零と壱 / 2 やって来た店は、銀時も何度か足を運んだ事のある大衆酒場だった。コの字型のカウンターは生憎の満席だったので、土方が選んだのは対面状の卓の席だった。入り口から見て奥側に座ると、酒とつまみを適当に二人分オーダーし、マフラーを暑そうな仕草で解いて落ち着く。 そうしてから、未だ椅子の前に立った侭の銀時の方を胡乱な目で見上げて来るのに、 「いやァ…悪いね、なんか」 思わず弁解の様な言葉が漏れた。 「今日さ、どーもツイてなくてよォ。オメーに会った時はコリャもう駄目だなと思ったんだけどな。まさか奢って貰えるたァ。何しろこちとら懐具合が涼しすぎだしで」 言ってみるもんだね、と軽く続ければ、土方はふんと鼻を鳴らして応じる。 「別に構やしねぇよ。長居する気も無ぇし、テメーの飲み食いした分は総悟の給料からきっちり天引きしとくだけだしな」 (いや、そういう意味でもないんだけどなあ…) 思いはしたがツッ込むのも何だか億劫になり、銀時は土方の向かいの椅子に腰を下ろした。そう言えば意識してこの男と相席すると言うのも初めてな気がする。況して、気の様なものを遣われるなど。 偶然。しかも極力避けたい偶然に引かれでもしない限りは大凡起こり得ない様な状況だ。これが今日の不運の連続の終着点だと言うならば、この後のどんでん返しは充分に有り得る。未だ手軽に、飯だ酒だと喜ぶには早い。 (や。この野郎と何故か相席っつぅ、この状況が既に不運なんじゃね?だとしたらもうコレ自体が悪い事な訳だろ??それでいて更になんか起きるの??) 例えば、ジョッキを持ってきた店員が銀時の目の前で躓いて、その中身をこちらにぶちまけてくれる、とか。 「あっ」 「!!」 つらつらと警戒心剥き出しに考えていた銀時は、丁度この卓に向かってやって来た店員の上げた声に思わず身構えた。連鎖反応でか、土方もぴくりと身体を強張らせるのが気配で解る。 ところが、待てど暮らせどジョッキもビールの雨も降ってくる事は無かった。銀時が恐る恐る視線をそちらに転じれてみれば、卓の前で立ち止まった女性店員が少し驚いた様にその場に立ち尽くしている。 「あのさ、アンタひょっとして昼間うちの子にアイス買ってくれた人かい?」 そうしてやおら、まじまじと銀時の姿を上から下まで見つめて、突如そんな事を口にする店員に、銀時は「へ?」と眉を持ち上げた。 昼間+アイス+子供と言えば、あの、前方不注意で走って来てアイスを膝に叩き付けてくれた子供にしか今日は憶えはない。今日でなくとも他に憶えはなさそうだ。それであんまりにも泣くもんだから新しいアイスを買ってやる羽目になった一連の、余り思い出したくはない記憶に溜息をこぼしつつ、 「あー…そうだけど…?」 正直にそう言えば、店員は「やっぱり!」と苦笑を浮かべた。申し訳ない様な、ありがたい様な、そんな感じの。 「さっきうちの子から話を聞いたんだけど、白髪だか銀髪だかって事ぐらいしか要領を得なくって。あの子が迷惑かけてごめんなさいね」 「ああ、いや別に」 眉尻を下げてそう言うと、店員は運んで来たジョッキとつまみの皿を卓の上へと置いた。そうして取り出した伝票に線を引きながら、 「コレは私からの奢りにしておくから。うちの子の面倒見てくれてありがとうね」 にこりと、母親らしい笑顔を残して言って、頭を下げる仕草をしてから店員はカウンターの方へと戻って行く。 思わぬ展開に、銀時は瞬きも忘れてその背中を見送っていたが、「何の話だ?」と向かいから土方に問われ、「ああ、」と頭を元に戻す。 