「……それがアンタの出した結論なんだな?曰く、合っていれば片が付く」
 応急処置を受けたばかりの傷口は洒落にならない程痛んでいたが、一度腰を下ろして仕舞えばもう動けなくなる気がしたので、目の前にあった丁度腰掛けるに丁度良さそうな倒木を恨めしく睨みつけながら、無理して立つマサオミは強く確認した。
 「ああ」一拍程の間を置いて返るヤクモの首肯。彼は紅い神操機を自らの胸の前に抱え持つ事で、その裡の式神達とひいては己をも守っていた。先頃の様に足下から不意打ちを受ける事があったとしても、彼は今度は絶対に神操機を身から離す様な真似はもうすまい。
 それを解っているのか、それとも単純に鬼門から離れた事で攻撃を仕掛ける事が出来ないからなのか、大蛇からの襲撃はあれから起きていない。が、探り見る様な気配だけは時折感じられた為、一連の遣り取りは正確には口に出して行っていない。
 「彼は恐らく、自らの通っている鬼門を最も重用視している。自身が蓋となっている事で鬼門から溢れる災いを端的に塞いでいると云う自覚がある事は勿論、伏魔殿を経由する事でこの神域──体内を抜ける事が出来る唯一の『出口』である事も確かだからな。
 本丸である以上警戒が苛烈なのは間違い無いから到底、怪我人のお前には行かせられない。俺が鬼門へ向かい彼の注意を引いている内にマサオミは、」
 「ストップ」
 説明を続けようとしたヤクモの顔の前に人差し指を一本立て、マサオミは辺りを見回す様に視線を投げた。窺っている気配は今は無いが、だからと云って本当に『カミ様』に何も届いていないと断言出来るでもない。
 「そっちの役目は俺に任せて貰いますよ。アンタの推論が正しければ、寧ろ式神を持たない俺の方が大蛇の御大にとって弱点が少なくて済む筈だ。ただでさえ怪我人だし、万が一殺しちまったら最後だからな、手加減はしてくれるだろう」
 「だが危険だ。もしも彼が形振り構わずお前をそれ以上に害したり人質にするなりの手段を取って来る様な事になる最悪のケースを思えば、皆の居る俺の方が生存率は高い」
 不服そうな表情でそんな意図を続けるヤクモの耳元に口を寄せると、マサオミは内緒話の様にして早口の囁きを落とす。
 「俺はアンタが自分の考えの他にも、あの御大を──式神として信じている事も含めて信頼しているんだぜ?」
 だから任せてくれて良い、と微笑んで太鼓判を押せば、ヤクモの方は虚を突かれた様な表情で立ち尽くしていた。その肩を少し強く押しやって、マサオミは「じゃ、また後でな」と軽く手を振ってやる。
 三歩ほど押し出された位置で、ヤクモは未だ躊躇う様に眉を寄せていたが、やがて降参の意深い溜息をついた。
 「よりに因って『信頼』とは云ってくれたものだ」
 どうとでも取れる様なそんな一言を皮肉めいて投げると、それきり背を向けた彼は山道を下りながら符を使い姿を消した。それを最後まで見送ってから、マサオミはいよいよ痛みの酷くなって来た傷口に沈痛目的で符を当て、呻いた。貧血もあって思いの外具合が悪い。とは云え大見得を切って仕舞った以上今更やっぱり駄目でしたなどと云う訳にもいくまい。
 「どうせなら、任せたとか頼んだとか、そう云う可愛げのある返事が聞きたかったんだがね…」
 これは別に聞かれたとして構うまい。やれやれと云う仕草と共に普通に呟くと、マサオミは鬼門へ向けて急ぎ足で進み始めた。



  私の罪は千二百年 / 9



 「式神降神!」
 言葉と同時に印が切られ、『彼』はその闘神士と界門たる障子越しに対面していた。
 その感触は然し、今まで『彼』が感じたことのないものだった。闘神士の気配は遠く弱く、『彼』は直ぐに落胆した。
 太極の神の持ってきた運命に失望した。契約すら結ぶのを不服だと思った。
 何故ならばその闘神士は弱かった。才が無かったのか、それとも本来闘神士ではないのに偶然闘神機を手にした者なのだろうかとも訝んだ。
 実際その闘神士の力量は低かった。彼は闘神機に幾ら願えど式神界への界門を開くべく太極神に認められる事が適わず、仕方無しに鬼門を開きそこから伏魔殿と云う位相空間を通して、空間の隔たりの曖昧なそこから式神界へと呼びかけて来たのだった。
 闘神士は弱かった。然しそんな弱い者がそれほど強く願い、為そうとしたものが何であるかに興味が湧き、『彼』は闘神士の契約に応じた。
 「此処は私の一族が先祖代々愛し住んで来た地だ。仮令どんなに酷い厄災に見舞われようと、この地を離れて生きてはいけない。だからこそ此処で共に生きて来た人々を、この地を救いたい。
 どうかこの地と、ここに棲まう人々を守護してくれ。それが貴殿に与える名──いや、命だ」
 
