月を指し指を認む

※10年前PIXIES妄想です。
=========================



 「ここ、良いですか?」
 そう掛けられた声に視線だけを持ち上げると、テーブルの向かいの空席の前に、トレーを手にした部下の微笑みがあった。
 五十鈴。貴広は己の部下の呼び名を即座に反芻する。穏やかな人となりを表す様な柔らかい表情を浮かべて佇む男は、僅か数日前に結成されたばかりの、情報部の肝煎りエリート部隊PIXIESの序列第参天・神風の五十鈴であった。
 そんなエリート部隊を率いる事を任された貴広だが、PIXIESの構成員であろうがなかろうが、『神風』の名は五十鈴の双子の兄の伊勢と共にカンパニー内外に知られた有名人であり、『こちら』側の人間であればその顔も名も知らぬ者はそうそういない。
 直接に対面したのが数日前のPIXIES結成時の挨拶が初めてであろうが、内外に知れた顔であろうが、今の貴広にとって眼前の男は部下の一人である。邪険にする理由は無い。たかだか相席程度の事を断るに相応しそうな理由も。
 「……構わんが」
 口の中の食物をきちんと嚥下してからそう返せば、「ありがとうございます」と五十鈴は微笑みを深めてトレーをテーブルに置き、貴広の向かいの席の椅子を引いた。
 ちらと視線を巡らせるが、昼の混み合う時間を少し回った食堂には空席が目立っている。五十鈴と同じく貴広の部下に当たる伊部隊の人間の姿もあちこちに見られる。だと言うのにわざわざ、食堂の隅に位置する二人がけの席に陣取っている上司に相席を願い出ると言うのは一体どう言う料簡なのだろうか。
 貴広がそんな疑問を食事とともに咀嚼していると、いただきます、と行儀良い仕草で手を合わせた五十鈴が、そこで気づいた様に貴広の昼食のトレーを見て言う。
 「隊長はA定ですか。僕、ここのポテトサラダ好きなんですよね。りんごが入っているので」
 言われて貴広は己のトレーを改めて見下ろした。左右に白米と味噌汁の入った椀が一つずつ。中央の大皿にはメインのアジフライとそこに添えた千切りのキャベツ。隅の小鉢には五十鈴の言ったポテトサラダが盛られている。五十鈴の指摘の通りの、日替わりのA定食だ。
 続けて五十鈴の前に置かれたトレーを見れば、こちらは中サイズの天ぷら蕎麦と親子丼セットに、小鉢には柴漬けが盛られている。自ら好きだと口にしたポテトサラダの姿はない。
 「ならばA定でもB定でも、ポテトサラダが付いているものを選べば良かっただろ」
 「それはそうなんですけど、今日はフライって気分じゃなくて…」
 「フライと言う気分ではなくとも、天ぷらなら良いのか」
 「同じ揚げ物でも和風と洋風とで違うでしょ?」
 B定食は確かヒレカツだった。そして五十鈴の注文した天蕎麦の上には海老天。衣が違うだけでどちらも揚げ物と言う事に変わりはないだろうに、と思ったが、細かく追求する気にもなれず、貴広は嘆息するとポテトサラダの小鉢を手に取って五十鈴のトレーの上に置いた。別にポテトサラダを目当てにA定食を選んだ訳ではないから、拘りも惜しみもない。
 「食いたいのならやる」
 「良いんですか?ありがとうございます」
 少し驚いた様な顔をしつつも、変に遠慮したりはせずに素直ににこにこと礼を言う五十鈴に鷹揚に頷くと、貴広はアジフライの攻略の続きに取り掛かる。
 早速、譲られたポテトサラダを美味しそうに箸で摘む五十鈴の表情からは、最初からねだるつもりだったのかそうでないのかは解らなかった。
 情報部はカンパニーのエリート部署であり、その福利厚生にはかなりの金をかけた設備が用いられている。この情報部の社員用食堂はその最たるもので、準シェフの資格を持つ料理人がほぼ常時詰めており、供される料理の殆どはシェフの手を介して作られたものである。
 この時代、九割以上の人間が材料から食事を作る『料理』と言う『創作』を忘れて久しい。予めパッケージングされたレトルトを食べられる様にする工程が広義で『料理』と呼ばれている。
 シェフと言うのはそれらレトルトを用いず、食材から食事を『創作』する事の出来る人間を指す。それは他の料理人たちがレトルトの調理や、予め定められたレシピに従って料理するのとは全く異なるものであり、今ではそう言った才能や技能を持つ者は非常に少ない。
 その為、シェフと言うものは厳格な免許制であって、名誉職の様なものでもある。そんな事情もあって、高給取りのシェフは通常ならば国の王族や大企業のお偉いさんでも無ければ易々雇う事は出来ないものだ。
 カンパニー内のこの食堂で雇用されている準シェフは、シェフには及ばないものの、レシピに従った通りの『料理』を作る技能がある為、利用者に供される食事の味も質も、そこいらの社員食堂とは異なる。
 トレーにセットされた、完成形の出来たレトルトの食事を調理器に掛けるだけの食事ではないそれは、日々メニューも味も少しずつ異なり、社員の食生活に潤いを与えてくれている。
 食にこだわりがなく、食べられればそれで良いと言う貴広には関心の薄い事柄だが、美味しい食事と言うだけで福利厚生の役は成しているらしく、情報部の人間の殆どがこの社員食堂を利用しに来ていると言う。