「それまでは自販機の下に落ちた50円に躍起になるまでもなく、もう120円あったのに、膝にアイスを受けちまってな…」 まあそんな不運が色々とあったのだ、とどこぞの世界の衛兵風にしみじみとした調子で説明すれば、土方は引き寄せたジョッキを傾けながら「テメェらしい話だな」と笑った。 誉められているんだかけなされているんだかよく解らない。 「だが、それだと俺がテメーの奢りで呑んでるみてぇな話になっちまうな。なんか適当に追加するか」 大人しく奢られる気はこれっぽっちもないらしく、半分程に量を減らしたジョッキを指先で弾いてそう言う土方に、なんだこの負けず嫌いは、と思って銀時も密かに笑いをこぼした。焼き鳥の串に齧り付きながらジョッキを傾ければ、空に近い胃にアルコールがじっとりと染みた。 (……て言うか。コレって、今までの不運の大概が何かしら良い方向に向かってるって事じゃね?) 追加注文をする土方の横顔を見遣りながら、ふと銀時はそう思った。 沖田にバズーカなぞ撃たれたから、今こうして土方に奢って貰う口実として利用出来た。 アイスを子供に買ってやる羽目になったから、酒とつまみの追加が出来た。 側溝に足が填ったから、近くにあった団子屋に行く気になった。 団子屋では木刀を忘れたり溜まったツケを思い出されたりしたが、団子は食えた。 木刀を忘れたからこそ、土方の妙な行動を目にする事になった。 ……最後のは良い分類なのかどうかはともかく。 パチンコも堅実に転がしていれば大勝ちもしなければ大敗する事もなく問題無かったのかも知れないし、公園でぶつけられたボールも、ひょっとしたら後々子供が甲子園に出場してスター選手になって「野球に夢中になった切っ掛けは、小さい頃公園で通りすがりのオっさんに、良い球だと誉めて貰ったのが嬉しかったからです」なんて言う話にでもなるのかも、知れない。 (……………要するに、考え方次第、って事。つー話か?でもアレ??幸運?) そこまで考えて、ぐい、とジョッキを干す土方の姿を、銀時はまじまじと見つめた。 (でも、だ。そうなると、コイツとの遭遇そのものがイイコトでしたみてーな扱いになるじゃん…?) いやいやまさか。とかぶりを振る。土方の所持する刀が、偶々にラッキーアイテムの『銀色のもの』だっただけだ。 黒い本体のほうは飽く迄オマケで、コイツがラッキーアイテムを所持していたから、それに引き合った事で一気に帳尻が合う様になったに違いない。 その意味合いにしても、土方との遭遇と言う最悪に近い出来事の筈が、逆に良い方向に働こうとしていると認める事にしかならないのだが。 (何だコレ。何なのこの感じ。運とか言うお手軽で便利な一言だけで、なんで、) 追加注文の酒が置かれれば、土方は早速徳利に手を伸ばした。猪口の一つを銀時の方へと差し出して寄越したので、受け取って大人しく酌を受ける。終われば、代わりに徳利を受け取って土方の猪口にも同じ様に返杯してやる。 (……何で、こんな。案外悪くねぇな、なんて) 内心の困惑を隠して無言で杯を傾ける銀時に何を思っているのかは知れないが、土方も同じ様に無言で杯を重ねて行く。相変わらず自分の取り皿に薄黄色の山なぞ拵えてはいたし、別段不機嫌とか不満と言う訳でもなさそうだ。 普通卓を挟んだ相手に沈黙なぞを寄越された日には大層落ち着かないものだろうし、銀時は基本的に埒もない会話を楽しみながら呑む酒の方が好きだ。 だが、この沈黙は居慣れない類のものではなく、互いの間に自然に降り積んだ堆積の様な気がした。 喧嘩にも言い合いにもならない。不快にも不満にもならない。丁度良い距離の取り方を憶えたばかりの人間の様に。 「運て言や」 そうして黙々と重なる酌と返杯との遣り取りの内。