雨の
 枯らした
  腐り落ちる
 花


  雨枯れの花 / 1



 庭に、花は咲いていたのだろうか。
 それとも、気付かぬ内に踏み躙って仕舞ったのだろうか。
 今は何も見当たらなくなった庭には、雨がしとどに降り続けている。
 
 
 何者かに因る真選組隊士の殺害事件から五日目。
 襲撃の犠牲となった隊士の葬儀を儀礼的に終わらせ、未だ喪の明けぬ内から、下手人の本格的な捜索はずっと続いている。
 真選組屯所全体はピリピリとした空気に包まれ、隊士らの誰もが焦燥と憤怒との中で、常の業務と犯人捜索の急務とを忙しく執り行っていた。
 会議室での早朝会議で昨日まで検挙した攘夷浪士グループと、今日ガサ入れを行う施設の予定とを確認し合い、土方の怒号と近藤の発破を受け、隊は三々五々散って行く。
 土方は空き時間を用いて、会議室に士気昂揚と情報整理の為に持ち込んだホワイトボードへと状況の進捗を手ずから記していた。時折手元に携えた調査書類を照らし合わせ、新たな可能性を浮かべては傍らに座している山崎にあれこれと指示を出す。
 「…副長、紅蓮党なら先程も記しましたよ」
 ふとそんな指摘を受けて慌ててボードを見直せば、山崎の言う通り同じ調査対象を二度書いている事に気付かされる。実害は無いがミスにしては余りにお粗末過ぎる。他の隊士らの目に触れる前で良かったと思いつつ、土方は盛大に舌打ちをしてからマーカーの文字を乱暴に擦り消した。
 「副長。ここの所殆ど寝ておられない様ですし、少し休んでは如何ですか。正直能率が下がりまs──あ痛!」
 「煩せェな山崎の癖に」
 こう言う時の言い種には遠慮も衒いもまるでない山崎の、地味な頭にこぶをこさえて蹲る姿を睨み下ろすと土方は新しい煙草を探して懐をまさぐった。寝不足と指摘されたのを受ける様に目元がじわりと痛みを訴えて来るのを振り切って探るものの、目当ての煙草(もの)は見つからない。
 「おい山崎、新しい煙草、」
 「言っときますけど俺、ここの所調査続きでそれ所じゃありませんでしたよ。丁度良い息抜きだと思って、申し訳ないですがご自分でお求めになっちゃくれませんかね。あ、ついでに局長の姿が見えないんですが多分いつものアレなんで、迎えに行って下さると助かります」
 かぶき町まで。そう恰も見透かす様に言いながら、畳んだ上着を差し出して寄越す山崎の地味頭を、もう一度腹立ち紛れに殴っておく。この監察の部下は鈍いんだか鋭いんだか時々よく解らなくなる。
 別に息抜きが必要だとは自分では思わないのだが、どうやら能率が下がっているのは確かな様だし、どうせ気分転換を兼ねて外の空気を吸うのであれば情報収集もし易いあの雑多な町に足を向けてみるのも悪くないとは思う。のだが。手前の足の向く先にわざわざ理由を用意されている様でどうにも気分が余り良くない。と言うより面白くない。
 そんな苛立ちも交えて、土方は今し方拳骨を作った手に隊服の上着の袖を通した。襟を整え、スカーフの具合を確認すれば、息抜きどころか逆に戦にでも向かいそうな気分に浸される。
 「順序が逆だろ。この場合は、近藤さんを捕まえるついでに煙草を買う、が正解だ」
 机に積んであった書類の山に沈没した山崎の後頭部にそう言い残し、土方は足音も荒く屯所を出た。見張りの隊士には心配されたが、昼間のかぶき町などと言う厄介極まりない賑わいの中で、そう襲撃などは起こるまいと答えておく。
 外に出た所で無意識に上着のポケットを探り、そこにいつもの銘柄の煙草を発見して仕舞った土方は、山崎の気遣いに、山崎に気遣われる程疲れて見えるのだろう自分に、重たく忌々しい溜息をこぼす。
 冷静に考えれば確かに、土方の煙草の残量を日頃さりげなくチェックしている男が、幾ら最近多忙生活だったからと言い、その全てを欠かして仕舞う事など有り得ないのだ。恐らく土方の自室には何事も無い様にカートン買い置きの煙草が仕舞ってあるに違いない。
 (息抜き、って言われてもな…)
 屯所に居れば仕事の山だが、外に出れば仕事が巡察になるだけだ。何をどうとも抜きようなどない。呻きながら、昼間から猥雑な賑わいを見せるかぶき町の空気に沈み込んだ土方は、気付けば雑踏の中に目立つ銀髪を探している自分にふと気付き渋面になった。
