妙し花の散りぬるを



 その夜、殆どの光の落とされた、深夜の繁華街の暗闇を照らすのは月明かりばかりではなかった。夜の陰影を、そこに蠢く者らを地上で濃く映し出すのは赤色の光。
 夜を裂くのは光ばかりではなく、喧噪もだ。遠いサイレンの音、近くを走り回る靴の音、そして車輌無線を片手にした、良く通る鬼の副長の声。
 「一番隊はその侭担当区画の追跡続行、十番隊は網張りをしろ。二番隊は──」
 真選組、と書かれたパトカーのボンネットに肘を付き、手にした無線に向けて次々と指示を出す土方の横顔を、回転する赤い光が何度も舐めて行く。
 指示を続けながら、傍らの山崎が差し出して来た資料を受け取り厳しい侭の目つきで斜め読みすると、一通りの抜かりの無い事を脳内で確認し、一呼吸間を置く様に無線から一旦口を離す。
 すう、と小さな呼吸音。
 「良いかテメエら、連中はまだそう遠くには逃げちゃいねェ。真選組の威信に懸けても、一人残らず叩ッ斬れ!」
 彼らの腰には佩刀を赦された一振りの刃。斬る、と言う言葉に応じるかの様に、周囲からは柄に手を遣る気配が返る。
 「相手は先の爆弾テロの残党どもだ、遠慮は要らねぇが兵装には気を付けろ。火器なんざうっかり使うんじゃねェぞ。量は多くはねェだろうが、爆発物所持してたら始末書じゃ済まねェからな!」
 鬼の副長の、些か凶悪な笑みすら混じっていそうな指令に、無線の向こうから次々了解の声が返る。
 見え辛くとも、感じ辛くとも、そこが紛れもない戦場である証の様に、駆け回る真選組隊士らの表情には恐怖よりも高揚感が濃く顕れている。
 そんな有り様を雄弁に表す各々緊張の混じる硬い声達に混じり、一際明るく暢気な声がふと響いた。
 《大丈夫ですぜ土方さん。今宵の俺のバズーカは血に飢えてるみてェなんで、一発で逃走犯の一人や二人や五人でも十人でも、どこに逃げた所で蹴散らして見せまさァ》
 「…オイ総悟てめぇ人の話聞いてたか?火器厳禁たァ、撃つなって事だ!連中が爆弾持ってたら、バズーカ一発の爆発じゃ済まねぇだろーが!」
 戦場には些か似つかわしくない、暢気を通り越してマイペースに過ぎる沖田の声とその言う内容に、土方は乱暴に無線に向かって怒鳴り散らした。その大音声に横で山崎が肩を縮めて耳を塞いでいるが、恐らく他の車輌の隊士達も同じ事をしているだろう。
 《好都合じゃねェですかィ。どうせ連中はテロリストだ。葬儀の手間とか省けますぜ。まァ大船に乗った心算で居て下せぇ、しっかり木っ端微塵にしてやりますから》
 「泥船に乗ったテロリストお前!嬉々として町に無駄な被害出そうとしてんじゃねェよ!──良いか、撃つなよ、絶対に撃つなよ?!」
 《任せといて下せェ。責任取るの俺じゃ無くて副長職の人らしいんで》
 ぐっと親指でも立てていそうな明るく頼もしい声音と共に、土方の絶叫や願い空しくも無線が切れる。一方的な断絶の音と共に。
 山崎の同情めいた眼差しを受けて、土方の手の中で無線がばきりと音を立てた。
 「……行って来る。山崎、指示出し代行頼んだ。何かあったら直接連絡しろ」
 「あっ、は、はい……副長、お気を付けて…」
 ぽいと投げ渡された無線を受け取った山崎は、煙草を投げ捨てながら怒りの侭にずかずか足音荒く走って行く土方の背を見送り、それから手の中の、線も切れて壊れた無線機を見下ろして溜息をついた。
 赤い回転灯を引き連れたサイレンの音が遠くまで響いている。慌ただしい夜になりそうだった。

 *
 
 (ったく総悟の野郎、こうなりゃ撃ってようがいまいが、始末書書かせてやる…)
 浮かんだ小さな復讐心に大人げなさを感じなくも無い。土方は奇しくも山崎のものに質の似た溜息をつき、静まり返った町中を駈けていた足を小走りにして止まる。暫し耳を澄ませて周囲を伺い、騒ぎの起きている方角へと顔を向ける。
 月明かりに照らされた雲から夜空、更に下へと視線を遣れば飲み屋と飲み屋との隙間にぽっかり空いた黒い路地があった。
 突っ切れるならこちらの方が近いな、と周辺の脳内地図を検索し、土方は路地裏の入り口に積んであったビールケースをひょいと飛び越えた。店の裏口などが軒を連ねている道は、通り抜ける用途で存在する訳では無いからか灯りひとつない。そして肝心の道幅は斬った張ったには少々手狭な程度。もしも何かに遭遇したら一旦路地から出る事を考えた方が安全だろう。
 ついそんな事を考える自分に苦笑し、こんな所に都合よく逃走犯が居て堪るかと思い直す。仮に逃走犯でなくとも、突然斬りかかって来る物騒な輩に遭遇する率も限りなく低く有り得ない。
 狭く、足下も解らない道を行く為に自然と土方の速度は落ちていた。これなら少々遠回りをしてでも大通りに出た方が良かったかもしれない。
 (まあ要は総悟が馬鹿やらかさなきゃいい訳だ。隊の誰かが止める…かも知れねェし、先に他の奴が確保する…かも知れねェし………ひょっとしたら犯人は爆弾持ってねぇかも…知れねェし)
 追い掛ける敵にまで期待を掛けて仕舞う程思考がどこか逃避気味らしい事に気付き、土方は歩調をもう少しだけ緩めた。どうせ幾ら急いだ所で沖田が想像通りの不始末をやらかすだろう予感の大きさが自然と、急く気持ちを萎えさせる。
 (近藤さんが不在の間で良かったって言や、良かったのかも知れねーが)
 沖田も決して始終巫山戯ている訳ではないし、弁えもある。筈だ。
 とは言え、近藤しか沖田の確実なブレーキ役にはなれない、と言うのが悲しいかな現実である。土方が幾ら注意した所で、激昂した所で、意にも介さないのが沖田総悟と言う男だ。
 何故自分がここまで苦労をしなければならないのか、と理不尽に思うのは今に始まった事ではない。フォローの達人だのなんだのと言われているが、それは好き好んでやっていると言うより、そうせざるを得なくなっただけの事だ。
 バランスが取れている、と近藤ならそう言うのかも知れない。だが、それは三者が在るべき所に収まっている時だけに通用するものなのだとは、土方には厭になるぐらい思い知れる心当たりがあった。当然その中には現状も含む。
 「ッ?!」
 溜息を呑んで顔を少し上げたところで、視界に見慣れぬものが飛び込んで来た。反射的に身構えた事で、ただでさえ重くなっていた土方の足はいよいよその場に立ち止まらされて仕舞う。
 眼前。路地裏の小汚い壁に寄り掛かる様にして、ゴミバケツを頭から被った死体が転がっていた。薄汚れた、裏寂れた場所に放り出されたそれは、まるで世界から打ち捨てられ忘れられた存在の様にすら見えた。
 「……」
 暗くてよく見えないが、形や体格からしてまだ若そうだ。こんな路地裏で野垂れ死んでいるのだから、それなりの理由があるのだろうが。どうにも違和感や不可解さが鎌首を擡げる。
 (ただの酔っ払いの凍死とかなら良いが──、)
 いい加減寒さも深まった季節だ、深酒に泥酔して死んで仕舞った、と言う事も充分有り得るが、それにしては死体はまだ若すぎる様に見えた。それに、ホームレスなどの様な形にも見えない。
 土方は軽く周囲を見回すが、周囲には何か事件の痕跡を匂わせる遺留品などはなさそうだった。ちら、と夜空に視線を投げるが、幸いかまだ爆発音は聞こえていないし、携帯電話が鳴る気配もない。
 通常、攘夷浪士絡みや凶悪な事件以外は真選組ではなく地域の奉行所の仕事だ。下手に手を出すと同心連中に逆に煙たがられる事もある。が、まあ乗りかかった船か、と思いながら土方は死体の前に膝をついた。この侭放置して行くと言うのも嫌なものだと思った、のもある。
 隠されたモノを暴くと言うのは大概碌なジンクスが無い。そんな先入観もあって、認めたくはないが少しばかり及び腰になりつつ、死体の上半身にすっぽり被さっている大きなゴミバケツに手をかける。人相を確認したいだけだと己に言い聞かせ、土方は思いきって死体の頭からゴミバケツを引き抜いた。
 「…………………………」
 結果から言うと、ジンクスも嫌な予感も外れた。
 暗くても──否、或いは暗かったからこそ、かも知れないが。現れた、ぐう、と酒臭い寝息を立てている銀髪頭には嫌になるぐらいに見覚えがあった。
 引きつった表情の侭、土方は乱暴にゴミバケツを叩き付ける様に元死体の上半身へと戻した。頭のぶつかるばこん、と言う物凄い音と共に、
 「痛て!アレ?何?夜?いや待てなんだこれ臭ッ!!」
 些か煩い声がゴミバケツの中に反響した。土方は露骨に溜息をつくと立ち上がり、躊躇い無しにゴミバケツごと、それを被っていた銀時を蹴り飛ばした。
 「んごッ!」
 悲鳴と共にゴミバケツは路地を暫し転がり塀にぶつかって止まった。そして、ややあってもぞもぞとそこから引き抜かれる銀色の頭。
 気持ち零度以下の温度を視線に乗せて、土方は頭を抱えて呻いている銀時を睨む様に見下ろした。
 「何紛らわしい事やってんだてめェは」
 「紛らわしいって何、確かに粉って言う字に似てるけどね?っていうかアレ?何でお前がこんな所にいんだ?アレ?何で俺こんな所にいるの?つぅかここどこ?」
 「こっちが訊きてェわ!」
 暫しきょろきょろしていた銀時だったが、知った姿を認めた事で新たな疑問にぶち当たった様だ。ゴミバケツから這い出すと埃っぽくなった流しをぱんぱんと叩いて、空と、足下と、土方とを何度か見比べている。
 やがてその視線は先程まで己の入っていたゴミバケツへ向けられた。
