むかし 人情の如く鶯が啼いた 酷く静かに目が醒めた。 (……アレ?) 銀時は頭上の天井板に視線を向けた侭、ぱちぱちと何度か瞬きをした。 水底から上がって来た気泡が弾ける様な、押し出されて自然と開いた目蓋。すぐ様にそれに追従して働き出す意識たち。音や声や振動と言った外的な刺激を感じて目を開いた訳ではなく、単にそれ以上持続しなくなった眠気がほぼ完全に途切れた時にままある事だ。 要するに、眠り過ぎの事である。 空腹感や喉の渇きや尿意に促されて、ずっと動かなかった脳や身体の訴える倦怠感が吹き散らされて行く。早く起き上がって稼働しろと言う本能に背中をじわじわと押されながら、銀時は起きるより先に、取り敢えず仰向けの姿勢の侭でごろりと頭を動かした。枕元のジャスタウェイ型目覚まし時計を見遣る。幾ら眠気が途切れていたとしても、寝起きが億劫な心地である事に変わりはないのだ。 (やけに静かだな。今何時だよ…?) 目を細めて、手を伸ばせば直ぐ届く位置の時計の文字盤に焦点を合わせて。 そこで銀時は、日頃余り見開かない目蓋をぎょっと全開にした。撥條仕掛けの人形の様に勢いよく身体を起こす。 「って起きたら一時って!!十三時って!!」 思わず布団の上に正座し、目覚まし時計を両手で掴むと食い入る様にその差す文字盤を見つめて銀時は吼えた。時計が遅れている、或いは進んでいる、或いは止まっている、と言う可能性を寸時考えてはみるのだが、恐る恐る窓の方へと向けた視界の中に差し込んでいる外の光は、少なくとも日没の時間帯ではないだろう事実を告げて来ている。 無情に示す午後一時、十三時を告げながらかちかちと猶も進んで行く時計を畳の上にぽとりと落とすと、銀時は神妙な面持ちで窓を十糎ぐらい開いてみた。途端目を衝く、白く曇った空。雲の直ぐ向こうに太陽があるのか、白すぎて逆に眩しい。 きょろりと視線を左右に向けてみれば、午後の惰性の様な仕事や暮らしの動きを伝えて来る町中の穏やかな喧噪がそこにはある。 「……〜オイオイ。俺の夜どんなけ長ェんだよ。幾ら二日酔いでもコレはナイナイ……ねーわ」 がくりと項垂れた銀時は、そっと窓を閉じた。かぶりを振って、ほぼ半日停滞し凝った室内の空気に向けて溜息を落とす。 「つーかお前らな、銀さん起こす時はもっとハリキって来なさいっつったろ!仕事あったらどーすんだ!無ェけど!」 神楽と新八とが、やっと動き出した家主を前にじとりとした、呆れとも憐れみともつかない目を投げて来るのは想像に易い。だから極力乱暴な勢いで銀時は居間の襖をパンと開いた。逆ギレと言われてもおかしくない調子で一息に捲し立てる。 が。 「……れ?」 思わずぱちくりと瞬きをして、銀時は肩を落とした。想像とは異なって、万事屋の居間には誰の姿も無かった。ソファの上でいつもごろごろしている神楽の姿も、その近くで寝そべる定春も、台所から呆れ顔でお茶を持ってくる新八の姿も。無い。 否、それどころか、随分と長い事人が動いていなかった、そんな凝った空気が満ちている。同じ様に凝った寝室の空気が襖を開けた事で流れ出し、忽ちに怠惰な停滞感に浸されて行く。 人の気配の無さに特有の、閑か、と言うより、止まった、そんな様相である。 そっと足を踏み出し居間の床板を踏めば、冷えた感触が裸足の足裏を擦る。その感触に不快感よりも頼りなさの様なものを憶えた所で、銀時はふとテーブルの上に置かれた皿に気付いた。 皿の上には三つ、白米を握っただけのシンプルなおにぎりが並べられ、上からラップがかけられていた。その横には二つ折りにされたチラシがあり、手にとってみれば、内側にはボールペンで文字が連ねられていた。書き置きの様だ。 食事と書き置き。物凄く解り易い組み合わせだ。そうなれば、成程誰も起こしに来なかったのも得心が行く。 「なになに…」 どかりとソファに腰を落とし、銀時は丁寧に綴られた文字を目で追った。新八の字だ。 『銀さん、おはようございます』 「はいはいオハヨー。