破滅することこそ唯一の命題 ※リニアルートでの隷VS五十鈴の妄想話。 ========================= 突如襲った衝撃に体が揺れた。熱。激痛。沸き起こる嘔吐感。咥内に滲む血の味。 「………ッ」 狙撃をされたのだと、まずそう思った。銃声は聞こえなかった。大気を銃弾の切る音でさえも。長距離からの狙撃ではなく相当の至近距離だろうか。 五十鈴は双子の兄である伊勢の様に強固な大気の壁を構築する事は出来ない。だが、大気の動きを察知する事には兄同様に長けている。銃弾を防げずとも、発砲をいち早く察知し対処に動く事は不可能ではない。 だから遠距離からの狙撃はまず貰わない自信があった。そして近距離からの発砲ならば、普通は射手の不自然なモーションが目につく。真横を通り過ぎ様に無表情の予備動作無しで発砲でもされれば別だが、そもそもそんな至近に他者を近づけたりはしない。 どこから貰った一撃なのか。把握出来ない侭であったが、咄嗟に足が動く。これ以上のダメージを避けようと判断した生存本能に押される様にして、五十鈴の足はどこからも射角の取れない、建物の密集して薄暗い陰の広がる路地裏へと入り込む。 元々町外れだけあって人は少なかった。すれ違った者も居ない。誰か、襲撃をして来た者が近くに居れば、とどめをさそうと必ず追って来る筈だ。 「……」 ぜいぜいと肩で息をして、五十鈴は腹部に空いた大穴を押さえた。これは果たして銃創に因るものだろうか。激痛しか無い筈なのに、その痛みですら遠い。摩擦のない、不気味なほどに綺麗な孔だった。 まるく空いた孔から血が鼓動の度にこぼれおちていく。正しく悪夢としか言い様のない光景であった。 「………なんだ。もっと勝ち誇った顔でもしていると思ったのに」 背後に感じた気配に向けてそう呟くと、五十鈴はゆるりと肩越しに頭を巡らせた。現れた、襲撃者の正体は全く予想していなかった訳ではない。何しろ、憎まれるに足りる理由はあったからだ。 個人的な感情、と言う意味で、思い当たり過ぎる程に、あったからだ。 振り向いた五十鈴と、路地裏の入り口との間に立っていたのは隷だった。PIXIESの三十六天に満たない末端の要員の一人。特筆する異能は無し。腕力は弱かったが、頭脳は冴えていたし、肝も据わっていた。 その浮かべる表情には、五十鈴の指摘した通りに温度が無い。 「……余り驚かないんですね、五十鈴さん。僕の素性や正体については全く疑っていなかった癖に、随分と余裕に振る舞うものです」 「僕らを殺したい程に憎んでいて、僕らの寝首をかく事が出来る人間なんて、限られてる。そうでなかったとしても、そんなに敵意や憎悪を隠さない君に、今更何を驚くと?」 ふふ、と笑った拍子に、喉からこみ上げた血を吐いて、五十鈴は傷口にそっと触れた。失血が酷い。体温が急激に下がって寒いし、脳に血が足りていない。思考が今にも空転しそうだ。 然し五十鈴はわらう。殺したい程に憎まれているのならば尚更。清々したと嘲られるだけで終わるのは我慢がならない。 「………例えば、どうやってその傷を与えたか、とか」 案の定か、隷の方が五十鈴に食いついて来た。悔しがらせ、驚かせ、憎悪の溜飲を少しでも下げたかったのだろう。余裕の体を見せる五十鈴に向けて追い縋る様に思わず口にしてから、らしくないとでも思ったのか、隷は伏せた侭の目を五十鈴へと投げながらも、眉を寄せて顔をそっと顰めてみせる。 「銃創じゃないね。硝煙の臭いがしないから重火器ではない。大気も揺らがなかった。迫るナイフより鋭利で、姿さえも捉えられない……」 そこまで呟いて、五十鈴はふっとわらった。「一番、憶えのある思い当たりがあるよ」そう舌の上に乗せてから、余りに不快な味わいに自然と表情筋が歪むのが解った。 噂にはあったのだ。LABが、神崎貴広の力の──ナーサリークライムの研究をしていると言う事は。予てからずっと。 そのLABの研究者の一人が、取締役会のALICE IN CHAINSに入ってその研究を更に推し進めていると言う事も。 