 「……ゴミの日?俺って燃えるの?燃えねェの?」
 「知るか!ってか違ェだろォォ?!てめェがゴミだとかゴミじゃねェとかそう言う些細な問題はどうでも良いんだよ、何でこんな所でゴミ出しされてんだって所に疑問持ってけ」
 苛立ちを隠さない土方の言い種に対して、銀時は寧ろ光明を見つけた風にぽんと手を打つ。
 「人生リサイクル的な願いを込めて?」
 「………前後不覚になるくらい飲んだくれてる人生なんざ資源ゴミにもならねェ」
 その場に胡座をかいて見上げてくる銀時の真顔に、土方は吐き捨てる様な仕草を込めつつ全身で溜息をついた。どうせ酔いつぶれて此処までの経緯など覚えちゃいないんだろうとは思っていたが、どうやら本当にその想像と真相は違えがないらしい。
 今では酔いも概ね醒めている様だが、ゴミバケツを被って路地裏に行き倒れた理由も思い出せない程の深酒だったのだろう。よくも毎日そんな飲めるものだ。羨ましくなどこれっぽっちもないが。
 「んで……、オメーは何でこんな所にいんだよ?酔っ払い取り締まりですか、寒いから凍死には気を付けましょうね週間とかですか、目つき悪く瞳孔開いといて今更人にも町にも優しいオマーリさんのつもりですかコノヤロー」
 妙に喧嘩口調でそう言った傍から銀時はくしゃみをした。洟をすする音がする。
 「んな暇じゃねェよ。通り道にデケェ不燃物が落ちてたってだけの経緯だ」
 「不燃物ってのは傷つくぞ、オメーみてェな公僕からはゴミみてェな人生に見えてもな、俺の心はいつでも燃焼出来るんだからね、そこいらの火点きの悪い生木とか練炭とかと一緒にするんじゃねーよ」
 「怒る所そこかよ…」
 銀時の言い分は常の口八丁から自然と出ているものなのか、その癖頭は碌に回っていない様で最早何処に突っ込めばいいのか解らない。酔っ払いの相手ではなく酔っ払い寸前の相手をしている心地になった土方がもう一度溜息をついた時、またしてもくしゃみの音。
 ずるずると洟の音を立てる銀時を見下ろし、土方は上着のポケットから、昼間町で手渡されたどこかの店のオープンセールだかなんだか書いてあるポケットティッシュを取り出した。座り込んで三度目のくしゃみをしている銀時へと投げつける様に渡す。
 「おー、さんきゅ…鼻水に溺れそうだわコレ」
 礼を言うなり続く、ずびー、と豪快に洟をかむ音から目を逸らして、土方は痛む頭を押さえた。少し離れた所では爆弾犯が逃げ回っており、それを追跡する真選組が走り回っているだろうに、この緊張感の無さは何なのか。
 戦場の匂いは、路地の裏側、民家の隙間までは及ばない。寧ろ、及ばせてはいけない、と言うべきだろうか。それにしてもこの温度差は如何なものか。逆に言えば、平穏と紙一重の場所にその平穏を砕くかもしれない犯罪が蠢いていると言う事だ。其処に居る者たちに気取られない様に。
 「結構アレか、ヤバい感じの事件か」
 「?」
 二枚目のティッシュを出しながら銀時がぽつりと呟くのに、疑問符を首の僅かの動きだけで返せば、彼は鼻を摘んだ侭の不明瞭な発音で続けてくる。
 「そう言う顔してた」
 ずび、と鼻をかみかけた所で四度目のくしゃみ。一枚では到底収まりきれなくなった洟を、銀時は苦い顔で拭っている。
 (…どういう顔だよそりゃ)
 一瞬疑問に思ったが、実際土方の口から出たのはそれとは全く関係のないものだった。
 「マジで風邪でも引いたんじゃねェか。良かったな、馬鹿でも罹る風邪で」
 「ちっとも良くねェよ、こちとら体より懐が寒いってのに」
 「どっちも自業自得だろうが。……ま、俺は急ぎだからもう行くが、てめェは二度寝する前にとっとと帰っとけ。間違っても泥酔凍死体になって人様に迷惑かけてくれんなよ」
 ざ、と暇を告げる意思を示す様に靴音を立てれば、
 「俺だって仕事中の警察官捕まえて、家まで連れてけコノヤローとか言やしねェよ。ハイハイお疲れさーん」
 少しむっとした様子の銀時も洟を片手でかみながら空いた手をぱたぱたと振って寄越した。今はそれに構う気もない。返す様にぷらりと片手を上げた土方が横を通り抜けようとした丁度その時。
 カンカンカン、と遠くから半鐘を鳴らす音と、警察のものとは異なるサイレン音が僅かに耳に届いた。夜の静寂をゆっくりと引き裂いて行く様な音に揺らされ、土方は現場のあるだろう方角を見上げる。そんな首の角度とは逆にその背筋を徒労感が滑り落ちていく。
 「オイオイ…何だ?」
 銀時の疑問に応える様なタイミングで、土方の懐の携帯電話がけたたましい着信音を鳴らし始めた。
 「…………」
 「関係あるんじゃね?」と口には出さずとも雄弁に見上げてくる銀時の視線を受けて、土方は無言で通話ボタンを押した。途端、戦場と暢気な路地裏とが繋がった証の様に、向こうから騒音と甲高い悲鳴めいた山崎の声が路地裏へと飛び込んで来る。
 《副長ォォォ!やっぱり沖田隊長、やっちまったみたいですよ?!連中が自棄で投げた爆弾に見事命中したっぽくて……、騒ぎ聞きつけて火消しまで出て来てるしで…、あーもう!どうしましょうコレぇぇぇ》
 山崎の乗ったパトカーも現場近くにいるのか、頻りに怒号やらサイレンやら悲鳴やらがBGMの様に響いている。
 その騒音は、よくよく耳を澄ませれば電話からだけではなく、夜の中にじわりと波紋の様に響き渡っていた。戦場も、路地裏も、そこに居る酔っ払いも、間に合わなかった土方も全て一緒くたにして。
 「…………」
 概ねを察したのか、鼻をティッシュで摘んだ侭の銀時から向けられる何処か同情的な視線がそちらを見ずともひしひしと感じられて、土方は苛立ちとも後悔とも憤怒とも悲哀ともつかない己の感情を暫し持て余した。許される状況であれば絶叫して頭でも壁に打ち付けたい所だった。
 堪えながら、諦めの心地で受話口を耳に当てる。電話の形状上、自然と通話口が口元に近付くから、溜息ももう吐けない。
 《聞いてるんですか副長ぉ?!重傷者や死者は今のところ居ない様ですが、隊内から怪我人も出てるし道路壊れてるしで……よりによって局長が居ないこんな時に…〜》
 「聞いてる。そりゃア殺されるな……とっつァんに」
 《〜ですよね……じゃなくって!どうしましょうコレぇぇ》
 情けない声を上げる山崎に、つきたくなった溜息を呑み込み、土方は懐をまさぐりながら続ける。極力冷静な声音で。
 「山崎、その侭俺の代わりに指示出し任せた。取り敢えず隊集めて被害確認と犯人の確保を最優先で行っとけ」
 《りょ、了解!………アレ?副長、ひょっとして覚悟決めちゃってるんですか?それともケツまくる気満々ですか?》
 「馬鹿言え。……近藤さんが留守なのは運が良いのか悪ィのか、ともあれ現場の責任者は俺だ。だから、殺されんのは俺だけで良いだろ。少ししたら戻る」
 普段であれば部下の尻ぬぐいは局長である近藤の役割になることが殆どだ。だが、その近藤は三日前から隊長と隊士を数名伴って、お偉方の地方視察に同道している。報せは直ぐに届くだろうが、帰還は土方が松平公に滅多撃ちにされるか、それとも腹を切るか──ともあれ責任を取らされた後になるだろう。何れにせよ今回の件には全く関わりがないと言う事になる。
 肩と耳の間に携帯を挟み、土方は取り出した煙草をくわえた。先程までは走っていたから吸えなかったのだ。どうせ最終的にはこうして吸うのだから、銀時と無駄な遣り取りをして疲れている時に吸っておけば良かったなどと、埒もないことを思う。
 「あと、総悟には始末書だけで良いから書かせとけ」
 《ええぇ…》
 無理です、と大差ないニュアンスの山崎の呻き声を最後まで聞かず、土方は携帯の電源を切った。煙草に火を点ければ、ヤニの匂いで僅かながら精神安定を取り戻せた気がする。気休めにもならなかったが。
 「なんか大変な事になってんじゃねェの?良いのかよ、副長サンがこんな所でサボってて」
 ぐじ、と猶も止まらないらしい洟をかみながら言う銀時の指摘を吹き消す様に煙を吐き、土方は振り返った。手を軽く伸べる。
 「ホラよ。立てねぇ程酔ってるワケでもねェんだろ。甘えてねェでとっとと立ちやがれ」
 銀時は伸べられた土方の手と見下ろす顔とを見比べ、口の端を下げた。鼻紙をぽいとゴミ捨て場に放り投げる。
 「いきなり何ですか?どういう風の吹き回しだコラ」
 「現場戻る前に、行き倒れ寸前の一般人の保護してこうってだけだ。人にも町にも優しいおまわりさんだからな、俺は」
 「…………」
 気持ち悪い、と言う声を雄弁に上げそうな銀時の表情に、同じく俺のが気持ち悪ィわ、と胸中でだけ返しながら、土方は辛抱強く待った。
 やがて、胡乱げな顔を隠そうともしない銀時が壁に背を預ける様にしてふらりと腰を起こした。向けられていた土方の手を掴み、支えに立ち上がるのを引っ張り上げてやる。
 「うぉ、なんだこれフラフラじゃねぇか俺!」
 「おいコラてめぇ寄り掛かって来んじゃねェよ!」
 立ち上がった銀時の足下は憶束なく、土方に凭れる形になって二人して壁に激突した。壁と銀時との間に挟まれた形になって、土方は踏ん張りながら銀時の腕を肩に回させた。肩を貸す様な姿勢を何とか作ろうと試みる。
 「寄り掛かりたくて寄り掛かってんじゃねェって!押し倒すなら布団の上が良いわ俺だって!」
 「なんで押し倒す話になってんだよ──ってかお前、」
 肩を貸すのに手を掴んで初めて気付いたが、銀時の体温は異様に高かった。土方は思わず手を伸ばして肩にだらりとぶら下がる様にしている銀時の額に手を遣ってみる。
