私の罪は千二百年 / 3



 早朝と云うのは、未だ人ならぬものの支配する領域であると云われるからか、或いは平らかな陽光の気配が遠いからか、それとも単純に目覚めと眠りの狭間であるからなのか。何処で迎えても、侵し難い静謐の空気を纏っている様に思える。
 山中の霧は濃密ささえ感じる程に濃く、大気は木々から放散された水のにおいで満ちている。四方を山に囲まれ日の出の遠い暁闇のころ、人の気配もその立てる夾雑な音の一切も無く、人里は如何なる存在の活動も許さないかの様な圧力さえ感じられるほどの静けさに支配されていた。
 そろそろ鳴き交わし始めている野鳥の声は山々に薄らと谺し、果たして何処より届いて来るものとも知れない。樹上にも霧の遙か上にも翼の影は無く、夜明け前の不気味さを強調するのに一役買っていた。
 その最も深い箇所──或いは最も端的な地点──とでも云うべきは、件の鬼門を内包しているとされた神域だった。人里に寄り添う様にして向かい立つお山は、霧と静寂と早朝の気配とに囲われただ沈黙し聳えている。
 神域のお膝元──神社より南に真っ直ぐ下った石段の下に、堂々と佇む年代物の鳥居からその遙か先までをじっと見据える様にしてヤクモとマサオミの両者は居た。
 「然し……、近づいて見ると更にはっきり判るな」
 そう声を潜めて呟きながら、マサオミは額の上にてのひらを翳して石段を見上げていた。何を指して言うかは解ってはいたものの、その視線を追い掛けながらヤクモも──こちらは憚る必要も特に思いつかなかった為普通に──頷く。
 「ああ。こうまで清浄な神域なんて、昨今そうそう見られるものではない」
 緩やかな傾斜に刻まれた石段は途中で二度程休み、お山の中腹程に在る神社境内へと一直線に伸びている。周囲の杜は石段を囲う様に深く鬱蒼と拡がっており、より様式的な荘厳さを醸し出している。
 神域と一口に云っても、見た目や雰囲気が周囲と何ら異なるといったものではない。観光地にある名のある大社などの様に、豪奢である事イコール神聖だと云う訳でも当然ない。
 神域の定義としては、そこがどれだけ綺麗に『綴じ』られ『保た』れているかと云う事に先ず因る。外界を切り離す結界の如き隔があって、だが人や小動物を通さぬ訳ではないそれは、基本的に人為的に術などを用いる事で構築出来るものではない。域として囲った体裁と儀式的様式。方位。磁場。座の位置。そして何より信仰。神域とは人が崇め奉ったその『場』に自然と生まれ固着する、一種の天然現象とも云えるものだ。
 無論神のおわす座と云う『場』或いは『器』を構築するのは人の手だが、そこに信仰が寄せられるかどうかは流石に人為的には操作しようがない。疑心や欲無く、ただ純粋な信心が集まると云う事自体、神籬を置き磐座を祀り崇めていた太古の昔ならば兎も角現代では難しい。
 古来より連綿と伝わる有名な大社なども真性の神域ではある。が、それは観光客の入り込む土地全てを指すものでは残念ながら既に無い。人の出入りが頻繁になればその分不信心も紛れ込む。逆に信心が出て行く事もある。界の隔たる鳥居を通してとは云え、多種多様な人間の出入りは神域と俗界との境界を年月と共に稀薄なものとして仕舞うのだ。
 因ってそれらの由緒正しき社の、本当の最奥に現代未だ残される本殿や神域は禁足地とされ、祭事の時に極僅かの者が出入りする程度しか適わなくなっていると云うのが現実である。
 故に。今目の前に、早朝の静謐さ補正が多少加わっているとは云え、ヤクモやマサオミが目視(或いは感覚)程度ではっきりとその存在を認識出来て仕舞える程、巨大で完全な神域がこうして存在していると云う事は非常に稀な(としか云い様がない)事なのだ。
 人里離れた地にこう云った天然の領域が残されている事は現代でも時折起こり得るとは聞いたものだが、ここまで奇蹟的な程の神聖な域が残されているのを目にするのは、神社の息子とは云え初めてである。
 「しかも、離れて仕舞えばその気配さえ気取る事が適わないとは。正に神の域とはよく云ったものだな…」
 この目の前の神域に比べれば太白神社の神聖さなど可愛いもの以下だ。結構うちも神聖な空気は保っているのだけれど、と、ヤクモは小さな溜息をつく。これはただ残念に思う様な気持ちであって、神社としての実際の御神体が無いとかあるとか云う問題でもない。
 ヤクモが呟いた通り、この神域は正に完璧なものであると云えた。現世の者でも聡ければ容易に、此処の空気は何か違う、と気付く事が出来るだろう程濃密な神聖さを保ちながらも、少し離れて仕舞えば山と云う環境に混じり合い、神域の隔を見抜く事も適わない。