神にも等しいそれを、よもや人の身に実用化させようとするなどとは、思い上がったものだ。 (……不快だ。ああくそ、勝ち誇った面をさせてやるつもりはないけど、ひたすらに不快だ…) 失血に意識が揺れる。憤りに歪もうとする口端を無理矢理に吊り上げながら、五十鈴はその場に膝をついた。初めから解っている。これは致命傷だと。ここが己の涯てなのだと。 「…その紛い物が、君がこの十年で得たものか…。そうまでして、あのひとに近づきたいと?」 その言葉は隷の琴線に何か触れたらしい。彼は表情を固くした侭、己の内圧を下げる様に息を吐いた。 「六天を殺せるのであれば、紛い物も、十年の歳月も、有益だったと言える…。少なくとも、貴広や貴方がたよりは有益な十年でしたよ」 言い聞かせる様な言葉だった。それによって己の優位性を思いだしたのか、隷は悠然と両腕を拡げた。その影が、漆黒の色をした闇が、ざわりと揺れる。 漆黒。貴広の裡に眠る力。世界そのものから湧いて出た、神の如き理を具現させる事の叶う、きっと彼にしか赦されなかった権能。 (……成程。少なくとも、隊長の模倣が出来る程度には、実用化は進んだ、と…) 沸き起こる苛立ちにかぶりを振る。五十鈴にとってそれは、神崎貴広を表すものだ。神崎貴広以外の何者であっても、それを行使する真似事であっても、度し難い。 「余り動かない方が良いですよ。死期が早まるだけだ。無駄口ではなくもっと有益な事でも考えたらどうですか」 「挨拶代わりに致命傷を寄越しておいてよく言う。伊達に修羅場は潜っていないからね、遠からず僕が死ぬ事ぐらい、解るさ。それにしても、何故僕を真っ先に?偶々近くにでも居たのかな」 六天を殺すと言った。五十鈴が襲撃を受けたと言う事は、伊勢も、矢矧、雪風、島風も近いうちに同じ状況に置かれる事になるだろう。そして、五人を仕留めたら、次は──、…或いは。 「…伊勢さんと貴方が組む事になるのは流石に厄介でしたから。貴方がたが合流する事が無い様にしなければならなかっただけです」 五十鈴の軽口に、隷は思いの外に正直にそう答えた。矢張り、死に往く者相手に優位性を保つ事はそう難しくはないのだろう。己の作る血溜まりに今にも倒れ込みそうな五十鈴を見下ろす、その目には見下した憐れみが宿っている。 「……貴方たち六天には同情しますよ。貴広(彼)に付き合って、十年もの時間を無駄にしたのだから」 「──」 く、と喉奥から自然と笑い声がこぼれた。余りに間の抜けた言い種に、その可笑しさに、今にも腹を抱えて笑い出したいぐらいの心地を味わいながら、五十鈴は箍が外れた様に激しく哄笑した。そんな態度の急変に、反射的に隷が身構える。 喉を反らせて笑った五十鈴は、次の瞬間にはぴたりと笑い声を止めて、ゆっくりと顔を水平へと戻した。もう声には出していないが、余りに滑稽で、憐れで、愚かしい事実を前に、口の両端が深い弧を描いてわらう。嘲笑う。 勝利だ。そう確信した。 「……無駄?何を愚かな事を。貴様も、飯島も、あのひとの事を何一つ解っちゃいない。自分の理想をあのひとに勝手に描いて押しつけて、さも裏切られた様な顔をして憎む。 ──どこまで度し難く愚かしいのか」 傷口にべたりと貼り付く掌を持ち上げて、髪を掻き上げながら五十鈴は猶もわらう。腥い血に顔を汚しながら、迫る死をも上回る恍惚、確信した勝利と満足感とにただただ、嗤う。 「その醜い嫉妬で僕たちを殺したとしても、貴様ではあのひとには近づけない。永遠に」 憐れまれたとして、罪悪感に付け込んだとして、畏れられたとして、優しさを得たとして。それでも、神崎貴広を正しく理解する事は、叶わない。 (あの、誰よりも人に焦がれて居心地悪く生きる、神の如き存在の堕ちた平穏を。ささやかな願いを。誰一人としてそれを求めてはくれないし赦してもくれない。人の身にならば容易く得られただろうものをすら、愛する事にも苦心する、ひとの、) 嗤った侭、五十鈴は静かに隷の姿を見上げた。凄絶なその笑みを前に、隷は寸時気圧されたのか、両肩を僅かに強張らせる。 「──君に、何が解ると」 「解るよ。