 「熱あるじゃねェか……〜何やってんだよ」
 「あ?熱ってのは体内の免疫機能が働いてだな、風邪のウィルスを退治する為に熱くなんだよ。だから冷えても熱って言うのは正常な働きでだな。ちなみに俺の場合は四六時中ジャンプ読んでも燃えられるから、エコな世界にジャストフィットする環境にも優しい銀さんだからね、そこんとこ重要だから」
 一応己の足で立っては居るが、頼りない風情なのは熱の所為だったのだろうか。おかしな言動は八割方いつもの事として。
 「てめーの頭はいつでも熱暴走しt……いやそうじゃなくて、……〜ああもう面倒くせェ」
 銀時の腕を肩上で支え直して、土方は会話での意思の疎通を諦める事にした。くわえた煙草のフィルターを噛みながら、酔っ払いプラス発熱中の一般市民を家まで送り届ける方へと、そうするのが普通だと思う方向へと、思考を切り替える。
 
 *

 「京都方面の視察、だァ?」
 「ああ。幕閣のお偉いさん方がな、近々あっちで執り行われる朝廷の儀礼に参列する用向きがあるって言うんで、護衛を兼ねた帯同を求めるとの事だ。まァその儀礼自体はまだ先の話なんでな、真選組(俺達)の目的は飽く迄お偉方同様の『視察』と言う事になっている」
 近藤が土方に、珍しい小声でそう話したのは江戸城の一室での事だった。幕府の将軍派閥のお偉方に、警察庁長官である松平を通さず『真選組の局長』への呼び出しが直でかかるのは、滅多に無い事と言えば滅多に無い事だ。真選組結成から今に至るまで、ゼロではないがヒトケタ回数。大概は警察組織そのものを余り好まない連中の『極秘』の用向きであり、故にかその要求内容は碌なものではない。八割以上が嫌味でしか無い様なものばかりだ。
 呼び出しを受けた近藤は、副長の土方と、数名の隊士だけを連れて登城した。隊士らは城の外の待機所より入城を許可されず、土方は城内のこの控え室で待たされ、局長である近藤のみが実際に命令を受諾して来る。
 近藤は政治方面に疎く、また超がつく程のお人好しだ。例えば、お偉いさんの道楽にでも「警護をしろ」と言われたら断れないし断らない。それが真選組を田舎侍の集団であると馬鹿にする類の意味合いを持つ命令だとしても。
 土方は、近藤とてそれを理解している事を知っている。故に口出しはしない。もしも土方が提言したとしても、人の好い近藤ならば「助けを必要とされたのであれば、侍として、人としてそれは受けるが道理だ」とでも答えるに違いない。
 別にそれを呆れたり諦めたりしている訳ではない。そういう近藤の性質こそが、真選組の誠の魂の象徴なのだから。なればこそ土方は副長として近藤の受けた命令の遂行を支え、完遂させる事が役割だと己で自負している。
 だが、そんな土方であっても今回の命令には眉を顰めずにいられなかった。謁見を終えて戻った近藤に、珍しくも硬い表情で提言する。
 「よりにもよってこの時期に、か。……近藤さん、そいつは少々焦臭ェ。視察とは言え、万全の態勢で挑むべきだ」
 控え室は禁煙である為、土方は煙草を口にはしていない。とは言え、思考する時の集中力の支えにもなっているニコチンが無いからと言って頭が回らないなどと言う事はない。
 「…伊東の事件の片が全部ついて、まだ一ヶ月と経って無ぇ。正直な所を言えば、再編された隊の足並みも、殉死やら粛正した隊士らの補充、兵装も万全に整っているとは世辞でも言えねェ状態だ」
 隊内で伊東に付いた者全てが粛正対象となった訳ではない。中には攘夷派との繋がりがある事を知らず伊東に付いた者や、知らぬ内に派閥に取り込まれた者もいる。逆に、そう主張する者もいる。因って、真選組内部の完全な『掃除』はまだ片が付いていない。取り敢えず隊の人員を再編する事でそれらを焙り出したり、収めたりを図っているのだが、全てが元通りとなるにはまだ時間がかかりそうだった。
 そして、あの事件で粛正されただけでなく、殉職した隊士も大勢居る。それを見て辞めていった者らも居る。人員の補充、失った装備の補充、どちらとも手が足りていないのが現状だ。
 そこに来て『京都への視察』と言うあからさまな命令。京都にはかの高杉を含む過激攘夷志士の一派が潜んでいると言う情報もあり、また江戸から遠い地である事も手伝い幕府の権力が及び辛い。だからこそ警護を、と言う言い分は決して間違ってはいないが、この時期に、しかも局長へ直々に命じると言うのには不穏なものを感じずにいられない。土方でなくともそう思うだろう。
 「局長、副長下、何隊か人員を京都に割いた方が良い。謀があるとすれば、幕府のお偉方より寧ろ狙われるのはアンタの方だ」
 言いながら、だが、とも思う。真選組の本隊が離れ、手透きになった江戸で大きな事件を起こされる可能性も否定出来ない。江戸には真選組以外の警察組織や治安維持武力は当然あるが、白兵戦に特化しているのは間違いなく真選組以外に有り得ない。対テロ時の対策や対応も他組織の追随を許さない自信はある。あるからこそ、狙いが江戸にあるのでは、と言う推測も易い。
 幕府の内部には、真選組の失墜を狙う者、攘夷志士と密やかに手を結んでいる者、天人の非合法組織との癒着を狙う者の何れも多分に含まれている。それらの企みは今回の『視察』とやらの良い餌にしか成り得ない。
 土方の苦言に、然し近藤は難しい顔で腕を組むと、いや、と首を振って寄越した。
 「視察に赴くのは俺と、一隊ぐらいで構わん。トシ、お前はこっちに残り、江戸の方を任されてくれないか」
 「近藤さん!」
 「浅慮で言っているんじゃない。お前も気付いているんだろう、トシ。伊東先生の事件で、俺たち真選組は一つ、決定的な弱点を露呈しちまった」
 思わず声を上げる土方を諫めるかの様に、近藤は静かな声で続ける。
 「それは、頭が潰れちまうと簡単に烏合の衆にもなりかねないって事だ。だから先生はまず組(ウチ)の頭脳であるお前を真っ先に排除した。そしてその後はお前も知っての通りだ。組は思惑通り簡単に分断され、局長(俺)は容易に丸裸にされちまった。…フルチンって意味じゃないからな?言っておくが」
 「それは言っておかなくて良いから」
 真面目な顔でボケるな、と一応ツッコミは入れて、土方は眉間の皺を深くした。
 近藤に言われた通り、それは土方がずっと危ぶんでいた事だった。天下の真選組にはなんとも解り易い弁慶の向こう臑がある。実際、伊東の叛乱ではいとも容易く局長の命が隔離状態で狙われた。多くの隊士たちは副長と言う指揮者を失っていた事もあり、その危機に全く気付こうともしていなかったのだから。
 沖田が伊東派でも土方派でも無い、唯一の近藤派で無ければ、あそこで近藤は死に、真選組は疾うに形を失って仕舞っていただろう。考えるとぞっとしない話だが、紙一重で存在した可能性としては、重く肝に命じておいた方が良い。
 ともあれ──それがあからさまに露呈されて仕舞った、真選組の泣き所だ。
 近藤を象徴に、各々侍としての意志や警察としての使命感を刀に乗せる、単純で勁い集団なのは間違いがない。そしてそのシンプルさ故に、土方が指揮官として舵をとらねば隊士も所属する隊もその本領を発揮出来ないという現実。
 そして──これは土方自身の感じたものでしかないが、肝心の副長もまた、近藤が居なければ容易に折れかねないと言う、もう一つの実感の強い現実。
 「アンタの言いたい事は解る。だが、だからこそ局長の防備を万全にしておく必要がある。それでももし俺に残れと言うのなら、せめて総悟は連れて行ってくれ」
 苦い実感は半分ばかり隠して土方はそう提言するのだが、近藤は再びかぶりを振って返す。
 「副長(お前)や総悟と言う懐刀を伴えば、真選組の泣き所が局長なのだと益々示す事になる。だから此処は強く出ていた方が良い。組のまとまりつつあるこの時期だからこそ、だ。それに、考え過ぎ、と言う可能性もあるんだ。だからこそ江戸を手薄にする訳にはいかんだろう」
 「しかし、」
 言い切る近藤は、こう言う時は頑固さを見せる。長い付き合いでそれは土方も理解していたが、それでも、自分や沖田が近藤の護衛に付けない事になかなか納得など行く筈もない。
 無論近藤の言う通りに、土方の考え過ぎと言う可能性だって当然有り得る。或いは単に出方を確認したいだけと言う事も。然し可能性や疑心は言いだしたらそれこそきりがない。
 二人の言い合いに近い話し合いは屯所に戻ってからも続き、結局最終的に土方は、せめて自ら護衛の隊士を選抜すると言う事、定時連絡を欠かさない事、などの妥協案の果てに折れた。
 近藤が不在である事に不安材料は山とあったが、最も懸念していたテロ行為は警戒を厳しくしていた事もあり、今の所起きてはいない。
 強くした警戒に運悪く引っかかった、攘夷浪士の爆弾犯グループの逃走劇を平和な深夜に挟む羽目になった事以外は。
 あれだけ心配していたのが馬鹿馬鹿しくなるほど、近藤の視察も、江戸も、平和そのものだったのだ。
 
 *

 繁華街から少し離れて仕舞えば、町は何処までも静かないつもの平和な夜だった。民家や一般商店が軒を多く連ねる一角は深夜を疾うに回ったこの時間、自分達以外の動く影のひとつも見受けられない。
 万事屋銀ちゃん、と看板に書かれた屋号をちらと見上げ、土方は己の肩に凭れているその家主を見遣る。歩く内に熱が回ったのか単に眠気に襲われたのか、一応歩いては来たがすっかりぐったりとした様相だ。