揺らして、空になった事を確認した徳利を卓に戻した土方がふとそう切り出すのに、銀時は緩やかな酩酊から意識を引き戻される。 「俺が実際観た訳じゃねぇんだが、近藤さんから聞いた話でな。何でも今日の占いで俺の運勢は最悪だとか言う話で。俺ァ占いなんぞ信じちゃいねぇが、確かに今日は、書類にコーヒーこぼすわ、会議に提出するデータをうっかり消しちまって作り直す羽目になるわ、飯行ったら臨時休業だわ、巡回に出れば変な木刀押しつけられるわ、総悟の所為でテメェに奢ってやってる羽目になるわで…、」 ああいやもう奢りじゃねーのか?と呻きながらぶつぶつと土方はぼやくが、その調子に険の様なものは乗っていない。嫌味も。 (……ツーか……) 大凡珍しいと言えただろう、土方の紡ぐ苦笑混じりの饒舌な愚痴に、銀時は不意に厭な予感を憶えた。 「ラッキーアイテムは銀色っぽいもの、って事で、したらテメェの頭が真っ先に浮かびやがったから、遭遇しちまったら文句の一つでも言ってやろうと思って」 「イヤそれ銀さんに責任ないよね?」 「た所に、テメェの木刀なんざ通りすがりに押しつけられたから、ああこいつァもう一遍頭カチ割れってお告げかなと」 「イヤだからそれ銀さんに責任も罪もないよね。つーかお前酔ってんだろ!?」 対面の土方の顔はいつの間にか大層紅くなっていた。淡々と杯を重ねた事で銀時もそれなりほろ酔い気分でいる自覚はあったが、そんなものとはレベルが違う。 ふらりと伸びた土方の手が卓の上の、まだ中身を残した徳利を手に取るなりその侭ぐいと中身を煽るのを見て、銀時は天を仰いだ。間違いない。これは酔ってる。しかも盛大に。 「あー。あのさー土方くぅん?あんま呑みすぎっと良くないよ、うん」 「大丈夫だ、弁えてっから」 「や。弁えられてねーから今の状態なんだと思います」 「まぁ、とにかくそんでー…」 冷静に指摘しながらも、酩酊しきった人間が真っ当に話を聞かない事など知れているので。銀時はこそこそと卓の上の酒類を後ろの空いている席へと移動させた。店の人がそのうち気付いて片付けてくれるだろう。 空になった徳利を置いて、続く酒がない事に眉を寄せる土方だったが、これ以上注文を重ねる気は無いらしい。変な所で理性があるんだかないんだか。酔っ払いに真っ当な行動を期待した所でまあ無駄なのだろうけど。 (ラッキーアイテムって泥酔してても効果あんだよな…?この期に及んでラッキー効果が切れて、支払い全部俺持ちとか、実は不運だったらしいコイツが財布を落としてたりとかは流石に勘弁してくれよ?) その場合は土方に言わせれば、銀時の頭がラッキーアイテムなのだから、不運と不運の軽減が相殺されるのだろうか。よく解らない。 幸運だとか不運だとか、ちょっとした日々の出来事を見る角度だとか。印象だとか。 たったそれだけの事でしかないものの正体は、よくわからないものの様だ。 「そんで。実際テメェに遭遇してー…、ちったァ不運の軽減にでもなるかと思ったら、自販機の下に小銭落としたりガキにアイス付けられたりしてる辺り、そんな事も無かったみてェだな。お互い不運続きの、こいつが総締めって訳だ」 複雑な表情を作って呻く銀時と対照的にも、土方は何かおかしかったのか、俯いて暫し肩を震わせていたが── 「……え」 マジでか。思わず声が出る。卓に顔の片側をぺたりと落とした土方は、その侭泥酔していた。 「………………えぇー……」 矢張り不運の総締めか。諦念に似た心地でそう思いながら。銀時はがくりと項垂れた。 押しても引いても起きそうにない泥酔者を前に、どうしよう、と頭を抱える銀時を見かねたのか。