憎み蔑む事で理解を放棄する事しか出来なかった、愚かで可哀想な貴様よりは」 意識が遠のく。視界がかすんで、耳鳴りが酷い。 これが涯てだから、畏れはない。いつかはこうなるだろう事は想像していた事の一つだ。ただ、貴広を遺して逝くだろう事実だけは、我慢がならない程に悔しいと思う。 「…その傲慢さであのひとから全てを奪ったとして、あのひとは手に入らない。勿論、貴様如きでは壊す事も出来やしない。──残念だったね」 嘲る様にそう続けた所で、黙れと言わんばかりに、眼下の血溜まりから黒い刃が飛び出した。0.2秒先には己を貫き絶命に至らしめるだろうそれを見て、五十鈴はそっと笑う。 (どうせ、同じ漆黒に殺されるのであれば、隊長に殺されてみたかったな。絶対に叶えてなんてくれないだろうけど…──) 二度目の、三度目の、四度目の衝撃は最早無かった。 * 一瞬にして骸と化したものが、それ以下の襤褸の様に崩れて落ちる。それはもう人ではなく肉塊だ。やがて腐って朽ちて消える、ただの物体だ。 それでもなおも衝動的にそれに力を向けそうになって、隷は奥歯を噛み締め何とか留まった。らしくもなく、久々に感情的な会話などした事できっと、己の思考中枢が混乱したのだ。 「……」 元々六天の中でも五十鈴は隷にとって苦手なタイプだった。いつも穏やかに微笑んでいて、その腹の裡で何を考えているのか全く知れない。 あんなものは、あんな勝ち誇った嗤いは、死にかけの人間の紡いだ負け惜しみに過ぎない。格下と見ていた者に、自分たちの崇拝していた存在の力を扱われ、殺されたのだ。動揺していなかった筈はない。 だが、隷は己の裡に揺らぐ心がある事を自覚していた。五十鈴の言った事を肯定する本音は、確かに在る。 やっと再会出来たリニアに全てを託す事で、自分の痛みから逃れようとした。これで千歳の心も役割も放棄出来るのだと、自虐的にそう思いすらした。 貴広を取り戻したくて、然し隷ではそれは叶わなかった。想えば想うだけ憎しみだけが募った。十年、その歳月をただ犬の様に貴広に添い従う事を赦された、六天を激しく憎悪した。 いっそ、あれだけ清々しい程に無心に、信じて侍る事を選べた者たちが妬ましかった。 彼らはいつだって、貴広の傍に居た。絶対的な強者として、その背を護ろうとし続けていた。ナーサリークライムである神崎貴広を護る事など、決して出来やしないと言うのに。 (…それでも、無心に信じ続けた。そう、在れた) 彼らは心底に、己らよりも神崎貴広を選ぶ事が出来たと言う事だ。 それが、人の心の成せる業なのかどうかは解らない。人の心を持たされながらも、人ではない隷には、解らない。 (…飯島さんがあの人たちを憎むのが、今ならば少し解る気がする) 彼らは人の域に留まりながらも、人の外側に佇む神崎貴広に、きっと最も近い存在で在れた。その傲慢さで、そこに在り続けたのだ。貴広が、力を失ってただの人と化しても、なお。 きっと、最期の瞬間まで。 「……」 目的は達成したと言うのに、気分が優れない。隷は溜息を一つ吐くと、五十鈴であったものに背を向けた。その勝ち誇って嗤っているだろう死に顔をまともに見なくて良かったと思う。 行動を急がなければならない。こんな辺境であろうが、PIXIES六天の情報伝達と連携能力は馬鹿には出来ない。それぞれが単独でいる内に速やかに始末しなければならない。 ただでさえ自分以外の刺客が既に動いている中だ。彼らが本格的に警戒を始めるその前に、彼らと言う芽を、摘み取って仕舞わなければ。 もう時は動き出したのだ。貴広の裡で止まり続けるそれも、隷の裡では静かに刻限を刻み始めている。 後はただ、最期までやり遂げるだけだ。 本篇ではお伊勢が噛まされるだけだった六天襲撃ですが、双子が揃って神風モードになると漆黒レプリカ持ちの隷でも勝敗が微妙とかなんとかファンブックにあったので、伊勢を最後に、五十鈴を最初に仕留めて連携を阻止し各個撃破したのかなとか。実際情報の一切が行く前に伊勢を仕留めているので、二日三日の間の出来事だったんだろうなと…。 ↑ : |