 

 「だからずっと、鬼門から半身のみを引き出された不自然な式神の有り様でも、あなたは此処でその契約を守り続けた」
 突如、耳の傍とでも云う様な『位置』から聞こえた声に、大蛇は初めてその眼差しに狼狽の色を見せた。長大な体躯をうねらせ眼下にいる、式神を持たない闘神士の方を見遣るが、彼は恰も今大蛇の感じている初めての焦燥の正体を知るかの様な風情で──そう、憐憫にも近い表情でじっとこちらを見上げて来ていた。
 当然、声を発したのは彼ではない。
 降神、そして勧請されて以来初めて感じる危機感に、大蛇は速やかに自らの知覚で身の裡たる山中を探った。然し先頃彼の闘神士らに告げた通りに、この肥大化して仕舞った身では自らの腹中の様子、しかも人の子ひとりの気配などそうそう探れるものでもないのだ。
 だが、そう云えば何故今までこの事を気に掛け無かったのか。鬼門へ向かう方を注視する余りに忘れかけていた。目の前の闘神士の云う『連れ』こと、式神を連れていたもう一人の闘神士は一体何処へいったのだ──?
 其処まで至れば結論は早かった。大蛇は慌てた様に神域の中央、神社の方を振り向いた。
 
 
 本殿の扉を再び開く。普段禁足地とされている古い建造物であるだけに少々黴臭いが、ヤクモは淀みなく、四畳半ほどの広さを持った本殿の内部へと入っていく。
 先頃見た様子と全く変わらず、薄暗いその内部に窓の類は一切無く、奥の壁際に設置されている祭壇には年代物の鏡が御神体として立て掛け、据えられている。
 然しこれが『本物』の御神体でない事は、『神』が式神である事からも既に明かだ。
 先程調べた時には畏れ多さと常識的な思考から手には取らなかった、鏡をそっと祭壇の上に水平に倒し、刻まれた八卦太極と印の上に重ねて置き直す。
 続けて四方に印を切ると、鏡面から光が立ち上った。まるで水底から浮上するかの様に、さざめく鏡の裡から古びた闘神機が浮かび上がって来る。
 これこそが、あの大蛇と──式神と契約を交わし、そして闘神士が死んで幾年も経つ今までもずっとその契約を支えて来た、この神域に於ける真の神代──『御神体』だった。
 「余程闘神士の思いが強かったのか。それともあなたの慈愛の心が深かったのか。契約者は闘神士個人では無くこの土地そのものとして、ずっとあなたに守護され続けていた」
 光に包まれ浮かぶ闘神機をじっと見つめるヤクモの横顔に、ひとすじの翳りが差す。
 ……解る。この闘神機(なか)に在る、今も猶希う強い思いが、宿っているのが。
 同時にそれは非道い哀訴をも伴っている。永年に渡る人間の罪を。『彼』に、永い契約を強いた事を。不完全な契約しか結べなかった後悔を。それに因って伏魔殿の変容と云う外的要因の作用を受け、『彼』の力が望まずとも狂わされて仕舞ったと云う悲劇を。
 「……伏魔殿が変容した原因も、元を辿れば俺達人間にある。契約と云いその履行と云い、人間として何処までもあなたへ身勝手な事を恃む事しか出来ない。そして俺達は闘神士としてあなたを元の世界へと還す心算は無い 。
 だが、この侭ではあなたは確実に、いつか名落宮へ堕ちるか、それとも人に駆逐される事となり憎悪や苦痛で反存在へ転換し堕ちて仕舞うか、そう云った運命を辿る事になる」
 式神へと思いを寄せるのは、ヤクモにとって半ば反射的な心の反応だった。意識して憐れもうと思った事も無ければ、恣意的に好意を向けようと思った事も無い。
 反射的な感情だからこそ、どうにもコントロール出来るものではないと理解していたし、父のモンジュや自分の式神達も、時に敵の式神にすら思いを宿すその事を責めたりはしなかった。寧ろ尊い事だと云ってくれたのは誰だったか。名落宮で出会った玄武のラクサイだったかも知れないが、何年も前の事なので少々記憶に曖昧だ。
 故に今、ヤクモは了承済みのその感情を隠しはしなかった。