お連れさんが目醒ますまで、奥の部屋で休んでって良いよと、親切な店主に言われ、銀時は店の奥にある座敷へとずるずると土方を引き摺る様にして放り込んだ。 普段は大人数の宴会などに使う大部屋なのだが、今日は利用客がおらず空いているらしい。そこだけを見れば幸運かも知れないが、畳の上に大の字に伸びた酔っ払いを介抱してやらなければならない事実は充分に不運と言えるのではないだろうか。 掃除がし易い様にか、卓は部屋の隅に立てて置かれていた。見世物のある居酒屋ではないからか、室内には特別に調度や装飾などは無く、一般家屋の一室の様だった。そんな広い部屋のど真ん中で紅い顔を晒して寝息なぞ立てている男を見下ろして嘆息しながら、銀時は後ろ手に襖をタンと閉めた。 角に積まれていた座布団の一枚を抜き出し、二つ折りにして土方の首の後ろに入れてやってから、疲れた挙措その侭に傍らに座り込む。 (結局コレ不運?不運にカウントすべきだよね。なんで俺が勝手に泥酔したコイツの面倒看てやる羽目になってる訳) 「お客さん」 大仰な仕草で項垂れる銀時へと、襖に隙間を空けた店員が声を掛けて寄越す。先頃のアイスの子供の母親だ。 「はいこれアンタたちの荷物。あと水」 「おー、助かるわ」 「閉店まであと三十分もないけど、それまではここに居ても構わないって。勘定は──悪いんだけど、もしそれまでに目を醒まさなかったらお連れさんの財布から抜いておいて」 はい、と伝票を渡して去っていく店員の背中を見送ってから。襖を閉じて仕舞えば、居酒屋の喧噪からひととき切り取られた様なその空間には土方の暢気そうな寝息だけが響いている。 「手前ェのペースも忘れて呑みまくるたァ、鬼さんが聞いて呆れるよ?コイツこんなんだとヤベーだろーが。面も名も知れて命狙われちゃうご身分なんだろ?」 普段はどうだったろうか。考え込む程銀時は土方の事になぞ詳しくはないが、何か宴会での呑まねばならない事情──飲み比べだのと言った勝負事──でも無い限り、そうそう羽目を外す手合いでは無かった、様な気がする。 (そう言や今日は不運だとか言ってたっけ?いやでも運と飲み過ぎは関係ねーだろ。コレ間違いなくコイツの自己責任だよな。親身になって介抱シマシタって後から恩でも着せてみるか?) 銀時も結構杯は重ねたが、まだ潰れる程ではない。と言うより、この男を前に先に潰れるのも癪だと思って気を多少は張っていたのだ。 うんざりと息を継ぎながら、銀時は取り敢えず水差しからコップに水を注いでぐっと飲み干した。 見上げた時計の時刻は九時半を回った所。もう新八は帰って仕舞っているし、神楽も眠って仕舞っているだろう。鯛焼きの土産は明日の朝になりそうである。 いやそもそもそれ以前の問題がある。閉店までに土方が目を醒まさなければどうしたら良いのだろうか。土方の携帯電話を使って、適当に誰か人を呼べば良いのだろうか。呼んで良いのだろうか。 「そう言や…、勘定回収しとけ、って言ってたっけ…?言ってたよな」 ふと思いついて銀時は寝息を立てる土方の方へと視線を向けた。他人の懐だの財布だのを勝手に探ると言うのは感心出来た事ではないが、何しろ非常事態だ。それに、財布を捜すついでに携帯電話も見つけられれば問題が二つ同時に解決する。ような。 よし、と決断して、銀時は仰向けに転がっている土方の方へと躙り寄った。目ェ醒ますなよ?と胸中で願掛けの様に繰り返しながら、懐にそっと手を突っ込む。 目当ての財布は直ぐに手に触れた。隊服姿だったらこうは行かなかっただろう。この寒い中無駄に着崩した着流し姿でいた自分を恨め。