよ) 銀時が土方に、仲が表面上悪い癖にあれこれちょっかいを出しているのは、山崎でなくともちょっと見ていれば直ぐ知れる事だろう。そして土方も青筋を浮かべつつ本気で銀時を咎めていないのも、余り認めたくはないが解り易く解る事だ。 もぐもぐとみたらし団子を咀嚼しながら、馬にでも蹴られろと胸中でだけ呪っておく。 「スーパーの団子なんて大量生産モノだからどうかと思ったが、まぁ結構イケるもんだね」 「…そりゃどうも」 指についたタレを舐めて、残り二本になったパックを再び輪ゴムで止めて袋に戻す姿は、人の金で物を食べておきながらとは到底思えない評価と共に、相変わらず太々しい風情ですらあった。意味は違うが、確かにいっそ清々しい。 半眼になった山崎は、ぱり、とあんパンの袋を開いた。かぶりつく。 今日も、よく焼けた薄いパン生地はいつも通りの素っ気ない味わいだ。満足出来るものでもないが、取り立てて不満がある訳でもない。 ちらり、と銀時の横顔を見上げる。奴さんは今度はいちご牛乳のパックを開いた所だった。出っ張った飲み口に直接口をつけるのを待ってからぼそりと呟く。 「別に、いつも通りの仕事の話とかですよ?副長が幾ら休憩中だからって、俺なんかと楽しい話とかする訳ないじゃないですか」 ごぶ、と紙パックの入り口辺りで一瞬だけ妙な音がしたが、胸が空いた態度も気配も僅かとして見せず、気付かぬフリをして山崎はあんパンを頬張り続ける。 口元を乱暴に袖で拭った銀時の目が山崎を睨んで来るが、これにも気付かぬフリ。 「だからこんな嫉妬だか八つ当たりだかしないで下さいよ。俺にも財布にも迷惑ですから。ていうか当たるなら直接副長に当たって下さいよ。案外好感syぶぐっ」 言葉の途中で銀時に頬を片手で鷲掴みにされ、あんパンを噴きそうになって止まる。 「何勝手にアイツ絡みにしてんの?!だからお前はいつまで経ってもジミーなんだよ、いつになったらジミー大西くらいに進化するんですか?」 「いやそれ進化って言えrぶべっ」 「別にィ、アイツ関係ねーから。マジでねーから。有り得ねーから。気付いてねーなら良いから」 鼻息荒く言うと手はぱっと離れていき、山崎が頬を押さえて「いてて」と呻くのを余所に、銀時は先程噴きかけたいちご牛乳をヤケクソの様に飲み干した。 (やっぱり立派な八つ当たりじゃないかこれ…) 思うが、口には出さない懸命さは流石にあった。囓りかけのあんパンを見下ろし、山崎はもう一度溜息を吐く。 (多分、だけど。……否定しなかったもんな。楽しい話、って部分。つまり旦那には、俺と副長が話してる姿が何だか楽しそうに見えた訳だ) それは恐らく真選組の内側に居る時にしか土方の見せない(当人は意識してなくとも)素の様な表情だったのだろうことは想像に易く、銀時がこうして不貞腐れて見える程には、彼にとって珍しいものだったのかも知れない。 「……このあんパンみたいな物で。ずっと食べ続けてると、案外飽きるもんだと思いますよ?」 滅多にないものを見て、新鮮味を覚えて、山崎に少し当たってみたくなる事ぐらい、日々の彩りとして受け取るくらいの余裕持てるでしょうに、と、思いながらあんパンをもう一口、囓る。 すると、頬杖をついてつまらなそうに山崎を見ていた銀時が言う。 「でもお前今食ってんじゃねーか。飽きてねェって事だろ」 そして今更の様に、少しばつが悪そうに顔を顰めて銀髪頭をばりばりと掻いた。遠回しに肯定して仕舞った事に気付いたらしい。 「まあ…そうですけど。俺なんかから見れば、旦那と言い合いとか喧嘩とかしてる姿の方が、マヨネーズもかけずプリン食べてる副長の姿を想像するくらい見慣れないもんなんですけどね」 銀時と下らない撞着を起こしている土方の姿などは、山崎に攻撃をしたり、沖田と危険な喧嘩をしている姿とはまた違う、真選組の中ではそれこそ見られない光景だろう、と暗に言ってやる。 ちら、ともう一度銀時の顔を伺い見ると、頬杖をついた侭彼は先程よりも大分つまらなそうな表情で唇を暫し尖らせていたが、やがて袋から団子のパックと酢昆布を取り出して立ち上がる。 「それ、やるわ。間違ってもアイツには食わせんなよ。何せ相当レアな光景らしいから」 そして座っていた場所に、プリンやソーセージの入った侭の袋を置くとそう言い残しさっさと背を向けて仕舞う。 (やるもなにも俺の金……まぁいいけどさ) あんパンの最後のかけらを飲み込んで、山崎はベンチの背もたれに思い切り寄り掛かると空を見上げた。複雑に澱んだ心中に一切関わらず頭上からは爽やかな晴天が見下ろしている。 団子と酢昆布は新八と神楽への土産なのだろうか、最後まで人の金で好き勝手されたと言うのは実に腹立たしい所だが、まあそのうち回収すればいいかなと思い、袋からプリンを取り出す。スプーンも入れて貰っていたのは都合が良かったと思いながら、山崎は生クリームが一糎くらいたっぷり乗ったプリンを掬い、ぱくりと口に放り込んだ。 「……甘いなぁ」 清々しくなるとか、思考が落ち着くだなんて、嘘だと思った。 山崎は土方に片思い(憧れから本気までレベルはお好み調整可能)してるのが理想なんです。銀さんは既に両思い確信があるってことで山崎の事はライバルにも見てないんだけど、土方と気安く会話とかしてるの見ると、ちょっと妬けばいんじゃね的。 ちっともシュガーレスじゃないのに何故か甘くてほろ苦い。 |