 途中で倒れられでもしたら放り投げて行こうと密かに思っていたのだが、生憎と言うべきか、銀時は朦朧としながらも正体は無くしていない様で、暫くの間叩いていた軽口が止んでからもなんとか二本の足で立ってはいる。
 「オイ着いたぞ。階段ぐらい手前ェの足で昇れ」
 「あー……、うん、わぁってるっつぅの……」
 「……」
 妙に素直で覇気も無い。先程までのノリであれば悪態の一つくらい返しても良さそうなものを。思いながら土方は片腕で肩に凭れる銀時を、もう片腕で手摺りをしっかりと掴み、一段一段階段を上っていく。銀時の足下は既に惰性で、次の足を出さないと倒れるから出している、と言う感にすら見える。
 「〜重ェんだよ、ちゃんと歩け」
 「まだ武道館遠いのか?そろそろサライ聞こえて来る頃じゃね…?」
 「ボケる余裕があるみてェで安心したつぅか馬鹿馬鹿しくなるなオイ。放送時間何時間過ぎりゃ辿り着けんだよてめェは」
 煙草はとっくに棄てており、『荷物』に肩を貸している所為で新しく吸う事も出来ない。苛々沸き立つ感情を抑えて土方はなんとか銀時を万事屋の玄関まで運び終える。
 「鍵は」
 「かけてねェ……」
 「……警察官として言いたくなんだが、不用心は感心しねェ。てめぇ一人ならまだしもチャイナも居るんだろうが…。ぷちメスゴリラって感じだが、アレでも一応女で子供なんだぞ」
 防犯意識が足りねェ、と文句を言いながら土方は戸に手をかける。銀時の言う通り戸には鍵はかかっておらず、すんなりと開いた。
 「家主だろ、ただいまぐらい言っとけ。メガネ…はいねェか。チャイナは何処に居んだ…」
 玄関に入ってから施錠すると土方は三和土の靴を確認しながら、貸していた肩をするりと抜いた。支えを失って、どさ、と板の間に銀時が仰向けに転がり落ちる。
 「ただいm……って痛ェェェ!病人は繊細に扱えよ、優しいおまわりさんじゃなかったのお前!」
 落下の衝撃で意識が戻ったのか、上体を起こした銀時が吼え、そして再びばたりと倒れる。頭が痛いのか(落下した所為ではあるまい)抱えて呻いているのを見て、土方は溜息をつきながら靴を脱ぐ。
 これ以上世話をしてやらねばならない義務も義理もないが、ここまで関わっておいて投げ出すと言うのも癪だった。取り敢えず神楽を起こして世話を任せる所まではやっておこうと考え、真っ暗な廊下から応接間に入る。
 正面の窓にはカーテンなどはかけられていないが流石に深夜。部屋は思いの外に真っ暗だった。手探りで電気のスイッチを探すが見つからない。土方は暫し暗闇に目を凝らしてみたが、慣れない他人の家では勝手も解らない。
 結局電気を点ける事は諦め、続きの寝室の襖を開く。こちらの窓は角度の問題か月明かりが差し込み、ほんの少しだけ闇が払われていた。
 僅かに照らされた畳の上には、朝から出しっ放しだったのか、人が抜け出たその侭の形になった布団が敷いてある。
 怠惰なもんだ、と顔を顰めるが、今は寧ろ助かったかもしれない。この真っ暗な中で布団を出したりする手間暇のかかる世話までさせられるのは御免だ。
 (チャイナと、あのデケェ犬っぽいのは何処だ?)
 神楽と定春の姿が見当たらない事に首を傾げつつ、土方は一旦玄関に取って返した。銀時はまだ仰向けに倒れている。
 「オイ万事屋、聞こえてるか?寝る前に取り敢えず風呂入って体温めて来い。ついでに言うとゴミ臭ェ」
 そう声をかけると、銀時は「おう…」と小さく応えた。のろりのろりと再び上体を起こす。スローな動作に一瞬蹴り飛ばそうかと思ったが、病人相手にそれは無体かと思って止めておく。
 (……くそ、何で俺がここまでやってやんねぇとならねェんだよ)
 熱と眠気と両方だろうか。残った酔いも加味すべきだろうか。ともあれ、相当具合の悪そうな銀時の様に舌打ちし、土方はその辺りに上着を投げ棄てて先に風呂場へ向かうと、腕をまくって勝手に湯を張り始める。
 続けて、起き上がろうと苦心している銀時の横を再び通り過ぎ、寝室の布団の上に脱ぎ捨ててあった甚兵衛を拾って来て、脱衣所の目につき易い所にぽいと投げておく。
 「あっれ……何、一緒に入んの?」
 「ふざけんな、この上更に三助までさせる気かテメェは。とっとと一人で入って来い。寝コケて溺れんなよ!」
 いつの間にか脱衣所までふらふらやって来た銀時に真顔で言われ、土方は青筋を浮かべつつ、ぞんざいに払った。干してあったタオルを適当に投げ置くと廊下に出て、銀時がちゃんと風呂に入る、と言う作業に向かった事を確認し、廊下に戻る。
 「何アルか、こんな時間にうるさいアル。私の眠りを妨げる者は銀ちゃんであっても許さないネ」
 と。突然そんな声をかけられ、不覚にも土方はびくりと声のした方を振り返る。と、納戸らしき扉をほんの少し開き、そこから神楽が顔だけを出していた。半分眠っているらしく、目は開いていない。
 「ああ、許さねぇで良いから面倒見んの替われ。てめぇの親父が風邪連れてご帰還だよ」
 驚いた事など露ほども出さず土方は、やっと解放されるか、と思いつつ言うが、神楽は眠そうな目を先程より一ミリばかり開いただけだった。
 「深夜帰りで男連れ込む様な親父はいらないアル。お持ち帰りされたんならお前が爛れた朝まで面倒見てけやコラァ。せめてもの情けで朝は気付かないフリしといてやるネ」
 「誰がテイクアウトされたっつったよ!つか仮にも女が、子供がそんな発言サラッとしてんじゃねェ!」
 「いきなりお風呂直行じゃ説得力なんてカケラもないネ。朝になればきっと新八が赤飯炊いてくれるアル」
 青筋を立てる土方に向け、わざとらしいまでに口を尖らせた神楽は「やってられない」とばかりに頭を引っ込めて仕舞う。
 「いい加減にしろよどーいう教育してンだあの野郎は…!つーかな、俺はまだ仕事中なんだよ、親父じゃなくてもお前らのとこの家主だろうが、なんとかしやがれ!」
 閉まろうとする戸に手を伸ばしかけた土方は、然し寸前で神楽の怪力を思い出して留まった。挟まれたら指が落ちるどころの騒ぎではなくなる。
 「夜更かしは美容の大敵ネ。大体、か弱い女子供に大の大人の世話をしろとか、警察の言う台詞じゃねーアルよ………zzz」
 「オイィィィ!寝てんじゃねェよ、警察って言えば面倒事何でも押しつけられっと思うんじゃねェェ!」
 留まったと言う事は、天の岩戸が完全に閉ざされる、と言う意味でもある。ぴったり閉ざされた岩戸もとい納戸の戸を前に、土方は一頻り叫んでから歯軋りをした。最早何を言っても内側からは寝息やいびきしか聞こえて来ない。
 「……畜生め、社長が社長なら社員も社員かよ」
 据わった目で呻いてから、どうしたものかと暫し熟考。
 乗りかかった船と言うには些か入り組んだ運河まで入り込んで出られなくなっている気がしないでもないが、ここまで来たなら銀時をちゃんと布団に押し込むのを以て終了としようと、諦め混じりに決意する。
 (……どうやら、直ぐ戻りたかねェのは確かな訳だ)
 戦場に、と言うよりは現場に。普段であれば真っ平御免な筈の、万事屋の世話などを大真面目にやり遂げようなどと思って仕舞う程には先送りにしたい問題の様だ。
 事後処理云々を嫌う訳ではないし、責任もある。本当ならば指揮官である土方は今すぐにでも戻るべきだ。役割は下げる頭か切る腹かぐらいしか無いのだが。
 (それが面倒だ、って訳じゃねェ。どうせ全部被るのは俺しかいねェんだ。ただ──、)
 夜を裂く騒動から一度抜け出たら、不覚にも和んで仕舞った、この空気が。酷く不快で厄介な目に遭っているのは承知の上でも、そこに在った温度差に座り込みたくなっている。
 (〜どうかしてる)
 しっかりしろ土方十四郎、己の居る場所は真選組であって、負う責は山とあって、それはこんなユルい奴らの巣とは関わりなどない、と胸中で三度唱え、土方はふらふらと玄関へ取って返した。
 三和土の靴を見下ろし、やはりこの侭帰って仕舞うべきだろうかと逡巡していると、風呂場から銀時のくしゃみが何度か聞こえて来た。
 (……やっぱ、せめてアレを布団に押し込む迄、だな。イカンイカン、どうもアイツらのノリに呑まれ過ぎてるらしい)
 現場に居て疲れるのではなく、本来安らぐ筈の日常に居て疲れるとはどういう事なのか。単純にこれが他人の日常だからだろうか。
 (ああそうだ、真選組(俺たち)の日常は戦場だ。深夜に泥酔して風邪引く自堕落な一般人たァ違う)
 思いついた答えを呪詛の様に呟いた所で、再びくしゃみが聞こえてきた。脱衣所への戸を見て、土方は自棄の様な溜息をつく。
 「ここまで来たらおまけみてェなもんだ、畜生め」
 吐き捨てる様に言い、上着を羽織ると靴を履いた。施錠をもう一度開く。
 
 *

 どぷん、と湯に顎まで浸かって息を吐けば、ぽこぽこと泡が浮かんだ。代わりに口に入って来た湯を浴槽の外へと吐き出す。
 「……」
 その侭浴槽の縁にだらりと顎を凭れ、銀時は熱で侭ならない思考をゆっくりと脳内で煮込んでいった。主に現状の再確認と言う用途で。
 (…………いやいや間違いねェ。見間違える訳もねェ。アレぁどう見てもアレだ。土方だった)
 路地裏で泥酔していた所を些か乱暴に起こし、ここまで連れて来てくれた件の人物の詳細を確認し、そこで銀時は首を傾げる。
 (〜なんでアイツが、しかも忙しそうな所だったぽいのに、俺を助けてくれてんの?)
