天より堕ちて災厄と為す / 2



 嘗ての、ウツホ復活に因る世界の危機の際。ウツホが世界中に撒き散らした『無』の侵攻を、その身と命とを以て留めた闘神士の存在を、戦いを生き延びた闘神士の中に知らぬ者は居ない。
 彼が自らの持つ五行の力を以てして『無』へと同等の力を相殺する事で、世界は忽ちの内に『無』へと消える事は無く、希望を繋ぐだけの猶予を稼ぐ事が出来た。
 五行の力とは全てを生む『有』だ。
 木は燃え火となり、火は灰となり土へ還り、土は重きに耐えて金を生じ、金はその肌に水を帯び、水は再び木々を生む。通常であればそれは世界の理でしかない事だ。
 然しその力の指向性を『零』へと向け──五行を以て五行全てを克する力を持つ者が、ヤクモであった。彼はその力を最大限世界の為に使い、自らの身命を世界へと、何の悔いなくして捧いだ。必ず、希望は繋がるのだと信じて。
 そうして言葉通りの人柱となった彼の姿は、多くの闘神士たちの心に勇気を生んだが、同時に畏怖をも生じさせた。
 『零』は『無』では無く、無に近しく『有』には未だ至らぬもの。
 即ち、彼もまたウツホと同じくして、世界を『無』に近いものへと滅却させる事の叶う者であるのだと。
 いつか、救世の英雄の一人たる彼こそが、太極の均衡を欠く存在になるのではないか、と。
 
 *
 
 実際、ヤクモの闘神士としての能力は、本来の闘神士の役割に要される、妖怪退治程度に使うには比べものにならない程に強大であった。
 そうしてやがて、天地流派が融和を目指し、式神同士、闘神士同士の戦いと言うものが完全に失われる様になれば、その力と権能が『何』の為に要されるのだと、危ぶむ者が現れた。
 地流は、抑止力としては余りに大きなその力を天流が流派の名前を以て保持する事に疑心を抱き、天流もまた、彼の力がいつか自分たちの喉元へと向かうのではないかと畏れを抱く様になったのだ。
 まず最初に上がったのは、ヤクモの所持する零神操機を封印すれば、少なくとも世界を『零』に戻しかねない力自体は失われるのではないか、と言う声であった。
 然しこれには反論が直ぐに出た。零の力を封印した所で、ヤクモが五行五体の式神を扱う事に代わりはない。そもそもそれ自体がイレギュラーな、大き過ぎる力であると。
 では、彼から式神を奪えばどうかと意見も出た。だがそれは、式神を滅ぼす事で節季のバランスを欠き、結局は太極に危機を招きかねないからと反対に終わった。
 それならば、式神を名落宮に堕とす程度に済ます──つまりは闘神士ヤクモ当人を葬るべきであると主張される様になり──、それが結論となって仕舞った。
 天流宗家を含む、ヤクモの周囲の闘神士たちはそれに当然の如く反発した。それに因って一度は、闘神士ヤクモの討伐と言う話は立ち消えしたかと思いきや、次には、組織抜きでの討伐の動きが幾度か起こる事となった。有り体に言えば、ヤクモは闘神士として命を狙われ、その周囲の人間にも危険が及ぶ事になったのだ。
 天地流派の間には再び疑心が生じ始め、既に現役の闘神士を降りた両宗家の制止など、こうなって仕舞っては最早何の意味も持たなかった。
 再び闘神士たちが混沌の運命に翻弄されて行く中、遂にヤクモは自主的に自らの封印を望み出た。
 彼の生まれ育った地である太白神社を、嘗てのウツホ同様に切り取って位相空間へと封じる結界を、ヤクモは自ら天地宗家に頼み、その地と共に自らの存在を封印の隔世へと鎖ざす事を望んだのだった。
 天地宗家はこれにもやはり反対したが、多くの天地の意見は全てがそうとは行かなかった。寧ろ大人しく封印されるのであればそれが良いと声高に叫ばれた。
 結果、ヤクモは彼の望んだ通りに、現世に干渉も害も為せぬ様、彼の力ごとそこに縛りつける封印を施され、現世からその姿を消す事となった。
 封印は天と地の結んだ鎖。何れの流派も何れの力に阻まれ、決して封印された隔世へと辿り着くことは出来ない。
 封印を施した天地宗家も、ヤクモの家族達もその例には漏れず。封じられた彼はただひとり、己の式神たちと穏やかに暮らす事を受け入れたのだった。
 ただ、世界の安寧の為であると信じて。闘神士たちの無意味な争いを避け、彼らが再び世界を護っていける様にと。
 