 予定通りならマサオミは今頃鬼門に居るだろうし、声はどうせ式神達と大蛇本人以外には届いてもいまい。憚る理由は何処にも無いのだ。
 「この土地は何れ近い内に人の手が入り、開発される。そうなれば土地の者以外の人間も多く流れて来るだろう。……そうなってからでは遅いんだ。
 あなたが誰の犠牲も出す前に。あなたこそが犠牲になる前に」
 す、とヤクモは両のてのひらを、丁度胸の高さ辺りに浮かんでいる闘神機の左右へと回した。
 「契約を、満了して欲しい」
 ヤクモが古びた闘神機を胸に抱く様にしたその瞬間、外で見たものよりも随分と小規模な大蛇の霊体が闘神機から浮かび上がった。恐らくこちらこそが『彼』の本当の姿の一部なのだろう。
 『然しそれでは、この地を、人を、守る事が適わなくなる。『神』の庇護を失った者らはどうなると云う?我は契約の『名(めい)』に恥じる事無き様、契約を履行し続けなければなるまい』
 儼然と。『神』の域にて『彼』の理解し受諾した契約の正しさとその必要性が、言葉以上に様々な事象の例えとなり、闘神機を通じてヤクモの頭に直接流れ込んで来た。その意志──情報量の膨大さに思わず顔を顰めるが、直ぐに気を取り直してかぶりを振る。
 「信仰を既に忘れつつあった人々は確かに、唐突にあなたの庇護が消えれば、それを知らずとも『神』の不在たる世界に晒される事になる。
 だが、それが人の本来の正しき在り方の筈だ。人は『神』どころか節季の恵みさえも忘れて久しい程に傲慢な存在だ。──然し、」
 そこでヤクモは一旦言葉を切った。誠実さを示す言葉なんてものはこの世界の何処にも無いのだと解りきっていながらも、それでも誠実に在らんと、少しでもこの心を彼の式神へと伝えんと、ゆっくりと言を紡いでいく。
 黙っている蛇の金色の眼差しは、錯覚だろうか、下される結論を何処か期待している風にも見えた。
 「…………それでも人は、節季(あなたたち)の恵みと加護とを受けて生きていく事が出来る。──あなたひとりが、堕とされなくとも」
 云われて、初めて蛇の眼差しの中に、誰にも知る事の出来ない様な事に耐えてきたものの感情が揺らめいた。
 何故具体的にそう思えたのかと云えば、腕の中のこの闘神機を介して『彼』の心が伝わって来ていたからとしか思えない。
 「契約はもう、果たされている。玄武の    」
 『名』の無い式神の『命』を呼べば、玄武の式神の一部たる『蛇』はそれに応える様に真っ直ぐに天を向いた。
 『……永き、契約であった。半永久的に地に縛り付けられた事を無体な所行であると呪った事もあった。
 だが我ら式神を、戦うものではなく、人の子の世を守ると云う正しき形にて契約を結べた事は、無上の喜びであった』
 大蛇の、記憶ではない筈の記録の内にその時蘇っていたのは、守護に感謝し祈りを捧げる人の姿や、恵みに感謝し祭りを捧げる人の姿だった。
 『神』ではない『神』として。捧げられた人の思いをずっと受け止め慈しみ続けた永き日々。
 『人の子らよ。それでは今こそ、永きに渡った契約を──満了しよう』
 宣言と同時に、闘神機が目映く光り輝いた。ずっと辺りを包み込んでいた強烈な神気が一斉に晴れ、式神の霊体が天へ昇り鬼門の裡へと飛んでいく。
 同時に、ヤクモの手の中にあった闘神機がぼろぼろと崩れて落ちていく。何百年も闘神士が不在の侭、地そのものの楔となり支え続けていた重い契約と共に。
 「……あなたが此処に縛られたのは人間の身勝手な願いだったかもしれない。だが、あなた自身も人間を愛してくれていたからこそ──こうしてずっと居てくれたのだと。そう思い上がってもいいだろうか」
 灰の様に崩れ消えて行く闘神機をつかまえる様に指を畳んで、恐らくそれは正しいのだろう自らの言葉に、ヤクモは目蓋と共に蓋をした。
 恐らくはこの土地で永く庇護されて来た人々は知る由もないのだろう、その喪失に手向ける様に呟く。
 「……………ずっと見守ってくれて、ありがとう」
 