 いやいやいやいやナイナイナイナイ、と思わず突っ込むものの、銀時を引っ張り起こしたのも、ここまで肩を貸してくれていたのも、どう思い出した所で銀時の知る土方十四郎に相違なかった。
 (アイツが、真選組の任務放っといて俺に手ェ貸すとか?〜おいおい何の奇蹟…いやイヤガラセだ?)
 と、重ね重ね考えていった所で。警察らしからぬ態度も、至近距離で見た顔も、声も、煙草の臭いも、事件の気配も、どこをどう具に思い起こしていった所で、完成形は土方十四郎にしかならない。
 一瞬見せた鬼の副長の横顔も、同様に。間違いなく。確かにあそこに介在していたと言うのに。
 「………………何ァにやってんだよ、あの野郎は」
 思わず溜息が漏れた。よくは聞こえなかったが、携帯電話の向こうの山崎の慌てた声や町の喧噪、腹まで切る話をしていた様子からして、事件には真選組が──その副長が必要な筈だ。
 だ、と言うのに、それらを放り出してあの土方が、こんな所で一般市民の面倒などを看ている。
 放置されたらされたで、病人放って行くんですかァとか、酔いや熱の勢いでついぞ口に出しそうな気は自分でもしているが、銀時の印象としては、それでも最低限の関わり合いだけを残して任務へと向かって仕舞うのが土方十四郎像だった。
 (そりゃァ、まあ。大いに助かってるし?あの侭だったら風邪もっと悪化してたかも知れねェし?役得っていうか?実際嬉しいけどォ?)
 恩を売る売られるとか、嬉しいとか嬉しくないとか言うのはこの場合余り問題ではなく、寧ろ「何故あの土方が」と言う一種の奇妙さにこそ問題が──というよりは疑問が──あった。何かの気まぐれか、イヤガラセか、意趣返しか、それとも本気で心配してくれたから、なのか。
 「解り易い時は本ッ当解り易いくれェなのに、時々本気で解んねェよあの子」
 幾ら好意じみた感情があるとは言え、別に一から十まで相手を理解をしたい訳ではない。ただ、決して嫌なものではない、銀時の知る土方の有り様に合致しないものには不審なものを覚えて仕舞う。らしくない、とでも言えば良いのか。或いは、こんな一面もあったのか、と無理矢理納得すれば良いのか。
 (……責任は全部自分だ、とか抜かしてやがったよな。まるで、逃げてるみてェに)
 ぐるぐると思考する内、睡魔に似たものが暖まった体にじんわりと染み渡って行くのを感じ、銀時はかぶりを振って湯船から上がった。余り浸かり過ぎるとのぼせて体力を使って仕舞う。熱の高いこの状態で体力を無駄に消耗することは避けたい。
 「馬鹿な事、考えてなきゃ良いんだけどな」
 呻く様な呟きを残して脱衣所に出ればタオルと寝間着が置いてあった。アイツ意外とマメだなあと思いながら手早く水分を拭って寝間着を着る。
 長時間湯船に浸かっていた所為か今は余り寒さを感じないが、もう少し経てば冷えるかもしれない。布団に入る前に褞袍も探しておいた方がいいかな、と、熱以上に茫っとした頭で考えつつ銀時はタオルで髪の毛をわしわしと拭いた。びしょ濡れになっている時限定でストレートだった髪があっと言う間に好き放題に跳ね回るのを鏡に見れば、先程までの脳内議題の対象人物の髪質の素直さを反射的に思い出して何となく落ち込みたくなった。
 「……別にィ。滅多にないアイツらしくねェ優しさみてーなもんにトキメいたりとかしてねーし?嬉しくもねーし?いやさっき嬉しいとか言っちゃったっけ俺?って言うかこれってツンデレか?やっぱツンデレなのかあの子?」
 議題の続きをぼやきながら、銀時は廊下へと出た。ひやりと冷えた空気に早速背筋が震えたので、急ぎ足で廊下を歩き出す。
 「あれ?」
 真っ暗な部屋を通って寝室へ入ってみるが、そこには朝の侭の布団があるだけ。シーツは当然冷たい。
 薄暗い応接室を振り返るが、そこには誰の姿もない。定春ですら、納戸で眠っているのか姿が見えない。
 (えー……)
 くるりと反転し、玄関までぺたぺたと足音を立てて戻った銀時が三和土を見下ろせば、そこには自分と神楽の履き物しかない。土方は土足で上がった訳では当然ないだろうから、靴がないと言うことは。
 「……いや別にィ?がっかりとかしてねェけど…」
 もう帰って仕舞ったのか、と思ったら一気に背中が重くなる心地がして、銀時はいやいやとかぶりを振って肩を竦めた。
 「何だよ俺、さっきまで散ッ々真選組の仕事放り出すなんてアイツらしくねェとか物凄く不審がってたじゃん?土方くん平常営業中でしたーって安堵するべきだろコレは。そもそもアイツが任務放り出して俺の面倒看てたって事がイレギュラーなんだし?そうだよ俺、懐かしい日常へ帰ろうじゃないか!いやいや帰って来たんじゃないか!」
 一息でそう無理矢理片付けると、くる、とオーバーアクション気味に反転した銀時は寝室へと戻った。布団にもぞもぞ潜り込み枕に頭を沈めると、一気に眠気が押し寄せて来るのを感じる。
 (ツンデレツンってオチ?それもなんかアイツらしくねェけど…、いや、仕事放り出してる方がアイツ的には無理してる状態だろうからやっぱ普通って事か?)
 がっかりして仕舞った、拍子抜けだった、と言うのは事実だった。取り敢えず無理矢理納得して仕舞えと自らの裡なる感情に言い聞かせながら、銀時は重たくなる目蓋に逆らわず目を閉じる。
 (あ…、褞袍着る心算で忘れてた……。つか氷嚢とか用意しとけば良かったかなー……。それに注意されたのに玄関鍵閉めてねェな…)
 風邪の時は自分だけが不幸に感じる、と言ったのはお妙だったか。それを朧気な思考で理解しながら、銀時の意識は泥の様な熱の中へと沈んでいった。
 
 *

 どのくらい時間が経ったのか。ふと、何かが額に触れた感触を覚え、銀時は頭を動かそうとした。が、体が重たくて怠い。何もかもが億劫になっており、口を開くのも面倒臭くて目蓋にだけほんの少し力を込めた。
 布団の感じや空気の匂いはいつも感じている万事屋のそれだ。だからここは自宅の寝室に違いないのだが、ぼんやりとした視界に普段ならば見慣れない姿がいる。
 「……、」
 反射的に何かを言っていたのかも知れない。上着を脱いで袖をまくった其奴は、氷水に浸していた手ぬぐいを絞る手をふと止めて、薄く目蓋を開いた銀時の方を振り返ってくれた。
 「病人は気にせず大人しく寝てろ」
 そんな言葉と共に濡れた手ぬぐいが額に乗せられた。そこから伝わるひんやりとした感覚が心地よく、銀時の意識は再び眠りに落ちそうになる。が、なんとか全身の意思を総動員し、両目をかッと見開いた。普通に驚いていた。
 「……っえええええ?!ちょおま、なんで?なんで??」
 「なんで、たァ何だよ」
 体さえ怠くなければ起き上がってまじまじと確認したい所だった。寝た侭目を見開き口をぱくぱくとさせる銀時を見下ろし、土方は、はん、と不快感の強い溜息を零す。
 「まさかてめェ、泥酔の挙げ句熱出して人に散々迷惑掛けてくれやがったのを忘れたワケじゃねェだろうな?」
 「い、いや…、忘れる訳ねェけど…」
 「だよな。ワスレマシタなんて言いやがったら外に放り出す所だ」
 「脅迫?!これって脅迫?!忘れてたとしても言えねェじゃん!いや忘れてねェけど!」
 強ち冗談でも無さそうな事を真顔で宣言すると、土方はひょいと手を伸ばし、銀時の額の手ぬぐいの位置を直した。それから頬杖をつくと、未だ驚きの消えない銀時の方から視線を顔ごと逸らして大きく息を吐く。
 土方のそんな様子を暫く見つめてから、銀時は顎を反らして枕元の時計を見やる。時刻は、先程眠りに落ちてから小一時間と言ったところか。冬の今では未だ夜明けは遠く部屋は薄暗い侭だったが、人間が居る事で何処か温度は温かく感じられた。
 「あ、あのさー……、」
 暫く逡巡はしたが思い切って銀時が口を開くと、「あん?」と何処か不機嫌そうな──いつも通りと言えばそうだったかも知れない──声だけが返って来る。土方の視線は顔と共に、銀時から逸らされた侭だった。
 「てっきり、仕事に戻ったんだとばかり……、思ってた、もんで」
 なにこのなんか誰にとも知れない言い訳がましい台詞。と自分に一頻り突っ込んでいると、土方の顔がゆっくりとこちらへ戻って来た。その頬や、よく見るとシャツにも、少しだが煤汚れがついている。先程までは無かったものだ。
 「戻ったに決まってんだろ。指揮官がいつまでも現場放っぽりだしてるワケには行かねぇしな」
 己で出した疑問の答えをなんとなく見つけて仕舞った銀時へと、真っ当に答えを返しながら土方は懐から煙草を取り出した。火を点ける一瞬の明るさが仏頂面をくっきりと照らし出す。
 「指揮官の事後処理の大概はデスクワークだ。後は身を以て責任取るとかだが、そっちはそんな性急に行われなきゃいけねェもんでもなくてな。今から出来んなァ、精々覚悟決めとくぐれェだ。だから現場に必要な、現状把握と指示出しだけして来た」
 ぷはァ、と煙を吐き出す土方の表情は、精神安定のニコチンを摂取しても猶苦い侭でいた。銀時は枕の上から大人しくそれを見上げ、疑問の続きを果たして出して良いものか思案する。
 (なんでわざわざ戻って来たんだ、……って、訊いていいのか?なんか逆ギレのスイッチ押しちまいそうで言えねェよ!?)