 五十鈴もその例に漏れない様で、自称する好物を、それも質よく美味しい物を食せるのであれば、上司の愛想めいた申し出を物怖じせず受け取る事にも頓着はしないと言う事なのだろう。
 確かにレトルトのそれよりも美味しい様な気のする、さくさくとしたアジフライを咀嚼した貴広は、向かいで海老天を噛りながら蕎麦を器用に啜る五十鈴に向けて肩をすくめてみせた。
 「…で、何の用事だ?」
 「? 何がです?」
 手を止め、きょとん、とした表情を形作った部下に向けて貴広は続ける。
 「席に空きがあると言うのに、わざわざ食事時まで上司と同席するんだ。それなりの理由があるのだろ」
 「…? いいえ。特に報告や相談をしなければならない事案はありませんけど…」
 考える素振りもなく、直ぐさまに返る真顔に貴広は眉間に皺を寄せた。食堂を利用する人間たちは、伊部隊の者であれど他部隊の者であれど、貴広の座る席には近づこうとはしない。今も、ちらちらと様子を伺われている気配は感じるが、誰も好き好んで、神崎貴広の近くになど、席が空いていないとか仕事だとか、そう言った理由無しに近づく訳がないのだ。
 「では何故だ?」
 「……何故と仰られましても。そんなの、隊長とお食事をしたいと言う事以外に何があるんです?」
 「………………」
 逆に疑問を返されて、貴広は五十鈴の顔を不躾な程に睨めつけてみるが、そこにあるのは相変わらずの真顔である。嘘や世辞や何か企みのある様な気配は感じられない。
 職業柄、貴広は疑り深い己の性質を理解している。そしてそう言う目で探れば大体の嘘には気付く事が出来るものだ。
 だが、相手も確かに同じ情報部の人間だから、嘘をつく技能には長けている筈だ。そうなると易々見抜く事も困難になるのだが──、
 「…理解し難いし、大体そんな理由もないだろ」
 「……と言いますと?」
 「だから。食事時と言うのはリラックスをする為の時間だろ。不慣れな環境や緊張状態での食事など消化器官に宜しくない。任務中などならば別だが…──、ん、そうか、そう言った状況に対するお前なりの訓練と言う事か…?」
 喋りながら浮かんだ閃きは正解に近そうな気がした。わざわざリラックスなど出来ない席を選んだ理由も、訓練の一環だと思えば考えられない話ではない。
 貴広がその推論に納得を示しながら頷くと、五十鈴は露骨な困り顔を浮かべていた。そっと天を仰ぐ。
 成程、日常に交えた訓練であれば、それを看破されるのは失敗と感じるだろうな、と五十鈴の表情の意味をそう解釈した貴広がソースの瓶を手にとった所で、はあ、と深々とした溜息が聞こえてきた。
 「あのですね、隊長」
 「何だ?」
 言葉と同時に五十鈴がずいとテーブルの上に身を乗り出した。ちらりと見はしたものの、構わずに貴広はソースの蓋をぱこんと指で押し開ける。
 「食事がリラックスをする時間なら、気心の知れた人とか、好きな人と食べる方が良いって思いません?」
 「まあ一般的にはそうだろうな。…あのな、だから俺はお前が何故わざわざ上司の相席で、」
 わざわざその、曰くのリラックスの出来ない席を五十鈴が選んだのは、まさかポテトサラダの匂いに釣られたなどと言う訳ではあるまい。だから貴広は『何故上司の向かいなどと言うこの席を選んだのか』と言う至極真っ当な疑問を問い、そして推論を述べたのだ。
 「ですから、そうしたまでです。気心…、はまだ知れていないかも知れませんけど、僕は好きな隊長とご一緒したかっただけですよ。訓練とかそんな意図ではなく、ただリラックスして食事を摂る為に」
 言葉は反芻してみるまでもなく意味が知れない。貴広は眉尻を持ち上げた侭、五十鈴を睨みつける。
 「………………好き?」
 「はい」
 「誰が?誰をと?」
 「僕が、隊長の事をですよ」
 そこで五十鈴が破顔した。にこり、と微笑むそれは如何にも人畜無害そうな、人好きのしそうな柔和な表情である。対して、貴広は眉間にますます深い皺を刻んだ。睨みつける侭に首が傾く。
 「……………………意味が解らんのだが?」
 「その侭ですよ?上司への忖度だとか世辞だとか思い込まれるのは些かに不本意ですので、この際はっきり言いますけど」
 「………………」
 「あ、隊長、ソース掛け過ぎてます」
 言われて、ソースの瓶を傾けた侭だった事に気づいて貴広は慌てて手の角度を戻した。注ぎ口が細かった為に皿がソース浸しと言う事にはならなかったが、アジフライの表面に出来た窪みにはじんわりとソースの水溜りが出来ている。
 「…む、これは少々味が濃いどころでは…。お前がいきなり訳の解らない事を言い出すから…」
 「タイミングに関してはすみません。あ、頂いたポテサラが少し残ってますから、混ぜてタルタルの様にすればちょっとはまろやかになりますよ」
 ソースをアジフライの表面に箸で伸ばす貴広に、五十鈴は先頃受け取ったポテトサラダの小鉢を寄越して来る。その底に少し残った、形状を殆ど保っていないじゃがいもはマヨネーズとよく混じっていて、確かに掛けすぎたソースには丁度良い緩和になりそうだった。
