知恵の実

※10年前PIXIESと本社周辺の妄想です。
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 足元でかさりと音が鳴る。見下ろしてみれば、靴の底が踏んでいたのはくすんだ赤茶色をした枯れ葉だった。足を持ち上げるとぱらぱらと細かく砕けた葉が落ちる。
 足を止めて視線をそっと持ち上げると、道路の左右に植えられた街路樹からはらりはらりと葉が散っているのが否応なく目についた。目につく程に沢山、落ちて行く。
 それらは空を僅かの時間だけ漂って、地面にぽつぽつと散らばっていく。五十鈴の靴が踏んだのはそんな落葉の一枚だ。
 (もうそんな季節か…)
 視界に入った葉の一枚を中空で掴み取る。夏には瑞々しく青々としていた葉が、今では茶色く褪せて乾ききっている。その様は季節の移り変わりであり、代謝から成るひとつの死を想起させる。
 秋。季節の名を小さく紡いで、五十鈴は手にした葉をその場に落とした。そう言えば随分と最近では日の入りも早くなったし、空気も冷えて乾いて来ていたと、今更の様に気付く。
 カンパニーの首都には緑地など数える程しかない。郊外に出ればそうでもないのだが、少なくとも都市機能の集中した街区は整然と機能的に作られており、花や樹木は決められた一定の公園区画にしか存在していない。
 五十鈴が歩いていたのはそんな公園区画の一つにある、広めの街路を模した道だ。合理性を重視するカンパニーでは、落葉を風情などとは捉えずにただの廃棄物として扱う為、色褪せた街路樹の周囲を忙しなく小型の清掃機械が動き回っている。何時間に一度か、落葉が積もって美観を損ねたり構造物を汚す前に自動で片付ける機械だ。静音モーターで仕事をこなす機械の存在を気に留める者も、鬱陶しく思う者も居ない。落葉は最早、季節の報せではなく、ただ処理されるだけのものでしかないのだ。
 五十鈴の踏んだ葉も、手放した葉も、直に綺麗に片付けられていき、後には何の痕跡も残さないのだろう。
 昔は、積もるだけ積もる燃え易いこれらを燃料に焚き火をしたと言う。落葉の処理と共に暖を取ると言う効率的なものだったが、乾いて軽いそれらが火の粉を散らす事もあってなかなかに危険なのだとか。カンパニーがそんな原始的な風物を残しておく訳もない。
 五十鈴とて実際にそんな光景を目にした事もなく、話程度にしか聞いた事の無い様なものだ。この大陸がカンパニーの首都になる以前の話など、今では資料も乏しく、実態も不明瞭なものが多い。
 それでも、五十鈴がそれを『嘗てあった光景』と自信を持って言えるのは他でもない、そんな事物を実際目にした事のある、貴広の口にしていた事だからである。
 自分でも明確には記憶していないとは言うが、貴広の語るそんな知識を、然し五十鈴は疑う余地など無いと思っている。掃き捨てられる落葉を嘗て集めて焚き火にしていたと言う大衆文化があったのだと、貴広がそう言うのであればそれは正しい事でしかないのだ。
 今、散る葉を集めて同じ事をしようとしたらどうなるだろうか。直ぐに警備隊が駆けつけて来て騒ぎになるだろうとは想像してみるまでもない。もしもどうしてもやってみたいと思うならば、管理の厳しくない郊外にでも出てみる他ないだろう。
 (確か、焚き火で暖を取りながら芋を焼いたりもしてたって言ってたよな…。生の芋とか、そんなものまず手に入らないしなぁ…)
 想像で描いていた焚き火と言う光景は、然しこの場で容易く再現出来る様なものでは無さそうだ。頭の中の想像で楽しむほかあるまい。
 五十鈴は落胆に似たものを堪えてマフラーの中でそっと嘆息した。元来余り寒さには強くないので厚着はしているが、寒々しい公園の、道の真ん中にぼんやりと突っ立って物思いに耽るには、今日の外気温は冷えすぎている。
 落葉の音と、静かにそれを片付ける機械の合間を縫って視線を動かしていくと、少し先の広場に無人のコーヒースタンドがあった。アンドロイドがそれっぽく接客をする、少し取り繕った自販機と言った体のそこに近づくと、実に事務的なやり取りでカフェラテを一杯購入する。喉が乾いていた訳ではなく、単に寒さを解消したかっただけである。