もうどう控えめに見ても早くはねーけどな」 胸中で読み上げた新八の声に、お座なりにそう返事を投げながら、銀時は手探りで皿の上のラップを剥がした。朝書かれた手紙と言う事は、これが置かれたのは朝と言う事でもある。白米はすっかり冷えていたが、ラップのお陰で水分は損なわれておらず、持ってみればずしりと重い。 『今日僕は予定通りお通ちゃんのライブに行って来ます。会場が大江戸遊園地だったので、姉上と神楽ちゃん、定春も一緒に行く事になりました』 「あー……そう言やなんか休むとか言ってたっけか。すっかり忘れてたわ」 『朝ご飯、冷めちゃうから握っておいたのでどうぞ』 「……」 朝食分だったらしいおにぎりをもぐもぐと咀嚼すれば、これも朝食だったのだろう、ほぐした焼き鮭が中に詰められていた。白米に味は無かったが、鮭が程良い醤油味な所に持って来て香ばしい匂いがして、美味しい。冷めていなければ猶美味しかっただろうが、冷めていても充分美味しい。 (ん?二枚目?この字は神楽か) 読み終わった紙面を戻そうとした銀時は、ぴったり重なっていた書き置きの二枚目に気付いた。こちらもまたチラシの裏面の再利用の様だ。白い紙面にみみずがのたくっている様な文字が躍っている。 『銀ちゃん、蹴っても起きそうになかったから留守番ネ。首洗っておみやげ楽しみにしとくアル』 「蹴って起こそうって方がそもそも間違ってるからね?つーか首洗う意味も間違ってるからね?」 時々器用に鏡文字になっていたりする、基本平仮名で構成された文面を何とか読んで行けば、やがて最後の一文。 『一人でさびしいからって女とか連れこむんじゃねーぞ』 「…………」 全く誰の教育の賜物か。大凡幼気な少女の書く手紙ではない。そう評して銀時は大きく溜息をついた。ツッコミが言葉にならなかったのは、それが強ち間違ってもいなかったからである。 (残念。連れ込もうと思ってたらフられたんだよな) おにぎりの最後の一口を咥内に押し込んで、銀時は溜息の延長線上で視線をぐるりと机の上の黒電話へと向けた。 昨晩そこから聞こえて来た声を記憶の奥に反芻すれば、溜息よりも本当に落ち込めて来る。 ──悪ィ。急な仕事が入った。 そんな、よくある断り文句。何度と無く聞き慣れていたそれが、思い出せば何故か今は酷く胸に刺さった。抜き損ねた棘や上手く剥けないささくれの様に、じくじくと留まって痛みを控えめに訴えて来る。 「……ま。お忙しいチンピラ警察の副長サンだしね?珍しくも無ェよ?本ッ当よくある事だしィ?」 恋人、と言うとむず痒い心地になりそうだが、一応関係を分類すればそう言う名称になるのだろう、黒髪黒服の男の背中が忙しく立ち働いている姿を脳裏に描きながら、銀時は態とらしく口を尖らせた。 結局ものわかりのよい男を演じて、「なら仕方無ェな。また今度で」そんなテンプレート通りの納得を告げた後には、二人で飲もうと用意していた缶ビールを片っ端から空けて、酔うに任せて不貞寝したのだった。それが尾を引いて、朝どころか昼まで眠って仕舞った所までが綺麗にこの現状に続いていると言うのが、何だか情けない心地になる。 残る握り飯二つを自棄の様に続け様に胃に放り込むと、銀時は空になった皿を持って台所へ向かった。鍋の中に律儀に残されていた味噌汁を冷たい侭お玉で直接啜って、汚れた食器類を手早く洗って片付ける。 それから厠を済ませて、もう一度台所に戻って軽く水を一杯煽ってから、生欠伸をしつつ身体をだらりとした動作で伸ばす。食事を入れて水分を摂って排泄も終えて仕舞えば、不思議とすっかり尽きたと思われていた眠気がまたぞろ首を擡げ始める。 新八と神楽は留守だが、万事屋が休業日と言う訳ではない。が、誰かが玄関を叩く気配も黒電話の鳴る素振りもない。午後の、怠惰に凝った空気にすっかり浸された銀時の頭は、既に何か能動的な行動を起こす事を放棄している。 今週のジャンプも既に読み切った。こんな昼下がりに面白いTV番組がやっている筈もない。散歩に出ても目当ての人物は忙しいから遭遇出来る目算なぞない。パチンコの元手も心許ない。