思いながら抜き取った財布を傍らに置くと、銀時は続けて携帯電話を探す事にした。懐には他に手応えが無かったし、直ぐ取り出せる様に袂に入っているだろうか。 コイツの利き腕は右だよな、と思い出しながら左の袂に触れようとしたその時、 「んぅ…、」 土方の唇から滑り出た声に、どきりと銀時の鼓動が跳ねる。と、その隙を衝くかの様に、むずがる子供の様な声同様のもたもたとした仕草で、土方はごろりと身体の左を下にして転がった。 目を醒ました訳ではない様だが、これでは位置的に携帯電話を探り出すのは難しそうだ。くう、と再び寝息を立て始める土方を前に、銀時は安堵とも落胆とも取れない溜息を吐き出す。 (イヤイヤイヤ違うだろ、寧ろ起きてくれれば携帯電話とか探す事ねーじゃん!) 「そうだよ起きろよ土方くーん!もう朝ですよー嘘だけど!」 方針転換。かぶりを振った銀時は普通の声量で、覗き込んだ土方の顔に向かって声を上げてみるのだが、返るのは相変わらずの小さな寝息。と。 (……よくよく見てみりゃァ、鬼も寝てりゃ穏やかなもんだな。眉間に皺寄ってねぇとかめっずらし) 常に仏頂面か鋭い眼差しを湛えている顔つきは、眠っている時は──当然かも知れないが──穏やかに見えた。 特に嫉妬も感慨も憶えないが、その造作は改めて観察するまでもなく整っている。長い睫毛を揃えた目元は、常は厳しい表情を湛えているが、今は力が抜けており優しげにも見えた。鼻梁はすらりと綺麗な稜線を顔の中央に備えており、薄く開かれた形の良い唇の隙間からは、真珠粒の様な歯を僅かに覗かせていた。 そんじょそこらの男ならやっかみの一つでもしたくなる様な手合いだ。そのくせ単なる優男では決してないのだから、少々問題アリの趣味嗜好や性格さえ除けば何にでも困らなそうである。 (天は二物をなんとやら、か) 気付けば土方の事を熱心に観察していた事に気付いて、銀時は気まずい心地を背負った重みと共にのろのろと身体を起こした。携帯電話は取り敢えず探せそうもないし、起こすのも穏やかな手段では難しそうだ。 本当に『これ』が今日の不運の締めかも知れない。今までの突発的な不運には何かしら追随する、それなりに報われるものがあったやも知れないが、これはどうなのか。 不運を払拭した切っ掛けは土方との遭遇だった。だから、もしやコイツの所持品が幸運のアイテムなのか、と思い、実際少しづつ気分も上向きになった所で、これはどうなのか。 「なぁ、オイ。お前今日不運なんだって?何処がだよ。俺なんて幸運て言われた癖にコレだよ?おかしくね?なぁ、」 それともこれもまた、この後起きる何らかの幸運の布石に過ぎないとでも言うのか。 例えば、土方を介抱する事で何らかお礼でもふんだくるとか? 財布から迷惑料を抜いて仕舞うとか? 暢気に寝ていた事を後々、不注意過ぎじゃねぇの、とからかう材料にでもするとか? それが、銀時に訪れる『幸運』で、土方の『不運』であるのならば── (……だから、プラマイゼロ。会話とか面倒な関係が無くて、ただ返杯を繰り返すだけ、みてぇなあの感覚が心地よかったのか…) そっと息を吐き出して、銀時は溜息にもならなかった物思いを飲み下した。 互いのどちらかが意に沿わぬ思いをする様な、そんなものは御免だ。 目の前の男が厭な顔をする事を、幾ら意趣返し的なものだとして、嘲笑う事を幸運だなどと思う程に人間は腐っていない心算だ。 土方も恐らくそんな事を思ったからこそ、小銭を落とすフリなぞしてまで、自販機の前に一緒になって座り込む事にしたのだろう。 50円硬貨を拾いたい銀時に木刀を渡して、自分は煙草を吹かしながら横に立っている想像が、何か土方の意には沿わなかったのだ。 