 温かいカップで冷えた手を暖めながら、公園地区に点在しているベンチの一つに腰を下ろした五十鈴は再び、鮮やかな紅葉を背負った薄曇りの空を見上げた。
 風はほぼ無し。前日がよく晴れていた為に大気は冷やされ、空気も乾いている。実に典型的な、この大陸でよくある、秋や冬の気候と言えた。
 先程購入したカフェラテを一口含む。暖かくはあるが、決まりきった味にはぶれもむらもない。オフィスのコーヒーメーカーで味わうものと殆ど変わらない。お茶であれば、ポーション式のものでさえなければ様々な味わいを楽しめるのだが。
 当たり障りの無い飲み物を懸命に味わうぐらいならば、貴広の語った焚き火とやらの風景を想像しつつ、落葉のランダムな動きを見ている方が楽しい。
 そうして、無味な感触の飲み物を啜りながら、はらはらと落ちる大きな楓の葉を遠くに見つめていた五十鈴の背後。植え込みを挟んでほぼ背中合わせと言った位置に置いてあるベンチに、歩道を杖をついて歩いて来た初老の男がゆっくりと、深々と、腰を下ろした。中流以上の服装に悪くない姿勢。如何にも休日の散歩といった風情だ。
 ず、と五十鈴は音を立てて、そろそろ冷え始めて来ていたカフェラテを口に含んだ。舌を擽る苦味に矢張り面白みはなく、特筆して美味しいものでもない。細めていた目を閉じて小さく息を吐いたその瞬間、背後のベンチに座した男が身動ぎした。
 手にしていた杖のグリップを残して、からん、と棒状の部分が落下する。男は恐らく、グリップの中に隠された銃爪を引こうとしたのだろう。だがそれを見届ける事もなく、指ひとつ動かせたかどうかも定かではない儘、男の姿は忽然とその場から消えていた。
 「………」
 瞬間的に吹いた突風に巻き上げられた、掃除が行き届いているお陰で少ない落ち葉たちがはらはらと二つのベンチの周りを漂いやがて散って行く。
 五十鈴は味気のないカフェラテをもう一口、今度は音も立てずに啜ると、コートのポケットからスマートフォンを取り出した。これは義務だから仕方のない事だと言い聞かせて、記憶している特殊回線へ発信し、耳を当てる。
 「もしもし?ああ、矢矧さんでしたか。まあ誰でも良いですけど。最近は物騒でいけないですよ。そちらは何も変わりはないですか?隊長はご無事ですか?……そうです。ですから念の為に。何事も無ければ良いんです。…え?まぁその内『落ちて』来るでしょ。調べたいのであればご自由にどうぞ。場所…、はそちらに表示されてますよね。はい。じゃあ」
 通信先は本社宛だが、厳密には六天で共有している連絡用の回線の一つである。誰か手の空いている者が出る事になっていて、今回は矢矧だった。その声の調子からしても、本社や貴広に異常は無いと言うのは直ぐに知れた。その事には素直に安堵を覚えるが、それ以外の事に関心は無かったので、事務的に職務上の義務としての事柄を伝えるだけ伝えてさっさと通話を切る。
 五十鈴はそこで初めて背後のベンチを軽く振り返った。だが、そこに居た筈の初老の男性の姿は何処にも無く、ベンチの下に棒状の杖がぽつんと残されているのみだ。これだけでは何の部品なのか落とし物なのかもはっきりとはしない。指紋や出所の解る様な痕跡はよもや残されていまい。
 PIXIES、殊に六天は何かとカンパニーでは目立つ存在である。個々の人相はそこまで知られておらずとも、その功績と異名は畏怖の宣伝材料としても有名だ。仮にも隠密行動を要する情報部の特殊部隊でそれはどうなのだとはよく言われるが、要するにカンパニーの公然のヒロイックシネマの役割を負っている様なものである。
 つまりは、昔の映画で言う、秘密道具を駆使し諜報活動を行うダンディな英国紳士や、派手なアクションを行うエージェントの様なものの役どころ。
 存在を、功績を、解り易く知らしめる。それがPIXIESの名が表舞台にも知られている理由のひとつである。
 ただ、フィクションではない、と言うのがそれらとは違う点だ。PIXIESは実際に存在し、六天も世界に確かな驚異を振り撒いている。
 それだけ名と存在の知れた解り易い驚異対象なのだ。各国や各勢力は隙あらば排除したいと常々画策している。元々後ろ暗い役職のエージェントは仮に殺害された所で、演じるアクションスターが殺された訳でもないのだから、大きな騒ぎにもならない。闇から闇に消えただけと判断される程度の存在だ。