 そんな銀時の表情から言いたい事を察したのか、土方は心底嫌そうな表情をしながら、少し温まった手ぬぐいを手に取った。交換するには少々早いが、ただ応えを返すには手持ち無沙汰だったのかも知れない。
 「幸い被害は大したもんじゃなかったし、それに」
 盥に満たされた氷水へと浸す、そんな作業は止めずに土方は何故かしみじみとした風情で言う。
 「腹ァ斬るかどうかはさておいて、その前に心残りは片付けとかねェとな」
 ぎゅ、と絞られた手ぬぐいが、今度は些か乱暴にべしりと銀時の顔に落とされた。額と言うより顔面半分を覆う勢いだ。
 「心残り、だァ…?」
 銀時が思わずそう口にすれば、手ぬぐいの上からぺちりと目元を叩かれた。
 「てめぇの言った、人にも町にも優しいオマーリさんってのを、ちゃんとやっとこうかと思っただけだ」
 思いがけない土方の言葉に、銀時は重たい手を動かして目元までを覆っていた手ぬぐいを退けていた。見下ろして来る表情は相も変わらずぶすりと顰められたものだったが。
 (ていうか……)
 「……熱あんの俺じゃなくってお前の方じゃね?」
 「人の親切心に最低なケチつけてんじゃねェよ。優しさに溺死する人間不信かてめぇは」
 つい、と言った感で出た真正面からのツッコミに、土方はほんの少しだけ青筋の浮かびそうな表情をすると、手ぬぐいを退ける為に布団から出した銀時の腕を掴んで布団の中へと戻した。
 「てめェが先に凍死したりしたら、腹ァ斬った後もてめェに会わなきゃなんねェ、そんなのは真っ平御免だと思っただけだ」
 「それの何処に優しさ成分があるんですか!?見当たらねーよ、優しさのやの字も見当たらねェんだけど!」
 「ちゃんとこうして看病してやってんじゃねェか。峠越える迄見守るとか、公僕の義務じゃねぇぞ流石に」
 自称「優しさ」の割には険のあり過ぎる表情で、大凡似合わぬ事を口にしている土方を、銀時は怪訝な態度を隠さず見返す。
 (ツンデレツン>デレ……予想外の二段構え?)
 胸中の声は何処か違う方角に逸れかけていたが、銀時は存外に冷静だった。故に、その想像が浮かれているのに似たものであるとも気付いていた。絶望的な程に。
 (ツンデレとかそう言うのはひとまず問題じゃねぇだろ俺。寧ろこれって…)
 それが、土方がらしくない、己の知る土方像と大分ズレていた事に感じた違和感なのかそれとも、知る由も無かった意外な一面を知った事に対する新鮮な驚きなのか。或いは、余り気付きたくないものに気付いて仕舞ったから、なのか。
 「大体、手前ェの面倒も見れてねェ奴に看病のダメ出しされる謂われはねェ。…それとも何だよ、不服か?」
 言葉の最後で、むすっとした表情で付け足され、銀時は「う」と息を呑んだ。凄んで言われるよりも明確なそれは、拗ねている、と名前を付ける事が出来そうだ。
 「いや、不服って訳じゃねェけど…」
 歯切れが悪くなる。これでは本当に、土方の優しさらしきものに溺死する土方不信だ。
 「あー……」
 出来るだけオブラートに包めるものがいい。弁解でも理由でも本音でも。言葉を探して呻く銀時の様子を、眉を顰めた土方が「何だ」とばかりに見ている。指に挟まれた煙草からは揺らいで上る一筋の煙。
 土方を、と言うより、その揺らぎを見ながら、銀時は小さく息を継いだ。
 「感謝はしてるよ、優しいおまわりさんつーかオメーに。ただ、こう──意外つぅか、ツンデレの威力っぱねえつぅか……おい、なんで得物手に取ってんの。なんで抜こうとしてんのォォ?!」
 「いや、なんかムカついたから」
 無意味に朗らかな口調でその調子とは相容れぬ発言を転がしつつ、銀時の臥した布団の横で土方は自らの愛刀に手をかけている。
 (ツンデレか、ツンデレとか言ったのが悪かったのか!?)
 「いいいや落ち着け、落ち着けよ土方くん?助けようとしてた相手の息の根止めてどうすんですか」
 「……それなんだがな、思えば別に、てめェの看病しなきゃなんねェ理由とか無かったかなと驚愕の新事実が浮かんだ」
 「会話ループしてんだろ!?人に優しいおまわりさんとか、半分は優しさで出来てます的な土方くん何処行った!」
 ずりずりと布団ごと後ずさりつつ泡を飛ばす銀時の姿を、刀を収めた鞘を水平に携えた土方の物騒な眼差しが数秒黙して見下ろし。
 「やっぱりアレだな、てめェと話してると普通に腹が立つ。何言われても箸が転がっても腹が立つ。だから黙って寝てろ」
 そう、投げ遣りに言うと、刀を体の左側に置いて腰を下ろした。
 「……なー、お前屈折し過ぎじゃね?」
 腕を組んで目を閉じて仕舞った土方を見上げる銀時だったが、その視線はポーカーフェイスにもならない仏頂面に阻まれ届かない。
 「何がだよ」
 「…………………いや、もういいです」
 真顔で返され、銀時は溜息を隠しながら布団を直した。額の濡れ手ぬぐいの位置を修正しようと手を遣れば、それより先に土方の手がそれを取り上げた。また氷水に浸し、絞って戻す。
 (この仏頂面でなけりゃァ、甲斐甲斐しさを有り難く受け取りたくもなるんだけどな…)
 見上げている視線から何かの意味を捉えたのか、土方は溜息をつくと煙草を携帯灰皿でもみ消した。
 「ンな不審がらねぇでも、てめェの寝首なんざかかねェよ。もう少ししたら帰るから安心しろ」
 端からそう言う角度で土方の事を疑ってなどいなかったが、そういう訳ではない、と言えば、また「そう言う訳ではない」理由を探さなければならなくなる。
 その事自体を忌避する訳ではないが、また迂闊な事を口にして土方に刀を今度こそ抜かせる予感はしていた。
 (…理由探してんのは、ひょっとしてコイツも同じか?)
 胸中で思わず呻く。人の事は言えないが、銀時はこの甲斐甲斐しささえ感じる土方の看病態度を受け取る為の理由を、土方は任務中だと言うのに拾って仕舞った銀時を看病している理由を、お互いに探している。
 もう一度見上げてみれば、難しく顰められた横顔に会う。視線は部屋の隅へと向けられていたが、表情同様小難しい事を考えているに違いない。恐らくは先程まで言っていた「事後処理」とやらについてだろう。
 それと同時に悩んでもいる。迷って、と言うべきかも知れない。
 現場から態と戻った、此処でさえ考えているぐらいなのだから、何もする事はないと土方本人は言ってはいるものの実際は指揮や鼓舞にでも立ち回っていたい筈だ。だが、それをせずにこんな所で銀時の看病などと言う酔狂な選択肢を選んだ理由と、それを除ける理由とに、だ。
 (……まるで、逃げてる、みてェに)
 先程も諳んじた邪推をもう一度喉奥で転がし、銀時は溜息をついた。思いの外大きく吐き出された吐息の音に、土方の視線が躊躇う様に戻って来て謀らずとも目が合う。銀時の注視には気付いていたから躊躇ったのだろう、その迷いの正体も恐らくは同じ質のものだ。
 答えが見つかっていても、それを理解しきれていないのだ。それを答えだとすら、気付いていないのかも知れない。
 「……………こんな所は、本来俺の居る場所じゃねえ。なのに、」
 漸く口を開いた土方は然し、そこで言葉を切ると、苦しさ以外の何も無い様な表情を作り、それきり天井を見上げて黙り込む。
 中途半端に落ちた沈黙の中、強い風だけが無遠慮に窓をがたんと揺らしていった。
 

 (なのに──、何で)
 そこから続けようと思った言葉は、口にする前に土方の裡で散って勝手に消えていった。
 わざわざ万事屋に言う様な事でも無かったのだろうと、或いは相応しくもない答えだったのだろうと、そんな予感はあったが、土方は苦労しながら己の中の疑問と感情とを掻き集めていた。
 煮え切らない。続くのは「なのに」以前の言葉の打ち消しだ。つまり、万事屋(こんなところ)に未だ留まる理由にほかならない。
 恩着せがましい病人が居るから?一度関わったものを今更捨ておくのは無責任な気がしたから?現場に戻ってもする事がないから?
