愛のうたと残酷な世界 ※10年前PIXIES妄想です。 ========================= 「だから、全てなんですよ。全て。理由とかいちいち必要ですか?それで納得なんてしやしない癖に?」 頬杖をついて嘆息する。 誰でも何事にも安易に理由や大義名分を求め過ぎているのだと、こんな時はいつも五十鈴はそう思う。思って、呆れて、哀れむ。そんな下らない事、常識と言う軛の裡でしか物事を判断しようとしない者らに対して、心底に嫌気が差す。 社会的規範だとか理性だとか道理だとか、それとも或いは信念とやらか。名前は何でも良いが、とかく人間と言うものは、自身の理解の範疇を越えた事を前にすると、何故だとかどうしてだとか問いたがっていけない。 それが純粋な疑問や知識欲を由来とするものであるなら、まだ可愛げもあろうものだ。だが、実際には違う。殊にこんな場面で吐かれる問いとは、疑問ではなくただの怨嗟と不可解さとをぐるぐると巡らせるだけの無駄なものでしかない。 それは結局の所、問い掛けながらもそれは誤りであると否定し糾弾したいだけなのだ。 少なくともそれが己の理解と受容とには値しないから。だから無意味な問いをただ投げる。 それが、眼前で己に今正に死を与えんと佇む様な存在であれど。 それが、己の人生で得て来た思想と余りにかけ離れていたとして。 理解の埒外の事物に対して、それを問いかけとして放つ事で、何かが誤っていると思いとどまってくれるかもしれない。そんな愚かしい期待を込めて。 或いは単に、横たわる明確な現実ごと否定したいだけの刹那的な逃避かもしれないが。 今までにも幾度となくそんな問いを投げられて来た。だから解りきっているし飽ききってもいる。五十鈴は手の甲に預けた頬に更に体重を傾けてゆっくりと肩を落とした。組んだ足先で空をゆらゆらと蹴る。 「……カンパニーの命令だとか、そんな事はどうでも良いんですよ」 飽きているし呆れてもいる。だが、やがて五十鈴がそう言葉を紡いだのは、単に時間がまだありそうだったからだ。己の暇を潰すには足りずとも、相手の問いの解消をするに至らずとも、どうでも良かった。 ただ、愚かしい『いつもの』問いを投げた人間ひとりが、まだ息絶えるまで時間がありそうに見えたから。 気まぐれ。ただそれだけの儘に。手の甲に顎を乗せて自然と目を細めて、続ける。 「あのひとの言葉だから。元がカンパニーの命令であろうと、それをあのひとが口にすれば、あのひとの発した命令であって、それが全てに値する。僕らにとってはそれだけが全てで、それだけで良いんです。あのひとが傷ついたり心が痛む様な事が無ければなおさら良いです。だから、貴方や貴方の思想や貴方と言う生命やそれを断つ行為には、申し訳ないのですが、僕個人には葛藤も躊躇いも罪悪感も何もありません」 これで満足ですか?そう付け足して微笑むと、五十鈴は腕時計をちらと見下ろした。任務はほぼ想定の時間通りに片付いているから、端から時間についての心配などしていない。報告書に記載する為に現在時刻を確認したかっただけだ。 とは言っても、死亡時刻まで正確に記録する必要はない。別に看取っている訳ではないのだから。大体の時刻がはっきりしていればそれで良い。 倒れている男が、無駄な『いつもの』問いを発した男が、五十鈴の言葉にまるで抗議でもする様に、ぜいぜいと、掠れた息遣いを強めた。噎せる様にして血を吐き出して、呻く。 「…っ、、あれは…、あれは、化け物だ…!」 失血が酷くなって来て体温が低下してきたのか、それとも『化け物』とやらを畏れでもしたのか、がちがちと男は歯を鳴らした。腕時計の文字盤を見ていた五十鈴は、その言葉にちらりと視線を持ち上げてそちらを見る。 「だとしたら何か?」 五十鈴の裡に僅かにあった、理解の無さに対して憶えた哀れみに似た感情が、受容を拒む事しか出来なかった者への蔑みに変わるのを感じる。 男はカンパニー情報部の人間の一人で、つい先日カンパニーから逃亡した罪人であった。全く顔も名前も憶え知らぬ男だったが、偶々に手が空いていた五十鈴が、彼を粛清する指令を受けた。 