それが、今自分の感じた理由と同じものであれば良いなと、銀時は思わずそんな事を考えて、少しおかしくなって笑った。 「しっかし、オメーのラッキーアイテムが、俺、ねぇ?それこそどう言う発想だよ?珍しいにも程があんだろ」 出会ったらそれこそ不運だ、ツイてねぇ、厭な奴に会った、などと常ならば憚りなく宣う筈の男が、逆に銀時に遭遇する事で運が良い方角に転じるかも知れないなどと──偶さか木刀を預けられた事を切っ掛けにした気まぐれかも知れないが──思うとは。 酔っているからつい暴露して仕舞っただけであって、本当は銀時に向けてそんな事を宣う気なぞなかったに違いない。 この銀髪天然パーマネント(土方曰く『腐れ天パ』)がラッキーアイテム、などと。僅かでも考えて仕舞った瞬間の土方の心情を想像すると中々に面白い。 銀時は笑いを堪えながら、取り出した財布と渡された伝票を見て、きっかり支払い分だけを札入れから取り出した。襖を少し開いて店員を呼んで、支払いを済ませて領収書を代わりに受け取る。 「そろそろ店仕舞いだけど…」 大丈夫そうかい?カウンターの向こうの店主が心配そうに言って寄越すのに、「そろそろ引き揚げるから平気だ」と簡単に答えて、銀時は再び部屋の中へと視線を転じた。一応襖は閉じておく。 襖から入り込んだ風が寒かったのか、土方は再び、 「んー…、」 そんなむずがる様な声を上げると、もぐもぐと身体を丸めた。その様子に苦笑しながら、銀時は卓の上の水差しを左手でがしりと掴んだ。暫くその侭手が冷やされるのを待つ。 「ほーら、そろそろ起きねーとオメーのラッキーアイテムが帰っちゃうよー」 声を掛けながら耳元に口を寄せると銀時は徐に、冷えた掌で土方の耳元を擽った。 「ッん、」 急な冷たさに、土方は鼻を鳴らす様な声を上げてぴくりと身を竦ませた。眉が僅か寄せられて、力の入った目元がふるりと震える。 (………………) アレ?と銀時は思わず首を傾げた。 何か、今。憶え深い感覚がしたような。股間センサーのような何かが。 「………ぅ、?」 土方の目が薄く開かれて、重たげな瞬きを繰り返すのをまじまじと見下ろす。 「…万事屋?」 ころりと身体を仰向けに転がした土方が、眠気を纏った声で問いて来るのに、 「はいそうです、わたすが万事屋銀ちゃんです…」 どこか茫然とした侭銀時はそう答える。 (そうだよ、酔って馬鹿になってんだよ…。幾ら銀さんの銀さんがヤンチャ坊主だからって、そんな、おま、幾ら鑑賞に値するからって野郎にムラっと来るとかそんなまさか) 念仏の様に──否、本当に念仏を唱えながら、銀時は「えーと、」と、こちらを眠そうに見上げている土方に向けて咳払いをしてみせた。 「あのな、もう閉店で帰らなきゃなんねぇ時刻なんだよ。で、お前一人で歩けるか?無理そうならジミーとかそのへん呼びつけて…、」 すれば、土方はきょとんとした顔をしてから、やおら顔を顰めて言う。 「何抜かしてんだ。今日はテメーのその巫山戯た頭がラッキーアイテムなんだって言ったろーが」 (……………あ、これまだ酔ってんな。つーか寧ろ寝惚けてる) 赤ら顔に据わった目で言うと、銀時の困惑を余所に、土方は手を伸ばしてきた。彼曰くラッキーアイテムらしい銀色の頭髪をぐしゃぐしゃと掻き回してくる。 占いも、結果も、互いに話半分程度にしか思っていないだろう事は、性格上想像に易い。ただ、良いとか悪いとか言われたら、気の有り様も変わる。それが占いと言うものの教訓だ。鵜呑みにするのではなく、心持ちを易くする為のアドバイスの様なものである。 悪く感じるも、良いと捉えるも、全ては気持ち次第だ。 