 掻き集めた言い訳は今までにした言い分の繰り返しでしかない。そしてそれは全てを集めてみても、「自分の居場所でもないここに留まる理由」には足りない様に思えるのだ。
 そしてそれは、足りないからといって、足してつくらなければならないものとも、思えない。
 (………馬鹿馬鹿しい)
 こう至る思考がか、それとも本当は知っていた筈の答えがか。
 胸中で悪態をついた土方は、ずっと上向きでいた為に少し痛くなり初めていた顎を水平にすとんと戻した。天井には再発見など何もないし、目の前の病人にだって、
 「俺、なんか解った気ィするわ」
 何も変化などない。と思っていた其奴がいきなりそう宣うのに、不覚にも驚きや動揺を隠せなかった。気取られない程度に喉が動く。
 「何がだよ」
 いつからだろうか、土方の方をじっと見上げていた銀時の姿を視界に収めた途端、自然と眉根が寄る。特別喧嘩腰の物言いをした訳ではないのだが、銀時は布団から片手をひょろりと出して、三本、指を立てて見せた。
 「ハイ三択問題。当ててみろや、土方くんが帰りたくねェ理由」
 「………」
 腹立たしいまでの直球だった。「誰が帰りたくねェって言うんだ」思わずそう言い返そうとしたが、「なのに」で言葉を切った以上今更否定も出来ない。
 仕方がなく、土方は銀時を睨みつける事で反論するが、「解ってんだよ」とでも言いたげな表情にあっさりと流される。
 「じゃ行くぞー。1、銀さんの事が好きだから。2、銀さんの事が気になるから。3は秘密」
 一旦閉じた手指を言いながら立てていく。人差し指、中指と、まるで友愛のピースサインの様な形になった手だけを向けられ、土方の顔に青筋が浮かんだ。口元が引きつる。
 「ふざけんな、答え入って無ェぞ」
 「いやいや入ってるって。3とかお勧め」
 「……それもどうせ碌なもんじゃねェんだろうが」
 そもそも1と2も何なんだそれは。と文句は一旦呑み込んで、土方は呆れの強い溜息をついた。つかずにいられなかった。
 (少しでも真面目に聞こうとした俺が馬鹿だったか…)
 そんなことをボヤいてから、真面目に聞こうとしていた自分を発見した事に少々吃驚する。
 「いや。多分これが正解」
 そこに、妙にはっきりとした声でそう言われ、思わず土方は銀時を見下ろした。枕に乗せた後頭の下に両腕を組んで、何て事の無い様な風情の飄々とした──然し鮮烈な色の眼差しが、待っていた様に笑う。
 「3。今は近藤さんが居ないから」
 まるで何かの意趣の様に。
 「──ッ、、、!」
 僅かに眇められた目に、笑み以外の成分を見つけた土方の背筋が粟立った。ぞわりとした戦慄が手足の末端までを駆け抜け、息を呑む。
 反論や否定が何一つ浮かばなかった訳ではない。だが、それよりも先に憤怒や瞋恚以外なにひとつ湧こうとしない脳髄のずっと奥でどこか茫然と、銀時の胸倉を掴み上げて今にも殴りかからんとする己の姿を、土方は恐ろしい程冷静に見ていた。
 「副長(テメー)が責任を負う立場にあるって事ァ、少なくとも今は局長が全く無関係の所に居るってこったろ。テメーらの問題、全部手前ェ自身で付けられるから、病人の世話とかしてても問題無ぇって思ってんだろ」
 掴み上げられている事など意にも介さない様に。笑んではいる筈なのに全く笑っていない面へと、振り下ろしたい筈の拳が震えて動かない。何故ならば、理由が無いからだ。土方自身とてそれは理解出来るだけの分別はあるからこそ、留まった。
 「……な?正解だろ」
 これは解る、はっきりとした笑み。
 殴りつければ、そのへらへらとした表情も無駄な軽口も封じられるだろう。だが、それをすると言う事は、銀時の言う「正解」を肯定する事に他ならない。そしてその「図星」は、土方にとって少なくとも今は理解してはいけない事実だった。
 「……で、さ。手前ェが全部責任持ちゃ良いだけだからって、真選組(あっち)じゃなくて俺(こっち)を選んでくれたってのの正解は、1番?それとも2番?」
 胸倉を掴んでいる土方の手に、銀時の手がやわく触れてほどいた。熱の温度と見透かした様な笑みの残滓に、土方の頭にかッと血が上る。今度は止められそうにない。理由も、多分、揃っていた。
 「ふざけ、んなッ!!」
 ど、と横頬を殴り付けられた銀時の表情が視界からひととき消える。それをした手が、まるで熱が伝染したかの様に痛くて熱い。そして、殴られてなお離れない、柔らかく触れられているもう片方の手。
 「……3番は認めらんねェけど、こっちは認めんだ。図星」
 「っ、黙りやがれ…、その口閉じねーと、本当に叩ッ斬る…!」
 いてて、と言う割にはそうでもなさそうな銀時の顔が振り向き、動けない土方を捉えた。刀も、斬る信念も持たずに言う言葉には、余りにも力が無く、意味も無いのだと、呆れた様な、憐れむ様なその表情が言っている。
 「………………お前さあ。矛盾してるよ」
 「……黙りやがれ」
 「お前が護りてぇのは近藤であって真選組だろ。なのに何で、そん中にお前自身がいつも勘定に入ってねェの」
 「………黙れ」
 「拾っちまったからって、酔っぱらって行き倒れてた俺さえも勘定に入れてくれた癖に。手前ェは近藤や組の迷惑になんねェ所で責任取って死んだり罰受けんなら良いかとか、馬鹿な考えしやがってんの」
 「黙、」
 土方が遂に怒鳴りかけた瞬間、今度は銀時が逆にその胸倉を掴み上げていた。鼻面がくっつく程に目の前で、怒りに染まった表情が怒鳴り声を上げる。
 「なんで死ぬのは当然だとか満足だとか、手前ェの命の勘定だけ安売りしてやがんだよ!そんなら初めから道端で転がってた奴なんて拾うんじゃねェ!」
 今までにない様な種の怒りを孕んだ眼差しだった。少なくとも、土方は銀時のこんな表情など見た事がなかった。
 (なんで、コイツが怒るんだ…?)
 そう言えば前に一度だけ、銀時のこんな面を何処か遠くから同じ様に見上げていた様な気がする。自分ではなく、自分に似た意識が。眠りの狭間で見る夢に似た意識が、何に怒っているのかもよく知れない怒鳴り声に引き起こされて…、──
 「第一その真選組自体も、てめェが死んだら守れねぇだろ。3番の答えに執着し過ぎて、周り見えてねぇよ、今のお前は」
 胸倉を掴み上げていた手が弛んだかと思うと、背に回された両腕が思い切り力を込めて引き寄せて来る。銀時の胸に顔を押しつける様に強く寄せられ、熱い体温と石鹸の匂いとが土方をひととき静穏の現実に引き戻す。
 「俺が…、近藤さんが不在だからって、自棄起こしたとでも言う心算かよ……」
 「ちげェよ。手前ェで勝手に自信無くしてるだけだろ」
 平和な夜を砕いた攘夷派テロリスト共は斬ればそれで良い。問題を起こした沖田には腹が立つ。そしてそれを止められなかった、止められないと端から理解している己はもっと腹立たしかった。
 だが、それよりも先に安心していた。近藤が不在の不祥事に、胸を撫で下ろしていた。
 腹を切るのも、幕府の偉いお歴々に頭を下げるのも、何らかの沙汰を受けるのも、自分の役目だ。近藤が居なければ必然的にそうなる。
 「沖田隊長がまたやった」。山崎からそう伝えられた時も、いっそ痛快な気さえしたのだ。近藤が居なければ、それこそ魂が抜けたみたいに。自分一人ではたかだか数日ですら背負いきれなかった真選組を、後は護るだけで良いと。
 「てめェがそんな腑抜けちまってるから、沖田くんも言う事聞かねぇんだろ。局長が居なくて、何かあるかも知んなくて、組がまた壊れちまうかも知れねェって、んな怖がって逃げ回るたァ、鬼の副長が聞いて呆れるな」
 がつん、と頭を殴られる様な言葉の衝撃に、土方は思い切り腕に力を込めた。銀時を乱暴に引き剥がし、刀を掴み取る。
 「──ッぐ、」
 だが、抜刀する前に銀時の膝が土方の腹部を蹴り上げていた。横隔膜への痛烈な打撃に息が詰まり、動けなくなったその隙に刀を遠くに蹴り飛ばされる。
 鞘に納まった侭の愛刀が畳の上を滑り、一息では届かぬ距離へと遠ざけられる。くの字に身体を折って咳き込んだ土方だったが、刃の気配が遠ざかった事で逆に闘争本能が湧き起こるのを感じ、口元が我知らず歪んだ。蹴り飛ばした足を引こうとする銀時の膝を踏みつけ、もう一発殴ってやろうと胸倉を掴み、拳を固める。だがそれより先に銀時の手が土方の後頭部を掴んだ。足下の布団へ叩きつける様に引き倒される。
 両腕を突っ張った土方が俯せにされた身を起こそうとするより先に、銀時はその片腕を背中側にねじり上げていた。その上から更に膝で押さえつけられ、そこで漸く土方は王手を悟る。身体を左右に捩るが、膝で片腕ごと背中を、体重を掛けて押さえ込まれている。俯せである為に両足も役に立たない。
 「はい終了ォ!……あのな土方くん、布団の上でリアルプロレスとかやんないよ普通。違う意味のプロレスならまだしも」
 土方が自由になる為には、背中にのし掛かる銀時の体重を退ける以外にはない。然し幾ら体を左右に動かした所で、心得て人間を押さえつけている銀時の重みは揺らぎすらしない。そんな状態に晒され上から降って来る呆れ混じりの下世話な言葉に土方は奥歯を強く噛み締めた。
 (……畜生、)
 幾ら逆上したとは言え、本気で斬り殺そうと思った訳ではない。
 刀で負け、魂に瑕の様な衝撃を穿ち、貸しばかりを気付けばつけられ、己の最も弱った部分に優しい言葉で斬り込んで来る、そんな銀時の存在が今はただ疎ましかった。出来るならばもう一発ぐらい殴ってやりたい所だ。仮にそうした所で彼が消えて仕舞ったりなどしない事は解ってはいたが。
 (こいつの弁を借りれば、自信喪失とやらに陥った俺が、万事屋の野郎共の相容れねェ日常に…、よりによって一番立ち止まっちゃなんねェ所で、立ち止まっちまったって事、か)
 一番参った心が、一番座り込んではいけない所に居る事を選んだ。今更、現場で指揮なんぞ執って何になる、と。『責任を負う』結果だけを諾々と受け入れれば良いと、……、
 (逃げた、と言われても……反論は出来ねぇ)
 絶望的な、自覚のある呻きは声には矢張りならなかった。
 「しかも俺病人なんですけど?ちょっとは落ち着いて対話から始めてみたらどうですかァ」
 巫山戯た様な物言いは決して土方を嘲る様なものではない。真面目に説教などされたくなどないのを正しく解した故のものだ。
 だからこそ、腹立たしかった。
 見透かす様な指摘も、図星でしかない怒りの理由も、無用に気を遣った物言いも。
