言葉なき恋をうたう ※10年前PIXIES妄想です。 ========================= ブリーフィング用の資料を纏め終わった丁度その時、時計の短針が指していたのは2と3の数字の狭間だった。 根を詰め過ぎて、昼食を食べ損ねたどころか大幅にその時間帯を通り過ぎて仕舞っていたらしい。貴広はぶ厚いファイルを机の上にどんと寝かせながら盛大に顔を顰めた。 仮にも情報部のエリートとして育成されて来た身だ、空腹でどうにかなって仕舞う程に軟ではないが、集中力を欠いたり思考が鈍るのは仕事や任務の妨げになっていけない。 任務中であれば栄養価やカロリーの高い携帯食やサプリメント状のものを途中で摂取している所だが、生憎とここはカンパニー本社の、情報部の中である。そんなものを机の抽斗に常備している筈もない。 小一時間程前に既に空になっていたコーヒーカップをぐるりと揺らしてみるが、飲めそうなものは疎かカップの底には僅かに乾燥した染みが残っているだけだった。 「……」 どうしたものか、と喉奥で呻く。基本的に社内の食堂はカンパニーの通常業務時間と同じ時間帯で利用可能だが、賑わう食事時を過ぎるとメニューに売り切れが多く、準シェフの作る食事にはまずありつけない。そうなるとスタンダードメニューであるレトルトのものしか注文出来なくなる。 この時代では『普通』の食事だが、多少なりとも味わいのある『料理』を口にすると、どうにも味気なく感じられて仕舞う。 つまりは、わざわざ社員食堂まで言って、どこにでもある食事を摂取するにも腰が重くなると言う訳だ。 無論、極論だが栄養摂取を目的としていれば躊躇う理由など無いのだが、現状貴広は、少なくとも今まで仕事に集中していても問題を感じていなかった。要するに、そこまで空腹を感じてはいないと言う事だ。 かと言って、夕飯時まではまだ三時間以上はある。流石にそこまで時間が空けば、仕事が一段落したと言う気の緩みもあって、途中で空腹を思い出すだろう。 食に拘りがなく、間食の習慣もない貴広だ。自室や抽斗に食べ物の類は置いていない。 休憩室に行けば部下の誰かの軽食ぐらい置いてあるかも知れないが、それを無心するのも気が引ける。 (コーヒーでも入れて紛らわしておこうか。いや、逆にカフェインに刺激された胃が空腹を訴えだしかねないが…) なかなか結論に着地しようとしない思考を持て余しながら再び時計をちらと見上げる。針は殆ど動いていない。 今まで昼食の時間帯を削って仕事をしていた訳で、休憩する頃合いではある。諦めて食堂に行って味気ない食事を栄養摂取と割り切って腹に入れるか、急ぎではない仕事を引っ張り出して来て集中する事で夕食時までの時間を紛らわして仕舞うか。 どちらも余り建設的ではないなあ、と溜息をついた貴広は、ファイルを机の抽斗に放り込み、施錠してから立ち上がった。取り敢えずコーヒーでも飲みながら考えようと、先延ばしの結論に判を押して空っぽのカップを手に取る。 執務室を出て、繋ぎの短い廊下を抜けると、伊部隊のオフィスになっている。広めの教室程度の面積のそこには四十人少々分のデスクが並んでいるが、そこが全て埋まっている事は仕事柄まずない。貴広を除いた主要メンバーである三十五人が全員揃ってデスクに向かっている光景など見た事がない。 そんな訳でこの日も矢張り、伊部隊のオフィスは閑散としていた。昼はとうに過ぎているので、通常の部署であれば午後の業務に励んでいる所だろうが、ここではそう言った仕事をしている者の姿も疎らだ。 特殊情報課では、任務や業務の無い人員は基本的に自由行動が認められている。その決まりの内側で逆に極秘の任務に就く事も珍しくないし、訓練に時間を費やしている事も多い。オフィスに残ってPCに向かっている者など、各種書類の作成に追われている者か、或いはただの暇人ぐらいのものだ。 「あ、隊長。お仕事終わりました?」 果たして、オフィスに入って来た貴広の姿を目に留めるなり、立ち上がってひらひらと手を振って見せる男はそのどちらだろうか。 「…五十鈴(お前)の場合は後者だろうな…」 貴広は思考の延長でそう小さく呟くと、何やら手招く様な仕草をしている五十鈴の方へと向かった。隣の席の伊勢も貴広の接近に気づいて静かに立ち上がる。この双子が二人揃ってオフィスに残っている事もなかなかに珍しい。 