天より堕ちて災厄と為す / 6



 きっと、悲しむだろうとは思った。
 だが同時に、それでも彼は堪えて仕舞うのだろうとも確信していた。
 だから、それではいけないと思った。ただ、理不尽だと憤った。
 怒って、嘆けば良い。その仕打ちを、世界の与えた余りに酷い業をこそ断ち切れる程に。
 その為ならば、たったの千二百年やそこら、呉れてやっても構わない。
 
 ──彼には怒るに足る正当な資格がある。
 
 実際彼がそんな感情を露わにする様な事が無くとも。
 せめてそのぐらいは、知っていて欲しかった。
 
 *
 
 手の中の神操機を開く。ずっと慣れきって来た動作の延長線で、自然と心がその裡の式神へと辿り着き、結びついて、喚び声を上げる。
 「式神、降神」
 きん、と澄んだ音と共に世界の界門が顕現し、そこに開かれる。その裡から水を蹴って飛び出して来たのは、槍を携えた見慣れた青い龍の姿。
 「青龍のキバチヨ、見参!」
 名乗りとほぼ同時に武器を構える青龍の姿を目の当たりにして、ヤクモが息を呑む音。それを察したのか、キバチヨは周囲へと油断なく身構えながらも軽く口端を持ち上げて笑ってみせた。
 「や。久しぶりだね。マサオミからずっと話は聞いてたけど、元気そうで何よりだよ」
 手が空いていたら振ってでもいた所だろうか。軽い調子で言うキバチヨの姿を、ヤクモは驚きを隠せない様子で見つめている。
 「あ…、あぁ、久しぶり…と言うか、どうして、」
 「キバチヨの契約は元々姉上のものだったからな。契約を戻しただけで、『俺』が満了した訳じゃ無かったんだ。だから、姉上の契約が満了した後で、俺がもう一度契約したって経緯になっている」
 一度満了した、或いは分かれた同じ式神と契約を交わす事は不可能だ。
 珍しく目を丸くしている様子のヤクモを見ればその疑問は当然で、マサオミは唖然として仕舞っている彼に少し早口でそう説明すると、自らの神操機を見遣った。その青い、リクの母から嘗て預かった神操機は、『新たな』式神との契約で、極めし者を示すそれではなく、元のシンプルな形状へと戻っていた。
 当初はマサオミとて、姉から引き継いだ契約を満了し、姉に契約を戻したのだとそう思っていたのだが、実際それは契約を引き継いで返したと言うだけで、マサオミ自身の『満了』とはなっていなかったのだ。
 その可能性を知った時、マサオミは迷わずに再び姉の名付けた青龍との契約を望んだ。そして望んだ通りにそれが叶ったのは奇跡の様なものだと、再会を果たしたキバチヨは言ったが、マサオミにはそれが奇跡などと言う安っぽい言葉の紡いだ現象だとはこれっぽっちも思えていなかった。
 ──きっとこれは必然であったのだと。
 そうして頼もしい背中を安堵を以て見つめるマサオミの様子から、封印を破る敵対者としての意識を感じ取ったのか、五体のセキュリティ──封印の守護者たちはそれぞれ油断なく全方位から圧倒的な威圧感を示しながら動き出す。
 「キバチヨ!」
 「解ってる!」
 黒い五つの影がほぼ同時に、手に生み出した符の様なものを投じて来る。五つの包囲から迫るそれを、マサオミの発動させた符が障壁を展開し防ごうとし、キバチヨは流れる様に切られた印を受けて影の一体へと向かって行く。
 「っ!マサオミ、危ない!」
 「な、?!」
 『敵』と切り結ぶキバチヨへと意識を向けていたマサオミは、ヤクモに押されてその場に伏せる形となった。その頭上を、符で作った障壁を貫いて通る、鋭い衝撃。
 突き飛ばしたマサオミの直ぐ横で、膝立ちになったヤクモは素早く起き上がって視線を走らせるが、その手が無意識に探ろうとしても、符も神操機も彼には扱いが赦されていない。マサオミがそんなヤクモを庇う様にして立つと、丁度必殺技を弾かれ後退して来たキバチヨが更にその前に立った。
 「マサオミ、こいつらは想像以上に手強い。本気で挑んでも下手を打てば一瞬で負かされるかも知れない」
 「……解った」
 キバチヨの冷静な分析に、咄嗟に浮かびかかった否定や反論を飲み込んで、マサオミは五つの影を順繰りに見つめた。どうやら符程度では受けきれない様な攻撃能力を一体一体が持ち合わせているらしい。全く特徴も違いもない、ただの人影にしか見えないそれらは、正しくただの、封印を防衛するだけの機能しか持たない様な、言って仕舞えば力そのものの存在なのだろう。