 「…有り得ねぇわ」
 何度も言い訳し慣れた事に、それでも時折堪えられない様な心地になって呻く。
 きっとあの銀髪頭は、連日の報道で事件の輪郭や土方らの多忙さを知っていたとしても、戸を叩けば何も訊かずに迎え入れてくれるに違いないと思う。確信はある。
 飯食って行くか?と訊かれ、チャイナや眼鏡も一緒になって買い物に振り回される様に連れ出されていく、到底『鬼の副長』などとは見えないだろう男を混ぜた、安穏とした情景。
 神楽は土方の財布を夕飯に歓迎するが、マヨネーズだけは頂けないと本音を隠しもせずに言うだろうし、新八の方も、土方の財政支援に乗っかる気満々の銀時や神楽に注意し、土方にもごめんなさいと言いつつ、偶にはまともな夕食になる事を内心では喜んでいる。姉上の朝食に少し持って帰ろう、などと考えているかもしれない。
 銀時はそんな子供らを連れて、無駄に身に付いているスーパーの安売りなどの時間に向けて走り出し、思わず出遅れる土方の首根っこを大きな犬がくわえてそれを追い掛ける。
 (…………有り得ねぇだろ)
 ふと思い描いたそんな情景の端々は既に叶っている。ただ、いつも気まずさや居慣れなさが自分の中から消えず、どうしたって銀時に悪態を投げて些細な口論を始めるし、神楽の口の悪さも上手く流せない事が多い。新八が気を遣っておろおろするのにも上手い気休めひとつ言えない。
 そして、その勢いの侭、仕事が残っているからと名残も残さずに立ち去って仕舞う。その空気に長く留まり、慣れて仕舞う気にはどうしてもなれない。
 あれはアイツの手に入れた世界であって、俺なんかが入り込んで良い場所ではない。
 物騒な警察に付き纏うのは、いつだって血腥い所行ばかりだ。
 平穏を漸く手に入れた銀時の領域を、そんなもので汚したくはない。
 自嘲めかした笑みを浮かべた土方の視界に、やがて繁華街から少し離れた所にある、恒道館道場の外壁が見えて来た。没落した道場、と言う割に、相変わらず無駄に土地が広い。肝心の道場は門を開いておらず、姉ひとり弟ひとりの生活では手に余るだろうとは思うのだが、銀時や神楽ばかりかお妙の幼馴染みである柳生の娘、彼らに漏れなく付属するストーカーらまでよく出入りしているのもあってか、寂れている様な印象は余り無い。
 武州で近藤の道場に厄介になっていた土方にとっては、恒道館道場の佇まいはどことなく懐かしい思いを感じさせる。あの田舎のボロ道場はこんなに立派なものではなかったが、近藤が居て、沖田が居て、温かかった。師範代を近藤が継いでからは常に門下生の誰かがそこかしこで何かをしており、稽古の号令ばかりでなく、賑やかな声にいつも充たされていた。
 思い出に思考のスペースを少しばかり貸しながら、土方は道場の入り口に立ち止まった。短くなっていた煙草を携帯灰皿でもみ消しつつ見上げれば、なかなかに立派な門扉と看板とが目に入る。
 廃刀令の御時世では剣術を習おうなどと言う気概の持ち主がそもそも減った。と言うより、侍を標榜すると攘夷浪士(犯罪者)と取られかねないと言う危機感が、侍から本当の意味で『剣』を奪ったのだろうと土方は思う。今も残る道場剣術の剣客達の果たして一体どれだけの連中が、スポーツ感覚でなく、信念と意味を持って剣を振るっているのか。
 刀一本の力を本当の意味で知る『侍』が、この国にどれだけ残っているのか。
 そんな事を考えてみれば、必ず頭に過ぎる銀色の影がある。ほんの少し前までは、そんな事を考え、あの男を認めて強さや信念に純粋に焦がれる自分に気付くのさえ忌々しかったと言うのに。思って土方は新しい煙草を探る手つきの侭で緩やかに息を吐き出した。笑みがこぼれそうになったのだと言う理解は然し今の現実に余り相応しい気もせず、かぶりを振って思考を振り切る。
 「お妙さぁぁぁん!何処へ行かれるんですkぶべらっ!!」
 そうしてもう一度門扉を見上げた土方の耳に飛び込んで来たのは、その中から尾を引いて伸びるいつもの、余り聞き慣れたくはない絶叫と、続けて轟音。寂れているどころか、賑やかなのは確からしい。