買い物に向いた特売日でもない。仕事の入る気配もない。電話も鳴らない。 「……………」 ぐるりと一周した思考に溜息ひとつ。ぼりぼりと首の後ろを掻いて、銀時は誰もいない居間に背を向けると寝室へと戻った。 「さって。休業日みてーなもんだし、やる事も特にねーし、ガキ共はいねーし、予定も潰れたし……」 態とらしく声を上げて読み上げる事で、何もない、事を強調しながら、銀時は掛け布団を蹴って捲り上げた。布団に座りながら枕の位置を直す。 「ここは全人類の憧れ、魅惑の二度寝に励むか。仕事馬鹿の副長さんの分まで思いっっっっきり惰眠を貪ってやるよチクショー」 ぱん、と襖を閉じて、曇天とは言えまだ昼間の薄ら明るさを保つ寝室の中で、銀時は思い切りよく布団の上に横になった。先程まで自分が寝ていたから当然なのだが、布団の表面はぬるい体温を保っている。 昼間だと言うのに、窓の外は静かだ。目蓋の上を煩わしく照らす明るさ以外は。 ごろりと枕を頭と腕とで抱える様にしながら、布団を上まで引き揚げる。少しはみ出る足先が冷たくて、思わず縮こまる。 (まぁいいやとっとと寝ちまおう。寝てりゃあったかくなんだろ。……つーか、それにしても静かだな。いつもはアイツらが何かしら騒いでたし……。 あの頃もこんなもんだっけか?ちょっと前の事だってのにもう良く思い出せねーや…) 江戸に漸く住まいを落ち着けたばかりの、あの頃はどうだっただろうか。新八や神楽や定春が居なかった分、他の誰かが煩かった様な気がする。 (あー……寒ィな畜生) ぼやく内にも、望んだ通り目蓋は下りて、意識も段々と不定形の暗闇に呑み込まれて行き。 「──」 そして唐突に銀時は目を開いた。 「れ?」 視界には、万事屋の居間の風景が拡がっている。 いつもの恰好で、いつもの社長椅子に座って、銀時はぱちくりと目を瞬かせた。 (アレ?俺寝たよな?寝たんだよね?アレ逆?目醒ましたんだっけ??) ぎし、と腰が椅子から浮かぶ。周囲を具に見回してみるが、紛う事もなく、ここはスナックお登勢の二階、万事屋銀ちゃんの居間、でしかないのだが。 何故か違和感が拭えない。しんと静まった部屋。昼の温い光源。冷たく湿った床。何も変わらない筈なのに。 銀時は眉を寄せながら、寝室の襖をそっと引いた。そこもまた、憶えの深い万年床があるだけのよく見慣れた部屋だ。捲れた布団と、少し散らかった様子。 (……アレ?……………何か、変じゃねぇ?) 見慣れた光景に、然し何か痛烈な違和感を憶える。自分の空間を歩けていない様な、まるで霞でも食わされている様な、何とも形容し難い不快感。 (何か、) 思った途端、弾かれた様に銀時は廊下を駆けて玄関の方へと向かっていた。納戸の戸を乱暴に引き開けて、閑散としたその奥にある、押し入れに手をかける。 そこは神楽の寝床だ。元々は冬用の布団だとか棄てるのが面倒になったジャンプだとか、そんなものが仕舞われていたのだが、ここ寝るのに丁度良いネと勝手に住み着いて仕舞ったのだ。 銀時としては、年頃の幼気(かどうかはさておいて)な少女を押し入れに放り込むなぞ、虐待とでも疑われやしないかと当時は気を揉んだものだが、思えば神楽は神楽で不法入国且つ不法滞在者である。お節介な民生委員や大人が足繁くこんな所を訪ねる筈もないし、そもそもにして銀時が別に養い子──と言うより居候──に本当に虐待をしている訳でもないのだし。と、今ではすっかり気にもしなくなっていたのだが。 押し入れに掛けた手が少し震えていた。息を呑んで、銀時は、ゆっくりと押し入れを開く。 『オハヨ、銀ちゃん』 寝惚け眼で寝癖をつけて、眠たげに目を擦ってそこから顔を覗かせる神楽の姿は脳裏に鮮やかに見えて来るのに。 「──」 押し入れの中はがらんとしていた。使われた形跡の殆ど無い様な布団が押し込まれているだけのそこには、当然人の気配なぞない。 銀時は顔を顰めた侭、押し入れを閉じた。ぺたぺたと廊下に戻り、自分のブーツしか無い玄関と誰も居ない居間との狭間に佇んで、不愉快な心地その侭に目を眇める。 (……ああ。なんかコレ、憶えがあるぞ) 『ちょっと銀さん、そんな所に突っ立ってないで少しは手伝って下さいよ!』 居間の入り口に向かう。そこには、ぶつくさ言いながら掃除をしている眼鏡の少年の姿は無い。銀時の目蓋の裏以外に、彼らの姿はない。 定春が、入り口に突っ立っている銀時を邪魔そうに避けて通る。その柔らかな毛並に剥き出しの二の腕を擽られる幻想の中、とん、と壁に肩を預けて、矢張り誰もいない家の中をじっと見つめた。 (アイツらが来る前の……、あの頃のうちだ) お登勢に拾われて、ここに腰を据えて、万事屋の看板を出して、近所のお年寄りや顔見知り相手の仕事をしながら、少しづつ手探りで生き始めた頃の。 掃除もさぼっていたから、床は少し埃っぽい。雑誌も新聞も面倒がって積んでいるだけで束ねてさえいない。余り仕事もなかったし知り合いも碌にいなかったから、机の上の黒電話も殆ど鳴った事がない。まあ仕事に関しては『今』も余り変わりのない事かも知れないが。 足音を立てて机に近付けば、そこには見慣れた手製の教本が置いてあった。大事そうでもなく、かと言ってどうでも良い風でもなく。ただ無造作に置きっ放しにされている。 思い出を後生大事にするのは性分でもない。だが、全てを完全に棄てて行くにも忍びない。少なくとも教わったものと与えられたものとはこの魂に刻んで生きて来た心算だ。そう恥じずに言える様には生きて来た心算だ。それを、この本を作ってくれたひとがどう思うかなんて知りはしないが。 思い出に誘われる様に、伸ばした手がその古びた表紙に近付いた所で、銀時はかぶりを振った。手を引っ込める。 確かこの後にこの本は、机にラーメンをこぼした被害に遭ったから、棄てたのだ。 遣り所を見失った手をふらりと彷徨わせて、窓を開けてみた。格子の向こうの空は真っ白な薄曇りで、そこからはらりはらりと雪を降らせて来ている。 (道理で寒ィ訳だよ。……何だっけか、雪が音を吸っちまうから、雪の日は静かに感じられるとか何とか。成程、雪合戦するガキどももいなきゃ、確かに静かなもんだ) そんな蘊蓄を述べたのは、眠たげな声だったと記憶している。確かお互いに寒くて、狭い敷き布団の中で領土を少しでも奪い合っていた時の事だ。結局銀時が背後からひっついて、これでお互い温かいからとか何とか言いくるめて黙らせたのだと思う。そうでもして動きを封じないと、家主だと言うのに布団から追い出されそうな勢いだったから。 思い出の中で『今』を思い出すなんて妙な話だと思いながら、銀時はゆるりと目蓋を下ろした。 ここには何もない。 ここには何も残していない。 過去に囚われようが思い出が恋しかろうが愛しかろうが、時間は前に進むし足は前にしか踏み出せない。生きる事しか出来ないから明日も生きる。そうして厄介な荷物が増えたり、どうしようもない腐れ縁が増えたりして。 誰もいない家は静かで、そして寒いのだ、などと言う事も。やがては忘れて行くのだから。 (静か過ぎんのかね、雪の音も聞こえやしねェんだな。こんな時聞こえて来てたのは精々、家賃の催促に来るババアの声ぐらいのもんだったっけか…) ──……や。 ──…ずや、 ──万事屋。 (……え?) 思考に割り込む様に飛び込んで来た声に、銀時はぱちりと目を開いた。 布団の中。見覚えのある天井。そして、寝室の入り口に立って銀時の事を見下ろして来ている、黒い洋装を纏った男の顔。 「漸くお目覚めか、クソ天パ。昼間ッから惰眠貪るたァ良いご身分様だな。あァ?」 「……」 相変わらず柄の悪さと瞳孔とを全開にして辛辣にそう投げると、土方は襖を閉じて布団端に腰を下ろした。 布団に横たわった侭そちらに頭を巡らせた銀時は、ぽかんとした侭その姿をまじまじと見つめた。 雨に──否、雪にか。降られて薄く濡れた肩や髪。きっと外では黒い布地に綺麗な雪の結晶を作っていたのだろうけれど、ここでは溶けて水になって仕舞っている。 「……なんでお前。