とは言え、五十鈴はともかく伊勢の方は暇だった訳ではない様で、机の上には作りかけの書類を束ねたファイルが開かれた儘だ。 「お疲れ様です」と言う伊勢の差し伸べる手に促されてカップを渡すが、それはコーヒーのお代わりを入れて来てくれる、と言う意味ではないらしく、彼はその儘カップを自分の机の上へと置いて仕舞う。 「隊長、お食事まだでしょう?この間近くに良いカフェを見つけたので、宜しければご一緒に如何です?」 何か疑問を発する前に五十鈴がそんな提案を投げて来るのに、貴広はぱちりと瞬きをした。伊勢の方を伺い見てみるが、そちらもどうやら五十鈴と同じ趣旨らしく、軽く頷きが返った。 「カフェ」 「ええ。軽食も供している店なので丁度宜しいかと」 鸚鵡返しにする貴広に、笑みを添えて、伊勢。 「隊長の事だから、時間外の社食に行くのも馬鹿馬鹿しいなぁと思っていたとかそんな所でしょ?」 机の上へと置かれたカップをこれ見よがしに指しつつ、無駄な勘だか洞察力を示して言う五十鈴を少しばかり呆れの籠もった目で見て、貴広は肩を竦める。 「…別に構わんが。仕事をしていたらしい伊勢はともかく、五十鈴(お前)はわざわざ暇を持て余しつつ、俺が執務室から出て来るのを待ってでもいたのか?」 「?そうですけど」 半ば皮肉のつもりで投げたら、あっさりとそう頷かれて思わず口の端が下がって仕舞う。何かおかしな事を問いているのはこちらなのではないかと錯覚しそうになる貴広の肩に、宥める様な手付きの伊勢が軽く触れた。深く詰める事に意味はないし時間の無駄だと言う事だろう。 「では、車を回して来ますので」 「ああ。頼む」 机の上のファイルを手早く片付けた伊勢がそう言って足早にオフィスを出ていく。近く、と五十鈴はカフェの所在についてそう言ってはいたが、車を出すのは伊勢曰くの用心の為にだろう。 「じゃ、僕らはエントランスに向かいましょう」 貴広のカップをいつの間にか給湯室に片付けて来たらしい五十鈴が言って歩き出す。貴広はちらとオフィス内を見回すが、今までの会話は筒抜けだったので、デスクに向かう幾人かから、行ってらっしゃい、と言う様な仕草を寄越される。緊急連絡手段は幾つも部隊内で確保してあり、連絡などいつでも付けられるので、隊長が少々の間無言で不在になった所で問題は無い様になっている。 特に言い残す言葉もないので、貴広は何も言わず五十鈴の後を追ってオフィスを出た。 * 件のカフェとやらまでは車で五分もかからぬ距離だった。店のすぐ目の前にあった、時間貸しのパーキングに車を停めて、町中のビルの一階にある店内へと入る。徒歩よりは良いと言う事なのだろうが、逆に色々と無駄が生じている気がしないでもない。尤もそれを斟酌するのは貴広の分ではない。これもまた先程の五十鈴同様で、伊勢にも、言っても無駄、と言う類の事である。 ランチタイムも過ぎた時間帯のカフェの割には空席は少なかった。歩道に張り出した席で新聞を片手にコーヒーカップを傾ける老人から、店内でノートPCを開いて株価の変動を見ている若者など、様々な人が店を利用している様だった。時間を潰すならば家だろうがオフィスだろうが公園だろうが同じだと思うが、わざわざ金銭を払ってまでこのカフェで過ごす以上、何かそれなりの理由があるのだろう。五十鈴曰くの『良いカフェ』と言うのも同じ理由だろうか。 店内の隅の席につくと、エプロンを付けた店員が注文を取りに来た。カフェと言っても飲食店や喫茶店に近い形式らしい。古風な、料理名だけがずらりと並ぶメニューを一瞥した貴広は、コーヒーとサラダの付いたチキンバスケットを注文した。続けて五十鈴が紅茶とチョコケーキを三つ、伊勢がコーヒーをそれぞれ注文する。 流石に、二人共に貴広と違って昼食そのものは済ませていたらしい。半ば店へのお愛想程度の注文だろう。 「お前たちは昼食は済んでいるのだろ?なんでまたわざわざ」 「良いカフェ、って言ったでしょ?美味しいんですよ結構」 「そろそろ隊長もお疲れの事と思いましたので、丁度良いかと」 貴広の問いに、向かいに座った双子が順番に答える。まるで予め用意していた建前の様に澱みのない言い種に、ふん、と鼻を鳴らし、貴広は運ばれて来たコーヒーを啜った。 「また要らん気を回す為にあれこれと策を弄していたと言う訳か」 「策と言うものではありませんが…ご迷惑でしたか?」 貴広のひねくれた言い回しには慣れている伊勢の、口にしながらも全くその可能性は考えてなどいなさそうな調子に、貴広は小さく笑って溜息をついた。 