 この忙しい時に、と苛立つ心を煙草のフィルターと共に噛み締め、やれやれと門を潜る。
 「あら土方さん。ノックもせずに。ゴリラの回収業ですか?」
 そこで、偶然だろうがまるで待ち受けていたかの様に佇んでいた女の笑顔は少し苦手だ。沖田とほぼ変わらぬ年頃だと言うが、姉一人弟一人と言う生活が長かったからなのか、志村妙の方が余程大人びている。
 大人の女性の扱いをする相手でもなく、かと言って沖田の様な見方をして良い訳ではない。近藤の惚れている相手と言う背景もあって、露骨に邪険にしてはいけないとは思うのだが、自分達を好ましくは思っていないだろう相手には遜りは元より、愛想も気遣いも上手く噛み合わない。
 それ故によく扱いが解らない。ただでさえ得体の知れない女は苦手だと言うのに。うんざりと思いながら、土方は身体の横にある門扉をお座なりにコンコンと叩いて言う。
 「……そいつァ悪かったな」
 「ちゃんと取り締まって頂かないと。ゴリラ規制法とか、ゴリラ規制法とか、ゴリラ規制法とか、あるんじゃありません?出掛ける前だったのに、着物が危うく汚れて仕舞う所だったんですから。
 町中のゴリラの散歩は綱を付ける様に、とか。ゴリラは檻から出さない様に、とか。あるんじゃありません?」
 微笑みを絶やさずに辛辣な調子を強調し連ねる女に、土方は「ゴリラじゃない」と、他の相手にならば必ず付け加える訂正を呑み込んだ。無駄な抵抗なのは解りきっている。
 「……そいつも済まなかったな。クリーニング代は近藤さんから払わせるよ」
 「アラ別にそこまでして頂かなくても」
 ゴリラ規制法さえ適用して下されば、と、どこの国の法律なのか、対近藤用限定措置なのか。にこにこと得体の知れない笑みを浮かべた侭言うお妙から視線を逸らし、土方は庭に逆さまに突き刺さった近藤の方を見て更に途方に暮れた。
 「何また懲りずにストーカーしてたの?そのゴリラ。頭がコレだと苦労すんだろ、副長サン」
 ふと、母屋から聞こえた声に思わず振り向けば、丁度玄関口に銀時が姿を現した所だった。何故こんな所に、と言う驚きや疑問よりも寧ろ、ゴリラの保護者、と揶揄する様な口調に、反射的にその姿を睨んで仕舞う。
 久々に真っ当に顔を突き合わせられたと言うのに、タイミングが悪いとしか言い様がない。
 「銀さん、お疲れ様です。それでどうでした?上手く直りました?」
 お妙の問いに銀時は、気も無さそうに履いたブーツの踵をとんとんと慣らす様に叩いて、手を振り振り立ち上がる。どうやら仕事(と言うより雑用だろうか)を頼まれていたらしい。
 「台所の電球は取り替えといたぞ。ついでに水回りも見ておいた。礼金はウチの口座に」
 「新ちゃんのお給料、三ヶ月間滞ってますよね?」
 「まあまた困った事があったらいつでも呼んでくれや。あと水回りはクラ○アンでも呼んで何とかして貰え」
 (……結局電球の交換しか出来てねーんじゃねェのかそれ)
 土方の内心のツッコミを、お妙が笑顔のビンタ一つで体現しているのを横目に伺い、土方は疲れた身体を引き摺って、頭から地面に突き刺さっている近藤の前に立った。毎度のことながら二十代前の女の腕力で一体どうすればこうなるのか。あの女の方が余程ゴリラだと時折思わずにいられないが、口には決して出さない懸命さはある。
 「おい近藤さん、忙しいんだからとっとと帰んぞ。早く頭抜け」
 べし、と逆さまになった近藤の膝下を叩いて、土方は大きく嘆息した。
 背中には、あの男の視線がいつまでも突き刺さった侭だった。
 あんなにも渇望していた筈なのに、どうしてだろうか、酷く居心地が悪くて堪らない。
 これに似た感覚を知っている。
 例えば。真選組の慰労会として非番の隊士らを引率した近藤と飲み屋に行ったは良いが、近藤を含め隊長各の連中はおろか、ほぼ全員が酔いつぶれて座敷の宴会部屋が酷い有り様になって。高級な、幕閣も利用する様な料亭であれば店員も厭な顔一つしないのだろうが、生憎真選組ご一行様が気前よく飲みに行けるのは大衆向けの店が良い所だ。当然、幕臣を標榜するヤクザ警察が醜態を晒し店に迷惑をかける事が好まれる筈もない。あからさまな迷惑顔を隠さない店主に詫び賃を支払い、駕篭(タクシー)の手配をして貰う。