 「……五行だ」
 「え?」
 まだ膝立ちの侭、五つの影たちをじっと見つめながらぽつりと呟きを発したヤクモを、マサオミは僅かの視線だけで振り返る。
 「こいつらは五体がそれぞれ異なった行で作られている。木、火、土、金、水…、」
 言って五体を順に示すヤクモの指の動きを追うが、マサオミにはどれもこれも全く変化の無い、違いのまるで無い、黒いマネキンの様な人影にしか矢張り見えない。
 だが、もしもヤクモの言う通りに、五行の攻撃を同時に貰ったのだとしたら、易々マサオミの張った符の障壁を破って来た事には説明がつく。
 (だが、五行の力を持たされた封印の守護者なんて、まるで、)
 厭な想像に、ぐっと下顎に力を込めたマサオミの背後で、ヤクモがゆっくりと立ち上がる気配。
 「…恐らくだが、封印している俺と、式神たち(みんな)の力の一部を使って作られたものなんだろう」
 「………そりゃあ、手強い訳だ」
 マサオミの想像をあっさりと肯定してみせる、ヤクモの声には嫌悪感の一つすら乗っておらず、それどころか酷く淡々と聞こえた気がして、こんな絶望的な場面だと言うのに思わず笑みさえ浮かんで仕舞う。在りし日の、闘神士として相応しく『出来て』いたヤクモの、その侭の言い種だと思えたのだ。
 マサオミは神操機を構え直すと、ヤクモの示した一体に向けて印を切る。
 「キバチヨ、相手が五行ならまずは弱い部分から真っ先に崩すぞ!」
 「オーケー!」
 相変わらずマサオミの目にはどれもこれも同じ様にしか見えない五つの影だが、ヤクモが──自身の希釈された一部だろうと断じた張本人がそう言うのであれば間違いはあるまい。
 水行だと示された一体へとキバチヨは向かい、手にした鋭い槍を閃かせた。
 五行五体のセキュリティであれば、その一体でも欠ける事で大きく有利になる。それが出来ないと言う気はしない。少なくとも、闘神士としての自負も実力も、足りていないと言う事はあるまい。
 何も出来ずとも、矢張りただじっとしていると言う訳にはいかないのか、背後で身構えるヤクモの足下で、じゃらりと鎖が重たい音を立てる。
 鎖され、綴じ込められて、その裡の一部を勝手に使われて──まるで虜囚の、それ以下の扱いであると思えば、マサオミの心は酷い失望と灰暗い憎悪を思い出す。青と赤の色彩で示された悪夢の様な封印。それと全く同じ、まるで出来の悪い再現の様だ。
 「……ヤクモ」
 戦うキバチヨへ向かう意志も集中も崩さない侭、言ってマサオミは神操機を持たぬ手でヤクモの手を握りしめた。
 「多分、アンタの事だ。一瞬は俺に憤って、でも直ぐにそれを已めて、悲しくても全部を認めて受け入れて仕舞おうとするんだと思う」
 同じ様に、五つの影を油断無く見つめて身構えているヤクモから疑問と動揺の気配が返る。振り向かず、気休めを紡ぐ事も出来ないマサオミは、拒絶する様に寸時揺れた指を強く掴み直して印を切った。
 「でも俺は、それが我慢ならなかった。その想像が多分違えない事が、我慢ならなかった。だからこれは身勝手な俺のエゴだ。ただ、俺はそれでも、アンタに知って欲しかったし、アンタに怒りの一つや二つは憶えて欲しいと思った。それだけなんだ」
 切られた印を受け、遂にキバチヨの技が水行の人影を滅した。人影は悲鳴も上げず苦悶も見せずにただ灰の様に粉々に砕けて消えていく。
 だがそんなささやかな勝利を喜ぶ間は与えられない。他の行たちは手を休める事なく次々に襲いかかって来る。
 「……残酷な事をしているのは承知の上だ。だが、それでも俺はアンタを此処から出してやりたいと思ったんだ」
 解ってくれなくても良い。ただ、知ってはおいて欲しかった。
 まるで遺言の様だと思って苦く笑うと、マサオミは握りしめていた手をそっと解いた。
 「キバチヨ、次だ!」
 己のそんな願いを受けて戦ってくれている式神に向けて、祈る様な気持ちで印を切る。
 
 憤って、それから少し悲しんで。
 全てに堪えようとするのだろう彼が、また昔の様に笑ってくれる、そんな日々を取り戻す事は──きっともうこの『先』には存在し得ないのだから。




キバチヨ再契約ですが、アニメ最終話見てるとそう言う解釈も出来るかなって…。

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