 そんな事情故に、PIXIES六天が単独で、任務外で、命を狙われる事などそう驚く様なものでもない。無論毎日の様にそんな事が起こる訳ではないが、いつ何時そう在っても対処出来る様に警戒は常に怠っていない。
 (カンパニーのお膝元だからって油断しているとでも思ったのかな。それにしてもあからさま過ぎる。素人の仕事だ)
 暗殺者の、何の痕跡も残っていないベンチから視線を戻すと、五十鈴は足を組んで嘆息した。寛いでいる時の下らない邪魔には単純に腹が立つ。幾ら味気のない飲み物でも、直ぐ様に片付けられる落葉でも、貴広の教えてくれた秋の風物詩とやらを思い浮かべながら味わえばそれなりに楽しめるかと思ったのに。
 今度こそ明確な、落胆としか言い様のない心地を抱えて持て余す。五十鈴は手の中で飲み物が冷えきっていくのを感じながら、散っては片付けられていく落葉の風景を見つめていた。
 「五十鈴」
 それから五分もしない頃、ざくざくと歩いて来た足音と呼ぶ声とに視線だけをちらりと向ければ、そこにはコートを羽織った矢矧の姿があった。公園地区は禁煙だからか、口には火の点いていない煙草を咥えている。
 「早いですね。無事ですよ、見ての通り」
 「誰が、連絡を寄越した張本人である貴様の心配をわざわざするんだ。そうではなく、下手人はどうした」
 今更ただの暗殺未遂の報告だけで、矢矧がわざわざ車を飛ばして安否確認などしに来る訳も無い。半ば解っていて口にする五十鈴に、不機嫌そうに眉を寄せた矢矧はあからさまに溜息をつくと視線を巡らせてみせた。
 「多分まだ『落ちて』来ていないと思いますけど…そろそろかな?そんなに高くには投げたつもりも無かったんですけどね…」
 態とらしく空を見上げて言う五十鈴の視線を追いかけて、矢矧は二度目の溜息をついた。
 「仮にも本社のこんな至近での襲撃だろうが。組織的なものであれば背後関係を洗うべきだと、貴様の兄貴なら言うだろ。降りかかる火の粉は徹底的に払った方が隊長の身の安全にも繋がる、と」
 伊勢の調子を少し真似した言い種に、五十鈴は僅かに喉を鳴らして笑った。確かに伊勢ならばそう言うだろう。貴広も、自分たちも、暗殺者程度に殺される様な事は無い、守り切る事も可能だと言う自信はある癖に、五十鈴の双子の兄には少し心配性なきらいがある。
 「まあその事に関してだけならば同意ですけど。有無を言わさず銃口を向けて来る様な輩相手に、わざわざ手加減してあげる気もしないんですよねえ…。生かして確保するとか、業腹だし面倒臭いでしょ?」
 肩を竦めて五十鈴は苦笑した。背後に座った気配が──それだけでも既に怪しいことこの上ないと言うのに、明らかに重心のおかしな杖のグリップをしっかりと握りしめた時点で、既に排除しか選択肢は浮かんでいなかった。
 グリップ部分が銃器になっていたのだろう、外したそれをこちらに向けられるより先に、五十鈴は瞬間的に凝縮した気流を男の居る座標に発生させていた。同時に爆発的に生じて散る筈の風量を閉じ込める事で、男の身は瞬間的に遥か上空に上昇気流に因って『打ち上げ』られたのだ。
 その衝撃だけで既に生きてはいまいだろうが、万一死にはぐっていたとして、上空への急激な気圧変化と温度変化、落下の衝撃とで確実に絶命するだろう。人間や強化人間ではなく、アンドロイドの類だとしても普通はこれだけの衝撃や質量や環境変化に耐えるだけの構造はしていない。
 伊勢の防御或いは相殺、貴広の漆黒であれば、生存は容易だろうが。
 そんな事を考えていると、やがて視界に落葉の一枚の様な、もっと大きくて奇妙に変形したものが目に入った。かなりひしゃげて質量も損なわれている様だったが、それでもまだ枯れ葉程に軽くは無いそれが、少し離れた木々の合間に落下して来るのを認めて、矢矧はやれやれと呻いて歩き出す。
 「受け止めませんよ?面倒ですし」
 「解ってる。期待などするか」
 五十鈴の声にふんと掃き捨てる様に言いながら、じゃあな、と仕草でだけ示して背を向けた矢矧はスマートフォンを手にして空を見上げつつ何やら指示を出している。恐らくはここまで車を回して来た部下辺りに死体袋の要請でもしているのだろう。