 「すまないな」
 「いえ。元々隊長のご厚意で頂いたものですし」
 言って、矢張りにこりと微笑んでみせる五十鈴の顔を見遣って、貴広はポテトサラダの残りをアジフライの上に乗せた。カラになった小鉢を置いて、今度はきちんと手を空けてから肩をすくめる。
 「よもや、ポテトサラダを目当てに相席したと言う訳ではあるまいな」
 「…ですから、好きな隊長と一緒にお食事をしたかっただけだって言っているでしょ」
 脱力した様な声で重ねられて、貴広はまたしても五十鈴の表情を観察してみるが、今度も矢張り真顔。にこにことしてはいるが、大真面目な笑顔である。
 「あ。好きと言う言い方だとちょっと恩着せがましいですね…。一方的に好意は抱いていると言うか」
 「………お前が、俺に?」
 「はい」
 「……………」
 手にした箸の後ろで己の額を軽くつついて、貴広は嘆息した。矢張り意味が解らない。
 そもそもにして神崎貴広、或いはPIXIES隊長、或いは上司と言う言葉に対して、好きと言う単語や好意に類する感情が結びつきそうもないのだから仕方がない。
 傑出した異能を持ち、情報部のエージェント養成所で好成績を出し、幹部の一人に直々に指導され『作られ』た秘蔵っ子。大凡人間らしい感情を持たないとか、得体のしれない化け物だとか、幾つもの命を奪う所業に眉一つ動かさないとか。神崎貴広と言う名に付随しているのは大体そんな評価だ。
 同じ情報部所属の人間でも、触れば殺されるとか、近づけば殺されるとか、声を掛けたら殺されるとか、物騒に過ぎる認識しか抱かれていない事は貴広自身がよく知っている。
 己に向けられる敬遠や畏れと言う感情には昔から慣れていたし、子供でもあるまいしそんな些事に動かされる心もない。そして何より、安易に傷つけられる程、それらの風評に誤りは無いのだ。
 そしてそれは己に与えられたPIXIESと言う組織とて例外ではない。上位五天だけはあからさまではなかったが、他の者たちは『上司』としての任を帯びて現れた貴広に対して他の人間たち同様の萎縮を覚えていた。
 簡単に言えば──好き好んで近づきたくはないが、上司だから仕事の上では仕方がない。と言った様相であったのだ。無論、貴広にとっても別段想定外の事ではないが。
 「冗談としては上出来だが、酔狂と言わざるを得んな。それでわざわざ相席に来るなど、訓練か罰ゲームかのどちらかと言うレベルだろ」
 「訓練でも罰ゲームでも冗談でもないんですけどねぇ…」
 「ならばますます酔狂としか言い様が無いな」
 摘んだアジフライの味は、当然ソースは濃くなっていたが、マヨネーズやじゃがいもが加わって、五十鈴の言った通りに幾分はまろやかになっていた。これなら何とかなりそうだと、残った白米の量を見て貴広は箸を進めた。
 それ以上を続ける気がないと、そんな上司の仕草から見て取ったのか。物言いたげな表情はしたものの、五十鈴も丼を手に取った。そこで小さく笑って言う。
 「隊長はちょっと疑り深すぎるんですよ。…まぁ、そんな所も悪くないですけど」
 「何目線だ」
 「隊長をお慕いする部下目線です」
 じとりと睨みつける貴広の、あからさまに呆れきった、処置無しと込めた視線を全く気にした素振りも見せず、五十鈴は何やら機嫌が良さそうに箸を動かしている。
 「…まだ続けるつもりか、それ」
 「本当の事ですので…」
 どうしても、相席を申し出た事に他意は無いのだと言う事にしたいらしい五十鈴に、「ふん」と、頷くよりは大分素っ気なく鼻を鳴らすだけで返した貴広は、食事の残りをさっさと片付けて仕舞う事にした。余計なお喋りをしていた所為でいつもより時間がかかって仕舞った。それで得たものはと言えば。
 「貴様が、ポテトサラダを好むのと、相当な変わり者だと言うのはよく解った」
 思えば最初のフライだ天ぷらだと言うくだりから既にこいつは変わっていたなと今更の様に納得を運ぶ。
 好意だの何だの言うくだりはともかく、暇でも酔狂でも、わざわざ食事の時間を上司の目前で過ごせる程度には、五十鈴の感性はそこいらの『普通』とは異なるのだろう、と、貴広はそう結論付けて箸を置いた。グラスの底に残っていた冷茶を飲み干す。
 「……まぁ、そう僕を記憶にとどめて下さるならそれでも一向に構わないですけど」
 軽い嫌味のつもりであったが大真面目に返された。もう半ばどうでもよくなり、貴広は開かぬ埒は忘れる事にしてトレーを持って立ち上がる。
 「またご一緒させて貰っても宜しいですか?」
 そこで上目遣いに笑んで見上げられて、貴広はいい加減に五十鈴の遠慮の無さと言うか物怖じの無さ──もっときっぱりと言って仕舞えば図々しささえある──に呆れを通り越した疲れを憶えていたので、
 「好きにしろ。止める権限があれど理由は無い」
 と、投げやりに言って歩き出した。
 情けでも世辞でも無い、素っ気ないだけの貴広の言い種の一体何が響いたのやら知れないが、「はい」と頷く五十鈴の声音は明らかに弾んでいて、振り返らなくともその表情が知れた気がした貴広はこっそりと溜息をついた。
 