 「殺されんのは怖くねェっての?でも壊されんのは怖ェ?手前ェで護りてェものが護れず壊れて行くのには堪えらんねぇ?」
 「………」
 黙り込む。指摘されるまでもなく伊東の叛乱が正しくそれだった。もしも手の及ばない所で、近藤が、沖田が、真選組が──己の護りたいものたちが死んで仕舞ったらと言う、土方の考え得る限り最悪の未来だった。危うくそれを見過ごす所だった。
 「……お前、言っただろ。折れた刀ってあの眼鏡の野郎に言われても、手前ェを、近藤を守る剣だって言ってただろうが。そいつァ、近藤が居ないってだけでなまくらになっちまう様なもんだったのか?」
 小さな溜息と同時に、拘束が弛んだ。背に回されていた腕が自由になるのを知るが、土方にはもう抵抗する気は熄んで、残っていない。
 俯せの侭黙り込んでいる様子に何を思ったのか。銀時は背に乗せていた膝を退けると、土方の肩を掴んだ。ごろりと横に転がされ、仰向けにされた薄暗い視界に万事屋の天井が飛び込んで来る。
 「…………そういう、訳じゃねェ」
 漸く、そうとだけ返す。近藤を失った時、瓦解するのは真選組よりも先に己の方だろうと言う自覚はあった。土方十四郎という刀は、その意味の為だけに研ぎ澄まされ鍛え上げられたものなのだと、あの事件で強く実感せざるを得なかった。
 自身を、真選組に、近藤に、必要のないものであると考えたことはない。寧ろ強く自負していたからこそ、使い所はこれでしかないのだと、余計に己の命題としてただ信じた。
 刀を手に近藤に従った時に、それは決めていたことだ。人並みの幸せや生活、人で居られる贅沢は全て棄てた。
 だが、諳んじた胸の奥に何かしこりがある。迂闊に触れれば痛みを生みそうなそれから土方が目を逸らそうとした時、銀時の溜息が降って来た。仕方のない奴だ、とでも言いたげなその気配に思わず意識を向ける。
 「お前もさあ、偶には深酒の挙げ句泥酔して路地裏に寝転がって、風邪でも引いてみりゃ良いんじゃねェの」
 「……は?」
 「看病してくれる奴らぐらい一杯居るだろうよ。優しいおまわりさんじゃねェけど、俺だって見つけたら拾ってやってるね」
 一音だけで疑問と不審さを向ければ、銀時はさらりとした口調でそんな言葉を投げて来た。パスと言うよりは意地の悪い変化球だ。捕り損ねた土方が答えに窮するのにも構わず、続ける。
 「誰かに縋れとか、拾った風邪引きの酔っ払いに説教されろとまでは言わねェよ。でもよ、真選組(おまえら)の誰もが、お前にせよ近藤にせよ、禊ぎ全部投げ渡したりはしねェだろ…?アイツらだって、手前ェ一人に責任押しつけてまで無事で居てえなんて、思ってねぇ筈だろ…?」
 ……そんなことは、言われなくても解っていた筈のことだ。
 妖刀の仕業があったとは言え、土方は一度は真選組を追われた身だ。辛うじて伊東の叛乱を、万事屋の手を借りる事で未然に防いだが、その出して仕舞った損害は、土方が伊東に付け入られる隙さえ持たなければもっと少なく済んだ筈なのだ。
 山崎の負傷だってその一つだ。土方さえ失態を冒していなければ、起こり得なかった。
 だから土方は自ら謹慎を申し出た。近藤には必要無いと言われたが、その時間で禊ぐべき方法を、取り戻すべきものの膨大さを、ひたすらに考えた。
 そして結局妖刀の呪いさえ消せない侭でも、己の役割を自負した上で土方が戻った時、組の誰もがその帰還を手放しで喜んでくれた。迎え入れてくれた。ここがお前の居場所なんだよと、近藤の笑顔に諭された。
 (だから、俺は、俺には、)
 「だから、手前ェにも、生きる義務があんだよ。少なくとも、安易に投げるのなんざ、誰も、俺も、赦したりしねぇよ」
 呑み込んだ言葉を繋いだのは銀時の声。
 言い聞かせるかの様な言葉と共に、銀時の手が伸びて来て土方の頭髪をぐしゃりと掻き回してくる。体温だけではない、熱を持ったニンゲンの感触に、土方は息継ぎ未満の乾いた息をこぼした。
 泣きたかった訳ではない。ただ、息苦しい。疎ましさすら感じるほどに、それは不要な安堵を引き連れて触れて居る。
 「手前ェ一人で取らなきゃなんねぇ責任なんてのは、手前ェで拾った風邪引きかけの一般市民の世話にぐらいしかねぇだろ」
 だから、戻って来てくれたのではないか、と暗に潜ませて銀時がぽつりとそう呟いて寄越すのに、苦い、苦いものが喉の奥で笑えと促す。だが、到底出来はしなかったから、口の端を噛んで誤魔化した。
 「……それも、責任て訳じゃねェだろ。留まっちまった理由なんて、」
 「んじゃやっぱさっきの訂正するわ。拾った貸しとでも思って良いから、風邪引きの酔っ払いに縋っちまえ」
 覗き込む様に見下ろして来る銀時の顔がそこに割り込んで来たから、土方は片腕で自らの目元を覆った。銀時の顔を見たくなかったからと言うより、その問いに答える事が出来なかったからだ。
 (三択問題の、1だか、2だか……、どっちでも、もうどうでも良い)
 何をどう言い繕った所で恣意的とは言い難いだろう、張本人の土方は憮然とした侭、腕の下で目蓋を強く閉ざした。
 「事態に俺の責任の所在がどうかなんてのは、てめェの下手な慰めの用なんぞ無くても、解り切ってんだよ」
 だからこそ解らない、と小さく続けてから、土方はゆっくりと後ろ手をついて上体を起こした。捻り上げられた腕は少し痛むが、自業自得だ。ちゃんと動くかだけを手首を回して確認する。
 「……オラ、こんだけ銀さん心砕いてやってんだから、素直に縋ってく場面だろ此処は」
 「そこまでにしとけ」
 銀時はどこか憮然とした風情で、布団の上にあぐらをかいて座り込んでいる。そちらに視線も遣らず、土方は剣呑な目つきでそう遮る様に告げてから、煙草に逃げた。とんとん、と箱を軽く叩いて新しい一本を出しながら小さく鼻を鳴らす。
 「テメーは風邪っぴきの病人だろ。大人しく寝てやがりゃァ良いんだよ」
 「誰の所為?誰の所為で布団から追い出されてんの俺??」
 「んだよ、碌な寝事言わねェから悪ィんだろ」
 銀時の額に浮かんだ青筋目掛け、土方は盥からすくい上げた手ぬぐいを絞りすらせずに投げつけた。黙る様にと意味を込めて。
 (何が三択問題だ。巫山戯んのもいい加減にしやがれ)
 べしゃりと音を立てて飛来した手ぬぐいを顔面で受け止めて仕舞った銀時だったが、やがてそれを自ら剥がすと土方の傍らにある盥へと投げ入れた。やれやれと言う仕草で溜息をつく。
 「しかも何、結局無かった事にする気満々?──つか冷てェよ!あと濡れた布は窒息死するからお勧めしませェん!」
 「〜…いちいち煩せェな…」
 大人なら気ィ遣って黙っとく場面だろ、と溜息をつくと、土方は煙草に火を点け紫煙を吐き出す。そうして再び横を向いて難しい顔に戻れば、銀時は今度は随分と遠慮がちな小さな吐息をこぼした。後ろ頭をばりばりと掻きながら、大人しく布団へと戻っていく。
 「あーあ、暴れたから風邪悪化しそうだわ。ちゃんと責任取って面倒みてくんねェかなァ」
 「…………らしくねぇから帰れったの、テメェの方だろうが」
 「帰れとは言ってませェん。居る理由が欲しかったみてェだから頭悩ませてやっただけですゥ」
 恩着せがましそうにも取れる言い分を投げて、枕に頭を沈めた銀時は鼻を鳴らして笑った。忌々しさしか最早感じないその表情を見下ろし、土方は露骨に舌打ちをした。
 (帰り易くまでしてくれるたァ……親切なこって)
 帰るな、と言いながら、土方が機嫌を損ねるのを切っ掛けに帰れれば良いと、促している。
 確かにそれが正しい。恐らくは。あの負けが込んだ三択問題などよりも優先されるべきは、真選組の副長として局長不在の現状の中には山とあるのだ。土方は沙汰を待つのではなく、指揮を続ける義務がある。それこそ、最期の時まで。
 (てめェに心配されなくとも、別に見誤ってた訳じゃねェんだ)
 解っていて、留まるに足る問題を知っただけだ。卑怯な三択問題だとは思うが、戯言であっても良かったものだ。
 半分くらいの長さになった煙草を携帯灰皿でもみ消し、土方は躊躇いも惑いも疑問も棄てて随分と軽くなった腰をゆっくりと持ち上げた。部屋の隅に蹴り飛ばされた刀を拾い上げ、下げ緒をベルトに固定し佩き直し、最後にばさりと上着を羽織ると、布団の上の銀時を一度だけ振り返る様に見下ろす。
 「お仕事頑張れよ、副長サン」
 「てめぇに言われる迄も無ェ」
 目が合うなり、眠そうな目付きがへらりと笑って寄越して来るのに、口の端だけで笑って応える。
 痛痒などないから、これが正解。解答は四つ目、その他、だ。
 じゃあな、と言い残し、頭を事後処理へと切り替えにかかった土方の背中へと、「なあ」笑みを含んだ声が掛けられる。
 「仕事片付いた後でいいからよ、見舞いぐらいしてくんねぇ?」
 振り返りすらしなかったが、構わず飛んで来た銀時からの要求に、土方はどうにも上手くはない感触を持て余す。
 「……………暇だったらな」
 斬り損ねた事より余程敗北感の様なものを、然し悪くはなく感じながら、土方は夜の白みつつあるかぶき町へと出て行く。思い出して携帯の電源を入れれば、山崎や他の隊長らの留守電が山と入っており、思わず申し訳ない様な無様な様な心地になる。
 着信履歴の一番上にあった山崎からの電話にかけ直しながら、さて、どう問題を処理していこうか、元凶の沖田に始末書を何枚書かせようかと考え、土方は苦笑を浮かべた。
 これが自分の世界で、役割で、戦場で、日常で、居場所なのだと強く感じる様な事は、理由も居心地も悪いあの万事屋の中でなど有り得る筈も無い。それは今更思い知るまでも無い事だと言うのに。
 (それでも、あの中に留まりてェと……思っちまった)
 往生際が悪いのは承知で、土方は発信音の続く僅かな時間だけに、自身の物思いを挟むことを許した。
 これも何かの気の迷いかも知れない。だが、そう断じる為の根拠の無さが皮肉にも証明してくれていた。
 それをも読んでいたのだとしたら、卑怯な奴だと言わざるを得ない、が。
 《もしもし?!山崎です。副長?》
 通話の開始と共に、苦かった土方の表情が常の厳しいそれに戻る。
 ここからは真選組の戦う時間だった。
 



真選組っていう彼にとって絶対的な価値観の置いてあるものに万事屋サンが介入した動乱篇以降でなんか意識の角度が変わると良いなあと…。

絶えた花だった辺りお察し下さいっていうね…。