追い詰められ死を前にした男は、『いつもの』問いを矢張り放った。カンパニーから反逆し逃亡する者は大体同じ様な事を口にする。 カンパニーの在り方はおかしい。 PIXIESと言う異常な、軍事力にも等しい存在が何故許容されているのか。 神崎貴広、或いは、ナーサリークライムと言う化け物が、何故人間の様な顔をしてそこに居るのか。 それらは『いつもの』と言わしめる程にはお決まりの問いかけだ。カンパニーと言う安定の裡に在ってそれに恐怖を憶え、それで出奔しようと思う者らの動機は殆どがそこに由来している。 故にか男も問うた。『いつもの』様に、五十鈴に問いかけた。糾弾と怨嗟と不可能な理解を込めた声で、視線で、血溜まりの中で口を開いた。 何故貴様らは、あの化け物に従っているのだ、と。 男は『化け物』を理解も、受容も出来なかった。だからカンパニーから逃亡し、そして今死に瀕して愚かしい問いを、男にとっての人生を動かすに至った理由でもある、恐怖に対する理由を無意味に吐き出している。 足を組み替えて、五十鈴は苦し紛れの糾弾を続けようとする男を無感情に見下ろした。理解を拒んだ者と相容れなど出来はしないと解っている。解っている以上に、相容れようとなどしてやる気にもなれない。 「あんな…、あんな化け物を利用するカンパニーも、あんな化け物に付き従う貴様らも、、化け物か、化け物以下の、愚かしい者でしかない…!いずれ、あの化け物は、、化け物どもは、…世界、を、、」 青白い顔で、死の恐怖や未練を忘れた様に叫ぶ男の言い分は、人間としては恐らくそれなりに真っ当な考えなのだろう。なのかも知れない。 ナーサリークライム。人智の外の存在。人類にとって過ぎたる存在。その余りの大きさ。危うさ。それを忌避しよう、畏れようとする本能的な反応は解る。極東日没と言う存在のただひとりにさえ、世界も秩序も容易く蹂躙されるのだと言う事実を、既に人類は知っている。それ故に。 だから怖れる。だから忌避する。だから排除しようとする。彼の化け物と同じ化け物が、人類に、或いはカンパニーに従い続けると言う保証は無い。 それならば芽は早い内に摘み取るほかないのだと、声高に叫ぶのだ。 だが、そう言った者らのその短絡的な結論は五十鈴とは決して相容れない。 たった一つだけの明確な感情が、それを知っている。その差を、知っている。恐怖を前に理解を拒んだ者では決して得る事の無いだろう、己の、熱情さえ籠もった感情を。 「どうでもいいんですよ、世界だのカンパニーだの、そんな事。僕は、僕たちは、あの人が居ようと思う所ならばそれで良いしそれだけで良い。言ったでしょ、全てなんだって」 かぶりを振って、五十鈴は座っていた机からひょいと下りてのびをした。一仕事を終えたと言う感覚の、その儘に。 「……あの、化け物、も…、、貴様ら、も…、狂、って、、る…」 死の吐息と共に男が呟いた。掠れた声音で、然しはっきりと己の抵抗を示して。 『化け物』を受け容れぬ代わりに、脆弱な人間として、世界の抱くべき恐怖を警鐘の様に示して。 「…だとしたら、貴方は、狂いきれなくて残念でしたね」 自然と浮かんだ、哀れみも消えた冷笑と共にそう返した時には、男は既に息絶えていた。 五十鈴は男の骸に近づくと、その身を検分し死亡確認をして、同時に、偽造された身分証の類やスマートフォンなどを抜き取って無造作に自らのポケットに放り込んだ。よもや正確な身元の解る様な物品を、つい昨日までカンパニー情報部のエージェントだった男が所持しているとは思っていなかったが、念の為にだ。 そうして粗方の作業を終えた所で再び見下ろすが、動かなくなった男は自らの作った血溜まりに落ちて、もう無為な問いを投げる事もなく黙りこくった儘だった。 化け物、とは幾度となく吐き捨てられて来た侮蔑である。理解出来ない恐怖を、人智の及ばぬ畏怖の先を、人は認め難いと思うからこそ、そう苦し紛れに吐き捨てるのだろう。 哀れなものだとも、無様なものだとも思う。どうして、それを畏敬を以て認める、それだけの事が出来ないのだろう。恐怖を前に、真っ当に狂う事が出来ないのだろう。 「あのひとの言葉以外はどうだって良い。