 「マサオミ。お前にとっても『見事な』ものか?此処は」
 「千二百年前から見ても、と云うなら正直比べる例が無いんだが、神聖さと云う意味では確かに過ぎるな。あの頃はそこいらの神域程度ならそれはもうあちこちにあったが、流石に此処まで規模が大きいのは」
 深呼吸ついでに神聖な堅さを感じさせる空気を吸いながら問えば、マサオミはなおも石段を目で見上げた侭頷いて寄越す。
 それを受けてヤクモは少々複雑になった表情を再度、お山の上へと向けた。もしも今までの推測や考えが正しければ、これだけ澄み切った神域にこそ或いは魔物が潜んでいるやも知れないのだ。
 ちらりと腕時計を見遣れば、時刻はそろそろ四時半を過ぎる頃だ。本当ならば四時前には入り込んでいる予定だったのだが、出発前にトラブルが生じた所為で少し遅れている。
 昨晩、携帯電話が圏外だった為、出発の際に術で伝達の『式』を使おうとしたのだが、どう云った訳かマサオミもヤクモも術をし損じた。これについて暫し互いにあれこれと大人気ない論議を交わしたのだが──それはさておいて。これから敵の腹中へ挑むと云う時に、何も残して行かないと云うのは流石に不安が生じる。何せ既に行方不明の前例が七名(+α)もいるのだから。
 その為、ムツキへと何らかの伝言を残しておくべきだと云う意見は互いに一致していた。のだが、『式』やヒトガタを飛ばす術が使えないと云う現状。念の為式神の降神や闘神符の具合を確かめてみたが、こちらは普段となんら変わりはしなかった。
 折り鶴やヒトガタの山を卓に積み上げた所で、二人は結局原始的に置き手紙(但し太極文字且つ暗号にした)を残す事で妥協し、予定より三十分遅れの出発となったのだった。
 そして神域に差しかかった所で、或いはこの域の作り出している隔、神域と云う影響こそが、遠隔伝達用の術を使えなかった原因ではないか、と結論が出たのだが、時は既に遅い。とは云え出発前に判明していたとしても、域の隔を一旦抜ける程度しか対抗策を思いつかないのだからこれも仕方のない事だが。
 「不安は残るが、指針としては生きて帰る心積もりだからな」
 散々ごねた挙げ句の、それが結論であった。
 もう一度それを諳んじると、ヤクモは鳥居へとゆっくりと近づいて行き、後ろをぴたりと付いて来るマサオミを振り返った。
 「マサオミ、お前は此処で」
 「残らないぜ。厭と云われようが邪魔と云われようが付いて行かせて貰うからな」
 ぴしゃりと、ヤクモの言葉を遮る様に云うと、マサオミはふんと鼻を鳴らした。斜に構えた様な姿勢で腕を組む。
 「……付いて来るな、と云うよりは、念の為に退路を確保しておいて欲しかったんだが……」
 「アンタの戻らない道なんて確保していても仕方ないね。信用してはいるが、だからこそ目を離してやる気にはなれないんだよ」
 マサオミの云う事にも一考の余地はあるのだが、本当に行方不明事件の原因が此処にあるとするならば、渦中に二人して飛び込む事は利口な判断とは云えない気がするのは自然な思考だろう。
 而して渋面になるヤクモに構わず続けると、マサオミは軽やかな仕草で肩を竦めてみせた。
 「ま、生きて戻る心算なら端からそんな心配こそ無用。だろ?」
 「…………解った。後ろは任せる」
 結局折れたのはヤクモの方だった。任せろ、とばかりに親指を立てるマサオミから、視線を眼前──霧の向こうへ続く石段へとゆっくりと戻していく。
 ざ、と足を軽く開き唾を呑み、そこで己の喉が渇きを覚える程に全身で緊張していた事を知って、ヤクモは舌先で唇を湿らせた。
 眼前に、それどころか周囲のお山一帯にまでその影響を遍く行き渡らせている巨大な神域。畢竟、人は神聖なものを侵しがたいものと感じ、それに畏敬を憶えるものだ。崇め、そして平伏す。日頃神の存在は兎も角、神社と云う『場』或いは『域』で育ちその空気に触れて来たヤクモだからこそ、今此処に拡がる神の域(息吹/いき)に畏怖を憶えずにはいられないのだ。
 早朝と云う、人の領域ではない刻である事もまたそれに拍車をかけている。
 だが、それだからと云って華表の下でくだを巻いていても仕方がない。どころか、行方不明になった闘神士達が現在どんな状況に在るのかも未だ知れていないのだ。彼らの生命の刻限を慮れば、時間は一分一秒と云えど無駄には出来ない。
 「行くぞマサオミ」
 思考の途切れと同時に、後ろからの応えを待たずにヤクモは鳥居を潜り抜けた。途端、霧中に呑み込まれたかの様に、更に粘度を増した様に感じられる霧と相反してより澄み渡った空気の中、石段を慎重に昇っていく。