「…いや。頼りになる部下を持てて良かったよ」 「それは重畳」 「ありがとうございます」 ほぼ同時にそんな事を言って微笑んでみせる双子には、悪びれた様子はない。心底にそう思っているのだろうなと思った貴広は、特に何も返さずコーヒーを再び啜った。 それから五分程度で注文したものがテーブルに並べられる。強い揚げ物の匂いに漸く胃が空腹を思い出した気がして、貴広はフォークに刺した唐揚げをひとつ口に放り込んでみた。 成程、確かにインスタント品を調理しただけのものとは言え、さくさくとした衣の歯ごたえは良く、味も香辛料が効きすぎてなく丁度良い。どこのメーカーの商品かは知らないが、そこいらのカンパニーのレストランより良い出来だった。 「どうです?お味は」 「ああ。悪くないのではないか」 咀嚼してからそう簡潔に返して、次の唐揚げを口にまた放り込む。正直最初はそこまで食欲があった訳ではなかったのだが、この分だと、夕食は少し遅らせた方が良いかも知れない。 貴広がかなり遅い昼食を片付けていく間、双子は共にチョコ風味らしい茶色のケーキに向かっていた。そう言えば何か注文していたな、と思いながらふと見れば、テーブルの上にケーキが三つある事に気づく。 「……二つも食べるのか?」 可能性があるとすれば、伊勢よりは多分に五十鈴だ。そう思って投げた訝しげな視線に、五十鈴は小さく微笑みながら「いえ」と言って皿を手前に押し出した。 「これは隊長の分です。ここのケーキ、美味しいのですよ」 「…悪いが俺は甘いものは好かん」 「えー」 そんな事ぐらいは知っているだろうに、と思ってかぶりを振るが、五十鈴は大袈裟に落胆した様な声を上げてみせる。 「えー、とか言われてもな。菓子、取り分け洋菓子の類は食いつけていないし無理だぞ。勿体ないからお前が食べると良い」 こう言ったものをよく食するのだろう、子供の頃にそう言った記憶がない事が原因かは解らないが、食べようとしても口の中に甘さが広がって残るあの感覚が貴広にはどうにも好きになれない。飴程度なら何とかなるが、生クリームなどは出来れば避けたい。 伊勢も五十鈴も貴広の食の好みぐらいは(特に説明などした憶えなどないが)熟知しているだろうから、今更の事の筈だが。渋い表情で皿を押し戻すと、五十鈴は何やらそこでにこりと、やけにわざとらしく笑みを深めてみせた。 「では、隊長のチョコケーキはこちらで頂きますね。ありがとうございます」 頂くも何も頼んだのはお前だろう、と同意を求める様に貴広が伊勢を見ると、彼は弟のそんな様子に何やら苦笑いを浮かべていた。 「…五十鈴。賢しいのも程々にしておけ」 「兄さんもいる?」 「……いや」 「意地張らないでもいいのに」 トーンを落とした小声でそんなやり取りをしている双子を、貴広はきょとんと見ながら、食べ終えた容器や皿を横に除けた。煙草が欲しくなるが、灰皿もないし、店は禁煙なのだろう。 「こう言う時にこそ、策を弄していると隊長が苦言を呈して下さるべきなのですが…」 「ケーキを食わせられそうになる事がか?」 深々と嘆息して言う伊勢の横で、五十鈴がやけに嬉しそうにケーキを食べているのが気になったが、その落差や理由が今ひとつよく解らない。 「………いえ。お気になさらず」 「?」 伊勢は、彼にしては珍しく簡潔に、苦笑めいたものを浮かべつつも然しきっぱりとそう言い切った。貴広は疑問符を浮かべた儘に五十鈴の方へと視線を転じるが、こちらはケーキに集中する素振りでいて、答えを呉れそうもない。 気にしなくても良い、と言う事なのだろうと解釈した貴広は、残ったコーヒーを味わいながら三つ目のケーキが片付くのをゆっくりと待つ事にした。 時刻は短針が3の数字を過ぎていく所。二月の十四日の十五時過ぎ。特に意味はないのだろう。あったとして、貴広がそれを気にする事を、双子の部下は特に望んではいない。だから構わなくて良い。 バレンタインの習慣なんて間違いなく残ってない時代ですけどね…。そうでなくとも隊長は普通に知らないと思う。 お伊勢は五十鈴を羨ましがっているのではなく、そんな意味のない(商業戦略にかこつけた様な)大昔の習慣に乗っかって、そんなものでも嬉しそうにしている五十鈴を微笑ましいとも呆れともつかない感じで見ています。 Romances sans paroles ↑ : |