 
 鬼門より引っ張り出された男女八名は、意識こそ失っており多少の衰弱も見受けられたものの、命に別状は無さそうであった。特にこの中では最も最初に『吸い込まれ』ただろう女性の容態も危ぶんでいた程の重篤な状態には無いと判明し、鬼門を閉じ終えたマサオミは安堵混じりの溜息をついた。最も重傷な自分が人命救助を殊勝にもしている図に苦笑が浮かぶ。
 先程大蛇が鬼門の裡へと戻るのと同時に、空をずっと覆っていた霧や濃密な神気は一斉に晴れた。同時に符の発動や気力の調子も戻った為、うっかり自分が重傷人であるのだと忘れそうになっていけない。
 大蛇が『還る』その寸前に、鬼門へ吸い込まれていた連中はこうして代わりの様に引き揚げられて来ている。本来であれば伏魔殿へ降りて救出作業をしなければならなかった事を思えば、これは彼の式神からの最後のサービス(或いは償い)と云う事だろうか。
 ともあれ、ヤクモはこの地の『神』の契約を解除させる事に成功したと云う事だ。
 (正直、推論を聞かされた時は、そんな莫迦なと思ったがな)
 何百年振りかの刻を経て閉ざされ、今は沈黙を保っている鬼門を見つめ、マサオミは此処に来る直前のヤクモとの遣り取りを思い出す。
 合っていれば、片は付く筈だ──そう先置いてからの推論は、『神』は式神だから人間を傷つける事は出来ないのだと云う話だった。
 確かに云われてみれば、執拗に思えた襲撃は人より遙かに強大な力を持つ存在の割には子供騙しの様なものばかりだった。マサオミに傷を負わせる事となったあの攻撃も、ヤクモ自身ではなく彼の神操機を狙ったものだ。咄嗟に庇ったマサオミが命を落とす様な事にならなかったのは大蛇にとっても幸いだったと云えるだろう。
 ヤクモが式神をずっと降神したがらなかった理由も、神域内の危険性以外に、式神が居ると格好の攻撃の的にされるからだと云っていた。
 実際今こうして発見された闘神士達の中に式神の気配は感じられない。闘神士を無力化する為の最適な手段として、恐らくは真っ先にやられて仕舞ったのだろう。
 二手に分かれたのは、大蛇の警戒が鬼門に在ると云う事からだ。どちらかが鬼門へ向かい大蛇の注意を引きつけている間、もう片方は『御神体』へ向かう。
 式神がいない方が寧ろ安全だからと、前者の役割を自ら志願したのはマサオミの方だ。然しこの時点では推論は推論でしか無かった為、『大蛇の正体は式神だ』と云う考えが正しく無ければ鬼門へ向かう方は危険そのものになるし、それ以前に鬼門自体がどの様になっているとも知れないのだ。下手をすれば逆らう間もなく伏魔殿へ吸い込まれて仕舞うかも知れない。
 だからこそ最後まで納得のいかない風であったヤクモを無理矢理言いくるめ、マサオミは鬼門へ向かう役割を選んだ。ヤクモに、少しぐらいは役に立っていると認めてくれたか、と問いたとしたら怒られるだろうか。
 兎も角この作戦の肝は寧ろ、御神体へ至る方の役割である。御神体の場所の目星はついているのかと云うマサオミの問いに、ヤクモは、恐らく神社の本殿だろうと云っていたが、果たして間違っていたらどうする心算だったのだろうか。
 ヤクモの発揮する、時々妙に野生めいた勘が莫迦に出来ない事はよく知っているし現状を見る限り間違えてはいなかった様だが、そうなると果たしていつそう云った諸々の事情に気付いていたのかと少々訝しみたくもなる。
 (案外、式神相手には特別なアンテナでも立つのかもな)
 諦観に似た、然し少々の味の違う感触を呟きと共に口の中で転がして、マサオミは懐中から符を探り出した。
 救助された闘神士達は伏魔殿で刻の流れの異なった箇所に保持されていた様だが、実相世界へ引き揚げられた以上はそうも行くまい。彼らの症状がこれ以上酷くなる前に救援を寄越して貰わなければなるまい。無論、マサオミ自身にも早急な治療が必要だ。
 鬼門の前に綺麗に一列に並べられている闘神士達へ、時の干渉を緩やかにすべく符を発動させると、マサオミもまた疲れた様にその場に座り込んだ。
 「……いつまでも感傷に浸ってないで、早い所救援の手筈とか頼むぜ、ヤクモ。出来れば俺が死ぬ前ぐらいには」
 ふっと気の抜けた様な苦笑を漏らして、その侭マサオミは真っ黒になる視界へと意識を手放した。





式神なめんな陰陽大戦記なめんな。設定原理みたいなものはこじつけから更にこじつけわっしょいなのでもう以下略。言い訳不要です。蛇=ガンゾウの奥さんのスズネさんみたいなー。ラクサイ様のあーウルサイウルサイの蛇みたいなー。
ヤクモは対式神専用アンテナとか内蔵されてんですよ。と云うか結論が出る迄は安易に物事を漏らすべきじゃーないなと、慎重なのか勿体付けたいのか実はまるきり解っていないのに思わせぶりなのかそんな気質がアニメ作中ちらほらだったものでつい(褒め言葉)、鋭いんだか鈍いんだか運がよいだけなのか解らない人に。マント補正もあって謎の人物度を上げる為の演出ですかそうですか。

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