 その為に一人で出来るだけ素面で居るのだから。諦めの心地で、針の様な嫌味の視線を全身に受けつつ、それ以上の醜態を衆目の前に晒すまいと無駄な足掻きだけはする。
 そんな感覚。自分が悪いのではないと言うのに、お前『等』がと言う目で見られる事。その事自体は別段構わないのだが、どうにも居心地が悪く、開き直りたい本音を持て余す様な。
 居たたまれの無さ…?思い至って充てた言葉にかぶりを振る。何故そんな窮屈な思いを銀時相手に今更抱かなければならないのか。
 ……決まっている。あの男が、何故か酷くどろりとした眼差しを向けて来ているからだ。いつも何処か草臥れた目をした男ではあるが、それは、眠そう、とか、覇気が無さそう、とか、そう言う類のものを想起させるだけのものだ。こんな、土に吸水されずに溜まった雨水の、汚泥にも似たぬかるみを連想させる様な眼差しは土方には憶えがない。
 「おい」
 振り向き様に口を開けば、思いの外に強い喧嘩腰の声が出た。ああ、このパターンは良くない。そう予想も理解も瞬時に脳は弾き出すが、生憎男と言うイキモノは頭と身体は別物と来ている。……いやそう言う表現は現状と意味は大きく異なるが。
 ともあれ土方の内心は喧嘩腰の口調程に怒っている訳でもなければ不機嫌な訳でもなかった。
 ただ、偶々とは言え久々に顔を突き合わせた銀時が向けてきている視線の正体が全く知れないのが酷く不快で、不可解で、気持ちが悪い。
 一般的には所謂──口にするのも個人的には憚られるのだが──銀時曰くの『オツキアイ』をしている訳で。……とは言えよくある恋人同士の様な関係も甘いものも求めていないし寧ろ願い下げなくらいなので、久々の遭遇に対して、喜んで抱擁だのキスだのをして貰いたい訳ではない。断じて。
 だが。こんな得体の知れない──不満、だの不審だの、と言う名前を付けられそうな、そんな感情を呑み込んだ様な眼差しで見られるのは更に心外だった。
 「何」
 短くそう応えを寄越す銀髪頭。日頃は口数が多く、無駄口の方が寧ろ大半を占めている様な口八丁の男にしては簡素に過ぎるその口振りは果たして、土方が先に出した喧嘩腰の声音の所為なのか、それとも銀時の気分に因る物だったのか。
 どちらとも知れないし、どちらでも無いのかも知れない。ぐ、とくわえた煙草に八つ当たる様に下顎に力を込めれば、落とし忘れていた灰の塊がぼろりと崩れた。靴先に転がったそれを強く踏み付ける。
 何となく母屋の方を振り返ってみるが、志村妙はゴリラ退治の用件を終えたからか、既に家に戻って行った後の様だ。玄関に女物の草履が揃えて脱いであるのが伺える。
 庭に灰を落とした事を見咎められたらまた難癖をつけられかねない、と思って振り返ったのか、単に目の前の銀時から視線を逸らしたかったのか。どちらでも良い心地で、短くなった煙草を携帯灰皿で揉み消すと、土方はポケットの上から新しい煙草に触れた。吸おうか寸時悩んで止める。フィルターを噛み潰して仕舞うのは下らないし勿体ない。
 「さっきから何なんだよその面ァ。言いてェ事があんならちゃんと言えや」
 「その面もこの面も。俺ァいつもの銀さんですけど?言いたい事とか別に無ェし?つーかお前良い訳こんな所でのんびり煙草ふかしてて。ゴリラ飼育係も仕事も忙しいんじゃねーの?」
 「…………言いてェ事だらけじゃねーか。壊れた水回り以上に駄々漏れてんぞ」
 「〜はァ?水漏れしてんのは副長サンの方じゃねーの?ゴリラの世話にかまけて仕事流しっぱなしにしちまって。市民の皆さんの血税が出しっぱなしの蛇口状態ですよコノヤロー」
 胡乱な目と胡乱な言い種。税金納めてから言え、から始まる各種の返し手は反射的に幾つも浮かんだのだが、不毛なことこの上ないと即断し、土方は舌打ちをすると反転した身体ごと銀時から意識を離した。土に突き刺さった頭を引き抜こうと、両手をついて藻掻き始めた近藤を手伝う方が余程建設的だ。
 いつもの埒もない様な戯れ言や悪口雑言の応酬であれば、斬り合いに興じる事も出来たかも知れない。実際大した意味もない口喧嘩は常々土方にとってストレスの発散に近いものがあった。大層アレな形だとは思うが、本気で喧嘩や憎悪し合っている訳でもないその遣り取りは、銀時とのコミュニケーションの一つである。