 古い石段は嘗て参拝者達がよく通ったのか、角は削れて滑らかだ。だが両脇を固める木々は恰も手を伸べる幽鬼の様に枝葉を乱雑に繁らせており、昔は兎も角今は余り人の往来が無いのではと窺わせる。
 「土地神…って云うか氏神だったよな?此処(うえ)で祀られてるのって。都市部でもあるまいし、こう云う田舎なら結構根強く信仰が残っているのかと思っていたんだが、この様子じゃもう見放されて久しいかもな」
 同じ事をマサオミも思ったらしく、彼は目前を遮る七竈の葉を意味も無く引っ張りながらそう呟きを寄越してくる。みはなす、の部分に微妙なアクセントがあった事にヤクモは気付いたが、段を昇る足は止めぬ侭にただ上を見上げた。
 「此処を代々守っていた神主の家柄は元々うちみたいに境内に居を構えていたそうなんだが、何年か前に当代が老いて買い物や病院通いが困難になって来た所で住居を麓に下ろしたらしい。それからは息子の代が定期的に管理に訪れてはいるとの事だが…」
 この様子では余り期待出来ないかもな、と言外にせず続ける。ちなみにこの話の大まかな所はムツキよりの情報から得たものだが、仔細は昨晩あの老人から聞き出したものである。鬼門の有無や事件への関係性がどうあれ、境内に踏み入る以上は管理者の事を尋ねるのは当然の事だ。
 「実際、未だ此処の土地の神を崇め……いや、習慣的に参拝に訪れるのは付近に昔から棲むお年寄りが殆どらしい。そしてそれも年々少なくなっているだろう事は間違いないだろうな。若い者や余所からの移住者にはよくある天祖か稲荷だろうと思われているかも知れない。仮にこの地の氏神と認識されていたとしても、その祀るものが『何』であるかまで知る者はそうそういないと思う。
 お山自体は広大だが神の代は小さい。存在を知らないか気に留めてもいない者が多いだろう予想も多分そう間違ってもいまい」
 崇める対象を『知』って祈りを捧ぐのと、そうではないものは大きくその意味が異なる。祈ると云う行為には変わりはないのだが、祀られるものに対しては多くの場合無礼と取られる。特に土地神など、古来から一部の地域に特化した末端の信仰ともなれば信心を保つ為に『祟る』と云う教えを戒律としているものもままある。そういったものに対し安易に祈りを捧ぐ事は危険と隣り合わせの行為と云えよう。
 『神』に『祟る』力(神通力)があるかどうかはさておいて、この場合問題なのは『祟る』と古来から信じられて来たその堆積である。仮に、安易に頼る事は祟る事だ、と戒律として定められ信奉されてきたものであれば、本当に『祟る』のである。
 「あとマサオミ、此処の土地神は歴史が相当に古いのか伝承する者がいなかったからなのか、氏神か鎮守神かの正確な判別はついていないそうだ。だから未だ話題に上らせる際は『土地神』様で居て貰おう」
 土地に元より棲まう地主神と、それを調伏せんと新たに勧請され祀られた鎮守神ではその質は全く異なる。近代では定義としてほぼ同一視されているが、もしも此の土地に事件の原因が何らあるとするならば、立場は正しく把握しておくべきである。
 はいはい、と二つ返事で軽く同意を示して来るマサオミの声音には疲れの為にか力がない。ここまで無駄口や思考をを流しながらも休み無く石段を昇って来たのだ。ヤクモの方も心地よさには少々多すぎる疲労感は感じていた。
 その労を労うかの様に、漸く目の前に古びた木製の鳥居がその姿を現す。
 石段の最上段を背筋に力を込めて昇り終えると、言葉通りの『門』として、その鳥居は静かに立っていた。
 神域と俗界とを隔てる入り口。お山の裡であるこの場も既に神域の内部である。この向こうは神域の中央であり、これは神の代へと通ずる最後の『門』となる。
 ちらりと後ろのマサオミを振り返れば、疲れた表情を真剣なそれに切り替え首肯を寄越して来た。ヤクモも彼に小さく頷きを返し、そして霧の濃い山中にあって堂々たる存在感さえ示している鳥居へと、一歩。踏み出した。
 裡へと入り込む最後の瞬間、ヤクモは胸中で誰にともなく問いかけた。
 神が人を、ではなく、人が神を見放すものだとすれば、見放された神は──神の代として崇められた神籬或いは御神体に宿った『神』の具象は──果たして何を思うのだろうか。と。





神道なめんな。と云う訳で勝手なファンタジー解釈的設定で通します。やっぱりあしからず。
またしても設定説明だけで終わっている件…。長さの割に内容が全く無い予感が後までたっぷりです。所詮趣味押し寿司なのでよみものとしての存在意義かなぐり捨ててます確信的に…。

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