あのひとが居れば良い。カンパニーが世界をどうしようが、それだけが在れば良いのに。たったそれだけの事なのに、どうして誰もが、理解出来ないって顔をするんだろうね?」 五十鈴にとって、或いは伊勢にとっても、いつだって神崎貴広は己の全てであった。 ナーサリークライム。その存在が確かに『化け物』であったとして、それが一体何だと言うのか。 「人の理解を越えたものを『化け物』と呼ぶのならば、世界も、人の小さな智も、所詮はその裡でしか無いのに。理解出来ないひとを『化け物』と罵る事しか出来ない様な分際で、どうしてそこまで傲慢になれるのかな」 そう諳んじる言葉は詩吟の如く弾み、靴音を鳴らす足取りは踊る様に軽やか。それはそうだ。任務がひとつ終わったのだから。これで帰投する事が出来るから。あのひとの元に戻る事が出来るから。 「さて、と」 念の為にぐるりと、男の潜んでいた隠れ家の内部を慎重に観察し直して、そこに己に繋がる証拠や、カンパニー、ひいてはPIXIESに対する叛逆の痕跡は無いかを確認する。どうせ火事でも起こして証拠は粗方隠滅するとは言え、万一の手抜かりがあってはいけない。情報部のエージェントとして恥ずべき失態など御免だ。況してやそれで上司に何らかの咎が及ぶなどと言った事態は願い下げである。 室内に痕跡の一切が無い事を確認し終えると、五十鈴はスマートフォンを耳に当て、後処理を負う部署へと手短に連絡を入れる。 「はい。では後の事はお任せします。それでは」 各地に潜む工作部と、矢面に立つ事も多い特殊課とは、その特殊な仕事柄こう言った連携も多い。口頭だけで慣れた引き継ぎを行うと、通話を切った五十鈴はゆったりとした足取りで建物を出た。監視カメラや人の目をさりげなく躱しながら雑踏へと自然と紛れ込んでいく。 一日もしない内に、あの家屋は何かしら理由のある火災や事故で消滅するだろう。そうして在宅していた不運な人間がひとり、死体となって発見されるだけだ。身元は彼自身がカンパニーから逃亡してから得た偽りのものの儘に記録され、それでおしまい。 男は、愚かな恐怖と疑心から、カンパニーと言う安寧を捨ててでも逃れようとした。その生の涯ては、親兄弟や家族にも知られる事の無い、偽りの人物として書類に一行記載される程度のもので終わりだったと言う事だ。 下らない話だと思う。理解も受容も拒んで、かと言って無関心でもいられなかった。平伏す事も、狂う事も出来なかった。ただの半端で愚かしい負け犬の末路だ。 彼らの様な人間は何かを思い違えているのだ。彼ら曰くの『化け物』が、カンパニーと言う巨大な鎖に縛られていると思い込んでいる。 (……縛られていないからこそ、そこに居るだけなのに) 神崎貴広を縛る柵は確かに多い様に見える。地位に部署に部下、社会的規範に則った正社員と言う立ち位置。 だが、実際それらは貴広の鎖足り得ない。餌の様に撒かれたそれを、彼自身が繋いで掴んで、自らの意志で必死に『人間』たろうとしているだけだ。 儘ならない会社に愚痴をこぼす上司を、五十鈴は嫌いではない。気付いていないだけで、いつでもそれを壊せる事が出来るのだと、甘言を吹き込んだりはしない。彼が人間らしく文句をこぼして声を荒らげて、当たり前の社会や他人への不満や不信を、飾りながらまるで焦がれる様に紡ぐのを、黙って聞いている。 だから五十鈴は──きっと伊勢もだろうが──、彼が『化け物』である事を是としたとして、喜んでそれに付き従うだろう。 逆に、彼が人間であろうとする事を已められないのであれば、望んでそれに付き従うだろう。彼を『化け物』として扱う全てを許しはしないだろう。 それが叶うのであればカンパニーにだって叛逆してみせよう。その想像は酷く易い。元より天秤になど乗せる価値すらないものなのだから。 お伊勢でやったやつの五十鈴版。 ふたりとも諫言には何も思わないけど、五十鈴は内心イラッとして仕舞うのを隠せない方。 と言うのも、隊長ならまだ真っ当に傷つくだろうなと確信しているゆえ。それを無表情で隠す所まで解っているゆえ。結局双子どちらも過保護。 惚気る男と死ぬ男。 ↑ : |