 だが、今日のコレは違う。あんな不愉快極まりない目をした男と、不快さを互いに掻き立てる事にしかならない様な会話などしたくもない。泥に足を取られたら棘に刺され、抜けない上に痛いのなど御免だ。
 完全に背を向けた形になった土方に、銀時が何を思っていたのかは知れない。溜息と、今日も鳥の巣並に前衛的な頭髪をばりばりと掻く音。それが彼にとって思考の狭間の癖なのは知っている。知れる程度には近距離で過ごした時間は長い。
 その認識が更に、現状の不可解さを訴えて来るのを感じるが、自ら胸中に仕舞い込んで、取り留めのない物思いを断ち切る。
 今は銀時の様子に思いを巡らせる様な場合ではない。何しろ真選組の面子のかかった捜査の最中なのだ。
 (アイツの態度がどう、とか。所詮どうやったって俺には理解出来るもんでも無ェし、入り込んで何かしてやれるなんて思い上がってもいやしねぇよ。大丈夫だ)
 自らに言い聞かせる様な空々しい思考には最早苦笑すら浮かばない。忌々しいものだと、使い慣れた諦念の言葉ひとつで呑み込んだ感情は恐らく酷く甘すぎて、自分らしからぬ失望しか生まないもので、真選組の副長として抱いて良いものでもないのだ。
 期待はしていた。偶さかの。そうとすら認識出来ない寓意でも構わない。
 山崎にさりげのない気を遣われたと言う切っ掛けはあれど、かぶき町の、銀時のテリトリーに、そうと理解しつつも向かったのは何故か。
 捜査を続ける上で、市井に予期せぬ様な情報が落ちている事もある。それも目当ての一つだと手前に言い聞かせながら、見慣れた町の見知った姿を自然と目が探す。脳が求める。足りない酸素に喘ぐ様に。
 組の緊張状態は理解している。解決するまではそれを保つべきだと思うから、自ら率先して常より厳しく真面目に当たり、仕事は些事であれ手は抜かずに応じる。それで疲労が嵩んで睡眠不足に陥ろうが、向かうべき方角は決して間違えてはならない筈だと言うのに。
 久々に外に出て、かぶき町に、近藤を迎えに行くと言う確固たる目的を抱いて向かった。
 それでも、頭を巡らせれば目は自然と銀髪の頭を探し、思考をすれば自然と万事屋の連中を浮かべ、侍を思えば坂田銀時の姿が直ぐに出てくる。
 (…………有り得ねぇだろ…、こんなの)
 まるで色恋に浮かれた十代の子供の様に、ひととき事件から切り離されただけで、頭の中はたったひとつの事に満たされている。満たしている筈なのに、酷い餓えを伴ったその正体を土方は知っている。
 嘗て抱いて、胸に大事に大事に折り畳んで殺そうとした恋心を憶えている。忘れられる筈もない。今も猶、その感覚だけは酷い痛みと寂寥感を伴ってここに在る。ここに再び生まれて仕舞った。いっそ斬り捨ててやりたい程に。
 ひととき向かう方角に目を瞑っただけで、それは余りに容易く土方の心を蝕んで落ちていく。
 (有り得ねぇ)
 これは何なのか、と今更無知の問いを浮かべ厚顔でいられる程に、土方はいみじくも潔さの無い人間では無い。溜息はつかずに、奥歯の間で噛み締めた毒の味を干す心地で、認める。
 ──これは即ち。『思い焦がれて』いるとしか、言い様がないものであると。
 
 ……そう。期待は、していたのだ。偶さか程度の。
 労って欲しい訳でも、焦がれた孔を埋めて欲しい訳でも、人肌が恋しかった訳でも無い。
 ただ。こんな、泥の様な感情を孕んだ目では見られたくなどなかった。不義理を責める様な、妬心やそれ以上の剣呑なものを隠さない姿になど、会いたくは無かった。
 手前だってニュースぐらい観るのだろうから、事件に追われて摩耗する日々を察しろ、とまで言う心算はない。
 それでも、何処か危険な思いを押し込めた様な眼差しになど曝されたくはない。
 そうだ。あの泥の様な目は、酷い飢餓感だ。
 俺が、不機嫌と言う感情で隠そうとした、有り得ない、と思って躱そうとしたのと同じもの。

 ああ。叩き斬ってやりたい。





一番最初の話の土方サイド。

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