今日は仕事じゃ無かったのかよ」 なんだか酷く久々に誰かと話した様な気がした。だからか、喉から出た声は少し震えて仕舞っていただろうか。さむさに。 (これも夢かね。いや、どっちが夢だ?) 突っかかる風にも取れただろう銀時の言葉を受けた土方はふんと鼻を鳴らして、煙草を唇の間に挟んだ。横目で小さく苦笑を浮かべる。 あそこには無くて、ここには在る。ここに来たから、居る。 全く都合の良い事に。そんな風に思えるけれど、きっとそれは違う。 隊服姿なのだ。土方はここに来るまでの間、本当に仕事に励んでいた筈だ。銀時が惚れたのはそう言う、恋人との逢瀬よりも当然の様に仕事を取る事の出来る、己の役目に対して勤勉過ぎる男なのだから。 「思ったより早く片付いたんでな。時間余って暇だったから出向いて来てやりゃァ、てめーはこんな時間までグータラ寝てやがると来たもんだ。もう五時だぞ、夕方の」 だから当然、仕事はきちんと終えて来た筈である。 早めに終わった。だから来た。言い添えて来る説明もそれなりに予想通りではあったのだが。 (そうだよな。煙草くわえたままじゃ、走れねぇもんな) 上着の内ポケットを探ってライターを取り出し掛けた土方に向けて、銀時は手を伸ばした。不意な動きに驚いた拍子に、ことん、とライターが畳の上を跳ねて落ちる。 それを目で追う土方には構わず、その膝に乗り上がる様にして腕で腰を寄せて、ほう、と息を吐き出した。 「…オイ。何してんだてめぇは」 「あー、土方くんあったけーわぁ」 雪にほんのり湿らされた羅紗の生地は、少し重たい色に湿っている。だが、その中の土方の身体はほんのりと熱を持って温かい。 (走ってくれたんだろうな。少しでも会えたらいいとか、思ってくれたのかね) 思い切り渋面を作る土方の顔を見上げて、銀時はその膝上で密かに笑う。 この、ある意味で銀時以上に素直さの成績に問題のある恋人は、死んでもそんな事は口にしようとしないだろうけれど。 きっと、仕事が終わってから、雪が降っているのも構わずに煙草も堪えて急いでやって来たのだろう。昨晩短い電話で約束を断って寄越した、その口調の簡潔な重さと、あっさりと納得をした銀時の事を、少しなりとも気に懸けて。 「退けや、重いだろ」 昨晩断った手前もあるのか。或いはテーブルの上の書き置きを見て、一人で不貞寝をしていた銀時の姿に思う所でもあったのか。土方は盛大な溜息を吐き出したものの、本気で全力の抗議をする気はない様だった。 「良いじゃねェの別に。寒ィし」 「散々布団の中でごろごろしておいて、何が寒いんだよてめぇ、は……!?」 呆れを隠さず文句を言い募る土方の腰をがっちりとホールドした侭、銀時は横向きに身体を捻った。引っ張られてバランスを崩した土方の身体を抱え込んで布団にずりずりと戻る。 「お、い、」 布団を肩に引っかけた侭、布団に引きずり込んだ土方の上に覆い被さって、銀時はこちらを迷惑そうに見上げて来ている鼻の頭に口接けを落とした。ぱちり、と瞬きをする目蓋と一緒になって、長い睫毛がふるりと揺れる。 「案外、人の居ない家って寒ィんだよ。……暖まらしてくれや」 至近距離の小さな小さな囁きに、土方は柳眉を寄せた侭、力を抜く様に溜息をついた。のろのろと持ち上げられた手が銀時の胸を、ぽん、と音を立てて軽く叩く。憐れみではなく人情の様に。寄り添って得る体温のある世界が、酷くいとおしい。 「……起きるなりソレか。全く、どうしようも無ェなてめぇは本当に」 布団の中に居た筈なのに、外気に浸されていた土方の体温の方が銀時よりも余程温かい。温度を求めて銀時が強く抱きつけば、仕方がないな、とでも言う様に、冷えた手がそれよりも冷えた身体を宥める様になぞって、 「冷ェ」 だから早く温めろと、土方が言った。 銀さんふしぎ体験。原作過去篇中の今しか無いと思って蔵出しして来た次第。 先生の教本を「ラーメンこぼして捨てた」のは本当だろうなと思っていたので。 知らないから憐れむ事すら出来ないので、情を向ける事しか出来ない。でもそれでいい。それがいい。 |