 *
 
 全てが終わってから事の次第を聞く事となった、1200年前から『戻っ』て来たマサオミは、事を理解するなり憤慨を露わにせずにいられなかった。
 本来ならば両宗家同様に英雄として扱われても良い筈のヤクモが、何故、と。
 巨大で得体の知れぬ力に対する畏怖の気持ちは解る。だが、そうした畏れと妬みとが嘗てのウツホの悲劇を生んだのだ。それと全く同じ事を、この世界は、天地流派は、人の猜疑心は再び繰り返した、その愚かしさに失望すら憶えた。
 そしてその仕打ちを事も無げに受け入れたどころか、自ら望んだと言うヤクモに憤りさえ憶えた。
 天地宗家は然し、封印に抜け穴を敢えて知っていて残していた。それが或いはヤクモの、いつか来る救いになりはしないかと願う気持ちを込めたものであった。
 天でも無く地でも無く、現代にまともに闘神士として残されたものの殆ど存在しない、廃れ行く定めにあった神流のみが、封印を抜ける事が出来ると言う『見過ごし』を、その可能性を、マサオミの帰還を信じて彼らは残しておいたのだった。
 それ以降、マサオミは刻を幾度となく越えて、隔世に住まうヤクモの元を訪れる事となった。
 当初は、1200年前に共に逃げようとマサオミは提案したのだが、「そうすれば今度は、マホロバの乱の時同様に、俺を討伐する為の闘神士がお前達の時代に現れる事になる」と言って、ヤクモは封印から断固として動かぬ意志を示した。
 「外の皆にもう会う事が叶わないのは少し寂しいが、皆とここで穏やかに過ごせるだけでも僥倖なのだと俺は思っている。ウツホの時の様に、有無を言わさず、と言う訳でも無かったしな」
 そう恬淡と笑って、彼は戦う事の出来なくなった式神たちを、恰も自らの家族の様にして生きて行く事の叶った、幸運などとは到底言えない様な事を喜んでみせたのだった。
 