 *
 
 トレーを返却口に戻して食堂から出ていく貴広のその進路は、矢張り人が誰も立ち入らぬ様に避け、誰もが視線すら遣らぬ様にしている。それが恐らくこのカンパニーの中では『自然』な事なのだろう。
 神崎貴広と言う名は、養成所の中でも特殊で特異であったと言う。ナーサリークライムと呼ばれる彼の人の奪った命は、ここで生きて来た日数よりもきっと多い。
 そしてその所業を成させるのは、生まれついて彼に寄り添う闇だ。光の一筋すら通さない洌い闇は、人が原始の頃から恐怖せずにはいられないものだから。それゆえに。
 畏れ。その感情を食事と共に咀嚼して、五十鈴は行儀悪く頬杖をついた。誰もが、愚かな事だと思う。懸命だが、愚かだと。
 思えば、五十鈴も、双子の兄の伊勢も、言われる風評程に神崎貴広に畏れは抱かなかった。それを、きっと双子は彼に準じた化け物であるからと評す者も居るだろう。
 (…でも、違うんだよなぁ…)
 もく、と親子丼を咀嚼する。準シェフの作った食事は確かに美味しい。だが、今は物足りない。恐らく理由と言うのならばそんなものでしかないのだ。
 「『我は指を以て月を示し、汝をしてこれを知らしめんとするに、汝は何んが指を視て月を視ざると言うが如く』──って言うしなぁ…。ま、良いけど」
 味気の無くなった食事をさっさと片付けて、手を合わせると五十鈴はそっと立ち上がった。
 部下の一人、から、変わり者の部下の一人、になっただけでも。それが貴広の裡でいつか意味を持って呉れれば良い。





隊長は己への好意的な感情と言うものを理解出来ないんですって話。鈍いとか以前の問題。それでも最低14年は尽くしてる五十鈴。…なにそれこわい。
所長時代でも(OVAでは)得体が知れないとか恐れられていたので、現役時代は更に周囲からの敬遠は凄かったのではないかなとか。
けどPIXIES結成直後から、六天五人だけはそうでもなかったと言う想定です。と言うか寧ろその為に人外集めて結成された組織だしで…。

指月の譬。

  :