それでも。 言い訳でも。気休めでも。理由に値すると思ったのであれば。 「………………ナニ。送れとかそー言う?」 頭をもふもふと辿る手は、寝惚けていても男の膂力と言うべきか、結構に強い。溜息混じりに銀時がそう問えば、土方はあっさりと頷いた。……脱力。 「あのなぁお前……送り狼さんが出ても知らねーよ?」 「……は。出来るもんならやってみやがれ。幸運の腐れ天パが。そう易々首獲れると思うなよ」 混じりどころか溜息そのものにしかならないで言う銀時へと眠そうな、のろのろとした口調で答えると、土方は目蓋を下ろした。口元にだけ笑いを刻む。 「ただでさえ不運続きな所に来て、テメーがラッキーアイテムなんてのが最大の不運だろ。テメーに会えて安心しちまった、なんてェのが、最大の不運以外のなんだってんだよ」 だからもうこれ以上は悪い様にゃなんねェ筈だ。 「……………………」 言い終えると、スイッチが切れた様に再び目蓋をぴたりとくっつけて眠りに落ちて仕舞う土方を見下ろして。銀時は暫しその侭固まっていたが、やがて堪えきれずに「ぷ」と噴きだした。 なんだ、コイツ。油断してたのか。してくれてたのか。仲と言うより折り合いが悪いこの腐れ縁に、極力関わりたくなさそうな顔ばかりいつもしている癖に。無関心そうにしている癖に。占いなんて信じてないとか言ってた癖に。 (俺に会って、気が緩んで飲み過ぎるなんて……あんま言わなかったけど、相当今日酷ェ目にでも遭ったのかね) コーヒーを零したとか何とか言っていたが、この分だと恥ずかしくて口にしなかっただけで、他にも色々な事があったのかも知れない。それこそ膝にアイスを食らう様な事とか。 「俺に会って気ィ抜いちゃうとかさぁ…。何だよもう、存外可愛い所あるじゃねーの、土方くん」 ネタにしてからかう、より、胸に仕舞ってこっそり笑おう。後日きっと、何事も無かった様に鬼の副長面して何処かで遭遇するのだろう、そんな土方を見た時にでも。 神楽と新八に土産も買えたし、酒も飲めた。面白かったし、存外楽しかった。密かな楽しみも見つけた。だから、上々なのだろう。推定ラッキーアイテムの刀持ちは、それまでの鬱屈を見事に晴らしてくれた。 (まあ、生活費に困窮してんのは明日も変わりゃしねーけど。そんなのいつもの事だし、な) すう、と深い寝息を立てている土方を引っ張り起こすと、マフラーを軽く巻いてやってからその腕を肩に貸す様に引っかけてずるずると座敷の前まで引きずる。襖を開けて銀時は先に下に降りると、土方の履いていた草履の土を軽く払って袂に放り込んだ。それから座敷の段差を使って「よいせ、」気合いを入れて土方の身体を持ち上げる。力の入っていない、しかも自分と同じ様な体格の人間をおんぶするのは正直堪えるが、他に上手い運搬方法を思いつかないのだから仕方あるまい。 後ろ向きに倒れかかるのを何とか堪えて踏ん張ると、店員やら店主の心配顔に見守られながら外に出た。 大丈夫だ。何しろ思いがけない幸運の起こる男とその暫定ラッキーアイテム、不運に見舞われた男とその暫定ラッキーアイテムの組み合わせなのだから。何事も起きず帰れる。何事も起きず終わる。 いつも通りの日が、悪いものではないと思えるなら上々だ。これが占い曰くの幸運なのか、それとも他のものの仕業なのかなど知りはしないが。 (”天秤座のアナタは今日は思いも掛けぬ幸運に恵まれるでしょう”…ねぇ?) これが幸運と呼べるものなのかどうかは知らない。無か有か、幸運か不運か。どちらでもきっと良いのだろうから。 結野アナの占いは大体悪い結果しかない様な気がします。 /1← |