 *
 
 その時マサオミが憶えたのは、強い失意と憐憫だった。ヤクモがそれを望んで受け入れたとは言っても、本来そんな選択肢など必要のない世界になった筈だったのだ。彼と、彼らの救った世界は、永きに渡って諍いを続けた天地流派を再び融和させ、神流への罪を精算し、もう何も憂うことの無いもので在り続けるべきだったと言うのに。
 ヤクモから人並みの幸せや生活を奪った連中の事は、憎んでも憎みきれない。それでもヤクモは、自分は良いのだ、と余りに当たり前の様に微笑んで、封印と言う歪んだ隔世の裡で過ごし続けている。
 その、己の感情との齟齬に、マサオミは時々無性に寂しさを憶える。当たり前の様に、当たり前ではない式神たちとの穏やかな日々を、確かな幸せを感じて過ごすヤクモが、いつか彼の自覚無くして『人』では本当に無くなる日が来るのではないかと、畏れずにいられなかったからだ。
 『家族』全員揃って卓を囲んで、マサオミの買って来た牛丼を食べながら穏やかに笑う彼に、釣られて益体もない言葉を投げて笑い返してやりながらも、一体この時がどれだけの間続けられるのかと、湧いた不安を幾度も胸の奥底に仕舞い込む。
 式神たちには本来食物の摂取は不要なのだが、ヤクモが孤独を憶えぬ様にと、彼らも共に食事を採ったりお茶を飲んだりしている。だからマサオミもその流儀に──或いは茶番に──付き合って、七人分の手土産を携えて訪れる事が慣例となった。
 五体の式神たちは、元々はマサオミの事を『ヤクモにちょっかいを出す不埒者(しかも敵だった)』としての認識がある為にそれなりに敬遠していた様なのだが、この封印へのマサオミの訪いがヤクモにとって大事なものであると言う事は承知しているらしく、以前までほどには風当たりも強くは無くなっている。
 それをして『赦された』とまでは思わないが、まあ精神衛生上楽になったのは確かである。こと、ヤクモの為、と言う目的意識さえ一致すれば、マサオミも、式神たちも、大体結論は同じ所に着地するのだ。
 「御馳走様でした」
 両掌を合わせてヤクモが言うと、すかさず先に食べ終わっているブリュネがお茶を入れた湯飲みを差し出す。
 「お粗末様でした」
 戯けて言ったマサオミは真っ先に食べ終わっているので、茶は自分で入れて勝手に湯飲みを傾けている。
 「人間の作ったものにしちゃあ、栄養は偏ってるけど味は悪くないよね」
 「そうでんなあ。欲を言えばもう少しお米と肉とのバランスが欲しいところで」
 「だからその、少しの物足りなさがあるのが良いんだって」
 食事の話などと言う式神らしからぬ会話に自然と入り込みながら、マサオミはいつしかそんな風景にすっかりと慣れて仕舞った事実に不意に気付かされる。
 ヤクモがこの封印された隔世で暮らし初めてから、もう五年だ。状況と時間の許す限りマサオミはここを訪れる様にしているので、既に何十回と同じ様な事をしている筈なのだから、それは当然と言えた。
 五年間、マサオミはヤクモの住まうこの世界──否、封印へ入る度に牛丼を手土産に、水を汲んで、畑を手伝ったり、式神たちと当たり前の様に語らったり。本来この空間の属する時代よりも、己の時代に近い様な生活をして来た。
 古代の神域の様な清浄な世界で、戦う為に存在する筈の式神たちを家族として暮らす闘神士は、ここに居るだけではただの人間と何ひとつ変わらないと言うのに。『外』は、現世は、その存在がただ在る事でさえ赦さなかったのだ。
 理不尽だと、マサオミはその仕打ちに対して思う。然しヤクモは一度もそう言った類の事を口にはしない。『外』の事も自ら余り訊こうとはしない。まるで、この隔世に在る事こそが己の役割の様に思って仕舞った節さえある。
 (五年、か)
 その間、『外』の世界は時の理通りに進み続けている。リクは嘗ての大戦時のマサオミたちの年齢を越えたし、ユーマはミヅキと祝言もあげた。ナズナやソーマも子供の域を既に脱した。
 1200年前では、ウスベニはタイザンと結ばれ子を為し、マサオミはおじさんと呼ばれる様になって仕舞ったし、すっかり年齢の離れて仕舞った幼なじみの子供らも皆大きく成長している。
 然し、この隔世だけは変わらない。
 いつ訪れても、ヤクモはあの頃の姿の侭で此処に居る。
 封印された空間は時の流れを停滞に程近い速度にし、ヤクモの持つ力をゆっくりと吸い上げ、零へと還元し続けている。全てを相し克す五行の理は、結果的に封印された世界の時をも凍らせて仕舞ったのだ。
 ヤクモと、彼の式神たち以外の事象は進んで行くが、ヤクモ自身の時はその針を殆ど動かす事は無い。式神たちは正しく時間を把握している様だったが、それを敢えてヤクモへと突きつける様な真似はしないし、ヤクモとて解っていて自ら自覚を忘れているだけだろう。
 「よし。じゃあ早速マサオミの持って来た花を植えようか。サネマロ、ブリュネ、花の育ちそうな良い場所を教えてくれ」
 全員が食事を終え、食器洗いを買って出たリクドウに片付けを任せると、ヤクモは袖をまくる仕草をしながら立ち上がった。
 「じゃ、俺もお手伝いするとしますかね」
 気障っぽい仕草でヤクモの手を取って言えば、何がおかしかったのか彼はくすくすと笑って、それでもマサオミの掌をそっと握り返して来た。
 ブリュネが鉢植えを大事そうに抱え、サネマロが花に最も適した場所を吟味する。家の、何処までも拡がる庭と言える敷地を益体もない話をしながら歩いて行き、目星をつけた場所にヤクモとマサオミとで穴を掘って、花をそこに植えた。
 「根付くと良いな」
 「ここなら気に入るでおじゃるよ」
 「花が良い匂いでありますな。これなら窓を開ければ家まで香って来るでしょう」
 紫と白の小さな花は、増えれば心地よい芳香で辺りを満たしてくれるに違いない。そんな事で、そんなものでも、何かヤクモの変化や慰めになってくれれば良いと、マサオミは密かにそう思った。




天地宗家って、組織的な意味での抑止力として在ってくれないと本当は駄目だよねえ…って思って。
りっくんが成長して日常に戻るのがアニメの主旨だったので仕方ないんですが、トップ不在の歴史だけはある組織って何かと面倒臭い筈。

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