 程なくして少し離れた茂みへと落下した物体を、清掃ロボットたちが異変として察知するより先に、黒っぽい袋を抱えたスーツ姿の人間が大慌てで走って到着する。PIXIES末端のメンバーの一人だろう。顔は憶えていたが名前は思い出せないし、必要が無ければ興味も特に無い。
 遠くで矢矧らが刺客の亡骸を処理している光景をちらりとだけ見て、五十鈴はベンチから立ち上がった。最早味わう気も失せた、飲み物のまだ残るカップをコーヒースタンドの近くのゴミ箱に投じると、再び紅葉の並木道をふらりと歩き出す。
 風情のある風景だとは思う。だが、本心でそう思って、見入って、楽しむには矢張り少し足りない。ゆっくりと歩を進めるその足元を、落葉の清掃用のロボットたちがぶつからない様に行き交う。
 黄色い葉も赤い葉も茶色くなった葉も、等しくロボットの通り過ぎる下部から吸引され圧縮されてただの腐葉土になって行く。貴広の語った、焚き火の風景など失われて久しい。想像するのも難しく、忙しなく無味に全てが処理されていく。
 暗殺者が現れても何事もなく消せるし、何事もなく片付けられる事に感慨など何ひとつ無いと言うのに、降り積む落葉が片付けられて行く事は面白くないと感じられる。
 つまらないものだと思う。目の前の、日常となった光景も。それを些事と思う己も。
 だから、五十鈴は貴広の語る曖昧な記憶の中の、見たことも想像したこともない様な事物が好きだ。自分の知識や感性で、美しいとか楽しいとか、そう感じていたものを更に拡げてくれると心底にそう思えたから。
 その言葉があれば、呉れる指令と価値とがあれば、何でも構わない。何でも思えるし、何でも出来る。自分がもしも楽器であれば、貴広はそれを活かす演奏者だと譬える。
 冷たい風が不意に吹き抜けて、落葉をふわりと散らした。花弁より重たいそれはそう長く宙を漂わずに落ちて来る。そうして速やかに片付けられて消えていく。
 色彩の風情。ただそうとだけ思っていたのであれば、これは到底解る事などなかった寂寥感だ。今までの五十鈴であれば、薄曇りの空を前に広がる紅葉の色彩を見つめながら、味気ないコーヒーを楽しめていただろう。無粋な暗殺者の邪魔が入れど入らねど何も変わらずに。
 然し今の五十鈴は貴広の語った光景を知らない。知らない儘に想像しようと努力している。彼の人の知るその風景を自分でも見てみたくて、知ってみたくて、そうしたくて堪らないでいる。
 だから世界は無意味になって、より美しく、楽しくなった。
 五十鈴は冷えた風に首を竦めながら小さく笑う。それは間違いなく自分の世界を変えた。自分と双子の兄の世界を新しく描いた。その事実そのものが、嬉しく誇らしいとさえ思える。
 (帰ったら隊長に、また益体もない話をして貰いたいな。兄さんの好む様な本の話でも良い。何でも良い)
 基本的に貴広は寡黙な口ではないのだ。軽口を振れば軽口で返してくれる。歩きながら紅葉を見たとか、どうして落葉するのかとか、そんな話ひとつを振ればきっと何かしら得られるだろう。
 (……ああ、でも。乾燥する季節になると隊長はちょっと不機嫌になるからなあ…。お食事とかお酒とか誘ってみようかな…。何なら仕事を手伝っても良いし)
 つらつらと浮かぶ思いつきは、子供が家に帰ってから遊ぶのを考える様に、下らなくて益体もないものなのだろう。それでも、そんな事を思考する事そのものが楽しいのだと、自然と軽くなる足取りがそれを雄弁に語っていた。





五十鈴は神崎貴広イエスマンに違いないと言う想定からの。
ジーザスアンドメリーチェイン以降の世界ってやっぱりそれまでと全然違う訳で、更にはカンパニーの情報統制で色々なものが世界から消えている訳で、その中には今ここにある様な風物や文化も沢山あるのだろうなと。
そんな、貴広がぼんやりとしか憶えていない様なものを何の疑いもなく信じる。そんなイエスマン五十鈴。と言う妄想。

"「やっと見つけた」と彼は泣いた”

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